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September 20, 2006

【ネタバレ】 父と暮らせば

注意)ネタバレ
この記事は ネタバレを含む感想です。物語の冒頭のみ知りたい方は、下の ■説明 の部分のみお読みください。

■原題 父と暮らせば
■監督 黒木和雄
■星  ★★★★★

父と暮せば 通常版
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■説明
1948年夏。原爆ドームが見える。広島だ。雷雨の中瓦礫の間を走る足。怖い怖いと悲鳴を上げて走りこんできた娘(宮沢りえ)に父(原田芳雄)が話しかける。

■感想
 以前から見たいと思っていたのだが、なかなか見る機会がなかった。8月にテレビでやっていたものを録画してやっと今頃観た。

 静かに淡々と進む映画。最初から引き込まれて見てしまった。場面はほとんどが 宮沢りえが住む家で進む。主要な登場人物も父と娘二人。場面のほとんどがセリフで進み、第三者のことも二人の会話の中で推し量る。 「この雰囲気は、劇場の劇を見ているみたいだ。もしや」と検索してみると、
父と暮らせば(Wikipedia)

井上ひさしによる戯曲であり、今まで数々の劇団が上演している有名な芝居である。2004年、 映画化された。

とのこと。やはりそうだったか。 宮沢りえ、原田芳雄がうまい。原田芳雄の広島弁はほとんど広島の人と変わりないように聞えたので、もしや出身が広島か?と検索したけれどまったく広島とは関わりのない人のようで、役者というものはすごいものだと驚いた。
 宮沢りえもかなり上手い。多少イントネーションが違うような気がした。方言自体は、純粋に広島弁だと思えないものがあり、九州弁っぽく聞えたり、関西の方の言葉に聞えたり、四国の方の言葉に聞えたりした部分もたまにあったのだけれど、そんなことはどうでも良い。

 ほのぼのと暮らしているかのような父娘の姿はとてもうらやましく、私は父とこういう風に過ごすことなく父が亡くなってしまったことが少し悲しかった。 少しネタバレなのでマウス反転して読んでください。

 今からでもこんな風にときどき父が出てきてくれたらどんなに楽しいだろうと思ったりもした。

 映画のテーマは広島の原爆。血や死人はほとんど映像に出てこないのに。私は 二人と一緒に原爆におびえ、原爆に泣いてしまった。終盤の娘の告白ではつらくてボロボロに泣き、つい嗚咽まで出てしまった。(映画館や劇場で観てなくてよかった) いや、本当の原爆はこんな綺麗ごとではないだろう。もっと恐ろしくもっと悲しいものだろう。

大幅ネタバレなので色を変えます。

 中盤で娘が友達の母に会いに行ったとき、最初はよく来てくれたと喜んでくれた友の母が、「なんであんたが生きているんだ。なんで私の娘じゃなくてあんたが生きているんだ」と面と向かって言ったという話があった。 そういわれた娘は 生きていることが申し訳なくて幸せになるまいと思った。 あまりの不幸は人を人でなくしてしまう。そういう不幸な人を 一瞬にして大量に作ったのが原爆。

 広島弁になじみのない人には 言葉がなかなか分かりにくいという感想もいくつかネットで見受けられた。私は偶然ながら広島弁がわかってよかったと思った。最初から最後までのめりこんで見ることができたから。 
 もし、一度見て広島弁が分からなかった人も、二度目にはきっとわかるようになると思うから、もう一度見て欲しいと思った映画だった。

下に冒頭の部分で分かりにくいだろうと思われる言葉を抜き出して見ます。そのまま抜き出しているので、筋が多少分かってしまいます。


雷におびえる娘に防空頭巾をかぶった父が戸棚の中から声をかけて
「はよう 戸棚の中へきんちゃい」= 「はやく戸棚の中に来なさい」

父の声を聞いて娘、父に

「おとったん、やっぱおってんですか?」=「お父さん、やっぱりいらっしゃったのですか?」
「おらんでどうする」=「いなくてどうする?」
「おまえがおりんさいゆうたらおるで...」=「お前が居ろといえば居るよ。」

娘の雷のあまりの怖がりようのことを父が
「そげえふってえさわぐようになって」=「そんなに大層さわぐようになって」 
「いつからそげえになったん..」=「いつからそんなになったん...」
「ねんねのころ」=「赤ちゃんのころ」たぶん。(私の知っている広島弁はねんねと言わないのですが、後半赤ちゃんのことをねんねと呼んでいたのでたぶん赤ちゃんの頃だと) 

「しっとる」=「知っている。」
「まじめにきかにゃあいけん。」=「まじめに聞かないといけないよ」

「おとろしゅうて」=「おそろしくて」たぶん 

「こたえるようになったんじゃ?」=「耐えられないようになったんだ?」 こたえる=堪える 骨身に堪えるなどと同じ使い方。

「どんどろさん」=「かみなり」たぶん

「しとりんさる」= 「していらっしゃる」(私の知っている広島弁は しとってんだったけれど、+敬語の「さる」でしていらっしゃる)

娘が 麦湯があるんよ。飲もうか。と出し、父はそりゃええのお。と答えるが、「これしか ようのめんのじゃけん」= 「これだけしか飲めないから」 よう は 動作を表す否定語とくっついてやろうとしても出来ないことを表している。じゃけんは だから という意味。

ひと段落ついて、思い出す父
「あー。ことじゃ!」=「ああ、大変(な事)だ!」 ことは「事」 「そりゃあ、ことじゃ!」となると「それは問題だ!」となる。

まんじゅうについて父
「あれ、まさかつぶれとりゃせんかったろうのう」=「あれは、まさかつぶれたりはしてないだろうねえ」

娘もらった饅頭のいきさつについて聞いた話しを
「どがーしてもその前を」=「どうやってもその前を」
「こがあいいなさったんよう」 = 「こんな風におっしゃったのよ」

「そいじゃけわしは、よう食えんのじゃって」=「だから、わしは、食べられないんだって」

「ピカの年」= 「原子爆弾が落ちた年」(これは方言ではなく)

「戻りんさった」= 「戻られた」
 
父が饅頭をくれた主のことをイロイロと楽しげに憶測するので

「なにゆうとってですか?」= 「何をおっしゃるの?」
「ばからしゅうて、もうやっとられん」 = 「ばからしくて、やってられない」
「おとったんは、まだおってん?」= 「お父さんはまだ(ここに)いらっしゃるの?」 
 
こんな感じに話が進みます。
 

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