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■監督 宮崎駿
■公開年 1997年
■星 ☆☆☆☆
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■説明
緑深い地に住むアシタカが偶然であった たたり神。村への被害をくいとめようとし、自らの手をたたり神につかまれてしまった。たたり神が消えた後もその傷は癒えず、このままではアシタカはやがて死んでしまうという。アシタカは自分の運命をかえるべく旅にでることにした。
■感想
ビデオが発売されてからまもなく購入し何回か見た作品。息子が生まれてからは、宮崎アニメにはめずらしく手が飛んだり、首が飛んだり(私には黒澤映画を彷彿させる)というシーンがあるので、子どもの前で見せることは無かった。
子どもも小学生になったことだし、見てみようかと引っ張り出してもう一度見た。
これに託されたテーマはなんだろう。通り一遍には捕らえられないものがあるように思う。公開当時には「生きろ」という言葉が何度もテレビに流れ、ビデオの箱にも書かれているけれども、私がまず感じるのは 自然の美しさ。緑のあまりの美しさ。目の前に広がる広大な緑の大地は、私が生まれてから一度も見たことが無い風景でありながら、なぜか少し懐かしい。そうして圧倒的な迫力で私に迫ってくる。 深い森は、その森の土や苔の香りを感じ、ついおもいきり深呼吸したくなる。その緑が失われ、動物達が生きる場をうしないつつある。
その頃の森には神々が住み、言葉を持つ動物達が生きていた。 神話の世界に迷い込んだような気がする。
しかし、物語が進むと同時に、私はやりきれない思いにさいなまれる。皆、「悪人」ではない。少しこずるかったり、目的を達成するために周りが見えなくなったり、かたくなだったり。そんな人達に働きかけるアシタカはあまりにも無力だ。1人で動き回ってもまったく流れを変えることなどできない。 じりじりと映画をみながら日常生活でも時々感じるような不安感、焦燥感がじわじわと押し寄せてくるのであった。
村の人々の明るさ・たくましさが救い。端役ではあるけれども、彼等はたしかに力強く「生きて」いる。
ラストシーンの記載をするので、フォントの色を変えます。
ラストシーン。赤茶けてすべてがムダになってしまったかのような大地が、少しずつ緑に覆われ、また、みずみずしい深呼吸したくなるような草々がよみがえる。まるで、くじけない村の人々のように、太陽の方を向いて再生する。 これはもしかしたら アシタカやもののけ姫の物語ではなく、 目にとめられない草草や木々、そうして端役の村の人達を描いた物語だったのではないかと思う。見終わった後にその力強さに救われた思いがした
■著者 江國香織
■星 ☆
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■説明
12編の短編からなる 直木賞受賞作とのこと。
■感想
タバコを吸う高校生が、タバコを吸わない高校生を見て「やつらは子どもだ」と評しているかのような。
そんな印象を受けた。 ファンの方には大変申し訳ないのだけれど、私はどうも彼女の良さがいまのところわからないように思える。でも、1人の作家の本をまとめ買いするクセがあるので、まだまだ手元にある。とりあえず買った分だけは読んでみて「すべてがそうなのか。そうでないのか」見極めたいと思っている。
さて、タバコを吸う高校生は果たして大人か? 大人の皆さんにはおわかりだとおもうけれど、タバコを吸うからといって、法律に違反してみたからといって決して大人ではない。大人でも タバコを吸うことに価値を見出さない人もいる。 しかし、タバコを吸う高校生が「やつらは子どもだ」と吸わない高校生を評したり、吸わない人達を自分の尺度で見て「吸うだけの勇気がないんだ」と言ってみたり、わざと健康に悪いことをすることがかっこよいことなんだと考えていたりするような。
アマゾンの評を見て ああ、うまいこと評しているなと思ったのが、
naonao-703 さんの評だった。
あとがきに「いろんな人たちがいろんな場所で、いろんな記憶を持ち、いろんな顔で、いろんな仕種で、でもたぶんあいも変わらないことを営々としている。」とあるが、いろんな人はこの短編集には見えてこない。
「同じタイプの人がいろんな場所で、同じような価値観の人が・・・」と
私には感じてしまいました。
まだ2冊しか読んだことの無い彼女の本だけれど、どうも良さがわからないのはどうしてだろう。すべての物語が1人の人の頭の中の想像で、しかも自分がヒロインという美化された物語を延々と聞かされ続けているような、もうあなたの頭の中の御伽噺はおなかいっぱいで胸焼けですという感のせいだとおもう。
(もちろん、小説というものはそういうものだけれども、少なくとも私がその話の中に入り込める楽しみというのは、年齢も性別も環境もすべて違っていることをまるで自分のことのように描き出してくれ疑似体験させてくれるその腕にあるように思うのだ。)
主人公には恋(それとも性欲?)はあっても人に対する愛はない。 そこには胸がくるしくなるほどの恋愛もなければ、なにもない。そこには、思考がなく、空虚な頭だけがあるようだ。ちょっとした、刺激的な文章がちらりちらりとほんの少量振られたコショウのように、気づかない程度にちりばめられいて、こういう口当たりをよくしたエロチシズムが好きな人のための、御伽噺?なのかしらと思った。
まあ、性欲ばかりで行動している男性が描き出されたものが世に作品としてあるのだからして、性欲を基準に行動する女性をそれとはあまりわからないように美化して描いてもおかしくはないのかもしれない。
あまりにもそういう評だけではよくないかと思い、以下に2つ12編のなかで、「いくつか選べ」といわれたらというものをピックアップしておこう。
「じゃこじゃこのビスケット」この短編集のなかで比較的まだ受け入れられるものだったとおもう。
今の自分からすると、あまりにもみっともなくて、軽やかでもロマンチックでもなく、ただぎこちない、でも本当はいとおしいのかもしれない少女時代。
「溝」 妻の裏表の使い分けを奇妙なものでもみるような離れた視線で観察し、最後の一ページでどんよりと不気味なまでに得体のしれない妻の存在(結局まったく分かってなかったことを実感する困惑)が印象的。
※ちりばめられたエロチシズムと書いたけど、それは本当に気づかない程度、胡椒程度にしか振られてないので、それを期待して読むとまったくないです。
■著者 長嶋有
■星 ☆☆☆
猛スピードで母は | |
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■説明
芥川賞受賞作の「猛スピードで母は」と文学界新人賞受賞作「サイドカーに犬」2編収録されている。「待望の初文庫化!」の帯にひかれてつい書店で購入したのだけれど、帰宅してみたら先日ハードカバーをbook offで購入していたことに気づく orz
ま、それは良いとして、
双方似た感じの話でしたが、私は「サイドカーに犬」の方がなぜか好きでした。
■感想
私が通常本を読んで、「面白かった〜」と感想を述べる本は、大抵本を読んだことにより、「喜び」「悲しみ」「怒り」「恐怖」「楽しみ」「不安」など感情の波を感じさせてくれて、しばし別の人生を体験させてくれるときだと思う。
この本は題名や、文庫本の裏の紹介を読んで持つイメージとまったく違う内容の本だった。「猛スピードで母は」と聞くとどんな風なイメージを皆もつのだろう。 イケイケおばちゃん?
多少ネタバレ
双方とも、子どもの目から見た自分の境遇を淡々と書いているという印象。子どもは「怒り」も「恐れ」も「よろこび」も特に感じるでもなくただ淡々と環境を受け入れて見ている。 しかし、その境遇は「父がいて・母がいて・典型的な家族で」というのとはチョット違う。
かたや 「母が家出」し、「見たことのない父の友だちがどやどやと日常生活にはいりこんでくる」という生活。もう方や「シングルの母の力強い生き方」。子どもからみると、大人は強くてしっかりとしているものなのだけれど、ふとしたときに大人が見せる弱さ、感情の気配がうまいと思う。それは大人たちが決して子どもたちには悟られないようにしようとしているものだけれども、何かの弾みにみせてしまったもの。でも、子どもにはやぱり気づかれることはない。子どもからみると只不可解で印象に残るだけ。
全編を通して感じられる、「幸せでも不幸でもない感じ」は妙に現実感がなく読み手を不安にさせる。主人公が子どもであるだけに、気づかないなにかがありそうに思う。でも見えそうで見えない。ちらりと見える大人の感情のカケラはなぜだか少しほっとする。
何かに怒っているわけでもなく、何かにかなしんでいるわけでもなくただ淡々とした話である。
感情をジェットコースターにのったようにゆさゆさ揺さぶられる本と、この本は別の種類の本だとおもう。
それはそれで、恐怖でもなく喜びでも怒りでもなくなんでもないところを ただふわふわとどこに流されていくのかわからない半透明のシャボン玉にのって旅でもしているかのような気分だった。
この「ただ淡々とした夢ともなんともわからない雰囲気」が 私にこの本が与えてくれる「別の人生体験」なのだと読み終わって少ししてから気づいた。
■著者 江國香織
■星 ☆☆☆
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■説明
母の葉子と小学生の娘の草子は、二人暮し。引越しを繰り返している。そのわけは母がひとところにいついてしまいたくないという理由。母曰く「昔、私が激しく恋に落ちたあのひと=娘の父がいつか見つけてくれるから」「あのひとのいない場所になじむわけにはいかない」と。
■感想
この本を知ったきっかけが、あまりよいものではなかったので、否定的な思いがこの本を読もうと思うと一緒にどうしても出てきてしまう。でも、彼女は児童文学から出発して数々の賞をとった人気の作家であるから、一度は読んでみたほうが良いのではないかと思っていたところ。(といっても、「草之丞の話」は検索したところ純粋に子供向けの童話なのかどうかとおもうところがある。>実物を読んでないけれど)
そういう思いをできるだけ切り分けて切り捨てて、できるかぎり公平にこの本を見て感想を書いてみようと思う。
どこからどこまでが、葉子の空想の世界の出来事なのか。どこからどこまでが現実のことなのか。
水に映った像のようにとらえどころのない物語だとおもう。いや、一番現実味をおびているのは葉子を映した草子の言葉だ。草子に映った姿こそが一番現実感を伴っているところが不安定でとらえどころがない印象を増幅しているとおもう。
以下多少ネタバレ
話は、過去の「骨ごと溶けるよう」な恋愛を引きずって生きている現実味のない母と、その母の気まぐれな引越し生活にいやおうなしにひきずられ、それを受け入れながらしっかりと現実を見据えて育っていく娘の物語。母が自分の夢の世界の記憶の中にある美しい思い出の一片として閉じ込めていたと思った娘は、やがて成長し、母の夢の中から巣立っていってしまう。
読む人によりものすごく感想の異なる物語であると思う。
たとえば、あまりにも現実的な日常に飽き飽きした妻は葉子のようになりたいと思うかもしれない。娘と二人で気の向くままの放浪暮らしであったとしても、彼女の手元には前の夫が使ってくれと残してくれた預金がある。多少のことがあっても、現在はその金は使うことはなくとも路頭に迷うことはない。娘の成績は良いので、成績面で進路に悩むこともなく、娘の芸術的才能を見つけて喜ぶ。わかれた夫は自分に未練をもっていたが、自分から切り捨てて出てきた。なぜなら、自分は「骨ごと溶けるような恋」をしたから。
行く先々で、彼女は「美人」と言われ、勤め先では必ず男性のファンがつく。実家の父も母も健在。まるで「寅さん」のように、自分勝手で責任のない自由な人生。そうして、本人がこの生活をやめたいと思ったとき、いつでも安穏とした暮らしに戻れるだけの選択肢がいくつかあるのだ。
学生から社会人になったとき、一時期その窮屈さに息がつまりそうだった。自由に自分の時間割を決めていた学生時代とは違い、毎日決まった時間に出社する必要はあったし、休みだらけの大学生に比べて新入社員の年次休暇はあまりにも少ない。それと似た窮屈さを 子どもを持った主婦は感じていると思う。実際私も、自由だった独身時代や、結婚後息子が生まれるまでの自由な日々が懐かしくなることも多い。もう一度すべてのしがらみから自由になってみたいと思ったりすることもある。
インモラルという言葉にやわらかくしばられている葉子は、言葉のうえでも微妙な位置をふわふわと漂っている。娘の草子の口から 「パパのつくるシシリアンキスは『倒れそうに甘くて病み付きになる味』だったそうだ。」と、下品にならない程度の想像力をかきたてるような表現で語らせる。まぎれもない日常に、まったく似つかわしくないような少しエロチックな形容を加味してあるところなどが女性に受けるのかもしれないとも思った。草子の口を通して語られる葉子の「あの人」の思い出はまるで映画の中のシーンのようで、現実味がない。それが「あきらかに恋」だということだろう。あからさま過ぎる描写ではなくあくまでもソフトなところが江国さんの文の持ち味だろうと思う。
「後悔したことはないけれど、ほんのときたま、ふいにとても恐ろしくなる。ずいぶん遠くまできてしまったから」などという表現はうまいとうなってしまった。
以下多少ネタバレ
葉子が狂っているとはどこにも書いていない。しかし、草子は、母の語る父の思い出をそのまま代弁しながら最後に「でもあたしはほんとは知っている。ママはパパと旅にでたことなんて一度もないって」と語らせることで事足りているとおもう。
さて、読み終わってここまで書いてやっぱりこれは童話なのかもしれないと思った。
良い童話といわれているものは昔ばなしのように勧善懲悪がはっきりしているものではなく、日常と非日常の境目あたりをふわふわとただよっているような、ありそうでなさそうな話も多い。そうして主役は読み手によって変わる。
いつまでも、子どものように自分の足で立って歩くことを嫌う甘ったれの母親。現実を見ようとしない母親を持つ大人びた娘の自立の物語として捕らえることもできるだろうし、一目垣間見た王子を待ち続けながら暮らしている夢見がちな大人の女の物語としても捕らえられるだろう。
葉子として読むか草子として読むか。はたまた男性が読んだらどうだろう。夢物語のように自分を語る女の頭の中では自分は神格化され、それほどまでに恋焦がれられてみたいと思うかもしれない。
はたまた、あまりの執着に恐ろしさを感じるかもしれない。
ハッピーエンドとして捉えることもできるし、そのハッピーエンドはもしかしたら彼女の頭の中だけのものだったとしてもとらえられる。(つまり悲劇?としても)
覗く人によって違う印象を持つようなそういう本。ある人はすっきりと澄みわたった水と見るけれど、別の人がみればどよどよとよどんだ水のようにも見えるかのような、決して気持ちよいだけものではない不思議な後味の話である。
■著者 乃南アサ
■星 ☆☆☆☆
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■説明
深夜のファミリーレストランに、普通のサラリーマンに見えない男が入ってきた。瓶ビールをトレイにのせて「お待たせしました」といおうとしたとき、突然男が炎上する。直木賞受賞作。
■感想
読み始めて当分は、リアリティのある描写が特徴的だった。主人公の音道貴子が登場するあたり、芳香剤、引っ越して以来手をつけてない段ボール。ひとつひとつ読み進めながら「あるある」と音道貴子に同化していく。途中まではいままで読んだありがちな推理モノのような感覚で読み進めていたのだ。
身の回りのものに対する感覚の同化は意識していたのだが、物語も中盤、後半になるにつれ、彼女自身に少しずつ自分が同化していき、一気に読み終えてしまった。
まずは男社会に入った女性。この感覚、たぶん同じように男性と同じ仕事をしていた人は感じたことがあるだろうと思う。なにごとも「女だから」ということで最初に差別される社会。 わかりすぎている。どうしてこんなことがわかるんだろうと、裏表紙を見直してみたら乃南アサさんはどうやら勤めの経験をお持ちのようだ。なるほど。
以下ネタバレ
誰にたよることもなく一人で生きていくことを一度でも覚悟したことがある人ならば貴子の孤独な思いはきっとわかるだろう。そうして、中盤以降の疾風の姿と彼女の生き方のオーバーラップが素晴らしい。生き生きと野をかける疾風の姿は、いかにも私がこの目でみていたかのように記憶に残っている。 貴子が疾風に惹かれる思い。理由はくどくどと書かれていないけれども、貴子に同化して読んでいる読者にはごく自然に受け入れられる出来事だと思う。
私も、貴子と同じ時間を過ごし、疾風に惹かれたひとりである。私も疾風にあってみたかった。
本気でがんばっている女性に。ぜひオススメの一冊。