■著者 江國香織
■星 ★★★★
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■説明
健吾と梨果は8年も一緒に暮らしていて、梨果は健吾が別れを切り出すとはまったく予想だにしていなかった。ところが、唐突に健吾は出て行ってしまうという。理由はとたずねると「女」だそうだ。そうしてかかってきた電話でたずねると「洟もひっかけてもらえない」と。
■感想
主人公はふられる健吾と8年も一緒にいて、健吾からその申し出を聞くまでその関係が壊れてしまうことを疑いもしていなかった。でも、今でも自分は健吾を大好きなのに、大好きな健吾はあいかわらずやさしいまま自分を嫌いになったのではないと実感できるのに、8年も一緒に暮らした家を離れていってしまうという。
文庫本の裏にはこんなあらすじが書いてあったけれども、これほどまでにあらすじと内容の印象がことなっている物語も珍しいとおもった。
梨果と八年一緒だった健吾が言えを出た。それと入れ替わるように押しかけてきた健吾の新しい恋人・華子と暮らすはめになった梨花は、彼女の不思議な魅力にとりつかれていく。逃げる事も責めることもできない奇妙な三角関係。そして愛しきることも、憎みきることもできないひとたち....。永遠に続く日常を暖かで切ない感性が描いた恋愛小説の新しい波
これを読んで、「いまひとつ読む気がしない」と思っていたのだが、予想に反してこの本は面白かった。
(個人的には、「暖かで切ない感性が描いた」という意味不明な形容はいけてないと思う。’感性’とよくつかわれるけれど、’感性’といえばすべてokという風潮は?だなあ)
自分の気持ちは、昔と変らずに相手に向いているのに、相手も昔と変らず自分と同じ時を過ごしているとばかり思っていたのに、ある日、そうではなかったことを告げられてしまった主人公がとった行動は泣き喚くでもなく、只淡々と日々を過ごしてやりすごすことだった。なによりも、自分はこんなに相手のことが好きなのに、相手は自分を心配してくれているようなのに、手が届きそうなのに届かない、自分を見てくれている目があるのにその目はいつのまにか恋人としての目ではなく、ただの友達としての目となっていた。
自分に対する愛情そのものは、決して人の目では見えない。それはただ、受け手が相手の言動を通して感じるだけのものだ。だからこそ、確固とそこにあると思っていたものが実際はとうになくなってしまっていたものだと気づいたとき、本当にそれはないものだとすぐに実感するのは難しいだろう。そういう意味で、冒頭は梨果の気もちが、すんなりと私にも理解できる。
本の説明では「新しい恋人」となっていた華子は、実際は健吾の「恋人」といえるような存在ではない。彼女は出会った人達皆をとりこにしてしまう。不思議に素直で自由な、まるで子どもか動物のような邪気のない自然な存在であり、誰にも束縛されていないようふるまいである。華子は梨果からすると恋敵のはずなのに、梨果さえもその邪気のなさ素直さに惹かれてしまうのだ。
彼女が転がり込んできたその顛末はあまりにも自然で、梨果の行動には何の不自然さはない。
華子の不思議な魅力は登場人物を巻き込み、読者を巻き込み、読者は梨果と一緒に、現実感がないけれども不思議に説得力のある展開に流されていってしまう。
ラストの出来事。その直前の華子の言動。読者は、そんな風に見えた華子も彼女なりにいろいろなことをもてあましながら生きているということを垣間見る。それが、彼女に現実実を与えていると思う。
ふとこの本を読みながら思った。きっと江國さんの実体験がここにちりばめられているのだろうと。「現実感のない奇妙なリアリティ」は、人と人との距離をものすごくうまく表現していると思うから。
そう思いながら、あとがきを読むと「梨果と健吾と華子について私に言えるのは、彼らにあったことがあるということだけです」と。 私なりに解釈してやはりそうだったかと思ったのだった。(はっきり書くと、この言葉の選び方は彼女の好きになれないところ。申し訳ない。)
人の心はそこにあると思っていてもそこにない。 また、昔からそこにあったのに気づかないときもある。
長年生きてくると、相手のことを思い、他人のことを思い、自分のことを思い、その気持ちをこねくり回して 相手の気持ちを思い図って生きる事がいやになる事があるように思う。 そんな時、動物のように子どものように、邪気のないただ素直な人にあってしまい、その素直さにひかれていってしまったのだなあなどと思った。
2,3あとがきを読んで思ったのは、江國さんの文は決して的確な文章表現ではない。いつもはぐらかされているようなぼやかされているような不満が残る。しかし、そのクリアすぎない描写が、文を鑑賞するというよりも、絵や音楽を鑑賞するような 読み手によってどうとでもとれるようなそこが魅力なのかもしれない。不思議に頭が疲れない本だ。というのが数冊読んだいまのところの私の感想だ。