■著者 灰谷 健次郎
■星 ★★★★
兎の眼角川文庫
■説明
新卒のお嬢様先生小谷先生が受け持った一年生のクラスには、口をきかずほとんど意志の疎通が確認できないような鉄蔵という変り種の子どもたちがいた。 自分なりに「先生」のあるべき姿を模索していく小谷先生と子どもたちの成長のものがたり
■感想
昭和初期だろうと思う。この本を読むと、今の世が豊かになってきたことを痛感せずにはいられない。
物があふれ、いくらでも豊かな教育を享受しているはずの今の子どもたち。
たしかに、自由になるお金、一人当たりに使われているお金は多いだろうけれども、果たしてそれが本当に「豊か」と呼べるのだろうかと考えた。
子どもらひとりひとりの成長をきちんと見守ってくれている先生がその時代に本当に何人もいたかどうかはわからないし、今の時代にも実のある先生方もいらっしゃるとはおもうけれども、この今の義務教育の中途半端さは何なんだろうなあと思った。
本来は、彼女と子どもたちの関わりに感動するべき話なのかもしれないが、私はまた別のところが気になった。
(少しネタばれなので、色を変えます)
鉄蔵をそだてているおじいさんのドラマだ。これを欠かしてはこの話はなりたたない。
一流大学まで出た彼が、ごみ処理の仕事をして孫を養わなければいけない。そうして、彼は淡々とその運命を受け入れて生活しているというところ。
今の「良い学校に入るため」の教育をみながら「こんなことでよいのか」と思っている私なのに、「大学を出る=それなりの仕事がある」という因果関係を知らず知らずのうちに頭の中でつくってしまっていたことにも驚いた。昭和から平成の今まで、あっという間に日本はどんどんと発展してしまった。
豊かな日本しか知らない人たちが大半になった。 人間ぬるま湯につかってなにも考えないようになってしまっては、これからの発展は見込めない。 苦しいとき、そこから抜け出したいといろいろ考えるから大きな発展があったのではないだろうか。 豊かさボケをしている私には目を覚まされる本であったことはたしかだった。