■著者 江國 香織
■星 ★★★
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■こんな人にオススメ
人のことを「好き」ということはどういうことだろうと考えてみたい人。
反対に表紙裏にある 「ホモ」「アル中」「純度100%の恋愛小説」というのをよんで読みたいと思われるのだったら、内容は違うような気がするのですが。。。
■説明
変った者同士の結婚をした睦月と笑子(ショーコ)。二人が望んだように普通に暮らしていけると思っていたのだが、お互いの両親が関わってくるころからちょっとしたゆらぎが発生する。
■感想
文庫本の表紙裏の説明。本を買うときにたしかに「ほしいな」と思わせるためのものだけれど、なかには 映画の予告編のように「そこまでばらさないでよ」とか「ぜんぜんちがうじゃない」というものがあったりする。
このきらきらひかるの表紙裏。書いた人はこのように読んだのかもしれないが、私とは全く違っていてラッキーだった。 ラッキーだったというのは この本は説明書きを読んで「読みたいと思ったから」買ったものではなくて「この作家はどういう作品を書くのだろう」という興味と、ドラマ化されているらしいけど?という興味から買ったものだから。 実際この表紙裏の説明を読むと私は買う気力を失ってしまう類の説明だった。
※ドラマ化は勘違いだったことが検索でわかった。テレビのほうは監察医の話だそうです。
※映画化されているらしい。しかし、この本は映画化は難しそうにおもうのだけれど。
つまり、予想に反して私はこの本に好感を持ったということだ。
江國 香織の小説で苦手なところ(これは江國 香織ファンがすきなところなのだろうけれど)あからさまに突然に セックスだとかなんだとかが 恥じらいも無く日常生活にぽんぽんと出てくるところだったりする。
こういう言葉は日常生活をしているうえであまり目にすることがなく、「目にするだろう」という場所で、シチュエーションで出てくることが多い。その無防備な状態でそういうものが ふとしたはずみに さも そこら辺に転がっている小石のようにゴロゴロ出てくるところが「新しい感覚」であり「皆に支持されている」ことのひとつなのではないかと思うのだ。
しかし、この本は少し毛色が違っていた。睦月と笑子という主人公をもってきたことで、性的な色合いが薄まって純粋に「愛情」について考えさせる内容になっているとおもう。
表紙裏の説明について「私たちは十日前に結婚した。しかし、私たちの結婚について説明するのはおそろしくやっかいである」をで十分だとおもう。それ以上は書かないでほしかった。
3ページ目からその「やっかい」なことについて少しずつ説明がはじまるわけで、この書き出しは多分作者もそれなりに考えて作ったところだとおもう。そのネタをあっという間にばらされてしまうのは勘弁。
映画館に入って今見ている映画の筋を隣の人が話しているがごとくの気持ちだった。
再度フォント色をかえます。かなりのネタバレなので、今後この本を読みたい。ネタバレは嫌いと思われる方は、読まないで下さい。
友人がやっていた100の質問の中に
愛と恋の違いは何ですか
というのがあって 「なるほど」と思った。 つまり、睦月と笑子の間柄には性愛はなく 愛があるんだろうとおもう。笑子が睦月に求めているのは性愛ではなくて愛。変わり者の笑子をそのままで受け入れてくれている睦月に対して、笑子がほかのものにかえがたく「好き」な気持ちを抱く。そうしてそれがずっとそのまま続いてほしいと思う気持ち。
恋は性愛であるということ。
愛と恋の差を それぞれの恋人を交えていることで しみじみと考えることのできる作品であると思う。
そう考えてみると、子どもっぽさを感じる笑子のあまりにも非常識ととれる考え(二人の子どもを人工授精)ということもなんとなく理解できるようでもある。
睦月と笑子の二人のゆるやかで安心するような関係は紺がいるからこそ続いているものであり、
それを笑子と睦月二人の関係にしてしまうということになると、今度は世俗の悩みに悩まされてしまうかもしれない。それは笑子にとって望ましいことではないと思えたのではないだろうか。
最後は、ハッピーエンドだろうか。 いや、傍からみるとこういう関係はいかにも危うくて微妙なバランスで均衡を保っているようにも見える。 十年後・二十年後もこのままあるというのは御伽噺かもしれない。そんな風に現実世界に生きている人達は感じるのではないだろうか。かすかな毒を感じるところあたりが 江國 香織の持ち味なのだろう。