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王様の耳はロバの耳(過去ログ)

普通は言わないけど、みんなどう思う?言いたいけど言う機会が無いみたいなことをおもいついたときに書こうと思ってます。

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コンピュータと子供 2002,12,27
 今日で、仕事納め。明日からお休みにはいります。
ぽん家はすこしだけ帰省しますので、その間ロバミミもお休み予定です。
皆様良いお年をお迎えください。

ここのところ、子供の話題ばかりで恐縮ですが、立て続けに気になることが起こったので、今日も子供のことを書かせてください。

昨日、ぽん家に大王と同じ年の子供さん(多分親御さんもご一緒だと思います)が訪問してくれました。
お礼に そこのお宅のページに伺ったときに、周りの方の反応にふと心配なものを感じたのでかきたくなりました。

■コンピュータの世界

常々肩書きや資格で物を言うことに否定的な私ですが、これは、私が日々生活している環境を考え合わせてそう思うということを書いておくべきかと思い、私の仕事についてまず書きます。
 
 私は、たぶん、新聞やテレビでコマーシャルをごらんになったことのある会社でシステム開発をしています。
 システム開発の仕事にもいろいろと種類がありますが、私はプログラムや設計もほぼ一通りのことは経験してきて、今は システムの企画、設計、導入、などを自分の責任でやることをまかされています。(プロジェクトリーダーと言います。)
 担当業務についてソフトウエアを開発するかしないか・どのようなシステムを提供するかということを自分の裁量で決定しており、お給料をもらっているプロです。

 私がいままでに関わったコンピュータ<わかりやすくこう書きます。の種類は 大型機から
MS-DOSの世界、ウインドウズ、UNIX機と たくさんあり、 データベースソフトもいろいろプログラム言語もいろいろです。

 そういう私が、つくづく思うことは、「子供にパソコンの教育は必要ではない」ということです。

■必要な資質

 私のすべての技術は入社してから習得したものです。
つまり、この程度の技術は 大人になってからでも充分ついていけるのです。
 また、仮に、年齢の低い時期にパソコンの扱い方やプログラミングを習得したとしても、この世界その子が大人になるまでその技術が主流となっている可能性は低いです。
ここ20年の流れを見てください。20年前、10年前の技術はあっという間に入れ替わり、陳腐化しています。

 パソコン周りの技術。それは移り変わりの速い単なる手段なのです。

では、今エンジニアに求められる必要な資質とは何でしょう。
それは、人間として普通に生活をして得られるものだと私は思います。

1)理解する力 
  文を読み、話を聞き、それをきちんと理解する力
2)考察し分析する力
  受け取った内容を自分なりに考察・分析し、あらたに自分なりに整理・組み立てることの出来る力
3)表現する力
  自分が考察し、分析した内容を表現する力

なぜでしょう。
それは、コンピュータの世界で扱っている世界は、人間世界のある一部を単純化し、一般化した内容だからです。

つまり、コンピュータの世界を1としたときに 人間の生活した世界を仮に数値として表すとすると一億でも十億でも足りない。それほど狭い範囲のものなのです。

 システムやプログラムの良し悪しというのは、どれだけ綺麗に分析でき、普遍化し、単純化できるかということにかかっています。
 良いプログラムは美しいと言われています。それはどうしてか。
 少し前に「オブジェクト指向」という言葉もありましたが、自然界の無駄のない摂理をきちんとそのまま表現しているからこそ美しいのだとも思えます。

 反対に、手続きやコンピュータ、プログラムに気をとられすぎて、その目的を見失ってしまう人がよくあります。そういう人は どんどんと処理を複雑化し、制約を増やし、バグ(障害)を増やします。

つまり、小手先や手段は後から着いてきます。
きちんとしたものの考え方を子供の頃に身に付けるべきだと思うのです。
これは、一般に生活していくうえですべてに共通して応用できる重要なことだと思います。

■どうすれば

どうすれば、子供にきちんとした資質をみにつけさせられるか。
それは今私も試行錯誤中です。

 でも、ひとつだけいえるのは、他の子よりも少し何かが早くできるとか 違うことができるようになったとかいう 視野の狭い満足を得ることよりも、もっと長い目で子供自身をみながらやっていくことが大切だと思うのです。
 
 特に小さな子供の場合、単純化し、普遍化されたコンピュータの仮想世界に閉じ込めておくことは もっと広い多くの刺激を受ける現実の経験の機会を失う可能性もあります。

 もちろん、卓球の愛ちゃんのように、英才教育として狭く深く教えてスペシャリストを育てるという教育方法もあるかもしれません。
 しかし、仮にコンピュータに関してのスペシャリストを育てるのであれば、パソコンが使える
何が出来るということよりも、もう少し大きくなってから、時代とともに変遷する技術ではなく、もっと普遍的なものの理解からになると思います。

 昨日ぽん家にいらしてくださった方は、子供の遊びとして ネットをとらえていらっしゃるようなので「うちと同じだ」と心配はしていないのですが、周りの方の反応などを見るにつけ、ネットの普及とともに、パソコン教育などに熱心な小学校もあり、一般の方はどのように見ているのだろうか。。と不安な気持ちが増幅してしまいました。

ながくなっちゃったな。映画の話も書きたかったのですが、残念。

自由な心 2002,12,26
なんて、書くと怪しい表現ですよね。なんかありきたりの歌詞とかそういうものみたい。
語彙が貧困です。

 昨日帰宅後、大王はテレビを見ていたので、ちょっと玄関の方を片付けに行っていたら、大王が「おなかがいたい」下腹が痛いらしいのです。
盲腸?膀胱?もしくは、先日吐いたので、風邪かと思ったのですが、下腹というのが? 
暖めてよいのか 冷やしてよいのか。ズボンのゴムがきつくないように ズボンをはきかえさせようとしたら動くと痛くてたまらないようで、心配してしまいました。
 一緒にいて欲しがるので、寝かせて隣で見守っていたのですが、PON1が帰宅したので、大王を頼んで 休日・夜間診療所紹介へTEL.やはり遠いところしか空いていないとのこと。
 電話番号を聞いて、もうすこし様子をみようとネット検索で情報収集。
それと、人肌程度の砂糖水をつくって飲ませて。。。としていたらだいぶ落ち着いてきました。
 ネットで検索すると、自家中毒と症状がよくにています。。
代謝機能がまだ整備されていない時になることが多いそうです。
 私が、とっさにとった「ぬるま湯にお砂糖」という対処は、有効らしい。

 私も子供の頃自家中毒だったんです。母がとってくれていた対応を覚えていたんですね。

今ちょっと疲れ気味なのと、先日から風邪などで私と家で過ごすことが多かったので、寂しい気持ち、甘えたい気持ちがむくむくと湧いてきたのでしょう。
 ちょっと様子をみながら 甘えに付き合ってやろうと思います。仕事も今日含めあと2日です。

■子供から学んだこと

今日は私が大王と一緒に過ごしているうちに学んだことを書いておこうと思います。
今おぼえていても大王が大きくなると忘れてしまうかもしれないので。
皆さんには退屈かもしれません。ごめんなさい。

 子供の頃、苦手だとおもっていたことが子供を相手にしたことで、自分の心にあったわだかまりがとけて思っていたよりもずっと楽にトライできることがたくさんありました。
 これについては、たぶん大王と過ごさなければ一生このままだったかもしれない。
そんな風に思っています。

1)水泳
 泳ぐことは、私にとって「体育」で、強制されて、テストとして競わされることでした。
 小学校の頃から、体育が苦手でどんなに頑張っても良い点がとれません。
  低学年の頃は水遊びで好きだったプールが、高学年になると決められた距離を泳ぐように練習する苦痛な時間になりました。
 とりあえず、決められたことはできるようになりましたが、私にとって体育は 楽しむものというよりも 競わされるもの、努力するもの、そうして頑張っても勝てないものだったのです。
  水が少し苦手な大王と一緒にプールに入り、水に浮くことを教えよう、水を怖がらないようにしようと思い、力を抜いて水に乗る、ということをリラックスした状態でできるようにと考えていた時、自分も水に乗るという感覚をはじめて理解できました。

  今でも覚えているテストがあります。 ビート板を使ってバタ足で競争するのですが、私はバタ足をいくらやっても前に進まなくて次の組がスタートしてしまったのです。
 水にさからって、がむしゃらに足を動かしても 力を使うばかりで上手く動けません。
 まさに、頑張っても頑張っても結果が出ない。
 それは、私本人が 水を楽しむ水を理解するという心を忘れていたのだな。。と今思いました。

2)ボール投げ
 ボールを遠くに投げるというテストがありました。これも私は上手く出来ませんでした。
 いくら工夫をしても力を入れても距離が出ないのです。
 これも、大王とボールを投げているときに、気持ちよくボールを無理のない方向に投げることができ、なあんだ。こんなことだったのか。。とわかりました。
 ボール投げも私にとっては 「テスト」であり 「競わされる」ものだったのです。
 私の場合は、飛ばしたい。飛ばさなければと思う気持ちが強すぎて、自然に逆らったところに力が入っていたのではないかと思います。

3)英語
 英語もキライでした。今は大王に「お話」をするために、昔買った子供用の本を読んでみたりするのですが、これがまた笑ってしまうような出来事なのです。
 (もちろん 大王は英語はわかりませんし、私も読み聞かせできるようなレベルにははるか遠く離れているので、私が理解した範囲で 日本語の話になります。
 これが短くて、大王の理解度と丁度マッチしている<つまり私がかなりの低レベル)

 昔は英語は私にとって、勉強しなければいけないものだったので、やらされているものだったのですね。
 最初のページからかなりのページにわたって読もうと努力した跡が見えます。
  下線がひかれていたりするのです。それも、やたらに下線だらけ。。
 自分のやったことですが、「これじゃ理解できてないな。。。」と下線をみてわかるくらいです。
 笑えるのは、 訛りを表していると思われる単語にまで下線が引いてある。
 もしくはたとえば、目を覚ましたお父さんが "Wozzermarrer?" と聞いたこの単語にまで
線が引いてあったりして。(汗)「ど〜じたんら?」
こんなの辞書でひいてもでてるわけないじゃ〜ん。なんて自分のことながら笑えました。

  苦手だけど やらなきゃ。。というのが本当によく見えます。
 長期休みの宿題に薄いペーパーバックを渡されて、それを訳して来いといわれたときの苦痛を懐かしく思い出しました。 

■好きになること

 大王と一緒の生活で気づいたことは、今までのキライなものに対する私の頑なな心でした。
 キライと思ってしまうことで いくらやろうとしてもできなくなってしまう。
 キライと思ってしまったことで、私の能力以下の実力しか発揮できなくなってしまう。
 この年になって気づくことがあるとは 思いもしませんでした。

 とってしまった年は逆戻りできないけれど、大王という存在と過ごすことで今になってこういう新鮮な驚き、喜びを体験できるとは予測していないできごとでした。

 今、私は大王と一緒に昔できなかったこと、遣り残したことを少しずつやり直しているかのような気持ちになっています。


 今日は、この一年くらいで思っていたことをまとめて書いてしまいました。
 森茉莉さんの本を読んでいると 彼女も高齢だなと思うことも多く、
「その話はこの間聞いたよ。おばあちゃん」ということが何度もあります。
 私のこの話も もしかしたらロバミミ初登場じゃないかも。そのときは。。。ごめんなさい。

感性を磨く 2002,12,25
■「感性」の時代

 ある絵本の読み聞かせに関連しての学習会で
「選書はとても大切なので選ぶ大人の感性を磨かなくては」
との話があったが、感性を磨くにはどうすればよいかの話はなかったそうです。
 聞かれた方の中には
「○○先生の絵本についての評論本を読んで勉強しなくては」と思われる方もいらっしゃったということでした。
 そこで、感性を磨くっていうのは? という御題を頂きました。(感謝!)

私は「感性を磨こう」と思ったことがないのです。

 ふと思うと ここ数年「感性を磨く」タイプの言葉が流行っているように思います。
あなたの「感性」の鋭さに感動しました。とか「自分を磨こう」とか。
 特に、この「感性」という言葉は一種のアコガレを持って語られることが多いと思います。
特に芸術方面の話をするときなど才能をさすことも多いように思います。
 口では上手く説明できないけど、良いとほめるときに「感性がすばらしい」なんていわれてしまうと聞き手としてはぐうの音も出ないですね。
まさに裸の王様状態で、そのよさがわからないなんて言ってしまったら、自分は「感性がない」ということになってしまいそうで。。(^^;)

「感性」ってなんだろう。

 自分が理解しやすい言葉で話を聞くと、内容について「たいしたことない」と思ったり、意味不明の言葉を羅列して、文脈もとりにくい言葉を聞くと、「ああ、私がわからないことをこの人はわかっているのだな」と尊敬してしまう人も多いそうです。
 政治家などは最たるもので、わかりやすく話してはダメと聞くことも多いです。
 いまひとつ定義がはっきりしない単語を使われている時は、もしかしたらその言葉を発している本人も本当はその意味を特定してしゃべってないかもしれません。

 広辞苑では:外界の刺激に応じて感覚・知覚を生ずる感覚器官の感受性
 英和をひいてみると sensibility: 芸術・倫理などに対する識別能力、感性 

■感性は教えてもらうもの?
 
芸術・倫理などに対する識別能力 とか、感受性と書かれると、少しわかったようにも思います。
そう。「感性」ってなんだろう?私はその定義が曖昧だったのです。

 こういう芸術関係の話になったときに、いつも思い出すのが妹です。
妹は美大に通いました。それ以降私は絵を見る目が変わったと思う妹の言葉があります。
「絵はね。これが好きだ。これが綺麗だと自分が思えばそれでいいんだよ。人と同じである必要はない。」多分こんな話でした。当然のことなのですが、一般の学校では人と同じレベルでの感動が求められることも多いですね。

代表的なピカソの多面体のような絵を見て なんて美しい女の人なんだろうと思えたのはこの言葉を聞いた後でした。それまでは、よくわからない絵でした。
 ミロもカンディンスキーもよくわからない変な絵でした。今は好きな絵が多いです。

子供の頃、学校の教科としての音楽鑑賞や美術鑑賞というのが私は嫌いでした。
このふたつの教科自体は苦手ではなかったのですが、でも、この「鑑賞」というのが苦手だったのです。テストの点は取れても、いまひとつしっくりきませんでした。
 その理由は、今考えると「鑑賞の押し付け」だったからだと思うのです。

 海外の有名美術館にツアーで行くと、絵の解説をしてくれるガイドさんがついたりします。
「この作家は ○年から○年に活躍した何派です。この当時彼はこのような精神状態にあった、それがここに如実に表されていますね。」 なんて。かなりマニアックなことも教えてくれます。

 歴史的事実としてや、その評論としては興味深いものではありますが、私は、これはそのままでは「左脳」で絵を見ている状態だと思うのです。つまり絵について分析しているわけです。
 鑑賞とは、私は「右脳」でするものだと思っています。いいかえると、「なぜだかわからないけれど心を揺さぶられて涙が出た」「あまりの青さに吸い込まれそうになった」
 これを、私は鑑賞だと思い、それが感性で絵を見ている状態だと思っています。
 
 今は私は、感性とは、「こう感じなければいけない」という枠を取り去って自由な心になって自分が感じるままに素直に感じること。五感を鋭敏にして感じ取ること、またはその表現だと思いました。

そういう感覚は人に教えてもらったからといってもわかるものではありません。
以前ここに書いた「こんとあき」これひとつにしても、涙の出るところは人それぞれ違うのですから。 

(話はそれますが、話を読む人それぞれが別々の立場でもそれぞれに 感動できる、そういう本が深みがあって良い絵本なのかもしれませんね。
教育的な内容の絵本は物語の組立が薄っぺらで、教訓的なストーリーはあったとしても主人公以外の存在が希薄で、そちらに感情を移入することがほとんどありません。)

そんな風に思いました。

■感性を磨く

 こうやって考えてきたものの、講師の先生が「感性を磨いて本を選ぶように」とおっしゃったことの真意はどんどんわからなくなってきました。

 世の中に「良い絵本」という名前で出ている本はたくさんあって、それからニーズにあったものを選べばそこそこうまくいくようにも思います。

 反対にその選ばれた本の中から絵本を選ぶときに必要なことはなんだろう。
 子供たちが子供たちなりに、なにか心の底に残る物語にしたいと思うと、その子の年齢や経験・今の興味の対象など、その子たちの視点を意識しておく必要はありそう。
 しかし、感性の押し付けになっては大変。
 
 大王は仮面ライダーの絵本が好きですが、これはカタログ的な要素の本です。物語も戦って勝って。。と、お決まりです。どちらかというと (左脳的)な本。
 でも、これも文字を覚えるという点では威力を発揮してます。

 もっと右脳的に、子供が話しに入り込んで心がゆさぶられる本。絵の綺麗さを楽しめる本を探すということなのではないでしょうか。先日の「手袋を買いに」などがうちではタイミングよかったように思います。
  
 結局答えが出ないままですが、もしかしたら、まず、自分が自分の目で感動する。
 もう一度子供になって、子供の気持ちで本を見てみる。双方から選んでいくためには自分の心を自由にして、肩の力を抜いて、本人が本当の意味で鑑賞できていないとダメだよ!
 っていうことなのではないかと思ったりしています。

そういえば、人の感動を耳にして、自分が気づかなかった視点で物を見ることができて感動したという経験はありませんか? 
 読み聞かせする側が 本を読んで一言ずつでよいから「自分はここが好きだった。感動した」と話しあうことで、少しずつお互いに磨かれる部分もあるかもしれませんね。
そうやって、互いに心を自由に羽ばたける状態にもっていく<と、私も意味不明のことを書いたりして。。。(汗)

 せっかく頂いた話はとんだ腰砕けで、おまけに頂いた御題とは微妙に話しがずれてしまいました。
ごめんなさい。でも、これに懲りずに ぜひ、また御題をお待ちしております。

画像は、咲いてきた イフェイオン パルビフローラ
Ipheion parviflora
 

日曜の出来事からのつれづれ 2002,12,24
■日曜の出来事

 入ったときから、「随分、イライラしているな。」と思いました。
日曜日のお昼。映画までの時間にお昼を食べようと入った店の隣の席の男性のことです。
私たちよりも、少し前に並んでいた人ですが、丁度ガタガタ〜っと空いたので、席についた時間はあまり変わりがありませんでした。
 イライラした様子で、店員さんを呼び注文していた男性は、お父さんで30台後半くらいでしょうか。お母さんと子供が1歳前後(いや0歳かな?)という感じの家族3人でした。

 食事がはじまっても、まだ右も左もわからない赤ちゃんを自分が抱いて、小声だけれども、ずっと小言をいいながら、叱りながら食事をしています。
 食事が終わったときに、店員さんを呼び、灰皿を頼んだのでしょうか。
店員「日曜祝日はお客様が多くいらっしゃるので、禁煙・喫煙を分けずに 禁煙にさせていただいております。」
男性「日曜でも分ければいいじゃない」「店長が〜云々〜」<叱りつけるような口調で
店員「申し訳ありません」「申し訳ありません」

 隣で聞いていた私は、すっかり呆れ果てていました。
その場で喫煙できないからといって店員を叱りつけてもどうなるものでもありません。
 私は煙草は吸いませんが、煙草を吸う吸わないということに関しては個人の自由なのでべつにとやかくは言いません。
 しかし、煙は私には不快なので、できれば避けたいと思っています。

マナーの悪い喫煙者に聞いてみたいと思うのですが、
たとえば、食事をした後、静かにしていたいと思っているあなたの隣に座っていた人が突然 あなたがもっとも嫌いだと思う音楽をこちらに聞こえるような音量で聞き始めたらどう思いますか?
 たとえば、「食後はやっぱり演歌だねえ」などと言いながら演歌をかけ始めたら。
また反対側では「やっぱ、ラップしかないっしょ〜」とときどき机をたたきながら ラップを聞いていたら。
そんな風に煙草というのは「吸う本人の勝手」だけではすまない周りへの影響があります。

私たちは、できるだけ禁煙席を頼みますが、禁煙席に煙草の煙が流れ込んだり、もしくは喫煙席しかなかった場合も、その状況でその店をやめるか我慢するか選びます。
 そんなことで店員さんをどやしつけて、謝ってもらったところで、どうなるものでもありません。
それは単なる八つ当たり。自分勝手なストレス発散をしているだけです。

まるで駄々っ子だな。。甘えているんだな。そんなことを思いました。

■威張る

この人がそうとはかぎりませんが、今まで会ったことのある似たタイプの人達を思い出しました。
妙に威張る人たちです。そういう人たちは、肩書きで威張ることが多いです。
「部長だから」「プロだから」「男だから」etc.
そういう人に限って、本来「部長としてすべきこと」「プロとしてすべきこと」「自分がすべきこと」という責任を果たしてない人も多いです。

実際、きちんと物事を見て地に足をつけている人は、もっと謙虚です。
それは、自分のやっていることをキチンと把握していると同時に他人のやっていることもちゃんと見ているからです。
何をしているか。何ができるか。そういうことをきちんと濁りのない目で見てこそ自分の能力も磨かれるのだと思います。そうして、そういう人は妙に威張り散らさなくても、その人のあり方を傍からきちんと見ている人に 尊敬されて尊重されているものです。

■プロだから

 先日、ロバミミの御題をいただきました。ネタ切れになることも多くてこういうの本当に助かります。ありがとう。(感謝の図)
 その御題の部分ではなくて別の部分にまず反応したいと思います。
 御題の部分も大切に 後日書きます。(待っててくださいね)

 その方は絵本の読み聞かせサークル活動を行っていたところ、 プロの集団から「素人が安易に読み聞かせなんかして、かえって子供の害になることもあるのに」という言葉が伝わってきたとのこと。
 そのままの言葉であったら、そのプロの人も「肩書き」の「ひとりよがり」のように思えます。
 読み聞かせについては、私はテクニックもなにも学んだわけではなく素人ですが、まずは、その「子供の害になる」というのはどういう状況なのかについて お聞きしたいと思いました。 

 私も、子供に絵本を読み聞かせます。
字が読めない子供はもちろん本は読めませんし、字を覚えたての子供は 字の音をひとつひとつ対応表のように頭のなかでくみたてて  な・み・だ・が・で・て −>頭のなかで くっつけて文節「なみだがでて」にする −> その意味を考える −>涙が出てと理解する
 というステップをたどります。(たぶん、大王をみてそう思う)

 もちろん 文字をおぼえていくことは必要ですが、情操面では 言葉を変換するというステップをふまなくてもすっと理解できる形式で与えるということは 別の意味があると思います。

 音楽を聞くときと似ているとも思います。楽譜が読めない、もしくはどうにかやっと読める人が
音楽を鑑賞する場合、なかなか鑑賞にまで至りません。

 音楽もそうなのですが、テクニックと人に与える感動は別物です。たしかに一流のプロともなればテクニックも素晴らしいし、かつ感動を覚えることも多いかもしれません。
 しかし、ミスをいくつかしていても 感動を覚える演奏というのも多いものなのです。
いくら、ミスのない演奏でも、無味乾燥なこともあります。

 読み聞かせをしたいと思われる方々は、きっと読み聞かせたときのキラキラした子供の反応に、元気をもらったり、やりがいをみつけられて続けていらっしゃる方も多いと思います。
 読み手と聞き手のコミュニケーションがきちんと確立されていれば、プロでもアマチュアでも問題ないと思うのです。

 私の住んでいる市では毎年「人形劇祭り」という催しがあり、そこではプロもアマチュアも皆それぞれが人形劇を見せます。ウマイ。楽しい。という劇は子供たちの反応が違います。
プロがうまいのは当然ですが、プロでも 年によっても出来がちがっていたりということもよくあります。
たぶん、テクニックや方法論など知らない当の子供の反応が、その読み聞かせの上手い下手をきちんと表しているであろうと思いました。その反応を受け取ることができるかできないか。
良い反応が得られるように考える。そちらがプロ・アマチュア以前にずっと重要な気もします。

■無関係なボヤキ
 だけど。。
肩書き人間には、能力を見る力がないのです。いや、見ようとしないのかな。
そういう人には、自分の肩書きを提示するしか対応方法がありません。
実務能力がないけれども、妙に肩書きを手にする出世能力だけが高い人もいます。
形骸化した肩書きが今の不況社会の一番の無駄ではないかとも思ったりもします。

ゴジラ 2002,12,23
昨日は、大王を連れて映画を見に行きました。

全席指定で入れ替え制の映画館がうちから30分くらいのところのショッピングセンターの中にあります。
 子供を連れて行くのに良いと友達や妹の評判が良いので行って見ることにしました。

目当てはハリーポッター。
昨日は朝方雨の残った寒い日だったので、あまり客がはいってないかな?なんて思ったのは甘かった。お昼少し前に到着したのですが、やはり1時半からの回は一杯。
次に入れるのは 19時15分の回。
 これはあまりにも無理なので、
ゴジラはどうだろうとみてみると こちらも14時20分の回は一杯で17時30分の回が次に入れるということで、少し遅いけれど明日も休みだからと 17時30分の回のゴジラを予約しました。

それから5時間半時間をつぶすのが大変。。(隣にはゲームセンターがあるし。。あちこちにガチャポンはあるし。。。)

 パソコンショップに行って見ると 「あれれ?あなたのお父さん、お母さんはどこ?」っていうような 親の姿が見えない子供が数名 子供用の教育ソフトで遊んでいます。 (大丈夫なのかなあ。親はどこにいるんだろう)なんて思いながら、子供ようのプレイルームを見つけたのでそこで体を使ってあそんだりして時間をつぶしました。
お昼ねしていないので、映画の途中で寝ちゃうかな?とおもいきや、
真剣にみてました。

■とっとこハム太郎劇場版幻のプリンセス

いや〜。参りました。ごめんなさい。っていう映画でした。
ストーリーもなんも。。。いやはや。。
帰ってから、電話の入っていた妹に折り返し電話をした際にすこしその話をしたら、
「女の子は、ミニハムズとか、モーハムズが出ただけでウレシイのよ〜」とのこと。
なるほど。。。

 道理でハム太郎だけ見て帰る女の子が多かった。

しかし。。。このストーリーと言い、最近家でずっと毎日見ていた「ナイトメア ビフォークリスマス」と比べても(比べちゃいけないとはおもうけど)ちょっとがっくり。

 こういうのから比べると、 モンスターズインクなど、私としては今ひとつと書いてしまったのですが、辛すぎたかな。。と反省しています。

ストーリーは ハム太郎が ふとしたことから 故郷の砂漠の国に迷い込み、そこでとらわれていた幻のプリンセスを救出する話。

 中には ミニハムズや モーハムズが出てきて歌を歌います。

■ゴジラ × メカゴジラ

今日はネタバレ全開なので読むのに注意してくださいね。

こちらの方がストーリー性はありました。
ゴジラの再度の襲来を受け、それに対抗するために、過去に倒したゴジラの骨から
メカゴジラを作ります。名前は 「機竜」 搭載するのは DNAコンピュータ。
(をいをい、DNAコンピュータってなんじゃい。。)
「通常のコンピュータは 1,0で演算するが、DNAコンピュータは ATGC 四つのタイプ分けで計算するので速い」
だそうで、
(んんん。1,0 っていうのは 電気が通っているとき1 と 通ってないと0なんよ。そこが解決できないと???ATGCにする前に1,0があったら意味なさそうにもおもうけど。4つの場合分けに意味があるのだったら、いやいや、早い演算アルゴリズムがあるかも。<特許もの?。
しかし、たしか、ATGCの塩基は お互いにくっつく相手が決まっているんじゃなかったかなあ。どうもその辺とコンピュータを安易にむすびつけているところが消化不足で説明が納得できなくて気持ち悪い。)

おまけに、途中でゴジラの叫び声を聞いたとたんに遠隔操作(つまり脳の指令系にあたるところは 遠隔地にある)されていたメカゴジラが(ゴジラだった頃を思い出して)暴走し始めてしまう。 その原因はDNAコンピュータに組み込んだDNAが ゴジラのDNAだったからとか。<たぶん。

 お〜いDNAレベルで考えないでよぉ。

そうして、暴走したゴジラに横浜は破壊され、他の塩基(だっけな)を組み込んでメカゴジラを修復したところに、また ゴジラが現れる。
 そうして、再び、ゴジラとメカゴジラの戦いがはじまるのだった。

<オジ系オバとしては、>

ゴジラにぜんぜん効いていない攻撃をだらだらと続けてしまうことによって、
そこいら一帯の町をどんどん破壊していってしまう。その損害は大きい。
「はよぉ、決め技ださんかいっつ」

結局、ゴジラには決め技も効かずそのまままた海の中に消えていった。
メカゴジラはきめ技も出せないほど壊れてしまい、動けない状態でそれを見送った。
勝ったとか、引き分けとか言っていたけど、こっちは動けないのだ。負けじゃないのか?。明日ゴジラが来たら、確実に負けだ。
国家予算のものすごい無駄遣いだ。
 この開発費用と修復費用と町の修復費 どうするんや〜。電気も無駄につかったぞ〜。

<オバ的観点から>

釈由美子は、こういう男勝りの役は似合うなあ。それにしても細い。
宅間伸。 太った〜。最初だれだかわからなかった。幸せ太りかな。
森末さん、なんと、最初に出たところで出番がおしまいとは。。びっくりした。

大王は、楽しめたらしいので、よかった。
かなり筋も把握しているようで、頼もしい限り。

というような一日をすごしました。 

(おまけ)今朝おきたら大王ゲロッピ。 ありゃ〜。やっぱり疲れすぎか〜。

画像は今朝見つけた蕾?イフェイオン・パルビフローラ



  

年賀状騒動 2002,12,22
毎年 夏と冬には同じように、年賀状と暑中見舞い(といってもこちらは趣味の人たちで集ったポストカード交換会)で 悩む。

ここ数日、このロバミミを検索していらっしゃる方のキーワードは
「ディズニー」「画像」である。
きっと皆さん、年賀状に子供の写真とディズニーのキャラクターを一緒に貼りこもうと
検索していらっしゃっているとおもうけど。。
 著作権フリーの素材ってあるのかな?。羊とかの方が良いと思うけれど。。

■年賀状の変遷

一番お気楽なのは、毎年年末に売られている年賀状用の本を一冊買って、その中の素材で作ってしまうこと。それだと、本に書いてある通りに操作すればよいので簡単ラクチン。大王が2歳のときこれで作った。
しかし、本に思ったようなデザインがみつけられなくて 本を3冊も購入してしまった。。。 

それを反省した昨年は、本を選びすぎて買えなかったため、親ばか丸出しの大王の写真をた〜くさん張りこんだ年賀状をつくったが、これが、結構自分としては意外にいいじゃん。。とご満悦。

それで、今年は昨年のようにいくつか写真を貼り込もうとおもっていたところだ。

■ぽん2の悩み

さて、私の話に戻って、何に悩むかというと、
「今年は何にしよう」
こちらは、わりとすぐに解決する。たしかにネタはなくても私の性格はお気楽なのでせっぱつまってくると「ないものは、無い」と居直ってあるもので作ってしまうので。

しかし、問題はその後である。

実は毎回年に2回しか使わないソフト。どのソフトでどうやって年賀状を作ったか
すっかり忘れているのだ。(恥)

最近は買ったパソコンやプリンターにも必ずといってよいほど画像処理ソフトがついてきている。
 そうして、年賀状の素材を扱っている本を買うと それにもソフトのお試し番がついている。それに、 画像処理といえば ココ!という大手のソフト会社からも
大きく写真処理を扱うソフトと 絵を書くソフト。それのライト版というのがある。

それのどれを どう使って昨年の年賀状を仕上げたかの記憶がすっかりないのである。

 昨年は、まったく自力で作ったのだが、さて。どのソフトで作っただろうか?

■大手写真専用ソフト

とりあえず、大手の専用ソフトを使ってやり始める。
日ごろこのソフトはとった写真のサイズを変更するくらいしか使ったことが無い。

ところが。。まず はがきの大きさを選択するところから なんか違う。
こんなはがきのサイズを昨年cmで指定しただろうか?(なんか違う)

 そうして、大王の写真をそのサイズに貼り込もうとやってみたところ、ピクセル数を
自分で指定して大きさを調整しないと貼れないじゃ〜ん。
(電卓使ってはりこんでいたっけ?昨年? なんかちが〜う)

とりあえず、大王の写真を真ん中に大きさをあわせて貼って パーツを周囲にちりばめようとしたら。 ありゃ? このソフト、貼った写真の位置が変えられない。みんな中央にきちゃうよ。。。 (やっぱり このソフトじゃできないんだぁ〜)

■気を取り直しておまけソフト

やっぱり写真専用ソフトじゃなかったのね。。とわかった私は おまけソフトをつかって見る。というのも、もうひとつのイラスト用のソフトは以前「こいつの気持ちはわからない。。」と思って撤退したかすかな記憶があったのだ。
 なにがわからないかというと、線を引くと 線そのままにかけて欲しいのだが、
なんだかそれでつながった中の領域を 好きな色で塗りつぶすという習性があるようで、どうやったら塗りつぶさずにできるのか?というのがわからなかったので。

 年賀状用のオマケソフトを立ち上げて さて、真ん中に写真を貼り込んで見ると、
「サイズが大きすぎて貼れません」と出た。
 あ。。。。たしか。。。と記憶が戻ってくる。
このソフト、画像の解像度をかなり落とさないと貼れなくて、出来上がりが汚かったような気がする。。。

■結局イラスト専用ソフト

たどり着いたのがイラスト専用ソフト。
やっぱりこれだったのかなあ? 写真はどうにか貼りこめる。サイズの変更もできる。
なんだか操作性が違うような気がするがokとしよう。
 貼り込んだ画像の位置も動かせるみたい。
なんだ。できるじゃ〜ん。これでok.

 後は大王の手書き文字をいれればok 大王を「ちょっときて」と呼んで「ここにね、
こんな風に。。。」と実演しながら字を入れようとすると、ありゃ〜。
 そうでした。。このソフトで線を描く描き方がわからなかったのだ。
なぜか 線で囲まれた中身をその色で塗ってしまうのだった。。

昨日はもういいや。。と思って 活字を入れることにした。
とりあえず。「ま、いいじゃん。これで」

さて、出来上がり確認。なんか写真が汚いんだけどなあ〜。と拡大してみると。
ありゃ〜。大王の写真。これ、最初に苦労したときにピクセル数落としたままだ。
ま、いいか、明日の朝 差し替えよう。。。(がっくり)(今日はもう寝よう。。)

■そうして

おきてみると思い出した。そうでした。昨年このソフトで作ったのです。
で、字の書き方がわからなかったから、大王には別のソフトで字を書かせてそれを
画像貼り込みしたのでした。
(なんで思い出さなかったのだろう。。)

ま、もとはといえば、分厚いマニュアルをまったく読まずに 勘だけでソフトを使っている私がいけないのだけど。。
どなたかイラスト専用ソフトのアレで 線を描く描き方知っていらしたらおしえてくださ〜い。(本気です。メールでもbbsでも何でも良いから教えてね<他力本願)

来年は、ここに顛末を書いておいたので最初から迷わないだろう!うしし。

■おまけ

んでどんな年賀状だったん?と思われる方におまけ

2002年 年賀状(78.9k)年末に専用本を買ってぺタリンコしただけ
http://www.ne.jp/asahi/home/pons/nenga2001.jpg

2002年 年賀状(55k)ちょっと凝ってやってみた
http://www.ne.jp/asahi/home/pons/nenga2002.jpg

来年のはついてからのお楽しみ。多分、大王アルバムにのせると思います。


自己暗示 2002,12,20
今日は懺悔から。

今月の初めにJRのダイヤ改正があり、またもや、私には試練が。。
 会社(単線です)からの帰りの電車が数分遅くなったのに、乗り換えの電車の時間が変わらない。
前乗っていた電車に乗るには、乗り換え時間1分で乗り換えなければならないはめになりました。
 つまり到着した2番線から、乗り換えの9番線まで1分以内で走るのです。
当初、これは 「ミッション・インポッシブル」だと思っていたのですが、どうやら乗り換えにチャレンジして、毎回成功している達人が何人かいらっしゃるようで、前に一緒に走ろうと誘ってくださった方と一緒に昨日はじめて走ってみることにしました。

 というのも、毎日大王の保育園で、連絡ノートを見て帰るのですが、帰りが一本遅れると閉園時間ぎりぎりで、連絡事項を見ることができなかったりするからです。

■チャレンジ

誘ってくださった方に「私が遅れてもきにせずに乗ってください」とお願いしたところ、その方は
「大丈夫。もし、私が乗れていたら、ドアに足いれて待ってますから」なんて
冗談を言ってくださって 二人で走りました。

 まず、前の駅を出た頃から準備します。
ドアが開いた途端に競走馬のように飛び出すことができるように、ドアの前に移動してスタートを待ってゲート入りした馬のようにドアがあくのを待ちます。
 ドアが開いたら真っ先に飛び出します。(人が降りてきたら、行く先がふさがれることが多いので遅くなるから)
 ホームに到着する階段を下りる頃に 発車の音楽が鳴っていましたが、これならばイケル!
と一緒に走った方はセーフ。私も乗り込もうとしたときにふと後ろを振り返ったら
いつも帰りが一緒になる人がいるではないですか。
 その人も驚いて立ち止まっている。私は乗り込もうとしながらその人はどうするのかと頭が真っ白になってしまって様子を見て立ち止まってしまったのです。
 すると、ぷしゅ〜と私の目の前でドアが閉まりました。

■失敗

とっさに「あ、嫌だ、閉まらないで。。。」と思ったとたんに 吸い込まれるようにドアの間に
足を入れてしまったのです。
 私「どうしよう。私、足入れちゃったよ。。。」

すると、ドアがまたプシューと開きました。 とっさに乗り込む私。
それを見た 同じ課の Aさん「のれるじゃん」 とゆっくり乗車。
よく帰りが一緒になるBさんもいそいそと乗り込みました。

乗った途端に アナウンスで「駆け込み乗車は大変に危険です。。。。」小さくなって、
 ココロの中で (はい。。スミマセン。。ゴメンナサイ。。)
するとドアの傍に立っていた 男性がドアに向かって不機嫌そうにぶつぶつと
「うるせえんだよ。ムリして乗るんじゃねえよ。次の電車待てよ」
延々と文句をドア方面へ言い始め、その人の隣に立っていたBさんは 
「スミマセン。ごめんなさい」
私も後ろで
「ごめんなさい。」

 もしかすると、何人かに顔を覚えられてしまったかもしれません。
 何人かは目が合うたびに 笑いを 噛み殺した顔をなさってました。

それよりも何よりも、いままで 足を入れて乗る人を見たことはあったのですが、正直私も「そこまでするかなあ〜。次の電車を待てばよいのに」と思っていたのです。 
昨日の私の行動はなんだったのだろう。。。と思い起こすと最初の会話の「足入れてまっておく」が しらずしらずのうちに 頭に残っていて、 頭の中が真っ白になった途端に足が吸い込まれるようにやってしまったのではないかと思いました。

 自己暗示でしょうか。

前々から、私は催眠術にかかりやすそうなので、絶対に催眠術の被験者にはならないとココロに決めていたのですが、これでヤッパリそうだ!と確信しました。
もし、ここをご覧になった方の中にその車両に乗り合わせていらっしゃる方がいらしたら、
ご迷惑をおかけしたことを 謹んでお詫び申し上げます。

■風とともに去りぬ

まったく上の話とは合いませんが、この映画のことを書いてなかったなんて、驚きました。
先日、ネットで映画の話になったときに初めて気が付きました。アメリカの南北戦争の頃の、長編恋愛映画です。
 スカーレット役のビビアンリー (最近ではヴィヴィアン・リーと書きますね)の美しいこと。
片方の眉をきゅっと上げるあのしぐさを 真似してみたりした頃があります。(なかなか難しいです)

話は、ワガママな美しいお嬢さんが、自分が好きだと思っていた人からは好かれておらず、他の男性から求婚され、結婚して。。。という レッド→スカーレット→アシュレー→メラニーという直線関係の話です。

ネタバレを以下に含みます。
最初に見たときは、スカーレットに感情移入しながら見たので「どうして、そう意地っぱりなの?」と思いながらも涙〜涙〜で見たのですが、その後何回か見るうちに私の心に残ったのは スカーレットの 生活力。強さ。貪欲に生きて行く力はすごいと思いました。
 今思えば、彼女の強さを書いた映画かもしれない。
ラストのセリフ Tomorrow is another day はあまりにも有名ですが、何もかもなくして、ひとりぼっちでも、彼女ならばきっとやっていくだろうという強さと希望を印象付けるラストだったと思います。

どうしてもわからなかったのは、なぜそこまで 単にあこがれていたとしか思えないアシュレーを追い求めていたのか、(自分の方を向かなかった唯一の男性だからでしょうか。:そんなところで世界制覇してどうするのだ。。)
レッドがスカーレットに心を開いていたときに、なぜそれに答えようとしなかったのか。
なんで、腹いせで結婚しちゃったりしたのか。
 なぜ、そんなに意地っ張りなのか。すなおでないのか。いまひとつわからないのです。
意地悪で、自分勝手な人ですよね。スカーレット。何でも気づくのが遅すぎるぜ〜。
(このすれ違いの歯がゆさがこういう話の原型かもしれませんね。それに、私が疑問に思ったような 展開だったら、お話になりませんね。)

 思えば誰かを「好き」「嫌い」っていう感情ってどこから生まれてくるんだろう。ってふと思った今日この頃でした。
↑「映画の話だって(ば)」( 注:最近テレビや映画に熱くなって 「なんでこうなんだろうね!」と熱く語りだすと それをたしなめる言葉としてPON家で流行っている合いの手)

さて、他の人はどんな風にこの映画を見ているのだろうとちょっと検索してみたら、
http://www.ne.jp/asahi/fogbound/journal/gonewind.html
こんなページがありました。メルマガのようですね。 この方もおなじように彼女の生きる力に感動なさったようですね。さすがに私のボケボケ評よりも 素晴らしい評です。

画像は数年来ほっとらかしの シャコバサボテンの蕾。
我が家では戸外で一年中すごしています。

刺激とストレスは紙一重 2002,12,19
 ここのところ、ぼや〜んぼや〜んとすることが多くて、どうも今ひとつ。
ここ、ロバミミを読んでくださっている皆様も、「なんかキレがないよな」とか思われることも多いのではないだろうか。
そうなんです。脳みその表層しか活性化していないような感覚。

仮に、脳波を測定して色で表す機械を私にかけられたら、たぶん脳みそ真っ黒。

その原因は。。というと、たぶん、「やる気」がおこるような良い刺激がないのだと思う。
一番の原因は仕事かもしれない。
数年間ずっと構築していたものが安定期にさしかかり、「ミッション・<ポシブル>」なものばかり来る。
 簡単で面倒な単純作業。これは脳みそを腐らせる第一原因になりえます。
そうすると、「やる気」も失せるし、だらだらとしてしまう。。
こんなことで時間を使うのがつまらないのです。

■一通の手紙

そんな私が、昨晩何の変哲もなく一日を終えようとしていた頃。丁度子供を寝かせようとぼや〜んと思っていたときにそれは起こりました。
 寝る前にとメールチェックしたときに舞い込んできた手紙。

数日前に、私が脳みそぼよよ〜ん状態で書いたML宛てメールへの反論メール?でした。
引用されたメールはあまりにもメールが少ないので、枯れ木も山の賑わい。。と軽い気持ちで出してみたものです。

一気に眠気が覚めました。 眠っていた脳が活性化されていくのがわかります。
「だめだめ、忙しいんだからすぐに反応するんじゃなくて 来週くらいまでで時間があったときに反応しないと」と 理性がささやくそばから すでに脳みそは、このメールはどう主張しているのだろう。 これをどのように受け止めるべきなのだろう。と 思考を開始してしまった様子。

結局気になって気になって、今朝そのメールに対する返事を書きました。
反論とはいっても、不穏なものではなく、今回のメールは お互い自分の前提条件に基づいての論なので、どちらが正しいということは出ないものだと思います。
そのメールの主の方はどちらかというと、物事を慎重に見る方、私はすこし気楽に見るタイプ。
そのスタンスの差が意見の差になっているという状況でした。

面白かったのは私の脳みそ。自分で脳の活動具合をモニタリングできるのではないかと思うほどいつも使ってない脳が活性化しました。(実は楽しかった。まだまだ考えは広がっていきます)

■適度の緊張

人間にはやはり適度の緊張が必要だと思います。
いつも脳の表層しか使わない日々は人間をダメにしてしまいそう。
私も今回の出来事で、文章を書いているうちに 眠っていた思考がすこしずつ調子よく動き始める感覚を味わいました。
 そうなんですよね。よ〜く考えた後の その謎が自分なりに片付いたときの楽しさ。喜び。
難しいとおもっていたことを 一生懸命やってできた時の喜び。
そういうものは何ものにも変えがたいと思います。

それは 刺激・緊張としてやってきます。刺激や緊張(ストレス)自体は心地よいものではありません。しかし、ある程度の刺激や緊張がないと、人間の脳みそは、機能を停止してしまう部分があるように思います。

 耐え切れないほどのストレスは問題視して当然ですが、頑張れば克服できる程度のストレスは重要だなあとあらためておもいました。

ふと、先日の大王のことも思い出しました。大王は、発表会で 最初に登場してセリフを言う役でした。「でるまえにね。しんぞうが どくどくどくってしたの」と、自分の緊張を言い表していました。 劇の後に皆にほめられた大王は、緊張を克服した喜びと自信に満ちていたように思います。

■少林サッカー

面白いと聞いてみてみました。
漫画(劇画?)のようなストーリー運びで 気楽に見られる映画だと思います。

 昔、傲慢だったスター選手が陥れられ、今は見る影もない生活をしていたある日、
少林寺を学び、それを広めようと日々努力している男に会います。
 特撮のおかげで「んなわけないだろう〜」とツッコミをいれたいような ものすごいシーンが続出です。

一般には軽くみることのできる。娯楽映画だと思います。

5歳の子供の母として気になった点は以下

1)登場人物があまりにも皆乱暴。 
  たいした理由もないのに、人を足蹴にしたり、なぐったり。
2)上とつながるが身近な「物」を使って人を殴るシーンが多い。
  瓶や、かなづち、バールなどは本当に凶器になるため、そういうシーンは安易に見せたくない。
2)それを悪いことだとたしなめる人がいない。
3)多分、大丈夫だとは思うが、CGが発達したために 見かけ人間そのものという人にも
  超人的な技を披露させることができる。
   これができると思い込んでしまわないかと心配<これは一緒にみた人間がフォローしないとだめですね。

このへんが少し受け入れがたかったです。

迷惑 2002,12,18
久々にロバミミを書かない日がつづいてしまった。
土曜は大王の発表会。大王は金曜くらいから風邪気味だったのだが、本人も楽しみにしているので、頑張って参加。
 親の方が手に汗握ってしまった。
大王は一番最初に登場する役。
調子よく手をあげても、本番で緊張するのではないかとひやひや。
少し、声がかれていたものの、良い出来栄えでほっとした<のは親の方。
 しかし、その後やはり風邪が悪化してしまい、めずらしく4連休。
きょうは保育園に行っています。大丈夫かな?

今日はリハビリしています。

■迷惑園芸

いつも楽しみにしている面白いエッセイがある。今月はドキっとした。
害虫が隣からやってくる話だった。
忙しくなってから、土のリサイクルを考え初めてから我が家では殺虫剤で駆除することが余りなくなってしまった。
そのため、「手間をかけずに害虫皆殺し」するのは難しい。そうして、pon家にはその「手間」がかけられない。

 以前聞いた話だが、迷惑をかけていると思っていないのに迷惑をかけていたという事例があったのを思い出した。

たとえば、一般に雑草とよばれているように繁殖力の強い植物が好きな方が、それを庭でそだてていたら、種が飛んできて困ると苦情がきたとか。
もっと身近で昔よく聞いた話では、隣に植えられた竹が塀を越えてやってくるとか、柿の木が塀をこえてこちらで実をつけるとか。

 我が家も、ダンゴムシのあまりの大発生に、カエルを飼って退治したいけど、カエルがお隣に行ったら迷惑だなあと、冗談半分に言っていたが、カエルどころではない。
もしかするとそのダンゴムシがお隣に迷惑をかけているかもしれない。

そんなことを思いながら電車に乗っていたら、おお、ここにも迷惑園芸家が。。。

 ベランダの手すりが柵になっているタイプのマンションで、上の階の方が相当な年数が立っていると見られるウチワサボテンを育てている。
その、ウチワサボテンが柵からはみだして、日光を求めて、どんどんと下にたれさがりながら成長している。
そうして、その下のベランダにまで垂れ下がって蕾をつけている。

 下に住んでいらっしゃる方の感覚によるものがあるだろうが、刺があるものだけに迷惑と感じられることもありそうだなあと思ってみた。
しかし、それを迷惑だからと勝手に切るわけにもいかないだろうし。
 もしかすると、下の方もサボテン好きで、自分の家でせわすることなく花が楽しめると喜ばれている場合もあるだろうし。
などと、つらつら思いながら電車に乗っていたのである。

 サボテン好きというのはあるかもしれないが、お隣が無類のダンゴムシ好きっていうのは多分ないと思う。やはり「ダンゴムシ大量虐殺」するしかないのだろうなあ。。
 
■ツールバーに入れる掲示板
迷惑繋がりだが、
http://japan.cnet.com/News/Infostand/Item/2002-1212-J-3.html?mm
ツールバーに入れる掲示板というのが 先週正式公開されたらしい。(CNET)

仕組みは ユーザーがブラウザのツールバーにこのプログラムをインストールすることにより
そのurlと関連付けてそこにユーザーが書き込んだ情報が、提供元の会社のサーバーに保存され
掲示板の役割を果たすということらしい。

しかし。。。なんて迷惑なツールなんだろう。
私は会話用に設定された場所(たとえばbbs等)以外で、このツールバーを使って不特定多数の人と会話をしたいとは思っていないので、正直使いたくない。
しかし、そのページの持ち主としては、自分のページにおいてなにか話されていたら見たくなるかもしれない。

なんといってもどのページにもすべてのページに見た人からの書き込みがあったら迷惑千番だ。

 開発元としては 素晴らしいと思って開発したのであろうが、それと一緒に、この掲示板を拒否するようなタグなどを提供するべきじゃないのかなあ。

■グリーンフィンガーズ

刑務所に入っていた囚人達が 園芸の楽しさに目覚めていく話です。実話を元にしているそう。
前評判が高かったので、私の期待が大きすぎたのかもしれません。
また切れ切れに見てしまい、話に入り込めなかったところにも問題があるかも。

最初に作り上げた庭は素晴らしかった。花が咲き乱れていて、まさに百花繚乱。
もっとじっくり庭を見たかったなあ。
また、自然も綺麗だった。やはり一度は行ってみたいと思いました。
 
気になったシーンは、ネタバレになるので、これから見たいと思う方はこれ以降読まないで下さいね。

1)クリスマスにもらったプレゼントは、violaと書いたおなじみのビオラの写真付きの種だった。
  それを蒔いたのに、生えてきたのは、 ビオラ?と思うようなセントポーリアみたいな花。
  (蒔いた種と咲いた花が違うじゃん!造花か?)
  ニオイスミレだといっていたけど、あんな種類のニオイスミレがあるのかな?せめて種袋はニオイスミレの種を準備して欲しかった。
2)園芸の楽しさ、植物を植える楽しみを知っている人にしては、生きている植物を自分が気に入らないテーマだからといって バーナーで焼き尽くすっていうのは?本当のことなのかな?
 可愛そうな多肉植物やサボテン。
3)コンテストに出した庭のよさが実は私にもわからなかった。
 道端の草にもよく見るとかわいらしさ、よさがあるのに、ただぼうぼうとした草むらのようで。
 全体構成として、見てよさがわからない庭だったとしたら、地味な花のよさは寄ってみないとわからないところもあると思う。
  ただのめちゃくちゃな庭ではなく、こだわった庭であることを映像としても納得させてほしかった。(単に壊れた車や、仲間の像だけじゃね。。。点数は入れられないなあ。
 この庭のよさが映画を見ている人にわからないと、女王の申し入れは単なる女王の自己満足に終わると思う)

2002,12,13
 たまにお湯を注いで、ソースをかけて混ぜるタイプの焼きソバがなぜかむしょうに食べたくなることがある。
あのインスタント焼きそばは 作った焼きそばの味とは全然違うのだが、その違う味が食べたいのだ。
つまり 「焼きそば」が食べたいのではなくて、「インスタント焼きそば」が食べたいのである。

皆さんはそういう経験をしたことはないだろうか。

■味覚の刷り込み

 これは、昔食べた味が刷り込まれてしまった(そんなに沢山インスタント焼きそばを食べた記憶はないのだが)のかな?などとおもっていたところ、

http://www.zdnet.co.jp/enterprise/0212/02/n24.html
子どもの舌に味を刷り込むのはマクドナルドの重要なCRM戦略 (ZDnet)

という記事があり、「やっぱり!」と納得した。
マクドナルド おふくろの味化計画だ。
 先日これを裏付ける面白いことを発見したばかりだったのだ。

私はずっと春菊が好きではなかった。
もちろん、でたら食べるが、さほど美味しいと思ったことがない。好んで食べようとは思わない。
 同じように香りのきつい食べ物でも、セロリは大好き。主に煮てたべる。ミネストローネ・味噌汁など。
 そういう食生活をしていると、大王はセロリは平気で食べるのだが、春菊が嫌いになってしまったようだ。先日久々に味噌汁に春菊を入れたところ、「おいしくない」と ほとんど口をつけないのである。
 ものごころつくまえから食べさせていたセロリは ジャガイモやにんじんと同じくいくらでも食べるのに。

■昆虫の世界の味

昆虫には幼虫の食草が決まっているものがいる。たとえば、アゲハ蝶ー>ミカン科の植物 キアゲハー>セリ科の植物 だっけな?
しかし、これは聞いた話だが、幼虫を採取した場合、同じミカン科で食草としては問題なくても自分が食べていた食草と違う植物だったら、食べなかったりするということだった。
たとえば、キンカンについていた幼虫を ナツミカンに持っていっても食べないとか。
(本当かどうかの確認は行っていません)

 これと同じようなことが人間の本能にもあるのかもしれない。
そういえば、親は自分が食べられるものを運んでくる。それを食べているかぎりは毒など命の危険はない。 
そういう動物の本能なのかもしれない。

■マヨラー

これもどこかで見たのだが、以前マヨラーというのが話題に上った。
何にでもマヨネーズをかけてしまうという人たちだ。なかには マヨネーズをそのままチューブから食べてしまう人もいる。
 この原因が、子供の頃からの食生活にあるという説だった。

 マヨネーズの普及と現在のマヨラーの台頭に相関関係があるという説だったように記憶している。
小さな頃からマヨネーズの個性的な味に接して、その後、マクドナルドなどの 照り焼きバーガーなどでマヨネーズの味をしっかり記憶してしまっているので、それが離せなくなるという説だったと記憶している。

■微妙な味

うまみ調味料の普及で舌がにぶくなっていると指摘されることもある。
以前私が通っていた料理学校で、ダシのとり方を学んだ。 昆布のだしは、沸騰直前に昆布を出す必要がある。その直前の見極めがむつかしくて、私のグループは若干遅かったらしいのだ。

 先生は味を見て、「少し取り出しが遅かったわね。ほら、こちらのダシと味をくらべてごらんなさい」とおっしゃった。
しかし、、私には味の差がわからなかった。(汗)

http://www.fujitv.co.jp/jp/kurashi/chori/j040.htm(だしをとるコツ)
しかし、こういうページもあるから 私が味の違いがわからなくても生徒としては普通なのかもしれないな。
とりあえず、大王は できるだけうまみ調味料なしで育てているし、私と同じレベルくらいは美味しい美味しくないは敏感にわかっているようだし。よしとしよう。

でも、やっぱり、持って生まれた味覚を私のせいで鈍らせないように気をつけたいな。と思った。

■シェフ殿ご用心
随分昔に見た映画だが、とても楽しい映画だったと記憶している。
有名な料理人が何人もかかってフルコースディナーを作るのだが、そのシェフが次々に殺されていく。
 果たして犯人はだれ?動機は?

なんていっても、デザートを担当するシェフが女性だったことくらいしかおぼえてなくて、
犯人も動機も覚えてないのですが。。
 ここで、はじめて 「ハト料理」というのを見て、ペットで買っていたハトを思い出し複雑な心境だったおぼえがあります。

でも、面白い映画でしたよ〜。もう一度見たいです。

ここ数日 2002,12,12
小泉さんのボーナスについて
> 約591万円で最高額。ただ小泉首相は厳しい財政事情に配慮し、約25万円を国庫に自主
> 返納する(日経NETより)

25万なんてけっちい返し方せず、どうせ返すんだったら 端数の91万とか 100万とか半額とか全額とか そういう返し方しろよな〜 なんて思いました。

■メザコ 

私が入っているMLが文字化けしたのは随分前になりましたが、メザコと言う言葉で 検索していらっしゃる方がたまにいらっしゃいます。
やっぱり メーリングリストの題名のre:が化けていたのね。検索していらっしゃる方は、その対処方法をさがしていらっしゃるのでしょう。
http://ns1.php.gr.jp/pipermail/php-users/2002-October/010808.html
対応表がありました。

■林真須美 死刑判決

 林真須美は、現状聞いている範囲ではやはり真っ黒だと思うのですが、自白しないもの勝ちの世の中?。
今回は死刑判決が出たようです。

悪いことをしていると認識しながら、それを自白しなければ無罪なんだという世の中は、どうも納得できません。
 昔、会社のタイムカードは毎日ごまかすわ、すべてにおいて周りの常識とかけ離れた人がいました。
 彼女は「昨日昼休みを早くとっていたときに ○○課長とすれ違ったけど何もいわれなかった。」と言い、自分が決まりを破っていることを認識していながら「言われないから良い」といいつづけました。
ばれなければ良い。ばれても、相手から指摘されなければ良い。
 小さなところで電車で座席を寄ってと直接言われないと寄らない人たちと重なる考え方です。

昔話の正直じいさんがかならず得をするという話は、農民を扱いやすくするためのまやかしであったなんていう話も聞いたことがあります。
また、こういう世の中、人と同じことをやっていたら儲からない。という話も聞きます。
たしかに、「自分の損得」をなによりも一番に考えて、人のありかたとかそういうものを二の次にすることで、その人が目指していた「得」をすることもあるのでしょうか。

 最近は一緒に生活している周りの人たちのことを思いやらず、すべてを「自分の」損得勘定で片付ける人が増え、相手の気持ちをおもいやるという、日本の良い風習も失われてきているように思います。
こんなことを思うのは私が年をとったからかもしれません。
でも、世の中自分だけが得をしたいと思う人たちばかりになったときに、集団生活が破綻しそうにも思います。だれだって、損や嫌な思いはしたくないですから。

 考えてみると、テレビドラマなどでおなじみになってしまった「自分の不利になることは黙秘する権利がある」と黙秘権を読み上げるというのも 変な話のようにも思えてきました。

この事件を考えるとき、以前書いた「黒い家」を思い出し、真っ黒な雲の渦が巻いているような様子が頭に浮かびます。

私にとって、上で書いたような物の考え方は誤った個人主義のように思え(利己主義ですよね)、資本主義の弊害のようにも思えます。

■アンカーウーマン

先日、お天気お姉さんだったのが。。思い出せないと書いた映画。これでした。
ミシェル ファイファーが主役。相手は ロバート レッドフォード。 彼、何歳になってもカッコよい役をするんですが、もうおじいちゃんに見えます。
1937年生まれだそうです。現在 65歳。
この映画の頃(1996年)は、59歳。定年一年前という頃のようです。
 そう考えるとこの青年の役のような役がブキミではあるのですが。。

ミシェル ファイファー が 自分の力で取材した内容を自分の言葉でしゃべるというところ。
そういう姿勢は、今のマスコミにもっとあっても良いのではないかと思いました。
 (もちろん。そういう方もいらっしゃるとは思います。)
覚えているのは、ミシェル ファイファーが 黄色いレインコートを着て お天気お姉さんをしていたところと彼女のサクセスストーリーだった位です。
 まあまあそこそこの映画だったと思います。

 ロバート レッドフォードも 愛と哀しみの果て(1985年:48歳)のときは無理を感じなかったのですが、私からみると スニーカーズ(1992年:55歳)あたりからなんだか ムリがあるように見えてしまって。外国の人ってふけるのが早いのかな。。
 
■ジェームズ コバーン
 
ロバートレッドフォードとは違うタイプの俳優さんですね。先日2002年11月17日に亡くなったそうです。(74歳)ご冥福をお祈りします。
ジェームズ コバーンという名前をはじめて意識した映画は、リベンジャー。
ソフィアローレンと競演しています。
 ミッションインポッシブルみたいな アクションもので、彼の顔はカッコよくない(ごめんなさい)と思って見始めたのに、最後はカッコイイ!と思った映画でした。
 でも、昔すぎて、詳細はわすれてしまっているのが残念。今度見てみたいな。

新しいところでは、モンスターズ・インクの声を担当していたみたいです。誰の声だったのだろう。
古いところではシャレードにも出ているんですね。こちらもそういわれてみれば。。。
もっと古いところでは 荒野の七人。(七人の侍海外版)にも!。。。

やればできるじゃん! 2002,12,10
昨日は帰りも、人身事故だそうで、へろへろの一日でした。
今日はあさからさむ〜い。たぶん、雪がとけてきて、融解熱が奪われていくからですね〜。
天気予報では今日は暖かくなるという話でしたが、日も照ってなくて外は寒そうです。

ところで、ここのところ 超混み合わせ車両に乗ることが多かったので、この話題を。

■7人がけ・6人がけ

電車の長いシートは、7人がけだそうなのです。
しかし、最近は体格の良い人も多いようで、大抵6人がけになってしまったりしています。
特に冬場の着膨れで席の占有率が高まって7人かけると結構窮屈です。

 昨日も電車が遅れていたのでギュウギュウラッシュで7人がけになっていたのですが、とても窮屈。
私はあまり背が高くないので、私・居眠り・男性 と並ぶと ○\▼ というカンジに 肩幅のある男性側に倒れることができなくて、大抵私の手や肩に居眠りの人がもたれかかってきます。
 我慢しているのですが、あまりにもしっかりと恋人のごとくにもたれかかられると、どうして良いかわからなくて「起こすべきか、このまま降りるまで耐えるべきか」悩んでしまうこともしばしば。
 私は本当にもたれかかりやすいようで、よく向かいの人が笑いそうになりながら私を見ていることもあります。

昔は笑い話に、自分のお尻の幅よりも広いのにぎゅうぎゅう座ってくるのは「おばさん」だという話がありましたが、最近はオジサン・若い男性も多いように思います。
昨日は 「その隙間にはあなたは絶対入れません」というようなオジサンが座ってきていました。
足を広げて腰を落として座る若い男性も多いです。おまけにひじまでぴったりと背もたれにつけます。「寄ってください」といわれるまで寄りません。

さて、その7人がけですが、たまに 3人|4人|3人 のように間にバーが入っている車両があります。今朝その車両でした。
するとみなさん7人がけに収まるんですね〜。今朝その車両だったので見てびっくりしました。
「やればできるじゃん!」と思いました。
 最近は、自分勝手がカッコよいという風潮があるのかな。
昔の紳士・淑女とか ジェントルマンという言葉は死語になりつつあるようです。

■潮風のいたずら

大金持ちの奥様 ゴールディ・ホーン は、夫とふたりで クルーザーで贅沢三昧。
多すぎる靴の収納をつくるために、呼ばれた大工 カート・ラッセル にもワガママ放題。
傲慢な態度で接したあげくに、つくった収納の材質が気に入らないとお金を払わない始末。
 そんなゴールディホーンが ふとしたことから 記憶喪失になっちゃった。
カートラッセルは、ここぞとばかりに 支払ってもらえなかった損害料を取り戻そうとします。

「やればできるじゃん」。というドタバタコメディで、おかしくてハッピーなお話です。
家族で見ても問題ないと思います。

 詳細はネタバレになるので、園丁にネタバレライン引いてから書きますね。

突然の雪 2002,12,9
今朝起きたら突然の大雪。
あ〜。お気に入りのマツバボタン。室内で挿し芽しようとおもってそのまま外だったのに。
とかもろもろすべてが雪の中。
 ちょっとはしゃいでしまって、写真とったりとか掲示板にのせたりとかしているうちに時間がきて、会社に出発したのはよいけれど、立川から先が電車がこない。
私の会社の方面は運転をみあわせているとのこと。
駅の中で、30分くらいまって、うごきそうもないので、会社に電話を入れると 立川からタクシーでもよいからとにかく来いとのこと。

 タクシー乗り場は長蛇の列。たぶん30分以上寒い中待って、タクシーに乗ったら、今度は渋滞。
一時間以上のっていて、気分がわるくなってしまった。
 このまま続くと乗っていられる自信がなかったので、運転手さんに、この調子が続くようだったらどこかで一回おろして欲しいと頼んだところ、かなり 驚かれてしまった。

そこまでが渋滞がひどかったようで、その後はどうにか動いて到着は11時過ぎ。
5620円也。
これで帰りまでに電車動いて帰れるのだろうか。。。とっても不安なんですけど。。。

■釣りバカ日誌

釣りバカ日誌という漫画がある。pon1が定期的に購入している雑誌に掲載されているのだが、最近はテレビ漫画にもなっている。映画もあるので、ご存知の方も多いだろう。

ここのところ、この釣りバカ日誌を読む気がしないのである。

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【主役】「ハマちゃん」釣りの腕が良い。 そうしていつも 気楽なギャグで回りを明るくしており、人望もある。しかし、上司には ×(バツ社員)だと思われている。
実は、アイディア豊富で、会社の危機を何度も救っているが、本人もまったく気負うところがない。

【釣り友達】「はまちゃん」の会社の社長 「スーさん」。大手のゼネコンワンマン社長。
    プライベートでは、はまちゃんとは釣り仲間。(これは社内にはナイショ)。
 ジジ恋をしたりと どちらかというとはまちゃんには迷惑をかけている。

【上司】腐れ縁の上司、お握り頭の 佐々木和夫。能力はないのだが、いつもハマちゃんのおかげでピンチを切り抜けている。しかし、そのことには全然気が付かず、ハマちゃんをお荷物社員だと思い込んでいる。
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さて、なぜ読む気がしないか。。。

佐々木上司がついに、社長代行にまでなってしまい、またもやハマちゃんのおかげで会社が順調に立ち直ってきているから。。そうして、またまたそれを佐々木さんが自分の実力と思い込んでいるから。。。

 これって、クレームは届かないのかな。。。この漫画を見て、皆気分がよいのだろうか。

たしかに、景気の悪い話ばかりだけど、こんな風な展開で景気がよくなってもちっとも私は嬉しくない。 サザエさんと同じで、 この3人の登場人物は永遠にこのままのパターンでないと話が続かない設定ではあるのだが、あまりにあまりの展開に、読みたくなくなってしまっているのだ。

やっぱり勘違い男にはそれなりのペナルティが欲しいよ。サザエさんであると同時に水戸黄門であって欲しい。佐々木さんはやはり そこそこの中間管理職(能力もないんだから)に置いとくべきじゃないのかな。

もしかしたら、世の中では 中間管理職が圧倒的に多そうだから、中間管理職の支持をうけているのかも。とすると、「ハマちゃん」は中間管理職のドラえもんなのかも。
 のび太の佐々木さんがやったことを 母のごとくに影から手伝ってとんとん拍子に運ぶ。。

あ〜。。ヤダヤダ。ストレスたまります。
こんな筋にするくらいだったら、本題の釣りの話をしてくださいな〜。(私は 釣りは数えるほどしかいったことのない人間ですが)

いっそのこと、お正月あたりの巻で、佐々木さんがはっと目がさめて、「おや〜長い夢をみてたけど、今年はよいことありそうだな。新年早々社長になった夢をみちゃった。うしし。」なんていうのでしめてほしいな。 (切望)

■釣りバカ日誌

あまり見たことがないのですが、それでも2,3話みたことがあります。映画。
ハマちゃんが 西田敏行なので、ちょっと脂ぎりすぎていて 違うなあと思うし、スーさんも三國蓮太郎で?? だったのですが、(といっても私が漫画を見始めたのは最初に釣りバカの映画を見たよりも後なのだけど)
 慣れというのは恐ろしいもので、 三國蓮太郎のスーさんも 西田敏行のハマちゃんも ま、そういうものか。。と。
 お気楽な映画ではあります。 寅さん(実は寅さんは一回もまともに見たことない)とおなじように毎回マドンナが変わってというパターンです。(たぶん)
 あまり細かいことを言わずに お決まりのパターンを楽しむ映画かな?と思います。
(1,2本しか見たことないのに、こんなこと書いちゃってよいのか?)
オジ的オバとしては、 やっぱり マドンナ見たさに 映画見るっていうのもあるんじゃないかな〜。 お正月の炬燵みかんだったら、だらだら見てみたい気もします。
ネット検索したら 鈴木京香 という文字がやたら出てました。 やっぱりオジの好みは鈴木京香なのかな。(私もオジなので好みです。)

画像は、今朝の雪

やっと 2002,12,6
なんとなく、やる気が出ない日が続いて、今日もとりあえず出勤した。。という状態。
やっと金曜。一週間が終わった。

■林真理子さん。反省?

先月書いた雑誌を今月もなんとなくまた買ってしまった。 780円なり。
後から気が付いたのだが、やっぱり1回8円のメールを気にするくらいなら、こういう本を買わなければ良いのだなあ。 約100回も携帯メールできる金額だ〜。
私にはつくづく経済観念がない。

と、話がそれたが閑話休題。

彼女のエッセイ。きっとたしなめる投書があったのでしょうか。今回は随分とトーンダウンしていました。
 彼女の場合、ふとしたことで自分自身が見えなくなっちゃうタイプの人なのかもしれませんね。
 でも、そうでないと作家ってやっていけないような気もするし、それが彼女の持ち味なんでしょう。

 今回は、茶髪・金髪についてでした。私もぱっさぱさで下が金色・上が真っ黒の髪の毛を良い大人がしているのは似合わないような気がします。

 人間年をとるとともに、肌の色つやが衰えてきます。そうしたときに、必要以上にペカペカ光る素材や、光を失った素材というのは その人の衰えをきわだたせるように思うのです。
いくら浜崎あゆみが金髪にしてカワイイからといっても、んじゃ黒木瞳が金髪にしてかわいいか?というと、女優さんでもムリがある。もっと年代が上になって、吉永小百合が金髪にしてカワイイか?なんて想像もできないではございませんか。

 あんなに綺麗で、お化粧をきちんとしてヘア・メイクさんがついてくれている女優さんでさえ年にふさわしい格好をしているんですよね。

■光

1)ピカピカ素材

●皮革素材および合成皮革素材(特にピカピカとした光沢のあるタイプ)
 ひとめで合成皮革とわかる素材で十代の若者をターゲットにしたようなデザインのものは それなりの大人が着ると その年齢差が際立つように思います。
  
  皮革素材ならば、カーフスキンなどのような堅い光沢系よりも、ラムスキンのようなできるだけ柔らかいものを選択し、鈍い光沢でないものを選ぶ方が良いように思います。

●アクリル毛糸もの
 特にアクリル等独特の光沢が出たものは それなりの大人が着ると安っぽく見えるような気がします。(編み方や色にもよると思います。やはり10代をターゲットにしたようなもの)

 とはいえ、顔や手の皮膚との対比で際立つと思えるからなので、そういうものを身につけても
 顔の近くには別の素材を持ってくるなど着こなしで少しは違うかもしれませんが。。。

2)パサパサ素材

●ヘアダイを繰り返した金髪。
 自分で漂白剤で染めたのではないだろうか?というくらいにパサパサした黄色の髪の毛は肌の色艶がおとろえてきた顔を一層ふけさせるように思います。
 林さんがおっしゃっているように下が黄色、上が黒の状態でパサパサしているとかなり見苦しいかもしれません。そういう髪が似合うのは。。う〜ん。ヘビメタ系で食べるものにも不自由してそうな人! ちょっと前の コギャル!
 
●アッシュ系の色
 つやのないアッシュ系の色というのがあるようですが、これも肌の色やつやがあるほうが似合うように思います。

似合うのはどんなものか?というと私もセンスがあるわけではないので難しいのですが、光沢ということに着目すると、柔らかい光沢があるものが似合うように思います。
 たとえば パールなどが、年齢を重ねても美しさを引き立てるのは、決して強くない光が
やんわりとあるからのような気がします。
 質の良い光沢のあるカシミアや、着物の生地のようなシルク。同じシルクでもサテンは色にもよりますが光沢が強すぎて年齢を選ぶような気がします。

と、好き勝手なことを書いてしまったなあ。
少し前に私がここロバミミに書いた 「ドン小西」のように、「あんたには言われたくないわ〜」と言われそうだな。。

 最初の茶髪金髪に話を戻すと、たしかに根元の黒いのが出てこないようにマメに染めるのは、私には難しい相談です。 
 美容院なんてはっときがつくと3ヶ月くらいたっているし。
やはり自分でやると 美容院でやったほどにはうまく染まらないので(たとえば生え際の方が色が薄くなったりとか見えないところがうまくいかなかったりとか)できれば美容院に行きたいところだが....なかなか難しいものがありますね。

■綺麗に年をとりたい

ということを考えて思い出した映画。
「インドシナ」。カトリーヌ・ド・ヌーブが主演です。内容が内容だけになんだかドロドロしたところもあったのかもしれません。
例によってすっかり忘れてしまって、今はドヌーブが綺麗だったなあということしか覚えていません。
 たしか、彼女が 翡翠のピアスをしていて、それが素敵で欲しくて欲しくて。
探したけれどなかったような記憶があります。
 彼女の若い頃の有名な映画に「シェルブールの雨傘」がありますね。それと見比べても、こんな風に美しく年がとれたらいいなあ。。。なんて思います。(元が違うというのは 言わないで〜)
 
もうひとつは永遠のおじさんのアイドル 吉永小百合。彼女の顔は私は鼻のあたりがどうも好きになれません。しかし、「外科室」で見ると、なるほど品のある美しさでした。
外科室は、当時の日本語にこだわったいう言葉が今とは違和感がありすぎて、(男っぽく聞こえる)映画全体としては 入り込めずに いまひとつと言う感がありましたが、映像は大変美しい。
小石川植物園(だと思うのですが)千と千尋の庭のように咲き乱れた花がとても印象的でした。

だらだら 2002,12,5
なぁ〜んかやる気でないのです。
なんだろう。これ。
やっぱり仕事がぱっとしないからかな。
忙しければ忙しいほど、気力がみなぎって やる気が出るのですが、今はちょっと脳みそがスポンジ状態です。

やらなきゃいけないことはあるんですが、つまんないし、やりたくないからかなあ〜。

■80年代のアイドル

今朝のテレビで80年代のアイドルCDが売れているとのこと。
岩崎好美とか、シブガキ隊とかが画面に出ていました。
最近発売されたCDが画面にでて、そうそう。。。と思い出したのだが、中森明菜の新しいCD「Akina Nakamori -歌姫double Decade 」
彼女もどうも辛そうなイメージが定着してしまった一人ですね。
 このジャケットについて、朝のテレビでは「叶姉妹」なんて言っていましたが、コメントを考えた人が知らないんですね。
この姿は 以前紹介した映画「ロジャーラビット」にも出ていた、お色気たっぷりの人気歌手で、映画の中ではロジャーの奥さんの「ジェシカ」なんです。

 ジャケット写真:http://music.lycos.co.jp/cd.html?u0=4988005318084
 ロジャーラビット:http://www.tdx.co.jp/movie/mpage/html/017/l87.asp
          http://www.jp.playstation.com/php/jacket/disp.php?num=vwds3136
 左下の赤い色だらけの女性がジェシカ 映画のなかではこの明菜のジャケット写真とソックリの歌の場面で、客の男性はメロメロになります。
 
な〜んて自己満足に浸っていましたが。。

数日前に書いた 宮沢りえ の話もこちらにもってきてみよう。
同じように恋愛関係のスキャンダル後に一気に元気をなくしてしまった人です。
二人ともある意味、絶好調の時期、「強さ」(というかワガママさかな?)をウリにしていたようなところがありますから、その強いイメージからのギャップが激しかったのでしょうか。
 実際の二人を知っているわけではないので、テレビのこちら側からたまに見るだけの私のコメントですが、恋愛関係のスキャンダルというのは芸能界に付き物。
したたかな人?は、その程度のことがあってもそれを逆手にとって売りへつなげるということもありそうです。

 いつまでも悲しそうなイメージが付きまとうのは、ブラウン管を通してみていた彼女達のあっけらかんとした姿がすべてではなく、別の面を多分にもっていて、そのことによって、本人もかなり傷ついてしまったといことかなと思います。

先日宮沢りえについて書いた文はこちら。(まとまりがなかったのでこっちにそのままもってきました)
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帰宅途中の駅に 「宮沢りえ」と「菊川玲」のポスターが並んでいるところがある。
人の好みはいろいろなので、あくまで私の好みで書いているのだが、私には 菊川玲は、美人タレントというより、クラスの中でのまあまあ綺麗な人気者 という感覚に見える。
 顔や雰囲気からすると 宮沢りえのほうがずっと女優という感じで美しく見える。
もともと、宮沢りえのポスターは 化粧品のポスターなので、かなり美しく撮れているものだとは思うのだが。

 しかし、「ボロボロ」になったと報道されたイメージが彼女から抜けなくていまひとつ売れていないようにも思える。
 最近はモスクワ映画祭で主演女優賞をとった「華の愛―遊園驚夢」(香港映画)など、他にも賞をとっているらしい。(見てないです。見たいなあ)
 偶然、昨日ビデオで彼女が出演したドラマを見た。
それで思い出したのだが、私は以前 妹と二人で宮沢りえの映画を見に行ったことがある。
人気絶好調の頃の映画で、舞台はパリ。たぶんたけしも出ていたと思う。
 あの頃は、見に行って、あまりの演技の下手さに、「ま、いいか。りえちゃんがみられたから」と言いながら帰ったのだった。 随分うまくなっていると思う。
 贔屓が多分に入っているが、演技の世界で頑張っているだけに、一過性の売れるタレントではなく年をとるまで息が長くつづけられる女優にどんどんと成長して行って欲しいものだなあと思った。
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彼女が賞をとる前に、宮沢りえが出演した劇も見たことがあります。
それは綺麗なお姫様役だったのですが、「素っとん狂な声が良くない」と評されていました。
その頃から比べると随分とうまくなってきたように思います。

彼女達は、「女優」「歌手」という職業柄、「多くの人に評価されてなんぼ」の世界に生きています。

宮沢りえについては、今、なんとなくこの先の進む方向が定まったように見え、このままじっくりと演技のできる女優として育って欲しいと思って見ていますが、中森明菜については、その後の弱弱しい良い人ぶった様子はどうも好きになれないのです。
実際彼女の中には、「最初の頃ウリだった、強くて生意気な自分ばかりではない。弱くて良い人の自分が本当なんだ。。」という葛藤があり、こんな風なのかとも思います。
それもきっと真実でしょう。
たぶん、そういう一面もたしかにあると思いますが、別の面もきっと持っていると思います。
人間の魅力は本当は、その通り一遍でないところにあると思うのです。

いや、実際、こんな風に毒舌をはいているpon2も 実際は涙もろかったり、小さなことを気にやんだりしているわけで、その双方とも私自身です。
それが人というものだと思うのです。

 起きてしまったことは起きてしまったこと。それに自分がずっとこだわりつづけていると、いつまでたっても消化できないままだ。
ずっと、この「多くの人に評価されてなんぼ」の世界でやっていくのであれば、自分の意識を変えていくことも必要なのではないかと傍から見ていて思いました。 
離れていってしまったファンの気持ちを一発逆転でこちらに向けるということはまず難しい。
それなりの前向きの姿勢がやはり成功を生むのではないかと思ったときに、そういえば。と思い当たりました。

私は宮沢りえの演技において、ひそかな前向きの姿勢を感じ取ったわけですが、中森明菜については、そういう前向きの姿勢が感じ取れなかったのだなと。 
あくまでも私の感想ですので、他の方からみるとまた違うご意見があるかと思います。

また、芸能会というところは、想像以上に運というものが左右するところかもしれません。
たまたま、現在の宮沢りえは、そのめぐりあわせで転機をするきっかけを得たのかもしれません。
なんて思いましたとさ。

■はてしないものがたり

ネバー エンディング ストーリーです。大王がいなければ絶対に買わないと思えるDVDなのですが、(大人には買うほど勧めない)先日購入しました。
まだ、見せてないです。原作は本当に面白い本です。
赤い表紙の本から始まる物語なのですが、古本屋でその本を見つけたバスチアンは その物語に出てくる本が
自分の持っている本そのものであることに気がつきます。
 この本は、絶対に文庫本ではなくハードカバーの本を私はお勧めします。
http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/11/6/1109810.html
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4001145014/249-1860093-6199566
この写真は外箱。中には本の通りの 赤い布張りの装丁の本が入っています。
 映画の方は、本から比べるとちょっと物足りない感もありましたが、その特撮で有名になりました。
(まだ、この頃は、昔のゴジラと同じように 大きな手足のパーツを作ってそれを人力で動かしたりして撮影したのだそうです。)
細かい話をしてしまうと、この竜の顔がどうみても犬に見えて気になってしまった記憶があります。

画像はプロテアほか

今日は雑談 2002,12,4
■注文

DVDが発売されて、最近は随分と手ごろな値段で販売されるようになってきた。
私の「映画に行けない」というストレスはDVDを購入することで解消しようとしている。

まだ文字が読めない子供がいる家庭では、ちょっと見たいなと思っても、「日本語吹き替え版」を購入することは躊躇なさる方も多かろうと思う。
やっぱり字幕でも生の声が聞けるほうが味わいが違う。その点大抵のDVDでは再生言語を選択できるので、子供と一緒のときは日本語で見るということもでき便利だ。

(とはいっても、スーパーマンは 日本語吹き替えがなくて驚き。。<買った後で気づいた)

また、保存性にも優れている(※注1)し、小さいので、場所も取らない。まさに言うこと無し。
私の頭の中には
「!!永久保存版として購入したビデオをDVDに置き換えればスペース倍増!!」という図式が浮かんだのが運の尽き
せっせと永久保存版と思っていた映画を探し、DVDで購入し「ついでに、これも」と他のものも買ってしまう。

 以前、買っていたDVDをもう一本買ってしまってからは、購入したらリスト化してダブらないようにと気をつけていた矢先。
昨日「ピンポーン」と宅配便が。。あれ?何かたのんだっけ?
荷物はDVD。そういわれてみると 入荷待ちしていたのが数ヶ月先というのがあったかなあ〜。と箱をあける。

中からは数本のDVD。たしかに頼んだ覚えがある。
その中に「グーニーズ」があった。そうそう。大王用に頼んだんだった。
それを見たPON1が「あれ?グーニーズあったんじゃない?」 大王が「あった。だってにほんごしゃべってたもの。」
私は字幕版のビデオをもっていたので、てっきりそれを見せたのだとおもっていたのだが...、探すとDVDがあった。
おまけに、以前買ったよりも値段が高い。。。くすん。。。。
 ということで、うちには 2枚のグーニーズがあります。あ〜ショック。

今回の教訓を生かして、今までは手元にものが届いてからリスト化していたのですが、注文中にリストに書き込むことにします。

※注1ビデオは磁気記憶なので比較的劣化が激しい。
構造も複雑なので、機構としてうまく動かなくなる可能性も高い。
また、巻いて重なっている部分で別の部分の磁気が写ったりすることもあるらしいし、(<画像劣化)、
まめに巻きなおししないとテープ同士がくっついて再生不能になる場合もある。
数年先に規格が変わると言う話もあるが、今あるものはたぶん見えるようになるはずと信じている。(と言うしかないかな)

■新鮮情報検索エンジン

2002年12月3日から NTTとNTT-Xが、最短で15分間の間隔で、ウエブ検索データを更新し、いままでよりもずっと早く情報を表示できるようにするという実験を行っているとのこと。
http://itpro.nikkeibp.co.jp/free/NBY/NEWS/20021203/1/
http://japan.cnet.com/News/Infostand/Item/2002-1203-J-2.html?mm
http://www.ntt.co.jp/news/news02/0212/021203.html
http://infobee.ne.jp/
対象は日本語webページすべてということだ。

読んで小躍りした。
たしかに、そうなのである。ぽん家別荘は最近できたばかりのサイト(10月ころだったかな?)なので、まだ検索エンジンに乗っていない。
やっと先日 一部最初にupしたデータがgoogleに載っているのを発見してサイト内検索に利用させてもらったのだが、
よく考えてみたら、サイト内の構成をその後に変えているので、これで検索しても本体へはリンク切れとなっているのだ。
 gooなどには登録依頼を同時に出したのだが、ぜんぜん。載りもしていない。<大変不満。。\( ̄ε ̄)/

ということで、早速検索させていただきましょう。。と行ってみたのですが、実験だからか、ぜんぜんヒットしません。
どのあたりをテストとして使っているという表示がないと、結果がわからないではないですかぁ〜。
とりあえず、別荘のデータは全然掲載されていないことだけは確かでした。
 うまく動くようになると こっちも使うのだけどね〜。頑張れgoo。

■井戸端ネタ
 NECが関本相談役を解任とか。 ん?解任?
http://itpro.nikkeibp.co.jp/free/NC/NEWS/20021203/3/
http://biztech.nikkeibp.co.jp/wcs/leaf/CID/onair/biztech/gen/220214
http://channel.goo.ne.jp/news/topics/index/topicsname12062.html

 とこの記事を読むと、なにがあったか知りたくなります。なんだろう。

■グーニーズ
今日の映画は2本かってしまったDVDの グーニーズ。

 腕白(って死語かな?)グループが偶然みつけた宝の地図を使って宝捜しする。
ヘンテコな発明や、洞窟、悪者達を出し抜いたり。子供達がワクワクする要素たっぷり。
子供と一緒に見ることのできる映画です。大人は子供の頃を思い出すかも。
大王も最後まで一生懸命みていました。

画像は、キングプロテアほか。切花を買ってきました。暖かそうな質感かな。。と

大王とおはなし・クエン酸 2002,12,3
今日の前半は親ばか話、後半は全く関係ない健康食品の体験談です。

 夜寝る前に最近大王には、お話をすることにしている。
少し前までは、適当におもいついた自作の話をしていたのだが、お話大好きな大王は、登場人物が自分や身近なものだと興奮してしまって眠れないので、最近はもっぱら昼間に大王用の本を読んで
そこからすこしずつお話をしていくということが多い。
 土日は、本を読む時間がないので、別の話になる。
ということで、日曜の夜は 「てぶくろをかいに」になった。
ストーリーはうろ覚えだったので、オリジナルからは少しはなれているかもしれない。

大王は、しずかに聞いていて、聞き終わったら「きょうのおはなしはとてもおもしろかった」と言った。
 大王は、あかぎれがあって、ひとりでおつかいに行く子狐のドキドキを きっと物語のなかで感じていたのだろう。

 大王はハンドクリームを塗っても土で遊ぶので手がかさかさして、あかぎれ状態になっている。
 先日から手袋が気に入って自転車に乗るときはかならずその手袋をしていた。
 そうして、小学校に入ると一人で登校するようになるので、だんだんと近くから一人で行動させる練習をしている。(今はまだ、同じマンションの別の階のお友達の家まで届け物を頼むくらい)
それでも少し「ドキドキ」すると言っていた。

 そういう似た状況にある狐の子供のことが きっと自分とかさなって お話が楽しめたのだと思う。お話を理解してきくことができるようになってきたなあと、pon2としても嬉しい出来事だった。


■クエン酸

話はまったく変わるが、この夏くらいからpon1が健康食品に興味を示してきた。
たぶん疲れがたまっているのだろう。>ごめん。pon1 ありがとう。
前から、気まぐれにサプリメントを飲んだりはしていたのだが、今日の話題はクエン酸だ。

夏頃、クエン酸回路の話を聞いて、pon1は薬局へ行き、大きなクエン酸の瓶を購入してきた。
クエン酸に興味をしめしているpon1がそこまで本気だったとは思わなかったので、pon2は驚いた。
薬局のおじさんは、「夏には良いかもしれないねえ〜」とコメントしてくれたらしい。
それから毎日 pon1はクエン酸を飲んでいる。
 ヨーグルトにかけたり、アミノ酸飲料に混ぜて飲むと飲みやすいらしい。

クエン酸の効果は以下
http://www.fusokk.co.jp/cs/kajitusan/kajitusan_3.html
http://www.kenko.com/contents/cnt_100318.html
つまり、代謝がたかまり、疲労を取ると同時にエネルギー消費も増えるー>脂肪減につながる

という図式なのだ。まさに、おいしい話だ。
 
 数ヶ月飲んでいるpon1にpon2はときどきインタビューした。
「疲れは取れてるみたい?」 pon1は目覚しい効果はなさそうな答えをくれていた。
体型もさほど変わってないようにも思った。
私はpon1に効果があったらはじめようと思っていた。<ズルイ

そんなある日、先日私はとても寒かった。夜が寒くて眠りが浅い。風邪をひいていたのかもしれない。
クエン酸をとるということは代謝量が増えるー>つまり暖かくなる

ということを再度聞いて ためしてみることにした。
すると。。。その夜は暖かく本当にホカホカしてよく眠れた。<当社比

それ以来、私もクエン酸を飲んで寝るようにしている。気のせいかよく眠れるような気がする。
ホカホカ暖かい。
3ヶ月6ヶ月後にスリムになっていたら 皆さんにご報告しますね。<痩せ効果は期待薄ですが。。

■地中海殺人事件

アガサクリスティの原作の映画化です。いくつか作られています。
今日の話題からはぜんぜん関係もなく、話も夏の話なので、ちぐはぐなのですが、ふと「華麗に変身」っていうことでおもいだしてしまいました。
 この話、アガサクリスティの映画の中でもとりわけ好きな映画なのです。
その理由は、ネタバレにつながってしまうので、ここにはかけません。 園丁の方にネタバレライン引いて登録しておきますね。

 例によって、ポアロが行くところ、殺人事件が起こります。場所は地中海の孤島。船で行った先の小さなリゾートホテルです。

 とはいえ、少しだけ見所というか、私の好きなところを小出しにしますと。
美しい海、かわいらしいホテル。そうして オシャレな人たち。
 もうひとつの見所は たしか ポアロの水着。。<かわいかったような記憶があります。
誰が犯人だろう。。という謎解きの楽しさもありますね。導入部からきちんと作られているところが推理ものだなあ〜と思います。(以前テレビで見たときは導入部をカットされていて、んんん?と思ったこともあります。推理ものはそういう細かいところが効くとおもうんですけどね〜。)

後は園丁で。。。

画像は ちょっとピンボケですが オンシジウム・ケイロフォルム

笑顔 2002,12,2
昨年の1月にこの日記を始めて、そのときに、12月にさかのぼって書いたのが最初の日記だ。
このcgiboyは1年間の日記が書けるということなので、この日記を書くと、昨年12月の日記に上書きされることになるのかな? (納戸に過去ログつけました。小さなハートからリンクされています)
 もともと三日坊主な私がこんなに長く日記をつけることができるなんて思いもよらない出来事だった。
ネットで皆様からの反応をいただくことができることが、継続できた理由なのかもしれない。
 いつもどうもありがとうございます。感謝しています。

さて、昨日は、しまいこんでいた余り毛糸を見た大王が、突如「まま、まふらーあめる?」と聞くので、「あめるよ」と答えたところ、「あんで〜」とのこと。
 毛糸は青や紫色などの段染めのモヘア。「モヘアはちくちくするから私は子供の頃は嫌いだったのだけど。。」と思いながらも1玉半くらいで完成。 
 熊をつけてくれなどのリクエストに答えて、出来上がったのを巻かせると「ちくちくする。。」
そうなのよぉ。。。へなへなぁ〜。 「pon1もそうだと思ってた。。」だそうで。。
まぁね。なにごともやってみないとわからないから。これでよしとしよう。

■オジ系オバ的視点(久々に)
金曜の帰宅時に、久々にオジ系オバ全開で帰宅した。
向かいに座っている女性二人がなんだか素敵で、つい じ〜っと見てしまう怪しい人になってしまった。(私の場合、ああ、あんなふうになりたいなあと見ていたりするわけである。念のため。)

 一人は厚手のコートのきちんとした身なりの女性。もう一人はカジュアルでスポーティな身なりの女性。年齢は 30前後くらいかなあ。。女性の年はわからないが。。
美人系の二人が、気取りなく楽しそうにしゃべっている様子にひかれて、退屈な車内でついそこに目が言ってしまうのだ。
大抵 通勤電車の中は 疲れた顔で一杯。
仕事疲れ、遊び疲れそういう人たちの顔が溢れている中で二人は光って見えた。

 さて、途中の駅でそのうちの一人が降りて、残った一人の方を見ると普通の顔に戻っていた。
そう。美人な人は世の中に掃いて捨てるほどいらっしゃる。「私は二人が楽しそうにしゃべっているあの輝いていた表情がみたかったのだな。。」とあらためて思った。

人は心から楽しそうな顔をしているときが一番綺麗だ。
たぶん、そういう表情は私がそちらに吸い寄せられたように、きっと他の人にも良い印象、気持ちを与えることができる。
たしかに毎日いろいろなことがあるけれど、できるだけ笑ってすごせるようになればいいなあなんて思った。

■オジ系オバ的アイドル考
ふとそんなことを思いながら、思い出したことがある。
モー娘とか プッチモニとかミニモニというキャラとは少し趣きの違うZARD とか倉木麻衣の プロモーションビデオについて。
(ときどき流行った歌をテレビなどで聴く程度であまり詳しくない私ですので、その範囲で感じたことであることをお断りしておきます。)

 前者の明るい系・元気系のウリの人たちは、どんどんとテレビに出てコメントもする、目をあわせて直接テレビのこちらに語りかけ、元気一杯の様子を売りにしている。
女の子達がどど〜んと集ることによって、「女子高効果」というか 沢山の人数でボリュームをもたせて良く目を引いてさらに売れるということもありそう。
 そんな風に元気の良い個性の少しずつ違う女の子達をぎゅっとひとつのグループに入れて、売り出すことで、派手さも出るし、人目もひくし、その中でも「誰が好き」という個々の違いをひとまとめにして、「モー娘ファン」にまとめるという効果がありそうに思う。

もうひとつは、ひそかに系。
たとえば、学生の頃を思い出すと 誰もがあこがれるスター的な人あり、元気で目立って人気者のグループあり、そういう中に、おとなしくて、よ〜くみると地味だけど結構美人で、ひそかにあこがれられているというタイプがあるのではないかと思う。
 この「ひそかに」感が大切。
ZARDや倉木麻衣のプロモーションビデオを見ていると、真正面からのアップというのはあまりなく、視点はこちらに定まっていない。
つまり アコガレの人を遠くから見ている自分があるわけだ。
こういう画像は、こちらに「遠くであこがれている感覚」を与えると思う。

 さて、この遠くに見えるあこがれている人の笑顔。これは万人に共通する胸キュン<死語?ものの感覚なのではないだろうか。
 映画では、ニューシネマパラダイスの トトの映像の、望遠でとった彼女の笑顔の横顔が美しかったこと。ああいった感覚かな。

※ここにあった宮沢りえの話は、まとまりがないので、別の日にうつします。。

画像は先月行った森林公園の入り口事務所