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王様の耳はロバの耳(過去ログ)

普通は言わないけど、みんなどう思う?言いたいけど言う機会が無いみたいなことをおもいついたときに書こうと思ってます。

▲本・映画・ざっつ園ter丁nment(ここで紹介した本や映画についての詳細データをためてあります)
▲隣の芝生(ここで画像を紹介した植物の詳細データをためてあります)
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お得感。 2002,11,29
得をすることが嫌いな人はあまりいないだろうと思うが、私もご多分にもれず、お得感に弱い。
欲しいものを安く手に入れることができると、とても嬉しくなってしまう。

■買い物
ミミタコで申し訳ないが 私は数字に弱い。そのため数字に関しては感覚生きているようなものだ。
よく、「底値」を記憶してそれで買い物をしているという賢い主婦がテレビに出るのだが、私にはとても無理。
底値を記憶なんてとんでもない。
だいたいいくらぐらいだったか?というのさえ忘れていることもある。
 何の意味もない会員番号などはおぼえていたりすることもあるので、どこか脳の回路が繋がってないのかもしれない。
こんな私だが、チラシで 通常価格 ○○円が △%引き なんて書いてあると、一生懸命チラシを見て欲しいものがないか物色する。
欲しかったものが 安く出ていたりすると 嬉しくなって「絶対買いに行かなきゃ」なんて思う。
しかし、出不精なので、そうおもっても挫折することも多い。そのためいらないものを沢山買わなくて済んでいたのである。

 今は、だいたいのものはネットでも安く手に入るようになった。
送料が安くなった恩恵で、送料無料になったりまた送料を払ってもお得だったりということも多い。
これが嬉しい。つい、欲しいものがあるとネットで検索して、通常利用したい店などはブックマークしておく。
買い物に行くというのは 電車に乗ったり歩いたりと時間もかかるし、目当てのものがその店にあるかどうか行ってみないとわからないので、「これが欲しい」とわかっている場合は ネットはとても便利だ。
帰宅後でも深夜でも大抵は買い物できる。お金と時間の節約ができるなんて素晴らしい。
後は、要らないものを沢山買い込まないようにというのに気をつければよいのだ。

■時間の節約
ネットでの通信販売は随分とスピーディになった。注文後、2,3日で商品が届くことも多い。
ネットで買い物することで、休みの日は別のことに使うことができるという時間の有効利用になるようにも思う。

特に時間というのは、人間が節約するのがすごく難しいものだと思う。
こればっかりは皆に平等なものだ。「お金持ち」と同じように「お時間持ち」と言う人がいてその人だけ一日が30時間使えるなんていうことはない。
また、時間を使わないようにためておいて後から使うなんていう芸当はできない。

しかし、世の中は便利になったものだ。
私はときどき、時間の「お得感」を感じて ひそかに自己満足に浸っていたりするのである。
それは、「自動」 (<=みんな気づいてましたよね)

私がいつも「これは時間の節約だわ。お得だわ!」と嬉しくなるのが、洗濯機で洗濯している最中に食器洗浄器で食器あらいをするという行動だ。
私の頭の中には下のような図式が見えて、一人心の中で 「うしし」とほくそえんでいるのだ。

●全部私がやった場合。

▲==食器洗い==▲==洗濯==▲==その他==▲ 

●お得な場合

▲==食器洗い==▲
▲==洗濯==▲
▲==その他==▲<〜〜  ☆お得感   〜〜>▲ 

ミソは食器洗いと洗濯の時間をできるだけ重ねること。 
同時に二つが動いている時間を作り出すことである。そうして、「おお、同時に動いている時間分得しているぞ〜」と自己満足に浸る。
それをするために、私はバカバカシイほどの工夫をする。
洗濯機から取り出した洗濯物を干す前に 次の洗濯物をセットして洗い始める。
できるだけパラレルに機械に仕事をさせている時間を増やしたいという意図である。

■節約

節約というのは、基本的には苦手なのだが、それでも自己満足に浸るときがある。
たとえば、先日気づいた携帯メール。1回につき8円かかるとしたら、adslの繋ぎっぱなしからメールしたほうが得だわ!
なんて思うのである。
そうして、できるだけパソコンからメールを出す。1回につき 8円の節約だ〜(うしし)。。

■本当は。。。。。

なんて書いておきながら、本当は 一回につき8円の節約をして 月20通の携帯メールを節約したとしても160円の節約。
そんなことをするくらいだったら、花屋で「あ!カワイイ」なんていいながら200円の鉢花を買ってくるのを辞めたら?
と言うほうが本当は節約できるのである。
だって、置き場もないのである。新しくかってきたら、それを置くまでに時間も浪費してしまう。

 200円ならまだかわいい。 園芸カタログをみながら 欲しいものを皆チェックしているとあっという間に4〜5桁円になって慌てることも。
ちまちまメールを節約するよりも、そちらをセーブしたほうがはるかに効果的なのだ。

時間にしても、本当に得かどうかは疑問。 食器洗浄器は意外に時間がかかる。手で洗ったほうがずっと早い。
だから、上で書いたような時間の節約にはならないのを本当は私は知っている。

この季節になると、歳末助け合い募金などを見かけることも多い。
以前、友人がこれを見て
「この人たち、何人も何時間も街頭に立ってよびかけていてどれくらいのお金が集るんだろう。
本当に募金したいとおもうのだったら、その時間バイトして、その給料を寄付したほうが多くないのかな」
と言っていた。

言われてみると 本当にそうだ。お得感とおなじように 人の満足感というのは不思議なものだ。
私はこんな効率の悪い節約をしたり、買い物をして 満足しているし、
街頭募金の人たちは、他の人達によびかけて、人にお金を出させて満足している。

 なんて言いながらも、私は、この実は何の役にもたたない「やりくり術?」を自己満足のためにこれからも嬉々として続けていきそうな気がする。
ただひとついえるのは、嬉々とできる、自己満足できる ということは精神衛生上はすごくよさそうということだ。

■赤ちゃんはトップレディがお好き

ダイアンキートンは バリバリのキャリアウーマン。都会的でオシャレな生活をしています。
遠い親戚が突然亡くなったとのことで、遺産がもらえると喜んでいたら、実は遺産ではなく赤ちゃん。
赤ちゃんのおかげで、いままで順調にいっていた歯車が狂い始めます。
おもわずくすっと笑ってしまい。ほろっとしてしまい。最後はハッピー。

 自分の状況に合わせて、新しい環境にあわせて前向きの姿勢でやっている彼女はとても素敵でした。
仕事について満足していた部分をこんな風に切り替えて別の満足とやりがいがみつけられるといいのになあと思う今日この頃です。
もう一度見直してみたいな。

画像はフレンチレース。冬は一段と綺麗。

見知らぬ人 2002,11,28
実は、先日の自分で調べる+記憶の片鱗で思い出して紹介したかった映画は別にあったのです。
でも、その名前がどうしても思い浮かばない。こちらも片鱗になっちゃってます。
いろいろ検索したのですが、ヒットしない。。
 あれってなんだったのでしょう。 もし、ご存知の方がいらっしゃったら、教えてください。

主人公は女性。彼女はニュースキャスターになりたいのだが、お天気お姉さんの職しかない。
お天気お姉さんの職ではドジの連続。
 自分が調べたニュースを自分で報道したい。。とおもい成長し、成功するはなし。
(もしかすると2つくらいの映画を くっつけているかも)
もしかしたら これ? という情報でもかまいません。ぜひ教えてくださいね。

■見知らぬ人

以前から何度も同じことを書いているが、直接の知り合い同士で険悪になる割合と、電話やネットでの間接的な話で険悪になる割合を比較すると、直接<電話<ネットと比率が上がることは明らかな統計がでているらしい。
先日も、素材を探していてようやく絵の雰囲気が私のイメージと合うサイトをみつけたところ、そこは11月末でサイトを引き上げるということ。
素材や他のコンテンツはすべてすでに引き上げられており、後には bbsのみが残っていた。
どうやら、なんらかのトラブルに巻き込まれて閉じることになったらしい。
bbsは何か言いたいことがある人のために残してあるとのことだった。
 最近こう言う事例には沢山遭遇することに気づいた。ネットの世界の住人が増えると同時に情報も格段に増えて便利になったが、こういうトラブルも格段に増えた気がする。
私はこの一年自分の身に起こったこともふと思い出してしまった。

ネットの世界もだが、現実の世界も何かおかしい。
 火曜日の帰宅時のこと、私はよく一緒になる友人と二人電車に乗った。
二人とも子供がいる身なので、一本でも早い電車に乗りたい。駆け込み乗車すれすれ仲間なのだ。
私たちは通勤ルートもほぼ同じ、乗り換えてその電車にはだいたい正味40分くらい乗る。
 始発のその駅から乗ったときは座れないのだが、私たちが乗るのは2駅くらいで大抵客がいれかわって最初から乗っていた人は座れるようになる車両なのだ。

一駅目で私の前の席がひとつあいた。「先に座って」とゆずっていただいたので腰掛けてふと前をみたら、向かいの席が空いている。
前に立っている人は誰もいなかったので、「あそこ空いてるよ」と友達に教えて二人とも座ることができた。

すると。。突然少し離れたところに立っていた中年の女性が 大声で
「普通座れるのは、自分の前の座席だけよ。私だったら、たとえ1時間電車にのっていようとも自分の前が空かないかぎり絶対座らないわ。」と
そこいらに聞こえるようにしゃべり始めた。
もちろん、友達は 誰かをおしのけて座ったわけではなく、前にだれもいなかったから座ったのだが、どうやら彼女の気に触ったらしい。
ふと声の方をみると、その人は少し若い人と二人で乗っており、空き席に近い方にもう一人の女性が立っていたようだ。
買い物した荷物を沢山抱えている。
多分、自分が座りたかったのだが、もう一人の人が一緒にいたため、自分だけ座ると言い出せなかったのだろう。

私は、自分が空席をみつけたことで友達がそういう目に遭う事になってしまったことで、居たたまれない気持ちになった。

話は少しそれるが、友達の子供は小学校生。学童保育もないので、暗い中毎日一人でお留守番である。
 子供は寂しいだろうし、親としては毎日無事に帰っているか心配だ。
そうして、通勤時間は長く、その間で連絡をとることが不可能な彼女は 携帯の電源を入れざるを得ない。
通勤に私と同じく約2時間かかる彼女は通勤途中の連絡手段は携帯しかないのである。
いつも外に声が聞こえないようにじゃまにならないように、小声で短時間で電話をしている。
 その日も、電話がかかってきたのだろう。
すると今度は同じ婦人の
「だいたい携帯電話っていうのを、電車のなかですること自体が非常識なのよ。
 ほら、いろいろと生命に危険があったりとかそいういうことがあるっていうことなのにね」と延々と
2メートルくらい離れた私にまで聞こえてくるくらいの大声での個人攻撃が続いた。

この人はいつまで乗るのだろう。と思い始めた頃次の駅について、その婦人は降りた。
次の駅で降りるのだった。その間一駅分、ずっと大声の彼女のののしりはとどまる時がなかった。

 私から見ると、自分が座りたかったのに「座りたい」と言えなかったのであれば、それはそこに座った人を攻撃することではないと思う。
自分が座ろうとしたのに押しのけられたのだったらわかる。でも、この場合は八つ当たりである。
 そこに座った他人を攻撃するくらい椅子に座りたかったのだったら、一緒にいるひとに
「私疲れたので、あなたが座らないのだったらあの空いた席に座ってもよいかしら?」と聞けば良かったのだ。
そうでなくても
「空いたわよ?座る?」と聞いて相手が座らないとすると「じゃあ私が座ってもよい?」でも良いかもしれない。
二人が座ろうとしていたら、友達は座らなかったと思うし、たぶん私も勧めなかった。

 自分が我慢したのだからと他人に我慢を強いるというのもヘンだ。
個々の状況は違うはず。

 沢山の買い物をしてしまったのも自分のために自分がやったことだ。
見かけだけで 「自分より、相手のほうがラクだ」と決め付けるのもどうかしている。
世の中には元気そうでも病気の方は沢山いるのだ。

 自分が何かしたい。それがおもったように行かないことのフラストレーションを親しくない知らない人で発散するというのが最近は多い。

先日も、「人を殺したいと思った」「以前負けた経験があるので、年寄りを狙った」という殺人が報道された。
見ず知らずの他人(弱者)に対して ひどい八つ当たりをするというこの風潮はどうして蔓延しているのだろうか。。と思った。

■あなただけ今晩は
アパートの鍵貸しますのほうが有名なのだと思うけれど、私はこちらの方が好きな映画。
もう、町じゅうほのぼの良い人だらけで、殺伐とした気持ちが暖かくなります。
 なんていったって、悪役までもが 「いい人」なんですよ。でもこれはネタバレになるのでひみつ。

ビリーワイルダー監督です。
シャリー・マクレーンはかわいくてちょっと変わった娼婦。警察官のジャック・レモンが取り締まりに行き、彼女達を連行。
そうして、なんと上司までを逮捕してしまったことからはじまるドタバタ ラブコメディです。
すごいネーミングと 設定に驚きますが、中は子供用のアニメ以上に問題のないシーンとストーリーが続きます。
 
 絶対にオススメ。家族で見ても問題ないと思いますよ。(「ヒモってなに?」とか聞かれたら困るかな?ダメだったらごめん)

画像はフレンチレース。

つれづれ 2002,11,26
電車の中で、ぼ〜っと見ていた中吊りに、「行列のできる 美豊乳プードル」とあったので、
私の頭の中では、

1)プードルが 美乳なのか?(白くてカワイイけど牛のような雰囲気のプードルを想像)
2)そのプードルを拝んだりなでたりすると ムネが カッコよく大きくなるのか?
  (ぞろぞろと、とげぬき地蔵のように、抱っこされたトイプードルに行列をなす女性の図を想像)

してちょっと???と思っていたのです。
今朝もう一度その中吊りを見る機会があって、間違いにきづきました。 プじゃなくてフだったみたい。 

その単語は不穏な響きがあったのですが、(フーってところが。。)いまひとつ ドルっていうのが 何をさすのかわからなかったので、ネット検索してみました。
一覧だしただけで怖気づいてやめました。
きっと見てもドルが何をさすか かいてあるページはなさそうだし。。。

しょっぱなからこんな話題でごめんなさい!
プードルだと思っていた自分の想像がおかしくてついかいてしまいました。

■CDケースで卓上ガーデニング?

http://www.zdnet.co.jp/news/0211/25/njbt_11.html
という商品が売り出されるそうだ。
780円は高すぎる。。。 売れないとおもうけどなあ〜。
 見栄えも悪いし(かいわれみたいになっちゃうしかないのだから)
ちょっと中途半端。。 だったら 芝の種やコケのほうがずっといいし、CDケースである必然性がないと思うんだけど。

■記憶の片鱗

昨日、帰宅しようとしたら、後ろから 「ドコサヘキサ」 という声が聞こえた。
おもわず ココロの中で 「塩酸」と  「山」「川」の合言葉のごとくに 合いの手を入れてしまった。
しかし、これってなんだっけ? と思い出せないのでネット検索して、「あ、そうか DHAだったんだ。」
 同じような片鱗となっている言葉はまだまだ他にもある 「アデノシン」とくれば 「2リン酸」か「3リン酸」。これも なんだったかサッパリ?
 ふと思い出したのが マンガ「動物のお医者さん」 テスト勉強のために 語呂合わせで覚えるのだが、それが何を意味するのかわからなくなってしまって、気になってしょうがないという話があったな。
たしか「江川の耳」とかいう覚え方だったと思うのだが、今手元にコミックスがないので、調べる手段がないのが残念だ。こちらもこの言葉自体が記憶の片鱗となってしまっている。

■自分で調べる

そういえば、先日、ノーベル賞を受賞した 田中さんが 書いた色紙のなかに 「自分で調べてみよう おもしろいことがみつかるよ」
(詳細失念してます)というような言葉があったという報道があった。
 それを見ていたアナウンサーが 「最近自分で調べることってありませんからねえ」なんて言っていて、唖然とした。
まあ、いわれてみればそうでしょう。アナウンサーは しらべてきてもらったことをそのまましゃべるだけの職業なんですね。
私だったら耐えられない。ひとから聞いただけの話を鵜呑みにしてただ伝えるだけなんて。
田中さんがおっしゃるように、自分で調べてみることがやはりすべての基本だと思うのです。

■ナイトメア・ビフォア・クリスマス

もうすぐクリスマスですね。
骸骨の主人公が有名になった ティムバートンの人形を使った映画。
出てくる人形達はおどろおどろしいのだけど、それ以上に 印象に残ったのは、サンタの目がコワかったような。
実はマーズアタックは 簡単にガンガン人を殺しちゃうところにブラックな笑いがあるようで苦手だったのだが、こちらの方は、なぜか印象に残る映画でした。
もしかすると 大王は好きかもしれない。(最近怖いものが好きみたい)

 記憶で書いているので、双方とも見直すとまた評価が変わる可能性もあります。

画像は、出かけた先の小菊

掲示板とML 2002,11,25
ここのところ、ダウンロードして ちょちょいと設定して すぐ使えるようなcgiや phpに はまっていて、まさに、以前書いた「致死性ソフトウエア」状態。
 おもしろくてたまらまいし、短時間でできないものなら、そんなにはまらないのだが、あっという間にそこそこ動くからいけない。。
 ついはまりこんでしまう。
もうちょっと..と思っているとエラーが出たり..すると調べたくなったりして....
集中すると、外から話し掛けても聞こえない状態になっちゃう。
これじゃ元の木阿弥じゃない?とpon1からクレームが出た。

そうかも。 反省中。。 

 こういうことをやっていたら、仕事をやってなくてもやりたいことは一杯ありそうだ。
収入には結びつかないところが仕事と違うところだ。

■写メール掲示板

写メール掲示板というのを 納戸につけた。
この掲示板は、投稿はメールで受け付ける。
パソコンからのメールでも、携帯からのメールでも受けられる。
添付された画像(や実は音楽も)掲示板に投稿される。
使ってなかったメールアドレスで受けることにして、設定完了。
携帯の機種によって少し表示が違うようだが、とても楽しい。
 こうなってくると、やっぱり携帯についているカメラの性能がよいほうがいいなあ。

 私は携帯のデザイン重視で今のものを購入した。
操作性は、私との相性はよいような気がする。
 pon1は会社が違うカメラの性能のよいほうを購入した。
操作性は一般的評価が高い会社らしいのだが、いまひとつ、携帯の気持ちがわからないようなカンジ。
 でも、こうやってならべてみると、画像の差が歴然としている。
自転車大王がpon1のもの あとのが pon2 のものだ。
 腕の差もありそうだけど、やっぱり pon1のほうが綺麗に写っているような気がする。

■掲示板とML

先日、友達との話題で、どうしてMLが寂れ気味で掲示板がにぎわっているのだろう?という話になった。
にぎわっている掲示板はもともと管理人さんが顔が広く、まめにレスする掲示板のように見受けられる。
また、どうしても教えて欲しいことに対して、期待したレスポンスがある掲示板もよくにぎわっている。

●画像と文
メーリングリストが寂れてしまう原因のひとつとしては、やはり画像が文と一緒に見られないというところは大きそうだ。
特に私の加入しているメーリングリストは植物関係が多いので、そういうものを語るときに画像があるとないとでは雲泥の差がある。

●質問に対する答え
質問を書く方としても、不特定多数に 質問するよりは、もし、「あの人に聞けば!」とわかるものであれば、確実に返事がきそうなところに持って行くだろう。 
質問に答える方も、直接自分に問い合わせがあった場合、わかることもわからないこともきちんと返事をしようと努力するだろう。
しかし、メーリングリストだったら、「誰かこたえてくれるかも」とか「ちょっと不確かな情報だから」と「自分に聞かれているわけではない」という意識が働くことも多そう。

●メール規制
実はこれも原因にあると思うのだ。
今は企業ではメールの規制が行われているところも多い。
以前メーリングリストがにぎわっていた頃の投稿は、平日の昼間が意外に多く、土日は少なくなる傾向があった。
つまり、会社員はちょっとしたリフレッシュに メーリングリストを使っており、主婦など家にいる人は、自分ひとりの空き時間に使っていたのではないかと思う。
 しかし、メール規制が入ると、送りたくてもメールが送れない。。

●自分の都合にあわせられる
見る立場からすると、メーリングリストは いわゆる「プッシュ型」掲示板は 「ゲット型」である。
つまり、自分の都合に関係なく、押し付けでやってくるMLに対して 掲示板は自分の都合に合わせて見に行くことができる。
最近は、不況で、労働時間(残業時間)が増えているとか。
それで、自分の好きな時だけ参加できる掲示板がにぎわうのかもしれない。

今回写メール掲示板をつけてみて新たに思ったことは、見やすさというのもあるかしら。。とも思った。

写メール掲示板への投稿はメールなので、メールを書く手間はMLと一緒。
たしかに パソコンで掲示板に書き込むよりは煩雑だ。
でも、掲載された記事をみると。。なんかイイカンジではないですか?
それは、やはり写真と文という組が 一覧で見られるからではないかな?と思った。

●情報が整理されて理解しやすい
メールでやってくる情報は、メーラーでスレッド表示できるけれども、基本的に、表示は1件ずつ表示するのが普通だ。
(と思う。複数件表示するメーラーってあるのかな?)
掲示板は、一ページ分まとめて読むことができ、たぶん、興味のない記事部分はみなさん飛ばし読みしているのではないだろうか。
 反対にメールは、どんなに興味のない内容でも 一回メールをひらかないとわからない。
短時間に沢山の情報を処理しようとおもうと、やはり掲示板に軍配があがりそうだ。

しかし、MLにも良いところはある。
最近は登録した人に新しい記事の発生をお知らせする機能のある掲示板もあるらしいが、記事の発生が通常の掲示板だとわからない。
 自分からとりに行かないとダメなわけだ。その辺はいまのところMLに軍配が上がると思う。

そういえば、数年前にある方から
「最近の子供は 多人数で話をするのが苦手な子が増えてきている」と伺った。
沢山でひとつの話題を語ることができず、1:1 でしか話せないというのだ。
もしかしたら、大人にもそういう現象が蔓延しているのかもしれない。
掲示板は基本的に 自分と掲示板の持ち主という 1:1のコミニュケーションツールのような気もする。

■ジュラシックパーク
 恐竜の映像で有名になった映画ですね。
ここ20年くらいでCGの発達が目覚しくて、この映像をみたときにはそのリアリティにとても驚きました。
 だけど、、突っ込みたいところはたくさん。
普通、こんな風に危険が隣り合わせの場所にこんなシステムは導入しないでしょ!とか
つっこみながら見た覚えがあります。
 詳細忘れたのですが、プログラマが仕事投げ出していなくなって、たしか子供がどうにかしたんじゃなかったかな。。
子供の立派すぎるハッカーぶりにも 「うそ〜」と思った記憶もあり。(違うかな?)
でも、そういうところを差し引いてもとても印象に残る映画でした。
(後輩に山場のネタを見る前に教えられて残念だった映画でもあったなあ。。)

画像は森林公園の紅葉

過敏性腸症候群 2002,11,22
今朝は大失敗。ご飯がたけてなかった。
おまけに、大王が今日に限って、「あさごはんはぱんがいい」とのたまったので、気づくのが遅れてしまった。
こんな日もあるさ〜。

今日は少し尾篭な話もありますので、そういうのが気になる方は読まないでくださいね。
また、いつもよりも更に長くなってしまいました。読みづらいかと思います。ごめんなさい。

■過敏性腸症候群

一昨日までのTBSの朝の番組でのテーマは「過敏性腸症候群」だった。
医者のアドバイスは
1)規則正しい生活
2)くよくよしない
3)食事をきちんととる
4)熟睡する
だった。私は、たぶんこの病気を持っている。
そうして、番組の中で、医者が「重症な方になると、電車に乗れなくなる人もいらっしゃいます」と言った。
知らなかった。まさに私は重症な部類に入っていたことがあるのだ。

■医者のアドバイス

実は私はこのアドバイスにちょっと納得できないものを持っている。
 私は子供の頃からそれとは知らずにこの症状を経験していた。(つまり学校と親の元で規則正しい生活をしていた)
かなり症状がひどくなったときも
 1)3)4)については普通程度にきちんとしていたのだ。
もちろん、2)については人それぞれどの程度が「くよくよ」なのか違うと思うのだが、実際その一番大変だった時期を通り越してみて「ああ、これがひっかかっていたんだな」とはじめてわかることが多い。つまり、本人はストレスの原因をきちんと認識できていないことが多いのだ。

つまり、「自分の頭のなかで、これが悪い。これが原因だ」とわかっていないことも多いときに 上記のアドバイスをうけて果たして気に病んでいることをその人がすっかり解決できるのだろうか?
 と思ったのである。

私の印象としては、この放送で言われるような、生活態度で治るようなものではないように思えるし、反対に、この放送を聞いた人が「過敏性腸症候群」について、
ああ、「自分のせいなのね」(ある意味そうかもしれないけど)と無理解な態度をとられることもあるのではないか?と、同じ病気を持っていた人間としてちょっと心配だったのだ。

■過敏性腸症候群

過敏性腸症候群とは、簡単にいうと、原因などが(医学的に?)見当たらないのに便秘、下痢、ガスなど腸の動きが正常でなくなることだととらえられると思う。
以下に私の経験した症状を書いて見る。

●子供の頃
 子供の頃から、なにかあるとおなかを壊しやすい体質だった。
 これは家族もそうなので 普通のことだと思っていた。
 今でも、人間はそういう生き物(つまり程度の差があれ 普通の症状)だと思う。

●会社
 会社で、あるプロジェクトをまかされたばかりの頃、とても嫌な仕事をまかされた。
 まず、休日に出勤せねばならず、膨大なデータのメンテナンスの責任が私にのしかかるのだ。
 それは壊れたデータの復旧。うまくいくかどうかわからないこと。そうして壊れては困ること。
 そうして最新の注意をして行うべきこと。私は会社に行きたくなかった。
  でも、プロジェクトリーダーなので、私が行かないわけにはいかないとも思った。
 そうして、家を出ようとしたときにいままで一度も経験したことのないような猛烈な腹痛があり、
 下血した。
何か重症の病気になったのではないかとそのときは思い、あまりの腹痛だったため一人で病院に行くのも怖いようだった。
  やっとのことで、休日診療所へ行き、簡単な検査をうけてみると 「異常なし」「気のせいです」といわれ、私は あの痛かった思いは?下血は? 私の気のせいなの? と わからない思いで一杯だった。 でもそれ以降 その症状は出なかった。

●電車
 電車に乗るのが怖くなったこともある。
 2駅先、時間的には 5分程度先の駅に行くのだが、乗る電車にトイレがないために電車に乗れないと真剣に思うのだ。トイレのない閉所というのがとても不安なのだ。
(つまりいつトイレに行きたくなるかわからないから)
  電車に乗れないから、先に言ってくれという私につきあってpon1は電車を遅らせたり、駅近く のトイレに付き合ってくれたりして、一緒に乗ってくれるということで、私は会社に通えた。
 私の克服には、一番最初に「行けない」と思ったときに 一緒につきあってくれて「行ける」と実証してもらえたことが 大きかったと思う。

■どうすれば?(私の場合)

実は、下血という症状は 過敏性腸症候群の症状として重症だろうとは理解していました。
しかし、電車に乗れないという症状も重症だと言われるとは思ってもいませんでした。
 私は今は普通に会社員を務めているし、なんと片道2時間弱の通勤もこなしています。
たぶん、会社の人達は私がそういう症状を持っていたということを知らないでしょう。

 私の場合は、本人がすこしずつ「自分が安心できる状態になれるよう」に努力していくことが有効だったように思います。
また、私が過敏性腸症候群という名前を知らない子供の頃から症状があったことから、多分に生まれつきの体質的なものもあると思います。

上のアドバイスでの「くよくよしない」というように、その人の気の持ちようが悪くてそういう症状になっているかのように言われることもありますが、自分の意志で自分の性格を変えようと真剣に考えることによって新たなストレスを生むこともあると思います。
 電車に乗れないと思うことを「乗れないと思う私が悪いんだ」と思うと解決できなかったと思うのです。
一駅だけでもよいからのってみよう。とか、ドアの近くにのって、ダメだったら次の駅で降りよう。と自分の気持ちと折り合いをつけることが私には有効でした。
 
●心配なことはリハーサル
事務所が移転して 片道2時間弱の通勤は、かなり私にはプレッシャーでした。自信が全くなく、不安感で一杯でした。
でも、pon1が申し出てくれて、一日天気の良い日に家族全員で新しい会社まで行って見ようといってくれたのです。
楽しい気分で、時間に制約されることなく無事に会社に着いた私はどうにか通勤できそうだという安心感を得ることができました。

●自分が安心するために
とはいえ、日常ちょっとしたことで不安になるときがあります。
そういうときに自分が安心できる方法を見つけておきます。
1)行く先々のトイレの位置を把握しておく
2)時間に余裕を持って行動するようにする
3)心配になった時は「体調が悪いときは、体調優先だ」と自分に言い聞かせる。
  そうして、そうなった場合はどうするかを 頭の中でシミュレートしてみる。
4)念の為に、、ということでトイレに寄る。
 (そうして大丈夫だ。。と自分に納得させる)

●周囲の人に理解してもらう
自分の体質は家族など必要のある人に理解しておいてもらうことが大切だとおもいます。

●自分が病気だと思い込まない。
病気だと思うことによってどんどんと 症状をひどくしてしまうことがあります。

 私はよく車酔いもするのですが、車酔いもこれに似ているように思います。
「前に酔ったことがあるから酔うんじゃないだろうか」と不安におもったり、体調がわるかったり、なにかしたきっかけでひどく酔ったり意外に大丈夫だったりすることがあるように思います。
車酔いの対処方法は、個々でいろいろあると思います。私も通勤途中に調子が悪くなる日もたまにありますが、そういうときは自分なりの対処方法で乗り切ることができます。

 過敏性腸症候群も車酔いにとても似ていると思います。
おちこまないで、やってみることでどうにかなるかもしれません。
 
 あくまでも私の例ですので、すべての人にあてはまるとはかぎりませんし、もっと大変な症状に悩んでいらっしゃる方もいらっしゃるかと思いますが、何かの参考になるかと思い書いてみました。

長々と自分のことを書いてゴメンナサイ。読んでくださった皆様ありがとう。
もし、検索してここにいらした方がいらっしゃったら、元気だしてくださいね。
ネットで検索すると悩んでいらっしゃる方のコミュニティも沢山あるようですね。
http://www.wonderlabo.net/ibs/

今日は長くなったので映画と本はお休み

画像は森林公園の紅葉

いろいろ 2002,11,21
昨日は、家でやらねばならないことがたまってきていたので、お休みしました。
たまたまpon1も、在宅勤務していたので、久々の大人だけの家になりました。
 昼間はpon1は仕事、私も私の仕事と話をするわけでもなく、気配を感じながらの静かな時間だったのですが、「ああ、こんな毎日だったんだよな」と大王が生まれる前をなつかしく思い出し、また大王が育って友達とあそぶようになるとこういう生活が戻ってくるのだな。。
などと思いました。その日が待ち遠しいような、寂しいような不思議な気持ちです。

 よく、育児の先輩達からは、子供の手がかかるのは一時と聞きます。
また、子供は3歳までに一生分の恩を返しているとか。(大王は5歳の今も恩を返してくれてるようだ。)
大変だけど、あと数年、大王が私を一番必要としてくれている時期を一緒に楽しんで過ごそうと思います。

■薄膜太陽電池

今朝のNHKで特集していたのをこれまたちらっと見た。
太陽電池というと、私のイメージは黒くて値段が高くて、でかくて。。というイメージだったが、
最近はいろいろと開発されているようだ。

すでに商品化されているものとしては時計。
http://www.casio.co.jp/ww/waveceptor/products/watch/solar.html
http://www.casio.co.jp/ww/solar/solar/

 文字盤は黒いものばかりではない。
蛍光灯程度の光で充電できるようだ。

また、製造コストも現在のものよりも随分と下がるらしいー>価格も安くなりうるということだ。
製造に必要なエネルギーも押さえられるらしいー>本当の意味で環境に優しい。
http://www.honda.co.jp/news/2002/c020411.html
http://www.sharp.co.jp/sc/library/sun/sun4-5.htm

 特にpon1と沸いた技術としては、シースルー太陽電池が可能だというところと、(↑のシャープのhpにちょっとでています)低価格性というところ。
 真っ黒で、高いという太陽電池の時代はもうそろそろ終わるのかな。

■介護

これも同じくNHKのニュースの本当に聞きかじりで書いて申し訳ないのだが、本題は別のところにあるので書かせてください。
 たぶんホームなどで生活している 徘徊などの症状をもつお年よりが、家庭のような環境で生活することにより、症状がやわらいだとのこと。

 大王の世話を考えたときに、おもいあたることがあった。

迎えに行ったときなど、時間も遅いし、家に一刻も早く帰らないと、その後食事して〜とやることは沢山ある。母としては、準備とかいうステップは一気に時間を短縮して早く家に帰りたい。
 そんな時に、子供は子供の時間で生きている(=つまり時間の観念がなく、楽しいときはどんどんと遊びたがるし、帰るよりも他のことに気をとられることも多い)ことがよくある。

 大王くらいの年になると、自分ができることは自分でやるように仕向けることも大切なことだ。
だが、その作業は大王にとっては おもしろくも何ともない作業なのだ。
だから、なかなかやりたがらない。

あなたならどうしますか?
1)その気になるまで待つ
2)遅くなると叱って自分でやらせる
3)なぜ早く支度をしなければいけないかを言い聞かせる。
4)子供にやらせず 自分で支度をする。

以下 私の勝手な想像を育児書的にこうではないか?と書いてみる(本気にしないでくださいね)

 1)は 子供にとってはかなり良い対応だとおもう。 しかし、それを待っていてはどんどんと   時間を浪費してしまう。また、もしかすると時間の観念が希薄になるかもしれない。
    (天才肌の子に育ちそう。ただ、現在の世の中、多かれすくなかれ時間の観念をもたない    と苦しいので、後で苦労するときもありそう)
 2)早くから時間の観念を持ち、きちんとした子に育ちそう。
   (叱りすぎの弊害に注意する必要がありそう。叱られ慣れして泥沼というケースもありそう)
 3)自分を尊重してもらい、自分で考える子にそだちそう。
   (自分に理解できない理由を沢山言われることは、子供にとっては拷問かも。
    理解できない場合は、 すぱっと叱ってもらった方が良い場合もあるかも)
 4)ひとまかせの子になりそう。

私はしばしば、あまり良くないと思いながらも 4)の対応をとることがある。
理由は、時間が一番かからない。 叱る(私のストレスになる)ことをしなくて良い。
言い訳としては、別の場で時間があるときにしつけられれば良いとか、子供は自分が愛されていることを実感できる方が良いとかあるけれども、これは甘やかしすぎかも。

ふと、介護についてもそういうことが発生しかねないな。。と思った。
介護をされる人からすると時間がかかっても、本人が嫌でも それをすることが自分が衰えずに生きて行くために良いこともあると思う。
 しかし、それは介護をされる人にも苦痛だし、介護をする側にも時間もかかるし、そういう相手が嫌がる行動をやらせている自分への自己嫌悪も沸き起こりそう。

 全部上げ膳据え膳で世話するのがお互いのストレスが一番少ないと思われるが、それが本人のためにならない。。
難しいですね。介護される側の理解も必要だとおもいますから、痴呆がすすんだ場合は私が書くように文字面だけのようにはうまくいかないことも多そうです。

■パパは雪だるま

子供と一緒に楽しめるものをと購入したもの。
忙しくて日頃家族の相手もしなかったミュージシャンのパパ(マイケル・キートン)がふとしたことで死んでしまって、雪だるまとして復活して、家族とのありかたを見直すと言う話。
思いもよらなかった展開などを期待すると落胆しそうですが、これから先のクリスマスシーズンに(丁度クリスマスシーズンの話)家族で見るには良いかも。

画像は森林公園の紅葉

今日は。。久々のお休み 2002,11,20
寒かったですね。
最近、太陽もでない日も多くて3時頃から暗くなるし。。すっかり冬。

ところで、今日はロバミミはお休みしました。 
また、明日がんばります。

お詫びのしるしに とても気に入っているパフィオの葉っぱを。

じ〜っと見てると 布や壁紙にしたい柄じゃないでしょうか。
質感も細かい毛が生えていて綺麗です。

ひとのふりみて 2002,11,19
七五三のお参り先では、シャッターを押してもらい、家族全員で写真に写った。
ところが、pon2もすっかりと現実以上に太って写り(<=と思う。最近写った写真よりかなり太い)、pon1も随分と太って写ってしまった。

 そういえば、コートなどで着ぶくれて、立ち方もなにも気にせずにぬぼ〜っと立ってしまった。

以前会社にいた女性で、どこで写しても、同じ顔、同じ立ち姿の女性がいた。
コンパニオン立ちというのだろうか。
自分のベストショットというのを決めてそれをいつも維持するという ある意味 芸能界でも使われている技だと思う。
 一枚見るときはそれでも良いのだが、毎回見ているとちょっと気持ち悪い気もする。
しかし、こんな風に写るよりは ずっと良いように思う。

■林真理子

先日、林真理子を見直したと書いたばかりだが、失望をしたことがあるので書いておこうと思う。
女性雑誌の一ページにコラム?を書いていた。
=============(内容を覚え書きです)
オシャレな場所で食事をしたのだが、その場にいた「おばさん」たちが、 洋服も流行遅れ、髪も手入れされていない染めっぱなしの髪、靴のかかとにドロがついているような状態だった。
 その人達が集って食事をしている様は その場には不似合いに見えた。
自分は若い人たちと一緒にきていて本当に良かったと思った。
=============
もし、私が受け取った通りのことを意図して書いていらっしゃるのであれば。。だが。
林真理子のこの文を読んで、「ああ、まったくこの人の自己中心的な性格は直ってないのだな」
と思ってしまった。

流行遅れの服:
 誰が流行遅れの服を好んで着て、そのような場に来るだろう。
 そこに出かけるに際して、きっとじぶんなりに良いと思える服をチョイスして来たと思う。
 ただ、自分の稼いだお金を自分のためだけに使っていればよいようなOL時代とは違って、
 次々と流行の洋服を吟味して購入するだけの、暇な時間とお金の問題だと思うのだ。
 
手入れされていない髪:
 これも上記同様。私も子供が生まれる前は、だいたい月に一回〜2ヶ月に一回は青山にある雑誌にも掲載されていた有名な店に通っていた。
 しかし、今、髪を切りたいと思ってもなかなか行動に移せない。
 それだけ行動を規制されてしまうのだ。
  ふと気が付くと 3ヶ月くらいたって やっとの思いで近所の美容院に出かける。

そういう人たちが、たまに彼女等なりのオシャレを楽しみ、息抜きに来たとしてもなんら林さんに非難されることではないと思うのだ。
 たとえば、マナーがあまりにもわるかったとか、常識がなかったとかそういうことで非難されるのであれば もっともと思う。

しかし、この林さんの論理の裏には「私がオシャレな店で気分よく食事を楽しみたいと思っていたのに、オシャレでない人たちが景観をだいなしにしていて気分がわるかった」というような自分勝手な思いが語られているように思う。

 林さんは、大変失礼な話だが、「ブス」と呼ばれて 美しくなろうといろいろな努力をなさった方だ。
 たとえば、彼女達ができる範囲での努力を怠っているというそういう指摘であれば 私にも、実は心当たりがある。「子持ちだからいいわよね」と逃げ場を作ってしまっていることは否めない。
素直に受け入れて私は反省するべきだと思う。
 しかし、「私は若い人たちと来て(おばさんの仲間でなくて)本当に良かったと思った」と言う感想はなんだ?

■人のふりみて

昔から 「人のふり見てわがふりなおせ」という言葉がある。

 写真や鏡は 自分のありのままを 人のふりとしてみることのできる便利な道具だ。
太ってうつってしまった写真をみて、「こんなはずでは」と思った私は 次回はもう少し着る者や立ち方を考えようと思う。

 たしかに、流行遅れの服も、手入れが行き届いてない髪の毛も それを良しとしないで、できるだけ自分なりの努力もできるかもしれない。
 そういうことは、気をつけていきたいとおもう。

でも。もうひとつ林さんに。
若い人と一緒でよかったと思われても、第三者から見て本当に 林さんが若い人達と同じように見えたかどうか、同化していたかどうかはわからない。
 「若い」=善 と手放しで支持している林さん一人が浮いていたかもしれない。
若い人たちからみると 林さんは十分おばさんだったもしれない。

私は、林さんのふりをみて、傲慢にとれる言動は慎みたいと思った。

■氷の微笑
シャロンストーンのセンセーショナルな映画でした。
性的描写の方で有名になってしまった映画ですが、私はこの映画の性的描写はあまり興味なかったのですっかり忘れてます。もしかしたらかなりえぐかったのかも。
それよりも別の部分が、気に入っている映画のひとつです。 
海辺の別荘?に マイケルダグラスたちが捜査に来るのですが、海辺にたつシャロンストーンがさりげないファッションで美しかったこと。
 記憶で書いているので、詳細は違うかもしれませんが、サンドベージュの色をかさね、寒そうな砂浜の色と彼女の髪の色とよく合っていました。
見ている私たちまで、結局キャサリン(シャロン ストーン)に翻弄されているかのような結末:犯人がわかったようなわかんないような:も良かったと思います。
 (ナイショですが、彼女がとても頭がよくて、ミステリアスな悪女風で、色気シーン抜きの部分でも、捜査陣が翻弄されまくるところなどちょっと好きでした。本当にこんな人が身近にいたら困るけど。) 昔見た感想なので、今見るとまた違うかもしれません。 
怪しい映画は見たくないわ!と思われる方も、そういうシーンは飛ばしてみても、私は楽しめる映画だと思うのですが。
(あ、でも、子供さんと一緒とかはダメです。それと他の人と見る場合もヘンな誤解を呼びそうなので気をつけて。気まずいかもしれません。かといって、こっそり見ても怪しいしなあ。。。)

 画像は 天竺葵(ゼラニウム)羽衣錦の紅葉 春はどんな葉っぱか見たくなったら
 上のリンクから 隣の芝生の 葉もの のカテゴリをご覧くださいね。

ファッション 2002,11,18
やっと行ってきました。大王の七五三お宮参り。
大王は、従兄弟のお下がりのスリーピース(っていうのかな?スーツとベスト)。
でも、靴は歩きやすい方がよさそうなので、スニーカー。
名探偵コナン君のようで、親ばかのpon2としては 見ただけでニマニマしてしまいます。
 私は、会社に着ていくスーツを着て出かけましたが、コートとハンドバッグとアクセサリーは お宮参りを少し意識しました。
 pon1も家族と雰囲気をあわせて、カジュアルでちょっとだけ改まった感じの洋服にして準備完了。
すると、大王が待っていられない。私と大王が先に出て、几帳面なpon1が最後に家をでました。

出た後で、スポーツするときのジャンバーのようなのを着てpon1登場。。
「この方が動きやすいから。大王を連れての時はこちらが良いし、コートは重いし暑いから」とのこと。
そうなんです。pon1はこんな風に便利さ優先の人で、あまりファッションにこだわらないのです。

こんなときにかぎって、大王の名前を呼ぶ声が。保育園で大の仲良しの T君とおかあさんです。
おまけに私が花やの前で花に気をとられて立ち止まり、10m先に大王とPON1が歩いているときに。
 あわてておいかけて 挨拶。
「あそこのお母さん、じぶんのことばかりで、旦那さんが気の毒に。」なんて思われてないかなあなんて、余計なことを心配してしまいました。

■男の人のファッション

私はさりげないオシャレは好きなのですが、どうもこれ見よがしのファッションは好みません。
 たとえば、ルイ・ヴィトンの クラッチバッグを 小脇にかかえた様子の男の方などはどうも好きになれない。(もちろん、金の喜平ネックレスやブレスレットもヤダ!)
 また、デザイナー系でまとめまくった人たちなどは引いてしまいます。
 昔苦手だったおじさん系の人は、
四方義朗氏、
http://www.toc.co.jp/gains/2001fashion/coment.html 
 (あ、この写真では、白髪が混じって ちょっとマイルド化して 平気かも)

作曲家の三枝成彰氏
http://allabout.co.jp/entertainment/classicmusic/closeup/CU20020104/
 (似合わないと思う ミュグレーとかのSFチックな洋服を着てしまうところが、私には怖かった。この写真の青もかなり明るい青でううう〜むと。)

デザイナーの 「ドン小西」って言う人のファッションも苦手。
この人のデザインはどんななんだろう。
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?W-NIPS=9975831087

今はあれも嫌だな。ちょっと前のストライプきついネクタイのオジサンたち。
http://www.anan.co.jp/trad/docs/bg/ps39.html
こんな感じのレジメンタルタイをつけて、「ボクってオシャレでしょ?」って言う感じがプンプンのおじさんも苦手。

そういうのにこだわりすぎる人は苦手なので、PON1の考え方は「なるほど」と認めているのですが、やはり、こういうときには 私がちゃんとするべきなんですよね。(反省)

■質屋チャリティバーゲン

今朝のニュースでは 質屋のチャリティバーゲンだとかで、女性が集っているわ集っているわ。
 その人たちが、とてもブランド物とは程遠いファッションでヴィトンのバッグに群がって取り合いをしている様を放送していました。
すさまじいものがありました。
中に、若い人もいましたが、彼女達も、単に年が若いというだけですでにココロはオバサンとなっているように見えました。

 ヴィトンの鞄はそれなりの値段がするものと皆が知っているからこそ、自分を少しでもよく見せたい人がこうやって群がるのでしょうか。
 でも、人が知っているからこそ、洋服や靴やその他との落差が激しいと 余計にファッションのバランスが崩れてしまうようにも思えますし、また、ヴィトンのバッグは、モノグラム柄にしても他のものにしてもかなり個性が強いものが多いので、よほど気をつけないとそれこそ「ヴィトンが歩いてる」という状態になりそう。
素敵にヴィトンを持っていらっしゃるという人をあまり見かけたことがないようにも思います。

■オシャレ

オシャレっていうのは、もしかしたら人に誉めてもらおうと思うと失敗するものかも。
 大王はキャラクター物が好きです。 仮面ライダーの洋服を着ていると 「あ、仮面ライダーかっこいいね」と声をかけてもらえるからみたい。
 でも、そういうシャツを着ている子本人はぜんぜんかわいらしくみえません。
 (でも、大王が喜ぶならいいや。。と思って買ってしまうPON2ですが。。)
ヴィトンのバッグもそう。「あ、それヴィトンね。高かった?」と聞いて欲しくて、みてほしくて買ってしまう人というのも多そうな気もします。

誰でも値段がわかるから っていう「オシャレ」は野暮の骨頂。
 オシャレってもしかしたら 偉大なる自己満足であるべきなのかも。
隠し味程度に使われている色や、その色と相性の良い色をもってくるとトータルのバランスが取れるなど、ファッションを通して そういう「遊び」や「発見」を追求するところに面白さがあるみたいな。

香水もつけすぎると邪魔なように、いつもさりげなくてどんな洋服だったか覚えてないのだけど、でも心地よい人っていう雰囲気で、「値段」や「ブランド」が尺度でないオシャレを目指せればなあ。なんて思います。

あ、でも、今は 子育てが中心事なので、暇になったらね。。
(と髪をふりみだした 洋服の組み合わせもほとんど考えていない私の言い訳)

■誰かに見られてる
 公開当時に、おすぎとピー子が 「もう。すばらし〜ぃの」とうっとりとしゃべっていたのを思い出します。
 お金持ちの独身女性が命を狙われ、そのガードにつく警官が、妻帯者でありながらその女性に惹かれてしまうという映画ですが、なんとリドリースコットの監督作品。
 贅沢を知らずして贅沢を語るなかれ?じゃないけど、物を見る目を養うのであれば、高いものは見ないのではなくて、値段を取っ払ってモノを見る姿勢っていうか。
(買える、買えない、買う、買わないは別にして。。えへへ 汗

画像は オーロラ

大王迷言集 2002,11,15
子供のことって、面白い!とうけて覚えているつもりでも、いつのまにか忘れちゃってることが多いので、今日は肩の力を抜いて、大王の名言・暴言を書いておこうと思います。

■くちにあわない

茶碗蒸の中のエビをたべて 「これくちにあわない」

pon2:
「くちにあわない」は 受けた〜。日頃、冗談めかして 「大王のくちにあわないかも」
なんて言っていたかも。どんな高級嗜好かと思ってしまいますが、実は大王はエビ・カニ・ウニという贅沢な雰囲気をもつものはみんな嫌いなのだ。
 実は「カマボコ」や「仮面ライダーソーセージ」のほうが くちにあう のでした。ウムウム。

■ほいくえんのししゃもは、けばけばがついている

どうやら保育園ではシシャモはフライになっている様子。
けばけばは衣かな?

■しちごさんのおいわい、なにがよいか、さんたさんにいってなかった。

サンタさんは クリスマスしかプレゼントくれないんだよ。っていうと
な〜んだあとがっかりしてた。

■ぱぱないて。ぱぱをなげとばす

どうやらパパはライバルの様子。

■でんちぎれ

元気がなくなったときに「でんちぎれ」になって抱っこしてもらう。
どうやら大王は電池でうごいているらしい。
ときどきほっぺをくっつけて 「じゅうでん」してくれる。

■わらいごとじゃないよ

これはpon1とpon2に。。シチュエーションが面白くてうけてしまう。

====================
▲×ねえ。○○してってさっきからいってるんだけど。

これは悪い見本。 どこかから覚えてきたので、こういう言い方をすると叱られるのだ〜。

▲×これ、つくってあげたんだけど、なんで遊ばないの?

これも悪い見本。 これもどこかから来た言葉。 チェックされるのだ〜。

▲それと 「クレヨンしんちゃん」みたいな言葉
これは、そういう年なんだろうと軽く注意される程度かな。。
====================
でも、大抵は「ダメダヨ」というと治ってきているので来年の今ごろには
こういうことを言っていたことも忘れているかもね。

■バクダッドカフェ

随分昔になったけど、話題になった映画。
不思議な映画で、なんだか好きだったという印象があるんだけど、詳細は覚えていない。
今でいう「なごみ系」とか「いやし系」映画なのかも。

 もう一度みてみたい。
筋は 砂漠の中にある バクダットカフェという お店でのできごとだったと思うのだけど。

画像は、大王の絵(絵をやっと書くようになりました。)

あちらとこちら 2002,11,14
「あちらをたてれば、こちらがたたず」なんて言葉があるが、まさに今私はその状況。
といっても人の話ではなくて、健康の話なのです。

 事務所移転してから、医者が変わり、出していただく薬が変わったのですが、どうも調子が悪いんです。
 飲むと鼻水などは止まるのですが、かぶれがひどくなっちゃう。
飲まないと、夜咳に悩まされるので困るし、飲むと顔がかぶれて困る。

ちょっとネットで検索してみたのですが、書いてある効果だけをみると双方の薬ともどちらもおなじような気がします。
難しいものですね。

■対症療法

ちょっと探し物をしているときにこのキャッシュをみつけました。
数ヶ月先には消えてしまうのでしょうか。もったいないなあ。

http://www.google.co.jp/search?q=cache:hu4gNQAceqcC:www5b.biglobe.ne.jp/~kainow-j/jp/what

 なが〜い文なので飛ばし読みしかできていませんが。

5.私の中での医療の変化
 で述べられているように、いろいろなストレスが発する身体症状を薬だけで治すことの危険というのは少し感じるように思いました。
 
 通常は「休みたい、気分転換したい」なんて思っても、普通の会社員はそれを押して
とりあえず会社へ行きます。
 そうこうしているうちに、自分でも意識しないうちにそのストレス原因を克服できたりということもあるでしょう。

 実は 私もここのところ、実はとても<しんどかった>のです。
多少、家でゆっくりさせてもらっても全然なおりません。
私の頭の中では
「ああ、一ヶ月くらい会社をやすんでゆっくりしたい」こればかりが繰り返しまわりつづけてました。
体もだるくてなにもやる気が起きない。 

きっかけは疲れと風邪だったと思います。
一人で生活していた頃は、健康だけがとりえだと思っていたのに。。
なんて思い起こしたりしました。

 そんな私の今の症状は、ちょっと喘息気味。気管支が少しだけゼロゼロ言って、透明なタンが咳になって出ます。(<=炎症を伴うタンは不透明なものなのですが、アレルギー性の場合は鼻水と同じく透明なものが出ることが多いです)
 そうして、顔がかぶれる。。。

というところで、アレルギーの薬を飲んだのですが、冒頭にも書いたように調子がいまひとつ。

■気分と症状

ところが、昨日、友達のページで思ったことをそのまま話したら 体のだるさは消えてなんとなくまたがんばろうという気持ちが湧いてきました。

 私は、働く意味というか意義というかを見失っていました。
仕事も一段落ついて、私が当初やりたかったことはほぼ完了しました。
 新たな大きな仕事の目標は今は見つけていません。
だから、大好きだったはずの仕事がつまらなくて毎日会社に行くことが辛かったのだと思います。
家族のことをもっとやりたい、家のことをきちんとしたいと次にやりたいことが出てきたのに
それをやる時間がない。ぜんぜんない。だからあんなふうになっていたのかも。
(不思議なことに仕事が忙しいときほど、家事もパキパキこなそうという元気がわくのです)

家族の支えももちろん日常的に救われているところなのですが、家族のねぎらいもどうしようもないときもあるように思います。(家族は自分の延長だからかもしれない)
 そんなときに、友達の存在は嬉しかった。

そうしているうちに、元気がでてきました。
症状を薬にばかり頼ってもたぶん、上のURLのキャッシュにかかれているように次の症状がでていたかもしれません。
 (気づかせてくれてありがとう。。元気でてきました。)

井上冬彦 氏 (写真家・医師)のページはこちらのようです。
横浜にいらっしゃるのですね。
http://www.2ndfactory.com/fuyuhiko-inoue/

※消えてしまうともったいないなあとつぶやいてたら、友達がみつけてくれました。
http://www5b.biglobe.ne.jp/~chyondow/kainow/jp/what_we_did/medical/Dr_Inoue/breeze_in_savanna.htm

ありがとう!


■今日は、本と映画の話はお休み。

画像は大王のガイコツ(踊ってるみたい)

忙しかった 2002,11,13
今朝はちょっと忙しかった。
昨夜、大王は食べ過ぎからか、「おなかがいたい」と言い出したので、お風呂にいれずにそのまま寝たから、朝から軽くお風呂にいれたりなんだりしていたら、時間がたりなくなってしまった。
 会社にきてみると、今日は避難訓練。昼休みもちょっと予定が入っている。
という状態で、いろいろ忙しい。

■音漏れ

通勤電車といういつもきまった時間の電車に乗っていると、私のように人の顔を覚えるのが苦手な人間でも、「あ、このひとは。。」と覚えてしまう人がいる。

 たとえば、早く降りる人、反対に終点まで乗る人。そうして、なにか不都合があった人。

今日のりこんでふと隣に立っている人をみたら「あ、この人は。。」と思った。
以前たまたま隣にすわったことのあるひとだ。
 この人は、イヤホンで音楽を聞いているのだが、音漏れがはげしくて、長く隣に座っていたらそちらの耳の方だけ頭痛がしはじめたという経験をした人だった。
 最近音漏れしている人はあまりいないし、今まで音漏れでそこまでの被害をうけたことはなかったのだが、彼の場合は、たぶん浜崎あゆみや、グローブなどの高音で歌いつづける女性ボーカルの歌を聞いていて、シンバルなどの高音打楽器の音がシャカシャカとなりつづけているので、かなり鼓膜に厳しいのだった。
 イヤホンというのは、指向性が強いようで、私も隣に座って耳の位置がほぼ同じになるまでそんなにひどい音漏れをしているとは気づかなかったのだ。
 私は、そのときは、かなり辛くなったので途中で席を立ったが、後から乗った人も何度もその人の方を向いていたから、「ああ、私だけではないな」と内心思ったことがあった。

■対抗

 私は、被害を被らないように、次の駅でその人と離れ、背中の方向に変わった。
さて、運良く私の前の席があいて、私が座ったときに、その人とその隣に立っていた女性が隣同士で座った。
 座った途端に女性(アタッシェケースを持っていてパンツスーツ姿の30台から40台くらいの女性だった。たぶんバリバリ働いている人だろう)はじろじろとその男性の方を何度も見る。
「ああ、音漏れしているんだな。やっぱり皆不快なんだな」と思い、気になってしまった。
 何度見ても、その男性は目をつぶったままどっしりと腕組みをして座っていて、気づかない。

するとどうだろう、女性は、突然自分がもっていた アタッシェケースをごそごそと引っ掻き回して携帯電話を取り出した。そうして、ボリューム一杯ではないか?と思うほどの携帯の音を鳴らし始めたのであった。

 驚いた。 

向かいに座っている私には、男性の音漏れは聞こえない。電車の中には 非常識とも思える女性の使う携帯電話の各種音楽などが鳴り響く。。
「対抗してどうする。。。あなたも迷惑人間になっちゃうよぉ」と心の中で突っ込みをいれたが
もちろん、声には出せなかった。音がなるたびに、だれかがキョロキョロと音源を捜す。
隣の人の音がうるさいことで、自分の音量をさげられるような人だったら ここまで音漏れさせないだろうと私は思った。(音量での対抗は無駄だと思った)

 結局、女性が先に降りた。

■パーソナルスペース

音漏れにしても何にしても、あれだけ込み合った車内で過ごすということがなければ不快に思うことはないのだろう。
 人が手を広げた範囲くらいを目安にパーソナルスペースというらしい。
相手や個人により多少その範囲が変わる。
その範囲に他人が入ってくることで、緊張が生まれるという。
 通勤電車のように異常に込み合った空間だからこそ生まれる緊張の例だったのだろう。

http://www.athome.co.jp/academy/psychology/psy02.html
「現代の縄張り パーソナルスペース」 渋谷 昌三氏

読んでないが、
渋谷昌三氏の著書に 『人と人との快適距離――パーソナル・スペースとは何か』
 NHKブックス  これも読んでみたい。

そうしてみつけたページ
http://www.crn.or.jp/LIBRARY/BOOK/9906_1.HTM
ここに紹介してある 「人とつき合う法」 人付き合いはまあ普通の範囲でできていると思っていたので、いままでこの手の本を読もうとはおもっていなかったけれど、ここの評では読んでみてもおもしろいかも。
なんておもった。

読んだらまたご報告しますね。

画像は開いたデンティベス

好きな人嫌いな人 2002,11,12
 ここに強そうなことや、偉そうなことを書いているので、さぞかし私は豪傑なのだろうと思っていらっしゃる方もあるだろうと思うのだが、実際は、こけおどしで、やはり揺れ動く心の持ち主なのである。
 「皆に好かれようとは思わない」なんて書いはいるが、人から憎まれたり、嫌われたりということを心底好きな人がいるだろうか?

夜、駅のホームで、だれかれかまわず、どなりつけて小言を言っているおじさんがいたりする。
大抵は酔っ払っている。
人は皆彼をさけて通る。面倒に巻き込まれたくないからだ。

でも、彼は人に嫌われたり憎まれたりしたいからそうしているのだろうか?と考えると、多分違うと思う。きっと、いつも人に相手にしてもらえない、人に聞いて欲しい、人に認めて欲しいという欲求が充足されていないからこそ、酔った勢いで極端な行動に出てしまっているのではないだろうか。

 羊は群れている状態が安心するらしい。一匹だと肉食動物に太刀打ちできないことを本能で察しているのだろうか。
 人間も、多少道具を使ったとしても、微力な生き物だ。基本的に人間も他の人間と関わらないと生きていけない動物ではないかと思う。

■自分の気持ち

私の中にもやはり「人から嫌われたい」という気持ちはない。好かれるに越したことはない。
また、「人と仲良くしたい」という気持ちがある。「人と喧嘩したい」とは思っていない。
そういう自分の意志と反対の方向へどうしても行ってしまうとき、つまり、人のことを、嫌いなのではないかと思ったり、人から嫌われてしまったのではないか?という状況に陥ったときは、やはりストレスであるし、心が揺れ動くときである。

そんなとき、「私が嫌いな人は嫌いなんだ〜ぁ!」とさっぱりとけじめがつけられればどんなに楽だろう。
でも自分の心の中では 「この人は、こんなよいところがある。あの人とは仲良く付き合っているのに私だけが付き合えないなんて。」と数え上げて、その人を嫌いになってしまう自分が悪いのではないか?と自分が辛くなることもある。

■見合い

 話は少しそれる。
私は、見合いをしたことがある。その相手について、家族から尋ねられたときのこと。
その人の職業や家族状況は、見合いであるからわかっており、相手についても一度や二度会っただけではものの考え方もよくわからない。(そんな突っ込んだ話もしないし)
 性格はよさそうな人であるし、とりたてて「何が問題」というほどの大きな不満は無かったのだが、今ひとつ結婚するという決断ができなかった。
 そこで、思っていることを家族にそのまま伝えた。
詳細は忘れたが、こんなことをするんだよ。これが嫌だと思う。という感じだった。

 それを聞いた妹の一人と母は私をたしなめた。
「お姉ちゃんは自分を何様だと思っているの?」とか「そんなくだらないことで断るなんて」と。
それを聞いて、私が気にしているのはたしかに些細なことだと私も思った。
その些細なことでいまひとつだと思う私はほんとうに傲慢な人間なのだろうか。
やはりその程度のことだったら結婚するべきなのだろうか?と真剣に思った。
もう一人の妹が言った。
「いや。お姉ちゃんは、そんな些細なことさえも嫌なくらいその人のことが嫌なんだよ。」と。
 そういってもらえて、私はほっとした。「そうだったんだ。その人を嫌いになる理由はみつからないけど、その人とあわないんだなあ。」
 人と人とのバランスってそういう、理性では説明できないものもあるような気がする。

■嫌われる・受け入れてもらえない

嫌われているかもと思うときに、自分に言い聞かせていることがある。
有名な「キリスト」や「シャカ」だって嫌いだという人たちから迫害されていたじゃないか。
左の頬を打たれたら、右の頬を差し出しても、石を投げ、十字架にかけた人たちがいる。
私はこれといった宗教は信じていないけれど、シャカやキリストよりも、ずっとずっと俗人だし、自分勝手な普通の人間だから、私のことを嫌う人がいても当然だと思う。
そう、自分に言い聞かせている。

 たとえ、地球は回っているという真実を天才が説いても、社会全体がそれを受け入れてくれない場合もある。真実だから受け入れられるわけでもない。
私の考えが受け入れてもらえないことがあってもそれは当然なのだろう。とも 言い聞かせている。

 そう思うと、嫌われる・受け入れてもらえないということは、社会に当然にあり、なくなることのないもののように思う。

■嫌い

では、自分は総ての人を好きになれるか?
私はNOだとおもう。 やはり会うと必ず嫌な思いをする人は好きになれない。
あらためて考えてみると当然だとも思う。
 ストレスを受けたり、危害を受けるものを本能的にさけることは、生き物として健康に生き長らえるための当然の本能だとおもう。
だから、嫌いでも良い。そう思う自分の気持ちをどんどん助長させる必要はないが、そのまま受け止めることも必要だと思う。
 「そんな些細なことまで嫌いなくらいその人のことが嫌なんだよ」と言ってくれた妹の言葉は私にとって救いだった。
 人のことが嫌いだと思う自分こそが悪いと思っていた自分の心を素直にみとめるとす〜っと胸のつかえがおりたようなきがする。

 今嫌いなのをそのまま認めればよい。数年先、もしかして、自分も相手も変わっているかもしれないそのときに見直すだけの準備があればいいじゃないか。なんて今は思っている。
いや、思おうとしている。

■クッキング・ママの捜査網

前回、それほど誉めてないのに、どうしてまたすぐに次の巻を読むのだろうと思われる方もいらっしゃるかも。
実は通販で6巻すべて購入しているのでした。
 話は前の巻と同じように赤川次郎といった感じの軽いテンポの本ですが、彼女の周りにはどうしてこんなに異常なひとばかりなんだろう。
(それは、推理小説だから?)
今回は、最後まで犯人がわからなかったし、トリックもわからなかった。

でも、今回の本の何よりオススメは読んだ後のあとがきです。 
訳者の加藤洋子さんのテンポの良いあとがきがこの本の魅力をなにより伝えていると思います。
日頃元気印だけど、ちょっとブルー入ってきている人も、あとがきだったら 立ち読みできそう。
クッキング・ママシリーズは沢山出ているので、間違えずに「捜査網」のあとがきを読んでくださいね。
 私と同じくらいの年代の人に特にあとがきがオススメです。(<=ヘンなすすめかた)

画像は バンクーバーセンテニアル 紅葉してきました。

余裕 2002,11,11
昨日の山咲さんの話につながってしまうが、私の彼女に対する印象は以前はあまり良い物ではなかった。
バブルの頃の彼女の言動を見ていると「うううう〜。あなた。。何者?」(ヘンな人!)という言動も多くて「ついていけないなあ」なんて思ったことがあるのもたしか。

 今でも覚えているのは、サンローランの化粧品は表面が鏡のように映りこむのでそれで、後ろにいる男の子をチェックしたりするとかなんとかのたまったこと。
妙にテレビに向かってシナつくったり表情をつくったりするのも こりゃ、私とは合わないなあと思っていた。(スタイルが良いのはとてもうらやましいけど。:美人は美人だと思うのですが、
私の好みとは微妙に違うので。。)
今考えると、彼女が皆から評価してもらったのが、スタイルと美貌だったわけで、そうなるのもあたりまえだったのかもしれませんね。
 反対にスタイルや美貌だけしか評価されなかったら、葛藤もあったかもしれない。

さて、その彼女の昨日書いたような言葉を聞いて、実はpon1も少し見直したと言っていたのですが、私もホントのところは少し見直したのでした。

たとえば、彼女にしてみれば、美貌やスタイルが評価されてナンボの世界に生きているわけですから、それを評価されるということは嬉しいことでもあるし、ずっと評価されつづけることはやはりそれなりに努力も必要だし、どんなに努力しても及ばないことでちいさな落胆を味わうこともありそう。

 そう考えると、私のように髪なんかも、出がけにチョチョイと手でなでつけてでかけてしまったりできる(そういうことに評価を期待されないししていない)気楽な生活というのはある意味そういう人からは、うらやましいことなのかもしれないとおもいました。
 他人からの評価というのは難しいもので、自分がいくらがんばってもうまくできたと思っても評価されないこともあります。他人の目から評価されることが日常だという人がココロのやすらぎを自己満足=自分の評価 に求めるというのは 納得いくことだと思います。

 彼女はその他にもこのページに 「女の人はおなかにすこし脂肪がついてたほうが最近良いと思うようになってきた」などとも書いてあったので、ん?以前のあの傍若無人ぶりから随分と面白い人になったのかも?と少し興味がわいたところです。

 ヘンな人は個性的だからこそ。その個性的な部分を飾らない正直な語りで聞くとものすごく参考になることも多いと思っているのですが、いままでぜ〜んぜん興味なかった彼女の本も読んでみたいとおもうようになりました。

 最初に読んでみたいのは 「贅沢な悩み」もうひとつは「22枚の女の切り札」。
表紙がね〜。ちょっと官能的すぎて、買いにくい気もしますが。。。

■さて本題

で、なんで余裕なの?と思われるでしょうが、日々私の生活は反省とともにこの言葉に尽きるような気がするのです。
 ハングリーな人はそれが魅力になることもあるでしょうし、それ故に嫌われることもありそう。

 今の私はなににしても余裕がほしいなあと思っているのです。
そういう私からすると、山咲さんの本を読んでいない今そう語るのはまだ早い気もするのですが、
冒頭で書いた山咲さんの言動はイケイケ(<=死語かな?)の頃の言葉。今はある種の余裕が漂っているように思えます。その余裕が快いのかも。

 この週末、pon家では、pon1,2大王ともに風邪気味な状況でした。 大王が風邪気味となると日頃はとても気性の良い子(<=と祖母の評価)なのですが、彼なりに機嫌がわるくなります。
 つまり大王は大王なりに余裕がなくなってしまうのです。
でも、pon1,2のどちらかが元気なら そこで なくなった大王の余裕をどちらかの余裕分でうめることができます。しかし、昨日はさすがに、pon2はぜーこぜーこいっていて なかなか大王の元気(病気でも元気で外遊びをご所望なのです)についていけない。そうして元気がないのを押して
つきあってやったpon1も風邪気味で少し余裕が足りない。 
 そんな状況でした。
 結果、大王がお昼ねをして、私も続いて昼ねしてどうにかこうにか過ぎ去った休みだったのですが。

 そういうとき、園芸って進まない。たとえば、椅子に座っている時間があったとしても
「よっしゃ!んでは球根でも植えるかね。」という気力がわかないんですよ。

聞いた話ですと、極限の状態になったときに、最後まで元気なのは消化器だと聞いたことがあります。(<=ちょっと信憑性に自信なし)生きるのに必要ないところから切り捨てられていくとか。
 私にとって園芸はまさに 余裕の部分でなりたっているものなので、たとえば熱だしたり病気のときはたとえ立って歩けたとしてもそこまで手がまわりません。
 つまり、やっぱり余裕が欲しい。何をしようか手持ち無沙汰で困っちゃう状態になってみたい。。
といつもの無いものねだりをしています。

■過労死

ニュースでは過労死が増えているとか。
以前は頻繁にメールがあった園芸のメーリングリストもメールが大変減ってしまいました。
個人のホームページの充実。台頭というのも原因のひとつかもしれませんが、それだけでもなさそう。
 どうやら、みなさんお忙しいようなのです。そうなってくると、園芸まで手が回らないという言葉も時々聞こえてきます。
 たしかに、給料は増えずに仕事が増えたという噂も聞こえてきます。
はやく 余裕のある世の中に戻って欲しいと思う今日この頃。

 余裕があるうちは、日頃の余力で多少のことはカバーできるのですが、いっぱいいっぱいでやっている時は、それ以上ふんばれないこともあると思う。
 こんなときだからこそ、無理しないで、余裕を意識したうえでがんばりすぎないように、頑張りたいです。

■おまけ
http://www.zakzak.co.jp/we/people/people020406.html
こんなところみつけました。 このインタビューを見る限り、すごく普通の感覚を持った人みたい。ふたたび見直し路線。

画像はデンティベス

家事 2002,11,10
めずらしいことに、土日ともにロバミミに書いている。

山咲千里。ばらしてしまうと、pon1は彼女が嫌いらしい。
私は「変なヒトだなあ」と思っていたし、好きということはないが、そんなに嫌いというほどでもない。

その彼女が Pjという通販カタログのインタビューに答えていた。
写真からして「???」という感じの いぶし銀という色(アッシュというんでしたっけ)のたぶんウイッグとカラーコンタクト(だとおもう) で、相変わらず「ああ、わっけわからない」という写真だった。

が、対談を読んでみてびっくり。彼女、結婚していたんですね。(知らなかった)

そうして、おや?とびっくりした。

「家事って科学だし、編集能力だし、誰も評価してくれないからおもしろい。」

うむ〜。私と究極に反対の考えだ。

■家事はおもしろい。おもしろくない。

以前書いたが、私は仕事が好きだ。子供を生むときに産休を取ったが、嬉しかったのは数日だけ。後は あまりにも自己満足な生活にあきあきした人間だ。

 仕事は面白い。自分が決めたこと自分が考えたことをどんどんと形にしていく楽しさがある。乗っているときには、時間のたつのが早いこと。
 仕事が出来上がったときの達成感は子供のころになにかイベントひとつをやりとげた楽しさと似ている。
 こうすれば、ああすれば、などと考え、その通りにことが運んだときの嬉しさは家事の比ではない。

と思っていたのだ。

しかし、彼女。「評価してもらえないから面白い」ですって。

この言葉を聴いて、pon1は 「少し彼女を見直した」とのこと。

続く言葉で「評価されることばかりやるじゃない?仕事していると。もちろんそれが社会的に意味があることなんだけど、個人に戻ってまで誰かにほめられようなんて思ったら、苦しくて大変!私は家事に「無」になることを求めているのね」 と。(同じくPj vol 43)

ここまで読んでわかった。やっぱりそうだよね。
彼女は家事はメインディッシュでないから。評価は、仕事でもらっているから別のことがしたいわけではないかな。つまりデザート。

今私が、ただの主婦になりたいと思っているのと似ているかも。
でも、たぶん、私は仕事をやめると、あの苦しいけれど充実感をたやすく得ることのできる「仕事」が懐かしくなるんだろうな。
 それがあることも仕事がやめられない 大きな理由なのだ。

画像は熊童子

プリンセス・チュチュ 2002,11,9
めずらしく朝もはよから、ロバミミを書いています。
風邪はどうにか峠をこえたようです。
 そういえば、私が引いた風邪は ウイルス性のものかどうかなどというのはわからないのだが、ウイルスは、小さな遺伝子組み換えというか変異があるので、特効薬というものができないと聞いたことがあります。
 たしかに、ここ数年、風邪を欠かさずひいてみたところ、昨年の風邪と今年の風邪はなんだか傾向が似ているぞ。。というのがありそう。

 でも、こうやってどんどん変化して、キツイ風邪がはやっているわけだから、
本当にタイムマシンかなにかがあって、室町時代とか 昔の人が突然現代の日本にやってきたら、死んじゃうくらいの大変な病気なんじゃないかな。
 少しずつウイルスの変化と一緒に抗体を作っている私たちにはたいしたことなくても。

なんて、ふと途方もないことを考えました。

■プリンセス・チュチュ
 突然マンガの話ですが、これにはまっています。
http://www.imagica.com/shop/tutu/
8月くらいから ケーブルテレビや 地方局でやっていたらしいのです。
昨日卵の章というのの最終回だったよう。 この後も 雛の章というのをやるみたい。

 はまっていると言っているわりには、プリンセスチュチュが助けようとしている王子はチュチュの弟だと思っていたし、昨日の昨日まで ファキアとチュチュがカップルになって、ミュウト(王子)と黒鳥が カップルだ!と おおきな間違いをしていたわけですが。(つまり筋が追えていない)

ナレーションが岸田今日子なのが、おどろおどろしくて良いでしょ〜ぅ。

魅力のひとつは中で流れている音楽。
毎回懐かしい音楽が流れます。
昨日は たしか、白鳥の湖、曲名忘れ。とりあえずワーグナー(<=CDひっくりかえしてしらべました。タンホイザーだった。)などが流れました。
(いいといいながら、なんといい加減に聞いてることか。。。ごめんなさい。)

でも、いいですよ〜ぉ。昨日などは、DVD出たら買うっつ!といきまいていました。

■音楽といえば

音楽も印象的な劇を見たことを思い出しました。
天主物語 朝倉摂さんの舞台装置でした。あのときは、大きな赤い組みひもが天井から下げられた、ダイナミックな装置で、男性的で現代的な様子であったので、まさか女性だったなんて。そうして、年齢も想像がつきませんでした。

そのオープニングが、ラベルの亡き王女のためのパヴァーヌ。細々として、少し悲しくて、でも、一本線が通って透き通った先の一点をみつめているような、美しい旋律がぴったりあっていて、一気に劇の世界にはいりこんでしまいました。

それ以降も、天主物語はみたことがあるのですが、あれほど心に残ったものはありません。

■記憶

今日、上のプリンセスチュチュの再放送があったようで、しっかりもう一度みました。
よく見るとたいした筋ではないのです。ありきたりといえばありきたり。
 でも、ここまではまってしまうのは音楽の力がはたらいているようにおもいました。

ソムリエという職業も不思議な職業だと思うのです。味を言葉にいかにあらわすか。
味を記憶するかという職業のように思えます。

音にしても、色にしても、香りにしても、言葉や数字を覚えるのとは違う脳細胞がはたらいて、同じ音、同じ色、同じ香りを覚えているのですよね。それは言葉でいいあらわしたとしてもそれはその人の表現であってそのものではない。でもそれを覚えている。
そういう記憶って面白いなあと思います。

数年前に妹と歩いていて、共通の花の香りの記憶をたどった覚えがあります。
そんな風に。

画像はフレンチレース

うまい対応 2002,11,8
風邪で調子が悪い。頭がポワポワして、足もだるい。
昔は、風邪もさほどひかなかったし、年次も足りていたのだが、最近は子供の病気で休んだりするので、自分の病気のときにも休むのは少し気が引けるのと、子供が次から次にもらってくる風邪を私がもらうので、総て休むわけにはいかない。
 今日は、どうしようかな?とは思ったのだが、金曜だからとにかく一日だけ我慢すれば明日は休みだと出勤した。
大人だけのときは、自分が病気のときは 家事はしなくてもよかったのだが、子供がいるとなるとそうもいかない。
 思う存分、休みたいなあ〜と 病気になると思う。

そういえば、今朝見た占いは ふたご座最悪だったな。全部×がついていた。がっくし。
明日は8時半から 係りの打合せでまた保育園にいかなければならない。
風邪だったら行きたくないのだが。。。そういうわけにはいかないのかな。。。
熱が出たら、明日はパスしよう。

■電波少年
鳩山氏が、大学で講演後の質疑時間に 「電波少年」という番組から「鳩山さんに捧げる歌がある。聞いて欲しい」と 「人気がない」とかなんとかいう歌を合唱して聞かせたそうである。
大学側と鳩山氏は 放送差し止めを要求したそうだ。

ニュースで流れた鳩山氏のコメントは、詳細を失念してしまったが「傷つくようなことを..」うんぬん。と聞いた。これも一部分だけ報道されていたので、報道だけがすべてだと思うのは危険だが。

ふと、高校のときを思い出した。
高校3年のとき、同じクラスの男子生徒が生徒会長に立候補した。
勉強もよくでき、信頼も厚いひとだったし、立派な立候補演説を行っていた。
 質疑応答に入ったときに、詳細は忘れたが、重箱の隅をつつくような質問が上がった。
「○○さんはこれについて〜おっしゃっているが、自分は▲▲だと思う」というような問いかけであった。
 演説を聞いていた皆は、たぶん、どうなるかと一瞬固唾をのんだと思う。

ところが、これについては、立候補者のほうが役者が一枚上手だった。
質問者の言葉に逆らわず、「なるほど。私は今回▲▲ということは考慮していなかった。がアドバイスまことにありがとう。当選した暁には、あなたの言葉をおおいに参考にさせていただきたいと思う」
と答えたのであった。会場は沸いた。 質問者はその後が続かなかった。

■完璧である必要はない。
 
 精神的にまだまだ子供だった私にとって、その出来事はカルチャーショックだった。
 議論で、考えてなかったことを突かれたら当然「負け」だとばかり思っていた頃だった。
  彼はその演説の効果かどうか、圧勝した。 「やるなあ!」と思った。

 今思うに、だれも立候補者には完璧は期待していないのだと思う。
 完璧な人などいない。幻想である。
 とっさに最善を尽くせる人材。そういう人こそ望まれているのは政治も生徒会も同じであろう。

  鳩山氏も「傷ついた」というようなコメントではなく、うまく受け流せなかったのか。
 報道では、学校と、民主党から、まじめに講演を聞きに来ている人たちに失礼であるという抗議がなされ、日本テレビ側も抗議を受け入れて放送中止にしたとのこと。

 みんなが「う〜ん」とうなるような対応ができれば、ここで彼の株は一気に上がったと思われるだけに機会損失だったなと思った。

■ マックス・ヘッドルーム

 イギリスで放映されたものが、日本でもビデオ発売されたものを昔レンタルで見ました。
 テレビ放送版なので、映像自体はNHKのドラマのような雰囲気なのですが、なぜか印象深い番組です。
 かえって、このつくりの甘さ=チープさが、この扱っているテーマとうまくあっているように思いました。
 そうして、この途方もない設定は意外に真実をついていそうな気がします。

 MAX HEADROOM は トンネルの入り口などに書いてある高さ制限の意味で、コンピュータ上に再生された人物の名前でもあります。
 20分後の未来という設定ですが、今よりもずっと未来の話です。
 この世界では、テレビに映し出される内容と視聴者のデータが双方向にやりとりされ、放映と同時に支持率などの推移が映し出されます。
  (今でこそ、テレビでも FAXや お電話受け付けという手段で 棒グラフを出したり していますが、それも、もしかすると この番組から発想したものかもしれませんね)

 画像を操作して真実をねじまげて放映して、人の心を操作したりもしてしまいます。
 
  ネットで調べてみたら、今年の3月頃に日テレ系で再放送があったらしい。。。
 ああ。。見逃した。。とても残念。 いまとなっては ビデオを置いてあるレンタルビデオ屋も少ないと思う。。

  とても面白いので、レンタルビデオ屋でみつけたら ぜひ借りてみてください。
 (実は、私が当時通っていたレンタルビデオ屋にも途中までしか巻がおいてなくて全部の話は
  見てないのです。)

画像はキウイニウム

着物をめぐる物語 2002,11,7
今日はちょっと時間がなくて、とりあえず本の話のみ。

先日読んでいると書いた林真理子の本を読み終わった。
全部で11話の短編で構成されている。
一人称、独白で語られている。すべて主役は違う人だ。
着物について、私は知識がないのであるが、取材の苦労はいかほどかとと思うほど、詳細に語られている。着物に詳しい方にこの評を聞いてみたい。
それはおいておいたとしても、うまくできている。
 本の主人公は語り手であると同時に、やはりこの本全体としては 着物が主役なのだ。
全体を通してさらっと読める。そうして、さぞ、書いている本人もおもしろかったろうと思えるような本であった。

画像は 羽衣錦

枠にはまる 2002,11,6
アマデウスは、大王が遊びつかれて寝ていたときにPON1と パソコンで遊びながら ワインのみながらという「ながら見」したわけですが、丁度お酒のほろ酔いも手伝っていろいろとたわごとを話しました。
もともと、趣味程度に音楽を聞く、さほど知識があるわけでないPON1 PON2が ワインをのみながらの酒飲み話ですから、この話も適当に聞き流していただけると助かります。
(たぶん、間違っていることも沢山言っていることでしょう。酔っ払いのたわごとです。)  

■モーツアルトから
 たしかに、それぞれの時代に作曲家がいて、愛されているわけですが、楽器が今の形となって定着し、西洋音階が定着し、そうして オーケストラという演奏形態が定着したあたりから、〜派という区分や作曲家の個性はあるにしても、音楽の発達と言う面ではある意味止まっているのではないかという話をしました。

 もちろん、現代音楽(≒近代音楽:自分の中で区別ついてません)も少しは聞く機会もあったのですが、私が聞いた類の音楽は、不協和音などが多用され、不快になることも多かったので、好まないものが多かったのです。
 ラヴェル、ショスタコ−ヴィッチ などを近代音楽と呼ぶのであれば、大好きで、彼等も天才であったのでしょうが、やはり脈々と続く 同じ音楽の延長線でありそうな気もします。

 まずは、音階をつくり、和音を作り出し、拍子を区切ることで、音楽は安定感をもち、人間の安定や安らぎを求める気持ちにより沿った音楽をつくる術を簡単に他の人に伝えることができるように思います。
 
 しかし、これでは限界がある。。。それで、より新しいものを求める人達は転調させたり、拍子を途中から変化させたり、不協和音を使ったりといろいろな試みをし始めたのでしょうか。
 しかし、西洋音階、西洋音楽の中でのその試みは 下手をすると非常に安定度を欠くものになりがちで、聞いていて心地よくないものも多いように思います。

■つまらない音

つまらない音楽というものがあります。
不思議なことに音楽性というのは完璧でないものにも宿ることはみなさんよくご存知だと思います。
実際に譜面に書かれた音というのは、今では数値的に完璧に機械が演奏することができます。
しかし、それには感動が伴わない。温かみがないのです。
 なぜなんでしょう。

もちろん、下手すぎる演奏も聞きづらいです。
以前、一般の評価はあまり高くないが、ある曲を弾かせたら、この人をおいて他はないという人の演奏を聞いたことがあります。
 たしかに、定評のある曲は大変うまかった。
しかし、他の曲は、ハラハラしてとても鑑賞どころではありませんでした。

同じ音をだしていても、感動を呼ぶ音というのはどこか一律ではなく数字ではわりきれないものがあるのだろうかとおもいました。
 以前は「ゆらぎ」という言葉で表現されていたでしょうか。

■ゆらぎ

人間として物を見るときに、ある程度の整然とした秩序を望む傾向はあるのですが、それが整いすぎると単調に感じるように思います。
 たとえば、音楽を離れて切子細工など。機械で切子を作れば力加減も幅も同じようにできあがりますがそれには温かみがない。
 やはり、職人さんが作った細工は整っている中に心地よい微妙な違いがもりこまれ、その中で生まれる統一感が心地よく感じるものなのではないかと思ったりもしました。

■枠にはまる

私には絶対音感はないのですが、それでも 音楽を鑑賞する場合に音が外れていると苦痛に感じることもあります。
 子供の歌などはそれとして聞いているのでOKですし、自分の鼻歌などはかなり外れまくっているのを知りながらですが、「コンサート」という場では苦しく感じることも多い。
こんな私でも苦しいのだから、さぞかし絶対音感を持った人は苦しいだろうと思います。

 先日、テレビで、琵琶に感動して、人間国宝の琵琶師に師事している外国人の方の紹介を見ました。
彼のことを、お師匠さんはかなりほめていらしたのですが、演奏を聞くと微妙に違うのです。
 お師匠さんの演奏はたしかにうまい。まるで重厚で複雑な織り模様の織物を目の前に広げられたような感動があります。お弟子さんの音は薄っぺらく感じたのです。
なぜなんだろう。。と思ったときに お弟子さんは西洋音楽を学んでその後琵琶を学んだからではないかと思いました。
 音楽で習った「こきりこ節」は実際はまったく節が違うとか。
東洋の音楽を西洋の楽譜であらわそうとしたときに 表せない音を知らずに修正して譜面にのせているということもありそうです。 
 たとえば、日本語を習得してしまったひとの英語の発音がどうしても 日本語風になるかのように。
 枠にはめるということは、沢山の人がそれを理解しやすくします。しかし、枠にはまってしまうということは、その枠以外の区分をみとめられなくなるというデメリットがありそうだと思いました。
 なににせよ、創造する場合はいかにその枠から抜けるかというのが課題なのでしょう。

現代音楽が不快な方向に走り勝ちな理由としては、西洋音階や楽譜で新しい心地よさをあらわすことの限界があるからではないか?などと思いました。
 楽譜・音階で表しきれない音のかさなり。そういう枠にはまらないものもありそうにも思います。

■シャイン

以前8月にも紹介しましたが、園丁には書いてなかったみたい。
このデビット・ヘルフゴットは、父の英才教育を受けた末に精神の均衡を欠いてしまった人であり実在の人です。ヘルフゴッドもピアノの才能をみとめられていたのですが、演奏後に倒れてしまい、それ以降表舞台から忘れ去られてしまいます。
1997年には主演のジェフリー・ラッシュがアカデミー主演男優賞を受賞しました。

指導者の力量 2002,11,5
連休は、近場をまわってみました。近場は秋を感じるにはまだ少し早いようです。
紅葉もはじまっていませんでした。
でも、よく見るとたわわに実った実があったり。秋は確実に来ているようです。

■指揮者

小学・中学・高校と私は音楽に関係のあるクラブに入っていた。
一番一生懸命やっていたのは、中学の頃。かなり強いクラブだった。
「かなり」というのは、全国大会には出られないが、県大会では必ず金賞という結果だから。
私たちが3年生のときに、中国地方の大会に出場したが、惜しくもあと1校というところで、全国大会には出場できなかった。
その頃で一番良い成績だった。
指揮・指導は音楽の先生。
失礼ながら、今思い返すと、少しワガママなところがあるが、そこがまたカリスマ性につながった魅力を持った方だと思う。

私の通っていた学校は公立中学校。
とりたてて音楽に力をいれているわけではないし、クラブに入って初めて楽器を持つ子がほとんど。
私もその中の一人だった。

 高校も、公立の普通校に通った。こちらは、勉強しろ!ばかりであまり良い思い出はない。
クラブは、同じく吹奏楽クラブに入った。が、弱かった。
指導はこちらも音楽の先生。 
バロック音楽が好きで、いつも鼻歌を歌いながら歩くようなどことなくコミカルな雰囲気をもった方だった。

 私が出た中学の吹奏楽部は、指導の先生が異動されたと同時に弱くなった。
そうして、異動先の学校はめきめきと力をあげ、また「かなり」強いクラブになったらしい。
ここで、「かなり」だったのは、ある意味失礼だが、指導の先生の実力だったのだろうかしらと今思う。

高校の吹奏楽部は、私達のいた頃は、まったくどうしようもない状態だったが、1年下の後輩(カリスマ性あり)が指揮者になった途端に状況が一転し、強いクラブになったらしい。
金賞がとれるようになったようだ。

■才能

音楽が好きでも音楽の才能があるとはかぎらない。
私は音楽は好きだが、才能はない。また、演奏する才能と指導力はまた別のものだと今思う。

 公立高校に入ってくる子供達は理論的に考えても、演奏する才能はある程度平均的にばら撒かれると思う。
しかし、「強いクラブ」が存在するということは、その指導者の指導力によるところも大きいと思う。

 強いクラブにいたとき、私は、指導の先生を尊敬し、また、自分達の演奏に自信と誇りを持っていた。
 そうして、もっと強くなりたいと、皆のベクトルは同じ方向を向いていた。
 弱いクラブにいたとき、私は、指導の先生の力量を(失礼ながら)把握できず、演奏に誇りをもっていなかった。

 まとめる力。個々がもてる力を最大に発揮できるようにする力は指導する才能にあると思う。

 これは、何にしても同じ事だと思う。
 スポーツはよくわからないが、スポーツの監督などにも通じるものがあるのではないかとも思う。

会社でも同じ。
指導する立場の人が、部下を「自分はダメなんだ」とおもわせては指導者失格。
また、「どうせ」と思わせても指導者失格。
いくら、「技術者」としての力量があったとしても、指導者に求められるのは指導者の資質だ。

 強い企業は、きっと 私の経験した音楽のクラブの指導者と同じように、指導する側とされる側の相互の良い関係が築かれていると思う。
単に物をつくれば良いだけならば、女工哀史のような、タコ部屋生活のように 搾取し、使い捨てにするという手もあるかもしれない。
 しかし、この使い捨てをするのならば、労働力の安い国にはかなわない。

創造性、価値のあるものを作り出すということを目指すのであれば、きちんとした指導が必要になる。
結果を出すのは、楽器を吹いている一人一人であると同時にまとめている自分なのだ。
うまくまとめて生かすも、まとめられずに殺すも自分次第。
よそが平均点できているのにじぶんだけがうまくいかないのは、自分にも原因があると思うべきだ。

人をまとめる、人を動かすというのは難しいことだ。
ある意味カリスマ性を持ち、尊敬されながらも、部下の一人一人のやる気、個性、自信をひきだすようにすることに成功しているのではないだろうかと思う。
 指導者には、ある意味厳しさも必要。しかし、その厳しさは からまわりしてはならない。
自分の目で部下を見て的確に指導することが きちんとした指導になると思う。
自分が指導した事項の失敗を部下だけに押し付けるなんて、言語道断。
それをうまくやるための指導者なのだから、自分の指導力のなさというのも謙虚に認め、反省するべきであろう。

不況を考えるとき こんなことをつらつら思った。

■アマデウス

先日書いたアマデウスを少し家で見直してみた。
面白いサイトも発見!
http://www4.plala.or.jp/trillweb/c_amadeus.htm
さて、この映画はサリエリの告白という形で見てその筋の斬新さに最初は驚いたよくできた物語という印象が強かったのですが、
 今回見直してみて、サリエリの気持ちが実によく描かれている気がしました。
彼は努力してあそこまでの地位を得た人だった。
しかし、相手のモーツアルトが、自分が昔から「悪い」と教えられ、軽蔑するべき行動ばかりとるような人間だったら。
なのに、まざまざと天才の才能を子供のような無邪気さから悪気なく見せ付けられていたら。

 以前見たときは全体がとても面白かったのですが、今回みなおしてみて、セリフ面のうまさも感じました。
サリエリがモーツアルトの作り出す音楽の美しさを誰よりも理解し賛美し、羨望していることがそのセリフから伺えます。
そうして、それが理解できるだけに、自分の作り出す音楽との力量の差に悩み苦しむところが。
単に、才能をもっているからというだけの嫉妬ではなく なぜ彼が許せなかったのかというのが分かった気がしました。

画像は、昨日行った等々力で撮影してきたサザンカ。良い香りがしていました。

結果発表 2002,11,2
パッチテストの結果が出ました。
(なんだか占いみたい。。)
おどろいたことに、ノーチェックだった洗顔石鹸が本当に真っ赤にかぶれてしまっていました。

疑っていたファンデーションやシャンプーは真っ白。
驚きです。

今日はその後、砧公園まで行ってきました。
花はあまりなかったですが、(アベリア、サザンカ、サルビアくらいかな。。)
でもよかったですよ。

 ただ、世田谷美術館のレストランの食事は、ちょっとあまり好みでなかった。
 見た目は綺麗だったのですが。。。私的にはいけてなかったです。
 好みの問題かもしれません。。

 先日の友達と一緒に行った 飯田橋のホテル・エドモントの タイのグリルのバルサミコソースは 皮がぱりっとかりっとしていて、ソースもおいしかったのだけど。。

あくまでも、私の好みですが。。

明日は ぽん1が 友達と日帰り温泉に行くので、もう一度私と大王が砧公園でデートする予定です。 (私の元気がもつかどうか、、心配だけど大丈夫だろう) 


パッチテスト 2002,11,1
久々の友人と会いました。楽しかった。大王やPON1と離れてこういう行動をとるのは本当に久しぶりです。
最後に家族と別の夕飯を食べたのは、昨年の部の忘年会以来かも。
 7時に会ってあっという間の2時間半。
家まで1時間かかる場所で会ったので、9時半(本当は9時までのつもりだったのですが、気づいたら9時半だった)においとましたのですが、帰ろうとして、会ったホテルのドアのところまできて
そこからまた新しい話が盛り上がって。。ともっと時間があったらまだまだ話がしたかったなあ。

彼女も本当に変わりなくて、すっかりとタイムスリップした一日でした。
食事したあと、コーヒー三杯もお代わりして、ず〜っと同じところに居座ってたと話したらPON1は驚いていました。(オバサンパワー発揮かな?)

■パッチテスト開始

さて、帰宅して入浴してからパッチテストを開始しました。
48時間後を見るそうなので、この結果を土曜に医者に見せに行きます。

医者からもらったのは、直径6ミリくらいの木綿のフエルトのような ○が並んでシートに
くっついているもので、1枚に5個ずつ並んでいます。
それに自分がかぶれたカモと思うものを染み込ませて背中に貼るのです。
比較のために1枚は水だけを染み込ませます。
 私はそのシートを2枚もらったので 水を除いて9種類のものを背中に貼ってすごすことになります。

シャンプー、リンス、ファンデーション。。。先日かぶれて以来使用をやめていたものを
つぎつぎに実験のように染み込ませて背中に貼って準備完了。これからテスト完了するまでは入浴ができません。

■中間結果

気のせいかもしれないのですが、右側のシートの方がときどきかゆいような気もします。
また、少しあったかいような気もします。
明日まで持つのだろうか。。。かゆくてしかたがなくなったらどうしよう。。
と心配ですが、これで使ってはいけないものがわかるから、それを使わなければ良いわけだから。
と自分に言い聞かせています。

■かぶれ

当のかぶれはウソのようになおってきました。
長い間一進一退して、今年は完治することがなかったのですが、ほとんど気にならないようになりました。
こんなことなら本当に早く受診すればよかった。
良い医者が見つかったので、心強いです。

■着物をめぐる物語

林真理子さんは、私はどうも引いてしまう人の一人だ。
たしか、デビュー作の「ルンルンを買って〜」は読んだことがあったと思う。が詳細は忘れた。
その後、なにかと目立つ話が多く(文学以外で)ダイエット・網タイツ・歯の矯正・見合い結婚
と 話題にはことかかなかったような気がするが、あまりにも自己顕示欲が強い人のような気がして、そのパワーについていけず、彼女の本を読もうとは思わなかった。

 今回、なんとなくこの本を手にとったわけだが、私の印象はまるっきり変わった。
そうだった。彼女は直木賞をはじめ沢山の賞を受賞していらっしゃるのだ。

 まだ、最初の3編くらいしか読んでないのだが、「ルンルン」のころとは違ってとても面白い。
全部読み終えるのが楽しみだ(読み終えたら 園丁に書いておきますね)