■2002年■
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王様の耳はロバの耳(過去ログ)

普通は言わないけど、みんなどう思う?言いたいけど言う機会が無いみたいなことをおもいついたときに書こうと思ってます。

▲本・映画・ざっつ園ter丁nment(ここで紹介した本や映画についての詳細データをためてあります)
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もいっちょ 2002,4,28
これが自作絵本の「ひとりのうさぎ」 

ひとりのうさぎ  
あるひひとりのうさぎがおでかけにいきました

と書いてありますが、親しかよめないかも。
 「で」だけかけなかったので、
保育園の先生に書いてもらったそうです。どうりで、「で」はきちんとしている。

おやばか2 2002,4,27
これが捨てるに惜しい絵?。(要するに普通の絵)
ブロックは上手なんですが、絵はあまり好きではなかったのです。
アンパンマンの あんまで書いたら ぱ がかけなかったらしい(笑)

親ばかネタ 2002,4,26
ちょっとお休みで親ばかネタ。(ごめんね)

親から見ると 捨てるに惜しい絵(要するに普通の絵なんですが)がたまってきて
困るので、100円均一で 紙ファイルを購入することにしました。

 プーさんもどきの絵のついたファイルです。

今度からこれにお絵描きしたものを入れておこうね。と使い方を説明して
その日の夜 はっと気付くと、黒マジック(油性)と赤マジック(水性)で
大きな口がかいてありました。

「おくちがなかったので、つけておいてあげた」そうです。

陰陽師 2002,4,20
無謀のツケはくるもので、予測どおり、しもべ1,2とも風邪でダウンしてしまった。
 風邪気味なときに、ディズニーランドなどへ行ったのだからしょうがない。

しかし、大王の元気さはどこからくるのだろう。大王も7度少しの熱なのだが、元気すぎて
公園でひとあばれしたくてたまらないのだ。 

話しは変わるが、NHKでやったドラマ陰陽師の再放送があった。本を読んだときにとても面白かったので、期待して録画したものの第一回を見た。

 配役は、安部清明に 稲垣吾郎、相手の 源博雅に杉本哲太だ。
私には 稲垣吾郎の陰陽師はどうも、似合わなく見えた。(放映時は好評だったらしい)
本を読んだときの面白さは、現代にないゆったりとした時代の進みと異次元の世界のような
不思議な感覚であったのだが、ドラマはあまりにも世俗じみていて好きになれなかった。

 出てくる女性の表情もあまりにも現代劇のようで、大袈裟にいうと学芸会のようだった。

筋もまったくちがっていた。清明と博雅の静かな友情関係はここにはなく、とげとげしい清明と
戸惑う博雅がいた。 清明はつめたくありながら 博雅のまっすぐな性格に惚れこんでいる。
その信頼関係がまったくなかった。 

 話も陳腐(に私は思えた)な恋愛ものになっていた。
元は、鬼が勝手に惚れてしまった昔の恋人似の女性がいたわけで、故郷を思う気持ち、
昔の恋人スーリアを思う気持ちというものがきちんとこちらに伝わっていたのだが、単なる女性と男性の恋愛ものに置き換わり、女性の結婚が決まり、それによって、権力を手にしようとする兄のじゃま。というステレオタイプの話しに置き換わっていた。
 (さきほどネットで調べたら、どうやらこの話も人気だったようなので、私の個人的な
  感想だとお断りしておきます)

 なによりも気に入らなかったのは、その女性がどこへ行っているかつきとめられたのが
 「おみなえし」の香りだったという設定。
 おみなえしの香りについて、「いい匂い」というせりふもたしかあった。
 おみなえし(女郎花)とはとても見えない派手な造花の野原で花をつみ、その香りを
 良い香りとドラマの中でいう。。
 臭い香りをたどったらという設定にしたかったのではなさそうだ。

 おみなえしは 野ではかいだことはないのだが、
 最初はほとんど香りがないが、咲き進むにつれて くさい匂いを発する。
 人によってはこれを良い香りと思う人もいるのかもしれないが、たぶん、10人かいで
 8人は良い香りとは言わないと思う。同じように好き嫌いがある花の香りでも菊の香りのほうがまだ良い香りだと答える人の方が多かろうと思って見た。

 どういう脚本で原作にはない女郎花をもってきたのか?その香りを良い香りとしたのか。
 いまさらながら、NHKに問ってみたい思いがした。だれも指摘しなかったのか。
それとも女郎花がくさいと思うのは私だけなのか。

 みなさんは女郎花の香りを良い香りと思われるのだろうか。


画像は ラケナリア ユニカラー

続データの罠から 2002,4,12
母子手帳の記載が見なおされるとの報道を日経のホームページで見た。

身長や体重の ”普通”の範囲を広げるそうだ。

”普通”の範囲。たしかに気にはなる。範囲を広げるより、「だいたいこの辺を目安に
そだてましょう」くらいにしたらどうかな?などと思った。

おかあさんの中には「離乳食の量は 食べさせるときに口の周りについたものも含めるのですか
ふくめないのですか?」などという問いをする人がいるそうだ。

 これではまったく 死語だが 「マニュアル君」だ。
前にかいたように、動物園のサルのように 子育てを見ないからわからなくなったのだろう か。
 
 子供の体重や食欲というのはたしかに気になるが、何を何グラム食べさせるということで
 はなくて、大人と同じように食欲がある日もない日もあるということ、その人に必要な
 エネルギー量は個人差があるものだということに気づかないと。
  子供は機械ではないのだ。

大王より2歳上の近所のお兄ちゃんが 小学校へ上がった。もうなんでも自分でできるらしい。
手がかかるのもあと少し。あっという間に子供って大きくなるんだな。
 手がかかることを「大変だ」と髪をふりみだしてやってきたら あっという間に手がかからなくなるんだな。そう思うと少しさびしい。そうだとすると、手がかかるうちはいっぱい甘えて
欲しいような気もした。一年二年くらい多めに甘えてもらってもぜんぜんかまわないぞ。

 先日、pon1と「会社をやめたら」なんて話しをしていた。
それを横から聞いていた大王は「ママが 会社をやめたら 嬉しい」と ココロから嬉しそうな
顔をしていた。 彼の頭の中には 私が家にいたら 一日中自分と遊んでくれる私がいたに
ちがにない。
 でもね。大王。もうそろそろ、集団の決まりも身につけるころなんだよ。お友達との関わり方
そういうものも生きていくうちには必要なんだ。きっと私が家にいたとしても、大王は幼稚園へいくの。そこで、お友達とどうやったら仲良く遊べるか、けんかしたらどうなるか、そういうことも経験する頃なんだよ。 

 シモベ2としては、嬉しいけれど複雑な気持ちだった。

さて、今日こそ。
大王が食べたいと言っていたケーキ作ろう。ここのところ、作る余裕無かったからね。

画像は チューリップ クルシアナ シンシア

データの罠 2002,4,9
昨日、朝 出勤準備をしながらのテレビだった。
N○Kで 大学名は失念したが、たぶん 女子医大 という名前がついていたように記憶している。 

その病院では、新生児の感情?をさぐる研究をしているという報道だった。
画面には 脳波測定の蛸足状になっている配線(頭に取りつけるそうだ)や、
どんな音を聞かせて反応を探っているかなどを紹介していた。 音は不快な雑音とピーという
高い音。

私は、まず怒りを感じた。まだ手足も思うように動かせない新生児にいくらスポンジ状の
ものであれ頭にとりつけて気持が良いわけが無い。 あんな不快な雑音を聞かされて反応を見られる新生児が可愛そうだった。そうして、人権はどうなっているんだろうと思った。

データをグラフ化したものを画面で示し、 二つの音を聞かせたときのグラフは明らかに違うことから音の聞き分けができているなどと、説明されていた。私は、「聞き分けができていることをグラフ化することに何の意味があるんだろう」と思った。

育児に生かすとの説明だったように思う。(どう生かせるの? といまだに納得できない)

PON1と私には子供を可愛いと思う本能は有ると思う。 
「母性本能」なんてまことしやかな 女性だけにあるごとくの名前のものは私にあるかどうかは分からないが「種を保存する本能として、小さくておぼつかないものを可愛く、いとおしく思う本能が 動物にはあるのではないか」というと 素直に 「あると思う」と答えることができる。

 子育てなんて、そんなデータ化数値化して知るものではないと思う。
データ化、数値化というのは、測定者が狙ったある点に着目したデータしか取れないのだ。
その測定者の期待の裏付けでしかない。まれに狙ってない部分が数値として現れ、発見となるのかもしれないが。

話は少し変わるが、先日ビタミンQというのをテレビでみた。恥かしいことに、多分ビタミンQは習っていないと思う。知らなかった。
多くのビタミンが発見された経緯は、生き物は3大栄養素を与えれば生きられるという説を実証するために 3大栄養素のみを与えて育てられていたラット?がうまく生きられなかった。
たまたまミルクがかかった餌をたべたラットは生き長らえた、それからビタミンの存在が
わかったそうだ。ビタミンQも私が習った頃にはあまり重要視されていなかったビタミンでは
ないのか?と思った。

 人間は自然界の一部。人間が食しているものの中にはまだ、分析されていない、未知のものが
含まれていると思う。数値化、データ化というものはそういうものをすべて捨て去る危険性が
有るということだと思う。

動物園の猿が 子育て放棄をするという現象を以前テレビでみたことがある。
解決策として、自然の猿の映像を見せることで、かなり改善されたと見たような記憶がある。
人間が子育てが分からなくなったとすると、この猿とおなじように、核家族化がすすみ、近所との付き合いがなくなって 子供の育っていく様子を目にしなくなってきたことも一因では有るまいかと思う。

 悲惨な事件の報道ばかりで、すこやかに育つ子供を見ない社会はやはりおかしいとおもう。

必要なのは 新生児の感情のデータ化ではなくて、動物園の猿と同じように 子供に触れること、他人の子育てに日常として触れることではないのか?と思ったりした。

 植物だってそうだ。 本に書いてあるように ○○を好むとか いうのはあくまで
データであって、その植物の調子を見ながらの世話が必要。
 人間が、自然からそういうサインを感じ取ることができなくなくなったときは、
本当に人間の存亡の危機ではないのかな。

画像はチューリップ・ゴルツ。 レモン色の素敵な花が咲きました。 



 

ひとのせいにする 2002,4,7
のは、私はとても嫌いです。必要以上に自分を責める必要はもちろんないけれど、
なんでもかんでも人のせいっていうのはどうも気に入りません。

突然なんでこんなことを言い出すかというと、金曜の朝、駅の階段を降りていたら
「チッ」という舌打ちと同時に私のかばんを後ろからけられてしまったのです。
振り向くと若い男性でした。電車の発車までにはかなり余裕もあったのですが、
なにか気にいらなかったのでしょう。(私がゆっくりしていたからかな)彼は携帯電話を
しながらでした。 私もかなり むっとしました。 しかし、こういうことでクレームを
つけてもロクなことに成りそうも無いので我慢しました。

 電車は数分発車待ちします。
その電車に乗り込んで彼は たぶん客先への電話なのでしょうか とても愛想のよい声で「いえいえ。とんでもございません。」などと言っていました。客への苛立ちを私で解消されたのか?
とそのときおもいました。

最近 男女を問わずこの舌打ちを良く聞きます。場面としては私には非がなくて、相手が単に
急いでいてこちらにぶつかってきたときなどにも舌打ちされて、こちらはぶつかられるわ、
舌打ちされるわでとても不愉快。

先日ふとしたことからpon1も同じような経験をしたことを聞きました。

よく、最近はストレスが多いからキレやすい などと言いますが、私は舌打ちはしません。
ストレスは、きっと同じように人並みにあると思います。
 こういう人のせいにしがちな人が、上の説を聞いたことで、
 自分にはストレスがあるから−> キレて−> ヤツ当たりする ということを
正当化させてしまったのではないかと思います。

 ストレス解消の方法はいろいろあるでしょうが、ヤツ当たりという解消方法は最も低レベルな
解消方法だと思います。自分が他人を傷つけてそれですっきりするなんて。

 ストレスは、消化してこそ意味があるとおもいます。
 そうでないと進歩も少ないのではないかな。

アメリカ的な、自分に非があったとしても、文句を言って通ったもの勝ちのような世の中は
どうも好きになれません。(有名な話しですが、) 電子レンジに猫を入れて その非を
取り扱い説明書に書いてないからと 会社にあるとした話しは どう考えても 普通では
無いと思うのです。 昔は、こんな常識のない社会じゃなかったなどと思う私は
十分にもうオバサンなのですね。 

画像はチューリップ ピノキオと クルシアナ・レディジェーン


目は口ほどに 2002,4,3
書きたいことがたまってきてしまった。(ここは私のはけ口なので。。笑)
お友達のところ、お世話になっている方のところに寄らずに、まとめてこちらの更新を
してしまう私を どうかみなさん許してね。 4月5日にかいています。

辻元さんの話、彼女のことが悪くないと言っているわけではないのです。
政治家としてやっていくのであれば、そういうことを知らずにやっていたのは彼女の失敗だと
思います。しかし、出てきたのが 土井さんがらみだったとは。。なるほど。。
(前の月から続く)

さて、話はかわり、通勤電車の中吊りを見ていた。 最近は男性でも 「キレイ」系の
お化粧をする人が多い。 私のみていた中吊りは gaku○o という人が、昔ならば
女性でしかありえないような雰囲気の写真に載っていた。

 「美形」ということになっているのだろうか、好みの問題もあるだろうが、基本的に造りは
まあ普通ではないかと思う。 お化粧のテクニックはやはり女性並にうまいようにも見える。
男性のウリも白い肌と細いマユになってきたらしい。

しかし、この写真 お世辞にも知性とか思考とかが感じられない写真なのだ。
なぜだろう?と ぼ〜っと写真を眺めた。

まず、美形だからか? ここで美男美女の方を一気に敵にまわすような発言を書いてしまうが
たしかに、美男(私の基準にはこれがないので どう言う人が美男なのかいまいちしっくり
こないのだが)や美女を前にして 「おお、この人は賢そうだ」と最初に思うことは
少ないようにも思う。でも、これは 興味の対象が自分の美醜という基準の方に行っている
からなのかもしれないな。。と写真を見なおしてみると、

彼はカラーコンタクトをしているのである。
そういえば、人間の目は興味のある対象を見るときには 虹彩が縮小するとか、好きな人を
見るときには 虹彩が拡大するとか聞いたことがある。(うろ覚えだが)
 東洋人の黒目は 目の色の薄い人種からみると 虹彩開きっぱなしに見えるのでよく誤解されるという説もみたことがある。

 物を考えているという気配はやはり目に表れるのかもしれないと思った。

政治家の方々は総じて目の細い方が多いようにも思う。なかにはギョロ目の方もいらっしゃるが
年を取れば取るほど何を考えているかわからないような 起きているのか寝ているのか
わからないような細い目の方が多いようにも思う。 自分の考えを読まれないように。。
と日々努力しているうちに こうなってしまうのかな? などと勝手なことを思った。

政治家も目の表情を読まれないように カラーコンタクトをする時代がやってくる?かな?(ウソ)
 
 画像は、フリチラリアメレアグリス。 市松模様の花です。