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王様の耳はロバの耳(過去ログ)

普通は言わないけど、みんなどう思う?言いたいけど言う機会が無いみたいなことをおもいついたときに書こうと思ってます。

▲本・映画・ざっつ園ter丁nment(ここで紹介した本や映画についての詳細データをためてあります)
▲隣の芝生(ここで画像を紹介した植物の詳細データをためてあります)
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おかまさん 2002,7,31
■山咲トオル

おかまさんではないが、最近面白い人だなあと思っていた人の名前を教えていただいた。
山咲トオルだそうだ。 バラエティで時々見る。
くるくる愛らしい目をした、でもちょっと頭大きい&ウエスタンハットをよくかぶっている人だ。
身振りや言葉遣いが妙に丁寧な女の子のようだ。
 あまりきちんと見たことがないが、コメントなども独特の雰囲気があって面白いと思う。
驚いたがホラーマンガ家なのだそうだ。どんなマンガなのか。見てみたい。

お笑い芸人などでも、最初は面白くても、そのうち笑顔仮面(ウソだとわかる)になったり
笑いをとろうとしたコメントしか出なくなると あ〜あ。つまんないなあと落胆することもある。
こういう面白い人はこの調子でずっとやっていってほしいなあ。

■おすぎとピーコ

ふと山崎トオルの女っぽいしぐさからこのお二人を思い出した。私は好きな二人だ。
といっても、最近こちらもほとんどみてないけれど、ファッションにしても映画にしてもズバズバ言って「うんうん」
と画面のこちらでうなずいている私がいたりする。
映画は、特にこの二人が面白いと言うと見に行きたくなったりするくらい「自分への正直さ」に期待している。

■知り合い

ある人がちょっとしたいきさつで、知り合いの持ち船に乗せてもらう機会があったそうだ。
水着を着替えるときに、「女同士だから平気よね。」とおかまさんが先に入っていたシャワールームに知らずに入っていってしまったことから知り合いになった。
外ではみんなが固唾を飲んで待っていたらしいが、皆に教えられ、おかまさんだとわかったあとからも、友達としてやっていたということだ。

 そのおかまさんはとても美人だそうだが、結構普通の女の子たちは、一緒に歩いていても、おかまさんのほうがモテて
しまうと、突然「でもな。この子おかまやねん」なんてやっかみ半分でばらしたりするらしく、
そういうことをしないその人と仲良くやっていたらしいのだ。
美人で性格もそこらの女の子よりもずっとカワイイらしく、まっすぐだが、喧嘩をすると「ごつい喧嘩」をするらしく、顎の骨など何度も折ってしまったとか。

■印象

私は身近におかまさんに会ったことがないけれども、テレビでみたりするオカマさん等にはどちらかというと人間としては好意的に見ていることも多いなと思う。

 「おかま」という性の問題は難しくてよくわからないのだが、
たぶんそれは彼女?たちがある意味自分に正直に生きようとした結果をそのまま正直に世間に公表しているからか、そのコメントが 周りの目を超越して 自分の心にものすごく正直であることが多いと感じられるからかもしれない。

自分を振り返ったときに、トラブルを避けるため正直なコメントばかりでなく無難なコメントを選んでしまうこともある。
こういう「明らかに自分はこう思う」という(真実)をズバッと口にだすことにより、嫌な思いをすることも多かろうと思う。
それを知っていても自分の感じたことをそのまま口に出せる勇気という点で好意的に見ていることが多いのだろうかとも思った。

花咲トオルさんから おかまさんの話になってしまったが。。
彼も「みんなが嫌いでも 私が好きなものは好き」というスタンスが私からすると好意が持てると思う点でこの話につながっているのだった。

もちろん、おかまさんも人間。すべての人がそういう人でないことも確かだろう。

■映画(今回もどれもオススメです)

●ミスターレディ・ミスターマダム
 有名になった楽しい映画です。
 アルバン(母)はどうみても男にしか見えないのですが、そこがまた良い味だしてます。

●蜘蛛女のキス
 こちらはややマニアック。でも、モリーナ(ウイリアムハート)の一途な気持ちにうたれます。

●覇王別姫
 こちらもせつない〜映画です。

後で詳細は園丁に書いておきますね。

はだかの王様から。。 2002,7,30
新しく園丁内に作った「はだかの王様」はある意味話題を限定しているところなのだが、その「話題を限定」というので、ふと思い出した映画がある。
いつか書きたいと思っていた オードリー・ヘップバーン の マイフェアレディである。

内容に触れるが、これは内容がわかっていてもたぶん楽しい映画だと思う。

============ネタバレあります。注意してね。

ヘップバーン演じるイライザはその日暮らしの花売り娘。マナーも言葉遣いも最悪。
その彼女がヒギンズ博士(言語学の教授だったかな)の家に行き、マナーと言葉遣いのトレーニングを受ける。
さて、トレーニングが進んだある日、博士はアスコット競馬場でその中間結果をためそうとする。
イライザを美しく装わせ、「ボロ」が出ないように 「天気と健康の話」と話題を限定するのだ。
ヒギンズ博士はこれで大丈夫とタカをくくっていたのだが、イライザが自分の経験したことや家族について話しはじめるので、大慌て。それがもとで、またひとつ恋が生まれるのではあるが。。

と、話題を限定した目論見は 無残にも半崩れしてしまうのだ。
(はだかの王様の目論見も崩れることも可能性としてはありますね。。)

■おうむ返しの術

ところで、イライザは、マナーも言葉遣いも(身分も)「上流」の人からするとなってなかったわけではあるが、自分の目で見、自分の頭で考える力を持っていた。
だからこそ、そこにみんなが惹かれていく。

自分がわからない話題について、うまくやりとりする方法として、「話題を限定する」以上に有功な手段がある。
題して「おうむ返しの術」。もし、ヒギンズ博士が アスコット競馬場で、相手が言ったことを肯定で繰り返しせと言ったら、たぶん、恋も生まれなかったが、問題はおきなかったのではなかろうかと思う。

たとえば、相手が「今日は本当に良いお天気ですわね」といえば「ええ。本当に良いお天気ですわ」と答えればよいのだ。

このおうむ返しは、なかなか見破りにくい技である。

以前、この術がうまい人がいた。仕事の説明をしている時には、理解できているように思う。
しかし、一旦「では、やってごらん」となると、一歩たりとも自分の足で歩けないのだ。
「なぜできないのだろう。そんなに難しいことは要求していないのに。。」
彼は、おうむ返しの術を使っていたのだ。

しかし、後から考えるとたしかにその兆しは沢山あった。
まず、「これを覚えるとテストで100点とれるんです」
と見せられたのは、 1.(a)とか2.(b)とかの記号の羅列。
「問題は?どこにあるの?」と聞いたところ 「問題は無いんです。毎年同じ問題が出るのです。」
だそうで、私は、驚いた。
(毎年同じ問題を出す、先生も先生だが。。問題もわからなくて記号を覚えるの? )

この例は、テストにまで有効だった「おうむ返しの術」の特殊な例であるが、
あまり親しくない間柄で、理解できていないのをごまかすときにばれにくいのはやはり「おうむ返しの術」だと思う。

■トラの威を借りる

もうひとつ。「トラの威を借りる」というのがある。
言わば「私は○○さんの知り合いだ。仲良くしている」ということである。

「知り合いというだけで偉いのであれば、著名な人のお隣やご近所は偉いのだろうか?」と思う。
知り合いが偉いから偉いのではなくて、やはり本人ありきではないかと思うのだ。
「(私はたいしたこと無い人間だけど)スゴイ○○さんと知り合いなんだぞ。」という、
括弧書きがつくということで、かえって自分を貶めているようにも見える。
トラの威をかりても、本人の威は減りこそしても決して増えるものではないと思うのであるが、いつまでも世の中でこの手が有効なのは、それによって動く人たちが多いからなのであろうか。

おうむ返しも、トラの威も、どちらも自分を身の丈以上に見せたい場合に利用される術だ。
私は、身の丈で見てもらえれば十分だと思っているので、両方とも必要ないなぁ。。。

■ヘップバーンの映画

●マイ・フェア・レディ
 詳細省略します。ミュージカル仕立てでとても楽しい映画です。
 舞台をみているかのような凝った演出もあります。また、ドレスの綺麗さも、必見です。
●昼下がりの情事
 この題名!。。私は、独身時代にレンタルでこの映画を見たのですが、
 隣に並んでいたおじさんにジロジロとビデオと私の顔を見比べられた経験があります。
 (おじさんが思っているような内容じゃないよぉ。。。とココロで言っていました。)
 探偵業の父と娘の二人暮しをしているヘップバーンがふとしたことから
 金持ちのプレイボーイに恋をしてしまうのだが、精一杯背伸びして振舞う姿が愛らしいです。
 バックに流れる音楽 「バラ色の人生」が印象的な素敵な映画です。
●麗しのサブリナ
 サブリナは、お金持ちのお屋敷の運転手の娘。そこの次男坊に恋しています。
 その恋を不憫に思った父親は、娘をフランスの料理学校へ留学させます。
 楽しくて、ロマンチックで、テンポもよく結末まで楽しめる。そんな映画です。

ヘップバーンには他にもオススメの映画が沢山あります。ぜひどうぞ。

今日はお休み 2002,7,29
すずし〜い。これくらい毎日涼しいと楽なのですが。。といって、気温見たら
28.5度&湿度55%ん?そんなに涼しいんだろうか?これ。。もしかして暑さに慣れただけ?

大王、昨日お祭りに出かける直前に「痛い〜」と耳の下をおさえて大泣き。
あわてて病院にあちこち電話して、休日診療している耳鼻科がみつからず、小児科へ。
でも、原因よくわからないんですって。。とりあえず、治ったらokかなあ。。
今日耳鼻科へ再診療に行きます。

その後どうしてもお祭りに行きたいといっておりましたので、とりあえずお祭りに行きました。
降雪車がきていて、雪をふらせてました。冷たかった〜。
ハリケンジャーショーでは、なんと!舞台にあがって、ポーズとったり、機関車に乗ったり。
大王。。耳は大丈夫か?

ところで、7月26日に貼ったアグラオネマ。この観葉は、映画「レオン」のレオンが大切にしていた植物だったらしい。

■レオン

あまり期待せずに見た映画だったのですが、(ビデオでみました。)最初の映像の美しさに
釘付けになりました。最初からひきこまれ、最後まで飽きることなくみました。
その印象がのこっていたので、DVDで完全版を購入したのですが、これが。。。残念。
実は公開版のほうが、私はすきでした。冒頭の部分が冗長なように思います。
見るならば、劇場公開版がオススメです。

後で旧園丁から新園丁にうつしておきます。

画像はキンカン・ぷちまる。咲きました。

今日はお祭り 2002,7,28
曇っていて、少しはしのぎやすいです。でも気温は28度だな。。

今日は午後からお祭りに出かける予定です。片付けは。。。どうしようぅう。
大王は、耳の調子があまり良くないようなので、明日はお休みして、またもや人形劇と耳鼻科に行こうと思います。

ところで、ちょっと新しいコーナー作ってみました。
「はだかの王様」園丁の中の一番下にあります。みなさん、お気に入りのものありますか?
そういう「とにかく自己満足」のものを貼っちゃおうと思います。
もっと良い物も知りたいので、みなさんのお気に入りのものも教えてくださいね。(レス貼れます)教えていただけると嬉しいです。
最初の最初は「すっごい物」貼っちゃったので、みなさん。引かないでね。

でもなあ〜。気に入っていても貼れないものもあるなあ〜。

んでは〜。

人形劇 2002,7,27
今日は朝から良い天気。
溶けそう。。。

家の片付けもそこそこに、(<いいのか?)大王つれてかわさき人形劇祭りにいってきます。
大王は昨日首の筋をちがえたようだったのですが、一晩寝たら治ったようす。よかった。

画像は期待集中。きんかん「ぷちまる」の蕾。昨年は1個もならなかったの。。。



オヤジ風 2002,7,26
少し前に「オヤジギャル」という言葉があった。
最近 私は「オヤジ風オバ」ではないかと思う。

なぜか?というと、俳優とか男性歌手の類で、基本的に「この人ステキ!」と思うことはほとんど無い。
女優とか女性歌手の類では、「おお、カワイイじゃないか。ステキだなあ。」と思うことは多い。
どうもオヤジ風である。

「くれよんしんちゃん」の時間帯が「あたしンち」というマンガに変わった。
このお母さんをみていても、どうも私の日常と重なるところは皆無のように見える。
やっぱり「純正オバ」ではなく 「オジ風オバ」なのだと思う。。
もう少し年とってくるとあたしンちのお母さんのようになるのかな?

■好み

ケーブルテレビでは ずっと高橋留美子特集をやっている。毎日流しても何ヶ月も
もつなんてすごいなあ。恐るべし。。。高橋留美子。。

ところで、ひそかに高橋留美子も女性だが、オジ風が頭についていると思って見ている。
つまり「オジ風マンガ家」(勝手なこといってごめんなさい。。。)
女性のココロより、オヤジのココロを「鷲づかみ」するのではないか?と思う表現が多い。

高橋留美子のマンガの中でも私の女性の好みはというと、ほとんどpon1と一致している。
(真のオジであるpon1と好みが一致するということは、まさしく オジ風オバ!)

たとえば、「らんま1/2」では 怒ってばかりの あかねよりシャンプーの方がカワイイし、性格もなんとなく好き。
 さばさばした お好み焼き屋のうっちゃんもいいなあ〜。
それから「うる星やつら」では、やっぱラムはけなげでいいけど、らんちゃんもなかなか捨てがたい。
クラマもイイ!(って、、、あたるそのままだな。。)

■女は愛嬌男は度胸

っていう言葉が昔あったが、それなのか?と思うとちょっと違う。
どうやら私は、実生活とメディアからの情報を知らず知らずに区別しているようである。
根っから 男性に美しさや男の肉体美(?)を求めていない私としてはメディアからの彼らの情報にあまり興味がないのではないかと思ったりもする。

 ぶっちゃけていうと「人間中身」なのだ。(反対語は「人間見た目」)
女性に関しては、「コレくらい自分が可愛かったらよかったなあ」というあこがれとかそういう自分が求めているイメージがあるから 結果的に 「オジ風」の結果がでてしまうのではないかと思った。
実際、俳優にしても「●●が好き」というよりも必ず「△△の役の●●が好き」と付く。
私は性格抜きにして好き嫌いが語れないヤツなのだと思う。

もちろん、顔の好みは多少はあると思うが、やっぱり何より嫌いなのは根性が腐りきった人。
前向きのことを考えられず人の足を引っ張ることだけに意識を集中するような人がいる。
自分の力量が足りないからといって人の邪魔をすることに命をかけるような人がいるから、世の中ぐちゃぐちゃになるんだど!と思う。

おっと少し話しがそれた。
(いや。。ちょうどタイムリーにそういうことがあったので。。(^w^) ぶぶぶ・・・)

■オヤジ的観点の映画

とりあえず、オヤジ的観点で映画を選んでみました。

●危険な情事。。
 とても有名になった映画ですが怖かったですねえ。。主役のマイケル・ダグラスはそういう顔つきなのか、 こんな風な「えっちっぽい」すぐふらふらする役が多いように思います。
 私は「純正オジ」ではなくて「オジ風オバ」なのでこんな風に「ちょっとふらふら」っていうのは理解できないし「いけないのは、アンタです!」と思うのですが、それにしても グレン・クローズが コワカッタぁ〜。
 この人マユが薄いからか怖い役が多いです。
  まあ、この映画は、世の ど〜おしようもないこういう願望のあるオジの歯止めになるだろうか?
 ならないだろうなぁ。そういう人はそこまで考える脳みそより、別のほうに脳みそ全部使ってそうだし。
 (ところで、実は私もマユが薄いのが悩み。化粧落とすと別人の顔になります。眉落とすとどんな人でもそれなりに怖い顔になれると思う。昔昔のツッパリとかそれを狙っていたのではないかな)

●冷たい月を抱く女
 こちらは、ニコール・キッドマン。最近トム・クルーズとわかれる頃からの彼女はすっかりと
 恐い顔になっちゃって(化粧のせいかな)、オジ風オバとしては残念なかぎり。。。
  まあ、良く言えば 今は「オトナの女」ってことかもしれませんが。オジ風としては引きます。
この映画の頃は天使のような、まあ〜カワイイお顔(<=淀川風に) ええなあ〜 *^_^* ポッ。(記憶をたどると前歯がカワイかったような)
これは、サスペンスで 内容の一転二転がたのしめないと一気につまらない映画になるので、見るつもりの方は、ネットで筋など検索しちゃうとつまんないからご注意を。
 私もどこが面白かったかは 園丁にネタバレラインひいてからかいときます。 

両方とも サスペンス だったということで 夏向きの映画かもしれないですね。
では、後で園丁に。。。。

画像はアグラオネマ。普通に花屋でうられている観葉植物ですが、こんな可愛い花が咲きます。
透明感のある薄緑色です。

ソラリス 2002,7,25
私の入っているメーリングリストに ソラリスのことが流れた。

おお。ソラリス。
実はつい一昨日、夏向きの映画として思い出したばかりだったのだ。

映画やSFが好きな方には有名だが、かなり古い映画であることから、ご存知ない方も沢山いらっしゃることかと思う。
私もレンタルビデオではじめてみたのだが、その後何度も見たくなり、とうとう手元に置きたくなりDVDまで頼んでしまった。それほど好きだ。
(DVDってマニア向け物?はちょっと高いのですね。。足もと見られてるみたい。。ぐっすん)

さて、そのソラリス。本当の名前は 「惑星ソラリス」タルコフスキーが監督をしている。
名前からお分かりかもしれないが ソ連の映画である。
 メーリングリストでは(自然への)「郷愁」という書き方がされていたのだが、私はこの映画を郷愁以外の感情を持って見た。
たしかに 自然への郷愁も感じ取れなくはないが、もっと根底にある、人間の感情の奥底にあるもの。外には表さない悲しい部分。
なんとも言葉に言い表せない自分の感情が映画を見ることによってあふれてくるようなそんな感想を持った。

 ぜひ、夏に冷房の効いた部屋で 一人で静かに見ていただきたい映画だ。

前に良い絵本とは 見る人によって感想が違うような絵本かもしれないと書いたが、もしかすると このソラリスも、見る人により感想が違い、またこの映画自体が 映画の中の惑星ソラリスのように振舞っているのかもしれないと思う。

■元気の無いあなたへ

元気のないときは、無理に元気を出そうとせずに、しっかりとその感情を出しきってしまうのが良いと聞いたことがある。

 たとえば、音楽なども 悲しい音楽を聴く。
ロシアつながりで チャイコフスキーの悲愴など、私は悲しいときに良く聞いたことを思い出した。これ。落ち込んだ時にオススメです。

ソラリスについて。
萩尾望都のSF物 たとえば A-A’等が好きな方は多分好きになると思います。

■ロシアの映画をもうひとつ

こちらは、アメリカ映画ですが、舞台はロシアの大好きな映画です。

「ロシアハウス」ショーン・コネリーとミシェル・ファイファーが主演の映画です。
内容はスパイ物なんですが、このショーン・コネリーが まったく汚いオヤジで、いい味だしてます。
 お風呂なんか2週間くらい入ってないのではないかと思うほど汚いです。
そのオヤジ(一般人)が諜報活動にまきこまれていく話で、基本的にはジジ恋物です。
が、この「汚い」「ジジ恋」の二つで引かないでぜひ見て欲しい映画です。
この汚さがあるからこそ、感情の純粋さが引き立つ映画だと思う。

このミシェルファイファーがものすごく美しくて
(彼女は決して典型的な美人ではないと思うのですが)音楽がまたちょっと悲哀を感じる音楽で、あっという間に映画の世界に入り込んでいました。

本当は語りたい思いが沢山ある大好きな映画ですが、ネタバレしちゃいそうなので自粛します。
こちらも、静かにじっくり見るのに向いた映画です。 こちらはさびしい時に向く映画かな?
 
 ソラリスとロシアハウスも 園丁に書いておこうと思います。

写真は会社の私の机


抜け殻 2002,7,24
夏だからといっても、セミの抜け殻ではありません。
おばあちゃん帰宅後のpon2はまるで抜け殻のようになってだら〜んとしています。

おばあちゃん訪問時は、食べ物も柔らかいもの、しつこくないもの、暑いときにたべやすいものなど無い知恵を絞ったわけです。(失敗しちゃったのもあるけど、とりあえず一生懸命)
今はすっかり気が抜けて ぽわ〜ん として夕飯のメニューもな〜んも考えつかないもんね。(<=威張ってどうする。。)

さて、今日は、曇っていて若干しのぎやすい朝でした。そのためか眠い。
ぼ〜っと通勤電車にのると 中吊りには オースチンパワーズ。
この人の映画見たこと無いのですが、たぶん私にはノリきれないだろうなあ。
オースチンパワーズって「つんく」に似てませんか?

■散らかる

pon家の片付け担当はpon2です。
まず、大王は片付けません。pon1は綺麗好きなのに、片付け下手なのです。
pon2は片付けはじめると頭のなかが空白になり、まるでランナーズハイのような状況に陥って、片付け力を発揮する時があります。
しかし、現在は大王+pon1の散らかしパワーが pon2の片付けパワーを上回っているので一向に片付かないのです。
 特に、今のような抜け殻状態(pon2はご存知のようにムラのある性格)の時はどんどんと廃墟化してしまいます。
今週末にでも綺麗にしないと。。。

■ごみに埋もれて

家の散らかり具合を見るにつけ、思い出した本があります。
その人を知ったのは、ここ数年。雑誌の本の紹介文から。「ゴミに埋もれて死んだ」と。
彼女は森鴎外の長女。森茉莉。

 そうして、その紹介文を読むにつれて、彼女はどんな人だろう?と。
どうやら、森茉莉は 鴎外の娘として産まれ、不自由の無い生活をしていたが、死ぬ時は安アパートでまさにゴミに埋もれていたという。

参考リンクをはっておきますね。
http://www.yomiuri.co.jp/yomidas/konojune/87/87h5d.htm
http://www.netlaputa.ne.jp/~serika/nennpu.htm

下のリンクのトップはこちら。ここでだいたいのことはわかるかも。
http://www.netlaputa.ne.jp/~serika/moripage2.htm

私が読んだのは、中野翠により再編成されたエッセイ集で「ベスト・オブ・ドッキリチャンネル」週刊新潮に連載されていたものの抜粋です。
 面白いです。1979〜1985年連載のものだったらしいので、20歳位を過ぎていらっしゃる方は
この中で取り上げられている出来事も思い出せるので一段と楽しめると思います。

彼女のなかには 尊敬する父への思いやら、評価されない自分への自尊心やら、
昔は裕福であったプライドやら、その生活を懐かしむ思いやらが混在しているようです。

 もしかすると、お会いすると好き嫌いが分かれる方ではないかとも思います。
でも、私には彼女の毒舌にも似た正直さがとても気持ちよいと感じます。
たとえば、最初に読んで「なにもそこまで言わなくとも」と思ったとしても、でも納得してしまうような表現があちこちにちりばめられているのです。

 この毒舌?ぶりは先日亡くなった ナンシー関さんにも似ているようでもあります。
「え?そこまで言う?」といいながらも なんとなく「でも本音はそうよねえ。」という世界。

彼女のまじめな著作は、どうも私の苦手とする分野のようなので敬遠して読んでいないが、
エッセイなどはもう少しまとめて読んでみたいと思って、再注文してみました。
 上記の本も紛失してしまったので、手元に来てよみなおしてから 園丁に書くことにします。

もうひとつ、群よう子さんが 彼女の「贅沢貧乏」を下敷きにした 「贅沢貧乏のマリア」という本を出しています。こちらは茉莉から見た場合ではなく、外から見た茉莉の姿なども垣間見えます。
こちらも読み直して園丁に書くことにします。

私はゴミに埋もれないように。はやく抜け殻を脱して片付けしないとね。。

画像は蕾にピントがあってないですが、クレマチス・マクロペタラ・マークハミーの蕾
(またの名をマクハムズピンクと言います。)

 

夏だねえ 2002,7,23
■溶けた

溶けてしまったのはカラーの花です。

実はpon2はpon1にねだって、一ヶ月に一回花を届けてもらっています。
帰りが遅く、途中寄り道ができないので、家に生ける花を買う暇がないから&手ごろな値段だったからなのですが、今回は白のバラとソリダスターと 黄色のカラーがはいっていました。
(実は1年の予約が終わったら辞めようと思っています。花の選択が中途半端なんです。
生け花にするには、枝物がはいってないので、形が作りにくいですし、アレンジにするには花の種類や葉物が少なすぎるのです。アレンジしてもダサダサになってしまう。色の組み合わせもいまいち。)

今回は、お客様があったので、近所で花を購入して生けていたところに届きましたので、せっかくの花もバケツにど〜んと入れたまま昨日は出勤したのでした。

帰ってみてびっくりしました。カラーの茎があとかたもなく溶けてしまっているのです。
どうやら 留守の灼熱のマンションが災いしたようです。全体がべろべろのでろでろ。
とてももと一本の茎としてたっていたとは思えないような姿でした。 
こんな調子では花もかわいそうです。

■臭う

夏になると憂鬱になります。
私の鼻はアレルギーで調子が悪いのですが、ニオイだけには結構敏感です。
この季節、電車でも会社でも 室内干のニオイや汗のにおいで臭くて耐えられないことも多いです。
湿気の多いこの季節の香水やオジサンの整髪剤のニオイも苦しいですが、耐えられないのが室内干のニオイです。
今日隣に座っていた人もその人が降りると空気が軽くなるくらい重い空気をしょっていました。

よく知られている方法なので、ここをご覧になっている方はすでにご存知かとは思うのですが、内干には有名な裏技があります。
(水の蒸発は温度、湿度、風によって違うというのは中学校の理科だそうです)

1)扇風機で風をあてる
 なにがなくとも扇風機です。
 湿度が高いと空気中に水分が蒸発しにくくなります。
 洗濯物から蒸発した水分により洗濯物の周りだけが他の場所より湿度が高い状態になりますが
 風を送ることで空気を攪拌して湿度を均一にして蒸発を助けることができます。

 (日本の夏は高温多湿でベトベトですね。湿度の低い国では 汗もすっきり乾いて
  日本よりも涼しく感じます。タイに行ったときに実感しましたが、その話はまた機会があれば)

2)除湿機をつける
 洗濯物から出た湿度を除湿機でどんどんとってしまいます。
 ※除湿機をつける場合は、洗濯物を干している部屋を閉め切った方が効果的です。

だいたいこれで大量の洗濯物を室内干しても乾かすことができ、ニオイは出にくくなります。

。。。。。って今日隣に座った人に教えてあげたかったなあ。。。。

■夏の映画から話はそれて

夏の映画はなにかないか?と考えたのです。またもや同じ映画でごめんなさい。

●愛と哀しみの果て(原題 Out Of Africa)
 前に書いた パベットの晩餐の著者 アイザック・ディネーセンの原作です。
 アイザック・ディネーセンの実体験をもとにしているという話と聞いていますが、
 この映画の見所はたくさんあります。

・ファッション。 メリル・ストリープの演じる主役は 貴族と結婚したお金持ちの娘の
 役ですから、暑いアフリカへ行くのに麻のドレスを沢山着替えます。
 暑さを感じないぱりっとした白のファッションが土の色に映えてとても綺麗です。
・アフリカの自然。 すばらしく綺麗な映像です。
 本当は映画館で見るのが一番堪能できると思います。
 私は 飛行機のシーンで見られるところがものすごく美しくて大好きで、印象に残っています。
 詳しくは書かないことにしましょう。
・ロバート・レッドフォードとの大人の恋愛ものですが、ドロドロせずプラトニックな美しい話です。女性にはオススメの話です。じっくりとハンカチを用意してみてください。
 ロバート・レッドフォードも最近はじい様になってきてまだまだ健在という役を見かけますが
 あの年であの役はちょっとキモイというものもあるように思います。
  この映画の頃は素敵に演じていると思います。
 
●マディソン郡の橋 
 上の映画を書いていて、ふと思い出した映画です。一時かなり有名になりましたね。
 
 同じくメリルストリープが出ていますが、お相手はクリント・イーストウッド。
 しかし、こちらはどうも。。。。私は気持ち悪かったです。
 とりあえず、オジサンとオバサンの一目ぼれの話なんですが、クリント・イーストウッドに惹かれた理由がわからなかったし。
 
 もう一度見たいとは思わない映画でした。
 なぜあんなにヒットしたのかがよくわかりません。

●恋におちて
 上を書いていて、またもやふと思い出した映画はまったく、夏向きではないかも。
 たしかクリスマス頃の話でした。 
 
 同じくメリルストリープとお相手は ロバートデニーロ。
 これも有名になった 不倫ものの映画です。しかし、こちらのメリルやロバートデニーロは
 かわいらしかった。オジ・オバ でありながら、中学生、高校生のようなかわいらしさがあり
 また見たい映画です。

すっかりと 話がそれてメリルストリープの不倫映画をならべてしまいました。

以上はまた 園丁に書いておきます。

言霊 2002,7,22
今日は「ことだま」について。「ひとだま」と少し語感が似ていて、夏向きでしょう???
いつも以上に散漫な文になりましたが、リハビリということで、お許しください。

大王のおばあちゃんが来たので、pon2は2日間夏休みをとって、土日につないで普通の主婦をしました。家事が日頃よりも ましに?できるところが嬉しかったです。

■姑
おばあちゃんはpon2の「しゅうとめ」にあたります。
4日の滞在ですとお互いに気を使いあってスムーズに事が進みましたが、一緒に長く居る時間が長くなれば我が家もご多分にもれず、「嫁ー姑関係」が発生してくるでしょう。
前までは気にならなかったちょっとしたことが ココロに引っかかり始めると要注意。

 なぜ、姑だったらうまくいかないことが多いのか。
「母」については長年知り尽くした性格なのであきらめていたり、自分を振り返る時の思いに近いものを持つような気もします。
あまり良く知らない人(姑)と一気に物理的に親しい状況になるのも原因の一つかもしれませんね。
会社の寮などでも 機械的に振り分けられ同室になった同士はうまくいかないことも多いようです。

私も、できれば姑と仲良くやっていきたいと思っていますし、義母のほうも気をつかってくれているようですが、うまくいかないときにはお互いの気の遣いあいが反対にストレスをためたりと悪い方向へ行く場合もありそうですね。

■占いと言霊

ところで言霊(ことだま)というのはすごい言葉だなあと最近とみにおもうようになりました。
昔は、「迷信」として、とらえていたのですが、今では哲学的な概念のようにも思えます。

話しが少し遠回りします。私は占い一般をあまり信じていません。
血液型占いはいかにも科学的なように見えますが、結局は調査した結果こんな人が多かったという評価結果をもとにしていると以前知る機会がありました。
研究も調査もしていない私が言うのもおかしいですが、もし血液型に由来する傾向があったとしても人の性格には後天的なものの方が大きく影響しているように思います。

参考になるページ
http://www.bi.wakwak.com/~popopare/abonew/abo003.htm

「あなたの血液型の持つ性格は本来はこうだ」といわれることで、その性格を自分にあてはめてしまうということもあるのではないでしょうか。
占いの性格の説明は、大半の人はその中のいくつかはあてはまり、いくつかは外れているということが多いのではないでしょうか。これは、一般の占いによくあることですが、この言い表し方が絶妙なのではないかと思ったりもしています。

同じように姓名判断は、漢字のことだけに中国四千年の歴史がからんでいそうに思いますが、これもまた歴史が浅く、なんと血液型占いよりももっと後の昭和26年頃始まったらしいです。
なので、こちらも信じていません。

 観光地で誕生日ごとに札をもらう占いを友達と二人でやったことがあります。
二人とも札を引き、開いてみて二人ともあまりにあたっているので愕然としたのは修学旅行。
お互いに「コワイくらいにあたっている」と見せ合ったところ 全く同じ札を引いていました。
二人の誕生日も違えば、性格ももちろん違っていました。一気にしらけました。これは私の体験談です。

自分は「生粋の□型だ」と思ってしまっている人は 言霊に操られているかもしれませんよぉ。
「A型人間」などと言葉として定義されることによりその枠に知らず知らずのうちに自分をあてはめようと努力してしまうこともあると思います。言霊のしわざです。
たとえば、一時はやった 「コギャル」名前が定義されると同時にこれでもかと増殖したように思います。本当だか嘘だか「汚ギャル」(オギャル)なども出没しているとか。

名前が定義されることにより、人間が名前に沿うように行動してしまう。。
たとえば、嫁だとか姑だとか 母だとか義母だとかではなくて単なる「あなた」と「私」の2人の人間関係だったらどうだったろう?などとも考えてみたりしました。実際はいろいろな人間関係やしがらみがあるのでまったくの 「あなたと私」の関係になることは無理ですが。

なんてことを思いながらネット検索していましたら、占いや性格判断に関してはバーナム効果とかフリーサイズ効果とかFBI効果などという説があるんですね。

興味ある方は こちらもどうぞ。PDFです
http://psycho01.edu.toyama-u.ac.jp/barnum.pdf


■陰陽師

 本の紹介は 以前も書きましたが再度、陰陽師。ここにも 「言霊」が出てきます。

フジではじまったドラマシリーズの第1回、2回をちょっとだけみましたが、いまひとつしっくり来ませんでした。(三上博史の長髪とカラーコンタクトがコワイいです。終わり頃には違和感なくなるのでしょうか?)
本を先に読んでしまったので、そちらの呪(しゅ)にとらわれてしまったのかも。
因みにマンガ(ぱらぱらと書店で見ました)のほうは、原作に忠実です。

 少し前、私がネットで利用している名前を悪意が感じられる使い方をされたことがあり、あまり良い気持ちがしませんでした。
 安倍晴明は、自分の名前を不用意に相手に知られないようにしています。
適当な名前を名乗り、呼びかけられても返事をしません。うその名前であったとしても呼びかけに答えることで、そこに 呪(しゅ)が発生するとのこと。なるほど。面白いです。

本については旧園丁にかいたものを 新園丁に移転しておこうと思います。興味があればどうぞ。

おばあちゃん到着 2002,7,19
昨日無事おばあちゃん到着。
片付けは、お茶を濁す程度になってしまいました。
ま、こんなものでしょう。

大王はおおはしゃぎ。来週月曜まで日記は書けないとおもいます。

悪女 2002,7,17
有吉佐和子の「悪女について」を 先日教えていただいて読んでみた。

■悪女について

一気に読み終えた。
何がおもしろいか といわれると説明が難しい。
ある女性について、関わった人たちの証言が次々と載っているだけである。
その証言が一人一人微妙に違う。
それによって、読み手は、彼女はどんな人だったのだろうと想像をめぐらせる。
結末まで読み進み、たぶん、読み手によってその「悪女」の評価が違うであろう。
ある意味、実社会と同じ。多かれ少なかれ人間は、マンガの登場人物のように
「善人」「悪人」と決められるものではなく、多面性を持っているものと思う。
 
実社会では、これほどまで極端な人はたぶんいないだろうと思うが。。。
彼女は、とても頭がよい。くるくるとつじつまの合うように嘘をつき分ける。
本を最後まで読んでも、どれが嘘でどれがまことか こちらのほうが目がくらむようだ。
 とっさに、真実をつきつけられ身動きがとれなくなっても、取り乱すこともなく平然と居直る。
その言い訳がまたうまい。小気味のよいほどである。

私には到底できない芸当なので、ある意味尊敬に近い思いも抱きながら読み終えた。
ただし、実際彼女がいたとして、知り合いにはなるのは怖いな。

■悪女とは

悪女というと。。
「悪女になるなら月夜はおよしよ」の 中島みゆきの 「悪女」を思い出す。
あの悪女は可愛かったが、ところで、悪女ってなんだろう?とふと思った。

例のごとく広辞苑でひいてみると
(1)性質の良くない女
(2)顔形の醜い女。醜婦
国語辞典を引くとこれ以外にも
(3)男をダメにしてしまう悪い女
とある。

この物語の主人公は美人だったとかかわいらしいとか描写されているので(2)ではないだろう。
通常は(3)の意味で使われていることが多いように思う。

物語の中の彼女は、たしかに沢山の男性に関わって中には良くいう人もあれば悪く言う人もあり、そうしてのし上がっていったわけではあるが、
関わった男性がみんなだめになってしまっているわけではなさそうであるから、彼女は悪女ではないのではないだろうかと思ったりもする。

■女たらし

ふと思い出したことがある。
もう会社をやめてしまった後輩(Aさん)の知り合いの話である。
彼女の話はいつも面白く、私の知らない世界のことが多かったので驚きながらもとても楽しみに聞くことも多かった。
人によれば、「嘘ではないか?」とか言う人もいる。
特に人の噂は要注意。自分が体験したことは信じられるが、「友達の友達」という話になると
ほとんど信憑性は無い。 その程度の噂話として読んでいただきたい。

Aさんの知り合いは、美人で頭がよい人だが、実は芸能界でも「女たらし」で有名な俳優Bにひっかかった(<=随分とあからさまな言葉でスミマセン)ということだ。
 Bはたしか妻帯者だと思うが、噂が絶えなかった人のようだ。
もう詳細は覚えていないのだが、たしか彼女(Cさんとしよう)の家に手土産付で出かけていき、
一番先に彼女のお母さんに
「おかあさん。Cさんにお会いできて私は本当に幸せです。Cさんを産んでくださって本当にありがとうございます。」
と言ったそうだ。
たしか涙を出したとか出さなかったとかおかあさんの手をとったとかとらなかったとか聞いた覚えがあるがさだかではない。
他にもいろいろな描写があったように思うが、残念なことにすっかり忘れてしまった。

なぜ、これを思い出したか?これは 有吉佐和子の「悪女について」を読んでいただくとわかるのではないかと思う。
Bは、沢山の女の人と付き合ったけれども、その人たちすべてが彼を悪く言わない人と聞いている。

この話が もし本当ならば、小説の中の悪女も一気に現実味を帯びる。

今日は、テレビのワイドショーのようなどうでも良い話を書いてしまった。
忘れかけていた話を思い出したので、書き留めておきたくなったのだ。
 
■イヴの総て

 悪女についてといえば、この映画も。
 多くは語らないほうが良いかもしれませんが、大物女優が失脚していき、そうして新人女優が
 誕生する。1950年の映画なので、シーンなどに過激さがなく安心して見られる映画。
面白いのでオススメだ。

 悪女についても 読書記録に書いておこうとおもう。

画像はパイナップルリリー・ニューエラピンク(エウコミス:Eucomis)

根性 努力 忍耐 2002,7,16
■飛馬・ジョー

先日、2缶いただいたビールのオマケに、小さなフィギュアがついていた。
中には、ブロンズ像のような飛馬と 星一徹と思われる3センチくらいのフィギュアがついていた。
聞くところによるとブームらしい。
 
星 飛馬、明日のジョーというと 「スポ根まんが」(<−死語?) の草分けなのだろうか。
二人は子供のころから貧しく、恵まれていない。
 スポーツの才能があり、なおかつ まさに 血を吐くような努力をして頂点にのしあがっていく長編マンガだったと思う。
 (この辺は詳しい方多そうだなあ。)
勝っても勝っても、それで終わりではなく、次々に強い相手が現れて、主人公はずっと努力し、つまり成功してもずっと苦しいのだ。
(違うかもしれません。違ったらごめんなさい。。苦手なのでちゃんと読んでないのです。)

 実は、私は、昔から「つらくて苦しい」まんががどうも苦手で、気合をいれて見たことがない。

■今のマンガ

子供がいる関係で、今のアニメを見ることも多いのだが、「変わったな」と感じることも多い。
私が苦手とする 「スポ根まんが」がないのだ。

 今丁度放映中なのが 「テニスの王子様」。彼は一年なのだが 強い。めちゃくちゃ強い。
負け知らずなのだ。相手が3年であろうと、大人であろうと、傍若無人な態度で臨み、次々と
相手を簡単に倒すさまは見ていて気持ちよい。
 もうひとつ特徴的だと思えることは、練習シーンがあまりないのだ。
昔のスポ根まんがには 練習シーンはかなりの比率をしめており、基礎体力作りにはげんだり、新しい技をあみだすために苦労したりしていたようにも思う。
テニスの王子様は、ほとんどが試合。正式の試合ではなくとも、行く先々で、試合となりどんどんと相手を倒していく。

そうやって考えてみると、中間くらいのマンガは確かに以前あった。知る人は知っている「ガラスの仮面」だ。
これは、主人公の北島マヤが才能はあるが、やはり努力してのし上がっていくマンガだ。
苦しいマンガは嫌いなどと公言しておきながら、こちらはたぶん出ている巻は全部読んだと思うので、私の言うこともいいかげんなものだ。

■苦労

私は苦労は嫌いだ。おなじことをやっても楽しくやりたい。苦しい、つらいことをやるよりも、同じことでも 楽しくやれたほうがずっと好きだ。
同じ勉強をするにしても 苦しみながらやるよりも楽しみながらやったほうがずっとよく進むように思う。

もしかすると、飛馬にしても、ジョーにしても、本当は野球やボクシングが好きでやっていたのだが私がその「好き」という部分が読み取れなかったから嫌いだったのかもしれない。
ガラスの仮面の場合は、つらくても 北島マヤは演劇が大好きなのだ。

 思い起こすと、自分にとって、つらくて苦しかった 体育の授業や、英語の単語、歴史年表、
(数えだすときりが無いな。。)については つらいものが嫌いで逃げの一手だったため、いまだにうまくなかったりわからなかったりなのは、私のこの性格の弊害だなと、反省することしきり。

 今の世のキーワードが 「努力、根性、忍耐」でないことだけはたしか。
 そういう泥臭いところはパスして、どうにか楽してよいことができないかなあという気風に
満ち溢れているような気もする。

しかし、同じ事をやっても 自分の意志に逆らって苦しみながらやったほうが、ラクラクやるより尊いとされることは今の日本でも多いように思う。

 最近のスポ根がはやらなくなった理由は、そういう古来の思想から 
「できあがったものが同じなら 苦労してもしなくても同じ」(成果主義)
という思想への転換期を迎えているということだろうか。

 「努力をラクにする工夫ならば良いけれど、自分の嫌いな辛い苦しいことから逃げてばかりでは 私の体育や英語のような結末になるのは目にみえているぞ〜」 
なんて思うこと自体が 私が、前世紀の呪縛から逃れられてない証拠なのだろうか。

■いまどきはやらないかもしれない感動の映画

ブラス!

ブラスとは、真鍮のことだが、ここではブラスバンドで有名な金管楽器のブラスだ。
炭鉱の閉鎖問題とからんで、その炭鉱のブラスバンドチームのお話だ。

 私は、昔 吹奏楽部で(木管楽器も含まれているため ブラスバンドといわないというこだわりが顧問にあった)
アルトサックスを吹いていたので、すっと中に入り込むことができた。
苦労の話ではあるのだが、みんなが「好き」でやっている点で私も受け入れることができる映画のようだ。

驚いたことに気づいてなかったのだが、今人気のユアン・マクレガーが出演していた。

 人生辛いことも多いだろうけど、頑張っただけの元気が出る映画だ。
これもあとで 園丁にかいておきたいと思う。

画像はネジバナ(後ろにぼんやり写っているのはギボウシ・トクダマ(黄覆輪)

納涼会とおばあちゃん 2002,7,14
とりあえず、近況。

■土曜日(13日)

大王の保育園の納涼会でした。
保育園の納涼会は、見に行くだけではなく、準備も自分たちでやり、店番などもあるのです。
今年は 大王のクラスは 水ヨーヨーを担当しました。

午前中は家事をやり、午後からは、少しやすんでから 甚平に着替えて納涼会へ出発です。
おみこしは エルマーと竜の 竜でした。 雨が降りそうだったので、若干早めに終わって
 
 終わった後も、店や やぐらの片付けまでやる、超ハードな イベントなのです。
くたくたになりましたが、楽しめたようで、よかったよかった。

■日曜日(14日)

お昼におばあちゃんが のぞみでつきます。
大王は、実は先週の自転車の後遺症か、自分から自転車に乗りたいといわないのです。
(実際、転んだときに、横から自転車で来て 「ボクはじょうずに のれる」なんていわれたら子供じゃなくても大人でも傷ついてしまいますよね。 大王は自分ができないことが嫌いで
やらなくなってしまう傾向があるので、これを心配していたのです。)土曜も、それとなく誘ってみたのですが、乗り気でない様子。

 「せっかくのれていても、すこしたつとわすれちゃうんだよ」
 「わすれたのをおもいだしに ちょっとだけいってみようか。」

と誘い、午前中少しだけ練習してみました。 今度は落ち着いて練習できたので、まあまあ走れるようになったようです。

午後からはおばあちゃんを迎えに 駅まで行き、そのまま 叔母の家まで行き、夕方までをすごしました。 叔母の家の近くの公園で元気全開で遊んだ大王は、予想通り疲れて
駅までのタクシーの中で寝てしまい、pon1は 17キロの大王をかかえて 何度も電車を
乗り換えpon1,2とも家についたと叔母の家に電話したのは 夜8時頃でした。 大変疲れた週末でしたが、とても楽しかったし、大王もとても喜んでいたので、疲れ甲斐もあるというものです。

 さて、今週後半はおばあちゃんが家に来てくれるのです。ハードな7月後半。どうなることでしょうか。 がんばろう。

因みに、家の片付けは 元の木阿弥になってしまっています。
おばあちゃんがびっくりしないと良いけれど。

画像はアプテニア(花蔓草)

雑誌掲載 2002,7,12
先日雑誌の話から、ふっと思い出したことがある。

実はpon1とpon2は ブライダル雑誌に載った事があるのだった。
すっかり忘れかけていたのだが、先日大王が「ままがおよめさんだったときをみたい」
とのたまったので、それを見せようと写真を出した時に雑誌が出てきた。

ああいった雑誌は、突撃取材もあるようで、pon家も当日式場で「写真をとらせてもらえないか?」
と打診を受けたのだった。

■顛末

着替えて式場に入る合間に写真をとるだけで、出席者には迷惑はかからないとのこと。
当日の異常にハイな気分の私たちは、なんとなくokをだしてしまったのだった。

当初、式は 洋装だけでやろうと思っていたのだが、結局いまどきめずらしい和装ー>洋装
の4パターンすべてをこなすことになったので、雑誌側もそういう事例が欲しかったのかもしれない。
たしかに、写真をとるのは一瞬だったかもしれないが、毎回毎回の写真撮影で
私たちもうんざり。式場の人もうんざりという状況だった。
撮り終わった後、「後日、掲載の場合は電話などでお話を伺いたいと思います」と
言われたのだが、長い間電話がないので、きっとボツになったのだと思っていたのだった。

ところが、忘れかけていた日に電話があった。

相手の方は矢継ぎ早に、私が着用した衣装はどういう着眼点で選んだのか?と質問した。

ところが、私は困った。
だって すべて「着てみて似合ったもの」を選んだだけだったのだ。。
実際、私がモデルのようだったら、衣服を選べると思うのだが、どちらかというと
「似合うものを着させていただいている」という「衣服を選べない立場」だからしょうがなかったのだ。

でも、そういう答えでは、雑誌の方は困るらしい。なんとなく私の煮え切らない回答に苛立っているような気配を感じながら、私は受話器を置いた。

さて、発売された雑誌を見てページをめくると、皆さんとてもきちんと応対されている。
流行色だからとか デザインがどうだからとか。感心しながら自分のところを見ると唖然とした。

赤の内掛け「色は赤にこだわって、あえて他の色がめだたないものにしました」
黄色のドレス 「黄色こだわってこのドレスを選びました」
白のドレス 「色にこだわる私は やはり白にしました」

私 ココロの中で
(あんた。。。そりゃあんまりだよ。チューリップじゃあるまいし。)<=まるこ風。

すっかり恥をまきちらしてしまった pon2 しかも、その内容にはもう言い訳もできないのだ。
まあ、私のドレスに興味を持つ人はいらっしゃらないとは思いますが、たぶん、この雑誌を読まれた方は

「それで、おまえは何がいいたんじゃ!」とひそかにツッコミを入れられたことだろう。
私なら、たぶん、ココロの中でツッコミを入れてます。


■たまには軽い映画を

ここのところ重い映画紹介も多かったのですが、実は軽くて楽しい映画も大好き。
難しいことを考えず、こんな映画はいかがでしょう。良い気分転換になります。
こじんまりと楽しい気持ちや、ほのぼのとした気もちが味わえるようなものです。 

●バイスバーサ 

バイスバーサとは viceversa 逆さまとか 逆もまた同様にという意味らしいです。
 よくある 大人と子供の入れ替わりものに ちょっぴりほのぼのが加味され、楽しくみることができます。
子供と一緒に見ても楽しめると思いますよ。バイスバーサ ボクとパパの大逆転 (1988)
日本では劇場公開はされなかったそうです。私もビデオでみました。

 大人と子供の入れ替わりものは、ビッグ(1988)の方が有名です。これは主役が大物のトム ハンクス だったからかな。

同じ年に同じような映画でバイスバーサがネームバリューに負けてしまったのかもしれません。
私はビッグよりも こちらのほうが好きです。

主役の ジャッジ ラインホールド Judge Reinhold は、この手の役にでているのを良く見ました。
この映画ではバリバリのビジネスマンですが、だいたいは、気弱でお人よしの「やさおとこ」の役です。

彼が出ている他の映画で すぐに思い出すのは  

●殺したい女

 ベッド・ミドラー 扮する強烈な奥さんを誘拐してしまって、困ってしまう。
 カワイソウな誘拐犯の一人をやっています。
  相手役のヘレン スレイター (摩天楼はバラ色にで有名)も困った気弱そうな顔が
 ジャッジ ラインホールドと良くあって かわいらしかったです。
 これも楽しい映画です。

そうそう。もうひとつありました。こちらは有名な映画ですね。
●ビバリーヒルズ コップ。

こちらでも脇をかためて良い味をだしています。一作目からおいかけて
彼を見ていると性格の変化が楽しいですよ。

この3つは楽しくて好きな映画です。詳しくは、あとで園丁にかいておきます。

画像は昨日と同じクレマチスの台風時非難のベランダの様子。主役がぼけてます。

絵本の効用 2002,7,11
台風当日は湿度80%pon家付近では風も雨もどうにかおさまったようです。
空は晴れ上がり、今日は35度くらいまで気温が上がるとの予想でした。

ところで。。日頃使っていたノートブックパソコンの調子が激悪です。
まだ一年チョットしか購入からたってないのに〜〜〜。ショックです。

さて、昨日の「絵本」から、思い出したことです。
「こんとあき」は 園丁のほうに詳細データを書いておきましたので、興味のある方はどうぞご覧ください。

■こんとあき

以前、「こんとあき」 という絵本を買った。
ぬいぐるみの狐の「こん」と「あき」という女の子が おばあちゃんの家に行く話だ。

声を出して大王に読んでやっているうちに、私は泣いてしまって読めなくなってしまった。
以降はネタバレである。

こんは ぬいぐるみ。不安がるあきをつれておばあちゃんのところへ行くがおぼつかない。
いろいろな事件が起こる。 
そのたびに こんは
「だいじょうぶ だいじょうぶ」 といって あきが心配しないように頑張っているのだ。
消えそうに小さな声になっても 「だいじょうぶ だいじょうぶ」と言っているこんの話を読んで、私は涙が出た。
「こん。大丈夫なわけないじゃん。強がらなくて良いんだよ。」こんにそう言いたかった。

他の人とこの絵本の話をする機会があったのだが、その人は、別の部分で泣いてしまったという話を聞いて、どうしてなのだろう。。と振り返ってみた。

父は、私が小学低学年の頃までは単身赴任がちだった。
それまでは、父の転勤に家族でついていったりしていたのだが、小学校を転々とすると子供へ悪影響があるのではないかということで、私の小学校入学を機に 家族が父についていかないことを決めたそうだ。

私の下には妹がいるのだが、「姉であるからしっかりしなければ」という意識をその頃の私はいつも持っていたように思う。
 今考えると、小さな私が母の支えになるはずはないのだが、小学生なりに真剣に母のためにも妹のためにもしっかりしなければといつも思っていた。

 小学校の4年生の時、父が交通事故に遭った。
飲酒運転のトラックに巻き込まれてしまったのだ。
突然 うちに警察の人がやってきて、母がいつもとは違う様子で、あわてて家を出て行ったことはいまでも覚えている。
体ががたがた震えた。ただならぬ緊迫した様子に父が死んでしまったらどうしよう。。と思った。

 妹たちは大声で泣き出した。私も泣きたかった。
でも、「私は姉だ。しっかりしなくては。」と思った。
必死で「泣いたらダメ!泣くのをやめ!」と大声で言ったのを覚えている。

「こん」が強がって 「だいじょうぶ」と言っている。
本当は自分だって泣きたい気持ちなのに しっかりしなくてはと 思っている。
 その思いが自分の過去の気持ち
「ずっとしっかりしなくてはと強がっていた。本当は不安だった。」
と重なってこの本を読んだら泣けてしまったようだ。

不思議なことに、そういう風に自分の心の動きがわかってからは、この本を読んでも冷静に読むことができる。

■深層心理と絵本

心理学というものは学んでいないが、形になっていない感情をある形として自分で認識できるようになるとそれが解決できる場合もあるような気がする。
 こんな風に絵本から、過去の記憶がよびさまされて、そういう風に消化されていくこともあるのだなあと思った。

そういう意味でも、大人になってから 「絵本」という 多くを語りすぎず、どのようにでも取れるものに素直な気持ちで接することは 良い影響を受けることも多そうに思う。

 園丁に書こうと思い、アマゾンを検索したら、高校生が私と同じように こん に感情移入して感動した様子が書かれていた。

 読む人それぞれに、感想が違い、それぞれが感動することのできる本というのが本当に
 良い本なのではないだろうか。と思ったりもした。

■その後について

父は、かなりの大怪我だったらしい。母が病院にかけつける時、タクシーの運転手さんが
「あれは命がなかったろう」と知らずにもらしたのが、父の事故だったということだ。
しかし、幸いにも 長い入院の後、後遺症もほとんどなく、命を取り留め、無事に
会社にも戻ることができた。
 また、私たちが成長するとともに、単身赴任は少なくなったため、家族全員で夕飯を食べることが普通となったことを付け加えておく。

画像は いただきものの クレマチス ニュー エリオステモン
プチ ファッコンとも聞いています。昨年いただいて今年が初めての花です。
草丈30cmの手のひらサイズのカワイイ木立クレマチスです。

イノセント 2002,7,10
■はじめに
 
 今日の日記は、日曜にあったことをここに書くために 少しずつ書きかけていたものです。
 その後、友達が悩んでいることがあるということを知り、この文の最後にその人へ伝えたいことをつけようとしたのですが、書きたいことが うまくかけませんでした。
最初に書こうと思っていたことだけを書こうと思います。

■昔

私が学生の頃 大学祭で、映研が映画を上映した。
その時 他の映画と一緒に「イノセント」という映画が上映された。

詳細を知らずに見た私は、まず、映像の美しさにとりこになった。
話がすすむにつれ、なんとも題とかけ離れたショッキングなストーリーに驚いた。
筋の詳細をおぼえていなかったので、ネット検索してみたが、はっきりとは思い出せない。

あのときは、どうして題がイノセントだったのか、そういうことも考えずにただ見ていた。
今また見ると、もっと落ち着いた目でみることができるかもしれない。
貴族の絢爛たる生活を描いた あの映像の美しさを、もう一度見てみたい気もする。
ただ、内容的に家族では見られないなあ。

後になって知ったことだが、これが ヴィスコンティの遺作の映画だそうだ。

■大王に教えられる。

話は変わる。
私は自分でも親バカだと思う。
{自分の子供を大事に思う気持ちというのは親の本能で、子のアイデンティティの確立にも必要で、親は自分の子供に対してある程度親バカであることは必要ではないかとも思ったりする。}
なんて。。そう言い訳を考えること自体、もうどうしようもないくらいに「重度の親バカ」なので、
以降はそういう人が書いたと思ってそれなりに軽く差し引いて読んでいただければと思う。

++++++
日曜、件の子の行動は さらっと書いたのだが、実は その子はかまって欲しいという度合いがあまりに強く、私としてはかなり戸惑った。
今までそういう子に接したことがなかった。
年は5歳と聞いたが、若干言葉の発達も 遅いようでもあった。

私が、最初に疑問を感じたのは その親に対してであった。

・親としてのフォローをきちんとおこなっていないのではないか?
・公園と同じように、家でも自分の子供と向かい合ってなかったり、相手にしていないのではないだろうか?

と思ったのだ。
公園でも自分の子供に、知らん振りを決め込んでいる親の非常識さを思った。

自転車の練習が嫌になってきた大王は、自分のサッカーボールで他の子と一緒にサッカーしようとした。
その子は、すっと入ってきて、サッカーボールを独占しがちになり、サッカー上手でない大王はボールに触れない。

とうとう大王は 嫌だ!と自己表現した。

大王はまだ4歳、相手も5歳。ほとんど道理はわからないはず。
私は緊張し、どう介入するべきか やきもきしながら見ていた。

その子の言い分を自分で聞いて、大王は
「ひとりでつかわずに、みんなに ぱすをまわすのならば なかまにいれてあげる」
と言った。

はっとした。
「無垢(イノセント)とはこのことを言うんだな。」
もし、私が大王だったらこんなに公平な決断は下せない。
その時の私から見ると、その子がやっていることは今までにも理不尽で我慢できないことが沢山あったからだ。
淡々と事実のみを把握している大王に比べて、頭に血がのぼっていたのは私だ。
子供のことだからと思い、一生懸命、私は 外に表さないように抑えていた。

大王の日常を見ていると、まだまだ物事が理解できていないときも多い。
ものの道理がわかってした対応ではないにしろ、この対応は私から見ると100点満点。

私の方はといえば、件の子への対応にうんざりして、「もう帰ろう」と大王に言いたくなっていたのだ。
導くはずの私が、大王に教えられたという結末だった。
同じように採点したとしたら、大目にみても60点ももらえれば良い方だろう。


■成長

子供と関わることで、大人も成長するとよく言われるが、たしかにそう思う。
子供を通して、私は実にいろいろなことを 再体験している。

 水泳で水にうまく乗ったときの気持ちよさ、空に向かってうまく物を投げたときの気持ちよさは実はこの年になって初めて知った。 
 体育は苦手だったため、授業の評価として頑張っても点が取れない苦痛なものとしか認識していなかった。

精神面でもこうやって、無垢な対応を目にするにつけ、大人の世界で荒んできた心も浄化されるのかもしれないと、子供の存在をありがたく思う。


■友達や、自分の事に悩んでいる人に

 ここに書こうとおもったことは 別のところに書いたので、本の紹介をしてみようと思う。

==========
 絵本は、子供がいないとまず、大人は手にすることはありません。
 子供から学ぶように、大人の心を揺さぶる絵本もあります。
 忘れていた気持ちを思い出します。
 絵本から受け取るものはみなさんまちまちかもしれませんが、私が最近好きだった絵本を紹介します。

 下の2冊は大胆な絵と色使いの綺麗さが話をひきたてていると思います。

 ●ともだちくるかな
   おおかみは きつねと ともだちになりました。
   今日はおおかみの誕生日。きっと来ると思っていたきつねが なかなかきません。

 ●ごめんねともだち
   おおかみは きつねと 些細なことでけんかしてしまいました。
   ごめんねのひとことがいえません。

 下は以前、ブームになった本だということです。私は妹と友達から教えてもらって
 購入しました。
 たぶんご存知の方も多いでしょう。
 私は、日本語訳者の解説はあまり好きでありませんでした。
 こういう本は 解説されて読むよりも、個々が自分の好きなように読んで良いと思います。

 ● ぼくを探しに
   自分のかけらを探しに ぼくは旅にでます。

 ● ビッグオーとの出会い 
   自分で転がれない かけらの物語です。

 以上は園丁にあたらしい絵本のカテゴリーをつくって登録しようと思います。
 興味があればご覧ください。

画像は、子供の頃からちょっと変わっている ドルステニアの双葉


暑い 2002,7,9
台風がくるそうで、風もなく、じっとりとした空気がまとわりつくような
不快感の高い気候です。

 今日は日曜のことについて、親ばかネタを書こうとおもっていたのですが、まとまりませんでした。後日にしようとおもいます。

せっかくだから何か書こうか。。と、じっとりした空気を感じながら帰ったのですが、
「不快な空気」から この本のことを思い出しました。

■黒い家

 貴志祐介 第4回ホラー小説大賞 大賞受賞作だそうです。
 大竹しのぶの主演で映画化もされたようですが、映画は見ていません。

 保険金にからむ殺人事件といえば、数年前のあの事件を思い出される方も多いかもしれません。
実に良く似た話だったような記憶があります。

 実は、私は読んでしまった本の筋を忘れてしまうという特技があるのです。
 最後まで一気に読んだ記憶はあるのですが、詳細を忘れましたので、もう一度読んで
 ざっつ園丁に書こうと思います。少し待ってくださいね。

画像は ベゴニア ティネラ のオレンジ色。 雄花と雌花がついています。
 

大王自転車に乗る 2002,7,7
はじめて大王は補助輪をはずして自転車に乗ることができました。 
しもべとしても嬉しい限り。(決して早くはないのですが、そこは親心)
大王。おめでとうございまする。\(*^○^*)/ 次回は自由自在に乗れるようにがんばりましょう。

 公園では、なぜかくっついてきてしまったよその子の世話でなかなかおもうように自転車の練習ができず、結局は来週に大詰めを残すこととなりました。
来週こそは、ビデオ持参でしっかり記念映像をのこそう(<=親ばかモード)

■ちょっと愚痴

ところで、そのくっついてきてしまった面識のない子のことです。
かまってほしかったらしく、大王に気を向けないようにすごく自己主張をしてしまうので、実際は大王よりもこの子にとても手がかかりました。 

その子を面倒見るはめになったpon家に その子の「おかあさん」は顔をあわせるでもなく
一度も遊んでいる子供の近くに来ることなく帰っていきました。
顔も判別できないほど(30メートル以上は離れていたでしょうか)遠〜くの木陰のベンチでずっと座っていた人でした。
結局pon家は 便利な無料のベビーシッターとして使われたようでした。

なんだか釈然としません。
私はよその子のベビーシッターのためだったら微熱を押してまで公園には行かなかったです。
「保護者の責任放棄してませんか〜。困っているんですけど〜。」とその人にいいたかったです。

愚痴で失礼しました。


■元気のないあなたへ

私も夏風邪ひいて、ここのところとてもだるくて、体もきつかったのですが、
そういう方が多いようですね。私は 目やにと微熱、倦怠感 という風邪でした。
もうそろそろ私のほうは回復期にさしかかったようで、元気もすこしずつ回復してきました。

体調が悪いと、気分も落ち込み気味になります。
最近はなかなかビデオを見る時間も取れないのですが、以前は、私は気分に合う好きな映画(ストーリーが明るすぎないことが肝心)を見て、すごしていました。
体調の悪いときは、外にも出ることもなく、あまり動けません。
そんなときに、じっくり浸ることができ、映画の世界を擬似体験することで気分転換につながるのではないかなあと思ったりもします。

 映画には好みがありますので、どなたにも向くかどうかはわからないのですが。
落ち込んでいるときは、これなんかどうでしょう。
一人でじっくり見るのがオススメです。

●砂の惑星(デューン)SF、画面が暗い、ストーリーが暗い
  長編の小説を読むようです。怨みをはらすようなストーリーですし
   画面も暗く、長いので人によって好みが分かれるものだと思います。
   私は最初はさほど好きな映画ではなかったのですが、何度も繰り返してみるうちにとても好きになってしまった映画です。
 注意)かなり醜悪な場面もあります。

●バベットの晩餐 
 こちらも不思議なストーリーです。画面が暗い、話が明るくない、
 というところでかなり落ち込んだときの映画として見込みがあると
 思います。
 こちらもとても好きな映画です。

両方とも、詳細はのちほど「ざっつ園丁」のほうに書いておきますので、興味があったら
ご覧ください。

画像はこぼれだねで夏に咲いてしまったフユシラズ(寒咲きカレンジュラ)

ポピーザぱフォーマー 2002,7,6
大王の風邪は治ったようで、元気ばりばり。
pon2のほうは、喉とか目ヤニとかその他ボロボロ状態でとりあえず。。復活をまつ!状態。
やっぱり、子供の治りは早いわ〜。

そんななか7月は忙しくて、週末も全部ふさがってる状態。大丈夫じゃろか〜。
今日は保育園で係の打ち合わせ「親子で学ぶ」の計画を話してきました。あ〜ん喉いたい。

■ところで
ポピーザぱフォーマー
http://columbia.jp/~popee/
というのをご存知でしょうか?

 言葉はひとつもなくて、登場人物の表情だけで話が進む、ギャグ?ナンセンス?シュール?
な短い番組です。
 うちもケーブルテレビに加入してはじめて知りました。

 大王くらいの子供にはどうかなあ〜ちょっとなあ〜
 と思うような話もあるのですがなぜか これがみょ〜にココロに残るのです。

どうしてだろう。。と思ったときふとおもいあたりました。

 言葉がない分、登場人物の表情で、その人の気持ちを読み取っているんですね。
表情が豊かな分、言葉よりもずっと鮮烈に印象に残るような気がします。

 ポピーはドジだけどまじめ、太陽のような扮装のお父さんは大胆でお茶目、そうしてケダモノは意外に良い人。 そんな風に私には見て取れます。

 面白いのはケダモノで、表情変化は パラパラマンガのように お面に顔がかかれているものがぽろぽろ落ちて変化します。
 お面の下の顔は 変化のないオオカミ?(<=とったところを見たことないので予想)
 なんです。 
 だから良い人のように見えても、本当は只の無表情のケダモノなのかも。?
  
 この辺に深さがあるなあ。。

■ネット

いまさらですが、最近、本当にネットが怖くなりました。いままでは、人の裏表などはあまり意識せずにやってきたのですが、ネットという匿名の世界の 人の裏表をいろいろと経験することがあり、あらためて 現実の世界よりも底知れない恐ろしさを感じます。
 
 今までそれを意識せずに(もしくは忘れて)生活していた私が、長い間「インターネット知らず?」(cf.世間しらず)だったわけですから、今後は少し気をつけてやっていこうと思っています。

 そんな話をpon1にしたところ、「うちの掲示板がある頃、掲示板に来てくださる方は
ネットにしては随分と良識のあるマナーのあるひとばかりだなあと思っていた」と
感想をもらしていたので、 私がたまたまお付き合いしていただいた方々が
良識のある方ばかりだったということのようです。

でも。いくらお面の下のケダモノはいつもオオカミの顔で無表情だったとしても
お面の顔と反応をみて、「う〜ん こいつってば いいやつじゃん」 なんて思う私は
懲りない人なのかもしれません。
 
■私家版

そういえば。以前読んだ本(翻訳本)で 私家版 というのがありました。
ハードカバーで読んだのですが、以下の本だと思います。
(urlはアマゾンです)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4488208029/qid=1025939582/sr=1-3/ref=sr_1_2_3/t/249-3031652-7903556

相手の作家は主人公からすると 「超ムカツク」人間(<−死語ですにゃ)だった
わけですが、それを仕組んだのが自分と知られないように、
その人を失脚させるために いろいろなことを仕組むわけです。
 読みはじめてから ネタバレ状態だったので、たしか本を処分したと思います。
手元にないので詳細不明ですが、 こういうことが小説になるってことは 案外やっぱり人間みんなケダモノなのかも。。

 私は見たことはありませんが、ネット検索してみたらどうやら 映画もあったようです。
筋を読でみるとこの話の映画化のようにも思います。
下のurlはネタバレしてると思いますので、ご注意を
http://www2.justnet.ne.jp/~guillo/cnmgltsq/shikaban.htm
 
 この映画も見てみたいな。

画像はピクツラータ?のアップ

価値観 2002,7,5
世の中には、似たような人がいるものですね。

以前、対人関係のワークショップに研修で行きました。
そこでは、人間を行動パターン等からいくつかのグループに分け
その人たちが 「周りの人からどうおもわれるか」を分析するようなものでした。
内容的には、今あるネットの性格判断とおなじようなものです。

 グループ分けしたグループ相互の対人関係についても「このような傾向がある」などと学びます。

そんな風に、最近聞いたある人の価値感について、私の身の回りにも似た方がいらっしゃる
なあ。。と思うことがありました。

■価値観

私の価値観の理想は、ディズニーランドの ホーンテッドマンションのごとくに
「セーフティレバーは 私が下げる」です。
少し前に 子供の歌で 「ピカソもダビンチも 良いかどうかは自分で決める」という歌を聴き、「えらい!」「そうでなきゃ!」「いいこと言うなあ!」なんてブラウン管のこちらで褒めちぎりました。
(モダンチョキチョキーズというグループの歌らしいです。好きです。)

しかし、世の中には 価値を自分で決められない人がいるのです。

○○さんが言っていたから。
▲▲という雑誌にのったから。
□□出身だから。  etc.

そういう人たちは自分の価値観というよりも、人に価値の判断を委ねているのでしょう。

たとえば、 
1)「ピカソの絵が心に響いて好き」な人と
2)「ピカソの絵はみんなが良いというから好き」な人と
3)「ピカソの絵は高いから好き」な人。
4)「ピカソの絵は有名だから好き」な人。

できれば私は 1)になりたいなあ。

■エゴ

でも、自分の価値観を他の人に押し付けたり、沢山の人がいる場で他の人の迷惑になるのに
それを主張しつづけたりということは 集団生活を放棄することですから避けたいと思います。
 自分が集団の中に居たいとおもうのであれば、自分も相手も心地よくやっていける方法を
模索しないと。。

 と、自分を戒めたりしています。

たとえば、最小の単位である 私と相手という場合。
意見の相違があったときは自分の主張をし、相手の意見を聞き、
自分と相手が双方納得の行く形に話し合っていきたいと常々思っています。
しかし、これは あくまでも 相手と自分の良好な関係がないと成り立たないことかもしれません。

■価値観の相違

とは言っても、上の分類で、特に1)の人と それ以外の人たちはなかなか話しがあいそうもありません。
もともとの計る物差しがちがうのですから。
 
 そうなってくると、考え方が違う人たちとは お互いが傷つかない程度に距離をおいて付き合うのが良いのかもしれないなあと最近思います。

■あるひとの話

ある人が子供だった頃の話を聞いたことがあります。
「父は、私をあまり誉めてくれなかった。」
「一度誉めてくれたときを覚えている。ご近所の方が父に向かって 私を誉めて下さった時に ○○さんが誉めてくださった。偉かった。と誉められた。」と。

「○○さんが誉めていたから」ということでしか誉められない子供は
なんてかわいそうなんだろう。。。とその時心の中で思いました。
やはり、子供は親の尺度で誉められるべきだと思うのです。

 よく
 「そんなことをしたら、人にしかられるぞ」というのが 良くないしかり方だと言われています。
それと 同じように 
 「○○さんが誉めていたから 偉かった」という誉め方は 私には どうも賛成しかねるのです。

他人の尺度でしか自分が測れない人は気の毒だと私は思います。

私は、大王を育てるときに、できるだけ「自分の考えとその理由」を伝えたいと
思っています。もう少し大きくなってくると、大王は今度は 「子供なりの考えと
その理由」でこたえて欲しいと思います。
 そのときは、大王の考えを一人前として扱い、まじめに正面からいっしょに
考えていきたいと思っています。

 とはいっても、本当にこれでよいのか。
子育てには 正解というものがなさそうですし、理想通りにはいかないことも多そうです。
自分のやっていることで良いのかどうか いつも悩みながら手探りなのですが。

■なぜか好きな映画。じっくり見るタイプです。

 私の中のもうひとりの私 1988年の映画です。

 老齢に差し掛かる頃の 主人公(ジーナ・ローランズ)は 大学教授。
 彼女には、他の人からうらやまれるようなすべてのものがそろっているようで自分もそのように思っていました。
 人からも完璧だとおもわれるようなキャリア、不自由のない生活。完璧に見える夫。etc.
  彼女は論文を書くために アパートを借ります。隣はセラピストの部屋。
 そこに通う女性(ミア・ファロー)の相談が漏れ聞こえ、それを聞くうちに 自分の人生に
 疑問をもちはじめます。

 随分前に見た映画ですが、何度も繰り返し見ました。監督は ウディ・アレン

 これも園丁に書いておきますので、興味がある方はどうぞ。

画像は札落ちで購入したものですが、たぶんクラッスラ ピクツラータかなあ〜。







むくむ 2002,7,4
梅雨の晴れ間とはいえ、湿度60気温29度ちょっと蒸し暑いです。

今日は大王も風邪、私も風邪で家で過ごしています。

ここのところ足がだるくてむくんで足の裏にサロンパスもいまいち。。という感じだったのですが、昨日ふとおもいついて ずっと昔に購入した 強力サポートストッキングを使ってみました。
 あまりの不透明さにお蔵入りになっていたものです。
これが効き目ありますね〜。 ちょっとはまっています。
私は足の親指が一番長いので、サポートタイプのストッキングは 足の親指が痛くなってしまうのですが、それを除けば快適。

画像は ゼラニウム バンクーバー センテニアルの 花。今年はたくさん咲きました
今日はこれだけ。

塩梅 2002,7,3
今年は梅雨らしい梅雨が訪れて、はっきりしない天気の毎日が続いています。
つゆ は梅雨 と書きますが、この字をかくとかならず思い出すのが塩梅(あんばい)です。

 私が習ったときには、梅の塩加減のように。。と習ったのですが、諸説いろいろあるようですね。

■ボーナスの続報

先日、ボーナスの使い道をおもいつかないなどと書いたところ、愛用していたシグマリオンを コンパクトフラッシュ側(P-in comp@ctつけたまま)から落とし、バックアップもできなければ、通信もできず。。

 めでたくボーナスで シグマリオンを購入することができました。
(さて、ここで問題です。 
 1)ボーナスの使い道を見つけ、新しいシグマリオンまで手に入れた私は幸せものだ。
 2)シグマリオンを壊してしまった私はボーナスまで使うことになり不幸だ。)

 実は、先日偉そうに 「ボーナスの使い道が見つからないのは満ち足りているからだ」などと書いたことには嘘があったかもしれないと、振り返りました。
じぶんでも気づかないうちにそう思いこもうとしていたのかもしれません。

<昔は、素敵な洋服が欲しくて、ボーナスをつぎ込んだこともあった。
でも、今は、洋服を購入しようとしても、鏡をみるとガックリして悲しい。
 スタイルが悪すぎるのです。だから 洋服は要らないのかも。>

■ないものねだり

いろいろとかんがえてみると 私も無いものねだりが多いなあとおもいあたりました。
無いものねだりは、言いかえると上昇志向につながり、それが進歩の原動力になるのでしょうか。
 たとえば スタイルが悪いー>スタイルが良くなりたいー>努力して痩せる。
などです。これがあるから 人間進歩していけるのですね。

 そんな風にないものねだりを思うとき思い出すのが、産休という出来事です。
  会社勤めの私が産休の頃 初めは、手が回らなかった家事もできるし、自分の好きなこともできるしと喜んでいたのです。
  ところが、数ヶ月たつとつらくなってきました。

 会社は自分が仕事を計画して形にして、それが評価され給料に結びつきます。

  ところが、家事は、「できて当然、できなくてはダメダメ」という毎日同じ繰り返し作業が
 ず〜っとあるわけです。評価は家族だけです。
 たまに、いつもと違うものを作ったり考えたりしても、評価者は家族だけです。
 多少誉めてもらっても、自己満足をかみしめるむなしさを感じました。
  昼間は子供(その当時赤ちゃんですから、言葉も通じません)がいるだけ。大人との 会話もほとんど夫とだけです。テレビをつけると どのチャンネルでもワイドショーで 同じ話題を何日にもわたって 流しています。

 大人と話がしたい。もっと生産的なことがしたい。もっと知的なことがしたい。

 産休が明けるのが待ち遠しかったのです。

 そうやって嬉々として、会社に復帰した今は、しばらくすると今度はまた、会社に束縛された生活をうっとおしく思い、子供の世話や家事を思うようにできないことを不満に思う。

 つくづくの無いものねだりです。

■塩梅

 会社も、個人の生活も満足いくように というのは 結局はないのかもしれません。
 いつもどちらか偏りすぎた部分を修正してバランスをとりながらになるのかも。

 人とのかかわりも。狭い範囲でのみ関わっていると、人恋しくてどんどんと かかわりをひろげすぎてしまう。しかし、そうしているうちに自分の根本の思考と相容れない人や、自分が対応しきれないほどの人数を相手として関わってしまう。
 
 その辺を片方ずつにかたよりながら、やじろべえのように、バランスをとりながら 修正して生きているのだなあと思いました。
 
■疲れたあなたに痛快な映画を

  ロング キス グッド ナイト  1997年の映画です。
  (The Long Kiss Goodnight) 主演は ジーナ ディビス。丁度今TVで予告編が
  流れている スチュワート リトル 2(ネズミがしゃべる〜)の 人間のママ役の人です。
  前作の スチュワート リトル でもママをやっていたのを先日テレビでみました。
   もっと前になると ビートル ジュースの 奥さん役もやってますね。彼女のコミカルな映画を私は多く見ています。
  顔は正統派美人というよりは、なぜか 私は ドナルドダックの恋人のデイジーを思い出します。口の感じかな。

  題からみると気恥ずかしくなるようですが、内容はぜんぜんちがいます。
  筋は、平凡な主婦のはずのジーナ。なぜか 命を狙われる。そして強い。めちゃくちゃ強い。
  実は、彼女は記憶喪失で、その強さと命を狙われている原因は その失った記憶に原因があるらしい。
  という話。

  ちょっと疲れてちょっとストレスたまっている主婦という方にはオススメ。
  (私ももう一度見ようかな。。条件ぴったりだし)  

  これも もう少し詳しくは園丁の方に書いておきます。よろしければどうぞ。

画像はゼラニウムバンクーバーセンテニアル


健全な精神は健全な肉体に宿る? 2002,7,2
■肉体と精神
「健全な精神は健全な肉体に宿る」
子供の頃から良く聞いたこの言葉。由来はなんなのだろう?
とネット検索(便利ですね)をしてみると、どうやらローマ時代のユウェナリスという人の
詩に由来するらしく、元の意味は少しちがっていたようです。
ヒットしたページのurlは以下です。
http://www.geocities.jp/hgonzaemon/intro_juvenal_intro.html

子供の頃には疑問を抱くことなくそのまま覚えていたものが、ある日突然
「え?これって?」と思うことがあります。この言葉もそうでした。

病弱な人でも崇高な精神の持ち主は沢山いらっしゃるでしょうし。。。
健全な肉体をもっていらっしゃる方でも 精神が健全でない方もいらっしゃるかも。
と皆さん思われますよね。

この原典ではどうだったということを 一旦置いて、

・肉体が健全でなくなることにより、精神が健全でなくなることはある。
・精神が健全でなくなることにより、肉体が健全でなくなることもある。

ということはあるように思います。

■健全でない肉体

昨年の初夏のことです。
疲れる日が続き、風邪を引き、それを引きずって とうとうダウン。
診断は、肺炎とのことでした。
一日休んで、会社に行くつもりだった私には 3週間の安静が言い渡されました。

私「あの。明日から会社にいくつもりだったのですが。。」
医「死にますよ」

正直な話、大げさだなあ。。。と思いました。
しかし、完治した今思うと、たしかに極限まできていたようです。
まず、夜苦しくて眠れなくて、居間に布団をもってうつりました。
そうして、まんじりともせず、朝を待ちました。
朝の光が目につらくて、カーテンを引かずにはいられませんでした。
病院で待っている間、日頃は気にならない小声でのおしゃべりが耳について、
とにかく横になりたくて「お願い。つらいのです。話を止めてください。」とずっと心の中で
となえていました。待っている時間が本当に長かったです。

 いろいろなものに対しての許容範囲が狭まり、我慢できない状況になりました。
 また、植物の世話どころではなく、植物に気が回らない状況なのです。

■健全でない精神

ここでいう健全でない精神は、良い人悪い人というのではなくて、
病気<=>健康  悩みあり<=>悩みなし ということでしょう。

いろいろな悩みや、苦しみが影響して病気になるというのは最近は広く知られています。
たとえば、胃潰瘍。
癌も、悩み等がある場合に免疫力の低下を伴って悪化するという話も聞きました。

 昔の呪詛というのも、そういう面では本当だったのかもしれません。
「誰かに呪いをかけられているのでは?」と怯えることにより、どんどんと衰弱して
しまうということは、信じていればありそうな気がします。呪いは完全に隠れてかけるより
 それとなく相手にわかるようにかけたほうがより効果があったかもしれませんね。
わ〜陰険でコワ〜ィ。(もしそうなら、鈍感な人は呪いにかかりにくいのでしょうか。) 

今年は春から調子が悪く、アレルギーが悪化し、なかなか治りませんでした。
ひとつには、杉花粉が渋谷の10倍も飛ぶような場所に勤務し始めたのですから
それなりに、原因となるものもあったと思います。
 今年、事務所の中は 花粉症の人たちで埋め尽くされました。

 アレルギー持ちの友達に聞くと 疲れや、ストレスもアレルギーの悪化の元だそうです。

 よく考えてみると、春先から公私とも ストレスが多かったので、それが影響していたのかもしれません。
 アレルギーの原因がストレスだった場合は、まさに 精神が肉体に影響したということでしょうか。

■植物と健全なる精神、肉体。

植物の世話も、健全なる精神と肉体がないとうまくいかないように思います。
実は、大切にしていたセファロタスを枯らしてしまいました。

慌てて水をやりましたが、どうもダメなようです。残念です。

 「生きてるだけで精一杯よねえ」というのが合い言葉のような生活なので、
自分と家族が生活するのに精一杯ですから、ちょっとでも何かのバランスが
崩れると 植物にしわ寄せが行きます。


■植物にあやつられる?

何度も失敗しても、それでも育てたいというのはどういう心理なのでしょう。
植物に人間が操られているという話もたまに聞きますが、キノコを育てるアリのように
種を運ぶ昆虫のように 習性を利用されて何かに操られているのでしょうか。
 もしくは自然の中では安定を保つことが種の長期保存の秘訣なので、たとえば、
プラスイオンとか マイナスイオンのような、何か「定め」(というと怖いけど)なのかもしれませんね。

もう随分前の映画になりますが、 「グリーンカード」というのがありました。
 あの がっちりとした体と大きな鼻の ジェラール・ドパルデュー と いつまでも少女の面影のあるアンディ・マクドウエル が主演です。
アンディ マクドウエル は、夫婦者しか住めない 温室付のアパートに惚れ込み、そこに住む資格を
得るために 面識の無い人 (=>グリーンカードを欲していたジェラール・ドパルデュー)と偽装結婚をします。

 温室に惚れ込んで、偽装結婚なんて、嘘っぽいと思われますか?
荒れ果てていた温室を嬉々として作り直していく彼女の気持ちが 映画をみるうちに
なんとなく「わかるぅ〜」という人は 私と同じく植物に操られているかもしれませんね。

 衝撃的な事件はありませんが、心に訴えかけるものがあるような、
 きっと好きになる映画だと思います。機会があったらどうぞ。
’91年度にゴールデン・グローブ賞2部門受賞した作品だそうです。

 この文に少し足して 映画のことを ざっつ園丁に登録しました。

 画像は、オフでいただいたキャベツの木。本名クッソニア・パニキュラータ
Cussonia paniculata


出不精 2002,7,1
わたしは 出不精なのです。おうちが一番好き。

大王をお風呂にいれたとき
「おかあさん。でぶしょう?」と聞かれました。

もしかして 大王それは

○デブ症
×出不精

ってことですかあ〜。

湿気のおかげで脳みそにカビがはえてきました。 コントのようでごめんなさ〜い。

画像は ブルンフェルシア アメリカーナ
良い香りのお花です。(少し写真うつりが悪いですが)