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王様の耳はロバの耳(過去ログ)

普通は言わないけど、みんなどう思う?言いたいけど言う機会が無いみたいなことをおもいついたときに書こうと思ってます。

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せかいでいちばんおにぎりがじょうず。 2002,6,30
大王は、自称世界でいちばんおにぎりを握るのが上手らしい。

「せかいでいちばんおにぎりがじょうずだから」

と つくってくれる。

画像は ギボウシ トクダマ

 

テレパシー 2002,6,28
■家族八景

子供の頃超能力とかそういう類のものが本当にあるのか?あるのならその力が欲しいと
思ったりしていた。
筒井康隆の 時をかける少女 や 家族八景 なども一生懸命読んだ。
家族八景は人気があったのだろうか、続編もいくつか出ていて それも全部読んだ。
主人公の七瀬は人の心が読める超能力者なのだ。
 面白かったような気がして、大人になってからまた読んだのだが、
あらためて読むとあまりにもあからさまな描写に こんなだっただろうか?
と戸惑った覚えもある。
 子供の頃はそういう描写抜きにして、相手の考えが読め、
身の回りの勧善懲悪をする七瀬を「カッコイイ。」
「うらやましい。」と痛快に思ってよんでいたのかもしれない。

■Night Head

会社に入ってからのことだが、テレビの深夜枠で ナイトヘッドという番組をやっていたらしい。
豊川悦司 武田真治 の不思議な兄弟役が有名になりブームになったようだ。
 残念ながら、この番組は私は見ていなかったのだが、文庫本で全巻読んだ。
 飯田譲治の本で、角川から出ている。
実は、あまり期待せずに読んだのだが、これは面白かった。心理描写が絶妙で
おもわず感情移入してしまいそうなところもあったような記憶がある。 
手に汗握る描写で、息もつかずに3巻全部読み進んでしまった記憶がある。

■超能力

先日、冗談で 「欲しい欲しいというテレパシーを飛ばしていたら」と
よそに書いたのだが、あらためて思い出してみると
二つの本の主人公ともに、超能力を持つことによって幸せを感じていないというのが
共通点としてあげられる。人間の醜さ、自分勝手な思いに翻弄されるのだ。

「テレパシーがあったら大変だろうね。良い人のように見える人が
考えていることがわかってみたら、大変な人だったということが
好む好まざるにかかわらずわかったら。きっと正常な人には耐えられないかも。」
「だから、テレパシーを持っている人はいないかもしれないね。」
と家族で話をした。

でも、もしかしたら、テレパシーを持っている人がこの文を読んで、
「いやいや、人は悪意を持っている人ばかりではないから、
 そういう人を避けて生きることができる私たちは とても幸せなんですよ。」
というかもしれないな。

反対に、それをうまく利用して
世の中をうまくわたっていく人も中にはいるかもしれない。

綺麗な心をもった人だけが 超能力を持つわけでもない。。。
透明になるというある意味「超能力」を持った人が「悪い人」だったホラーが
「インビジブル」
映画化されて、文庫本にもなっています。

画像は 沖縄の方からいただいた モアレのような斑入りのタマシダ?


保育参加 2002,6,26
今日は大王の保育園で保育参加というのをしてきました。

子供と一緒に登園し、午前中メニューをすべて一緒に過ごします。それから懇談に参加して帰宅しました。

楽しかったぁ。しもべ1,2とも参加し、他のお宅のお父さん、おかあさんも参加していらっしゃいました。

子供達は親の心を微妙に読み取っているようです。私は子供と遊んでいるとつい子供の気持ちになってしまうので、大王にかかわらず、子供達は少しずつちかよってきて、多いときは3人くらい私の体にぶらさがったりしがみついたり。嬉しい悲鳴でした。
 どの子もカワイイ!!

pon1はやはりお父さん。男の子たちに人気でミニカーでの遊びに誘われていました。

あいにくの雨だったので、室内で遊びましたが、はりきりすぎた私は靴下が滑って
すってんころりん。子供たちは転んだ大人などみたことないからか、またうちとけたような
気もしました。 

女の子たちは次々にやってきて 私のしていたビーズネックレスをみて「カワイイ」と誉めてくれたり、ピアスを見て「なんでつけてるの?」「いたくないの?」「ぐさっとさしたの?」
ですって。やっぱりアクセサリーが気になるところは女の子ですね。

体操をしたり(ラジオ体操してて良かった。。。)おっかけっこしたりとても楽しく過ごしたのですが、すっかり疲れてしまい、帰宅後はぐうぐうまた親子ともども寝てしまいました。

ああ、でも本当に楽しかった。3ヶ月に1回くらいあってもよいな。
大王。楽しかったね。

画像は 黒法師

藪の中 2002,6,25
■女性の勘
 
私は見逃したのだが、以前 ある番組で、男性よりも女性のほうが
脳梁が太くて勘が働きやすいという検証と結果紹介があったそうだ。
http://www.ktv.co.jp/ARUARU/search/arucan/kan_4.html
諏訪東京医科大学脳・人システム 篠原菊紀助教授
『女性は男性に比べ脳梁がなどが太いため理論と感覚を総合的に使いカンが鋭くなる』
上のページより。

■Bさん

会社に私が尊敬している人 Bさんがいる。彼女は私よりも10歳くらい年下である。
 私が尊敬している人などと書いていると知ったら、彼女は驚くだろう。

 彼女は10歳の年の差を感じないほど、良い意味で大人であり、物の見方がシンプルだ。
最初に同じ仕事をはじめたときに、私よりもずっと理にかなった物の考え方をしている彼女に驚いた。
しかも、彼女は楽しくて、男性からも女性からも人気のある人なのだ。

 仕事の面でも、核心をついた見方で物事をとらえ、シンプルで使いやすい機能を考える。
とかく、ソフトウエアが好きな人たちは、いかに難しい技術を自分が使えるか
ということに酔いしれる人も多く、どんどん複雑にしてしまう人も多いのだが、
彼女はいたって簡単に組み立てる。
この「シンプル」というのが大切なのだ。複雑なもの、なかなか理解できないものには
バグとよばれる障害も発生しやすいのである。
 (昔から良いプログラムは構造的にも美しいといわれているようだ。)

あるとき、別の後輩の作ったプログラム仕様をレビュー(間違いがないか検証すること)
することになった。 渡された仕様書をパラパラっとめくり、まだ説明されてないうちに
「んんん。ここ〜。」とBさんが言い始め、よく検証していくと矛盾点があることが
わかった。 私はとても驚いた。
Bさんに「どうして、あのとき、何の説明も受けてないのにあそこがおかしいと思ったの?」
するとBさんは、「いえ。なんとなく何かが変だなと思ったんです。
そうして見ていたらやっぱり変だった。」
 この言葉でなんとなく納得できた。考えて指摘するだけの時間の余裕はなかったからだ。

■私の勘
ところで、私にも直感が働くときがあると思う。
これも仕事柄だと思うが、いわば職業病のようなものかもしれない。

あることがらについて、ことの流れや状況説明がきちんと筋がとおってないと
「ん?何か違う?」と最初に思う。
「こうだからおかしい」と 説明できる前に「何か違う。違和感がある。」と感じる。

嘘のない、思い込みの入っていない事柄は 水が高いところから低いところに向かって流れるかのように
シンプルで無理や無駄がない。 たとえ、流れている場が平坦でなくても、
その論理は 一定の定理によって流れているかのようで、美しいものだ。

ところが、そこに、個人の意図が入っている場合、その相手が共感しそうな切り口で語られ、相手の対応によって、その事象への説明や主張が不自然に変わって見えることも多い。

その原因は、あたかもある事実を伝えているようで、本当は 伝え手が自分への共感を望んでいるからであろうか。
実際、ストレートに「自分に共感して欲しい」といえばもっと簡単なのだが、相手の感情を遠隔で
コントロールしようとしたり、意図的に情報を自分寄りのものだけ流したりという操作が
加わるから 流れが不自然になってくるのではないかと思う。

そういうところで私の勘は、「なんかへんじゃない?」とアラームをあげる。
テレビなどを見ていても「ん?なんかへんじゃない?」と思うことも多い。

冒頭に引用したページの実験で女性が嘘を見抜く実例がいくつか挙げられている。
世の男性には大変恐ろしいことかもしれないが、女性をうまく欺こうとしてもなかなか
難しいものなのかもしれませんよ。。。。(なんてね。)

 ※と、書いていますが、私は、実際は男女差という観点には実は否定的で、
  それは個人差ではないか?などと思っていることを付け加えておきます。

■藪の中

 ある事象があって、それをどのように捕らえるかは、人それぞれに違って当然。
それを自分はどのように感じたかという感想は「その人にとっては真実」であろう。

しかし、では、双方真実だから 事象=個人の感想 という式はなりたつか?
というと必ずしもそうではない。

======
芥川竜之介の 「藪の中」という小説がある。
ある事件についての、関係者の独白(と言っていいのかな?)がいくつか並べてあるのだが、
微妙に話しがくい違っている。
http://www.aozora.gr.jp/cards/akutagawa/htmlfiles/yabunonaka.html
青空文庫で読むことができます。

黒沢明の映画「羅生門」も鬼退治の話ではなく、たしかこのストーリーだった。

もうひとつ 歌詞に「藪の中」とあり、この小説をおもい出すのが、
さだまさしの 「検察側の証人」だ。たぶん意識してつくってあるのだろう。
http://www.sada.co.jp/songwww/text/song079.htm
======

■勘違い

その人がそう思ったという「思い」については真実でも 言葉や事象の足りない部分を
受け取り人が自分の想像で補った感想は 悪意がなくてもその人の勘違い
ということもあるはずだ。

そこを分けてとらえることができるようになりたいといつも思う。
 ある事象があって、 Aさんはこう思う。Bさんはこう思う。Cさんはこう思った。
全部を分けてとらえたい。そうして A,B,Cさんの目をかりるのではなく
「私」という別の目で事象を見たいと思う。

 その結果、Aさんと同じ考えだったという結論であればそれで良いと思う。

人にまどわされることなく いつも自分をしっかり冷静に持ちたいということなのかな。

また、勘違いに気づいたとき、素直にそれをみとめることができる人間になりたいと思う。

画像は ブルーハイビスカス

おやすみは 休みにつかったのだ。 2002,6,23
ここのところ、大掃除があったり、先週は、BBSを閉じたりといろいろありました。

今週は久々にゆっくりと週末を迎え、天気もはっきりしない雰囲気でしたので、
眠くて親子ともども良く寝ました。こういう週末もたまには良いかな。

BBSを閉じる出来事により、いろいろとわかりました。
また、それを機に BBSだけのアクセスで更新しないHPではなく本来の姿に戻すべきと思い、
ロバミミと PON家の四季を充実させることにしました。
できるだけ自分のペースで続けていきたいと思っています。

画像は ゼラニウム バンクーバー センテニアル もみじ葉ゼラニウムの有名な品種です

PON家の四季にとりためていた写真を掲載してみましたら、思ったよりも多く掲載でき、
驚くと同時に検索機能なども使えて便利なのに どうしていままで利用しなかったのだろうと
思うこともあり。 こちらでも新たな発見をすることができました。

本当は、土日も 掃除の残りをやろうと思っていたのですが、久々にお休みとし、
ゆっくりとすることにしました。

さて、来週はまた 掃除とベランダの片付けです。気合をいれてがんばろう。

逮捕 2002,6,21
■恫喝と恐喝

昨日、恫喝で有名になった人が逮捕されたようです。

またもや恥ずかしいことに、私は今回の事件があるまで 恫喝という言葉を知らずに
いました。広辞苑で引いてみると、

○恫喝:おどして恐れさせること 

とありました。恫喝と、恐喝はどう違うのだろう。と恐喝も引いてみました。

○恐喝:おどしつけること。
    おどして金品をゆすりとること。

どちらかというと ゆすりとったりする場合に恐喝が使われるようですね。


■政治と恫喝

さて、この恫喝というのは今回の人がはじめてなのか?というとそうでもないそうで、
pon1に聞いたところ過去にも 恫喝で有名な政治家がいたそうです。
政治の世界に 恫喝が古来から有功な手段だったのでしょうか。
そういう手段がまかり通る世界だとすると 政治の不健康な一面を
垣間見てしまったように思えてしまいます。

 今回逮捕された人は 自分の意に添わない人を恫喝し、意に添った人には利便をはかったり
それなりの見返りを用意したようです。
自分が許可した記者が出入りokの場には、冷蔵庫が用意され、そこにはいつ飲んでも良い
飲み物や食べ物が準備されていたとか。(<=週刊誌で以前読みました)

 この手法は大昔から有名な 「飴とムチ」 につながるものがあるようにも思えます。

しかし、飴とムチは 私が思うに人をあやつる手段であって、それを使われている人とは
本当の付き合いはできません。
 飴にひかれてやってくる人の中は、その人が本当に好きだから、尊敬できるから来ているのではなく、「飴」に魅力があるから近づいてくる人も多いと思います。

飴とムチを使う人は 使う対象の人に もともと対等の付き合いを望んではいないのでしょう。
飴に群がってくる人たちの中には、操られているふりをしながら自分の利益をむさぼる人たちもいるでしょう。
 飴とムチを使われて、その飴に群がってきた人たちは、彼が逮捕されたあとも彼を支持するでしょうか? きっと次の飴をさがすだけなのではないかと思ったりもします。
(ある意味彼を利用したのでしょう。)

政治のことは、難しくてよくわからないことばかりです。

■初心にかえって

世の人が政治家に期待するのは 「世の中をよくしてほしい」こと。
最初は「世の中をよくしたい」と思って政治家になったのかもしれません。

たしかに権力がなければ、いろいろな提言が通らないことも多いかもしれないのですが、
いつのまにか 「世の中をよくしたい」 という気持ちが、
「自分が偉い人と言われたい。権力をもちたい」
 という気持ちにすりかわってしまったのだろうか。。と思ったりしました。

 「自分が偉いといわれたい。権力をもちたい」と思う人。
 「自分に利便をはかってもらって得をしたい」と思う人 
 この人たちの利害関係が一致したのが 今回の出来事のように思えます。

 つまりこの双方の利害関係は一致したのだが、それが社会全体の
 幸せとか利益から かけ離れていたということでしょうか。

 「自分」のかたまりが 「社会」ではあるのですが、今回のことの裏には
 やはり忘れ去られている何かがあるようにおもえてなりません。 
 もし、今回のことが本当に 逮捕された人の善意で行われていたのだとすると、
 彼は 政治家という「平等にすべての人たちの幸せを考える」職にありながら、
 いつのまにか「自分」に一生懸命になるがあまり、「他の人」を忘れたか、
「他の人も自分と同じ気持ちであるはず」と思い違いをしていたのではないか
 と思ったりもしました。

画像は パフィオ (品種名不明) デレナティかも?ということでした。
 



足りる 2002,6,20
■収穫

昨日は、半年に1回の棒茄子の収穫でした。この半年は本当にとても忙しかったのですが、
それなりに成果もでて、それを評価していただいたので、自分としては、
大きな棒茄子を頂いて嬉しい思いをしました。

 大きな棒茄子は実は今期でおしまいです。勤務体系の見直しがあり、少し状況が変わったので、次回の棒茄子はず〜〜〜〜〜〜〜〜っと小さなものになることが決まっています。
そういう意味でも、今回の棒茄子はど〜んと喜んで何かに使うとか?
などと思っていたのですが、さて、じゃあ何に使おう?と思うと
不思議なことにとりたてて欲しいものがないのです。

■欲しいもの

どうしてなんだろう。。と振り返りました。

=? 欲しいものはなんでも購入できるようなお金持ちか?

というとぜんぜんそうではありません。
我が家は普通に生活している普通の家庭です。

=? これから先 大王関係や家のローンで支出が決まっているから?

というのもたしかにあるでしょう。
でも、それだけが原因ではなさそうです。

昔独身の頃はボーナスやお給料では足りないほど欲しいものがあったのに。。

■一人っ子

大王は一人っ子です。箱菓子のオマケの組立ロボットが欲しくてたまりません。
お菓子は数粒ラムネがついているようなもので、ほとんどがロボットの金額のお菓子です。
毎日 「かってきてね」と言います。買ってつくったらもうおしまいです。
設計図を見ながら組み立てることが楽しいだけなのです。

 お菓子だけのものよりも値段が張るのですが、大人から見ると コーヒー一杯の
金額よりも少ない値段ですから、そんなに買い与えてよいものかどうか悩むところです。
 これが、数千円のものだったら悩むこともなく 「だめだよ」の一言なのですが。。。

比較的頻繁にそういうオマケ付菓子を買い与えられる大王はすこしだけ甘やかされた
環境にあるのかもしれません。一人っ子でも甘やかし過ぎないようにしなければ。と
いつも少しだけ気をつけてはいます。

■足りる

しかし、大王をみていて、驚くこともあります。
お菓子などは、小さな一袋で事足りるのです。小さな子供用のお菓子をおやつに買い与えて
「おかあさんにも 少しくれる?」と聞くと 抵抗なくすぐに分けてくれます。
「今日は多すぎるから 半分にしておいたら?」といっても抵抗なく半分だけ食べて、
後はしまっておきます。ぜんぜん執着がないのです。

 大王を見ていると、「いつでも食べることができる」「いつでももらえる」という状況で
「必要以上を食べない。」という動物の本能が働いているのかと思いました。

自然界にいる動物は、必要以上を摂取しないそうです。ライオンでもおなかが一杯のときは
隣にいる動物を襲わないということですよね。必要以上に摂取することは、自分も滅びるという
自然界の摂理が働いているようです。

これが、「いつもはない」「我慢しなければならない」「人と比較してうらやましく思う」
という状況があったり 必ず他の人(兄弟など)と ひとつのものを分け合わなければ
いけないという利害が発生した場合は、必要以上に摂取してしまうということが
働くのかもしれないと思いました。

■棒茄子
棒茄子の使い道。今は思いつかないのは、(他の方と比較して多い少ないではなくて)
自分で納得するだけのものを頂いたからという理由もあるかもしれないと
思いました。
また、生活についても、他の人と比較して「もっと」と思うことなく、
今自分に必要なものだけを考えていられるからではないかと思っています。

 これが、来期、どどんと減った頃には、あれも欲しい。これも欲しいと思うように
なっているかもしれませんね。(気をつけよう)

幸せとかそういうものは、他の人との比較の中にあるものではなくて自分の中に
あるものだということを あらためて思った昨日でした。

思い出せば、メーテルリンクの青い鳥もたしかそういうお話でしたね。。
久々に読んでみると新たな発見があるかもしれませんね。

画像は ベランダでみのりつつある イチジク(品種名失念。。)

食べられている! 2002,6,19
■ダンゴムシは枯れたものを食べる?

ダンゴムシ、ワラジムシについての害をネット検索すると
大抵が「枯葉を土に返すために重要な生き物です。不快害虫とよび、実害はありません」
ということになっています。
 本にもそう書いてあるし、私も長い間そうだと思っていました。
ところが。。。よ〜く見ていると、彼等が多肉の新芽など、ちょっと硬いところのある
みずみずしいものなどによくかじりついているところを「現行犯」で見ることも多いのです。

結論:ダンゴムシは 枯れていない植物も食べます。目撃しました!!

ただし、ダンゴムシの「主食」は枯れたり朽ちたりしたものだと思います。
毛虫10匹とダンゴムシ10匹を比較すると 毛虫10匹のほうが新鮮な葉を
はるかに強力に食害することはあきらかです。

■ダンゴムシの進化?

先日、ある楽しい集まりで Aさんが
「ダンゴムシは (枯れた葉以外をたべるように)進化すると思う」
と笑顔でおっしゃってました。
ううむ。説得力あります。Aさんは知識もあり、園芸の達人でもいらっしゃいます。

実はうちでは、ワインを飲んだ後のコルクの栓がもったいなくて捨てられません。(※1)
何かに使えないか?と考えて、マルチングに使っているんです。(※2)
最初の数年、コルク栓はべつに朽ちるでもなくなんでもなくそのままの形を保っていました。

 ところが、最近。。あきらかにコルクに食い跡があるのです!
たぶん、これは ダンゴムシ、ワラジムシの仕業でしょう。
 おそるべし。。。コルクまでたべるようになるとは。。

まあ、増えすぎたコルク栓を食べて土にかえしてくれるというのは
とても助かるのですが、やはり 新鮮な植物を食べてもらうのは困るなあ。
今朝もハエマンサス(※3)の葉がどどっと食べられているのを見て、
「犯人は ダンゴムシ!おまえか??」とめぼしをつけました。 
ハエマンサスなんて葉が硬いからか数年間どんな虫にも食べられずにあったものです。

 そういえば、我が家ではギボウシがよく食害にあいます。ギボウシは人間も
野菜として食べるそうで、(※4) 園芸種がたべられるかどうかは別にして、
きっとおいしいのでしょう。
これもかじり方からして怪しいのはダンゴムシなんですよね。。。。

子供は大好きなダンゴムシですが、我が家では多すぎます。(※5)
特にマルチの下が大好きなようです。(※6)駆除しないといけないかなあ。

■ちょっと脚注いれてみました。

※1 出た!!。。貧乏性パワー(オススメしませんー>いらないものがたまります)
※2 PON家のベランダの たかがベランダ、されどベランダにも書きましたが、
   ベランダにはマルチングは必須です。
   コルクの難点は軽いこと。風の強いところでは飛ばされちゃうかな。。
※3 Haemanthus まだ我が家では一度も咲いたことがない球根植物です。
   常緑で、小さな 君子蘭のような硬そうな葉をだします。 
赤花、白花が有名ですが、今回書いた集まりでは、見たことのない品種の
   写真もみせていただきました。
   マユハケオモトと呼ばれることもあります。
   花はお化粧で使う 頬紅用のハケのような形です。
※4 私は食べたことがないのですが、ウルイと呼ぶらしい。水辺に生えるギボウシの
   新芽をたべるそうです。
※5 友達の家でも 王蟲(おうむ※7)のようにいるとのこと。
   うちでも、マルチをひとつどかすとまるで怒りで我を忘れた王蟲の
   突進のごとく ざわざわいます。
※6 一番厄介だと思ったのは 用土として比較的最近出てきていると思う
   水耕栽培用ではない玉状になった土です。
    湿気に弱いものなどをこの土に植えていますが、この土は軽く
   玉になっているので、ダンゴムシは下にもぐりこみやすいのでしょう。
   どんどんもぐって球根などをかじっています。こら〜!!!(`Д´)
※7 脚注に脚注いれちゃって。。(汗)
   宮崎 駿 のアニメ 風の谷のナウシカにでてくる生き物のこと。
   おおきなダンゴムシのような姿をしています。
    ちなみにナウシカは私が一番好きな 宮崎アニメです。
   (もちろん 映画も見ましたが、漫画でもよみました。私は漫画のほうが
    好き)

画像は マツバボタン 

読み書きそろばん 2002,6,18
少し前に、教育改革のことをこの日記に書いたところ 友達から本を紹介していただいた。
 「読み書きそろばん」の大切さを説いてあるということだった。
(ご紹介どうもありがとうございました。)

早速入手したのだが、大王は「教育」というのにはまだ少し早いかな。。
と思いながら まだその本を読んでいない。
最近言葉の理解、文字の理解ともにある程度できはじめているので 
ネット離れで空けた時間に 早速読みたいと思っている。

■成功の国アメリカ

 前にも少し書いたが pon1の会社に勤めていらした方がご主人の転勤に
ともなって アメリカに住まわれている。
 先日その方が 里帰りのおり、pon1の事務所によられたそうだ。

アメリカ。。。みなさんはどんなイメージをもっていらっしゃるだろう。
私は、映画で見るビジネスマンの国、サクセスストーリの国のイメージが強い。
ところが、「英語はしゃべれるけれども読めない。」そういう人も少なからず
いるということだった。
この「しゃべれるけれども 読めない」人が少なからずいるということは
それだけ多様な人種が暮らしているということでもあるかもしれないが、
今の日本ではありえないことだ。

私たちが日頃見ている成功の国は アメリカの表の一面。
そうして、それ以外に日頃はみることのない別の一面があるようだ。
高度な教育を受け 成功者になる道。そうして文字の読めない道。
もしそれが本当であるならば、今の日本の教育制度以上にアメリカの
教育制度に問題がある、もしくは あったのではないだろうか。

そういえば、随分前の映画になるが、ワーキングガールという映画があった。
メラニーグリフィスが主役。事務職として採用された彼女は やる気があり
頭もよく、向上心もある。 しかし、彼女は貧しく、教育を受けていない。
つまり 日の目をみない社会出身の人間だったわけだ。
 表側の人間である上司シガニーウイーバーや、周りの人に
姑息な邪魔をされるがそんなことではへこたれない。

力強く前向きな彼女は、見ていても爽快だ。相手役は ハリソンフォード。 
(面白くて 私は好きな映画です。疲れてしまった方にオススメです)

映画の面白さはさておいて、
こういう映画があるということは、やはりその裏側の世に生活している人が
なかなか表にでることができないという一面があるからなのかもしれない。

■読み書き

話を戻して、アメリカで現在生活しているその彼女の話をpon1から伝え聞いたのだが、
一番困るのは やはり英語だそうだ。
Please sit down. 英語を習い始めて最初に教えられるようなこの言葉
プリーズ シット ダウン と言うと、子供に笑われるそうだ。
良くご存知の shit と聞こえるらしい。
 私も英語は苦手なので、耳がいたい。テレビなどでやっている英会話の言葉を
そのまま発音しようとしても どうやっても同じ音が出ない。
そういう「できない」感を持つ親が多いので、英語の初期教育などが 根強いのだろう。

しかし、最近私は英語以上に問題があるのではないかと思うことがある。

それは理解力と表現力だ。

私が日常不便に思うことは、マニュアルがさっぱりわからないこと。
特に外国のソフトウエアを日本で売っている場合などに顕著だ。
実際に操作などを習得してみると「なんだ このことが書いてあったのか」と
思うことも少なくない。

なぜ、翻訳マニュアルが難解になるのか。

私は 翻訳者が翻訳する対象があらわしている内容を理解していないからではないかと思う。

翻訳ものほどではないのだが、日本のマニュアルも難解なものが多い。
それは、マニュアル執筆者に技術的な理解が無かったり、理解していたとしてもそれを
言葉として表すことがあまりうまくなかったりするからではないのだろうかと思う。

・文にかかれたものや 相手の説明を 正しく理解する。
・相手に自分の意図を正しく理解できるように説明表現する。

これが人類の文化の源だ。まずはこれを一番に考えるべきではないか。

言葉としての英語がいくらできても、相手の意図が理解できない、こちらの考えが
伝えられないというのであれば 台無しである。

大王は最近、私が創作した「おはなし」をおもしろがり、その続きを自分でつくって
話してくれたりする。理解し、表現し、私たち親に理解させることができる。
遊びの延長でそういう力がそだってくれると嬉しいと思っている今日この頃だ。
 
画像は エロディウム ナターシャ


常時接続の罠? 2002,6,17
私の年がばれてしまうが、私はインターネットが普及する前
大型機全盛のころに入社し、パソコンはMS-DOSという時代を超えて
現在に至っている。

■インターネットとの出会い:

インターネットとの出会いは、会社でメールアドレスをもらったところから。
その頃は、まだネット世界の住人は 学校関係、ネットと関係のある会社関係の人が多かった。
もともと世界規模でみても インターネットの歴史は 30年しか
ないのだ。(とはいってもその年に生まれた人はもう30歳だが)

常時接続もやはり会社で経験をしていた。
自宅で接続時間ごとに課金されるダイヤルアップでネットをしながら
会社のように使い放題だと良いのにとか、データ転送速度の遅さを不便だと思うことも多かった。

■インターネットをふりかえると。

さて、そのインターネットだが、
プロバイダ料金は別にしてネット上の情報は基本的に無料で、制限なしに公開することができる。
これの影響はすごかった。さまざまな情報がどんどんと公開された。
そうして、検索エンジンの発達により、世界中の情報を瞬時に検索して、
自分の情報とすることができる。
いわば、個々の情報の信頼度に ばらつきがあるものの 地球規模の個人情報を含む
「なんでも辞典」を手に入れたことになる。
(先日ある花の名前で検索したら、このロバミミページにヒットした。このページも
「世界規模の何でも辞典」の一部として 全世界に公開されているのだなあ。)

たとえば、私が保育園の催し物を企画したいとしても、
昔ならば電話帳や人づてに調べて数日かかったものが、
ネット上に情報があれば瞬時に望む情報を得ることができるのだ。
また、場所と時間を超えた人とのコミニュケーションもとれる。

こんなに便利なネットをどんどん使いたい。。。。。
そうして、我が家に常時接続がやってきた。

■常時接続の罠

個人の時間が無いと自認している私は、「ながらネット」をすることにした。
テレビを見ながら、なにかをしながらのネットは、一挙両得で時間の有功利用だと
おもったのだ。 すでに「ながらテレビ」もしていたので 1つの時間軸に
テレビ+ネット+やりたいこと と3倍おいしいはずだったのだ。(理論上は)

ところが、ふと気が付くとのめりこんでいる自分がいた。
どんどんとネットの比率が大きくなっていくのである。
ネットにはすぐには気づかない甘い罠があるようだ。
最初は テレビ+ネット+やりたいこと 3つを均等にやろうとしていたのだが
ネットの比重が気づかないうちにどんどんと上がってくるのである。
そうして、そのことに本人が気づかないのである。

 うちには、家庭用ゲーム機(ファミコン等)もある。娯楽だからという認識があり、
やりはじめると かなり集中してしまうことも経験上知っていたので、
理性を持とうと、子供が産まれると同時に封印をした。
次に暇ができたときにやろうと決めた。

ところが、ネットは自覚症状のないままに、依存症をつくるようである。
理由はいろいろあるだろうが、それは長くなるのでまた今度かければ書こう。

私は愕然とした。読書のページにも書いた「致死性ソフトウエア」という本を
思い出した。あの本は面白かった。私は中に出てくるDOOMというパソコン用
ゲームソフトもやったことがあったため、ものすごく楽しめたのである。
ゲーム依存症になるシチュエーションがよくかけていて、いかにも「ありそう」な話に
「うまいなあ」と唸った。

 しかし、気づいてみると対象がゲームでないというだけで 今の私はまさにその中の登場人物だったのだ。
「そうだ。私はネットに依存しすぎている。」
面白いことに、ネット友達からのネット経由でおくられてきたつぶやきではっと気がついたのだ。

 早速テレビを消し、パソコンの電源を落とし リアルの世界「のみ」を体験してみた。
変な表現かもしれないが、「久々に 自分で息をしている気持ちになった」
ネット抜きのリアルの世界は楽しかった。家族との触れ合いも、自然もみな色鮮やかで
生き返るようだ。気づかないうちにネットは私を束縛していたのだ。

■そうして、決意

長々と書いてきたのだが、決意をした。そう。これが書きたかったのだ。
世に良く知られた種々の依存症のように、知らないうちに私を蝕んでいたネット依存症に
終止符を打ちたいとおもう。

 ネットは楽しい。有意義なものもたくさんある。でも、自分は現実の世界に生きているのだ。
もっと現実を大切にしたい。

私は、我が家にやってきた常時接続を 自分の意思で常時でなくす事にした。
「時間を区切って」「ながらネットをしない」
けじめをつけたネット生活を行い、現実の自分とネットの自分のコントロールを
自ら行いたいとおもっている。どこまでできるかわからない。
居間に座って家族といるときも おもわずパソコンの電源を入れたいとおもう自分がいることにいまさらながら驚いている。
もっと重症になるまえに気づいてよかった。

最後に、この依存症に気づかせてくれた友人に(とても感謝しています。ありがとう。)

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インターネットが始まってから30年というのは 
http://www.kids.soumu.go.jp/internet/history/
を参考にしましたが、
ここの年表によると 1982に初めてインターネットと命名されたということで、
20年ともとることもできるし、
wwwが始まった 1991年が 元年と見られる方もいらっしゃると思います。
その場合は 歴史は約10年でしょう。
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画像は アスチルベ ピンクライトニング 

掃除しました 2002,6,16
数年に一回の排水管の高圧洗浄があって、pon家は大慌て。
洗濯機の防水パンの配水管も洗浄するため、数年に一度の大掃除になりました。

防水パンの排水なんて、洗濯後の水しか流さないから綺麗なものだろうと思っていたら。
なんのなんの。繊維くずや、石鹸くずのようなものが一杯。。うへ〜。

そのほか台所やお風呂、洗面所も対象です。
自分たちが毎日生活しているときには見えてないものも ふと他人がはいってくると思って
見なおすと 汚れが目立つところも多くて辟易しましたが、
 きりがないので、「これくらいで良いことにしよう」ということになりました。

とはいえ、綺麗になった後は気持ち良いものです。すっきりと気持ちまで明るくなりました。

ところで、突然ですが、掲示板を閉じることにしました。突然に決断をしてしまって
驚かれた方がいらしたら申し訳ありません。

 もともと、時間がないところで できるかどうか? と思っていたこともあり、お客様に
来ていただくのはとても嬉しかったのですが、閉じることにしました。
 いままで来てくださった方どうもありがとうございました。
とても楽しかったです。

 今度はマイペースで細々と自分のベランダの花などを時間の空いたときupできるように
しようと思っています。

 もともと掲示板しか更新のないようなページでしたので、こちらのほうが本来の姿では
ないかな。。と思ったりもしています。

 家の掃除とホームページの掃除。現実の世界もネットの世界も気持ち良くまたはじめようと
思っています。

 画像は アマリリス・レモンフェザー  アマリリスは派手で元気で大きくてあまり好きな
花ではなかったのですが、 ユリのような気高く上品なものもあるのですね。

 香りも良くて とても好きな花になりました。

つかれた〜 2002,6,11
昨日は、どっと疲れました。

私の通っている会社(くどいですが、家から2時間弱かかるのです)はとても
辺鄙なところにあります。

立川から 山のほうへ向かう単線が2本あるのですが、その一本の終点から3つ目の駅です。
会社が移転するまでは無人駅だったそうです。周りは一面のはたけです。

その不便な路線がちょうど昨日電気系統の故障とかなんとかで、電車が一時不通になった
のです。調度帰宅する直前の時間で、社内に放送がありました。
 私は毎日、終業すぐの電車にのり、立川で走って2分でのりかえて帰宅しないと大王の
お迎えに間に合わないのです。 それでも大王に会えるのは7時なのです。焦りました。

 そうして、予測どおり、間に合わない事態になりました。
拝島というところから 単線同士の線はまた1本に集約されるので、私がいつも使っている
路線が動いても他方の路線に支障があった場合は その影響をうけてしまうのです。
 拝島でず〜っと待ち、大王は 以前もしものときにと契約していた園の方にはじめて迎えに
行ってもらいました。

 電車がいつくるかといらいらしながら待ち、自宅最寄の駅についたのは通常より20〜30分
遅れだったでしょうか。 でも、2時間も3時間も遅れたのと同じくらいぐったりしました。

 迎えに行ったとき、大王は少し元気がありませんでした。
「会いたかったよ」と伝えると少し恥ずかしそうでした。そうしてぽつりぽつりと
「きょう ままは かえってこないかと おもったよ。だってでんしゃがうごかないんだもん」

なんていうものだから、
「ママはね、電車がうごかなかったら タクシーでもなんでものって遠くてもどうにかして
 絶対かえってくるからね!!」と力説しました。

会社が遠くになったこと。しょうがないとは思うけど、こういう思いはもうしたくない。
移転する前は 30分もあればついたのに。それをみこして今のところを購入したのに。
という思いがこういうことがあるたびに いつも頭をよぎります。

大王。あとから聞いた話だけど、昨日はずいぶんしっかりしていたんだってね。
成長したなあとおもいながら、さびしい思いはさせたくないと本当に思います。

仕事はやりがいがあり、好きだし、収入も得てるし、
でも、いつも 「辞めようか」「つづけようか」とブランコのようにゆれてしまう。
たった30分のことかもしれないけど、我が家にとっては大事件でした。

画像はオフから帰ってきてみたら 突然花芽があがってきていた ゲラニウム・パルマツム
咲いた形跡はあるのですが、なかなか開花に遭遇できませんでした。
大きな葉っぱも魅力です。

大王風邪をひく 2002,6,1
大王は風邪をひき、お医者様へ行きました。

医「ごはんは、たべられる? ごはんはなにがすきかな?」
大「ごはん」
医「ごはんのなかで何が好き? カレーライス?」
大「おこめ」

そうなんです。大王はお米好き。 なによりコメが好きなのです。(はずかし〜い)

 そういえば、遠足のときも

P2「今日のお弁当で なにが一番おいしかった?」
大「おにぎり」

という会話がありました。 さびしいなあ〜。
その後、配られたおやつの話しかしないので、

P2「なんだか、朝早くから起きて一生懸命お弁当つくったのに、おやつの話ばかりで
   さびしいなあ〜」(<=普通言うかいな? 笑)
というと
大「おやつはね、あるとおもわなかったから びっくりしたからお話したんだよ。
  おべんとうもおいしかったよ」

と大人のような受け答えをしてくれ、やっさし〜い。 とじ〜んときたP2でした。

 んでは、八ヶ岳へいってきまーす。

画像は八ヶ岳からつれかえってきた 赤のおだまき。葉も赤色になります。
名前は ルビーポートだそうです。