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王様の耳はロバの耳(過去ログ)

普通は言わないけど、みんなどう思う?言いたいけど言う機会が無いみたいなことをおもいついたときに書こうと思ってます。

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ふぁきあ〜 2003,1,31
大王はやっぱり溶連菌感染っぽく、熱がでてしまい、会社を3日も休んでしまった。
ま、いいか。

ところで、以前も書いたがケーブルテレビでやっている プレンセスチュチュ。
久しぶりにみたけど。。

ふぁきあ。。。カッコイイ。。
ここにも同じ思いの人が。。
ttp://www.imagica.co.jp/shop/tutu/


ときどき、帰りが一緒になる人に、電車の中のチラシとかその他で「あの人カッコイイと思わない?」なんていわれても あまりピンとこないのだが、(色気なさすぎ?)
ふぁきあ〜〜〜。。かっこいいよ。

みゅうとよりず〜っとかっこいい。(精神年齢子供すぎ?)

 なんて、書いてもケーブルの話だから、みんなキット反応できないよね。
残念なり。

まずい。。 2003,1,28
朝暖かかったので、マフラーを忘れてきてしまった。

もしかすると大王は、いちご舌かも。。
子供の口内炎というのははじめてみるので、どうなのかよくわからない。
とにかく明日 小児科受診だ。 熱はなく元気があるのだが。。
 いちご舌で検索してみると ヒットしたのが、溶連菌感染、川崎病だ。
高熱は出ていないので、違う事を祈りたい。

■業務改革

先日、電車で時々顔をあわせる女性から聞いた話だ。
彼女は、ある企業の[○○室]という部署にいる二人の女性のうち一人だそうだ。
 もう一人の女性秘書が電話応対中だったときに、担当外の机に電話がかかってきた。
2,3コールしたときに、男性がその電話に出て、「電話くらい出ろ!」と電話応対をしていた女性をどなりつけたそうだ。
 
 様子を聞いてみると、その人たちは、朝から降った雪の話題などで忙しく、○○線は何分遅れていたとかそういう話題を延々としているような具合だったとか。
(ひとごとながら、仕事がないのであれば、仕事をするふりだけでもして欲しいものだ。)
 話をしてくれた人は秘書として雇われているわけではないようである。
 と、すると 別に女性が出なくても 手の空いた人が出ればよい話である。

 日本では、赤字財政でもなかなか無駄遣いを見直すという前向きの試みはさほど見えてこないが
当然のことながら、会社ではいろいろと試行錯誤されている。
 たとえば、出張時のタクシーの乗り合わせを推奨したり、バスなどの公共交通機関を利用するように促したりという節約もある。
そのバスがなかなかこないので不便だという話をしたら、「私の名前を出せば黒塗りのハイヤーが来るよ」と のたまったらしい。

 また、年賀状の表書きを飛び込み業務で頼んでくる管理職に、業務外だと断ったところ、後日
「宛名書きに 2時間もかかったよ。 ボクの時給とキミの時給を比べてみたまえ。」といわれたそうだ。
 とんでもない!。管理職は、固定給である。残業しようとなにをしようと会社からの支出は一緒だ。
反対に秘書などは、残業をすることになると残業代がついてしまう。
 自分の業務をやりくりして書けたのであれば、人に頼まずに、自分で書けばよい。
また、2時間もかかるほどの枚数を出す必要があるかどうか。手書きで出す必要があるかどうか
そういうことも検討するべきであろう。そうして、どうしても手書きで出す必要があったときは飛び込み業務で他の人に頼むのではなく、毎年発生する業務として担当を決めるべきだと思う。

 いまだに、自分の里帰りのチケットを同じ部門の女性にとりに行かせる人もいるらしい。
 ネットを個人のために利用することが禁止されている会社で、従業員を個人のために利用して果たしてよいのだろうか。。
 
私の周りには、幸いにもそういう人たちはいなかっただけで、世の中には勘違いの人たちもまだまだ沢山いるようである。
 世の中にひそかにはびこっているこう言う人たちこそ、頭の中を改革して欲しい。
こういう人一人がもらっているお給料で、何人分かの給料が出る場合もあるだろう。
 そういう高い給料をもらっておきながら、勤務時間内を雪の話に費やすことが、その職に求められていることなのだろうか。。と思った。(高い時給を使って雪の話とは。。)

 聞いた話では、ある中小企業では、業務上必要となる 筆記具・電卓などすべて 個人もちという徹底したところもあるそうだ。

画像はヒヤシンス。ベランダに花が少ないので、買ってきたものです。良い香り

口内炎 2003,1,27
胃腸に来る風邪を家族全員で引いて、どうも食欲がいまひとつ。。。という状態だったのだが。

大王は最近「あついものは食べたくない」というし、ご飯とか澱粉ばかり食べたがる。
いろいろ作ってもなかなか食べてくれないし、やっぱり胃腸の調子がわるいのかな?と思っていた。

一昨日歯磨きの時に 舌に「口内炎?」というものがあったのが、昨日は範囲があっという間に広がっていて。。数も増えている「ああ、これでいろいろなものが食べたくなかったのかな」と。

口内炎の治療は、主に大人だと口腔内の消毒とビタミンBの補給なのだが、こじらせると体調が整うまではなかなか治らないというのは経験済み。
 果たして、子供の場合は。。。と思ったが、とりあえず イソジンでうがいさせて消毒し、
ビタミンBは水溶性ビタミンで過剰摂取した場合は尿として排出されるから。。と
大人の1/4の量を飲ませてみることにした。
今朝は夕べとそんなに違わない状態だ(そんなに早く治るわけないか。。)。

 ネットで検索したら ハチミツも効くと歯科医さんが書いておられるので、帰ったらハチミツもためしてみよう。(殺菌効果があるそうだ)

■難しい

昨日は、帰宅後ちょっとしたことがあった。
元はといえば、私の家に届いた宅配便が妹宛てだったことから。
 妹の家だけに送るつもりの誤配だったのか、それとも妹とうちの取り違えだったのか、わからなかったのと、妹の衣類が入っていたので妹に電話をした。
 荷主は母。いつも野菜などを買ってまで入れてくるのは、親心だというのは理解している。
やはり離れて暮らしていると「ご飯たべてるか?元気に暮らしているか?」は 子供が何歳になっても気になるものだろう。
中身は衣類とほとんど野菜ばかりだった。

 ところが、後から考えると、妹は私の電話が母の送り間違いを責めている電話だと思ったようだ。
私としては、突然届いた野菜の山をどうやって食べようかという逡巡はあったし、買ってまで送ってこなくても。。といつも思っているので、そういう困惑が声に現れていたのかもしれない。
白状すると、いままでにも母から来た野菜を食べきれずに 捨てることになったことが何度もある。
人から頂いたものを捨てるというのは物やその人を粗末に扱っているようで、自己嫌悪に陥るものなのだ。困っていたのはたしかである。

 妹が、「一緒に入っている衣料は早く欲しい」ということと 「野菜は沢山食べるから欲しい」
「今からはとりにいけない」と言っていたので、宅配便で送ろうか?という話をしたことからどうも話がうまく行かなくなった。
「そんな嫌そうな声しなくてもいいじゃない。」などと言われて 「?」何をそんなに怒っているのだろうと思ったと同時にこちらも不愉快になった。

電話を切って直後にまた妹から電話。「お店の人が二つの荷物の札をつけ間違ったらしいよ」という硬い声での電話。
すぐに母に電話したようで、驚いた。
 私は、母に荷物を送ってもらう約束はしていなかったので、荷が間違って届いたことについてはなにも思うところなかったからだ。
そういう気持ちは電話ではぜんぜん伝わらなかったようである。

プライベートで何軒かにおなじような内容物を送ることがときどきあるのだがその時に間違えないようにと気をつけるけれども、おっちょこちょいで間違ってしまうことなど私にもありそうだ。
いつも何回も中身を確認してから 小さく名前を箱に書いておく。

 日頃仲良くしていて、性格も良さも認めている妹とでも、こういう行き違いがあるので、人間関係とは難しいはずだなあと思った。

 これが、たぶんネットの喧嘩の発端と同じなんだろうな。。と思った。
何か個々にひっかかっていることがあって、それについて過敏になっている部分があったら。
そうして、そこを刺激する言葉を知らずに相手がつかったり、態度があったら。
 考えてみたら、昨日は妹も電話に出たときから 忙しそうないつもと違う口調だった。
そういう個人の状況にもよるのだろう。

 以前も書いたが、言霊というのは難しい。 相手としては 何気なく使った言葉でも人の心に深くつきささっていつまでもチクチクと痛むものだ。

電話やメールは、自分と相手の状況をもよく見定めて出したり書いたりしないとダメだなあと思ったりした。(それが一番難しいのだが)

 今、ふっと気が付いた。もしかしたら母も誤解しているかもしれないなあ。
昨日電話したときに 送った野菜は無農薬で育てた家庭菜園のものだと強調していた。
うちが無農薬・減農薬の宅配野菜を取っているのを知っているから、もしかしたら野菜を送るのを嫌がるのは、使い切れずに捨てるのが嫌だからではなくて、無農薬でないかもしれないからだと思っているかも。 このへん、今日は電話しておこう。

画像は、レースラベンダー。今はこの花が一番たくさん咲いています。

ほれぼれ 2003,1,24
今年のインフルエンザはどうやら悪質なようだ。
大王の通う保育園でも流行の兆しがあるそうだ。気をつけないと。

我が家は全員、インフルエンザではない方の風邪をひいているようだ。
おなかにくる風邪。肩こり、目の奥が痛くなる風邪で、今年もう何回目だろう。
早く風邪の季節を通り越して欲しいものだ。

■火車

先日書いた 「火車」宮部みゆき 読み終わった。
おもしろかった。唸った。 

久々に次のページを読みたくて読みたくて 「息もつかずに読み終わった」という感じだろうか。
 登場人物のひとりひとりが あっという間に実在感をもって、一人一人の考えで動き始める。
こういう小説を書く人はどうやって 複数の人間の思考をつくりあげていくのだろうと、思った。
それほど違和感がなく、それぞれが考えることがあたかも実在の人物が考えているかのようにおさまっている。
 それとともに、情報処理能力も素晴らしい。
いろいろなトリックにしてもその謎解きにしても、無理なく「ああ。そうだったのか」と思いながら読めるというのはこの本を書くまでにかなり練られたものなのだろう。

 それでいて、登場人物がきちんとそれぞれ意味があって配置されている。一見無関係に見えるエピソードがラストに繋がっている。やっぱりこれは 丹念に組み立てられた小説なのだ。
 
 惚れ惚れした。
なんて頭の良い人だろう。なんてうまいのだろう。
と、今も読み終わった後の余韻に浸っている。

 ストーリーに関しては、これから読みたい方に対して邪魔にならない程度に触れておこう。
主人公は 怪我をして休職中の警官。そこに、余り付き合いの無かった親戚が、相談にあらわれる。
突然姿を消した婚約者を探して欲しいという依頼だ。彼女は過去に自己破産していたらしい。

後はどうぞ読んでお楽しみ下さい。

画像は ステルニー シルバースター (クリスマスローズ)です

カリスマ性 2003,1,23
雪ふっちゃったんだけど。。大丈夫かな。。心配。

昨日、私の手元に中学校時代の吹奏楽部の恩師のお祝い会の通知が届いた。
以前ここロバミミにも書いたことがあるが、私は中学の時は吹奏楽部に籍を置いていた。

 手紙によると、県の芸術文化功労賞を受賞なさったとか。
発起人・世話人などの名前を見ると、一緒に演奏した仲間の名前がちらほら。
そうして、多数が吹奏楽連盟に籍を置いていたりする。
思い起こしてみると、私も子供のころの記憶の中にはっきりと残っている時代だ。
とてもカリスマ性のある方だったと今思う。
 彼の教え子である私と同じ世代の人間が今でも多数吹奏楽に携わっていることを考えても、彼の影響力の強さを示しているように思う。

クラブのベクトルを一身にあつめ 自分の思った方向へ向けていくというそのパワーのヒミツを今一度直に見てみたいとも思うのだが、いかんせん遠い。残念だ。
思いおこしてみると、中学時代は 個々の子供と教師の関係の集りがクラブであり、子供同士の関わりというような記憶はあまりない。(意地悪な先輩や、優しかった先輩の記憶など多少はあるが)反対に 弱かった高校時代のクラブでは 子供同士の連携は密だったが、教師との関わりはほとんど無かった。
 そこにもカリスマ性が現れているようにも思う。

■アイ・アム・サム

と、題と全然関係のない映画の話。
クリスマス頃友達にもらったものを、切れ切れに見てやっと見終わった。

サムは父親。6歳の娘と二人暮しである。母親は、退院と同時に子供を置いて逃げ出した。
サムの職業は スターバックス(スタバですね)の店員。まだコーヒーなどは作らせてもらえない。
彼は以前受けたテストで 7歳程度の知能しかないと言われている。

 という話。難しいテーマでした。
 サムをやっているのは ショーン・ペン 「俺達は天使じゃない」 でデニーロと一緒に気弱な役をやったのを思い出します。彼の演技がものすごくうまい。
演技でここまでやりきるというのが凄いです。
 娘はダコタ・ファニング。ERに出演している子役のようですが、彼女もまたうまい。
大きな澄みきった目はすべてをさとっているようで、天才子役という感じでした。
 弁護士に ミシェル・ファイファー。私が大好きなロシアハウスとは全然別のアメリカ的な弁護士役(といってもほんもののアメリカの弁護士はみたことないのですが)をきっちりこなしていたと思います。

 随所で泣いてしまったのですが、ただ「感動した」だけでは済まされない釈然としない思いが残った映画でした。

下は大幅ネタバレ。=========
 
 たとえば、
社会的な面では
本当にアメリカでは、知的障害者を裁判にあのように立たせるのか。
自分の気持ちをうまく言葉で表現できない可能性のある人の証言を証拠に裁定を下すことが日常行われているのか。とか。(フェアをうたっている国なのにぜんぜんフェアじゃない)

なぜ、裁判という場では 当の本人である 親であるサムと子であるルーシーの気持ちというのは重きをおかれないのか。
 なぜ、養父母に全面委任という形が提案されるのか。
アメリカの裁判の実態って本当にこうなのだろうか?。

私は、まず、今現在の ルーシーとサムの気持ちはもっと重視するべきだと思う。
それとともに、現実に目を向けるとやはり将来のことに対して備える必要がある。
学業の問題、収入の問題、反抗期の問題、性の問題。
そういう問題について、不安で納得いかない気持ちを抱えたまま、この映画で ヨカッタヨカッタ。Love is all you needなんてとても思えないのでした。 

 それにしても、繰り返しになるが、なんで、本人の気持ちを無視して、ものをポンと他の人に渡すように第三者が子供を養父母に育てさせると決めて、親には会わせないなんていうことになっちゃうのか??
 そういう扱いする人を裁判に立たせて証言させて質問攻めにするっていうのは?
 これって、本当にありうる問題なの??と、いまひとつわからない。

アメリカでの知的障害者と裁判の実態について、ご存知の方がいらしたらぜひ教えて欲しいです。

写真は携帯でとった今朝の雪

目が覚める 2003,1,22
 昨晩、モデムが届いてどうにか我が家はネットに繋がった。1週間弱不便な思いをした。
モデムの故障では文句が言えないなあなどとおもっていたところ、タイムリーにこんな記事があった。
http://itpro.nikkeibp.co.jp/free/ITPro/OPINION/20030121/1/
なんと、どうやらADSLには突然繋がらなくなるのは「良くある話」であり、モデム交換で直ったこともこの体験者と同じ。なおかつこれから先も不安定になる可能性もあるということだ。。
なんということだ。。

■あのときは..

よく、芸能人などが、「あのときこうだった」とか暴露本を書いていたりして、「なにをいまさら」などと思うことも多い。
 売名行為なのかな?と思ったりすることも多いのだが、もしかしたらそれによって自分のなかで片付けたいと思う行為かもしれない。

研修に行って帰ってきてまるで「憑き物が落ちた」ような気持ちがした。
研修に行く前も、私は私であって、何も変わっていないようでもあるのだが、「気持ちが片付いた」とスッキリした思いをPON1に伝えたところ、「最近変だったものね」と答えをもらった。

たしかに変だった。以前の私ではなくなっていた。と今は思う。

その原因は、絶対に外に出してはいけないものだと思っていた。
それも私が「変だった」原因の一つであったと思う。

■三つ子の魂

研修では「子供の頃からダメだといわれてこなかったか?その記憶が問題なのだ」という話があった。
私は自分が脳天気でそう感じなかっただけかもしれないが、否定的なことを言われた記憶はほとんどない。
 世の人と比べて私がすぐれていたというのではなく、私の両親が「親ばか」だっただけだというのが、大人になって特に親になってからはっきりとわかる。

しかし、そういう風に育ててもらった子供の頃の私は 大人の間に入ると大抵はほめてもらえるので人懐こくなり、人懐こいことで、見ず知らずの大人からも可愛がられるという相乗効果で、人間に対して否定的な感情を持たないで育ってこれたのだと思う。
自分に甘いところ、怠けるところなどが弊害だが、こんな風に育ててもらったことをありがたいと思っている。

 そういう私は、この年になるまで、あまり人から嫌な思いをさせられることなくのほほんと過ごしていた。

 今大王を見てそう思うのだが、周りの人間からの親切を受けた子供というのは環境を良い方にうけとりやすいようだ。
たとえば、だれかが大王に「おはよう」と言ったとする。大王は自分への好意のメッセージとして受け取っているようだ。 
相手の何の気なしの言動でさえ最大限の好意として受け取っているように見える。

 私にも苦笑しそうなくらいこの傾向が見える。相手が好意でなく社交辞令でなにかしてくれても私には好意に取れてしまうことも多い。そうしてその好意にできるだけこたえたいと思うのである。

■あるできごと
そういう風にずっと生活していた私の人間に対する信頼を 根底からずたずたにされる出来事が昨年あった。

その人は 善意の人と認識して信頼していた人だった。
 そうして、その後もその人が周りに知られずにしたことを 見聞きした。
こちらを向いているときだけ、自分に都合の良い時だけ 良い顔をしている人がいるのかと思い愕然とした。
(今考えると、もちろん人間だれしも本音とたてまえがあるのは普通だ)

そう思ったときに、突然「人間」が怖くなった。こちらを向いて善意を向けてくれていると思う人たちは裏ではどんなことをしているのだろう。

実際は人間の世界には、こういうことは付き物で、世の中には自分の利益を第一に考えて生きている人も沢山いるのが普通だろう。
極楽浄土のように神様のようなひとばかりがいる世の中こそ不自然だ。
今はそう思うが、その時はそういう経験がなかったために、今思うと、ものすごいショックだったようだ。

■落ちた憑き物

ここのところ、人に会いたくなかった。絶対に自分に善意を持ってくれているとわかっている人(たとえば家族)とか善意悪意関係ない人(郵便局の窓口)とかそういうところは平気なのだが、それ以外の人に会うのが億劫だった。

 そんなときに研修だ。自分が行くと以前決めて申し込んだものだったので、いまさらいかないわけにはいかない。 最初のとっかかりは(郵便局の窓口=つまりビジネス)として行けば良いと思った。それだったら平気だ。別に友達を作りに行くわけではないと自分に言い聞かせてでかけた。

 たまたま行った研修で、私はまた人の善意を実感した。
今回はたまたま その人個人の人生観や人間性なども垣間見える講習だった。
利害関係はその人たちとは発生しないから、もちろん軋轢が生じるわけはない環境なので、良い結果は当然といえば当然かもしれない。

前向きの幸せな空気を、よくしゃべるひと、おとなしいひと すべての人から受け取った。
私も、グループの一員としてしっかりと受け止めてもらった。楽しかった。
 昨日書いたうちとけるためのいくつかの仕組まれたステップの助けがあったにしても、私にとっては人間というものへの信頼を回復する第一歩になった。

 私にとっては長かった苦しみからやっと足一歩抜け出たな。。と今振り返ることが出来ることは本当にうれしい。今度こそ自分をごまかしてこういうことを言っているのでも、鼓舞するために言っているのでもない。それが自分にはっきりとわかるように思う。

好印象 2003,1,21
まだ、ネットにつながりません。今日、交換用のモデムが届きます。
うちは局から500メートルくらいなのですが、ここのところNTTの工事をしているようで、これが原因じゃないんだろうか?と思ったり。

■第一印象
 初対面で、「ああ、この人感じの良い人だなあ」と思う人「親近感を抱く人」とはどんな人だろう。ある程度はパターンとしてありそうに思う。
それは、良い意味で「相手に人間味を感じたとき」「共感したとき」ではないだろうか。

「羊達の沈黙」という映画があった。(私は本も読んだ)
血なまぐさい話だが、謎解きとしても意外性のあるストーリーも面白かった記憶がある。
その中で、誘拐された娘について 母がテレビを通して犯人を説得する場面がある。
「とても頭の良い母親だわ。彼女は、娘を物ではなくて人間として犯人に認識させようとしている。」というようなコメントがあったと記憶している。

 そう。「この人は私と似ている。同じところがある。」と思ったり、その人についてなにか自分から見てプラスの方向に心をうごかされること(ちょっとした感動や、ちょっとした尊敬、可愛らしいという思いなど)があると第一印象は良いものになりやすいように思う。

 たかが、第一印象であるのだが、されど第一印象だとも思う。
なぜかというと、その第一印象で持った悪いイメージはなかなか払拭できないことも多いように思うからだ。

■家族の話。感情の打ち明け話。
研修中、私は随所に親しみのテクニックがあるように思った。
たとえば、<講師>。まず、最初に、何の前触れもなく自分のプライベートなことをいくつかお互いに話し合うようにという場が与えられる。
 その中のひとつの題に「死」を身近に体験した場所。というのがあった。
そうして、講師は、自分の体験を「たとえば私のことをお話します」と話始める。
 「実は妻が急死した場所が ●●なんです。その後、私は荒れました。ほとんどアル中のようになってしまいました。」

 奥さんが亡くなられてそれほどまでに深く悲しまれたということを聞いて、私はすっかり講師への気持ちの距離が近くなったのを感じた。
 でも、ふと思い出した。
 数年前に、研修を受けた講師の方も 奥さんを亡くされて荒れたとおっしゃってたな。。
 
 家族の話、悲しかったという感情の打ち明け話。
 そうして、講師は現在の奥さんの写真、家の写真、など自分の個人環境を沢山見せてくれた。
その人の人間味を意識すればするほど 心理的距離は縮まるようにも思う。
 そうだ! 刑事コロンボ「うちのかみさんが」である。

■スキンシップ
研修ではほぼ毎日、朝から握手をする時間が与えられた。
私は海外の人と仕事を一緒にしていないので、ほとんど人と握手するということが無い。
見ず知らずの人と握手するということは、自分の心理的な障壁を越える必要がある。
想像してみて欲しい、いままで挨拶しかしたことない人と握手する場面を。
そうして、にこやかに握手した人に対して、直後にその人を非難できるか?

握手の効用は、
1)自分の心を相手に対して開放する
2)相手を心理的に受け入れる
そういう心の準備になるように思った。 

交渉決裂しそうな打合せなど、外国のように握手してから進めると日本では効果絶大だったりするかもな。。と思ったりした。
食事を一緒にとるというのも親密感を増して効果がありそうだ。(同じ釜のメシ効果)

■サラリーマンの増殖
握手+家族ぐるみ というとなにか思い出さないだろうか。
私は、海外の方と仕事をしたことはないが、握手でビジネスがはじまり、休日にはホームパーティを開いて家族ぐるみの交際をする。そう アメリカの代表的なビジネスパターンだ。
 食事をビジネスパートナーとするというのも、親密度を増す手段になる。

日本人は農耕民族だった。農耕には、近所同士の助け合いが不可欠だ。
今日は○○さんのところの田植えだから 手伝いだ。明日はうち、明後日は△△さん。
子供も兄弟のように一緒に育ち、醤油や味噌の貸し借りをする。
もちろん、家族構成にも詳しい あそこはおじいちゃんが今年調子が悪くて なんていうことまでご近所が把握している。
 なんて見たように書きながら、実は私もサラリーマン家庭に生まれたので、こんな体験はしたことがないのである。

そう、昔はそうだったから、握手や家族ぐるみの付き合い、ホームパーティは不要だったのではないだろうか。しかし、日本人の生活に変化が訪れ、サラリーマン家庭が大多数となり、核家族化が進む。そういう環境では 握手+家族+食事 というアメリカなどが培ってきた親密度を増すための本能にうったえかけるような努力が必要になってきているのかもしれないと思ったりもした。

■ネットでの誤解
ネットの世界は、ふとしたことで喧嘩になる。それはどうしてだろう。
もちろん、ネットでは握手はできない。
それ以上にネットの世界では「ええかっこしい」になりがちである。
つまり、絵にかいたような自分の理想部分のみを書きがちであり、人間味の表現がそれに比べて少ない場合に人は親しみを感じずに嫌な印象を持ちやすいのではないかと思った。
 たとえば、ネットの世界であまり情報がないのに良い印象を持たなかった人。
そういう人がいたとしたら、その人の何に対してそう思ったのか。
 その辺に、この解決の糸口があるような気がする。

■幻色江戸ごよみ
宮部みゆき というと 模倣犯で有名だが。彼女の本である。模倣犯は、ストーリーを検索してあまりにも殺伐としているので、今の心境に合わないなあと思い、読むのを辞めた経緯がある。
しかし、この本はとてもおもしろかった。 十二話の短編で構成されており 十話目が神無月であることから、毎月ひとつの話となっているのだろうか。江戸の町に起こる不思議な出来事を書いた本である。よみながらほろっとしたり、じ〜んとしたり。しっとりゆっくりした気持ちになれる。
 
 中に、「自分はおこわにかけられたらしい(お恐:だますこと)それでも良いと思った。」というような話がある。 
こんなに沢山研修のことを書いて、さぞかし不満な研修だったろうと思われる方もいらっしゃるだろうが、実は私はこの心境と同じ、それが しむけられた感情だったとしても、今私が感じ取ったことは研修があってこそのもの。
研修については、参加して本当によかった。有意義だったと思っているのである。

偶然の出来事 2003,1,20
研修と丁度同じ時期 水曜から我が家のパソコンがネットにつながらなくなってしまいました。

「なにもこんなときに重ならなくても。。」
と思いながらも、しょうがないので素直に受け入れて(あきらめて?) 別のことをしていたりしています。(まだ直る見込みがたっていません。)
パソコンにかじりついている生活<ネット中毒 をやめれば、できることも沢山あり、得るものも多いような気がします。
(ン年ぶりに、爆弾探しゲームのマインスイーパーなんてやってしまいました。)

■チーズはどこへ消えた

研修は、とても疲れましたが 実りの多い研修でした。
今日はその研修の宿題で読まされた「チーズはどこへ消えた」から。

http://www.fusosha.co.jp/senden/2000/03019X.html
世間で有名になったこの本です。

この本は読みたくない本、買う気がしない本でした。
なぜ、読みたくなかったかというと、ある程度筋を聞いていたので、「この本を読んで 感動するほど道に迷っていないし、消極的でもない」と自分のことを思っていたからです。

少し内容に触れますが、
 迷路の中で 大きなチーズを発見した ネズミたちと小人達はこれで安泰だと思い生活をしています。ところが ある日、突然にチーズが消えてしまったのです。
 ネズミたちは早速次のチーズを探しに出かけましたが、小人達は、考え込んでしまい、嘆き悲しみます。

さて、本を読んだ私の感想は。。
残念ながら「やはり買って読むほどの本ではない。」と思いました。

これから後は、内容に触れることも多いので、内容を知りたくないと思われる方は読まないで下さいね。

この本を読んでみた感想は この本は「売ろうと思って書いた本」そうして、見事に思惑が当たり、売れた本であると思います。

1)本の構成

 この本を読んで最初に思ったのは、「この本は、本を読みなれてない人に読まれるようにかかれた本だな」ということでした。

 寓話というのは世に沢山あります。特に子供向けの本に多いでしょうか。
 この本は真中に寓話をはさみ、その両端、冒頭と最後に 数名の現実社会の人間が出てきます。
寓話をどうして聞かされるのかという説明をうけ、準備してその内容を読む。
そうして、読んだ後 その寓話について、何を受け取るべきかということをまた語られる。
そういう構成なのです。つまり、自分で本を読んで感じ取ることが苦手な人でも言いたいことがストレートに伝わるように。そういう本だと思いました。

たとえれば 以下のような感じです
<冒頭>=================
貧乏に悩まされている人が、この本を読んだら貧乏のことなんかぜんぜん気にならなくなったのよ と誰かの告白を聞く。
 その話を教えて!と言われたので ある人がその話を語り始める
<寓話>=================
はなさかじいさんの話
<終わりに>===============
そうね。貧乏でも、心根をしっかりもつことで、いつか報われることがあるわ。
反対に悪いことばかり考えている人は、いつか報いが来るのよね。と数名で納得した。

 しかし、本の読み方として 上は正しいでしょうか? 違うはずです。
本来ならば、はなさかじいさんは 貧乏を気にしないということだけではなく、受け取り手によってそれぞれ自分の環境に照らし合わせて 感動する場所が違うはずなのです。

 貧乏でも幸せになるというメッセージと読む人もいれば、動物にやさしくするということを学ぶ人もいるはず。また、次々に起こる困難に立ち向かう元気を思う人もいるかもしれない。

本来は 寓話には解説は不要なのです。 受け取り手の気持ちに呼応して、心に響く箇所が違うのが良い本だと思えます。
では、なぜこの本は? というと、この本は寓話ではなく ビジネス書であり、How To 本だからということになると思います。

2)なぜ、ネズミと小人

 チーズがなくなってしまったとき、なぜネズミはすぐに行動に移したが、小人は移れなかったか。
その理由は 少しばかり物を考えていたからということでした。
 つまり、「あなたがいままで動けなかったのは、すぐに動けた人たちよりも頭が良かったからだよ」という、自尊心を刺激するメッセージが埋め込まれています。

以上のような本でした。

 もし、新鮮な驚きや感動を覚えられた方がいらしたら、ぜひ、児童書をお勧めします。
大人が児童書を読むことは、気恥ずかしいかもしれませんが、忘れていた子供のころの感動を思い出すこともあり、良い児童書は 大人には大人でないとわからない感動もあると思います。
 子供の頃には ストーリーの不思議さに引かれて読んでいたものが、大人になって読んでみるとあまりにもストーリの深さに感動し、涙が出ることもあります。

きっと、チーズの本以上に 得ることも多いと思えます。

本を読んでも面白くない人というのがなんとなくわかったきがしました。
本の登場人物に知らず知らずに 自分を投影して、なり代わって読むというのが本の楽しみであると思います。
 本を読むのが嫌いな人、楽しくない人は、そういう切り替えが苦手な人なのかもしれないと思いました。(だから、この本は解説してあったのでしょうか)

長くなってしまいました。中途半端ですが、今日はここまで。続きは明日?かな?

人の不幸は蜜の味? 2003,1,14
<明日から3日は、出張なので、たぶんロバ耳を更新できません。
ちょっと残念です。>

出張といっても、会社よりも自宅から近いところへ出張なので、とても嬉しい。
帰りも一応は 5時半に終わることになっているので、いつもよりもずっと早く帰れそう。
うれしいなあ。

■素晴らしき家族旅行

やっとのことで、林真理子の「素晴らしき家族旅行」を読み終わった。
なんだろう。このモヤモヤとした気持ちは。
読後感はやはりよくないのだが、語り手の妻(品もなにもない 昔の言葉でいうと「がらっぱち」の主婦)の、たくましさ、人のよさ、そうして、人が良いばかりではないちょっとした小ずるさ(良いところであり、悪いところでもある)が 最後にはなぜか頼もしいような、いとおしいような、そんな気持ちになっていた。

 この気持ちはもしかすると、語り手として出てくるちょっと頼りない風な夫が妻に対して持っている気持ちと同じような感情かもしれない。
 彼女の「絵に描いたような善人」とはかけはなれた性格が、リアリティがあるようにも思えてきた。

登場人物の好き嫌い、著者の人を見る目についての好き嫌いはおいておいて、このように最終的に
自分とは全く別なタイプであろうと思われる夫の視点で彼女をみせたところは、やはり林真理子さん、うまいのかもしれないと思う。

■人の不幸は蜜の味?

本のストーリーは、やはり裏表紙にかかれているようなドタバタでもお笑いでもなく、題ともかけ離れている(笑うとしたらブラックユーモア?)という筋で、祖父母の介護問題・親族の遺産争い・妹の結婚問題 と次から次に重いテーマが出てくる。
登場人物の女性すべてが、意地悪く打算的にかかれているのでドロドロとして読んでいても辛い
内容だった。

人の不幸は蜜の味とよく言われるが、本当にそうなのだろうか。
自分に関係の無い人の不幸でも、やはりテレビなどで報道されると気の毒にと思うのが一般の人の気持ちではないかと思う。

 テレビでは「家政婦は見た!」シリーズも人気だそうだ。
子供が生まれてからは見ていないが、私もよく見ていた。
このシリーズは 大抵 家政婦役の市原悦子が あまり一般人になじみの無いような環境の家庭に出向いて「あらあら!」などと覗き見的なことをしながら、結局はその家庭のゆがみを チョンチョンと刺激して 崩れさせるようなストーリーだ。

 このテレビが人気なのは 「人の不幸が蜜の味」なのではなくて、虚構であるドラマの上で、表面にみえてきていない悪事などがばれ、結局は自業自得となっていくという、
「悪徳越後屋崩壊物語」であって、一風変わった形の 「勧善懲悪」番組だからということもあるのではないかと思う。

 一寸した香辛料として「こういう家庭の裏には何かあるのよ」(普通の生活で良かったわね)という 普通の人たちが喜ぶような毒がちょっと入っているところも受けるのではなかろうか。
もちろん、「家政婦は見た!」シリーズはドラマであるから現実のことではない。
それがわかっているからこそ、気楽に御伽噺的な観点で見られるのではないかと思う。

 たしかに、人の不幸が蜜の味と感じる人も世の中にはいるかもしれない。
でも、知り合いが不幸になるのが楽しいと思う人はいないのではないかと思う。

どうにかならないか?と思いながらうまくいかないとき、当事者でないだけになにも力になれない自分に歯がゆい思いをすることも多い。
 好転して欲しいと思う状況に、何かの足しにならないかと助言をしたいと思っても、的外れであったり、環境や状況がいまひとつ理解できていなくて、当事者の感情を逆なでしてしまうこともある。
 私が、物を知ったげに助言したとして、何の足しにもならないことも多かろうとも思う。

私も、人とトラブルを起こすことがある普通の人間だ。
偉そうに人に教えられることは何も無いし、人をだれ一人嫌わない成人君子でももちろんない。

でも、私が親しくしている人にトラブルがあったら、やはりどうにかしてその人の気持ちが治まる方向に物事が進んでいくようにと願っている。

 自分が被った害について、「相手が悪い」と身の回りに認めてもらうことは 理不尽なことに対しての自分の思いが自分以外の人にも受け入れてもらえた(つまり、自分の思いの正当性を認めてもらえた)ということで胸のつかえがおりる。
 しかし、本当は、周りから相手の非をみとめてもらうことよりも、直接本人からの真摯な言葉をもらい、わかりあえたほうが本当の解決だとおもうし、本人もそれが一番嬉しいだろうと思う。

 私にとって、他人の不幸はやはり蜜の味ではない。
本人の気持ちと比較にはならないとは思うけれど、私もその方の気持ちがすっきりと納得がいく本当の意味での解決があることを望んでいる。

出不精 2003,1,12
出不精なんです。本当に私。

家にずっといられたら、きっと家にいる。
家がどこよりも一番好き。

今だったら、ゲームもあるしDVDもあるし、家で遊ぶのが一番好き。

独身の頃も長期の休みに 食料がなくなるまで家にいて、とうとう食料食べつくした深夜に近所のコンビニまで出かけたことも 何度かあります。

 出たら出たで楽しむたちなのですが、出ないのが好きなんですよね〜。
(本当の意味での奥様向きだわ。<なんちって)

昨日みかけた 映画「アイアム・サム」の隣人に 外出恐怖症の女性が出ていました。
彼女の部屋を見ると本当に私の理想。

もしかしなくても私は引きこもりの素質十分にあると思う。
どこよりも家が一番好きです。

ということで、 いろいろオフやお誘いをいただいても、出て行くまでにすごくパワーが必要で..なにか、大きな理由がないと行けないの。
もともと あまり出かけない人間なんです。ごめんなさい。気にしないでね。
でも、お誘いいただくのは本当に嬉しいのです。。

なんてったって家族の映画や買い物でさえ 行きたくない人間なのですもの。。
外に出るのに、すごく決心がいるんですよ。。< ウソみたいだけどね。。

そんな私が元気一杯のところは、ネットなんですよね。ヘンなの。
最近本当にそれが災いして デブ症になっています。
会社やめたら、ずっと家にいるんじゃないか?と家族も心配しています。
実は私も心配はしていないのですが、その可能性は高いと思います。

小さな光 2003,1,11
昨日、いろいろ書いたけれど、帰るときに私は元気がでてくることをみつけました。
心配してくださった皆様どうもありがとう。

今、会社では仕事と同時に、ちょっとだけ新しい勉強もしています。
先日書いたphpです。

このphp ウインドウズ(IIS)でもcgiとして動くのですが、癖があって、ちょっと関数の呼び方を変えたりしないと正常に動かないのです。
 いくらやってもうまく動かない。一日ぜんぜん進歩がないのはがっくり。
やったことのない新しいことを調べるのは、進みが遅くてうまくいかないと自分で自分がいやになります。

ところが、帰る直前、すこしずつだけどすすんでいる証拠を見つけたのです。
嬉しかった。
 もう調べるのをやめようかとくじけそうだったのですが、これでまた来週から頑張れそうな気がします。(本買ったほうがよいかなあ)

 そんな小さな光も、私のやる気につながったのでした。

夜に、もうひとつ、気になっていたことが 好転したとのこと。嬉しい嬉しい。
本当に嬉しい。

 そういえば、私の大好きだった童話で
「もえるイロイロ島」「あらしのクリクリ谷」(くまのチロ吉ものがたり)というのがあったのですが、(これ、叔母から本をおさがりに欲しいといわれて全部あげちゃったの〜。母は いいの?いいの? と思ってたらしいのですが。。私たちがOKしたらしいです。今となればあああ〜 残念)
 たしか、後者で 「明けねえ夜はねえんだ」みたいなせりふがあったような。。
あれ?「月夜ばかりじゃないんだ」だったかな<だったとすると意味が反対だ〜〜。
(小学生の頃の記憶なのでご容赦を)

http://homepage2.nifty.com/kozyf/chiro.JPG

もう絶版だそうです。おまけに 松谷みよこさんだとおもっていたのに
検索すると 沖井千代子さん作でした。

http://homepage2.nifty.com/kozyf/jerido.html
ここの10月2日に この方の 感想がちょっと載っています。

図書館でみつけたらぜひぜひ読んでみてくださいね。


やる気 2003,1,10
 先日ここに書いた 林真理子の本を 自分の心に逆らってとにかく一生懸命読んでいる。
人に対する描写が意地悪で、今のところ出てくる人みなが、小意地が悪く、自分勝手なところが読みたくない原因だ。(好きな人はいないとおもうが、私も意地悪はキライ。)

その中に 主人公の勤め先(呉服屋)での一こまがあった。
 すでにこの本が書かれた頃から日本は不景気に陥っていたのか、医者の奥さんが以前はガンガンお金に糸目をつけなく物を買っていたのに、まったく買わなくなった。
 このレベルの人たちがこうなってしまっては。。という くだりがあった。

 日本の不況も長い。
小泉さんにいまだに期待している人は何人くらいいるのだろう。
かなり我慢強いかお人よしだと思う。
 彼の言葉には 実態がない。「誠意」という言葉で「誠意大将軍」とあだ名をつけられた結婚騒動、借金騒動を起こした芸能人が数年前にいたのを思い出すが、小泉さんの言葉一つ一つに対して、具体的な言質をとりたいくらいだ。

 「着実にすすんでいる」と言われたら、では就任してからいままでにどのような政策をたてそれによってどういう着実な効果があったか。。一覧表にしたらどうなるだろう。
昨年の今ごろ、骨太というのは何だろう?と書いたのだが、今その骨太の改革とはなにだったか
、そうしてどんな効果があったか 教えて欲しいものである。
 政策ははっきりだれの目からみても効果があってナンボのものだと思う。
(数字のマジックとか 詭弁は聞きたくない)
キッチリとした定量的なデータで話をして欲しいものだ。

■やる気

 長期にわたる我慢は限界に達するとやる気を大幅に失ってしまう。
当初、日本の人たちは、不況だといっても数年我慢すればきっと景気が上向いてくると信じていたと思う。
 ところが、何年待てど暮らせど上向きになる気配がない。
政府が出す情報には何度か「ゆるやかな回復」などと言われたようだが、実感が伴わない。
 そうこうしているうちに、我慢比べのように、バタバタと会社が倒れ始めた。

 なにかうまく行かない時に人は、どうにかその状況を脱したいと懸命に努力する。
しかし、どんなに努力しても一向に好転する様子が見えないとき、いままで我慢していたものも手伝って一気に気力を失ってしまうように思う。
 こういうときには、なにか呼び水となるものが欲しい。
ノーベル賞もせいぜいひとつの会社の景気回復にとどまって日本全体の活気を取り戻すまでにはならなかった。本当に残念。

 アメリカは、国民全体を取りまとめるひとつの「敵」をつくることで国民の結束力を高め、戦争というイベントで景気刺激を狙っているのだろうか。

 pon2は 小泉という名前や顔さえみるのが嫌になりつつある。
それがいけないのだとわかっていても、彼を見ると嫌悪感を覚える。

■白黒はっきり

江戸っ子でもなんでもないが、
「こちとら曲がったことが大嫌えなんでぇ。」「白黒はっきりつけやがれ。」
なんていう時代劇のセリフは小気味良い。

しかし、世は「正直者が馬鹿を見る」と昔からいわれているように、一番の儲けがあるところは黒いところすれすれのグレーゾーンにあるようだ。
私は、馬鹿正直なタチなので、この「グレーゾーンは大嫌いなんでぇ」なのである。

思うにグレーゾーンを容認する人たちの心の中には、自分では気づいていないかもしれないが「自分さえ良ければ。自分だけがよければ」という利己主義的な思いが大きいのではないか?。

たとえば、身近なところで、ネットビジネスの書き込みをしている人達。
彼等は、「管理人さん不要だったら削除をお願いします」と広告を手当たり次第に書き込む行為は、未承諾メールと同じことだとどうしてわからないのだろう。

アメリカがもし、景気のことまで考えて 戦争を選ぼうとしているとしたら、
それはまさに、私が言おうとしているグレーゾーンだ。
自分さえ良ければよいという極地だと思う。

 とにかく、このグレーゾーンの人たちに関わると、まさに「正直者は馬鹿をみてしまう」のである。それは、グレーゾーンの人たちは、「自分のことしか考えていないから」である。
普通の人がこの人たちと対等に荒稼ぎできるくらいだったらもっと簡単に景気が回復しているだろうと思う。

■今は効果がでなくても耐える

こういう閉塞したときは、やる気もうせて、日々のらくらとくらしてしまいがちだ。
PON家はサラリーマン家庭なので、会社経営していらっしゃる方々に比べると打撃が小さいかもしれない。でも、閉塞感はじわじわとおしよせてくる。

景気だけでなく、なんでもそうだが、何をやっても好転しないと思うと、もうどうでも良いと思いたくなる。投げてしまいたくなる。

でも、こう言うときこそ、負けずに地道になにかをするべきなのかもしれない。
 高校一年のとき、成績では目立たなかった人がいた。彼女は勤勉だった。勉強を一生懸命していてもさほど成績が上がっているようには傍目には見えなかった。しかし、彼女が3年になったとき、成績は学校の上位1桁になっていた。

 小さくても良い。前向きに、自分の出来る範囲でなにか新しい道がみつけられないか。
気持ちの方向転換ができないか。なにか新しく向かっていく光が見つけられないか。
そういう努力が続けられないか。
そんな風に自分にといかけて、元気をだして やっていこうと思う。 

 こう書いておくのは、今閉塞感で元気がなくなりつつある誰へでもなく自分への結論である。
月並みだけどやっぱり 最後に自分を救えるのは他人ではなく、自分だけのような気がするのだ。
自分が投げてどうするんだ!ってね。
 

女の武器 2003,1,9
「年明け早々、穏やかでない題だな。」なんて思いながら。
(これで検索していらっしゃる方が増えたりして。。<ウソウソ)

■電車の中で

先日帰宅時に始発駅から乗る電車に個性的なファッションの中年女性がいらした。
年の頃なら 50〜60位か。。 アイラインは目の上下に真っ黒く入れ、アイシャドウは 水色。
唇の半分を真っ赤な口紅で塗って、後の半分は ファンデーションの色。
顔のファンデーションは地肌が見えないくらい。
 髪型はロングで、全体に 戸川昌子さんくらいのカールが強くかかっている。
         ▲戸川昌子 http://geisai.jp/pickup/02_01.shtml 
顔は、口元と鼻が少し 「イルカ」に似ている。
         ▲イルカ(中ほどに写真)http://www.uhb.co.jp/event/folk/profile.html
体型は中年女性の平均くらいのころっとした感じだろうか。
ファッションは個性的だが雰囲気は嫌味のない可愛らしい感じの人だった。

電車が入ってきて、座席についた。私は彼女の丁度向かいになった。
その女性は誰か見つけたらしい。ドアに近い7人掛けの椅子の端にハンドバッグを置いて 肩のあたりに手を上げ指をぴらぴらと小さく振って相手の注意を引こうとしている。
なかなか相手が気づかないらしく指だけだった動きが手首全体になったころ、その相手が乗り込んできた。
 彼女はハンドバックをどけて隣にその人を座らせた。60前後きちんとした身なりの男性だった。

向かいだったこともあり、自然と彼女達を見ることになった。
彼女は男性の肩の後ろに自分の肩が入って、胸が男性の腕に密着するくらいくっついている。
「あらあら!。。」と私は少し驚いた。 中年から壮年の男女であまりこう言う人たちは見かけない。
よくみると 座席も反対側の人には完全にお尻を向ける形になり、不必要なくらい男性に足をぴったりと寄せ、左右不均等な座り方だ。
 話の内容までは聞き取れないが、男性は明るく顔をかがやかせて饒舌に語りはじめていた。
どうやら、言葉のはしばしでは、会社の話のようだ。
女性の方は、その姿勢のまま顔を男性の方にまっすぐ向けて、まっすぐ男性の目を見ながらピースマークのようなスマイルでうなずきながら聞いている。

電車の中は退屈だ。私の頭はイロイロと詮索をしはじめてしまった。
・最初の挨拶のときに、たしか少し他人のような雰囲気だった。。
・女性の手をみると 右手には薬指をはじめボリュームのある沢山の指輪がついているが左手には一切の指輪がない。
・毎日話しをしているような 阿吽の呼吸の話ではなく、久しぶりにたまっていた話をするような弾んだ話だ。

私の想像は、女性はどこかの「ママ」男性は客ではないか?ということになった。
まったく、退屈な私は困ったものだ。

もし、ママだったら、彼女はやり手だろう。そこまでしても、いやらしさがあまりなく、可愛らしさが感じられる。
 男性のほうは、「○○のママは、オレに惚れている。美人ではないが、カワイイやつなんだ」なんて思いそうだ。(まさしく、そういうまんざらでもない表情に見えてきた)
特に中年以降の男性ともなると 自分が惚れるのは面倒だが、惚れられてまんざらでもないというのは心理的に弱いところなのではないだろうか。

 彼女は女の武器の達人なのではないか。。と思ったのであった。

■生保レディ

よく、会社の飲み会などでも、必ずその場の一番偉い人の隣にいつのまにか陣取って、お酌をしたり、くっついたりする女性もいるのだが、どうも苦手だ。
 他の男性社員とおなじようにお酌をしてまわる気働きは必要だとは思うが、会社という「仕事」で評価されるべきところに 必要以上に「女の武器」を持ち込むのは、フェアじゃないような気がする。

 最近会社にくる生保レディも同じような意味で苦手なところだ。
前は、もう少し落ち着いた人が多かったように思うのだが、新しい事務所だからだろうか。
本来、生命保険は必要であって、納得できれば入るというのがフェアなところだと思うのだが、会社にやってくる生保レディはちょっと違う。
 シナをつくったり、妙に甘えた声を出して 昼休みのひとときに なんとなく「女性のいる飲み屋」の雰囲気を持ち込んでくる人たちだ。

 入る気のない人がもう何ヶ月も「いや、まだ資料みてないから」と断りつづけていても、
「もぉ。今度の休みこそは、みてくださいよぉっつ。」なんて甘えた声色で言いながら、何度もたくましくやってくる。
彼女達も収入がかかっているから一生懸命なのだろうとはおもうが、そのものでなく、女の武器で契約をとるところが、「なんだかフェアじゃない!」と納得できないのだ。

■フェアじゃない

私は、オジ風オバではあるが、オジではないので、「オジがクラクラ〜とするんだろうな」とは思っても自分がそういう思いを体験することはない。
 また、反対に私はその「くらくら〜フェロモン」を評価してもらわなくてもそれ以外の部分を冷静にみてもらえる人に理解してもらうほうが嬉しい。(もともとくらくらフェロモンはほとんど持ち合わせてないのもたしかだが)

なぜ、「女の武器」の印象が悪いのだろうと思ったら、やっぱり「フェアじゃない」のひとことに尽きると思う。
 必要以上に「他人」に「情」の部分での自分優位を要求するというのがあまり好きでないということだと思う。

気づいたら私のひざにチョンと座っている大王は文句なしに「情」の部分でカワイイと思うのだが、
他人にそれを要求するのは?ちょいとお門違いじゃないかなあ。。と思ったりするのであった。
大王は 何かを得るためにそういうことをしてるのではないけれど、しばしば「女の武器」は自分を他人よりも優位にするために利用される。
 つまり、お店を繁盛させたい。会社でできるだけ良い評価が欲しい。契約してほしい。
そのあたりで、利用されるところが苦手の根源だ。

そう思ってみると、あったあった。女の武器ではないが、男性も嫌な意味での太鼓持ちというのがある。これも同じ意味で余り好きでないのであった。

じたばた困った。 2003,1,8
■いまさら

 結婚退職した後輩のところに、昨年子供が生まれたとかで、お祝いの品をネットで注文し、送るように依頼した。
 店は、pon1の知り合いの店。
その店から送りましたとの連絡がきたのだが、私も忙しくしていたので後輩には連絡を入れなかった。
子供が家族に増えると、バタバタしていろいろな付き合いごとをする時間もなくなってしまうので先方の手間を省いたほうがいいかな?なんて都合よく思う気持ちも少しあった。
 案の定、後輩からは届いたともなんとも連絡が無かった。

昨年同様に年末に年賀状を送って 今週初めに後輩からの年賀状が届いた。
赤ちゃんの写真に「7月に子供がうまれました」なんて手書きで書いてある。
ふ〜ん。。と見てから。。あれ? この文面は私が知らないということを想定して書いてないかな?
と心配になった。

同じ会社で別にお祝いをした人に聞いてみたところ、贈ったものについてお礼のコメントがあったという。。。あれれれれ?? もしかして 届いてなかったのだろうか。。。

いまさら、「秋に手配したけれど、届いた?」と聞くのも変だし。。。
pon1の知り合いに問合せするのも申し訳ないし。。。困った。
 できるだけ知り合いの店から頼もうと思っていたのだが、トラブルが発生したときを思うと、単なるビジネスとしてしか付き合いが無いところの方がお互い気が楽なような気もしてきた。

■じたばた

年末、帰省する前日に年賀状を急いで刷った。その日は朝からものすごい頭痛。
日頃頭痛と縁の無い私がほとほと参るほどの頭痛であった。
 しかし、その日中に印刷しないと帰宅は年明けになってしまう。とにかく頑張らねば。。。
 デザインができたものをpon1に渡して デザイン面の印刷や、pon1関係の宛名はpon1にお願いして私は自分と子供関係のものを刷った。(その日はミス続発だった)
 
 昨日、保育園へ行って先生から年賀状のお礼を頂いたところに昨年担任だった先生もいらした。
なんだか様子が変である。と思ったときに思い出した。そういえばこの先生に出し忘れている!。

 いままで担任していただいた先生全員に出したつもりだったのだが、他の先生は苗字でお呼びして、この先生だけ名前でお呼びしていたのであった。
そうして、その先生と同じ苗字の人がpon1の会社にいらしたのである。
つまり、頭痛の私は先生の苗字を見て、pon1の会社の人と判断して印刷しなかったのだ。。
 ああ。。。。

■しわよせ

日々余裕の無い生活をしていると、ちょっとした注意を怠ったしわ寄せがこんな風にどどっと押し寄せてくる。
すべて自分が悪いのであるが、正月早々深く反省した。
こういう出来事も手伝って、「やっぱり会社は辞めたほうが良いのかなあ〜」という思いが強くなってくる。
 以前は、表も裏も刷っただけ、一言の言葉もはいっていないはがきは味気ないと思っていたし、もっと筆まめだったのに、今は自分がそういうはがきを皆さんに送っている。
最近は、bbsにも不用意なことを書いてしまったり、電子メールさえも滞り気味。

 どうして、いつから こんなに余裕のない生活になったのだろう?と時々不思議になる。
たぶん、結婚して、子供が生まれて、事務所が遠くなって 勤務時間が延びて。。と少しずつ変わってきたものだとは思うのだが。

■風の谷のナウシカ

<こんな風な今日この頃、以前買った本を読もうとしたのだが、これがまた。。。
親戚関係のドロドロがかかれていて、読みたくない。(林真理子の「素晴らしき家族旅行」)
後半どうなるのか?、いまのところ裏表紙にかかれているほど 「ドタバタ騒動」でも 「笑いあり」でもなさそう。。<読み終えられるか。。苦痛。>
 
 こんな時は現実逃避がしたくなるもので、オキラク極楽な本とか 絵空事とも思えるほどのメッセージが懐かしいような気がする。
 ナウシカは、2,3年前までの私が大好きだったキャラクターだ。真剣に彼女のようにすべてのものを愛したいと思っていた。

 今はいろいろなことがあり、現実を知り、少し考えが変わってしまっているが、やはり、ドロドロとした日常を書き連ねた上の本よりも、彼女やこの物語が「大好き」と言ってしまう。

 舞台は未来のたぶん地球。過去の戦争により、文明も一度失われ、人間達も汚染された土壌に苦しみながら生活をしている。 そんな中でも平和に自然に寄り添いながらつつましく生活していた風の谷がある日突然戦争に巻き込まれる。 ナウシカは風の谷の姫。

映画も面白いが、アニメージュにのった原作はもう少し後まで書かれている。私は映画も好きだが原作も好き。

 大王くらいの子供には、どのくらい理解できるかはよくわからない。
ささくれ立ってしまった気持ちのときに自分ひとりでじっくり見て、忘れていた気持ちを思い出し、リフレッシュしたいなあと思ったりした。シーンとしては、他の映画にくらべると子供が見ても問題ないレベルだと思う。

怠慢は身につく 2003,1,7
 今年の目標は。。ともう少し考えてみた。
実現はムリっぽいが、年頭の目標として一応書いておこう。

1)ホームページは、できれば ASAHIネットのほうは 写真などを整理して別のコンテンツにした方がわかりやすいなあー>子育て関係を分けたいなあ。その方がわかりやすいだろうなあ。

2)できれば先に繋げる目標とかやることを見つけたいなあ。
 (暇になったらやりたいということは多いけど、お金のかかることばかり。小遣い稼ぎくらいできれば理想だなあ。)

3)家は、もう少し家事のペースをちゃんとつかみたいなあ。

すでに年末が来るのが怖かったりして。。

■ファイル

 昨日は 年初めで、急ぎの仕事などがなかったため、興味をもっていたphpをちょっと調べてみた。
今後会社でも使うこともあるかもしれないし、かなりわかりやすそうなので、ちょっとだけ改造して作りたいものが作れないか考えた。
どうせ、勉強するんだったら、実際に使うものをつくってみたいし、後々で自分のページなど普通に使えるものを作れればよいなと思い、オフ等で複数の人の予定を聞くときに使えるボードをつくってみようかなどと思ったのだ。

 デザインや、機能はなんとなく沸くのだが、さて、プログラム。。と思うとひっかかった。
会社では、ORACLE というデータベースを使っている。
一般にレンタルされているサーバでデータベースが使えるところは少ない。
一般には データベースを使わないことが普通なのだろう。

 では、ファイル操作。。。となると、面倒だ。。面倒だ。。面倒だぁ〜〜〜。
わかりきった地道なプログラムをする必要がある。一番苦手でキライな単純作業だ。。。

たとえば、RDBの操作言語であるsqlでは 
 「オフ会データの中から 何月何日から何月何日までの間で △さんが幹事のオフを 日付順に。。」なんていう命令は、
 
select オフ会データ where  何月何日から何月何日までの間 and △さんが幹事 order by 日付 asc

てなかんジの命令でその通りに並んだデータを最後まで繰り返し読めばよいのだ。
つまり単純作業は相手任せ、後を自分で作ればよい。

ところが、ファイル操作となると、いろいろファイルの並べ順(ソート)とか 判定とかファイルそのものの作り方を考えたり、プログラムの中でも面倒なことを沢山書く必要がある。

そう、本音をぶっちゃけて書くと「ファイル操作は 面倒で書く気がしない」のである。
私は、便利に慣れてしまって、昔やっていたことをやる気がしないのだ。

■怠慢は身につく

つくづく、怠慢は身についてしまっているなあと思った。

全自動洗濯機を使ったら、手で洗濯する気はまず起きないし、食器洗浄器を使ったら、大量の食器を洗って〜という作業はまずやる気はおきない。
 携帯電話を使ったら、いままでぜんぜん不便を感じていなかった公衆電話を探すのが面倒だし。
と、一旦ラクすることを覚えてしまった体を元に戻すのには相当の意思の力が必要なきがするのだった。

 世の中には、意思の力が強い方もいらして、そういう怠慢な世の中に疑問をもち、あえて不便な生活を選んでいる方もいらっしゃるという。
偉いなあ。私にはとても出来ないなあ。。とどっぷりとぬるま湯につかりながら思うのであった。

■ボッコちゃん

これはふる〜い記憶をひっぱりだしてみたら、おやおやこんなものがあった。。というものだけど、いろいろな人が一度ははまったことがあるのではないかとおもう本。話が短いのでドンドン読める。

 星新一のショートショートだ。

長い間読んでない。もしかすると実家にまだ文庫本があるかもしれない。
短い話のなかに、強烈な印象が封じ込められているので、カビがきそうな記憶でもストーリーをおもいだせたりする。

 中でもふと思い出したのは、(ボッコちゃんに収録されているものではないかもしれないが)会社かなにかで新製品開発プロジェクトがあり、その対象者が孤島かどこかで満ち足りていてなにもすることのない生活を与えられる。
 そうして数ヶ月すごしたときに、皆物足りないものを覚えて 創作意欲にかられるというような物語だったような記憶がある。 なにぶんカビが生えかけた記憶なので、他の話と混じってしまっていたりしているかもしれない。。

 こうやって、少し休みたいと思ったときに いつも思い出すのが産休の時のやるせなさ、家事しかやることの無い退屈さだ。
 しかし、いつも仕事に追い詰められているときよりも、暇な時期になにか次のステップに繋がることがあることも多い。

 鋭いところをついているなあ。。とカビの生えた記憶で感慨にふけっているのである。

星新一についてみつけた、このページ参考になりそう。
http://kyoto.cool.ne.jp/hayabi/hosi.html

これは、曖昧な記憶しか残っていないので、園丁には書きません。

仕事はじめ 2003,1,6
長い休みも終わって、今日からしごとはじめ。
休み中には、だらだらとすごして、自分のホームページ触ったりと自己満足の世界だったなあ。
そのせいか、あまりこみいったことを考えるというのに少し時間がかかりそうです。
 またもや 脳みその表面だけ使っているみたい。きょうもだらだらかいてます。

■年賀状

もう、一年に一度年賀状のやりとりだけになってしまいつつある友達もある。
お互い忙しくて連絡もとれない。相手がネットをやっていてくれるとラクなのだが、まだまだ。
そういえば、私の妹達や、母も pon1方の親戚もまだネットにどっぷりという状態ではない。
 母たちは高齢だというのもあるだろうし、親戚達はまだまだ子供から手が離れてなく、そんな時間の余裕がないのかもしれない。

そういう年賀状のやり取りのみになった友達から、子供が大きくなって何かと物入りなので、パートをはじめたという近況が書いてあった。

私は、大王が小学生になったときに、もう一度職について考えようと思っている。
長期休みや小学校低学年が早く帰ってくる時間に 親が家にいられないことと、今の会社では通勤時間が長すぎることが理由だ。
(子供と私が共有する時間が少ないのは今と同じだが、大人と一緒に子供がいる時間がもっと少なくなる)

しかし、子供が中学・高校になったときの一番お金のかかる時期はどうなるのだろう。
とふと、年賀状を見て思ったりもした。
(都会の教育費は、田舎出身の私には計り知れないものがある)

 自宅で仕事が出来ればよいのだが。

■自宅で仕事

私は、パソコン関係は好きだと思う。
今は 手がすくと、あちこち cgiを探しては設置してみたりするのにはまっている。
ただ、現在の私の設置条件は、「ながら設置できること」大抵の無料配布cgiは決められたことさえ守っていれば ほとんど頭を使わずに設置できるので、子供の相手をしながら(生返事しながら)、テレビを見ながらで設置できる。(niftyは cgiを置く場所とhtmlを置く場所が分けられているので、設置に手間取ってしまうから最近は他のサーバーに置くことが多くなった)

 もし、ながら設置して上手く動かない場合は、とりあえず原因を探すが、ちょっと触ってうまく行かないときは、すぱっとあきらめる。 脳みそを使ったことは 家ではできない。

それを考え合わせても、今の環境では仕事は無理だろうと思う。
やはりこみいった考えには、集中できる場が必要だ。

 しかし、やることが無いとたぶん退屈してしまうだろうなあとも思う。(これが葛藤の種)

ふと、自宅で会社をはじめたらどうだろう?と思ってcgi配布サイトを見に行ってみた。
見た会社はライセンス登録料 1会社10000円だった。
その後年にいくらとか使用料がないのである。。うう〜む。
 <これが相場なのかなあ。これではやっぱり小遣いにもならないなあ。
たぶんこの方も主たる仕事をもっていらっしゃるのだろう。
市販ソフトが めちゃ高いだけに、ネットで普及しているソフトのなんと安いことよ。
(このサイトが、あまりにも良心的すぎるのかな。。)

世にあるcgiも 「ああ、ここがこうなったらなあ〜」と思うものも沢山あるのだが、自分で改造となると必要最小限で、やっぱり ラクラク改造できる程度にとどまってしまう。

■年のはじめに

などと年の初めにこれからの生活をいろいろと想像してみたりしたのだが、まだまだそれは想像にとどまっている。今年の終わりまでには、ちゃんと決めておかないとね。。<目標
 現実の生活を省みてみると、やっぱり 
「皆さん今年もよろしくお願いします」に尽きる。

脳のリハビリが終わってないので、だらだらとしてしまった。

■平成狸合戦ぽんぽこ

スタジオジブリの映画で、よく宮崎映画と思われている方もいらっしゃるようだが、こちらは相棒の高畑勲監督の作品。
 最初に見た私の感想は 「感動がない。話が通り一遍でつまんない」だったのだが、大王には妙に受けがよい。
どうやら子供や、多摩丘陵に近い場に住んでいる人たちには受けがよいようにも思う。

 そうやってみなおしてみると、たしかに、おもしろいかもしれないと思い始めた。
特に大王が大好きなのは団地にお化けの出る様子。 
ああ、うちの近所にもあんな風にお化けがでてくれないかなあ。楽しいのになあ。見たいなあ。
 
 大人にはオススメしませんが、子供と、子供の心を忘れていない大人、多摩丘陵の近くに縁のある方は見て楽しめるかもしれません。
 これを見るときは オヤジとオバの気持ちはどこかに置いておいて 子供になりきってみましょう。それが楽しめる秘訣かもしれません。

本当は大きなメッセージがあるのだと思うのだけど。。そちらは、いまひとつ心に響きにくいと思ったりしてます。
ナウシカなら泣けるのに、ぽんぽこなら泣けないというのは、あまりにも話が現実的すぎて、説教臭いのかも。また、視点が 狸でもなく 物語の中の人間でもない第三者の視点からなので、人が話しに感情移入しにくいということもあるのかもしれません。

だらだら 2003,1,5
実家から帰ってきてからというもの、やらなければいけないことは沢山あるのですが、だらだらとすごしています。

 朝も今までは、6時頃かはやければ5時半頃には目がさめていたのに、8時頃まで眠い。
なんだぁ〜。これ。

■携帯ページつくる

だらだらしながら、里帰り時、甥が携帯を持っていたので、写メール交換なんぞして、「いまどきの若いもんは、パソコンじゃなくてやっぱり携帯文化なのね〜」なんて思ったり。
自分の携帯対応のページに携帯から始めてアクセスしてみたら、機能を追加しすぎて見えなかったりして。一年発起して、携帯用ページを立ち上げました。

http://hpm3.nifty.com/pons/     ぽん家モバイル

作ってみたは良いけれど、コンテンツが無い! 何にしようか考えたあげくに花の画像。(こんなのいらないよね。みんな。。)
他のサイトはどうなんだろうと検索したら、携帯サイトって パソサイトよりもずっと怪しいページが多いし、リンク集なんかも 健全なリンク集がみつからない。

 世のお父さんお母さん。インターネットは危ないなんていって携帯渡してたらもっと危ないかも。 出会い系以外にもい〜っぱいあるみたい。
子供に渡すなら インタネのオプションはずすとかそういうのがよさそう。
オプションはずすとメール使えないんだろうな。

携帯で有用なページリンクなんて欲しいなあ。。 あったら教えてね。

 i,j,ez などで 規格が違うのも。。。 画像サイズなども微妙に異なるようで、
私が自分の携帯で動作確認したとしても 全部の携帯で見えるわけではないのね〜。
 (エミュレーターみたいなのは あるみたいだけど。。そこまで携帯サイトに入れ込めるか。。っていうと。。う〜むだし)

と正月早々、ぼけてだらだらしながら 考えました。

■ネットビジネス

不況になると怪しげなビジネスも増えますね。怪しいネットビジネスも。
帰ってきて、通常遊びにいくページに行ってみると、ほとんど同じ人「ぼたん」というハンドルの書き込みがありました。
 多分、どこかからネットをたどってその先は、それぞれの家のリンクをたどって掲示板に書き込んでいるのでしょうか。

 ネットビジネスのページを見ると、

1)表紙ページ 
   自分がいかに生活に困っていたか、そうして、「あること」をしてそれから抜け 出したかということが書いてあり、その「あること」を知りたかったら次のページへ
 というリンクがある
2)次のページ
 いろいろな人のサクセスストーリーの画面がある
 しかし、ビジネスの詳細は書かれていない。 その会社がどういうものかもかかれていない。 もっと詳細を知りたい人への画面(登録画面?)へのリンクがある。
3)ここ以降は行ったことがないのでわからないが
  たぶん入会用フォームがあるのでしょう。

多分、入会時にお金をとられー>これがその怪しい会社のおおきな収入
入会した人は、できるだけ沢山の人を 掲示板などで勧誘して来いー>入った人の数によって、歩合制でお金がもらえる。

というマルチまがいの商法だと思います。(つまりネズミ講みたいなもの)

これは私の予測ですが、入会者は 1ページだけ自分のページを作って(もしかしたら
体験談もいくつかパターンがあって、ウソの体験談かも。それを作成者が選んで作るのかも)その先へのリンクが会社ページへのリンクなんじゃないかな〜。

 迷惑な話です。

■ジュマンジ
   
久々に見直しました。動物のCGで有名になった映画です。
不気味なすごろくを発見した 主人公は、遊びに来た友達と両親の留守にすごろくを始めますが、不気味な言葉が表示され、それが現実になっていきます。
 そうして、主人公はジュマンジの世界に吸い込まれてしまいます。

何回か見ているので面白くないかな?と思ったのですが、CGなどそこそこたのしめました。 後日園丁に書いておきますね。


あけましておめでとうございます 2003,1,4
今年は、年末から実家に帰りました。

大王もいとこと会えて大喜び。楽しんできました。
今年のお正月は寒い!また雪が降りましたね。

今年も忙しくて手が回らない一年になりそうな予感もしますが、ファイト!で頑張ろうと思っています。<一応新年の抱負。

皆様にも良い年になりますように。