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王様の耳はロバの耳(過去ログ)

普通は言わないけど、みんなどう思う?言いたいけど言う機会が無いみたいなことをおもいついたときに書こうと思ってます。

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正直村と嘘つき村 2003,5,30
ずっと昔に流行ったクイズなので、答えをご存知の方も多いかな。

正直村と嘘つき村があります。 正直村には正直に答える人ばかり 嘘つき村は嘘をつく人ばかりがすんでいます。 あなたが一本道を歩いているときに、道が二手にわかれていて、そこに人が立っていました。その人は 正直村か、嘘つき村のどちらかから来た人ですが、どちらの人かはあなたにはわかりません。 その二本の道は、片方は正直村、片方は嘘つき村に続いています。
あなたは 正直村に行きたいと思っています。
 さて、その人にあなたは何と尋ねればよいでしょう。答えは最後に。

■サルさんアリさん

 小さい頃から「いじわる爺さんは馬鹿をみた」ということを聞き育った人は多いと思いますが、
実際社会に出てみると、どうも正直な人が 馬鹿をみているような気がするということはありませんか。

 突然ですが、動物奇想天外の世界です。
 難しい仕組みをつくって おサルにバナナをとらせる実験をしていたとします。
物事に興味しんしんのチャレンジャ−猿が大抵出てきます。
そうして、ああでもない、こうでもないと試行錯誤して 偶然取れる場合もあるし、見ている私達が「おおっつ」と 驚くほどの知恵を発揮してバナナをゲットするサルもいます。

 ところが、そのおサルがバナナをゲットしたときに、ボスザルもしくは暴れザルがやってきて 「グワ〜」と威嚇。
あわれ、せっかく自分が考えてバナナをゲットしたサルは バナナを食べることができませんでした。

 あるいは、そのおサルがバナナを取ったと思って安堵した瞬間。物陰から様子をうかがっていたすばしこいサルがやってきて 横から掻っ攫っていってしまいました。
 哀れ知恵をしぼってバナナをとったサルはこちらのケースでもバナナを食べることができませんでした。

こう言う状況。よくテレビでも見かけます。

そう。こうやってみると、「サルとは違うさ〜」と思っている人間の世界は 仮に人間よりもずっと優れた生き物が見た場合、キノコを自分達で栽培するハキリアリと普通のありの差くらいしかないようにも思います。 

ハキリアリの抗生物質を利用したキノコ栽培:キノコが病気にならないよう抗生物質を利用
http://www.biowonderland.com/ScienceMystery/20021201.html
ハキリアリの牧場:アブラムシを食料確保のために飼っている
http://www.biowonderland.com/ScienceMystery/20021203.html
ハキリアリのキノコ栽培:キノコを食料確保のために栽培している
http://www.biowonderland.com/ScienceMystery/20021205.html

■正直者が馬鹿を見る図式

実際は正直村というのは幻想に過ぎません。
世の中には 「正直でいたい」よりも「自分が得をしたい」という意識が勝る人たちが沢山います。
また「自分が得をしたい」という積極的な理由ではないけれど「自分が損をしたくない」という消極的な理由でも嘘をついたり事実を隠していたりすることがあるでしょう。

 さて、架空の話から実社会の話にもどしましょう。
詳細は書きませんが、先日私は「人道的に容認できない」出来事があったことを知りました。 
 その人たちがやったことは、結局は 個々の出世欲と保身だったのでしょう。
本人にしてみれば 「うまくやりたかった。悪気はなかった」ということだと思います。
でも、その犠牲になってしまった人のことを思うと私は どうしてもその人たちがやったこと、そうしてその後の対応は納得いきません。

 常々、会社の構造や出世などについて 「能力ある人が出世するわけではない」という図式に気がついていた私は、たまたまここ数日たてつづけに これを何度も反芻することになりました。

 あるソフトをダウンロードすると、そのソフトに同梱されて「現在の会社システムに問題あり」と提言しています。興味ある人はダウンロード&解凍。 ソフトとして優れものです。
 http://www.vector.co.jp/soft/win95/util/se192983.html
 メルマガをとると、メルマガでは 今の社会構造について 提言しています。

 そういう現在の社会の問題点に気づいて憤慨している人たちが沢山いるのに、どうしてそういう人たちが手を組んで、改善することができないんだろう?とふと不思議になりました。

また、そんなときにマグマグから配信された文章にこんなものがありました。
=====
> 『 仕事ができるだけではダメ 』

 会社で出世するには、たんにいい業績を上げればいいというものではない。
課長へ、部長へ、役員へと引き上げてくれる上司がいて初めて出世できるのだ。

 この構造がわかっているなら、上司に対する態度はおのずと決まってくるだ
ろう。自分の人事考課を握っている上司とは仲よくし、かわいがってもらうこ
とが、出世には欠かせない。
=====
 長年会社づとめをして、悲しいことで、コレが諸悪の根源だと思うけれど、この指摘は本当であるとおもいます。出世に効くのは実力よりも、ゴマすりやアピールです。

「世渡り」というがまさに ひょいひょいと身をかわしながら「渡る」ということでしょうか。

たとえば「能力があると思う人たちが沢山あつまって」ベンチャービジネスをおこしたとしても、その構造が長続きしないだろうし、実際、現在の問題点を解決すべくして独立したベンチャービジネスが 長年成長しつづけているという例を余り聞かないのはこれが問題なのでしょう。
それは、世渡り上手な人たちの存在。自分の能力以上に能力を買ってもらう人たちの存在でしょうか。
皆がみな嘘をついているわけではなく、自分の能力を自分で買いかぶっている場合もあるでしょう。

 「苦労して金を儲けたい」と思う人はいないと思います。
誰しもみなできれば楽にお金を儲けたい。
そういう感覚が人間にあるかぎり搾取する人がいて搾取される人がいるのだなあと思いました。

■おこたえ

 冒頭のクイズの答えは 「あなたはどちらの道から来ましたか?」とその人に尋ねましょう。
嘘つき村の人は 嘘つき村から来たので嘘をついて正直村の方向を指差します。
正直村の人は 正直村から来たので 正直村の方向を指差します。

隣の芝生 2003,5,29
 「隣の芝生」という名前で植物を登録するcgiを入れていた。
このcgiを入れた頃には 到底自宅の写真を載せる時間はとれないだろうから、他力本願でよそさまの写真をここに掲載していただいて、「ああ、お隣の芝生は青いわあ」と思おうと思ったのである。
 現在は 自宅の植物のみを登録するようになった。

今日はその話ではない。

■まつげバサバサ
まつげバサバサになりたいと話していたら、「まつげバサバサは面倒なので切ってしまおうかと思っている」というお話も伺った。なるほど。 「持てる者」には面倒でも「持たない者」には十分憧れの対象になるのである。 もちろん、そのお話を伺ったとしても 私のまつげバサバサへの憧れは少しも揺らがない。
 実は身近にバサバサの人間がいるので、いつもそれをみながら うらやましいなあ〜とため息をつくのである。 その人物は大王である。

そういえば、胸についてももう少し昔は欲しかった。
もともと私は妹に「鉄腕アトム」と呼ばれたことのある人間。胸はない。
やはり人並みにド〜ンと欲しいと思ったこともあるし、うらやましいと思っていたのである。
 ところが、「持てる者」の体験談をお聞きすると「肩が凝る」とか「太って見える」とかいろいろ出てくる。
たしかに 叶姉妹みると 「邪魔そうだなあ」と思う。服も選びそうだ。体のラインを出さないと 単なる「オデブ」に見えてしまうかもしれないし、ラインを出すと下手するといやらしくなりそうだ。
(だから叶姉妹の服はいつもあんななのか。たしかにトレーナーを着るとすごいものになりそう。)
 
 最近は私は「豊満なハラ」を手に入れてしまったので、「豊満な胸は邪魔そうだ」と想像がつく。 
豊満な胸は今はいらないなあと思ってしまう。それより「豊満なハラ」をなくしたい。

■持てる者と持たざるもの
ずっと以前のことだが、「キムタク」が自分のことを「こんなに鼻のでかい男のどこがいいんでしょうねえ」なんて言っていた。 
 キムタクの鼻はでかいか?とみると、確かに細面な顔にくらべて 大きいかもしれない。

実は私の鼻はでかい。子供の頃に「鼻が大きい」といじめられたこともあり、小学校の担任に「先生。私の鼻は大きいでしょうか?」と聞きに言ったことがある。先生はさぞこまっただろう。
 昔はこの鼻がいやでいやでたまらなくて、整形したくてしょうがなかった。 もう少しちょこんと皆のような小さな鼻が欲しかった。 

 大人になってから、丸井の化粧品売り場で呼び止められた。「あなた。ノーズシャドウがきつすぎるわ」。
私はノーズシャドウもなんもつけてなかった。眉根に単に光があたってなくて陰になっていただけなのだ。
「おねえさん。なんもわかってないぜ」と思った。 
 子供の頃のコンプレックスの大きな鼻は、別の見方をすると「高い鼻」なのだ。
今は、私はこの鼻はそんなに嫌いではない。 自分の顔としてみると 見慣れたせいかコレくらいの鼻の方がバランスが良いように思うのだ。(これは諦めとか慣れなのかな)

 鼻を持っているキムタクにとってみれば コンプレックスであったとしても、この鼻あってのキムタクなのかもしれないと思うのだ。
 もしかすると、ジュリアロバーツはあの口が嫌いかもしれない。
でも、彼女の成功はあの口があってこそなんだ。チャームポイントである。

■ないものねだり
 先日、子供の教育のところで、お母さんたちの教育熱心なポイントは
1)自分がそれができることによって 成功を手にしたこと
2)自分がそれができないことで、失敗したと思っていること
ではないか と書いた。

 これは言い換えると、たぶん
1)自分の好きなところ−>良いと評価
2)自分の嫌いなところ−>悪いと評価
とも言い替えられるとおもう。

 話は少しそれるが、常々私は人の美醜の感覚というのは、その人の顔を基準に成り立っていると思っている。
だれかに、「あなたが綺麗だと思う人をあげてください」と言うと、たぶんその人の上げる美人は どこかその人に似ているところを持っていることが多いと感じている。
 つまり、美醜の感覚ひとつにしても 1)自分の好きなところや顔立ちが似ていて 2)自分のコンプレックスとしているところが少ない ような顔がその人の理想の顔として上げられそうに思う。

 なぜ、古今東西 グループで売り出したアイドルどの人にもファンがつくのか?というと、このあたりの事情がかかわってきそうである。ひとそれぞれの好みがあるから。。

 幅広いファンをグループに集めるのはどうしたらよいか。
グループの構成員にバリエーションを持たせることであると思う。
 まちがっても、どこかのテレビ局や 誰かの事務所のように、自分の顔の好みがわかってしまうような人選をしてしまうと、自分と好みが全く違う人には受け入れられないこともありそうだ。
そればかりか下手をすると、同じ顔立ちの人が集うことによって、結婚式の集合写真のように似た人たちだらけで大変クドイ。胸焼けしそうになってしまう。

 では、1)を多く2)を少なくというのは、いけないことなのか?と考えてみると、そうではないはずだ。
良かったことを伸ばし、悪かったことを正すというのは 進歩するための行動としては近道であることは明白。

つまり、ここでも人間は本能によって、進化の道筋をたどろうとしているのかなあ〜。なんて思ってしまう。
すべての人間のベクトルが一方向に向くと、何かが起こったときに滅亡を意味する。
たとえば、大きな鼻は寒さに弱く大寒波がやってきたときに 呼吸器疾患により人間滅亡とか。

というのは大袈裟だが、それぞれが別の基準を目指すということは、言い換えると多様性への道、滅亡しない道へと向かっているようにもおもえる。

■で、なんのことやら。。(^^;)

 ま、今日はだらだら下らないことをかいたけど、言いたかったのは、美醜の問題だけではない。
1)価値基準って人によって違うのがおもしろいな
2)基準が違うとか 自分が持っていないものに対してあこがれるということは とりもなおさず本能なのかも。
3)持っている人にとってみたら下らないものでも、持ってないひとからみるとうらやましいものなのだね。
4)そうして、人から見てうらやましがられる人でもその人にはその人のうらやましいというものがあるんだね。
 っていうようなどうでも良い結論でした。

子供の絵から 2003,5,28
今日は真面目すぎかな。
私が子供の絵を見ていてきがついたこと、考えたことを書いています。

■絵を書かない大王

 他の子供達が沢山絵をかきはじめたころ、大王はさっぱり絵を書かなかった。
心配して、一緒に書こうと誘っても、少し自分で書いて、すぐにやめてしまう。
 まるで、以前出来ていた事が出来なくなった人が、自分が以前のように出来ないことで苛立っているようなそういうしぐさであった。

 ところが、最近はとても良く絵を書く。親の欲目ではあるが随分と上手になってきているように見える。

 絵を書かなかった大王は 自分が頭の中で考えているように手を使って書けないということに苛立っていたのかもしれないと思う。
子供にとって絵を書くということは 手の運動能力や脳の発達のバランスが関係してくるらしい。
もちろん、考えてみると大人にしても絵というのはなかなか深いものがある。
3次元を2次元に表現するということは よく考えると大人にもかなり大変だと思う。

 たしかに、大王は、その頃から立体構成にはものすごく長けていた。
立体認識力がそだっていたものを平面に投影するということがうまくいかなかったのかもしれない。

■シンボライズ&一般化&模倣

 現在、大王はかなり一般化された絵を書く。
 たとえば 太陽が赤く空にあり、葉っぱは緑色。
 気づいたことだが、絵というものは模倣から始まるのかもしれない。

 美術をかじった妹は、「どうして皆太陽が赤くて、葉っぱが緑で土が茶色、顔がペールオレンジ(肌色というのは最近はいわないのですよね)の絵を書くのだろうと思う。
 よく見てご覧、本当にそうなの?と教えたい。水色の服を来た人の顔には水色が投影されて水色が混じっている 云々」などという。
 顔の色に水色が混じるというのはなかなか 私には感じることが難しい話であるのだが、たしかにたとえば、洋服の色合いによって、顔色が悪く見えたりということは経験上あるようにも思う。

 大王の保育園での絵の発達をそれとなく見ていたところ、一番最初に絵を沢山書き始めたのは
年上の兄弟のいる子供が多く、特に女の子が多かった。
 彼女達は、マンガで見る 目に星の入ったキャラクターを真似して お母さんの顔も自分の顔も目に星を入れて書く。髪形は セーラームーンのような髪型が多い。
 お姉さんが書いてくれる絵を模倣して身に付けたように思う。

 男の子達は比較的現実的である。大王は今でも目には星をいれないが、ピースマークのような絵を書く。笑っていることを示しているのだろう。

 実際目で見たままのものを書くというのは大人にも難しいことだ。
 たとえば、遠近法についても美術史的にはその発見がひとつの大きな出来事となっていることなどを考えても分かるように思う。
  また、何々派と区分される絵が存在するということは ある意味表現を模索し、模倣から産まれている部分も多いのではないかと思う。

 つまり、葉の緑色、太陽の赤などはどちらかというとシンボルなのかもしれないと思うのだ。

■大王の絵

昨日はもうすぐ私の誕生日だということで私の絵を書いてくれた。
大王の絵は明るくてたのしくて面白い。
 花を書いてくれた。もちろんそんな花は存在しない一度もみたことのないひまわりのような形の花で葉っぱが2枚ある。葉脈まで書いてくれた。

 「チューリップも書いて」という私の要望に答えてチューリップも書いてくれた。
チューリップの葉はみなさんご存知のように葉脈は並行に走る。
大王はチューリップは見たことがあるのだが、葉はちゃんと見たことが無いようだ。
 葉脈は 最初に書いた花と同じように 丁寧に網状に書いてくれた。

雲も書こう。といって雲を書いてくれた。
この雲形というのは彼が一番こだわったものであり、書けるようになったことが嬉しいようだ。
凹凸のある線で囲んだ形を書くことは 子供にとってはかなり真剣に取り組むもののようだった。
 そうして、大王、上半分の雲をかいたところで 突起を数え始めた 下半分は上半分と同じ数だけ突起をつけた。
 面白い発見をしたと 他の雲を見てみるとみな上下の突起の数が同じ。
このへんもかなり様式化されている。(何故数を合わせるのかは謎だ)

その後特徴的だったのは、上下を分ける部分に画面を横切る一本線を書いた。
その線から上を青く塗って 空だそうだ。

私は 今度一緒にチューリップの葉と他の葉っぱを見比べてみよう。とか 空の始まりを見せてみようと思った。 

■ところで、
ところで、子供のこういう思い込みを面白いと思っていた私は、ふと自分のことに思い当たった。

私は子供の頃瀬戸内海に面した場所で多く過ごした。私の毎日見る風景では空は山によって区切られていた。もちろん海に行くこともあったが、住宅地ではかならず近いところに山が見えた。

 ドラえもんや サザエさんを見ると、住宅地はきちんと碁盤の目にならんでいたりして平坦なところがずっと続く。周りを見回しても山は見えない。

 私は、子供の頃から、この ドラえもんやサザエさんの世界は マンガだからこんな風に単純化して表現してあるのだと思っていた。
 ところが、関東に来て初めてわかった。あれはあれで広い平野では写実なんだ。 

 もうひとつ、入社当時に笑われてしまったエピソードだが、私の住んでいた山口県ではまず富士山が見えることはなかった。距離もあるし、山にさえぎられて見えない。
あの辺りにはあまり高い山もないので、山というものがどのくらい遠くまで見えるかということは
考えた事も無かった。
 富士山は、新幹線に乗っているうちに見えてくる高い山だったのだ。
 ある日、歯磨きをしながら同期の友人が 「今日も富士山が綺麗に見えるね」と言ったので、「え?富士山見えるの?富士山は静岡辺りでしかみえないよ」なんて大まじめに言ったところが皆大笑い。そう。 まさに 井戸の中のカエルさん。 井戸をすべてと思い、日頃みるのは井戸の縁だけという状態だった。(いや、ソノママすぎて、たとえ話になってないけど) 

 こういう認識というか、自分の思い込みというか、常識というのは 子供だけでなく結構大人になってもあるものなのではないかと思う。(え、そんなの 私が天然ボケだっただけ?)

子供を取り巻く環境 2003,5,27
■ブランド洋服に月6万円の小学生

昨日の帰宅時、電車で知り合いになった同じ会社の方から「最近の小学生って大変なんだって?」とお話を伺った。以下伝え聞きである。
 おとうさんのお小遣いは2万円で、小学生の子供にブランド物の洋服を買ってやる金額が月6万円。これはお母さんが働いたお金をあてているそうだ。
お母さんの談では 
「自分は子供のころに歯のことでいじめられた。この子にはそういう思いをさせたくない。だからいじめられないように洋服だけは。。。」という話だったそうだ。

 私が理解した通りの話であるとすると、何か変な気がする。
まず、おとうさんのお小遣いが2万円(に削って)で 6万円の洋服をその子に与えるのはアンバランスだと思うのだ。

「いじめにあわせたくないから洋服だけは」というのも、論理として通ってないように思う。
容貌でいじめられたことを洋服でうめられるかというと 否。
いつもブランド物の洋服を着ていないからといっていじめられたとして、ではブランド物の洋服を着たらいじめられないかというとこれも否。

子供の頃を思い出すとたぶん、嫌な思いを一度もしなかった人は少ないのではないかと思う。
手足の長さ、体重の多い少ない、ほくろ、目鼻口、色白色黒、なんでも子供達の揶揄の対象になる。

■疲れきった中学生

数日前に別の人と帰宅していたときに、「あ、あの子 うちの子と同じ保育園だった子だわ」とその人が言った。
 向かいには私立の制服をきて 痩せて、色白で 元気なく眠りこけている中学生がいた。
まるで通勤に疲れきって寝ている大人のような姿で眠りこけている。
その時点では「健康的」とは受け取りにくい状態だった。

 「勉強が大変なんだろうか。通学も長そうで大変だなあ」と傍から見たのだが、ふと自分の子供のことを考えると不安になってきた。
 うちの子はどんな中学生になるんだろう。中学生の頃の同級生の顔が浮かぶ。
田舎の公立中学だったからかもしれないが、もっと子供たちは 勉強ができる子も生き生きしていた。勉強も、運動もと双方がんばっていたような気がする。

■「人よりも早く」と焦る親達。

つい先日も、大王が本を読みたがらないと心配した私である。
だから、焦る気持ちはよくわかるのではあるが、同時にコレで良いのか?と自問することも多い。

 大王と同じ保育園でも 「くりあがり足し算?掛け算?」を 送迎時に教えるお母さん。
英語を教えるおかあさん。「うちの子はお勉強が嫌いなんです」というお母さん。
 そういう方を多く見ると、うちの子の 「あるがまま」状態はコレでよいのだろうか?とふと心配にならないでもない。
 他所のお子さんが一生懸命楽しげに本を読んでいて、うちの子の本はキライ(いまのところ)な様子を見ると、こんなので大丈夫なのかなあ。。。と思い始めるのが親心。

 会社でも ○○さん、▲▲さんのところ、今年中学校お受験だったらしいよ。
などと聞くことも多い。
 これは、関東地方限定の話だろうか。こう言う話を聞くと、「ああ、田舎はよかったなあ」と
思うことが多い。
 私の甥たちは、勉強も、クラブ活動も 私の子供のころと変わらないように楽しんで、家族と仲良くすくすくと育っている。

■東大生の親は金持ち

2000年の話題で少し鮮度が落ちているが 東大生の親は慶応義塾大学の親よりも年収が多いという統計が出ているらしい
http://www.internetclub.ne.jp/TODAY/HIRAMOTO/2000/1101HK.html

つい先日、上で書いた子供さんの話をしていて、pon1が「そういえば」と思い出した内容だ。

 親が「頭がよい」から収入もあり 子供も遺伝で優秀な頭脳を持っていて東大に通えるのか。
 親が「教育費をふんだんに使える」から 子供が 東大に入れるように効率の良い勉強ができるのか。

 ただ、ここでひとつ忘れたくないと思っていることがある。
入学試験では基本的に成績が良い順に選別されることは周知の事実であるが、それがその人の能力のすべてをあらわしているわけではないということ。

 たとえば、私の経験上、偏差値の高い有名な大学を出ていても、教えられたこと以上のことが出来ない人もいることを知っている。
  そういう人たちには 「学歴」という勲章はあるのだが、仕事という 自分で答えを見つけ出すものについては苦手なのだろう。

また、経験上、学歴としては高卒ですぐに社会にはいって仕事をしている人でバリバリと物事をよく考えてこなしている人もいることも知っている。

 つまり私がひしひしと感じていることは、「人の能力については学歴はあまり目安にならない」ということである。
 
 しかし、この事実と相反するものがある。
それは収入だ。たとえば、高卒で社会に出た能力のある人から見て、有名大学を卒業して会社に入った人が 自分よりも能力がない場合に、それに気づかないわけはない。
 しかし、収入を見るとどうだろう。これは明らかに高卒のほうが低いのである。
自分よりも仕事が出来ない人が自分よりも収入があるわけである。
「ああ、自分に学歴さえあれば」と悔しい思いをするであろう。
多分この、試験勉強に勝つものが勝つという図式と、実力を評価しないシステムが諸悪の根源なんだなあ。。。(海外の 入学は簡単で卒業は難しいっていうのはどういう問題点があるんだろう。その方が良いような気もする。)

親というのは不思議なもので、自分の子供は「自分よりもよくできてほしい」と思ってしまうのが本能のようだ。

 教育熱心なご両親の姿を見ていると、
1)自分がそれができることによって 成功を手にしたこと
2)自分がそれができないことで、失敗したと思っていること
に熱が入っているように思う。

■大きなお世話

 と、他所のお宅について大きなおせわばかり書いてしまったが、私もご多分に漏れず、やはり親としては子供の将来の幸福を願ってしまう。
 しかし、いろいろ考えながらゆれながら できるだけ次のことを肝に銘じたいと思っている。

1)家族のバランスを欠くような子供へのいれこみはしない
2)子供に「高学歴」よりも 親ができる範囲で子供に合った「知識と教養」を
3)冷静に

これが、正しいかどうかは わからないのだが、とりあえずpon家で導き出した結論である。

■おまけ
今日もこの文章がおもしろい!とおもったページを書いておこう。
このこねくり加減が好きかも。

スタンダード 反社会学講座
http://mazzan.tripod.co.jp/index.html

パパの絵。鉛筆で書いているのでかなり薄いですが、良く似ています。

ブリジットジョーンズの日記 2003,5,26
数日前、MLで、「『私はこんな風に汚い花が好きなの』と花を誉めてもらった。人に好まれるということが分かってうれしかった。しかし、内心汚い花だとは思っていたが 渋い花と言葉を選んで言ってもらえたならもっとうれしかったろうに」という話を聞いた。

 ひとごとじゃない。私も、こう言う発言をよくしてしまうからよくわかる。
ヒトが見たら汚いと思うかもしれないなあ。でも私にはとても綺麗に見える。なんて頭で考えたそのままを口に出してしまうのだ。
言葉足らずで誤解を招く表現も多い。
私は 大抵 人と自分を比べて公の場に書いている内容で人を悪くということは無い。
でも、後から自分で文を読んでドッキリすることも多い。
 私の持っている掲示板のひとつに、「コッコの脳みそだ」と自分のことについて書いた文があったりするのだが、これも主語がないので、私に良い印象を持っていらっしゃらない方が読むと、相手のことをニワトリの脳みそなんて なんて失礼なヤツなんだ!と思われるだろう。
 相手が私に好意をもっていないと理解できないような文章ではダメだなあといつも反省する。

■迷う。
大王が寝ている間に「ブリジットジョーンズの日記」を見た。
このブリジット。この人も 考えたことをそのまま口にだしてしまって失敗するという設定だ。
 私も独身時代が長かったので、彼女に共感することが多いかと思って期待したのだが、弁護士役のコリン ファースの素敵さは際立ったものの、どうもいまひとつこの映画には共感が少なかった。

 これをここに書こうかどうしようかとちょっと迷った。
以前、友達が持ってきた映画パンフレットを見て、私はおもったままのことを口にした。友人が悲しい思いをしたと後で私に言ったことは覚えているのだが、私自身は何を言ったのか覚えていない。ただ、そんな軽口で彼女の大切な思いを傷つけてしまったことは本当に申し訳ないと思った。
 ここを読んでくださっている方の仲の良いお友達が好きな映画とのことだから、躊躇するのだが、その方の否定ではなくて、このへんがやはり私にはわからないということを書かせて欲しい。
 映画というものはきっと見る人によっていろいろだと思う。
 私が読みきれず心に響かないことが他の人に響くこともあるし、反対のこともあると思う。
この映画が大好きな方は多いと聞くので、私のほうが少数派だと思うがこんな風なことを感じたということを書かせて欲しい。
 
■ブリジットジョーンズの日記
笑顔は可愛いものの時々妙にオバサンぽくみえるブリジット・ジョーンズ(レニー・ゼルウィガー)は ふとリ気味の30を少し超えた頃。
ボーイフレンドもなく、親から離れて一人暮らしで会社づとめをしている。
 毎日が寂しくて寂しくてたまらないのだが、必ず親戚が集る頃になると、まだ結婚しないの?とか大きなお世話がはじまることはうっとおしい。
 ところが、どうやら 上司ダニエル( ヒュー・グラント)が彼女にちょっかいを出しているようだ。
 
■オバの小言。なんなの?これ?
と、ここまでの話であれば、私も結婚が遅かったことだし、(さほど寂しいとは思ってなかったが)
私が共感しても、至極もっともな話だと思うのだが。。。。。

見ていて、「なんなの?これ???」とおもったことを書いてみようとおもう。

30過ぎまで仕事をしていながら、トイレから彼女のデスクに長い私用電話をかけてくる友人も友人。そういう話を仕事中に断らずにしてしまう彼女も彼女。
 仕事と私用のけじめを付けなさい! 

知らないことを適当に相手に合わせていつも「知ってるふり」しちゃうなんて?
自分をよく見せるために嘘で身の回り固めてどうする?
仕事だったらなおさら「その件について知りませんでした。調べます。」というのがちゃんとした姿勢。

なぜかテレビ局に採用???
そうしてあっという間にレポーター。大事な仕事に行っているのになぜ?嗜好品を買いにコンビニに行く?責任感欠如。(他のクルーもそうだけど。)

仕事の成功は彼女の腕ではなく、結局はマーク(コリン ファース)がいたからこそ。
他力本願な彼女。

かとおもえば、上司ダニエル。仕事中にスカートだのなんだのでブリジットを誘う?
まあ、これ見よがしのあのファッションでは誘っているように見えるという設定か?
プレイボーイの設定らしいが、やっていることは、オヤジのセクハラ。おまけに、仕事中にこんなことばっかり考えている上司がこうなら部下がああなのか。「働いているのか?あんたたち?」

相手がいなくて寂しいからといって、「キミのスカートと食事がしたかったのに」なんて?
そんなこと言い出す人にホイホイ「ステキー」と着いていく?
私はこのシーンみながら、上にコートきて、「そんなに私のスカートがお好きなのでしたら、どうぞ。スカートのスケジュールはあいてますわ。」といってスカート脱いで渡せ! といきり立っていました。
 いや、自分だったらそんなことはできませんが、映画だったらそれくらいしてくれてもよいでしょう。

あの、デブデブ丸出しのファッションはなに? 肉がはみだしまくったバニーちゃんといい、スケスケのわけのわからないファッションといい、会社や、仮装だとはいえパーティに着ていく服装?
人のトナカイ柄をとやかく言える?

んで、ブリジット。あなたは、二人のどこが好きだったの?
丁度良い年齢でそれなりの社会的な地位のある人だったら誰でも良かったみたいに見える。
以前日本で流行った 3高みたい。本当にマーク(コリン ファース)が好きだったの?

ヒトから聞いた話で「だってあの人は 彼の奥さんとったのよ」って?
コリンのことが本当に好きだったら、本人に確認するのが本当だろう。
ブラウン管のこちらからみても、もし、あのマーク(コリン ファース)がそうしたのなら何か理由があったろうと思うだろうが〜。(映画だってば。。<自分)

ちょっとよさげな男にただふらふらしている彼女。仕事にも一生懸命でなく、なにごとにもいいかげん。どこを見て「ありのままの彼女」が好きだといわしめたのか。

■ちょっと辛口になってしまったのですが

そう。全体として思ったのは、ブリジットの太った姿やばかばかしい行動は残るのだが、彼女の魅力がいまひとつ表現されていないと思う。
 反対に、誰とでもほいほいすぐにベッドへ行ってしまうような軽はずみな物を考えない女性にしか見えなかったところがこの評価が私には低かった理由だと思う。

 「ありのままのキミが好き」とマークに言わしめたのは、なんだったのか。
 その心の部分がいまひとつ表現しきれていないとおもえる。

 たとえば、心理状態の変化を上手く表しているのは 「グリーンカード」二人がどうしてお互いに惹かれあったのか。そういうことが無理なく表現されていると思う。
 
 また、主人公の女性の魅力がよくあらわれていて気持ちよいのは、おなじように会社づとめの女性の 「ワーキングガール」。こちらで見ていても、ハリソンフォードが惹かれた彼女の魅力
が感じられると思う。

 テーマとして、共感できそうなテーマだっただけに、彼女の魅力がうまく描けていない。
二人がハッピーエンドになるだけの説得力がないのがとても残念。

物を考えない、すぐにベッドにでもどこにでもついてくる 豊満な女性が最高!な男の人と いまや死語となってしまった「3高狙い」の女の人のハッピーエンドの映画。。。
じゃないはずなのに。。。。。
 
 梅花ウツギ ベルエトワール。 良い香りがします。

イチョウ葉 2003,5,23
くるくるみらくる〜。である。イチョウ葉。

ことの発端は、かれこれ一ヶ月くらい前。 pon1がどこかから聞いてきて 「引きこもりにイチョウ葉がきくらしいよ」なんて言った。
 私は私で、「私は昔から家が好きだったから、人からみて出不精でも、これはこれで私にとっては普通なんだから、このままでいいよ。」なんてのらくら相手にしなかったのである。

 たしかに、私は会社に毎日通勤しているし、懇談会など、通常いかねばならないところにはとりあえず ちゃんと顔を出している。だから基本的には問題が無いと思うのであった。

 ところが、pon1は なかなか諦めない。
この一ヶ月私が忘れた頃になると「イチョウ葉注文してくれた?」と聞く。自分が飲むそうだ。
「あ、忘れた」「はいはい明日ね」「こんどね」etc.の返事のバリエーションが尽きた頃
 重い腰をあげて やっと頼んだのが先週である。

■調子がわるい

ここのところ、私はいまひとつ体調がよくなかった。
ここ数年この時期アレルギーで顔をふくめあちこちかぶれるので憂鬱になってしまう。

 どうも気持ちが閉じこもり気味な気もしていたので、検査に行った方がよいかなあと内心思っていたのである。
 検査というのは甲状腺。
 身内が甲状腺の病気を持っているので、私も検査するようには言われているのだが、
いまのところ自覚症状がないからとズルズルと伸ばしていたのだ。
 でも、甲状腺機能低下症というのを調べてみると、思い当たる症状がたくさんある。
 
 足がむくんだり、だるかったり、寒がりになったり、声がかすれたり、太ってきたり、
やる気が起こらなかったり、集中力がなかったり、皮膚がかさついたり。
ほとんどそのままである。

 とにかく、ここのところ、毎日がだるくて毎日が眠い。やる気がおこらなくてずっと家の中に閉じこもっていたい。その気持ちをふりきって会社にきてもなかなか能率も上がらない。
とにかく動けなくて、それを出来てないと思うことがまたつらい。という状態だった。

■なにに効くの?

とりあえずいわれるままに注文して 届いたのが昨日。
「何に効くんだろう」と検索してみた。
http://www.12sun.com/ityo/
http://www.kenko-hiroba.com/supli/ityoha.htm
http://www.jin.ne.jp/kikuya/ityouyou.htm

こんな注意事項もあった。
http://www.kokusen.go.jp/news/data/n-20021125.html

意外とよさそうだなあ。
頭痛にも肩こりにも効くみたいだし、寒がりにも効くみたい。おまけに、アレルギーにも効果が期待できるらしい。
 丁度ここのところ感じていた不調に効きそうなので、「うむうむ。いいじゃん!」と飲んだのが一昨日。

■おっつ。もしかして効いてる?

 朝、ちょっとだけ気分がラクなのを発見。
何をするにもテキパキ動ける。「イイカモ。動けるじゃ〜ん」。

 いや。動けないっていっても説明が難しいのだが、手が痛いとか足が痛いとかではなくて、何をするのも億劫だったのである。強いて言えば倦怠感というか。
たとえば、「子供の着替えを準備する」とか 「手紙の返事を書く」とか。
普通の状態だったらな〜んも気に病むことではないものが、ずし〜んと億劫になってしまって、ただただ非生産的にそういうものから逃げることばかりに気が向くのである。
でも、動けない自分に自己嫌悪してやらなければいけないと思うことがたまってきて、どよ〜んとしてしまうのである。

 それが今は、やらなければいけないなあと思う前にさっさと体が動く調子の良いときの感じ。

■そういえば

 そういえば、とおもいあたることがあった。
自分としてはやっとの思いで出かけた子供のくにで、大王と一緒にいつもよりも余計に体を使った後ちょっとだけ調子が出たような気がしたのだ。血流が悪いことが原因のひとつなのかな?

聞いてみるとpon1も調子がなんとなく良いらしい。

もともと pon1も私ももともと怒りっぽくない性格(ここを読んでいらっしゃる方は信じられないかもしれないのですが)で、結婚してから 今までけんからしい喧嘩というのをした事も無いという似たもの夫婦だ。

pon2「私達 もしかしたら{血の巡りの悪い}夫婦?」
pon1「え”〜〜〜〜〜?!」

これから下は医者でもない私の勝手な考察。

もともと、怒ったり興奮したりということは 交感神経が活発に動いている状態。
pon1とpon2はどちらかというと あまり交感神経が活発ではないタイプ。
 昨年もそういえば 梅雨の時期は調子がわるかった。
梅雨の時期、雨が多く全体的に低気圧になりやすい >副交感神経の活発化。
http://www.bl.mmtr.or.jp/~shinjou/sin13.htm
http://www.interq.or.jp/kyuushu/cyclone/second.htm

アレルギーを起こしやすいのは 副交感神経の活発な状態
http://www.ion.ne.jp/areken/arerugi.html

交感神経と副交感神経と不定愁訴の関係表
http://www.ktv.co.jp/ARUARU/search/arujiritu/jiritsusinkei2.htm

イチョウ葉は、血液の循環を良くする働きなどがあるそうだ。
これによって、脳やその他の血流が改善されて 調子がよくなってきたのではないかなあ。

甲状腺と交感神経もやはり関係があるようだ。
http://www.yamaguchi-naika.com/suko2-5/

 原因がなんであれ、名前がなんであれ、イチョウ葉により症状が改善したのはうれしい。

高血圧の方には向かないとか、ニ、三の注意事項はあるようだが、私と同じような状態の人は試して見られるのも良いかもしれないと思う。

クレマチス ブルーライトも 咲き終わりはこんなボールになります。

学習しないヤツ 2003,5,22
学習しないヤツとは私のことである。

以前、どこからか私のメールアドレスが迷惑メールを送る業者に漏れたようだということをこのロバミミに書いた。
私は、断言するが、そういう関係のサイト自体「大嫌い」なので、一度も見たことが無い。
なのに、たぶん、ネットショッピングかもしくは何か懸賞やメルマガの会員登録したアドレスが漏れたものと思う。(メルマガも英語とかビジネス関係しか登録してないんだけど)
 登録時に 「男」としたことがあったので、それがまずかったのかもしれない。

============================
そういえば、2ちゃんねるから他のurlへリンクが張られているときにそれを押すと不快な画像が出ることがある。 仕事でコンピュータ関係の情報をサーチしていると2ちゃんねるにヒットして
意識せずにリンクを押すと ものすごく不愉快になることがある。

 あれ、どうにかしてくれないのかな。<かなり怒っている
2ちゃんねるだということを自分が認識していたら リンクをコピー&ペーストすれば問題ないようなものなのだが、検索した先が2ちゃんねるだった場合、気づかずにリンクを押して、見たいと思っていないのに 意図しないものが出てくるとかなり不快だ。
物を探している時は没頭していて そういうことまで気が回らない場合も多い。
私はかなり怒っているんだけど。。。。
============================

話がそれた。とにかく、私は、出会い系とか 裏表のある画像とか そういうものは全く興味がない。
メールが送られてきても、興味本位でも一度もそういうリンクを押してみようなどと思ったことがないのであるが、こういう業界の人はそういうことは全く関係ないのか、それとも 自分が興味があるので「いやいや、世の中の人というのは私みたいに本当はなんだかんだ言っても興味アルデショウ。」なんて思っているのだろうか。

 あらためて 断言するが、ま〜ったく、ぜんぜん、さらさら興味がない。
建前でもなんでもなく すっかり、まるっきり、なんにも、一切、なんら、ひとつも である。

 で、私のところに送られてくるメールは さっさと表示義務違反の通知を行っていたのだが。

違反メールについてはこちら。
http://www.nissankyo.or.jp/tpc/tp108.html
http://www.dekyo.or.jp/soudan/onegai.htm

■敵も猿もの(ん?)

敵も然るもの(ひっかくもの)である。 <おじいちゃんがこんなこと言ってたなあ。

見事に法の抜け道をついてきて 私としては 「ムカムカ」度合いが頂点に達する状態になった。
表示義務を遵守してメールが送られてくるのだ。 これでは表示義務違反に通報できないではないか。
 表示義務の決まりのなかには、 そのメールの解除の方法を明記して、解除を依頼した人には二度と同じメールを送ってはいけないことになっている。
しかし毎回送信元のメールアドレスを変えてしまえば同じ文面でも送信元が違うということで
合法になってしまう。 
でもでも、あまりにもそれらしい unsubscribe@ホニャペケ などというメールアドレスが指定されていると 「あれ? この業者ちゃんと法を遵守することにしたのかしら」なんて思ってしまったのが失敗の元だった。
 ここにメールを送ったのである。

ところが、簡抜をいれずに その後、どんどこ 別のところから 変なメールが届くようになってしまった。 あああああああああああ。やっぱりそうだったよぉ。失敗しちゃったよぉ。
ココに居ますっていう存在表明を送ってしまったようなもんだ。。くそ〜〜ぉ。<失礼しました。
 大量の後悔  ( ̄□ ̄;)( ̄□ ̄;) (ーー;)(ーー;) 

ここ2,3日は、私にはまったく読めないハングルのメールまでやって来る。

 もし、海外の会社だったら、日本の法は関係ないということになるのだろうなあ。
こちらにも ハングルに混じって英語で このメールが不要な場合は こちらに依頼しろというメールアドレスが記載されている。

「韓国の会社だったら 依頼したら登録抹消するだろうか」なんて懲りずに思い始めていたのだが、
pon1にその話をしたら「そんなのするわけないじゃん。pon2はそういうことを懲りずにやっちゃうからなあ」と言われてしまった。
 たしかにそうなんだ。私。
相手が悪い人じゃないって思おうとしてしまうところがある。
いやな目にあっても、「次だったら平気かも」「あのときはあのときかも」「今度はおもいなおしてるかも」なんて思ってしまうんだよね。

 そういう性格自体は、私はそんなに悪いことではないと思っているんだけど、これによって嫌な思いを何度もする確率が高まるのもたしか。
そういえば、入社当時 同期に会社の愚痴を言ったら「嫌だと思ったのに、なんで何度もおなじことするの?」って聞かれたことあったなあ。彼女は慎重なタイプなので、私のこの性格が信じられなかったのだろう。
 私は私で、そんな風に思う人がいるということに驚いたので、愚痴の内容は忘れてしまったのに、この言葉だけはしっかりと覚えている。

■少し学習したつもり

 今度はもうず〜っとどんなことがあってもほおって置くことにした。
メールが来ることはうっとおしいが、見ずに消せば良いんだ。まじめに相手しているとこっちがバカをみてしまう。

「こういう業者に良心はない」って呪文のように唱えることにした。
10年20年たっても送りつづけるなんてことは たぶんないだろうし、その頃にはきっと違うことが流行っているにちがいないし、私のメールアドレスを変えればよいんだ。

クレマチス ブルーライト 開いてくるとこんなかんじ

誤差範囲 2003,5,21
まつげばさばさ自己満足計画も、継続力のない私には計画倒れになりつつある。
心ならずもしっかりついてしまった2本のまつげ以外はぱらぱらと落ちてしまったので、面倒になってきて ためしに今日はつけずに過ごしてみることにした。
 自分で顔を見るとたしかに 「変わったような、変わらないような」で、ちょっと第三者で実験してみることにした。

化粧後(といっても所要時間トータル5分)に 
私「どう?」
pon1「う〜ん。たしかに言われてみるとさっきとはちょっと違うような。」
(気を使ってくれているのか、そんなものなのか。pon1は誉め上手。私は木登り上手?)
私「今日はつけてないんだよぉ〜ん」

ということで、第三者からみると ついててもついてなくても全く変化がないということがわかった。
pon1曰く 「もっとばっさばさにつけないと違いがわかんないよ」
って、そんなにつけたら  怪しい人になっちゃうよね。

まあ、上手いお化粧は「ほんのちょっと」というものの積み重ねらしい。
その誤差範囲をぜ〜んぶあつめると おやまあ 前とは見違えるようではありませんかということだそうだ。
 たまに その誤差を作るために 買った分のまつげがなくなるまで使ってみようか。。。

ま、本来、人の美醜なんて、きっとその誤差範囲のようなものなんだねえ。

■そういえば知念里奈

知念里奈という人がいるのだが、彼女。個性的な顔立ちである。
一度見たら忘れない。
 可愛い。でも、他の方も書いていらしたのをみたことがあるのだが、私もその方と同じくちょっと爬虫類をおもいだしたりする。(ごめんなさい)

 先日、帰宅途上の電車で、私の前に立っていたカップルの女性がまさしく知念里奈のようなタイプの美人であった。
 大きな前歯は2本だけまっすぐ前をむいていて、欧米人だったらきっと矯正するかな?という感じ。
でも、彼女の場合は、その前歯もチャームポイントであったし、モード系ファッション雑誌っぽい髪型も 今風の服装も 細い体系とその雰囲気に良く似合っていた。

 幸せそうにず〜っと手をつないでいるんだけど、「昨日はなにしてたんですか〜」とデスマス調の甘くはない、その雰囲気によくあった枯れた小さめな声で妙に他人行儀な会話と(ずっと手を繋いでいるのに、なぜにデスマス調?)、言葉の合間に下を向いて乾いた小さな咳をコンコンとして病気っぽいところまで、かなり全体的なムードとしてはよくマッチしていた。

 モナリザに魅力を感じる人。ミロのビーナスに魅力を感じる人。吉永小百合に魅力を感じる人。
ゴマキに魅力を感じる人。知念里奈に魅力を感じる人。人の好みは千差万別。
 ミア・ファローは美人だろうか(かな〜り病気っぽいマニアック美人よね)。エマ・トンプソンは美人だろうか(美人っていうより、隣のおねえちゃんってかんじ)。ミシェル・ファイファーは美人だろうか(私は美人だと思うんだけど、でも良く見るとよくわからなくなってくる)。ジュリア・ロバーツは美人だろうか(口は大きいけど美人だよね。ジキル&ハイド見てないけどあのポスターでは怖かった)。サンドラ・ブロックは美人だろうか(元気な隣の姉ちゃん風彼女も口大きい美人だよね)。

 これを読んでいらっしゃる方のなかにも、芸能人のなかで 「あの人だけは なんで可愛いって言われるかわからない」っていう人が必ずいると思う。でもその人にはその人の熱狂的なファンもいるのですよね。これが。

ある意味「美人」っていうのは、「自分は美人!」っていうその人本人の自信というか、思い込みが発するオーラという誤差範囲の占める割合がものすごく大きい気がするのであった。

クレマチス ブルーライト 咲き始めはこんな風

子供でいたい 2003,5,20
どうやら、昨年あたりから大王の保育園には雨男か雨女がいるようだ。
移動動物園は昨年3回以上延期になった。 
遠足も3回延びたので、遠足弁当を3回も作るはめになった。
行事用の弁当だからそれなりに見た目も楽しくと考えたり、小さな弁当箱にどう詰めるとかそういうことも考えるとそれなりにプレッシャーなのだ。

さて、今年。雨女(男)の威力はいまだ健在。
先日の移動動物園(この日は野菜を持たせることになっている)は見事に延びた。
そうして、今日。遠足だったのだが、これも見事に延びた。今日は朝から弁当を作ってきたわけだがあとまた同じように弁当をつくる必要があるんだよね。。くぅ〜〜〜〜。(T^T)
 帰りに空っぽになった弁当箱を見ると嬉しいのだが、この「いつもよりも余計に」何かしないといけないというのは面倒である。

■つい

昨日はつい、弁当のことを考えると憂鬱になってしまい、ふと「ああ、最近はスランプだからね〜」と独り言を言った。
 すると大王。「そんなことないよ。ママの料理はいつもおいしいよ」なんて嬉しいことを真顔で言ってくれるではないか。ありがとうよぉ〜。(ノ_・。)
 なんだか、お兄ちゃんになったものだ。もっと大きくなると 「うまくない」だのなんだの文句を言うようになるのだろうか。

 毎日お弁当を作っている方もいらっしゃるわけだから、「たまの弁当くらいで プレッシャーだなんてちゃんちゃら可笑しい」と思われる方も多いだろう。たしかに大甘ちゃんだ。

 自分の子供の頃を思い出してみたら、高校は母に弁当をつくってもらっていた。
他の家の弁当が、いつも綺麗に彩りが考えてあったりするものだから「おかあさん。うちの弁当ももう少し綺麗にして」なんて文句を言ったら「文句をいうなら、自分で作りなさい。」なんて言われていた。

 わたしもたぶんそう言いたくなるだろうなあ。

その頃の私は「またまた〜お母さんたら、そんなことばかり言って。」と本気にしてなかったわけであるが、今考えたら自分で作るという選択肢はたしかに取れたわけである。
母は案外本気だったかもしれない。(今ごろになって気づいた)
 自分で作ろうと本気で考えたことがなかった私は、甘えていたのかもしれないし、今と同じく洞察力に欠けていたのかもしれない。

■子供でいたい
そういえば、大王について、ひとつ気になっていることがある。
「ずっと子供でいたい」なんて言うのだ。
ちらっと聞くと今が幸せだということで親は喜んでしまいそうだが、まてよ。本当にそんなことでよいのだろうか。

私が子供の頃には大人になりたくてしょうがなかった。

 トイザラスというおもちゃ屋のコマーシャルをご存知だろうか。
一定間隔で不快な電子音がピー ピー となるコマーシャルで「子供で居たい ずっとトイザラスキッド 大好きなおもちゃに囲まれて」と聞こえる 嫌いなコマーシャルのひとつだ。

 まずは、あのメロディーにのっていないピーピーという音。
あれは 人間の本能にはたらきかけて 画面に意識をむりやりに向けさせる。
それから 「子供でいたい ずっとトイザラスキッド」とはナニゴトだ!と思う。

 今の世の中、ずっと子供で居たい人達で溢れかえっている。
ずっと親のすねをかじって「お勉強」して「えらいのね」と言われたい就職浪人。
会社で働くことがつまらない。もっと違う私があるはずと目的意識をもたない会社から大学への再入学。
ずっと働かずに遊んでいたい パラサイトシングル。

 いや。すべてのラクが悪いというわけではない。
でも、自分でも気づかないうちに、逃げとして、ポーズとしての「お勉強」「研究」になっている人も中にはいるかもしれないと思うのだった。

これは、きっと大人たちがプチ金持ちになって、そのお金の大半をなかば無理して子供につぎ込んで子供を甘やかせてきた結果だと思う。

子供たち。大切に育てることはもちろんだけど。「大切にすること」と「甘やかし」の切り分けというのを親が意識しないといけないなあと思っている。
 子供を甘やかさないと同時に大人は自分も甘やかさないようにしないといけないのかもしれない。
子供を叱る、子供をきちんとしつけるというのは 忍耐が必要であり、叱らねばならないと思うのはストレスでもある。

子育てについて、もう一度考えてみた。
子供を大切にするというのと、子供のやることにまかせてなにも指導しないというのは違う。
でも、子供を自分の感情にまかせて理不尽にしかりつけるのはもちろんしつけではない。
しかし、親は絶対に自分の感情を子供に表してはいけないかというとこれは違うと思う。
親が本当に怒ったり悲しんだりする様をみて、子供が学ぶこともあると思う。親が神様である必要はない。

 子育ての真っ只中にいる私には、どこまでが大切にしていてどこまでが甘やかしなのかという切り分けはとても難しい。日々自分の行動は正しいのか正しかったのかと自問しながらやっていくしかないように思う。

■今日も長くなったけど、面白いページにヒットしたからオマケ

実は 怠けアリの比率について上にからめて書こうと思ってヒットしたページ。
http://homepage.mac.com/kensuke_nakata/essays/antstory.html
先日 ディスカバリーチャンネルでも、何パーセントかは怠けアリになるって言っていたから通説なんでしょう。
(だけど、かけなくなっちゃったよ。怠けアリ)
 戻って一覧になっている他のページもちょっと面白くて、トップに戻るとおっと映画についても書いてあったりして。お時間ある方は探検をしてみてね。まだ私も全部は見てないの。
あ、リンク先の突っ込みもぜひ!

バイカウツギ ベルエトワールのつぼみ

電池切れ 2003,5,19
電話の子機の調子が悪い。ほとんど使ってないので充電器におきっ放し状態だったものだ。
たまに子機に近いところにいる時に電話がなると、それをとったりするのだが、
充電器から手にとるとすぐに 通話が終了してしまう。
 電池がもうダメになっているようで、いくら充電しても戻らない。

ニッケルカドミウムや ニッケル水素の 充電池の寿命というのは、小出しに使って小出しに充電することで寿命が縮まってしまうことが良く知られている。
 どどっと全放電して 充電しなおしたほうが良いらしい。

ネット検索したところ、アルカリ充電池というのは使い切る前に充電したほうが長持ちするとのこと。うちの電池はどっちだったのだろう。
 ほとんど使っていないのに電池がだめになったので、前の方かな。

さて、私の電池もどうやら 前の方に近いようで、小出しの充電ではもうどうしようもない状態のようだ。最近は電池切れの間隔が短いようにおもう。困ったものだ。

■植えまつげその後

植えまつげ。興味本位で注文してしまった。まつげエクステンションともいうらしく、サロンでやってもらうと、だいたい、左右 5本ずつで 2000円位とられるようだ。
まつげ一本は私が購入したものは、約10円弱なので、10本で100円。接着剤は高いが、一本につく量を考えると、ついたとしても1円とか2円くらいだろうか。
 美容関係なのでほとんどが技術料だということだろう。

 もともとまつげが少ない私が まつげバサバサに憧れている歴史は長い。
アイラインもマスカラももちろん買ってみたことがある。
流行っていた頃につけまつげを買ってみたり、最近のメイクテクニックとしてはつけまつげを
いくつかに切り分けてパーツとして使うというのがあるのだが、トライしてみたことはある。
しかし、これがまた難しいのである。

 どこが難しいか。
つけまつげというのは π の文字のようにまつげの根元に一本プラスチックの棒がついていて
その棒に接着剤をつけてまぶたのまつげのすぐ上に貼り付けるのであるが、これが貼り付けにくい上にその色が黒なのである。まつげの濃い人には 黒であることで、まつげと一体化してアイライン効果がありそうなのだが、私のようにまつげが少ない人間には唐突に現れた黒い線が「いかにも」
という感じで自然な雰囲気にならない。またずっとまぶたに何かがくっついている感じがして違和感があるのである。

 その点、この植えまつげはそういう違和感は少なくて比較的自然な感じになる。
少し前から まつげパーマというのがあるが、こちらは、パーマ液にかぶれそうなので試したことがない。それに、まつげ自体が少なくて短いのだからくるくると丸まってもいまひとつだろうと思っていた。

 植えまつげをつけたといっても、そんなにどば〜っとつけるわけではなく、まあ、心持と言う程度にしか付けないので、効果としては「自己満足」の範囲を出ない程度だった。
 ひとつ失敗した。接着剤に色があるのだが、なんとなく透明というのを注文してしまったのだ。
ところが、透明な接着剤が残ったところは、なんだか細かい目やにがついているように見えたりする。 試される方がいらしたら 接着剤は黒とか茶とかそういう色がよさそう。

もうひとつ。雑誌では一ヶ月は持つと書いてあったのだが、自分でやっているからかうまくついてなくて取れてしまう。これはこれで取れたほうが良いと私は思っている。
 2本だけ妙にしっかりついてしまったものがあるのだが、やっぱり顔を洗う時などは、妙に引っ張られて只でさえ少ないまつげが抜けてしまっては悲しいと、気になってしまうのである。

マスカラと比較すると、こちらのほうがかなりラクである。マスカラもボリュームアップさせるものは繊維などが入っているものが多くて目がごわごわすることが多いし、瞬きのたびに上下のまつげが引っかかる感覚があったのだが、エクステンションの方がそういう不快感は少ないと思う。

■英語
今日は だらだらと思いつくままに書いているが、これが私の充電なのでお許しを。。
さて、先日「なんで他の言語でなく英語なんだろう」という疑問をお聞きした。
これは私も常々そう思っていたし、そういう疑問をお持ちの方は多いと思うが、今の私の頭の中には明確にその理由が出来上がっているのでそれを書いておこうと思う。

 もちろん、言語を習得するという観点であれば「英語」である必然性はないのではある。
私は、ずっとイタリア語を学びたいと思っていた。
しかし、今現在の社会で日本語のほかになにかひとつだけ外国語を習得し、ビジネスやプライベートで利用する場合、英語を習得することが一番効率がよいのだと思う。
 つまり 「英語:イギリスのことば」や「英(米)語:アメリカのことば」として英語を選択するのではなく、英語の「世界共通語もどき」という性質がそこにあると思う。

 事務所に来る外国人たちの国籍はいろいろだ。たとえば、中国・韓国・インド・アメリカ・イギリス 知っているだけでもこのくらいは人がいるし、私の英語日記を見てくださっている方も、ニュージーランドの方だ。
仕事のメールも世界各国からやってくるが 英語だ。
 つまり、英語を習得することが、現在では地球単位の意思疎通には便利であるということだろう。

たぶん、もうひとつの側面もあると思う。
こちらは、私は余り好意的に見ていない面であるが、「学校が教科として英語を採用しているから」であろう。 とくに、義務教育から教えられると言う点は影響力が強いと思う。
 「良い成績を取る」ためには 英語をターゲットにせざるを得ない。
聞く機会も多く、評価される機会も多い場合、やはり なにかひとつ外国語をとなると「英語」となるのだと思う。

 また、なんだかんだいいながらも、英語は単純な言語であるからこそ 習得しやすいということもあるように思う。
そう言い切れるほどに 他の言語を知っているわけではないが、太陽や月に性別のあるような言語はすべての物の性別から覚えなおす必要がありそうだ。それに比べると随分と楽ではある。
 また、カタカナで表しづらい発音もあるようだ。 中国語の発音などはかなり微妙で難しいと聞く。 
たとえば有名な黒澤映画の「七人の侍」の字幕など見ていると あんなに単純な英語で表現できてしまっている。
(なんだか、こんなに簡単に訳されてしまっては味もそっけもないなあ)なんて思いはするが、たったあれだけの語彙さえあれば、あの映画のセリフが書けるということは やはり習得も楽だということなのではないだろうか。
(たしかに、万人に理解できるような簡単な英語で短くというのが字幕に要求されることかもしれないが)

 私はまだまだ英語の門をたたくところまでしか来ていないのだがそういうことを思っている。

もう少し関連して書きたいことがあるのだが、長くなったので、続きは今度。

How to 本 2003,5,16
昨日は最悪だったので、休んでよかったと思った。ほとんどなにもできなかった。
ずっと頭痛だったのだ。夕方になって、肩がゴリゴリに凝っていることに気がついた。
ここのところ、私の頭痛は肩こりからやってくる。 とにかく暖めて、ピップを貼ってみた。
ついでに寝る前に サプリメントも飲んでみた。長い間飲んでみてもあまり健康に関係がないような気がしてやめてしまったものだ。それから首をぐりぐりと回して お風呂にも首まで浸かって長湯をしてみた。

どれが効いたのだろう。今日は少しまし。嬉しいな。それに 今日は金曜日だ。

■How to 本

私は How to 本、ビジネス書というのが苦手だ。読む気が起こらない。
 でも、会社にいる人たちは、How to 本(ビジネス本)が好きな人がものすごく多いようだ。
私が知っている人たちの中にも 「本は読まないけど、ビジネス本は読む」と言う人もいるし、
「ビジネス本のほうが 小説よりも格が上」のように思っている人たちもいるようだ。

 たとえば、会社でのあつまりで 読んだ本について紹介しようという話があったのだが、ほとんどがビジネス本の紹介である。
 私が、この本はこういう意味で面白いですよ。などと小説を紹介したとしても反応もない。

 たぶん、こう言う人たちの頭の中には、How to本=お勉強 小説=娯楽 という図式が出来上がっているのではないかと思う。

私がHow to 本を読みたくないというのは「お勉強」だから読みたくないのではなく、読んでも得ることがないことが多いからなのだ。

会社に前向きでとても素直で明るくてやる気のある人がいる。彼はときどき自分の読んだ本の中から気づきというメールを流してくれている。
==============引用====================
1.改善案の出し方

 ・仕事をやっていて、やりにくさを感じたら「どうすれば楽になるか」と考えるようにする。
 ・難しいことを考えようとせず、日常感じているちょっとしたことを「どうすれば」と考えさえ  すれば、改善案は出てくる。
====================================
 しかし こういう事は、誰かが本に書かなくても、当然なことで、自然にやっていることだと思うのだ。
本当にこれさえも分からない人ばかりだったら。。と思うと、空恐ろしい。
教えられたことをやるだけだったら、それこそ機械の得意分野だ。

■こぶとり爺さん
ふと思った。本当に「考える」ことが出来ない人たちが多いとしたら恐ろしいことだ。
通常世の中生きているだけで、いろいろと得ることがある。
だけど、そういう人たちは、
たとえば「こぶとり爺さん」の話を読んだだけで何かを感じるのではなくて「欲張りや意地悪なことをしているとろくなことはありませんよ。」という結論の解説までを読まないと本を読んだことを自分の栄養にすることが出来ないということなのか。

 こぶとり爺さんは本当に 欲張りなことをしているとろくなことが無いという本だろうか?
芸のない爺さんよりは 芸のある爺さんのほうが 鬼にうけた。
「芸は身を助ける」という教訓ではないのか? 
こぶを二つつけられた爺さんは、隣のじいさんのコブがなくなったことがうらやましくてしょうがない。隣の爺さんのこぶとりの一件をきちんと聞かずに 芸のない自分に向いた方法かどうか分析もせずに調子の良い隣のじいさんの成功談を聞いて 安直に実行したのが間違いの元だ。

「話はちゃんと聞きましょう。」「物事は分析してからとりかかりましょう」
「柳の下にはどじょうは二匹はいません」「他人の調子の良い話を鵜呑みにしないように」

なんて、ビジネス書になりそうなネタはいくらでも童話のこぶとり爺さんの中にさえころがっている。
つまりは、それを 「AというのはBということなんです。」って解説してもらってそれをそのまま信じたいという まさに 他人の話を解説つきで鵜呑みにしたい 隣の爺さんのような人が ビジネス書が好きなのではないかと思うのだ。

こぶとり爺さんは、「他人の猿真似でななくて、自分の頭で考えましょう」という話かもしれない。

■考えたつもり

たしかに、物事には 覚えるしかないこともある。でも、その覚えるしかないことだけを覚えても自分の中で消化して自分なりに身に付けないと意味が無いと思うのだ。
 たとえば、英語の単語を何千覚えていても、それを使えないと意味がない。
「偉い」先人の Aさんから聞いた 「BはCである」というのをそのまま鵜呑みにして 自分が考えたつもりになって 「偉い」Aさんになったような錯覚に陥っているのではないか。
「BはCである」と 丸覚えで言うだけでは Aさんの 単なる語り部である。
 文字を知り、多量のデータを詳細に記録し、検索する方法が多種多様にある現在では「語り部」の存在はさほど重要ではない。

 私が言いたいのは、現在の人間の文明はたしかに先人達が一人一人解き明かした知識の上に成り立っていはいるけれども、人の話をそのまま鵜呑みにして自分が考えたつもりになっているだけではダメだということ。

「BはCである」と聞いたら丸覚えではなく理解することが大切。理解したら、その上で自分なりの分析をし、取捨選択をし、自分なりの結論にまで導いて消化することが大切だと思うのだ。

 そういうことができることが、丸覚えで人間から与えられた手順しかできない機械には真似のできない人間の能力である。

ドタ休暇とオバンデレラ 2003,5,15
この風邪のせいなのか、それともピップエレキバン(最近買ってみた)を貼らなかったからなのか、朝起きると、目頭の辺りの奥がにぶ〜く頭痛なのでした。

 先日帰宅時に数年ぶりにあった人(というかこの人とこんなに話したのははじめて)が話しかけてきてくれて、どうやら彼女は 子供がいるのに徹夜とかして働いているそうで、私はすっかりダラダラと自分がやりたい仕事だけをやってお金もらってるなんて同じ会社なのにいいんだろうか?
とか思ったのですが、「急ぎの仕事がないときに、眠気を我慢しながら会社に居る」っていうのがすごく無駄な気がして、「あ〜休もうかなあ、近いうち」なんてつい言ったのです。朝。

するとpon1が、「今日は雨で休むには最適の日だ。今日休んだら? 能率が上がらないのに会社にいるのはナンセンスだ。」とかなんとか自分は都合で休むことなんかしないキチントした人なのに、そそのかすのです。
私はすぐにそそのかしに乗る(というか、そのそそのかしを待っている)ヤツなので、ドタ休暇にしちゃいました。<人のせいにしてみたり。。(^^;)

 理由は、正直に「風邪で調子がわるいうえに、頭がボケてしごとにならない。出勤しても非効率的だから休みます」<これで通る私のグループってスゴイでしょ。

 私の仕事は、自分でもすごく会社にワガママをきいてもらっていて、(だって毎日遅刻しても良いなんて、上司と勤労部門に認めてもらっているのは、会社の中探しても私だけかもしれない。)すごく趣味に近い仕事をさせてもらっていてお金をもらうという贅沢をしてるんだと思ったりもするのですが、主婦の人の生活をみたりすると やっぱりうらやましくなるのです。(これぞ ないものねだり)

 ここのところ、「まさに私はこういう生活をしたい」と思う人の日記を見たりして
「いいなあ〜。主婦っていいなあ〜。」なんて思ってしまったというのもあり。
 だってね。一日ゲームしてたり、銀行に行かなくて(たぶん彼女は外に出るのが面倒だったに違いない)298円でのりきったり、私が専業主婦になったらやりたいと思うこと(<違?)を満喫しているではありませんか。

今 朝皆を送り出してから寝室にマンガを持っていって読まずにそのまま寝てしまって
目が覚めたところです。 (うはは〜。贅沢の極地。)
お腹が空いたので、そこらにあるものを食べる予定。<多分自分のために料理することはない。

頭はまだ痛いけど、さっきピップを貼ったから これで治るかも。

本当は、この贅沢な生活を1〜2週間続けたいんだけどね。でも明日は普通に戻るオバシンデレラなのでした。 
今の私は、「な〜んにもしない」っていう贅沢が欲しいみたいです。
でも、この贅沢な夢のような魔法はあと4時間でとけてしまう。馬車はかぼちゃに戻ってしまうのでした。
あ〜〜。おなごり惜しい。。

 ここに越してからはじめて咲いたサボテン (たぶんマミラリア 黄金司(こがねつかさ じゃないかとおもうんだけど。似てます。)

お酒とプーアール茶 2003,5,14
ここのところ軽い話題ばかりだな。。
しかし、咳止めは眠気を誘う。拷問のように眠いので、文章めちゃくちゃかもしれないが、後で見直そう。

■お酒

私の友達の大半はお酒がのめない人が多い。
私も学生時代にクラブのコンパでお酒を飲んであまり美味しくないと思ったり、二日酔いになったりしたために、そんなに飲めるタチではないと思っていたのだが、10年くらい前に(..おっと、そこのあなた。逆算しないでね (^_-))飲める後輩がきてから お酒を楽しく飲むようになった。

 それまで持っていた飲み会のイメージは、くたびれたサラリーマンの溜まり場みたいな感じの良い物ではなかったのだが、彼女たちと飲むのは楽しかった。
 まだ独身だったこともあり、残業が長引いた時は、居酒屋で夕飯というのも何回かあった。

 お酒がのめないと思っていた頃の私は 酒飲みにあまり良い印象がなく、偏見を持っていたが、自分が楽しくお酒をのむようになってから偏見はなくなっていった。
 お酒を飲んで変になるひとも、お酒を飲む前から変な人もいる。
飲んでものまなくても変でないひとももちろんいる。
「お酒」と「変」とは無関係なんだな。。。と思い始めた。
一時入っていたお酒のメーリングリストの人たちは、論理的であり、グルメであり、探究心に満ちていて教養にあふれていた。そこでも酒飲みのイメージが一段とよくなった。
(いや、お酒と「変」が関係ないようにお酒と「教養」も関係ないです。もちろん)

それに、自分で思っていたよりも私は酒につよかった。
pon1とはその後結婚したのだが、当初はよくふたりでのみに行ったりしたものだ。
今ではもっぱら、家で二人で晩酌という程度になり、飲むのもトシのせいか疲れているせいか
冬場はワイン、夏場はビール程度を軽く。。となっている。

■風邪

ところで、ここのところ 私は喉にくる風邪をひいていた。
でも、喉と咳の調子はわるいのだが、体調はさほど悪くない。
春先の 足がむくんで毎日だるいころにくらべると 格段良いし身も軽い。
それで、風邪をものともせずに、晩酌のビールは欠かさなかったのだ。
 
 ところが、喉の治りが悪いのである。いつまでたっても声の枯れと咳が治らない。
こんなことではイカン!と とりあえず、ビールは治るまでお預けとすることにした。

 すると、よく治るではないか。
怪我をしたときに「お酒は避けましょう」なんて言われているあなた、イイワケせずにちゃんとお医者さんの言うことをきいて、お酒は飲まないようにしましょう。
 (あ、私はお酒は控えましょうとお医者さんに言われたわけではないです。自主的にです)

「怪我は足だ。関係ない」といって飲み会に行っていた上司がいたが、間違いなく怪我は長引くようだ。
そういえば、上司は「お、酒が入ると足が痛くない」なんて言いながらまっすぐ歩いたりしていたので、余計痛めたりしたのかも。お酒が入ると神経が麻痺して痛みも少ないみたい。
 (後ろからおもしろがって、上記の後輩と見ていたのは私です。懺悔します。ごめんなさい)

とにかく、酒飲みの人が 風邪ひいたといっては 「アルコール消毒!」なんて言ってお酒を飲んでいるが、消毒なんてとんでもない。
悪影響があったとしても良い影響はないということを身をもって体験してしまった。

そこで なんでだろう〜 とすこし考えてみた。
 アルコールを飲むことにより、神経系の働きが鈍くなることが原因ではなかろうか。。

http://homepage2.nifty.com/osiete/s610.htm
http://www2.health.ne.jp/library/0600-2.html

さがしてみたけれど、コレコレ!というのが見つかっていないのであるが、
「アルコールは怪我を治りにくくする」というのはよく知られていることのようである。

ついでに、アルコールがまず麻痺させるという脳の働きも検索したが、いまひとつ。
http://www.koei-chemical.co.jp/know/brain/

しかし、本筋とははずれておもしろいことを発見。
http://www.pri.kyoto-u.ac.jp/brain/brain/42/index-42.html
体調がわるかったり、いまひとつ気分がのらないときに、私は料理したくないというだけではなく献立も思いつかなかったりする。
そういうときの私の頭は「考える」ことを拒否しているんだな。。

■プーアール茶

とりあえず、晩酌を辞めた私は、通販で最近家に買ってあった「バラの花入りプーアール茶」を飲むことにした。
昔は「痩せる」という噂で飲んでいたことがあるが、あまり効果を実感できなかったお茶である。

 これは良かった。特に脂肪分を多く含む食事には良くあう。
特にワインやビールなどは、脂肪分を含む食事のときにサッパリさせて美味しく食べるのに
欠かせない飲み物だが、プーアール茶は それに代わるものでありそうだ。
昔はこの香が苦手だったのだが、今は美味しく飲むことができる。

 効用をみると、アレルギーに効くとか やはり痩身効果があるという記載が多く、
効能好きな私の心をくすぐるし、カフェインも少ないということだったので、夜飲むのには適しているように思う。

おまけ:プーアール茶の効能
http://www.mayfine.net/shop/shop_kuro_pule.html
http://www.wataboushi.npo-jp.net/jmap/region/10tokyo/data/01.htm
http://hot-oolong.com/leaf/puer.html

 ビールをのまないでプーアール茶という食事を3〜4日続けているのだが、風邪の治りは快調。 おまけに痩せるといいなあ。
 思えば、ビールを飲む自体はさほどカロリーは関係ないかもしれないけれど、ビールを飲むとおなかがすいて沢山の量を食べてしまう。これが良くないようだ。

 一ヶ月つづけたら、もしかしたら 2キロくらい痩せないかな〜なんて思ったりしている。
  クレマチス ジプシークイン (ちょっと痛んでしまっているが)

うるい 2003,5,13
会社ではここのところ、風邪が蔓延していて、まったく別の棟にいるヒトとわたしの症状が同じなんていうのを聞くと、「すごいなあ。風邪って」と思ってしまう。
 熱はなく、喉にくる風邪。鼻もつまったりする。何よりも咳がひどい。
とりあえず、私も1週間と少し経って なおりかけたかな?とおもうところだが、この風邪なかなかしつこい。

 この風邪もコロナウイルスなんだろうか?ありふれた菌だということだから。

■うるい

うるさいではなくてうるい。
ずっと以前からこの季節になると 「うるい」の話題が出る。ギボウシのことだ。
正確にはオオバギボウシなんだろうか。 我が家のギボウシはもう葉が展開してしまったが、先週の日曜にスーパーに並んでいるのを見て、どうしても1回食べてみたくて購入した。

 購入したら、直後に山菜の食べ方の質問がメーリングリストに流れていた。
おお、すごいタイミングだ。

 見かけは アスパラガスくらいの太さの タケノコくらい(ハチクのたけのこ?)
5本入って260円。一本50円強。

どうやって食べようかと思ったのだが、少し苦味があると書いてあったので、素直に酢味噌にして食べた。
  
 今朝受信したメールには、「シャキシャキしておいしい」と書いてあったのだが、私はどのくらいゆでてよいかわからなかったので、柔らかくなるまでゆでて、水で少しさらして 酢味噌であえたのだが、味としては、少し苦いけど、ほぼ わけぎのヌタと同じ。(というかこれは酢味噌の味そのものだよね) 柔らかくて食べやすいと pon1には 比較的好評だったけど、ゆでるとこれまた量が減ってしまって、一人分の量になっちゃったから なんだかもったいないなあ。
 わざわざ買っててべるほどのものではないなあという結論に達した。

ぎぼうしを育てていると、春になると、今年も芽がでるだろうか?とドキドキしてしまう。
あんなに無造作にパックに入っていたギボウシの5本の芽だって、一株につき一本で我が家では収穫できない。
出荷できるということは どのくらいの広さのところにどんな風にギボウシが植わっているのだろう。そこらへん一帯がギボウシという様子を想像すると壮観だ。

 なにより、あの芽そのものを欠きとっても、そのギボウシの根っこは生きていてその後また芽を出すということだろうか。
  私は、昨年ダンゴムシにたべられてしまって 葉っぱがなくなってしまったギボウシから今年も芽が出た時のことを思った。あの時は嬉しかったなあ。

 やっぱり私にとって、ギボウシは食べるものではなくて 庭で育てるものなんだなあ。

■カラス

今朝はテレビでカラスの巣の撤去の様子を流していた。
先日大王がつつかれた?カラスは マンションの近くの木に巣を作っている。
日曜に大王と一緒に見上げるとおびただしい量の針金ハンガーがそのヒノキの枝の上に見えた。

 テレビのカラスの巣も同じだった。何本くらいあるんだろう。大人の男性で一抱え分の針金ハンガーの巣だった。

 テレビでは、「生ゴミなど食料がある状態にしないこと」「ハンガーをとられないこと」がカラス対策と言っていたのだが、 生ゴミは「朝出すように、網をかけるように」と何回アナウンスしても守らない人がいる。
ゴミだしも外から内容物が見えるとカラスの思う壺なので、二重にしたり、カラスに生ゴミだと悟られないように出すのが正解ということを聞いたことがあるが、人によっては ラーメンや肉などをそのまま 丸見えのビニールに入れて出す人がいるから 思う壺である。
たぶん、これは地域ぐるみで取り組む必要があるし、徹底は無理だろう。

 針金ハンガーは 何故取られるんだろう?と思って思い当たった。
風もさほど無い日に、「洗濯物が落ちていました」と管理人室前に衣類が置いてあることが何度かあったけれど、もしかするとカラスがやってきて 洗濯物がかけてある針金ハンガーを収集していったのではないだろうか。

 モッコウバラ 黄色 来年も咲くだろうか?

がらくた 2003,5,12
■植えまつげ

皆さんは「植えまつげ」ってご存知だったでしょうか?
私はつい昨日知りました。「植えまつげ」っていうと まつげを整形手術で植えるのかな〜と
おっそろしい想像をしていたのですが、実際は違うようです。
 つけまつげの細切れになったようなものを まつげにのりでくっつけるような感じらしい。
(まつげ界のアデランス?)

 私はまつげというものがほとんど存在をアピールしていない人間なのです。
一度でよいから、まつげ 「ばっさばっさ」になってみたい! とおもうわけです。
 どうやら、エステサロンとかそういう類のところで植えまつげというのをやっていて、それぞれのサロンによって値段設定が違うらしいのです。

 体験者の話によると「1回くっつけると 1ヶ月はそのままで良い」とか。
また、顔を洗ってもなんでもokで アイメイクもいらない(今でもアイメイクしてないけど)
 ってことで、 ちょっと興味アリアリです。
で、ネット検索したら 植えまつげ本体は安いのですね。「マツキヨ」とかにも売っているのかな?
私は不器用でアバウトなので、うまくつけられないかもしれないけど、
 1回やってみたいなあ〜。

■自分を家にあるものにたとえると

というのを、土曜日の懇談会でやりました。
私は できるときには結構できるけど、できないときには全く出来ない人間なので ON,OFFはっきりしているからなあ と 「電気とか照明」って答えたのですが、よく考えてみたら電気器具ってどれでもONのときしか働いてない。。(^^;)

 あなたは、ご自分が何だと思いますか?その理由をつけて考えてみるとおもしろいかも。

保育園で多かったのは、掃除機でした。
「掃除が好きというのではなくて、 ウルサイ」だそうです。
印象的だったのは 食器洗浄器。
「洋服だったら少し汚れていても着られるけど、食器は汚れていては食べられない。
 家族の中で私がいなければ家がなりたたないという存在」 という方。
なるほど。私と近いとおもったのが、
「うごくおもちゃ。しかもゼンマイ。ゼンマイが巻いてあるときしかうごけなくて、ゼンマイが切れると自分では巻けない」だそうです。

 これひとつひとつについて、聞いてから思ったことなんですが、その人の物の考え方が顕著に表れてこういうものは多人数でやると面白いですね。

 たとえば、同じ命題を出されて理解するわけですが、
私は「客観的にみてどうだろう」と 一般的な他人から見た自分というのを模索したのですが、
「子供から見た自分」を 回答する人や、「子供にとって理想としてあるべき自分」を答える人もいたり、「自分から見た自分」を答える人もあり。
 自己評価の高い人あり、低い人有り、

 興味深かったです。

■緑の紙
やっとのことで、アメリカにアサガオの種を送りました。
これは近所で購入したものと自宅にあったもの。
 訳したほうが良いんだよなあとおもいながら、蒔き方を書くのも一苦労。
「発芽処理済みのためそのままおまきください」っていうのも 私の英語力では苦しむわけで、
しょうがないなと 自分の思うように書きました。

 そうして、種だけ入れるのはあまりにも無粋かとカードいれてみました。
(が、なぜか カードはず〜っと昔に行ったタイで買ったカード。意味不明)
そこに書く文句でまた一苦労。
 「代金は結構です」って書きたいんだけど、主語からして悩んでしまったりして。
私なのかあなたなのかそれともItなのか、これももう「どうにでもなれ」状態で書いて、
道中を考え、種をダンボールではさみ、封筒は2枚にして、角を補強して、いざ郵便局へ。

 重さをあらかじめ量ったら、どうやら400円の送料らしい。手持ちの110円の切手と80円の切手を
貼って後は郵便局で追加をはらえばいいや。。。と。

 郵便局では 「中身はなんですか?」と。。私は心のなかで 「マズイ!」と。。
植物検疫のこと、頭をかすめたんだけど面倒だから調べずにそのままきちゃったんだよね。
 でも、ウソがつけない私。「あ、ダンボールです。それとアサガオの種」
「手紙は入ってますか?」「グリーティングカードが入ってます」
すると小さな緑色の紙を渡されて、「中身に何が入っているか英語で書いてください。安く追加50円で届きますから。」との事。

 帰ってからしらべてみたら、中に手紙が入ってないときは、小包扱いにできて、それだと同じ重量でも 240円で行くみたいです。 やす〜〜〜〜い。

 後からその緑色の紙どこかで見たなあとおもったら、以前香港から 個人輸入していたときに
パッケージについていた紙がこれでした。 そうだったんだ!

 なんだかひとつ知識?が増えて嬉しかったのでした。

母の日 2003,5,11
母の日だったのに、今年はプレゼントを何にしようかと悩んでいるうちに今日になってしまった。(あ、おばあちゃんへのプレゼントです。)

大王からは、保育園で作ったアクセサリが母の日のプレゼントでした。

我が家の母の日は「ママ きょうはママのすきなおはな いくつかってもいいよ」と大王のお許しがでたので、二人で買い物の帰りに花やを2軒はしごしました。
正確には3人で一軒まわって、そこでいまひとつほしいものがなかったので、もう一軒大王と一緒に行ったのでした。

もう一軒で収穫アリ。500円で立派な黄色と白の花つきモッコウ薔薇があったので、
実は花が咲いてないのが我が家にあるのに 購入。
 そこで見たナニワイバラがあまりにも綺麗で、「おいくらですか?」と聞くと4千円。そりゃ〜だめだ〜〜と帰ったのですが、清楚な白い花がいっぱいについている
盆栽のような太い年季の入った幹を思い出して煩悩に翻弄されていたのです。
 
 pon1が花がついているんだったら安いんじゃない?なんて言ってくれた物だから、そういえばアレンジメントに比べると激安だわ! なんてなんだかわけの分からない理由をつくったりして、つい、もう一度訪ねて購入してしまったのでした。
だけど、今のこの私にからさずに来年さかせられるだろうか。

 素晴らしく上品で綺麗なのですが、香りもないし、一季咲きです。でも、いいのだ!
ぼけているけど、これがその ナニワイバラ

今日は懇談会 2003,5,10
風邪ひいて、声がまるで おかまさんのようなのですが、今日は大王の懇談会。

そうして、休みにかぎって大王は早起きなのでもう起きてきてしまいました。
(寝てていいんだよぉ〜)
bbs&各方面への反応、帰ってきてからか明日になります〜。
ごめんなさ〜い。

同じ間違い 2003,5,9
 英語ブームは一旦頂点を迎え、諸事情により現在沈滞気味。
 そんな折、海外の方からアサガオの件でメールを頂いてしまった。(なぜに私に?)
彼にとってみれば 日本=アサガオという図式が頭の中で出来上がっているのだろう。
 英語の勉強とばかりに一生懸命返事を書いたところ、日本語でももらわないほどの膨大な字のアサガオへの溢れる思いのこもった返事のメールをいただいてしまって、気後れしてしまったのもあり。

 そんなこんなで気分的にも沈滞気味だったのと、ゴールデン飛び石連休などが入り、落ち着いて英語などをこねくり回す時間がなく、彼への返事は悪いなあと思いながら後伸ばしになっていたのである。

■ところが

ところが昨日のこと、その気にかかっていた彼から メールがどどどっと3,4通届いた。
私のメールが届かなかったトラブルもあったのだが、なしのつぶての私に、やきもきしていたのかもしれない。
 
 最初の彼からのメールは、彼がどういうタイプのアサガオが好きかが書いてあった。
そうして、種が欲しいということと、日本のオンラインショップで代理注文してくれないか。
という内容だった。
 オンラインショップ購入については、私はお手伝いできないと思い、自分はワーキングマザーであることと、会社が遠いこと。昨年はいそがしくて何の種も蒔けなかったことなどを書いて、
もし、私の手持ちの種か近所のスーパーマーケットにある種でよければ送ると返事を書いた。
また、アサガオの種については、秋から冬にかけて売り始めるので、若干季節が遅いのではないかということも書いたものの返事が、今回の手紙であった。

彼は知っているアサガオの品番?と名前をたくさん並べて扱っていそうな種苗会社をいくつか指定してきてくれたのであった。
とりあえず、いくつか見るにはみたのだが、その手紙の品番とその通販ページの品番や品揃えが異なっていて、今の私にはそれをどこかから探して代理で注文なんてとても無理。
中にはトップページに「事情によりネット販売を中止しております」などと書いてあるページもあった。
 誰か別の人を紹介しようかと思ったのだが、そういう手間のかかることを他の人にお願いすると迷惑になりそうだ。

今の私は、自分の植物の注文でさえままならなくて、注文したとしても、その払込をしに郵便局へ行く時間がない。そういう状況を相手にわかるように書けるだろうか?
日本人同士でも、相手の状況はメールでは分かりにくいものだ。

■そういえば
そういえば、私は中学生の頃に外国の人と文通をしたことがあるのを思い出した。
いざ文通をすると決めても、共通の話題がないと書くことがないものだ。
 彼女はたしか、液体洗顔石鹸の試供品を手紙に入れてくれて、こちらの化粧品サンプルが欲しいと言ってきた。
その頃の私は化粧品など使わず家族と一緒の石鹸洗顔のみであった。
 高校受験のために 勉強しなければいけないという意識だけが強くあり、興味が無かった化粧品の話はそっちのけで、自分の課題である「私は勉強しなくちゃいけない」ということばかり、返事に書いていた記憶がよみがえった。
きっと彼女は話しがかみあわなくてつまらなかったと思う。あっという間にその文通はなくなった。化粧品が種に、勉強が仕事に 変わっただけで、その状況と似ているような気がして来た。

■とにかく
 とにかく、受信できていることだけはお伝えしておこうと今朝さらっと書けることだけ書いて送ったのだが、ところが。。
 彼の「自分が書いた手紙が長すぎはしなかったか、理解できなかったのではないか?」という文へ 「理解はできているけど、自分の考えていることを書くのが時間がかかる。難しい」という意味合いのことを書いたつもりだった部分に、私はつい「No」と書く初歩的なミスをしてしまったのを 通勤途中に思い出した。。

 友達とイタリア旅行に行ったとき、英語のオプショナルツアーで ポンペイまで行った。
朝早く乗り合わせのバスが ホテルまで迎えに来る。
 イタリアらしく何分も遅れてホテルに到着した大型バスに乗り込んでほっとしたときに、添乗員さんはわかりやすい英語で「あなた達は、チケットを持っていませんね」と尋ねた。
 私と友達は 声をそろえて 「Yes」と答えた。そうして、???な間があり、ふたたび同じ質問が繰り返され もう一度私たちは何の疑いもなく 「Yes」と答え、3度目にやっと二人で自分達の間違いに気づき 「No!No!...」とやったので、相手も苦笑。私たちも苦笑。
 すっかり「英語の分からない日本人二人が紛れ込んだ」という烙印をおされて、途中のトイレ休憩でもなんでもすぐに集合時間になる前に「ジャパニーズがいない」と探されてしまうしまつ。
 私は英語は苦手だが、一緒に行った彼女は、仕事でも英語を使える才媛である。

 あの時と同じだ。初歩の初歩でやるミスをまたもや懲りずに今回もやってしまったのであった。
No × No = Yes という図式は 数学のようでこみいっている。
これを長年自分の頭に刷り込んできて一瞬にして相手の言いたいのはYesかNoかを理解する技を身につけたようなものだ。
 理論上はわかっていても、ほとんどパブロフや延髄反射のように考えないで出る状態になっているのだからして、なかなかこの反応を無くするのは難しそうだと思うのである。

■おまけ
英語の失敗で思い出したが、これは別の友人の話。
彼女も才媛なのだが、英語がペラペラの友達と北欧へ行った帰りのこと、そのペラペラの友達がぐったり疲れた帰りの飛行機で飲み物を尋ねられ、つい、'I am an orange juice.' と答えてしまい、'No! You aren't an orange juice.' とジェスチャー付きで笑いながら返事されたと聞いた。
自分達も大笑いだったそうだ。
そう。ペラペラの人でも間違うことがあるらしいということで、自分の中では「言い訳」をしておきたいだけだ。

■その後
帰宅してみると、アサガオの彼からの返信がきていた。時差をものともしないこの返事はよほど待ち遠しかったのだろう。ああ、日本語のNo の説明をしなければならないなあと思っていたところ、
ラッキー。彼の手紙は否定疑問文でなかったことを発見。同じ間違いはしていなかった。
へにょへにょへ〜〜〜 <安堵と力の抜ける音
せっかく日記をここまで書いたのでこんな風にそのままupしてしまおう こそこそ。

オバゴコロ 2003,5,8
外は、湿度が高くて蒸し暑い。風も強く、まるで台風の前のようだ。
私は、エアコンがかかりはじめるこの時期が結構つらい。吐きそうになるまで咳き込んで涙目になってしまうのだ。これはアレルギーの仕業。
 アレルギーを押さえる薬をのむとすっかりと治る。
しかし、今の事務所にかわってからの病院になかなか合う薬がなくて、どうも調子が悪い。

■本能
人間のように 野生からは程遠い生活を何世代も送っているものでも、「本能」というものからは逃れられてないように思う。
 たとえば、弱肉強食 強いものが生き残るという本能は現在でも脈々と私たちの中に続いているようにも思う。

 電車に乗る時に人を押しのけて乗る人をみて「うわ〜 野蛮〜」とか思っていたとしても、他の人よりも何らかで秀でようという気持ちというのは 押さえられずにふつふつと沸き立つもののようだ。
 今日は私の本能(いや煩悩かな?)の話しをしよう。(^^;)

■ブランド品
母という切り口で多くの人が集ったときに感じることなのだが、私に近い世代の人たちが一番ブランド好きで派手好きな気がする。
良い意味では小奇麗なんだが、いまひとつ今の社会では浮いているようでもある。
 なにせ、日本が一番景気の良い時に社会に出て、自分の給料をブランド物につぎ込んでいた世代である。あの当時は洋服もわけのわからない派手さがあり、大きなアクセサリーをつけブランド物に身を固めたひとたちが沢山いた。お金は使うためにあるというあのバブリーな世代で誰よりもバブリーだったのが あの当時女子大生だった人たちではないかと思う。

 さて、その時代から続くブランド熱というのはいまだに脈々と続いているようで、洋服はラフになってもバッグや靴などは「ブランド物」というスタイルが今の若者まで続いているようにも思う。

オバサンから見ると、
まずは 若い頃よりは何キロも太ってしまった体や、ちょっとトシが気になり始めた顔などでは若い子には太刀打ちできない。
 昔取った杵柄とばかりに、ここはブランド物や光り物で勝負をかける。つまり「あんたたちとはちがって 金もっとるど〜」である。
 いや、オバサンのほうは勝負をかけたつもりでも、若いもんはそんなもの気にしちゃいない。
だって、オバサンはライバルではないからだ。眼中にはない。

 その弱肉強食の鋭い光線は、オバサン同士にも発せられる。
つまり、無防備に乗っている電車で、「私は今日は勝負服よ!」とお化粧もバッチリなオバサンから 私という仕事につかれた オバサンに 「ビビビ〜」とチェック光線が走るのである。
 マニキュアした自分の指をすました雰囲気で揃え、指にある光り輝く宝石をじっとみながら 向かいの私の手を見る。靴を見る、鞄をみる。
とりあえず、全部自分とチェックしている視線である。
 そうして、彼女は満足げな微笑みをうかべ 「ふっつ。勝ったワ。。」と安心しているかのようである。

 私に現役女子大生のように、スタイルや美貌があったら、そんなチェック光線ものともしないのだが、残念なことに私も彼女と同じくくたびれ始めている。

 あまりにもあからさまな様子だと、
「勝手に勝負かけるなよ〜。私だって多少は持ってるよ。」と内心思いはじめるのだ。
困ったことに、弱肉強食を刺激する本能である。
そうして、いろいろと頭の中で ふくらみはじめる。
「今は、そんなでっかいアクセサリーつけるのは流行ってないんだよぉ。私だって婚約指輪(実は一張羅)とか石のついた指輪をもってるぞ。ただつけてないだけんだぞぉ。あ、今日にかぎってピアス忘れた。。。。」
「靴はゴム底。かっこ悪いとおもってるでしょ。実用本位なのよ。
 走らないといけないからね。ブランドの靴が買えないわけではなくて、買わないだけなのよ。」とか。。。

 まあ、こういう心境は オバだけではないのかもしれない。あの教祖ユーミンの歌のなかにも
「どうしてなの。今日に限って。安いサンダルを履いてた。」 という(ま、相手は振られた昔の恋人だが)見得はりな歌詞もある。

■本能に負けた

そうして、この春。靴を買い換えようとしたときに、ふと、「たまにはブランド物にしてみようかね。」なんて魔がさしてしまったのだ。
 バカみたいに靴ばかり買ってしまった。
1)プラダの ゴム底ローファー (ネットでお買い得価格)
2)ハッシュパピーのサンダル
3)イトーヨーカドー サンダル (2足)

通勤で走る必要のある私は見た目重視のものはやはり選択できず、ある程度履き心地も重視したつもりで選んだ。最初は無難に ハッシュパピーのサンダル。デザインは今ひとつ気に入らなかったが。そうして、その後イトーヨーカードーへ行って、余りの安さに2足追加。

ところがである。
最初はどれも履き心地は悪くないとおもっていたのだが、長く歩くと、どれも今ひとつ どこかが痛いのである。

結局1)〜3)まで どれも同じような結果になった。というか、コストパフォーマンス的には
3)がダントツに良い。そうなのだ。以前もそういう結論に達して、「あえて」(^^;)イトーヨーカドーにしていたはずなのである。

 数年前に購入した、しらないメーカーのイタリア製のバーゲンサンダル。。あれが値段的にも履き心地も一番よかったなあ。
つまり、靴なんて、究極に自分の足に合うかどうか。それが一番だということは頭の中でも経験上もわかっているはずなのに、人のチェック光線に触発されてこんなばかげた行動にでてしまったのであった。あ〜ヤダヤダ。

 オバゴコロは複雑だ。 たぶん、失ったスタイルや若さの代償をブランド物や光物で身を固めることで得ようとしているのだろうか。
 前向きに考えて私自身にとって一番良いのは、プラダの靴ではなく 数キロのダイエットかもしれないのに。そうして、理性ではそれがわかっているのに。

今日は大王のお供 2003,5,7
今日は、先日の約束を果たすために、午後からは大王とでかけます。
しもべ家業もたいへんなり。。

かけなかったので大王語録を

☆好き嫌いがずっとなかったのに、最近食べず嫌いばかりの大王に、

pon2「ねえねえ。最近どうしてお肉もお魚も野菜も嫌いになっちゃったの?」
大王「だって機嫌がわるいんだもん」
 (なるほど。料理のせいではなくて機嫌がわるかったのか。。。)

☆前にお昼ねが長引いて夕方まで寝てしまい、遊びにいけなかった大王。
pon2「今日はお昼ねしてから 行こうか?」
大王「いやだ。また失敗しちゃうもん」

だそうです。
では。。。いってきま〜す。

画像は クレマチス ブルーライト なあ〜んか想像していたのと違うんだけど。

ごめんね 2003,5,6
先日、大王をお風呂に入れているときに、大王の足が洗面器に当たって とても大きな音がした。
「わあ、びっくりした。あまり大きな音をたてると おかあさんもびっくりするよ。下の人も響いてびっくりするからしないで。」
と言ったところ、「あっくんやってない」とのこと。

最近、彼は 「ごめんね」というのが嫌なようなのだ。
「ごめんね。っていうのは、相手に悪かったなあと思ったら言うんだよ。」そう教えても どうも歯切れが悪い。
pon1に 「ごめんねって言いたくないみたいなの。ごめんね。でもわざとじゃないんだよって言えば良いだけなのに」
と話しをしたら、「ごめんね」ということは 「悪い子」だと認めることだという風に思っているんじゃないかな?とpon1がコメントした。

 そうか。私は納得した。
謝ることによって、「自分は悪い子」と認めてしまうと思っているのかもしれない。
そういえば、「○ちゃんが悪い。謝りなさい!」とペアで使われているような気もする。

■sorry

ずっと昔に聞いた話が私の耳の奥で化石になっていた。
アメリカもしくはアメリカ人とトラブルになったとしても、安易にsorryと言ってはいけないという
話しだった。
 「sorryというと、こちらが悪いということを認めたことになるから」 ということで、
日本でいう 「ごめんね」と「sorry」はちょっと意味が違うということだった。

あらためて sorryについて考えてみると、気の毒だ という意味合いにも使われている。
よく、政治家が「自分には責任はないけれども〜」と責任を半逃れするときの、「遺憾に思う」という意味合いで使う場合もあるようだ。

 その、私が昔聞いた話は、なんだったのだろう? 単なる田舎の噂だったのかな?

そうして、日本の「ごめんね」は言ったものが負けの言葉になりつつあるようにも思う。
いや、私の中のゴメンネは、相手の気持ちを思う時に悪かったということを認める表現ではあるが、自分自身の存在が悪いとか自分のすべてが悪いとかそういうことではなく、その行動について相手が嫌な思いをしただろうと自分のことのように置き換えて認め、謝罪することなんだけど。

とにかく、大王には、「自分は悪くない。わざとではない。」 と言いたいために 「知らない。自分ではない。」と言う子にはなってほしくない。
 ちゃんと自分のやったことを認めて、それについては謝罪をして、でも、わざとではなかったと事実をきちんと把握できる子になって欲しいと思っている。これがすべての基本だと思う。

 よく考えてみると、世の中、たしかに、大人でも「知らない、自分ではない」とすっとぼけることに長けている人も多い。
そういう人たちの中に入ったときに大王はたしかに、ジレンマに苦しむかもしれない。
また、理解していながらも、自分が取った反対の行動について 正しくないのではないかというジレンマにも苦しむこともあるかもしれない。

でも、「自分でない洗面器」「自分でないAちゃん」のせいにするのではなく、きちんと事実関係を自分の中で整理できることが、物事の理解の基本だと思う。
 もちろん、自分がやっていないことまで背負い込む必要はない。

■昨日
昨日は大王を私が公園に連れて行くという約束だった。
しかし、カラスの一件があってから、大王は驚いて、泣きつかれて寝てしまい、夕方になってしまった。
 私から見ると、「それだけ精神的に疲れたということだろうし、連日の外出は気持ちは高ぶっていても体力を使っているはずだから」という気持ちもあり、自分もくたくただったこともあり、
強いて、大王を起こしてまで公園に連れて行こうとしなかった。

 目を覚ました大王はまたもや「公園へ行きたかった」と 大泣き。
「どうして起こしてくれなかったの?約束したのに。今からでも行く」とまたもや大騒ぎ。

 カラスのことがあったから等説明しても理解できるはずもない。
最初は提案として、「今度の休みに連れて行くから」などと言っていたのだが、それでも
「どうして起こしてくれなかったの〜」といいつづける大王は、とうとうまた叱られることとなった。

「行きたかった気持ちはわかった。でも、過ぎたことを ”どうしてどうして”っていつまでも言っても、そのときにもどってやり直せる人は誰もいないんだよ。その代わりにというお話しがいくつか出ているのだから どれかを選ぶか、自分でどうしたいかを決めなさい。」

 ああ、そういえば、私。「約束を破ってごめんね」と彼に言ったろうか。言ったようなきもするが言ってないような気もする。
反対にここでゴメンネといってしまえば、大王は納得したのだろうか。
それとも、もっともっと泣くことになったのだろうか。

簡単な言葉だが ゴメンネというのは 大人にも難しい言葉である。

大王カラスにおそわれる!? 2003,5,5
連日のお供でふらふらだった しもべ2ことpon2は どうにか家から出ずに体力を使わずに遊ばせられないか?と考えました。

 まずは、大王は来年は小学校。なのにまだ一人で外出は数えるほどしかしていません。
小学校へは子供だけで通いますから 少し練習させようと、隣の駐車場まで 一人で行ってみることを練習。
車が来ないことを確認してゆっくり行ってくるんだよと言い聞かせて、いざ!実行。

大王はワクワクするような顔をしてでかけていきました。
そうして、無事駐車場から手をふって戻ってきました。

「もう一度行ってくる」ということで、もう一度チャレンジ! 前は玄関で部屋番号のインターホンを押すことを教えてなかったのですが、今回はインターホンも押せてバッチリ。成功。

気をよくした大王はマンションの中を 探検してくるといいました。
ところが、なかなか帰ってきません。
ちょっとおそいねえ。とPon1が様子を見に行ったら、パニック状態で泣いている大王の声。

どうしたの?と尋ねると 4階でカラスにつつかれたとのこと。

丁度、近くの木で巣作りしているという話を聞いたのですが、こちらの階ではあまりみかけないので、pon1も私も すっかりと頭からカラスのことはなくなっていたのです。

大王の頭を確かめてみましたが、怪我はなかったようです。
匂いをかぐとなんとなく野生の鳥っぽいにおいがするような気がしたので、ダニなどがいるといけないと とりあえずお風呂へ。

トラウマになってはいけないと、もう一度pon1がカラスのところへ行き、私と大王が遠くから見守る図になりました。
 カラスは 近くまでやってきますが、大人だとやはりなにもしないようでした。

後から思ったのですが、大王も嘴ではなくて、羽が当たったのかもしれません。
嘴だったらビニールを破るほどですから怪我することもあると思います。

大王は羽を広げたカラスが大きくてとても怖かったそうで、4階でパパー、ママーたすけてー。
と叫んだそうですが、一番うちからはなれたところだったので、まったく聞こえませんでした。住人もだれもきづいていなかったようです。

なにごともなくてよかったけれども、子供が一人で外に出るということは思わぬこともあるんだなあと改めて思いました。
4階には小学生の子供さんがいらっしゃると思うのですが、一人で外出はどうしているのでしょう。

大王は日ごろから 私が手でカラスをつくってカラスの声色で一緒にしゃべっているから、もしかしたらカラスに必要以上に親近感をもっていて もしかしたら 話そうとかしゃべろうとか思ったのかもしれません。

大王にはなにごともなくてよかった。
私にも大王にも良い教訓になりました。

画像は 胡蝶蘭。 今年は 蕾全部咲かせられました。

エリン ブロコビッチ 2003,5,1
今日と明日が出勤。お仕事してます。まじめに。

今日は久々に脳みそをつかう楽しさを味わってます。
仕事が嫌いなんじゃなくて、頭を使わない仕事が辛かったんだと思う。

てなことで、今日は 昨日大王お昼ね中に見た映画についてでお茶を濁します。

■エリン ブロコビッチ

 ジュリアロバーツ(エリン・ブロコビッチ)は、3人の子持ちで、夫とは別れ、求職中。
だけど職はないし、車は追突されるし、裁判には負けちゃうし、ベビーシッターはいいかげんだし。
お金はないし、まったくついてない。
 そんな彼女が押しかけ社員に。そうして、そこで働くうちに大変な事実をつきとめてしまう。
実話に基づいた話しだそうだ。

そうして、これでアカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞したそうだ。
おまけに そのバストで 整形か?とも騒がれたらしい。

ネタバレ含むので ご注意を。

1)興味と仕事
 彼女が最初に仕事について、気づいたのは なぜ不動産物件の資料に他の資料が一緒に入っているのか?ということ。
 職場の人に聞いても答えてくれない。(たぶんそんなこと思っても見なかったのだと思う)
  そういう疑問をもち、ひとつひとつを解決することが仕事の醍醐味だ。
 自分の頭の中で一つ一つの糸を結び付けていく作業は パズルを解くようでとても面白い。
  彼女は学歴も資格もなかったようだが、きちんと「考える」ことのできる人のようだ。
  (しかし。。。あの記憶力。。並の人には真似できない。。私ももちろん エリンにはなれません)

2)仕事と家庭
 仕事が面白く、皆から期待されれば それにこたえたくなる。
 そうして、答えるために 仕事をやると、今度は家がおろそかになってしまうのだ。
 彼女の子供達の状況を見ながら オロオロとしてみたり。ほっとしてみたり。
  ただ、何にせよ、保護者が仕事にのめりこみすぎると子供にしわ寄せがくる。

3)でも?
 でもでも。今ひとつ。これは違う!と思うこともあった。
 軌道に乗った仕事をするにあたり、ちょっとした諍いがあるのだが、その時の彼女の言葉。
 「私は評価されたのがはじめてなの」「みんなが私の言うことをきちんと聞いてくれるの」
 たしかに、ありそうな話だけど。

  だけど、それが子供の世話を他人に押し付けている理由だったら、パチンコが楽しいからといって
 車に子供を置いているお母さんと同じようなきがする。
  世話をしてくれた 人にもねぎらいの言葉も無い。
 (でも、そこが良すぎる人でないところが リアリティがあったのかもしれない)

5)ジュリアの顔
 しかし、病気の時のジュリアの顔。メークでああなったのか。ただのスッピンなのか。鬼気迫るところありました。

ではでは。今日のところは。ここまで。
 
画像は ミニカトレア アップルブロッサム 良い香りがします