先日、新刊本の紹介で 「嫉妬学」足を引っ張るエンビー嫉妬 上を目指すジェラシー嫉妬 和田秀樹著というのが舞い込んできた。 http://bpstore.nikkeibp.co.jp/cgi-bin/booksfrm/item/main/1482224332X0.html この本。妙に気になる。というのもこの「嫉妬」「うらやみ」の感情というのはたしかに人の行動とはきっても切れないものだなあと以前から思っていたからだ。 しかし、envy にしても jealousy にしても強烈なイメージを私に与える単語なので、なかなか自分の文の中に使えない。 困った時の辞書頼みということで、辞書を引いてみた。 envy 妬み、しっと、うらやましさ、羨望。 jealusy はうらやみから相手への憎しみや憤慨まで含むとある。 ついでに英ー英辞典(これも長い間使ってなかったものだ) jealousy: the state of mind of being jealous. jealous: feeling fear,suspicion,and hatred towards a rival,esp.in love feeling hatred towards a person more fortunate than onself envy: a feeling of disappointment or ill-will at another's better fortune,possessions,etc
本の副題からすると、envyの方が足を引っ張ってjealousyの方が上を目指すのか?? どうも辞書をひいたかぎりでは、jealousのほうがなにかよからぬことをやりそうな気がするのだが。 感情の強さを言っているのかな。(なんて本の題名でいろいろ内容を想像してどうする。。。) 今ひとつ本の中での二者の区分けが読む前には判然としない。こういう人の感情を表すというのは区分の無いところにその言語特有のグルーピングを作っているようなものだと思うので、言語間の理解がとても難しいと思う。
たしか、以前、外国のサイトでは綺麗な花を持っている人に向かってうらやましいという表現にたしかjealous という単語を使っていた人がいた。ということはやっぱりjealousは辞書づらで見るよりも健全な言葉なんだろうか。まあ、たしかに日本語でも 「○さんの花綺麗でねたましいわあ〜」なんて口に出しているうちは罪がなくて、本当にドロドロしたものは口からは出てこないような気もするが。
この「うらやましい」という心は、多分全くもっていない人はないと思う。もし、本当に「うらやましい」の片鱗も自分の心に持っていない人がいたら、その人の人生はなんとつまらないだろう。「憧れ」や「うらやみ」があるからこそ努力したりそれを自分の手にしたときに喜びがあるという向上心に繋がっているのだと思う。ただ、その感情を自分可愛さのあまりコントロールできなくなってしまい、他人を貶めようとしたり、策略をめぐらすようになるとあまり歓迎されない状態になってしまうのではないかな。と思ったりした。
内容を見てみると、どうも私の苦手なビジネス書のようだし、悩むところだ。 このネーミングと着眼点。売れそうな気がするが、どうだろう。宣伝次第かな?
■で、和田秀樹
和田秀樹。聞いたことがあるような気がするがどんな人だっけ?とこれまた検索。 和田秀樹といえば、ほらほら 大竹しのぶ(今朝のニュースで 第25回モスクワ国際映画祭で主演女優賞をとったらしいですね。)といろいろあった演出家で。。嘘です。それはたぶん野田秀樹。 http://www.hidekiwada.com/profile/index.html 精神科のお医者さんのようです。しかし、本は私が苦手とするビジネス系の本が多いなあ。心理学系の本は好きなんですが、HOW TO 本になると、二の足を踏んでしまう。 悩みどころですね。本屋で立ち読みしてから決めても遅くないかも。
もうひとつオマケに、あなたはシゾフレ人間か メランコ人間かなんていうページもありました。 いろいろ情報を入れるのは面倒なので、私はテストはやってないのですが、一応ご紹介。 http://www.hidekiwada.com/clinica_test/ http://www.businessstandard.jp/rensai/rensai.asp?page=7&newsid=%7BF3F4FC2A-7BCE-46A2-8DDE-88E6DE3AAF57%7D http://www.forum-m.jp/fole/pdf/0304r_2.pdf (PDFです)
いい線ついてるなあと思うのは、最近気になっていたことで、評価基準が他人にある人が多いということ。自分が決めた目標について自己評価するのではなく、他人からの評価がすべての基準の人が多いなあと思っていたのです。「人にウケルものを選択する」「人から評価されないと興味を失う」人たち。本当に多いと思います。
自己が成績について、理解度の尺度として冷静にテストを認識している場合と、テストの点数を取るということのみが目的になってしまった場合の差かもしれないなあと思いました。 会社でも、成果の評価のみではなく、プロセスも評価しろなんてことを言われてますがなかなか評価というものは難しい。たしかに 実験のように、ある条件を定めて その状態でバスッと切って見ないと平等な評価は難しいように思います。 でも、あくまでも その結果はその人の能力すべてではなく、その切片での成績だということも忘れてはいけないと思うし、その切片だけでできるだけ良い成績を上げようと個人が努力する(つまり本末転倒)するということ自体がいろいろなゆがみを生んでいると思うのです。 成績至上主義っていうか。点数さえとれれば理解してなくてもいいという姿勢とか。
どうもその辺りが 他人からの評価至上主義に繋がっているようにも思えてしょうがないんですが。
さて、話しを戻して。 私は メランコのほうが沢山入っているような気がするなあ。
まあ、こういったものは こんな風にまじめに書いてあるものでも たとえば、合コンで性格判断とか血液型を話題にしたなんていう程度にかる〜く見ておくのが吉だと私は思うので、これを読んで深く考え込んだり悩んだりしないでくださいね。 画像は ユリ フュテラ 夜に一段と香ります。
後 6ヶ月。184日だ
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