■2003年■
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王様の耳はロバの耳(過去ログ)

普通は言わないけど、みんなどう思う?言いたいけど言う機会が無いみたいなことをおもいついたときに書こうと思ってます。

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好きになってきた 2003,3,31
先週書きかけてそのままになっていたものだが、今は一段落したので今のうちに。。
========================================
 実は(という書き出しが私は多いのだが、)、私は 今 英語にはまっている。
英語が嫌い。英語が苦手。という言葉を ロバミミを続けて読んでくださる方は耳にタコが出来るほどお聞きになったと思う。
こんなことは、うまれてこのかた初めての出来事だ。

■発端
 私は、英語が苦手だった。そうして嫌いだった。
嫌いになったきっかけは今でも覚えている。
小学生の頃、私は体育以外の成績はさほど努力しなくてもとてもよかった。(小学生の頃のことなので、特別なことではないと、大人になった今ではわかるのだが。)

 そうして、中学に入った時にはじめて英語の教科で敗北感を味わってしまった。
「自分は勉強と関係ない教科はダメだけど、勉強だけはよくできる」と体育が出来ない理由を自分の頭の中でくみたてて、信じようとしていたのに、塾などですでに英語を習っていた人よりも取っ掛かりの英語の知識が少なかったのである。
 私からすると スタートラインについたら、自分よりも遅いと思っていた人たちが、すでにスタートして走り始めていて、はるかかなたに見えるような気持ちだった。

いままで、人より出来ることを当然と思っていたのに、最初から自分が負けた状態ではじめなければならない。
(こう書くのはなんという奢りだ。大間違いだ。と今は分かるのだが、子供だったので、狭い子供の認識ゆえの万能感があったのだと思う)
とにかく、英語は思ったような成績が取れない事が悔しかった。根気のない私は 英語が嫌いになってしまった。
 たぶん、人に負けることを認めたくなかったのだと思う。

■英語は嫌い
 とにかく英語は嫌いだった。単語や例文を丸覚えするのはとてもつまらなかった。
丸覚えしなければならない意義が納得できなかった。

教材の文はどれもおもしろくなく、読みたくない文だった。
 トムとメアリーがなにしようが私の知ったことではない。
本が好きだった私は、日本語で沢山の没頭できる文を読む楽しみを知っていたから、教科書の文章のなんと味気ないこと。

 そうして、それは後まで続いた。高校1年の夏休みの宿題に出された本の リップ・ヴァン・ウインクルの退屈だったこと。いまさら子供向けの御伽噺を読まされるのは苦痛以外のなにものでもなかったのを覚えている。

■ところが

ところが、この年になって、はじめて 英語が好きになってきたかもしれないという気持ちを味わっている。
 実は、3月の始めから 英語で日記をつけはじめた。
発端は 「英語で日記を書いてみる」という本の存在を知ったこと。
アマゾンで購入して、手に入ったが、中身はあまり見ていない。
でも、最初に書いてある数ページは十分に私に対して説得力を持っていた。

 そうして、前後して努力を目的としない英語のメーリングリストにたまたま出会ったこと。
いままで、とっていたメーリングリストは これを明日までに覚えましょうという英語の勉強の延長だったのだが、とにかく話しましょうというスタンスのこのMLは私の頑なな気持ちを方向転換させてくれたようだ。

 日記は誰に見せるものでもない。書いてみることで、自分の力量の変化がわかるとのこと。
そこで、私は始めてみようかと思った。
最初の一日は、ネタがなかった。 いざ、英語で書こうとすると書けないのである。
絞り出して やっと2,3行書いた。

ところがどうだろう。
かきはじめてみると 書きたいと思うことはドンドン増えてくる。 
数日書いたところで、少し詰まってしまった。
 自分が書いた文が どう正しくないのか 上手く人に伝わる英語かどうかが分からないのだ。(書いた時点では自分は正しいと思っている)

そこで、英語を日常語としている人にチェックを頼んでみた。
そうして、彼から了承を頂いて、私の 英語添削日記は始まった。

 書いてみて驚いたのは私だった。 電子辞書を利用しながら 昔の記憶をたどりながらの文であるがどうにか、相手に伝わる文章がかけているようだ。
(相手の人は 英語を母国語とする人なので、日本語の複雑な表現は難しいらしい。なので、基本的に英語の部分だけを見てもらっている。)

 もしかしたら、意外に通じるかもしれない。 そう思ったとたんに英語で書くことが楽しくなってきている。

■減点法
そんな状況だが、冷静に見ると、私の英語はin や on atなどが間違っていることが多い。
よく英語のテストでは ( )の穴埋め問題として出ている類のものだ。
覚えようとしなかったツケだと思う。
学生時代からは、習熟度は上がっているはずもなく、たぶん忘れた分だけダメになっているはず。

また、時間の推移や、冠詞にも弱い。 もし、このへんをすべて採点していくと、やっぱり点数は昔と同じくほとんどなくなっているのではないだろうか。

 点数がとれなくても、自分の言いたいことが 伝わる。
私のこのロバミミでも「てにをは」がおかしいことが沢山ある。でも日本人として生きている。

 私の目指している英語は、点数がとれなくても 相手と意思疎通することが目的だったので、これでよいような気がして来た。

また、習ったけれど 英語がしゃべれない日本人が多いというのは、減点法のテストの方式が問題なのではないかと思えてきた。
 私はいままで 電車の中で英語をしゃべっている人がいて 言いたいことがあっても、完璧な英語がしゃべれないから恥ずかしいからと言いたいことを飲み込んでいたのだ。

 私にとって 英語は言語であって 意思疎通の手段として上手になりたいのに、「てにをは」にこだわって 「点数がとれないから」と本来の目的を忘れてしまっていては 本末転倒であると今は思う。

 当分は自分の英語ブームを楽しもうと思っている。
今は、英語で日記をつけて、それを添削してもらえるのが楽しくて仕方ない。
そういう自分の変化は 素直に嬉しい。
 皆さんも私の拙い英語を目にすることがあるかもしれない。添削されていない文はお粗末で笑えるかもしれないがまぎれもなく、それが私の実力です。晒せるようになっただけでも進歩です。
「ああ、嫌いだと言っていたけど、好きになってきたのだな」と 暖かい目で見て下さい。^^; 。 間違っているところを見つけたら遠慮なく指摘してくださいね。

どうしたらいいのか 2003,3,29
昨日、一日保育園へ行った大王なのですが、迎えに行ったら何人もの先生から
「目が腫れて」と呼び止められてしまいました。
遊んでいるところに行くと、まさに、私の前の症状と同じ。京劇の孫悟空のようになっています。

目も充血しているし、ぼっこりと顔が腫れています。
担任の先生も、「白目のところがぶよぶよになっているので、保健婦さんに見せたところアレルギーということで。。。」とのこと。
 私もなったことがあるので、だいたいどんな感じかは分かる。顔もかぶれています。
(若くても同じになっちゃうんだなあ。と変なところで驚きました)

午前中でこの状態になってしまったので、一番ひどい時は氷で冷やして午後からは外に出ないようにしたとのこと。

 眼鏡+帽子+マスクで私くらいの状態には戻るのは分かっているのだけど、子供にそれを納得させるのはとても難しい。

どうしたらよいのだろう。。。と悩んでいます。

薬も、ある症状は治まるのですが、個人個人によって症状が違うからか、私には「絶対この薬が効く」というのがありません。子供の場合は、症状を表現できないこともありそうなのでそれも懸念してしまいます。

そんなこんなで、ちょっと逃避してます。
せっかくいつもいらしていただける方のお宅にもここのところ伺ってません。

来ていただいてよろこんでばかりで、伺ってなくてごめんなさい。
気にかかっているのですが、自分を非日常におきたいのかもしれません。
ごめんなさい。落ち着いてから伺わせてください。

この2,3日とても暖かかったので、スギ花粉は大変多かったとのこと。

以降は
過激な発言で、そうするにはいろいろな問題があることも知っているのですが、
そういう状態なので、 あえて暴言をはかせてくださいな。

植えすぎた杉。花粉が出なくなるなんていう研究をするよりも、半分とか三分の一に切って欲しいです。
 削って固めて不要なハコモノを作る開発のために業界に流れる分のお金で、やればできなくないのではないかと思ってしまいます。

 その分、医療費がういて別の意味でメリットがあるかもしれません。

あ、今日のは根拠もなんも調べていない 思いつきのいいかげんな 現実逃避です。
読んだら忘れてくださいな。

ばたばた 2003,3,27
大王は、まだ微熱。なにが原因なのかわからないのだが、一日も早くちゃんと治ってほしい。
熱が高くなければ、微熱が長引いても、口内炎でも、鼻詰まりでも大丈夫なんだろうか。
とても不安だ。

 今日はちょっとバタバタしているので、見つけたことを書いておこうと思う。

先日来、私のパソコンのメールアドレスに、アダルト系の迷惑メールが沢山はいるようになった。
どこから私のアドレスが漏れたのか分からないのだが、私はそういった類には全く興味がないので、
関係あるようなページを見たことも、何かに登録したこともない。
(いろいろと面倒が起こると嫌なので、アンケートなどに性別を男で登録したのがまずかったのかもしれない。)

こういうメールは 送られてくるだけ無駄で、何度送られてきても 捨てるだけの話しだ。
しかし、頼んでもいないのに送られてきて、受け取ること自体が不愉快だ。
 外に残すアドレスはフリーメールのアドレスを取得しておけばよかったと思うが、後の祭り。

 毎回同じリストでおくってくるようで、毎回違う送信元アドレスをフリーメールで取得して、別のメールを装って出してくるのか、もしくは複数の業者に流れたかで、たちが悪い。

ところで、今日みつけたニュースはこれ。
http://www.zdnet.co.jp/news/0303/25/ne00_hotmail.html

とうとうhotmailも 一日に送れるメールの上限を 100通に制限したらしい。
ついでに、同一とみなされる人が登録できるメールアドレスも制限してもらえるともっと良いな。。
一回にどのくらいのメールを送信しているのかは分からないが、これで、少しはマシになるかもしれないと思う。ついでに転送メールや転送urlにも迷惑系の規制がはいるとよいなあ。

 迷惑メールで悩んでいらっしゃる方は多いようだ。
私のページにも迷惑メールで検索していらっしゃる方は多い。

もう一度書いておくと、
もともと法を犯して送ってくる送信者に 不要のメールを送っても改善されることは無いと思われるので、
 受信したら、私はすぐに、財団法人日本データ通信協会の
http://www.dekyo.or.jp/index.htm
迷惑メール相談センターに 報告するようにしている。
http://www.dekyo.or.jp/soudan/top.htm

 こちらで、ちゃんと取り締まってもらえていると良いのだが、こういう業種は逃げ足が早そうなのでどうなんだろう。

今日はとりいそぎの日記だ。

しもべの生活 2003,3,26
ちょっとばかり、大王不調のため、シモベとして家で生活しています。
ので、腰を落ち着けて文章かけない。。

とりあえず、大王は元気。>だけど、いろいろ考えることあり。やっぱ仕事は無理かな。

それから、映画。見た見た、三田佳子。
スパイキッズ、スパイキッズ2、秘密の花園。
これについても今度書きます。子供と一緒に安心して見られる楽しい映画という私の評価です。

それから、アメリカ。やっぱり 報道規制あるみたい。<ウソッコの自由の国。

ではでは。

イメージにだまされるな 2003,3,24
戦争ははじまってしまっていても、テレビの報道以外はなにひとつ変わらない日常がある。
自分の生活を振り返って、こんなことで良いのか?と思ったりしている。

 報道では、虚像をみせられているかのような 痒いところに手が届かないような歯がゆい思いをしている。
 しゃあしゃあと勝ち誇ったような表情で出てくる狡猾な政治家たちの小さな抜け目ない目の光を見ていると その思いが増してしまい、もう、顔も見たくないと思えてしまう。
 でも、それはとても危険なことだ。

見ないことにより、彼等が何をしようとしているのか、何をやったのかが分からなくなってしまい
それを私達の目で評価することができなくなってしまう。

■アメリカの虚像

私は、ビジネスでも観光でも一度もアメリカへは行ったことがない。
ずっと以前に このロバミミでも アメリカの虚像について書いた覚えがある。
想像のアメリカは 成功の国、豊かで、自由な国 そいういうイメージが沸いてくるが違うのではないか?私たちが見せられているのは 成功した表向きにあるほんの一握りの人たちではないか?という話しであった。

 まさに、その裏づけといえるような話しが今日メールマガジンで配信されてきた。
先日来紹介している JMMである。
(最新刊はトップページの上の方にリンクがあるので、原文はそちらをご覧下さい。)
今回のメルマガは大変興味深かった。

======一部抜粋==http://jmm.cogen.co.jp/
[JMM 210Sa]「戦争という誤算」from 911/USAレポート 

まさか、日本で「その日」を迎えるとは思いませんでした。所用で911以降初めて
アメリカを離れ、東京に滞在していたからです。それにしても、日本社会の雰囲気が
アメリカとこれほど違うとは思ってもみませんでした。街に国旗がない、その一点だ
けで社会が平静に見えるのも驚きです。そして、人々の表情の穏やかなこと。「不況
慣れ」とか「あきらめ」というのとは違うと思います。社会の崩壊に苦しむアメリカ
の雰囲気に比べて、そこには複雑な社会を生き抜く知恵を見る思いでした。

TVを中心としたメディアのバランス感覚は、アメリカとは全く異なる健全なもので
す。空爆開始後も、国内外の反戦運動は報道されていますし、アメリカ政府要人のコ
メントにも客観的な解説がつきます。ブッシュ演説に優等生的な同時通訳が付くのは、
語気や人格のお粗末さ加減が伝わらないもどかしさがありますが、それ以外は、各局
とも良く準備のされた報道ぶりでした。 
======

 やはり、私が「どうもおかしい?」と思っていたその勘(?)は当たっていたのか?と
思いながらこの文を読んだ。

■イメージ戦略

 小泉首相の支持率が下がらない。これがまったく私には理解できない出来事なのだが、なぜだろう。
もしかすると、彼は一部には「政治家」ではなく テレビの中から語りかける 芸能人と同じように認識されているのではないかと思う。(就任当時はポスターなどがすごい売れ行きだったとか。。)

 キムタクも、小泉首相も 私たちからみると 同じように テレビの中から 聞きごこちの良い それらしいセリフを口にする。
政治家はきちんと 政治してナンボのものである。「なんだか雰囲気イイワア。デキソウ。」なんかで支持しちゃダメなのだ。

 いくら ドラマの中のキムタクがカッコよくても、堤真一が素敵でも、彼等は決められたセリフをドラマの中でもっともらしくしゃべっているだけなのだ。
彼等は、私たちに 非日常を擬似体験させてくれ、私たちの心を動かすという 虚偽の世界を演じるのが仕事だ。それによって、人間はストレスを解消したり、希望をもったりする。

しかし、政治家に求められるのは、それではないはず。
非日常を擬似体験させてくれ、心を動かすのではなく、現実の世界を動かすのが政治のはず。

 小泉首相の言葉には指摘されているようにイメージ先行で具体的なものがない。
「定性的」な言葉は多用するが、「定量的」でない。
私たちが政治に求めるものは、ドラマではなく 現実のはず。
「だんだん良くなっている」という気分次第の曖昧な効果や数字のマジックではなく、現実としての効果を求めているはずなのだ。
 
首相が「自分の言葉で語りたいから」といって アメリカ支持の理由を述べる前に資料をあつめたというのを聞いた。
 あれが、自分の言葉であり、資料を集めた結果とは私には思えない。
あの中には、彼の思考や論理は盛り込まれておらず、どこかからの借り物をよせあつめて、聞き飽きた言葉をくっつけただけのように聞こえた。
 よく、大統領は 決められたセリフをプロンプターで読むだけという姿が映画に出てくる。
実際、アメリカの政治家は、しゃべり方や、動作、身なりなど、芸能人顔負けに トレーナーがつくという話だ。 
メディアを利用したイメージ戦略は 商品のパッケージや コマーシャルに似ている。

綺麗なパッケージや カッコよいコマーシャルに惑わされ、中身を評価せず購入してしまう購買者は そのツケは自分ではらわなければならない。
(買った本人が満足していれば良いというのが 売り手の言い分かもしれないがあまりにひどいとJAROには叱られるはず。政治家は一人一人が自分の好みに合わせて選べるものではないところが難しい)

 たとえば、昨日チラッと見たテレビで、しかつめらしい顔をした評論家と同じく、山本信也監督もコメントをしていた。あなたはどちらを信じますか。
 すぐに 評論家と答えたあなたは、パッケージで物を買う人かもしれない。
 評論家 元ポルノ監督 そういう 肩書きで 人を評価するのではなく、内容そのものを見るという風土がそだたなければ、日本もアメリカの二の舞である。

 パフォーマンスが得意な政治家がその職に就くということは、多かれ少なかれそういう人たちを支持してしまっている私たちにも責任がある。
  
 与えられた虚像だけでなく、いろいろなメディアから 情報を得、冷静に自分の目で 世の中の出来事を見、他人の評判ではなく自分の目や価値観で評価しようとすることが大切なのではないかと思う。

いやはや 2003,3,23
大王。夜中に「あたまがいた〜い」と大泣き。
どこが痛いのか、聞くとなんだか中耳炎か?
とりあえず冷やして、昨日耳鼻科へ。どうやら 耳下腺炎らしいとのこと。

どうも調子が出ないねえ。

そりゃそうと。プロフィール書いていてふと。前から「数字(すうじ)」が苦手と公言しているのだが、最近大王は 数字に凝っていて、

「まま、3たす5はいくつ?」
「まま、8たす8はいくつ?」
「16たす16はいくつ?」

などと私の「すうじ力」を人前で確かめてくれるので、数が多くなると結構人前で緊張するのであった。

 いつ「もうやめようね」と言うかタイミングが難しいんだよね〜。
(間違えちゃう前にやめさせないと。。)

ちなみに最近は
「まま ひゃくおくたす ひゃくたす 5はいくつ?」とグレードアップ。


風邪 2003,3,20
香港あたりから悪質な肺炎が流行っているらしい。
高熱・筋肉痛・咳といった症状で、通常の抗生物質が効かず、現状では菌の特定ができていないとのこと。

 最近、気のせいか ひどい肺炎や、風邪やインフルエンザが流行することが多いようにも思う。
我が家の場合はただの風邪だったが、それでもこの冬は近年で最悪だった。
ここ数年で一番病院にも通った。

 熱はさほど出ないのだが、 ひどい肩こりから始まり、首の付け根がゴリゴリに凝る。
そうして、頭痛。目の奥が痛くなる。それから胃腸にくる。
 胃腸に来た後は どうにか治る。

 こんな風邪を 今年何回ひいたことだろう。
今日もその風邪を私がひきずっている。調子が悪い。
大王は大王で、その風邪の合間にいろいろな風邪を引き、いまだにひきずっている。
散々な冬だった。

もうじき春。この風邪の季節ともやっとお別れだ。
この風邪もこれでお終いとおもうと、まあ、我慢できるかも。。。んなわけないか〜。
しかし頭と肩が痛いなあ。。。

今日は、午後から出張なので、落ち着かない。
明日はやっと休み。親子ともどもゆっくりしたい。>明日の朝は早く起きなくて良いからね大王。

戦争反対 2003,3,19
私の戦争反対の思いとは真反対の方向にどんどん進んでいる。
この無力感はなんだろう。

 ブッシュからみると、戦争は自分の実績を作る一つの道具でしかないようにみえる。
日本もそうだが、アメリカが抱えているさまざまな問題を解決するのは、なかなか一筋縄では行かない問題が多い。
たとえば、経済ひとつにしても、こうやればこうなるなどという簡単な図式は成り立たない。

だが、戦争をするかしないかという判断はとても簡単だ。そうして、傍から見てももし戦争を始めたとして、旗色が良いのは やはりアメリカだろう。 
勝ち戦で実績をつくることはなんと簡単な選択だろう。

彼にとってはその程度の「自分」を有利にする「ゲーム」でしかないのだろう。
その意識がはっきりと外に現れた発言があったようだ。
 
====[JMM 210Tu] パリは燃えているか?;欧州メディアレポート
(配信されたばかりなので、まだバックナンバーには掲載されていないようです残念)
http://jmm.cogen.co.jp/
ポルトガル領アゾレス島での米英西会談後、ブッシュ大統領はテキサスのことわざ(?)を引いて、「ポーカーゲームをやる時は、カードをきちんと見せることだ」と述べ、「フランスは拒否権を使い、サダムの説明責任を追及する決議に反対するというカードを切った」と決めつけた。

これに対し、ドビルパン外相は記者会見の折英語で以下のように反論、「私は合衆国大統領のこの表現は場違いなものだと思う。なぜなら戦争はゲームではないからだ」。
====

■我慢できない人・嫌いな人

普通の人間は、自分の気に入らない人をやっつけたかったり、傷つけたいと思って策略をめぐらすことはそうそう無いと思う。
が、もしあなたが、ある人をどうしても何があってもやっつけたい。
そうして、自分はやっつけたことを正当化したいと思ったらどうするだろう。

 まず、相手が人前でなにか失態を犯すのをてぐすね引いてまって、それを攻撃するだろうか。

相手があまり人前に出てこなかったらどうするだろう。
相手が皆の前で返事をせざるを得ない状況を作り出し、返事をしなければ、しないことに対して非難し、返事をしたらしたで、そのひとつひとつに揚げ足をとったり相手をやっつけなければならない理由をみつけだすように、巧妙に罠をしくのだろうか。

 そんなことを書くと 「そんな卑劣なこと、するわけない」とほとんどの方は思うだろうが、しかし、今の状況はそれに似ていると思う。

そうして、利害関係が発生する場には意外とこの手の策略は ドロドロと渦を巻いているようにも思う。
たとえば、仕事の世界。こういった例は沢山あり、私も経験している。
世で取り沙汰されている 「責任問題」はこの手の問題のことも多い。
姑息だとは思うが、「姑息」という言葉があること自体が姑息な事柄の存在の証明ではないか。

■あちらもこちらも

 小泉首相の 米国支持の報道を見、またもや、核心をはずしたのらりくらりとした答弁にいらついている。
「そういうことが聞きたいのではなくて〜」と思わずテレビのこちらで言いそうになる。

ところが、こちらがそうであるとおなじようにあちらもそうであったようだ。

====同じくヒトの褌で申し訳ない。下のURLから配信を申し込める。
[JMM 208Sa]「感情の支配」from 911/USAレポート
http://jmm.cogen.co.jp/

6日の晩、東部時間の8時からブッシュ大統領のTV記者会見が行われました。じつ
に不思議な会見でした。短いスピーチに続いての記者からの質問では、反戦論の根拠
となるような突っ込んだ質問が続き、それに対して「論点のほとんどにはストレート
に答えず、感傷的 (sob) に流れた異例な内容(ボブ・ウッドワード)」でした。

やりとりは、例えば次のようなものです。※は、会見後のジャーナリスト達の声をま
とめたものです。

(質問)「ベトナムでは、大勢の米兵が血を流しました。ですが、敵の政権転覆など
は実現しませんでした。にもかかわらず、以降ベトナムはアメリカにとって脅威になっ
たことはありません。この事実を、ベトナム戦没者の遺族にはどう説明しますか?」

(大統領)「それは大事な質問 (great question) だ。今回の目的はベトナムとは違
う。武装解除が目的で、そのための政権転覆だ」

※団塊世代からの典型的な疑問で避けて通れない質問だったという解説が多いのです
が、回答は意味不明でした。ただ、保守派が聞くと、今度は負けないという宣言に聞
こえるというのですが、そんなバカな、という感じです。

(質問)「最悪のケースで、米軍の犠牲は、イラクの民間人犠牲は、そして累積戦費
はどのくらいになるのか?」

(大統領)「とにかく、犠牲は最小限に抑える」

※これも具体的な答えはありませんでした。この関連では、大統領が何度も繰り返し
ていたのは、「私は毎日祈っている。戦闘があったら、米兵の犠牲がゼロであって欲
しいと。イラクの民間人犠牲もゼロであって欲しいと。私は平和を祈っている」とい
う台詞です。

まあ、代表的なやりとりはこんな感じで、「世界に満ちた反戦の声をどう受け止める
つもりか?」という質問には「私は平和を祈っている。私も戦争には反対だ。言論の
自由は結構なことで、イラクにはないものだ」と逃げ、「英国の妥協案が出て、そし
て否決された場合の功罪はそれぞれ何か?」というこの日の時点では、本質的と思え
る質問には「しまった、その質問にはメモを用意していない」と場内を笑わせて逃げ、
適当な一般論でごまかしていました。
=============

あちらもこちらも、同じ穴の狢である。

そう思いながらふと思い当たった。
彼等、政治家の世界では、相手の失態を待って、もしくは相手の失態を工作してのし上がるという図式は掃いて捨てるほどあるだろう。
 そこをうまくかわして すっとぼけて 乗り切ってきたエキスパートが生き残った政治家だったとしたら。

 多くの人をまとめる立場で 100%の人の思惑が一致し、すべての人が幸福になるという解決は 理想ではあってもありえない。
 その陰には 「我慢してもらう人」「力及ばず救えなかった人」が沢山あるだろう。
政治家としてやっていくためには、人の気持ちがわかる人間では辛すぎることも多かろう。
中には力及ばず無力感で、辞めていく人もいるかもしれない。

 皆は「政治のエキスパート」を求めているのだが、そうではなく、「政治の世界で生き残ることのエキスパート」が 政治のトップについているのではないことを 信じたい。

キッチン 2003,3,18
ここのところ、本と映画の話題を書いていない。
気にはなっているのだが、あらためて腰をおちつけて映画を見る時間がとれないことと、本は今苦手とする英語に取り組んでいてなかなか進まない。
 なんといっても、おもしろくなるまでは、日本語であれ、英語であれ、よみはじめるとすぐに眠くなってしまうのは昔から一緒。

 本が読める時期、読めない時期が私には、山や谷のようにあって、今はどうやら谷の時期なのかもしれない。

■原作が先か?見るのが先か。

映画を見るときに原作が先か?映画が先か という話を以前にも書いたように思う。
「別物とおもうべき」というご意見もあって、もっともだ。とは思うのだが、筋書きが一緒の場合どうにもこうにも片方を先に見たり読んだりして損をした気持ちがすることがある。

友達に勧めていただいた本があった。とても面白いという評もあり購入した。
それは映画で前に見たことがあるものの絵本版だった。

 楽しみに待っていて届いた絵本をわくわくしながら開く。ところが、ワクワクが続かないのである。どうしてだろう?
 この本は筋の展開が奇想天外な本だ。
ページをめくることに 「ありえない」ことがドンドンと起こる。きっと物語をしらずに この本を始めて読んだら、次は何がおこるのだろう。。。と
次へ次へとよみすすめたくなるに違いない本当に面白い話しの展開であった。
勧めていただいたのは本当に良かった。楽しい本だった。(ありがとう)
でも、映画を見てなかったら もっと楽しめただろうに。。と残念に思った。

ページをめくる前に私の頭の中には映画のシーンが出てきてしまう。

大王は「どうしてこの本は 色がついていないの?」と聞く。
 色がつかない絵本というものの良さというのを私は聞いたことがある。
それは、色がついた絵本よりは想像の幅がどんどんと広がるということだった。
 きっと、映画でみた化け物よりも文字で読んだ化け物のほうがずっと恐ろしいことと似ているようにも思う。
 一番恐ろしい化け物は?と聞かれても 想像できない。想像できないものが一番怖い。

 しかし、映画を見てしまっている私たちは想像の余地をあたえず、すべてが経験として映画の映像におきかえられてしまっているのだ。

 このときほど、本を映画の後に読んだことを残念に思ったことはない。
本を先によんでいれば、もっともっと映画も本もたのしめただろうに。。と思った。

■キッチン

先日昼間になんだか不思議な間合いの映画が放映されていた。橋爪功が眉を長く引き、スカートをはいている。 妙に背の高いワカメちゃんのような髪型の女の子が出ている。
 番組表をみたら、吉本ばななの キッチンだった。

キッチンはものすごく流行ったと思う。でも、私は流行モノの本は読まない習慣がある。
それで、読んだことがなかったのだ。

 映画は途中からみた。味だとも、大根だともいえるような演技。
(あまりにも棒読みで、超現実的な雰囲気をもつ会話が ある意味 きちんと片付いて生活感のないあまりにも広いキッチンとあいまって 不思議な間合いと空間をかもし出しているような気がした。)
  つけっぱなしにして、ちらちらみていたのだが、そのうちにその超現実的な会話を聞くために いつも背筋をのばして、みみをすまして、話しに入り込もうと努力している自分に気がついて 疲れてチャンネルを回してしまった。

 最初から最後まで見たらどんな感じだったろう。
 それなりに、雰囲気のある映画だったかもしれない。
背の高いワカメちゃんは、川原亜矢子だということ。 ぜ〜んぜん違うじゃん。わからなかった。

少し興味をもって、ネット検索してみたら、原作は文体がかなり個性的でそれが魅力となっているように思える。
偶然、英訳されたものと並べてあるページ
http://www1.odn.ne.jp/~cci32280/PbBANANA.htm
を見つけたのだが、英訳されたほうがはるかに日本語よりも理解しやすいようにもおもう。

さて、ここでちらっと読んだ限りでは、「えり子さん」は 私の中では橋爪功のイメージとは重ならない。
原作が先か、それとも映画を先に見たほうが良いか。。。だなあ。

 今、私は 少し 吉本ばななに興味を持っている。
 読まれた方、感想などあったら教えてくださいね。まだ、映画も本も見ても読んでもいないので、間に合うと思います。

がんばる 2003,3,17
土曜は、大王の保育園の卒園式だった。(大王は来年卒園生なので、送る側として親子で出席)
卒園生は、卒園記念品を渡してもらい「大きくなったら○○になります」とひとこと宣言して自分の席に戻る。
 女の子は お花屋さん、ペット屋さんがダントツ。
 男の子の「おおきくなったらパイロットになります」という言葉に保護者席から「おお〜」といざわめきが漏れていたが、私は 「それって、キムタクが出ているドラマを家族で見ているってことじゃないのかな〜」なんて心の中で突っ込みをいれながら見ていた。

■Good luck

キムタクがパイロットになる。ということと、すっきりとした髪型の予告編は見たことがあるが
我が家ではこのドラマは見ていなかった。

 キムタクは安定した人気を持っている俳優だと思う。
 顔は黒目勝ちの大きな目が どこか鹿や馬の平和な草食動物をおもいおこさせる。

 よく、「好きな人を見るときは虹彩が拡張するので、日本女性の黒目は海外ではもてる」などという説も聞くが、たしかに、黒目勝ちで白目の少ない目には好感を抱き、反対に「三白眼」などは
あまり印象良く語られない。
また、恐竜の映画など生き物が出てくるパニック物では、虹彩が細まるところを画面にあらわすことによって、緊張感を観客に与えていると思う。
 人間の本能のどこかに、肉食動物に対峙したときの緊張と草食動物に対峙したときの安心が残っているのかもしれないとも思う。
 
 キムタクは、彼のカラーを沢山残しながらも良い演技をしていると思うし、視聴者の大半はその彼のカラーを求めているところがあるとおもう。
もちろん、役も良い役をもらっている。

 さて、偶然ながら日頃見ていない Good luck を一番の山場である前回に たまたま私は見てしまった。キムタクは、人をかばって非難訓練中の機体から落ちてしまう。
そうして、昨日、また、たまたまその続きを見た。 

彼は神経を損傷し、歩けるようにはなるけれど、パイロットには戻れないと宣告される。
父(いかり屋長助)は、淡々と息子に現実を伝え、未練を持っている様子の息子に
「男らしくない、甘えるな」(だったかな?) と パイロットの道をあきらめるように諌める。

しかし、私はここで、その諌めることについて、疑問をもった。(ってもテレビドラマだけど)
やってみなければわからない。
本人がやりたいと思っている、がんばりたいと思っていることについて、誰も他人が引きとめる権利はない。

 彼は成人である。
あきらめるのも、進むのも、本人が決めることであり、この時点では親でも他人が干渉するべきことではないと思った。

■がんばる

 ここから先は、たぶん、人それぞれ考えが違うことだろうとおもう。
大王が大きくなったときに今現在の母としての私の考えを読む機会があればという想定で私は書きたいと思う。

昨日のドラマをみながら、ぼろぼろ涙を出して
「なにいってんだ〜。諦めるな。やってみなければわかんないじゃない。
人に言われて諦めるなんてどうかしてるよ。やってから諦めても遅くないじゃない!」
と たった2回しか見てないドラマに熱血オバ丸出しであった。

そう。私は「自分の居心地が悪いとき、そのままで我慢するのではなく、どうにか悪あがきしたい」人間なのである。
「転石苔を生ぜず」「A rolling stone gathers no moss」有名なことわざだが、二つの解釈があるということは、後から知った。
1)いつも転がっている石は、苔(悪いもの)が生えない。=石が転がることは良いこと
2)いつも転がっている石は 苔(良い物)をはやすことができない。=石が転がることは悪いこと
私は1)タイプの人間なのかもしれない。
(学生時代は 1)の意味で教えられていた記憶がある。)

 何かを自分がなしとげたいときに がんばることは、私はとても大事なことだと思っている。
自分が何かを行ったことに対しての影響(効果)は大きいことも小さいこともあるが必ずある。
何かを行わないで待つよりも、ずっと確実にある。
やる必要がないことを人から強制されてがんばる必要はないが、自分が何かをしたいとき、変えたいときは「がんばる」ことの効果はきっとある。

まず、自分が「何をしたいのか」それを見失わないように。
(人間は時々一生懸命になるあまり その手段を目的と履き違えることがあるように思う)
そうして、それを実現するために、何をすれば効果的か考え、行動を起こす。
それについて、その影響(効果)をきちんと把握し、少しでも自分が望む効果が得られるように
軌道修正しながら、行動を続けると、必ず 少しずつでもきっと自分の思う目的に近づくことができると思う。
人から見て効果がわからなくても関係ない。自分の問題なのだから自分の思ったやり方でやるのが大切。

 もしかすると、当初の目的が達成困難だということを思い知るかもしれないが、その時には
今度はその時点で、自分が一番したいこと、自分が達成したいことをもう一度見つければ良い。
できるだけのことをやったのだから。

自分の環境はある程度動かしがたい運命によるところもあるが、残りは自分が起こした行動や、決断の結果であると思う。
望まない結果しかでない場合は、自分がとった行動を見直してみることも必要だと思う。

 さて、来週のGood luck は最終回、たぶん、難しい手術を受けた後のキムタクの話しだ。
 彼は、リハビリの努力をした。その結果無理だということがわかって来た。
ここで、展開。難しい手術の選択だ。
 私だったらどうするだろう。
私は、確率の低いことにかけて冒険は出来ない。
きっと自分が好きな他の仕事を見つけようとすると思う。
 ドラマの中のキムタクは どうやら手術にかけた。
人それぞれに道の選び方はあるとおもうし、目指すところは違う。

私は、行動を起さずに 未練をもちながら諦めたくない。
やるだけのことをやってから、諦めたほうがずっとよいと思っている。

しかし、彼のように、いちかばちかにかけるだけの度胸があるわけではない。
希望は自らが自分に合わせて見つければよい。
たとえ自分ができるだけのことをやってみた結果、出来ない事がわかったとしても、それが分かっただけでも大きな収穫だ。
それによって、方向転換ができる。新しい目標をみつければ良いのだ。

そんな風に今は思っているのだよ。−>大王。

クリエーター 2003,3,14
昨日はなんだかものすごく疲れてしまってぐったりだった。
なにが原因だったか自分でもよくわからなかったのだが、とりあえず、お風呂に入ってゆっくり寝たら今日は調子が戻ってきた様子。

■テレビチャンピオン

昨日のテレビチャンピオンは 折り紙だった。
大王にしてはめずらしく一生懸命見ていたのは、自分達も作る折り紙と同じことをお兄さんたちがやっていると分かっているからだろうか。
 見ながら 紙を持ち出して紙飛行機を折ったりした。

 チャンピオンは、ダントツだった。
作品は、すでに「折り紙」を超えて「芸術作品」となっていたと思う。
折った紙は完全な立体となり、それぞれが 表情を持つ。親子の恐竜が並ぶ様は そのまま撮影しただけで、カタログや本の表紙になるような完成度だったと思う。
 
 もうひとつ着目したのは、彼の作戦?だった。
前回も見たが、彼は特にファンタジーに出てくるような生き物が上手い。魔法使いや、竜などだ。
今回はその竜と類似した恐竜の時代を作りこんだ その着想が成功していたと思う。

 毎回竜や、恐竜を作るだけだと新鮮味を失う。
下手をすると「うまいね。ふーん。でもこの間と同じじゃん」となってしまう。
が、それをうまく構成でカバーしていた。
つまり、恐竜を只折るだけではなく 個々の折り紙に表情をつける、そこに物語を作る、空間を作る、見ただけで分かるユーモアを盛り込む そういう技に一段と磨きがかかってきているなと 前回と比較して思った。

また、そこに物語を盛り込むには、個々の折り紙相互がひとつにまとまって見える必要がある。
たとえば、細かいことだが 大きさを一定の縮尺で無理なく見えるようにする必要がある。
 単体で上手く折れていても、まとめておいたときに、大小関係などがあまりにもちぐはぐだと
まとまらない。 そこを、彼はすんなりとあるべきサイズでおりあげた。

 折り紙の出来上がりサイズを予測するのは難しい。
小学生の頃に大きな鶴を作りたくて新聞紙をくっつけて作ったことがある。
多分4畳半くらいの大きさの紙で始めたのだが、出来上がったときには想像よりも随分と小さくなってしまってがっかりした覚えがある。

惜しかったのは、鶴を折っていた挑戦者だ。これも小学生の時代の記憶なので、風化しているかもしれないのだが、たしか江戸時代からある連鶴という折り紙の本を見つけたことがある。
もともと鶴は正方形で折る。
私が、図書館で見つけた本には、一枚の紙を正方形に分割し、それぞれの正方形が繋がった状態で存在するようにして正方形一つ一つ折ることにより、沢山の折鶴のバリエーションが紹介されていた。
折るときに、どちらがくちばしになる頂点かということを気をつけることによりさまざまな形が生まれる。
 たしか、連鶴という名前だったと思い、ネット検索するとあった。
http://www.shimayu.co.jp/g-kana1.htm

挑戦者はこういう伝統芸を踏まえて 新しいものを盛り込むともっと善戦できたのにと思った。

 たかが折り紙だが、ふと、自分の得意分野をいかに生かすかを考えたとき、それには、技術におぼれずに、基本をきちんと押さえ緻密な計算や見せ方まで気を配ることで、完成度を一段と高めることができる。
反対に、それを怠ると、どんなに技術をもっていても生かしきれないこともあるのだとあらためて思った。

■オリジナルと盗用

少し話しは変わる。
最近、ファッション関係の本や記事はほとんど見ないのだが、クレメンツ・リベイロ というブランドが日本人のグラフィックデザイナーのポスターの絵を盗用したというニュースがあったらしい。
 昨年の秋のパリコレで発表されたセーターだそうだ。
該当するセーターとポスターはみつからなかったが、参考を以下に

http://www.asahi.com/national/update/0309/008.html 
記事
http://www.widemedia.com/fashionuk/fashion/catwalk-archive/lfw-ss00/cr.html
クレメンツ・リベイロ
http://www.utrecht.jp/person/?p=35
田名網敬一

 創作活動をする場合、多かれ少なかれ人からの影響を受けることは多いと思う。
それにより、触発されてまた新たなものを考え付くことも良くあることだと思う。

たとえば、身近な例だが、漫画などについても、類似した絵柄・髪型など巷に溢れている。

先日、小林亜星氏の訴えによる、「どこまでもいこう」−「記念樹」の判決がニュースに出ていた
http://www.remus.dti.ne.jp/~astro/hanketsu/hanketsu.html
 (このページは若干古いのかな?)

こういう問題の線引きは本当に難しいとおもう。 

ただ、プロとしては、何かに影響を受けたとしても それを自分のオリジナルにまで高めてこそプロではないのだろうか。
中途半端に類似性を持ったままの発表では、それは単なる模倣に過ぎない。
クリエーターとしては、やはり、影響を受け、模倣からはじまっても、作品として発表するからには自分なりのカラーを表現するところまで高めるべきだということなのかもしれない。

まとまらない 2003,3,13
やるべきことがたくさんあって、いろいろ言いたいことがあるんだけど、多すぎてまとまらない。
そんなことって、ありませんか。。今まさにそんな状態。
 頭の中が混沌としています。

■いらいら

「民意を反映すると間違うこともある」というような意味合いの発言を、少し前にした小泉首相。
果たして、「日本人」は戦争賛成なんだろうか?それとも「民意を反映してると間違うことがあるから」決定権のある人たちの判断で米寄りに擦り寄っているのか。
 日本の代表として 戦争賛成路線に荷担して、戦争反対のフランスを説得し賛成派に加えようとしたなどという行動は、私のような 一国民からみると、人の命がかかわるような大事な問題において、何が正しいか何が正しくないかという判断を損得勘定のみでやる 姑息な日本人が見え隠れしてしまう。

 昔の外国の映画に出てくる、へこへこと頭をさげ、いつもニヤニヤ愛想笑いをしているイメージそのままの誇りを失った日本人だ。

 
 なぜ、米国が攻撃することだけは 天誅で正義なのか? 
人間なんて、喧嘩するときはだれでも自分が正しく、相手が間違っている。
人の数だけ正義が存在する。

だからこそ、武力にたよらず双方の言い分を聞いてゆずりあって解決するのではないか。
やっていることは同じなのに、なぜ 米国だけが許されるのか?
なぜ豊かな国だけが許されるのか。
影響力のある国がすることだけが許されるのか?

 国民が望んでいない戦争を支持するスタンスを 国際的な立場で決定できる人たちがとる。
そうして、社会の中でも 世界的に影響力をもった一部の国が自分の主張を押し通そうとしている。

 今朝、思った。
たしかに、第二次世界大戦以前は日本の国民は国際情勢をありのままに受け取ることはできなかったかもしれない。しかし、あの当時も きっと国民が戦争をしたかったのではないだろう。

 世界各国の代表が、世界のことを考えてスタンスを決めている中、自分の利益だけを優先するスタンスを取る国の代表を見ると、そこの国民であることが悲しくなるほどの落胆を覚える。

今回の話しは、
 「相手が武器をもっているので危険だから 相手がたたく前にたたきのめしてやる」ことについての賛成反対であり、米国に反対したからといって、相手国が米国を攻撃してよいという決定ではない。なにか勘違いしていないだろうか。

 喧嘩をするのはどちらも悪い。
集団生活をうまくやっていくための知恵だ。子供だってある程度の年齢になれば知っている。
そうして、5歳の子供でも どんなに自分が正義だと思っていても、悔しくても、暴力にうったえず、我慢して、話しあって仲直りしていることもあるのだ。

こういうことを書いていると、
「国際政治を、子供の喧嘩といっしょくたに考えるような国民がいる。だからこそ 民意を反映するのは間違っているときもあると言っているのだ」
などど 言う人もいそうだな。。。

■結果は比較できない。

 たとえ、2つの方法があっても 実験と違って結果を比較することはできない。
決定した片方のアクションのなりゆきしか見ることが出来ないのが政治の世界だ。

たとえ、仮に 正しい選択と 間違った選択があったとして、間違った選択をしたとき、その結果を問いただしても、
「なにを言っている。あれが正しい選択だ。あれ以外の対応をとっても状況はもっと悪化していた。私はそれがわかる」
などと 言い切られても、間違った選択であることの明確な証拠を出すことが困難な場合が多い。

最近、こういった詭弁がまかり通っているような気がするのは私だけだろうか。
 

今日はちょっとだけ。 2003,3,11
通勤電車では、昨晩少し夜更かししていたためちょっと眠かった〜。

■眠い理由

 理由は更新記録。 更新記録に掲示板を利用していたら、なんと! ネットビジネスの勧誘を そこに書き込む人がいて。。(--;)アノネ〜〜〜。

 お客様から教えていただいたから良かったようなものの、書いてあった文章も、「がんばるあなたを応援します <こちら> 」とリンク先。
まるで私が書いているかのようではないですか。。。ま、それを狙ったのかもしれませんが。

ということがあり、皆が寝てから 更新記録を作成していました。

 ま、「更新記録と書いてあるところには、たぶん他の人は書き込まないだろう」っていうのは、
私の周りの一般常識だった というのがよくわかりました。
 書けるところは 書いちゃうというのが常識の人も いるわけですね。

「すべてのページの掲示板・ゲストブックなどにおいて、
× 営業目的・勧誘目的・誹謗中傷・公序良俗に反する書き込み・画像などはお断りしています。」

と断ってあるのですが、

私 「など」という言葉にすべて含まれるとしていたつもりだったのですが、
書き込んだ人は 「など」には更新記録は含まれないと判断なさったようです。

なるほど。。。
 てなことがあり、対応で眠かったのでした。

■目が覚めた

ところが、通勤途中の電車内で途中 ピー ピー と アラーム音が何度も聞こえるので、目が覚めました。
音源は私の向かいに座っている男性。 有名ソフト開発会社の 紙袋を持っています。
中に見えるのは資料でしょうか。これから客先へ行くところでしょう。
 その彼が持っている DELLのノートブックパソコンが ぴーこらぴーこら 言っているのです。

 雰囲気的には、起動できないようなアラーム音なので、「ん?起動しないのかな」と思ったところ、目の前の男性は ポーカーフェイス。 動揺は顔にあらわれていませんが、やはりさりげな〜く左右の乗客の様子を見ています。

 ちょっとたつと、ボールペンを取り出して また ぴーこらぴーこら。
あ、たぶんリセットかけるな。。。と思ってみていると、ノートブックをひっくり返して
リセットしてました。 そしてまた ぴ〜こら。

 他人事ながら、なんで起動しないんだろう。。と思うと同時に、客先で起動できなかったら困るんじゃないかなあ。。。と心配した朝でした。

 

不況になると 2003,3,10
 不況と本当に関係あるのかないのか、統計をとっているわけではないのだが、不況になると 少し気になる業種が多く目に付き始めたような気がする。
 大丈夫なのか?と思う話を聞くと、私は「戦後のどさくさで儲けてね」というテレビのせりふを思い出す。

■近所の店
以前、近所に小さな八百屋があった。
しかし、売上がおもわしくなかったのだろうか。八百屋はなくなり、そのスペースが空いた。

当分あいていたのだが、あるとき随分と大掛かりな改装でフローリングになった。
 ある日、チラシが入った。「醤油 1リットル 10円 先着○名さま」などである。
外からそこをみると、折りたたみ式の椅子が沢山ならべられており、ホワイトボードがあり、明るい飾り付け。
一度は中に沢山の人が椅子に座って前に立つ人から説明を聞いているところを通りすがりに見た。

私は、話に聞いた集団催眠販売を思い出した。
集団催眠販売とは、SF商法とも呼ばれる売り方で、羽根布団などの被害で有名である。
 沢山の人を 閉鎖した空間に集めて、安い商品を提示し、「ほしい人!」と手をあげさせることなどにより集った人の気持ちを操作して、結果的に高額商品も売ってしまうという商法だ。

 チラシが入ったのは 2度くらいだったろうか。
バンで車椅子のお年よりを連れてきて その中に入っていくのを見たこともある。 
私の想像が外れているとよいな。。と 私は複雑な気持ちでそれを見ていた。

 そうして、ある日突然、その店はなくなった。 あっという間だった。

そうして、その事務所には新しい会社が入るらしい。今また、大量の折りたたみ椅子が並べられている。
 天井には 色とりどりの風船があちこちにつけられ、壁際には 醤油などがちょっと並べられている。 
  今度はどうなんだろう? ポスターからネット検索してみた。
 家庭用電気治療機・健康機器・栄養補助食品 などなどを扱う会社のようだ。

 私が利用することはないが、どんな会社なのだろう。。。弱者を食い物にする会社ではなければよいが。。と気になっている。

■ネット

ネットで 最近かなり目に付き始めたのが、個人の掲示板への「儲かる」という仕事へ誘う書き込みだ。
不要だったら消してくださいの言葉とともに、リンクが記されている。
 行ってみると そこには 絵に描いたようなサクセスストーリがかかれているが詳細は記されていない。
一部には「本当にやる気のある人にだけ、知ってもらいたいので あえて業務内容は見えないようにしている」とのことだ。。
業務内容は入会しなければわからない仕事って。。ハローワークで見つけて入会する人はほとんどないとおもうのだが、それがネットの不思議。ワンクリックで登録完了してしまうので、精神的なハードルが低いのだろうか。
サイドビジネスとして位置付けているところも、ハードルを下げるのに効果があると思う。

よく知られている「何人つれてきたことで、あなたがどのくらい儲かる」という商法があるが、これは マルチまがい商法だ。

(マルチ商法・マルチまがい商法)http://www1.sphere.ne.jp/jca-home/joho7.html

 掲示板に書き込みがあるこの手のものには入会したことがないので、詳細は私にはわからないが、
不特定多数に リンク先を伝えるということは、その書き込んだ本人に 会員が増えることによりメリットがあるのではないかと思える。

実際、あなたが何かで儲けたとして、道行く人たちだれかれかまわずに教えてあげるだろうか?
本人になにもリスクなく、必ず儲かることがあるだろうか。

 なんて書いても、私の周りには引っかかりそうな人はだれもいないのだが、相変わらずこの手の書き込みが続いているということは、引っかかる人がいるということなんだよなあ。。
 一番良いのはほって置くことだけど、上のリンクの例にあるように、高校生などに広がっていっては心配だなあ。。と思ったりした。

参考(pdfなので アクロバットリーダが必要です)
http://www.kokusen.go.jp/pdf/n-980319.pdf
国民生活センター インターネットの消費者トラブル 
代理店・マルチ・サイドビジネスをうたう広告によるトラブル多発

 こういうことについての教育も必要ではないかなあ。


 たしかに、不況が長引くと、一発逆転をねらいたくなるくらい自暴自棄になる気持ちもわかる。

 絶対に賭け事に負けないという有名な方法を お聞きになったことがあるだろうか。
たしか損した額の倍をどんどんかけつづけるということであったと思う。
 空想すると 「ふ〜ん。なるほどね。」なんて思うが、ちょっと待って。
だれにでも寿命がある。死ぬまで賭けつづけて勝てない場合もあるかもしれない。
倍、倍にしていくということは、 たとえば、1万円が2万円 100万円が200万円と増えてかけていくことになるのだけれども、それに耐えるだけの余った財産があるか?

100万円かけてから、4回負けると次に必要なのは 1600万円になる。
1600万円の損失が 1億2800万円になるのは その3回後だ。

 言葉のマジックに引っかかって馬鹿を見るのは自分だ。

ひさびさに 2003,3,8
外は花粉だらけ。
ちょっとだけ 水やろうかとか、掃除で窓あけてもすぐに目がちくちく。
水やれないんだけど。。みんなどうやっているのかな。。

ところで、ひさびさに大王名言集。

「あさりキライ」
「なんで?」
「だって、あさりは 噛んでも、他のアサリをみつけるとすぐくっついちゃうんだもん」

 噛み切れないことを表現したらいい。 私は大変うけました。

おばおば 2003,3,7
■雑誌連載

なんとなく創刊号を手にとった雑誌だが、つい購入してしまう。
数ヶ月前に 林真理子のエッセイがあると書いた本だ。
 別にファッションが参考になるわけでもなし、料理などは 外で食べることしか載ってないので
他の主婦雑誌を買った方が、ずっと役に立つのだが、つい手にとってしまう。
それは、林さんのエッセイが気になるからなのだ。
以下は例によって、「私のまったくの想像」なので、事実とは全然違うかもしれないことを勝手に書いたものです。

数ヶ月前に、髪の色やファッションについて
「あなたもそう思うでしょう。」とばかりに、疲れきった中年女性を 揶揄するような文を書いてあったあの雑誌だが、今思うと創刊号のコンセプトが 
「主婦ターゲット。でも 今までの主婦雑誌のように 生活感があるものではなくて、オシャレな生活をしている人たちがターゲット」だったのではないかと思う。

しかし、読んでいる人はたぶんそういう人ばかりではなかった。
私を含めて現実逃避の意味で見ている人もいたのではないか。
よく考えて見れば当然のことだけれども、世の大半は普通の主婦をしているのだ。
反響がいまいちだったのではないだろうか?

林さんは次の号では
「なんて書きながらも、私も実はおばさんなんです」というような話をかいた。
 これは、可もなく不可もなく、もしかすると「そんな身近なことじゃなくてもっとちゃんと書いて」という反響もあったかもしれない。

そうしてまた次の号では
「劇場へ行くことの勧め。」これについては、私は悪い企画ではなかったと思うのだが、たしか結びが悪かった。「世の主婦にこんなものばかりみてなくて、たまにはこういったものを見てほしい」みたいに結んだような気がする。
 見ている人が読むと「言われなくても見てるわよ、主婦で一緒くたにしないで」と思うし、見る手段がない人は「そんなの 都会だけの話でしょ」と思うし、なかには「お金があるからといってこれ見よがしね。」と思った人もいたかもしれない。

(なんせ、ちゃんとしたオペラをちゃんとした席で見ようと思うと このご時世に ん万円の世界だもの。普通の主婦には勇気のいる金額だ。(と思う)
セット・衣装の金額、劇団員が海外から来る&そういう機材の運び込みを込みだとお金がかかるのはある程度当然といえば当然なんだけど、たとえば 4万円という席は主婦には勇気がいる。
 4万円あったら あれが買えるわ。。なんて思ってしまうではないか。<主婦のサガ。)

今号は「ババシャツ」について。
林さんがババシャツ愛用者であること。そのあたりを中心に失敗談と意地悪な見解を書いている。これはたぶん、結構受け入れられるのではないかと思ってみた。
 そう。林さんには 「おばさん」と 「意地悪」を求めているような気がする。

■読み手のつくるイメージ

 物を書くということはつくづく難しいなあとこの一連の連載を見て思った。
特に自分の生活に密着していることを書くと、本当のことであっても、世間からは受け入れられない場合もあると思う。

 たとえば、私などは、ロバミミに好き勝手なことを ガンガン書いているがこれは 只の垂れ流しだからこそ許されることで、これを職業としてしまった場合は 「読み手の気持ちに沿う」ということが必要になってくるのだなあと思った。

たとえば、叶姉妹や山咲千里が 「私達、下着はフランス製かイタリア製しかつけませんのよ」もしくは「下着は ラインにひびくので つかいませんの」なんて本に書いても 「へえ〜そうなの」で済む。
 それは、聞いている私達が 「あの人たちはあの人たち」と認めているからである。
彼女たちには、「見た目」を評価していて、そういう高飛車な振る舞いを知らず知らずに世間は求めている。

反対に林さんは、失礼だが 絶世の美女でもないし、スタイルも良くない。
その人が 「私、下着はフランス製と決めていますの」なんて言っても ちょっと似合わない。
(よくて 「へえ〜。意外だね」程度の感想を私は感じてしまう。)
 「ババシャツはフランス製のを愛用しているの」といわれた方がしっくりくるではないか。
 やっぱりねえ。。。と それが嘘でも納得してしまうというのはそういう林さんを求めているのだと思う。 考えてみると気の毒な話である。

 林さんに一度も会ったこともないのに、こんな風に思ってしまうというのはなんと恐ろしいことだろう。

■身近にも

実はこれと同じようなことが身の回りにないだろうか。

たとえば、なんとなく何回か(勇気をふりしぼって)意見を出した保護者会。
いつのまにかみんな、私に保護者会の愚痴を言いに来てる。。言ってほしいわけなのかな。。とか、

数回たまたまドジを披露してしまったら、次から「ドジの○ちゃん」と名前がついた。
実際は そんなに失敗はしない綿密な性格なのに。。とか。

 イメージを作り上げるというと ホームページ。 
まあ、これはある種の宣伝活動だからでもあるだろうが、そこで作られたイメージは現実のその人とはちょっと違う場合も多いようにも思っている。

子供 2003,3,6
今朝のニュースで、また子供を餓死させたという話が出ていた。
報道で、可愛らしい顔が映りやりきれない気持ちがした。
 保護者の責任を果たせないのであれば、そうして、虐待するのであれば、世には子供を育てたいと心から思っていらっしゃる方が沢山あると思う。そういう方の養子になれないのだろうかと思ったりした。そうでなくても、保険所などで、育児の相談は受け付けてくれていると思う。

 子供は親元で育てるのが一番などと聞くこともあるが、その親が親としての責任が果たせないのである。 「親」というのが かならずしも「生んだ親」とイコールである必要はないと思った。

他の子供は普通に育っているとのこと。なぜ、この子だけが?と不思議に思った。
3歳という年齢が 難しい年齢なのだろうか? と大王の3歳の頃を思い起こしてみたけれども、そんなに思い出すほどの苦労はなかったように思う。
 3歳ごろは 「嫌」という意思表示をし始める頃だろうか? 説得に途方にくれたことがあったかもしれないが、記憶には全く残っていない。むしろ今よりも感情が単純だったので対応しやすかったように思う。

 子供を医者に連れて行くお金がないとのことだったが、自治体にもよるが、多分医療費の補助や免除などが降りると思うのだが。

■おなら

 私は実は昨日久々にむっとして大王を叱った。
大王は 今は肌のトラブルはあまり起こさずにすんでいるが、アトピーっぽい乾燥肌である。
なので 入浴後には必ず全身に保湿するために薬を塗る。
特に、ここ数日大王は花粉症だか少し顔が赤かったりしているので、心配していた。
 お風呂から出た大王を、湯冷めさせないようにと 薬を塗り始めたら 大王は 「ママ、お尻から塗って」と 言い始めた。 
早くズボンをはきたいのだなと思って「はいはい」といいながら お尻に 塗った途端に
 ぶ〜〜〜 とおならをして ゲラゲラ 笑っている。

 たぶん、おならがしたくなって、悪ふざけをしたのであるが、私はちょっとむっとした。
(そうして、それがまた異常に臭かった。。正直な話臭くなかったらもう少しムッとしなかったかもしれない。。。(~~;)<自分勝手だ)

 もともと、大王は少し行儀が悪いところもあるのだが、男の子ということもありあまり片付けや 行儀については厳しく言ってない。
ところが、先日懇談会で、保育園での生活をビデオで見せていただいたところ、他の子は随分と行儀が良かった。「もう少し行儀についても 言わないといけないかな。。」と思っていたところに昨日の出来事である。

 「人に塗ってもらっているときに、そういうことをするのは失礼だよ」と叱ったのだが、
いまひとつ、大王には理解できていないようだ。
にやにやしながら 「ごめんなさい」と言っている。
 何が悪かったのか分かってないけれども、とりあえず 「ごめんなさい」と言っておけばゆるしてもらえるというような態度だった。これで、もっとむっとしてしまった。

 私は、「本当に悪いと思っている? おかあさんが塗っているときにそういうことをするのだったらもう塗りません」といった。<きっとこの対応については ダメだとおっしゃる方もいらっしゃるでしょうが、そのときは そこまで心の余裕がなかったのです。。つつみ隠さず書いてしまった。私は未熟な母だと思います。
 人が嫌がっていることをきちんとまじめに受け止めてほしかったのだ。

 PON1が、何が起こったのかと 尋ねたので、詳細を話すと、PON1はおかしくて笑いが止まらない様子。それを見ると私も笑いそうになるので、他の仕事をしてしまった。
PON1が笑いをこらえて 大王を諭しても 大王は「パパ、わらってる」と どこふく風。。

 私は私で、おならが臭くて怒っている自分のエゴなのか、大王にきちんとしてほしくて叱ったのかどっちなのか自分でも わからなく情けなくなってきてしまった。
 大王からすると、どうして おならをしたら失礼で私が怒ったのかが分からないのであろう。
(おならは自然現象だし。。)私としては、悪ふざけしても許されるとき、許されないときの
区別をしてほしいなあと思ったはずだったのだけど。

■原因は何?

 という感じに 手探り状態の未熟な母親なのだが、それによって、子供を虐待するということはない。私だけでなく、普通の親ならばそうであろうと思う。
 どうして虐待するのだろう、歯止めがきかないのだろう。ここは理解できない。

 私がいつも思うのは、なんにせよ、八つ当たりは物事を解決できない。
何かがあって、すごく気分が悪かったとしても それを他のことで解消していては問題の解決にはならない。ただのフラストレーションの解消だけだ。
 フラストレーションを一旦八つ当たりで解消したとしても、イライラの本当の原因は解消されていないのでまたフラストレーションがたまる。
するとまた八つ当たりで解消するという悪循環に陥ると思う。

 今回の報道によると、ご飯を食べないから食べさせなかったとのこと、一日くらいならば食欲不振はあるだろうが、あまりに続くようだと 料理を工夫してみるなり 医者に連れて行くなりの対応があると思う。何ヶ月も 食事を与えないのは 私からすると八つ当たりだと思う。

 八つ当たりは、物に対しても、人に対しても、することによって一時的に自分のイライラが治まるような「気がする」だけだ。

 今回の事件はまだまだ原因は明らかになっていないが、子供に八つ当たりするまえにその原因は何か?どうすれば、その原因を解決もしくは減少させることができるか ということにエネルギーを振り向けるべきであると思う。

 大王は、今朝は叱られた記憶があるのだろう。少し神妙だった。
今日帰って落ち着いた頃に、なぜ、私が 叱ったのか。失礼とはどういうことか。理解できるかどうかわからないが、自分なりに彼にわかるように落ち着いて説明してみようと思う。

怪しい 2003,3,5
■大王
 今年はラクラクだなんて言っていたのだが、とうとう 花粉症の症状があらわれてきたようである。
そうして、昨日は大王も。
ここのところくしゃみを連発したり鼻水が出たりしているようだったので、「もしや。。」と思っていたところ、昨日帰宅した大王は目の周りが赤い。はれぼったいのである。

 これは多分花粉症だと思うのだが、子供の頃からこんなにひどくて大丈夫かな?と心配。
最近は子供でも花粉症は多いと聞くが、こんなに小さな頃から 薬を服用させて大丈夫なのだろうかとか、マスク等は(まだつけさせたことがないが)嫌がるだろうか。。とか悩んでしまう。
 
 あまりに症状がひどいようだったら、一度医者を受診させた方がよいかもしれない。

■私

普通の花粉症とはどういう症状がポピュラーなのだろうか。
私の場合、鼻水はほとんど出ず、くしゃみもたまに、目もちょっと痒いけれど、涙目になることはあまりない。
 後は、鼻の付け根から前頭部がぼわ〜んと重い感じがするのが 共通する症状なのだが、私の場合顕著なのはまず皮膚の痒みなのだ。
 この時期からだのあちこちが痒くなってしまう。そうして、顔などがかぶれてくる。
また、頭皮もかゆくなるのである。

 それから咳。ひどくなってくると 咳がとまらなくなり、しゃべったり、空気の温度や匂いが変わったらそれが刺激となって咳がでるのである。

 マスクをすると花粉を防げるのだが、今度はマスクの繊維でかぶれた顔が刺激されてかぶれが悪化してしまうという悪循環なのである。

 やはりもう少ししたら、アレルギーを得意とする医者に行って見たほうが良いような気がする。

 とにかく今の会社は 花粉が多く飛ぶところなので、今日は完全防備で出かけた。
マスク・サングラス・帽子である。 (ゴーグルも持っているのだが サングラスの方が恥ずかしくない)

 ここまですると人相が分からないので、まるで着ぐるみのなかにいるかのようで、ジロジロ見られても平気の平左だ。いつもより大胆に振舞えたりする<アブナイ心理だ。

 ただ、この扮装、とても面倒なので、ふと思いついた。
消防の人がかぶるような 頭全体を覆うような 頭巾で、目、もしくは顔のあたりが 透明になっているものが売り出されないだろうか。
 頭巾の素材は 不織布で十分である。 かぶるのが恥ずかしい人のために 後ろなどに 「私は花粉症です」と文字を入れても良いかもしれない。 
 もしくは 可愛らしい花柄や レース柄 やスカーフのような柄で サリー風にしてもよいかもしれない。
砂漠地方の頭や顔を覆うファッションは きっと 砂埃を防ぐ効果もあるのではないだろうか。

 この方が、顔へマスクが接触して痒くなることもなく、髪の毛に花粉がつくこともなく めがねの隙間から花粉がはいってくることもなく、マスクのゴムで耳が痛くなることもない。顔の皮膚にも花粉がつかないという優れものだと思うのだが、いかんせん それをかぶった人が行き来する町を想像するとかなりあやしい。

 しかし、帽子をかぶってサングラスかけてマスクをすることを考えたら それだけで十分怪しいので、マスクの人の10人に一人くらいは そういう人がいれば 私は そっちを使うかもしれない。 良い考えだと思うのだけどな。。

 とにかく、早く花粉の季節が去ってほしいと思うのである。

治ってないじゃん! 2003,3,4
今年は、花粉症があまりひどくないので、な〜んもしないのに治って「なんでだろ〜なんでだろ〜」と思っていたのですが、今日あたりから。。。

なおってないじゃ〜んん。

私の場合あまり鼻水にはこないのだけど、咳と頭が膨満感っていう感じですか?あとあちこち痒い。っていう状態で。。

今朝は、ティツリーオイルを鼻にぬって、元気一杯にでかけたのですが、ムズムズは治ってもかえって鼻水ダ〜 という感じだったので途中で 竹酢シートつきという マスクを買いました。

アブラムシも行動開始。

少数派? 2003,3,3
使用上の注意:
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今日の私は「ちょっと変」を通り越して 「かな〜り変」です。
「かな〜り変」な人にアレルギー体質の方や、著しく気分が悪くなった場合は速やかに読むのをやめて、ちゃんとした方の日記を読むようにしてください。
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 ふと思ったのだが、昨日は、「いくら首相が「アメリカok!支持するぅ!」と言っても、私は違うぞ〜。」と思っている人は沢山いると思っていたのだけど、意外にみんな本当の本当はどうでも良いと思っているのかも。

 もしかしたら、今回のことは遠くはなれた国だから 少々何かあってもこちらには関係ないけど、当面は北朝鮮が危ないから、そっち方面でなんて思っているのかな?

 日本としては、アメリカに守ってもらおうと思っているのだとおもうけど、それとこれとは別の問題。あちらの国は本当に利害関係がでてきたら、きっと そういう「義理」なんてすっかり忘れちゃうんじゃないかと私は思う。こんなところで恩を売っても、たぶん 彼等の行動はそういう義理人情とは関係ないところで決定されていると思う。

なんてったって アメリカは「儲けて強い人」の国、日本のように「義理や人情」関係ないドライな国だと思うんだけどな〜。
反対の立場だったら「それとこれとは別問題」って言われるよ。きっと。<だってそうだもの。

 力を持っている人が言おうとなんだろうと、間違っていることは間違ってるんだ!と思うんだけどなあ。

 北朝鮮のことと一緒くたにせずに、
「それとこれとは別の問題。こちらの考えについては国として支持できない」くらい言い放ってくれよ〜。と思うのであった。
 まったく、ジャイアンにくっついているスネオ体質が抜けないなあ。(ジャイアンはそうは言ってもそんなに悪いやつではなくて鈍感で単純なだけだと思う)

 本当の友達って主従関係じゃないよね。お互いの良いとこ悪いとこみとめあってるぞ。
 (国と国との関係は友達関係じゃないけど。。)

政治の話題と宗教の話題は 避けるべきということだし。そうかも。

■ところで

またもや、まず、お断り。
※私の趣味は普通の人の趣味とかなりかけ離れています。
 感覚が狂っていると思われます。ご注意ください。

 なので、変なヤツのたわごとと思っていただきたいのですが、
最近みかける電車の中の 「ベッカム様」の顔と 「ブッシュ」の顔 似ているような気がするのです。 小さな奥まった、でも、抜け目のない目の光っていうか。。
表情というか。。。

 あ、でもそういえば、「ベッカム様」の奥様はちょっと アニータさんに似ていると思ったこともあり。

 あああ。。石なげないで〜。ぜんぜん違いますよね。。そうです。私の目が変なんです。
変なのは私です。 
だって、好きな俳優は ○でしょ△でしょ□でしょ。一般受けしない俳優ばかりだもの。


あ。。やっぱり私は変わり者で少数派だというところで、上の話題と繋がるか。。

戦争したいのは誰? 2003,3,2
目が覚めた。
劣化ウラン弾の被害を、タイマーでついたテレビ(目覚まし代わりに使っている)で見たら眠気が一気にさめてしまった。

風船のように膨らんだおなか。髪の毛が一本もなくなった子供。寝転んだまま動かない子供子供子供子供。。(あのくらいの年齢の子供は、元気ならば動かずにはいられないはず)
 医薬品もないとのことだが、劣化ウラン弾の影響ならば もしかすると医薬品や医者が完備されていても治りにくい病気だ。
 戦争に参加した アメリカ軍の兵にも病気が広がっているそうだ。

今回は、イラクがどれだけ武器をもっているか全部公開していないからという理由だが、じゃあアメリカは 正確にすべて公表しているのだろうか。
それがすべてかどうかというのは どうやって証明しているのだろうか。

 強い豊かな国が自分の武器を捨てなくてどうして 相手の国には武器を捨てることを要求するのか。

一番になりたいだけじゃないのか。 

アメリカでも戦争したいと思っているのは誰なのか。
きっと 世界全体の人たちに意見を聞いたら ほとんどの人が反対していると思う

劣化ウラン弾、湾岸戦争関連
http://www.chugoku-np.co.jp/abom/uran/
http://www.chugoku-np.co.jp/abom/uran/iraq_kids/index.html
http://www.morizumi-pj.com/iraq/iraq.html
http://www.jca.apc.org/mihama/pamphlet/pamph_d_uran.htm

さきほど、ここまで書いたのだが、ふと思いついた。
ホームページを持っている人が みんなページ上で反対の意思表示をしたら。。
http://pon.sub.jp/nowar.html
 こんなページをつくりました。
難しい決まりはなく、意思表示をインターネットの自分のページでしようというだけです。
 同じ思いをもたれる方がいらしたら、インターネットで意思表示しませんか?

We oppose any military action by any country.
  


筋肉痛 2003,3,1
雨だったので、家の中で遊んだ。

大王は退屈気味。元気をもてあましているので、疲れさせようと策略。
先日懇談会の時に見た一番ハードそうな遊びをやることにした。

真ん中のカエルを囲んで周りの人は池になる。 かごめかごめのような感じ。

「茶色の目玉に灸すえて、それでも飛べるかとんでみろ、おっぺけぺっぽ、ぺっぽっぽ」

と改めて教えてもらうと、強烈に残酷な歌詞だがこれをはやしながら、中のカエルは蛙飛びをずっと続けるのだ。

タッチされるとカエルを交代する。

ひとしきり遊んだのだが、私はすでに筋肉痛だ。 足が痛い。