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王様の耳はロバの耳(過去ログ)

普通は言わないけど、みんなどう思う?言いたいけど言う機会が無いみたいなことをおもいついたときに書こうと思ってます。

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嫌う・嫌われる 2003,10,31
元気です。とても。元気なんですが、ちょっとバタバタしてます。
それにしても。先日のcgiboyさんの障害。あの数日くらい前に数人新しい常連さんか?と小踊りしていたのに、障害後はぱったり。 癖のあるなが〜い日記だけに 検索で来ていただいても なかなかその後も 常連で見に来てくださる方というのは多くないので。
「お〜お〜い。日記がなくなったわけじゃないんですよ〜。」

 会社。事務処理を忘れていてバタバタです。おまけに告白しちゃったら力が抜けてすっかりフヌケに。
pon1曰く「う〜ん。会社やめたら (家事は 全体の)7,8割(がはけるように)になるかなと おもったけれど、本当にロバミミ通りに 5割かもしれない」<苦笑しながらマジに
pon2 「うん。そうだとおもう」<ケロッと

とにかく、ダメダコリャ(<by いかりや長介 ふる〜い。)です。

とりあえず以下は少し前にかいていたものです。脳みそウニなのでお茶を濁してみる。

========== 

ちょっと思い出した。

私は脳天気な人間で、「自分に悪意がない」ことは明白なとき、その私の行動で相手は傷つくという人がいるということに長い間気付いていなかった。
 大人になって「自分に悪意が無くても相手は傷つくことがある」という当然のことを知ったようだ。まったく随分遅い気付きである。
 
以前書いたような記憶もあるが、

■小学校の頃

席が隣だった子と席変えで離れてしまったことで疎遠になり、近くの席の子と遊ぶようになった。その子が嫌いになったわけではなく、単に席が遠くなったから遊ばなくなっただけだったのだが、数年たって、クラスも変り、丁度家を建て替えるときに、たまたまその子のお父さんの会社に注文することになり、(うわ〜。ローカル)お父さんからうちの母に 娘がその頃しょぼんと元気がなかったと打ち明けられたそうだ。
 私はそれを聞いてビックリ。その子に対する気持ちは前と変らず、普通に友達だと思っていたから。

■高校時代

小学校から仲が良かった友人を、自立したくて当人に説明なく避けて傷つけたようだと気付いたのは 私が結婚した頃だったように思う。家が転勤で遠く離れてしまった彼女とはずっと連絡を取り合って、就職前にも一度遊びに行った覚えがある。まさか彼女が傷ついていたとは思いもよらなかった。
その時も、彼女から何かあったわけではなく、自分の気持ちも変ってなかったので 相手が不安に思うなどとは 小指の爪の先ほども思い当たらなかった。

鈍いのも鈍いが、鈍いだけでは済まされないような人の気持ちがわからないヤツである。

■会社で

 会社に入ってから、グループ編成が変った。いや、グループリーダーから「自分のグループに来ないか」と誘いがあり、そちらの仕事のほうが面白そうだったので二つ返事でそちらに移ったのだった。 
 新しいグループでの仕事は 私にはとても向いていたのでその選択は間違っていないと思うのだが、仕事はかなりシビアだった。 徹夜も強制されたし、一人で責任を持たなければならない仕事はあまりにも重大な責任でそれだけでストレスになった。でも、責任ある仕事はやりがいに繋がった。なにより、そういう仕事を受け持つことが一人前だと思っていた。

 そのグループで何年か仕事をして、グループリーダーも管理職となった頃、飲み会でぽそっと言われた「pon2は僕の姉によく似ているんだ。姉は随分よくできた姉だ。だからpon2のやることすべてが至らなく見えるようだ。妻にpon2さんに辛く当たっているんじゃないかと言われてはっと気がついた」
 
 その頃は、後輩がやいのやいの突き上げている頃だった。課長がある人(<私ではないんですよ。女性です)を贔屓しているとかいろいろ。たしかに、後輩に言われてみると課長が大切に扱っているような人もいたし、そこまで言わなくてもというくらいけちょんけちょんに言われる人もいた。 私としては、仕事は大変だと思っていたけれども、反面やりがいも感じていたことだし、贔屓されている身でもけちょんけちょんの身でもなかったので 突然の告白?に ハトが豆鉄砲。

 課長のお姉さんに似ているからといって他人の空似、もしそれで私に辛く当たっているのであればそりゃないんじゃないかい?とは思ったが、それ以降も別に扱いが変ることは無かった。
でも、嫌われているとは思ったこともなかった。たぶんこの勘はただしかったのだろう。
今は別の会社にいる元上司だが、彼が私を「こやつは一筋縄ではいかない」と思っているのは雰囲気で分かるが、(⌒ー⌒) ニヤリ 嫌われてはいないようには思う。
 一筋縄ではいかなくなったのは課長のおかげでございまする。

■保育園

 保育園に入った頃から、挨拶をしても固い表情で無視されているように感じる人が数人いた。それでも毎回会ったときにはこちらから挨拶をしていたのだが、それも4〜5年もたつと毎回無視されるのも嫌になり「彼女は私を嫌いなのかな。」と思ったが思い当たることが無い。挨拶にも身がはいらなくなる。

 「私の何かが彼女は嫌いなんだな」と思うしかなかった。今年になってたまたま保育園のお母さん同士で飲み会が数回開催されることになった。そのときに何かの話のついでに 別のお母さんから「○さんはずっと私のことを 挨拶しても無視しているんだとおもっていたら、今回誘ったら挨拶が返るようになったのよ」と言うのでビックリ。「私が」嫌われているんじゃなかったんだ。いや、どうやらだれも「嫌われていた」のではなさそうだ。

どうしてかというのは聞いてないが、 目が悪いとか、一生懸命になると人の言うことが聞こえないとか、シャイで挨拶できないとかいろいろと理由があったのだろう。
 自分の身を振り返ってみても 思い当たることもある。大王に気をとられて挨拶を忘れていたり。

 また、私自身 優等生になりたがるところが多分にあるので、そういうところがはなについていたこともあるのかもしれない。嫌なやつだとおもっていたけど、普通の人だったと印象が変ったということかもしれない。

人と人の距離は 考えすぎても、考えなさ過ぎても上手くいかないときがあるようだ。
でも、気付いた時に 第三者の言葉に惑わされず、きちんと向き合って 自分の目で見ようとしていると その相手との関係はちゃんとしかるべきところに落ちつくものなのかもしれないなと思ったり。(仲良くなることもあるし、合わないということもわかることもありそうだし)

たとえば、pon1と私の関係は 当事者であるpon1と私が一番よくわかっているものであり第三者はどんなに状況説明をうけても当事者以上に知ることができないんだもの。

予想もつかない 2003,10,30
今朝の通勤電車。席が空いて座れたので「ラッキー」と文庫本を取り出し読み始めた。少し大柄で太った男性が私の前に立って携帯電話をずっと押している。
 私はあまり気にしていなかった。 突然 シュンという音とともに 私のスカートの上にポタッと落ちる感触。見ると よだれか鼻水か。反射的に上をみると相手もどうしてよいか分からないような 困惑した顔をして「スミマセン」と。私はとりあえずティッシュを出してスカートを拭いたのだが。こういうこともあるんだなあ。

 それで思い出した。
昨日の帰りもそうだった。
駅始発に乗り込んだ私はドアの横の端の席に座っていた。隣にはその後若い女性が座った。発車前にそこそこ混みはじめて、ドアの前にも中年の女性が立っていたし斜め前に2人の女性が立った。

 電車が発車してしばらくしたら。涙が出そうな強烈な臭いに襲われた。臭い。思わず無意識に文庫本であおいでしまって、その後口と鼻に手を当てるが 臭いは治まらない。隣の女性もきょろきょろと落ち着かない様子。 前に立っていた長身の女性はどこか別の場所に行ってしまった。
 誰なんだ。 臭すぎる。。。。隣の女性と目が合った。「臭いですよねえ」と眉根をひそめ話し掛ける女性。「ええ。本当に。。。」と返事をして、見ず知らず同士が会話をするほど臭かった。
電車の中で隣に乗り込んできた人と会話を交わすなんて予想もつかないできごとだった。
犯人はだれだったんだろう。

(a:いなくなった長身の女性 b:ドア横のおばさん c:冷静を装っていた前に立った女性 d:実は声をかけてきた女性 e: こんなことを書いておきながらpon2)
 ※ e:では絶対ありません。。ほんとですぅ。

■予想もつかない

少し前に受け取ったニュースにあったのだが、携帯電話にメガピクセル級のカメラがつくようになってから、契約−即解約というのが多くなり、携帯各社を悩ませているとか。
 解約する人は 携帯が欲しいのではなく、デジカメが欲しいらしい。 新規の場合、携帯本体は異常に安く手に入る。

 このニュースを聞いたときに、「そういうことができたのか。。。」と予想もつかない利用に驚いた。実際、契約−即解約という手順は法にも規約にも触れていないため 合法的にデジカメを安価に手に入れることができるということなのだ。(とはいえ、実際は 携帯各社はその後の契約を見込んで本体を格安で売っているわけだから赤字で困るはず。こういうことが横行しはじめると、たとえば解約時には 携帯は回収必須などの制限もつくことになるんじゃないかと思ったり。)

 物を作る仕事(ソフトウエアも実体がなくてもやっぱりモノだと思うのです)をしていて思うのは、こちらが予想もつかない利用を相手がすることもあるということ。

話は少しそれますが、実際、それで訴訟に発展することもあるのが有名な PL法(製造物責任法)かな。
http://www.consumer.go.jp/kankeihourei/seizoubutsu/pl-j.html
(たとえばクリップ。「紙・書類を挟む以外の目的で使用しないでください」「小さいお子様のご使用には十分注意をしてください」これなども製造物責任関連の記載だと思います。)

■プラスのパワーとマイナスのパワー

たとえば、htmlメールについても、ウイルスなどの危険性が高いので私はそのまま開かないようにしているが、本当のところはとても便利なはず。手紙を出すときのように、便箋の柄に気を使い、字体(フォント)に気を使って大切な人にメールを出したいとか、写真入りのメールを出したいという気持ちはよくわかる。pon1はマック使いなのでほとんどウイルス被害もない。そのためガンガンくるhtmlメールもラクラク開いているし、本当はとても便利な機能のはず。

でも、世の中には、技術をプラスの方向に利用したいと思う人ばかりではなく、人を困らせて楽しむ人がいることもたしか。

そうして、技術をプラスの方向に利用したいと思う人が考えつかないこと、予想もつかないことをマイナス方向に思考が回る人は 考えてしまうのだなあ。

 それが、ウイルス。マイクロソフト。なんで、あんなにセキュリティホールがあるのよ!と思うけれど、きっと中で開発している人がプラスの方向に考える人ばかりなのだろう。
(それで良いとは思えないけれど、物事をプラスの方向に考える人にハッカーの思考を予測しろといっても予測できないものなのかもしれませんね。)

マイクロソフトの世界を一手に手中にしたいといわんばかりのえげつない戦略は好きにはなれないし、ソフトの品質について文句もあるけれど、ウイルスに関しては、ある意味作っている人はマイナスに気が回らない人という点で同類かもしれないと 多少同情したりもしているのでした。

告白 2003,10,29
 昨日から振っていた雨があがっていた。今日は大王は芋掘り。楽しんでるかな。畑は雨の影響大丈夫かな。
外の空気は 霧の中の山の朝のように、湿気を沢山含んだ空気だった。こういう湿気はなんだか気持ちがよいもので 深呼吸してみた。
 出勤途中、もう布団を干しているお宅をみた。布団。こんな日は干さない方が良い。
何か理由があったのかもしれないが、湿気を吸うので干すとしても地面が乾いてから夕方になる前までなんだけどな。。なんておもいながら出勤した。

■告白

 ところで、告白しました。

事前に「引き止められたらどうしよう」とか「いや、ひきとめられなかったらどうしよう」とか冗談交じりに言っていたのですが、この話は 「会社が嫌だから」という理由ではなく、きちんとした家庭の事情があるわけなので、そうそう引き止められるわけはないという「引き止められても、ひきとめられなくてもok」な状態だったので 気分は楽。

 今期の成績を話して、その後 「子供さんのことはどうなんだっけ?」と話が向いたことをチャーンスとばかりに 「あの〜〜。それで申し上げにくいことなんですが。。」と切り出すと 先方もなんとなく察し気味な表情。ただ、実はこれは数年前から考えていたことだと状況を話すと納得してくださったようでした。
 最初は「そういう事情じゃあしょうがないなあ。残ったグループの人は大丈夫か?」など言われ「遅くても3月までってことだね」といわれたので、「いえ。すでに家でやらなければいけないことを沢山切り捨ててきているんです。4月までに準備しなければいけないことが沢山あるんです。最初は新年新しい年を新たな気持ちでと思っていたのですが、遅くても1月中には。。」ということで 多少引き止めていただいたし、
 「もったいないなあ。もったいないなあ。」と何度も言っていただけたし。(やっぱり アンタなんか役に立たない。すぐにでもドウゾと言われるよりも、そういってもらえるとうれしいですよね)
 
 仕事の話をしているとどんどんやる気が沸いてきて、前向きの興味を覚えるのですが、これはもう私の中では片付いた事。今は大王の人生の中でも私が一番必要とされる時期ではないかと思うのです。
その時期を単に「私が仕事が好きだから」という 「私の自己実現」のために別のものを追い求めることはないぞ。 大王の日々の成長を「私の自己実現」とするぞ。ということなのです。親はなくても子は育つ。たぶん私の手助けなどなくても結果的には同じ事かもしれませんが 大王が私に家にいて欲しいと思うとき、いることが大切なのではないかと思うのでした。 

■みんな頑張っている

色々話をしていて、皆さんいろいろな環境で仕事をしていらっしゃるのだと改めて知りました。保育園には、いろいろな子供さんがいて、いろいろな家庭状況の方がいらっしゃいます。 子供が幼稚園に通ったのでは知らなかったろうとおもうようないろいろなことを学びました。

 子供さんが大変な病気の人もいらっしゃいます。シングルの方もいらっしゃいます。 そうして アメリカの映画にでてくるような ぱりっとした キャリアウーマン<あれ?これも死語かな? の方も本当に多いです。そんな風に広い世間を知ることが出来たのは保育園に入れて本当に良かった。

プライバシーに関わるので 詳しくは書きませんが、
 今日は会社の身近にも 子供さんが難病の人が本当に多い事を知り、そちらもビックリ。会社の人たちは仕事のことしか考えてないのかと思っていたのですが、皆家庭も大切にしていらっしゃることも知りました。

 前向きのパワーをもらい、私の思う道をすすまねば! と勇気が出たのでした。

いけてない 2003,10,28
日記に入れないじゃないか〜いDNS障害とか。最近cgiboyさんこういうの多いような気がする。ちょっといけてないよぉ〜。(只なんだから文句言える筋合いではないのだが)

■冬のシャツ

昨年の冬に購入した「薄着でも暖かい。」というポロシャツ?を着用しているのだが、どうもいけてない。
 暑いときには汗だくになるほど暑くなるし、寒いときにはぞくぞくするほど寒いのだ。素材をみると キュプラとナイロン(ブーメロン)と書いてある。ぴったりと密着することで暖かい効果を見込んでいるらしい。着方が悪いのかもしれない。セーターの中に着たりすると着膨れせずに良いのかも。 とにかく今のままではいけてない。
 巷には水分が繊維内に吸湿される時に生じる熱(吸着熱)によって、 保温効果をもたらすとかいう繊維があるらしいがこれもどうなんだろう。
 汗をかいたときは ドンドン暑く、寒くて汗も出ないときは効果がなかったら。。などと想像しているが、使って見られた方いらしたら、使用感など教えてくださいね。

■DVD

先週二日酔いまっただなかの時に、近所の電気店まで行った。DVDは軒並み値崩れといっても良いほどの値下がり。2000円台・1000円台が山のように陳列されていて映画好きの私には垂涎ものだ。最初はマトリックス・リローデッドを買おうと思っていたのだが いろいろ回るうちに 値引率が高いものに目が移ってきた。日頃商品選択基準は「自分でも何度も見たいと思う映画」もしくは「評判の高かった映画でみのがしたもの」というものだったのだが、その日の思考は今の私には理解できない。帰宅してみるとなんだかわけのわからない選択をしてしまっていて ことごとく「ハズレ」とか「買わなくても良いもの」を購入し、買おうとおもっていたものは 買わないまま。
 判断力・思考力の鈍った時に買い物に行くべきでないということをおもいしらされた。
いけてない買い物の一番は「クン パオ」(すべての登場人物の吹き替えを西村雅彦一人でやっているというのは別の意味で興味があるかもしれないけど)。一通りみたらブックオフに持っていってリサイクルしよう。映画の内容は今度書きます。

■テレビチャンピオン

先週の家のリフォーム選手権。一人暮らしの人の部屋リフォームはなかなかgoodだったが、優勝した人の家のリフォームは? 一級建築士であって、デザイン的に新しくても 家というのは生活する場。見た目だけではダメダメ!である。

 チャンピオンになった人のデザインは、アメリカ製の大型ガスコンロをアイランド型キッチンにおさめたまではよかろう。そのガスコンロの隣にピアノを置いたのであった。キッチンで料理する時の 熱や水分や油というものはすごいものであり、油も気化して思いも寄らないところまで入り込む。ピアノは楽器であると同時に機械なのだ。楽器を置く場所の常識として 温度・湿度変化にきをつけ 隣で揚げ物をする環境などもってのほかのはず。 (私はピアノは習っていないし、持っていないけど)

 彼は室内で使うために下水の上に置いてあるような網を注文し、あまりの重量にそれが利用できないというエピソードも番組中にあった。

 建築士に求められるもの。デザイン性・経済性もあるけれど、基本的なツボを押さえていないのはコワイ。 あのデザインはいけてないと思う。なぜチャンピオンになったのか。
一級建築士という肩書きも重要だが(pon1の友人にも一級建築士がいるぞぉ)机上だけでなく地に足のついた提案でないと。家はそうそう作り変えたり買い換えたりできないものなのでこういう意味で先進的なデザインをする人がワンマンで作ると怖いなあと思った。

■家具

そう、家といえば。
妹の家は少し郊外で敷地面積もゆったりとれていた。やはり地面がある。ゆったりしている。というのは 植物好きの人間にしてみるとうらやましい。

私も今の家を決めるときに、いろいろな条件を検討した。あのとき決めた便利な路線から徒歩10分程度までで都心からの便も良いこと。敷地は狭すぎないこと。などという条件をはずせたらなあと思った。それ以前に予算という問題があるので、あのときどちらを優先するか割り切って 自分の中ではバランスの良い場所に決めていたはずなのに。

 さて、妹の家の家具。妹はデザインが美しくて価格は抑え目の店をみつけてそこで揃えて家具を購入したとのこと。広い室内にシンプルでデザインの美しい家具はとてもマッチしていて さすが妹だな。と思った。

 ところが、これにもトラブルがあったとのこと。脱衣所で使うチェストの引き出しはレール式で出し入れがスムーズということで購入したとのこと。ところが、利用してすぐにがたついてネジが緩むので締めなおししてみるとネジがバカになっていたそうだ。おまけに そのレールの下にあったのは、いくつもの取り付けを失敗した穴。妹は当然店に電話をいれたらしい。 ところが、相手からはけんもほろろに応対され交換に応じてもらえなかったとのこと。 手広くチラシやその他で最近見かけるようになった店である。
先日も ル・コルビジェ(<私が唯一そのチラシの中で名前と概要を知っていたデザイナー※)のデザインの家具などといって新聞チラシが入っていた。
価格的に抑え目といっても家具なので、それなりの価格はしている。

 私はやはり 雑誌などで「いいなあ」と思うような家に自分が住みたいという気持ちはある。丁度我が家のソファを買い替えたいという話がでていたので、pon1に「あそこの家具いいよね」と言うと、pon1はあまり好きでないらしい。
 彼は使い心地重視の人なのだ。 どうやら話をきいてみると ソファのすわり心地が今ひとつだったということと、大きさや重さの面が今ひとつと思うことのようだ。
言われてみるとそうだ。我が家のソファは皮がそろそろいたんできているが、座りごこちは良いようだ。

pon1は無駄な装飾は好きでないし、実用的でないものは好まない。反面、デザイン面というと あまり頓着しないタイプだ。

家も家具も 見た目と使い心地双方が良いのがもちろん良いのだが、それに払う対価というものがある。ない袖は振れないので、普通の人はそれぞれ お金と自分の理想を天秤にかけて これは譲れる。これは譲れないと 選択しているようにも思う。
 デザイン面・価格面でこの店の商品は心引かれるものが多いのだが、妹の話を聞いたりpon1の話を聞いてみるとやはり実用面では この店はいけてないと思うのであった。

■話は少しそれますが

※ ル・コルビジェは 建築家ですが、家具も沢山作っているそうです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%AB%E3%83%93%E3%82%B8%E3%82%A7
 先進的なデザインでありながら 手足の長さなどのデータを元にした 機能的なデザインの家具を作ったことでも有名だということ。<大王の絵本にあった話の受け売りです
 このurlは上で書いた家具屋さんではありません。(あまり良くない話なので、妹の購入した店はここには記載しません。また、妹が購入した家具デザインもこれとは全く違うデザインです。)が、コルビジェの家具はこんな風なデザインです。
http://www.art-chair.com/corbusier/ 

 私はコルビジェの家具は 無機質すぎてというか機能的過ぎてというかイマヒトツ好きではないですが、コンクリートのモダンな家には良く似合いそうですね。

半年後をついていく 2003,10,27
金曜日の人間ドック・土曜日のイベントの後多分疲れるだろうということで、仕事のメドもたったことだし 今日は休み!<またかいっつ。といわれそうですが。そうなんです。またなんです。
 
 あと20日以上ある年次を消化せねば。(しかし、まだ上司に辞めると言ってないうちにこんな風)

□ニガリの次は緑茶

今朝見たテレビ。緑茶をストッキングのつま先に入れて鼻をうりうりと5分軽くこすると あら不思議 角栓(毛穴に詰まった脂肪や老廃物の塊)が取れると。カテキンが角栓を柔らかくしてストッキングがそれをスポッとからめとるらしい。
 ふ〜む。石鹸がダメになった私の顔。気になるというと角栓。
テレビで拡大して写っている毛穴は、クレーターのような形に脂肪がつまっていて、黒い毛がはえてたりして「うへぇ。私の鼻もこんななのかしら。。」と驚く。

 虫眼鏡を持ち出して鏡の前で鼻をみたけれど この程度の拡大率ではよくわからない。とにかくやってみることにした。 −>肉眼での効果は不明。気のせいか多少さらっとした良い手触りかも?。

そのほかお茶には紫外線防止作用とか殺菌作用とかあるようで、なんだかよさそう。
角栓への効果はわからなかったけど、ときどき顔につけてみようかなあ。。などと思ったりした。 角栓とりも数年つづけてみて、きめ細かになっていたら効いたってことかな。

 ところで、気が付いたのだが、ニガリもこの番組で見たのだった。
この番組12チャンネルでの再放送。夏ごろのものを今やっているようなのだ。私は世間の半年後をついていっているようだ。

□お茶の効果

 胃がんにならない(ピロリ菌を殺したり 癌細胞の転移を妨げるらしい)
 紫外線防止効果(びっくり)
 防臭効果(殺菌作用)
  
 などなど。化粧水代わりにもよいかもしれない。


□さて

午前中は 結局先日からやりかけていて気になったことをやってしまったので、これから少しゆっくりして、銀行と郵便局に行って今日のお休みはおしまいかな。

 休みといっても一日じゃゼンゼン足りないぞ。こんなことでは仕事をやめても結局こんな風なのかなあ。

 「はやく、3食昼寝付きになりたいっつ。」と昨日つぶやいたら、pon1は 「ごめん。
昼寝はつくかもしれないけど、3食は自分でつくらなければいけない。」だって。
 そうだった。pon1は料理はできない(しない?)のだった。

でも、会社員の私が思っているほど、家での効率はよくなさそう。会社70%家30%という感じが嫌だったので今回の決断をしたのだが、会社を辞めても 計算上とは違い、比率的には 全体で50%(現在の20%up)いければ良い方という感じになりそうな 嫌〜な予感がする今日このごろ。

ずっと走り続けて疲れちゃった身だからたまにはだら〜としても良いんじゃあ。。と思う気持ちと それじゃなんにもならないじゃん。と思う気持ちと両方なのでした。

(まったく とらぬ狸だ)

そうだ。体重減ってました。昨年より2.4キロ。ニガリのおかげかどうかは不明。
ニガリ開始直前の体重や写真データをとってなかったため。 とりあえず、昨年よりは2.4キロ減。うしゃしゃしゃしゃ。<TRICK風 嬉しいぞ〜。(実は残り5キロくらいは減らさないと元に戻ってない。しくしく)。
 
□TRICK

録画しておいたのを先日みました。 テレビ版、解決編だったので、ちょっといまひとつ。おまけにトリックというより お笑い系でした。映画の方が見ごたえあります。

 まあ、こういう軽いノリのお笑いも好きですので、次も見ます。

しかし、ガッツイシマッチュウ って。。<顔がガッツ石松の顔の虫。 こわっつ。

ぐるぐる 2003,10,24
今日は人間ドック。目が覚めると「あ、そうだ。今日はご飯も水も食べたり飲んだりできないんだ。」でがっくり。我が家では pon1と私がパン。大王が和食の朝食が普通なのだが、今日に限って早めに起きてきた大王が 「にくまんたべたい」とのこと。
 昨日買って来た肉まんをおもいだしたらしい。  おいしそうな肉まんの香りにつつまれながら、pon1はおなかがすいて、おなかグルグル。

 いつもより早めに電車にのって、ぼーっと乗り換えの立川へ。あれ?そういえばこの電車走れば一本前の電車に間に合う時間だっけ。と突然ダッシュ。。しかし、のりおくれてしまい、空腹とあいまって 頭グルグル。

 バリウムのんで ぐるぐるまわって はい終わり。

本当にグルグルな午前中でした。

お昼は食べた方が良いといわれたのだけど、売店にはすでにパンもご飯系もほとんどなく、なによりバリウムでお腹一杯でこれ以上食べられない。。。。苦しいです。

■今年の流行は

今年の流行は 居座りでしょうか。自分も年をとってきて思うのは「俺がいなけりゃ」と思うのは大きな間違い。「オレがいなくても十分事ははこびます」

若手にまかせてみることにより、若手が育つのではないか。
 心配だったら要所要所で サポートすれば良い。
はっきり言うと、 世の中「俺がいなけりゃダメ」な人はひとりもいません。なんでもどうになる。
 「オレがやりかけたこと」は 出来なくなることはあっても、それがないと絶対に困ることなんてそうそうあるものではない。

 ある程度年をとってきたら「自分が」やるのではなく「次を育てる」ことが重要ではないかなあ。

■業火(POINT OF ORIGIN )

てなわけで、今日は例のゴトク感想でお茶を濁します。

パトリシア コーンウエル 検屍官ケイシリーズの9冊目。 

不気味な手紙がケイに届く。その手紙は犯罪を犯して施設に収容されているためケイに手紙を出すことができないはずのキャリーからだ。

 手紙が気になりながらもメディアの大物の農場が焼けたことで、招集がかかりケイは現場に向かう

====
なんとなく、羊たちの沈黙を思い出すストーリー。

ケイシリーズの魅力のひとつは シリーズを追うにしたがって登場人物を自分の知り合いのように親しみを感じながら読めるところにあるのかも。

 それは、それぞれの登場人物の描写が細部にわたって丁寧に描写されているからかもしれない。

複雑な思いを感じながらも、この本面白い本だと思う。



呪い 2003,10,23
モラルハザード真っ只中のpon2に怖いものはない。だって毎日遅刻もして良いってお墨付きをもらっているわけで、もう今の遅刻は冬の棒茄子にもひびかないわけで、仕事もどうにか終えられる目処もたってきたわけで、来週には「12月に辞めますっつ」というわけで。
 そうして、今日も朝から洗濯物ほしたり、大王と戯れたり、花に牛乳パックをゆすいだ水や缶チューハイの空き缶をゆすいだ水をやったり、大王の保育園の準備をしたりしている間にはっと気がつくと、ありゃ。2分くらい家を出るのが遅れた。

 そうなると会社につくのは 20分くらい後になる。死ぬ気で走れば間に合う。でも「モラルハザード中」なので、そんなことはしない。20分遅れることにして 続きで大王と話したり、結局 次の電車に乗るのに走る必要のある時間になってしまった。 なにしてるんやら。。

■電車の中で
ふと見た電車の中吊り。首都圏限定販売らしいのですが、リクルートから 化粧品サンプル詰め合わせマガジンみたいなのがでたらしいです。(昨日発売)
コンナカンジ(PDF) http://www.recruit.co.jp/corporate/news/2003pdf/031016_ViVACO.pdf  さすがリクルート。この企画は最初は当たりそうな予感も。。。

■会社についたら

会社についたら ビルのてっぺんから(田舎で単線なんですけど唐突に茶畑の中にビルなんです)ロープにぶら下がった人がゆ〜らゆら。窓拭きをしている。懸垂下降でhttp://www.asahi-net.or.jp/~yk3h-ikd/houraikyo/kensuikakou.htm (<参考)しゅる〜と気持ちよさそうである。
昔そういうのをちょっとだけやったことがあるので、降りる最初が難しいんだよね。とかいろいろ思い出した。うちの会社のビル。何階建てだっけ?とネット検索したところ、アクセス禁止マーク。

(会社で見るのに不適当と判断されているページはアクセス禁止が表示されるんですどうやってアクセス禁止をみつけているのか不思議。どうして私が見ようと思ったページがアクセス禁止なのか謎。ここの名前をいれて一番先に表示されたリンクだったわけですが。。。)

 とにかくビックリ!あわてて画面を消しました。何が書いてあるページだったのだろう。

根本的には仕事好きの私。モラルハザードと自分で言うわりには、ちゃんと仕事してます。はい。それで今日は細切れの話で失礼します。<言い訳になってない?。

■中曽根氏

辞めないみたいですね〜。もう84ですって。

http://www.nikkei.co.jp/news/main/20031023AT1E2300923102003.html
首相は衆院比例代表候補に導入した73歳定年制について首相経験者にも適用したい意向を伝え、自発的な引退を促した。宮沢氏は引退を受け入れる考えを表明したが、中曽根氏は拒否する考えを示した。
 首相は両氏との会談で「お二人は議員の肩書がなくても国内外で発言が注目され、影響を与える。今後もそういう形でご活動願いたい」と出馬辞退を要請した。しかし中曽根氏は「絶対に政治家を辞めることはできない」と語り、あくまで比例代表での処遇を求める考えを示した。
=========日経サイトより======

「お二人は議員の肩書きが無くても 云々」は 裏をかえせば、「私らはもうアンタを政治家として必要としていないよ。あんたにとっても議員の肩書きだけがすべてじゃないでしょ。」という含みがあると思うのだが。 
 皆にちやほやされた経験にしがみつきたくなるほど、私生活に楽しみがないのかしら。 
まあ、甘い汁吸っている場所を他の人に渡せなんていわれたら 「ヤダ」という方が本能に正直ってことか。宮沢さん理性派、中曽根さん本能派の区分けがくっきり出たようです。

選挙に出るということは 当選したら自分が正しかったという政治家特有の論理があるわけなんだなあ。 こういう人に最後に使えるのは 呪い?<なんちって。  

 あ、そうだ、今日はTRICKの日だ。

「悪」の認識 2003,10,22
ワレナガラ、すっごい題名。(^^;) 。どんな内容を想像されますか?``r(^^;)ポリポリ

ここのところ、ウイルスメールの雨。パッチもマメに宛て、ウイルス情報にも気を配り、htmlメールは開かないし、ウイルス検知ソフトも入れてパターンファイルの更新もマメにやっているのでまだ被害にあったことはないのだが、大量に送られてくるメールには閉口している。
 特にメーリングリストのメンバーが感染してしまうと、どうしても被害が広がるようだ。ウイルスが発生してから通告したのでは、ウイルスを受信してからウイルス通告メールを受け取ったという人もいるだろう。既に遅しか。。。ウイルス発生状況は 感染者が出る前にメーリングリストに流した方が良いのかなあ。。。と思うこともしばしば。(でもそれはそれで煩いし。。)

 ところで、ウイルスはマイクロソフトのセキュリティホール関係のものが多い。日本の場合は、海外から感染報告がありその後日本に蔓延するというパターンが多いので、パッチをきちんとあてておけばかなり安心度は増すのだが、あれほど言われているのにどうしてパッチをあてない人がいるのか理解できずにいた。

「なんで皆パッチをあてないんだろう」とつぶやいたところ pon1が「まだまだダイヤルアップで繋いでいる人たちもいるし、その人たちはダウンロードだけで大変だからじゃないか?」とのこと。
なるほど〜と思っていたところに 昨日配信されたニュースはまさに。

これでいいのか Windows Update http://arena.nikkeibp.co.jp/trend/zoom/20031016/106261/
ここでは ウインドウズ アップデートが初心者に分かりづらかったり、パッチの存在が初心者などには 知られていないことがあるとかかれている。なにより、ダウンロードに 1時間とか半日以上かかるファイルは私でもダウンロードを断念するかもしれない。

 「ブロードバンドにした方が良い(いまどきブロードバンドでないなんて)」とか 「ウイルスを作る方が悪い」というご意見もあるかもしれないが、たしかに、ウイルスを作る方が悪い。でも、それが悪いからということで片付けては結局は被害は免れない。

 もちろん、このニュースにも書いてあるように マイクロソフトも対処している様子だが、後手後手に回っている印象が強い。判明している不具合については、たとえそれによって迷惑を被っているのが少数派だったとしても きちんとその人たちにも対応できる環境を整えることが必要ではないかと思うのだ。

(それ以前になんであんなにセキュリティホールがあるんだ??)

■ニュースより
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20031021-00000219-kyodo-soci
聞くのも気が重いニュースが多い。どうして母親と交際中の男性が子供を殺すという事件がこうも多いのだろう。報道された内容は周辺環境についてはあまりかかれていないため、交際中の男と子供を天秤にかけ、男の方が優先されるのかともとれてしまう。男が好きという感情が子供を守らねばという感情よりもまさったということか。その代償が子供の命なのか。 
 中には 母親も最近問題になっているドメスティックバイオレンスの被害者であって、相手になにもいえないというケースもあるのかもしれないが。

動物でも子供でも特に小さな子供の場合 なつかない可愛くないというのは、半分以上自分側に問題があるとおもえる。 犬でも猫でも 可愛がられて愛情豊かに接されていれば 性格がよく安定した精神状態になる。反対に毎日いじめられて暮らしてきた犬や猫は 人間をみるとビクビクしたり、逃げたり、威嚇したりするようになる。

 以前いた事務所の建物は 門があり、入門チェックがあり、その後芝生のある庭がある。その後ろに建物があるのだが、その中には近所のハトたちが通路にベタベタと、まるでデコイが落ちているかのように何匹も座っていた。そこにはほとんど車も入ってこないし、通る人間も会社の人間だけなので追いまわされることもない。ハトから1メートルくらいの場所を通っても ハトは座ったままデコイのままだった。そこいらを飛んでいる野生のハトである。経験により逃げる必要がないとおもっていたのだろう。動物でも相手に気を許している様子というのは見ていても気持ちが安らぐ。

 たしかに、女性一人で子供を育てようというのは大変だと思う。皆比較的若い。子供というのはたしかに大人を束縛する。周りを見ると自由に遊んでいる人たちがいる。自分も楽しく暮らしたいと思う気持ちはわかる。でも、だからといって子供を虐待して殺してはいけない。それを見殺しにしてはいけない。

 ここから先に書くことは多少一般常識からはずれているかもしれない。
母親が自分の子供を可愛いと思えないとき、邪魔に感じるとき。 たしかに一般的にみると 悪いのは母親だ。でも、「あなたが悪いんです」ではなく、その人に対して何らかのケアの手が必要ではないかと思う。 実際一人で子供を育てるのは大変だと思う。 そういう人たちに対して、公の制度はあまりにも心もとない。 もし、親一人、子一人で子供を育てる必要が生じた時、親一人でも多少心のゆとりがもてるような状況にサポートするという対策も必要なのではないかと思った。

 私の中には、虐待した男が悪いというのと同じくらい それを黙認していた母親をとがめる気持ちがある。でも、男と母親がやったことは確かに悪い。男と母親を「あなたが悪い。信じられない」で片付けることは簡単だ。しかし、もしかすると社会的なシステムをもう少し考えることで、こういう事件を減らすことができるのではないかとも思う。

■医療ミス
一文字違いの抗がん剤を誤って投与
http://www.asahi.com/national/update/1021/031.html
これも今日の新聞から。二つの抗がん剤は タキソールとタキソテール。これを新聞でチラッと見たときに、私は二つの文字の差が瞬時には判別できなかった。 毎日書くので 誤字脱字はゴメンネ!と勝手に心で思いながら書いているこのロバミミにも たくさんの誤字脱字があるが、この薬の名前に関しては誰が医者でも間違う可能性が高いと思う。
 間違った医者はたしかに人の命を預かっているものとして注意力が足りなかった。医者が悪いというのは簡単だ。でも、間違いやすいということを見越した対策が必要なのではないか。
 この場合も厚生労働省からの製薬会社への改善指導時に、医療機関への徹底をきちんとやるべきだったのではないかと思う。(どういう風に通達されているか知らないのだが、まさか通達の紙一枚送るだけってことはないでしょうね。)

 医療ミスも最近良く見かけるニュースだ。私はあまり入院を経験したことがない。出産を含めた2度の入院はいずれも1週間程度の簡単なものだったのだが、実はその間に小さなミスをいくつか経験している。双方大学病院である。 一つは点滴に記載する名前を一文字間違えられたこと。一文字違いの人が同じ部屋に入院していたのだ。 もう一つは 酸素マスクから酸素が出ていなかったこと。マスクをされたら苦しくて、後にマスクに来ているはずの酸素が止まっていたことが分かった。苦しいはずである。ほかにもあったな。。いずれも大事には至らなかったが、人間には 医者であろうとも、看護婦であろうともミスはつきもの。 ミスした人が悪いというのは簡単だが、そのミスの裏には要因があるように思う。 「悪いのは誰」「その人がヘン」だけで済ませるのではなく、そういう悪があるのを認識し、それへの対策をまず考え実行することが大切ではないか。

.......さて、題名を見て想像した通りの内容でしたか? なんちって。ちと固かったですね。

宝石姫 2003,10,21
■ターミネーター

今朝、ベランダで大きな一匹のスズメバチを発見。スズメバチがホバリングしているあたりを見ると蜂の巣がある。pon2は大騒ぎでpon1を呼ぶ。
 オオスズメバチではないかというpon1は、写真をとろうとデジカメをとりに行き、外に出ようとするのだが、オオスズメバチはさされると怖い。pon2はおっかなびっくりカーテンの陰に隠れながら心配しながらpon1を見た。写真は欲しいけどpon1は刺されて欲しくない。刺激しないように出たpon1。だが、写真をとる前に蜂はゆっくりとホバリングしながらいなくなってしまった。

 私の親指くらいはあると思えるほど大きな蜂だった。
図鑑で調べてみると、我が家の図鑑には スズメバチの仲間はオオスズメバチしか出ていなかった。

 見つけた巣はいままでどうして気付かなかったのだろうと思うほど大きな巣で、大人の男性の手のひらくらいの大きさがあったが、アシナガ蜂の巣によく似ていた。pon1がいうにはオオスズメバチの巣にしては部屋が小さいということ。
 図鑑には地中に巣を作るとのことだったので、もしや。これはアシナガ蜂の巣が襲われていたのかもということになった。 巣の周りには蜂は一匹も見えない。
 pon1が「隣戸との境にあるので、迷惑になるから巣を取ってくる。」というのでおっかなびっくり中から見ていた。殺虫剤を噴霧しても本当に一匹も成虫はいない。pon1が「ぱきっ」と取って終了。とった巣の中はもぬけの空。みな羽化したのか。それともスズメバチにやられたのか。

 巣の周りをホバリングしていたところをみると もしかすると襲われたのかもしれないと思った。
http://www2u.biglobe.ne.jp/~vespa/vespa_m2.htm
http://www2u.biglobe.ne.jp/~vespa/vespa_d2.htm
調べてみると、どうやらヒメスズメバチの可能性が高いようだ。
大きさも大きいものは4センチくらいはあるようだ。尾端が黒かどうかは 確認していなかった。
しかし、幼虫のえさとして、アシナガバチの幼虫とさなぎの体液のみを利用するとのこと。

 アシナガバチから見るとまさにターミネータだ。朝から緊張した事件だった。

■三匹の子豚

 さて、大王くらいの年齢ではまだ、物の善悪の判断というのがステレオタイプとして認識されていることが多いのだなあと最近よく感じる。

先日、大王は保育園の行事で 三匹の子豚という人形劇を見に行った。有名な三匹の子豚のお話であるが、今回のお話は オオカミは優しいオオカミなのに誤解されているという設定だったと連絡簿に書いてあった。そこのコメントに 「どの程度子供が話しを理解できているか、話を聞いてみてくださいね。」とあったので、面白半分に大王にインタビューしてみた。

 ところが、やはり 「オオカミをやった人はとんぼ返りをしたりしてとても上手だった。」とか目でみたことはかなり詳しく説明できるのだが、「善悪」に関しては あいまいな説明しか得られなかった。オオカミはやはり悪いらしい。(悪いと怖いを混同しているかもしれない。ある意味それは子供にとっては正しいかも。)

■トムとジェリー

 ところで、ケーブルテレビでは 時々懐かしい漫画をやっている。
トムとジェリーもその中の一つ。ところが、トムとジェリー。昔見ていた印象と少し違うのである。今大人の目でみると、ジェリーはいつもずるがしこく、どちらかというと悪いことをしている。 トムは比較的マヌケなことが多くすばしこいジェリーに翻弄されて、可愛そうな目にあうことが多い。どちらかというと トムのほうがお人よしで割りを食うことが多い。

 私は子供の頃にこの漫画を見ていたのだが、あの当時てっきり トムがジェリーをいじめる悪者だと思っていたのだった。そうして大王も トムが悪いと思っているようだ。

  ふと気がつくと、最近の大王の言動にも気がつくことがある。「○○ちゃんはいけない子なんだよ。いつも××しているの」大人の目で見ていると、確かに乱暴だったり突発的に感情が先走ったりしているが、行動全体を通してみるとよく手伝っていたり 比較的良い子だったりすることも多い。 

どうも、子供の中では「沢山叱られている」=「悪い子」という式がなりたっているようである。
子供の中に善悪の観念を植え付けるのは 大人なんだなあと改めて思った。

■宝石姫

 大王は男の子なのでお姫様の出てくる御伽噺にはほとんど興味がない。私は子供時代に沢山の本とめぐり合っているのでもう一度その本と子供を通してめぐり合えないのは少し残念に感じている。

 最近よく思い出す御伽噺に 「ほうせきひめ」という御伽噺がある。一般には「仙女たち」や「仙女のおくりもの」という名前のペローの童話だそうだ。
水を欲しがった仙女に水を与えた娘。仙女は口から喋るたびに宝石がでてくるようにしてやる。
一方 悪態をついた娘には 口からヒキガエルが出てくるようにする。
 そのとき、母の解説がついていたからか 子供心に「人には親切にする」「言葉に気をつける」というような教訓的な話として捕らえていたように思う。

 今読んだら、どんな風に思うだろう。
 面と向かって悪態をつく人はまだ正直で良いようにも思う。世の中で一番怖いのは面と向かっては良い顔をして、陰で別のことを吹聴する人や、自分では決定的な悪口を言わず、相手に言わせるようにしむけて、「○○さんがこんな風に言っていたわよ。私はそこまで思っていなかったけどねえ。」なんていう人も世には多い。こちらの方が怖い。なんて オバサンは思ったりした。

■善悪

アシナガバチは ベランダの植物につく害虫をたべてくれていた。そのアシナガバチをヒメスズメバチがやってきて 皆殺しにしてしまった。そのアシナガバチを人間が駆除した。
さて、悪いのはだれでしょう。良いのはだれでしょう。

 大王ならば、悪者は ヒメスズメバチ。 良いのはアシナガバチ・人間。というだろう。
子供は上の文章からではそう思って当然だと思う。少しずつ成長とともに本当のことは何かと自分で考えられるようになればよい。

 大人はどうだろうか。自分勝手に都合の良い虫だけを生かしてそれ以外を駆除する人間が悪いのか。それとも野生動物はみな自分勝手なので 悪い人は誰もいないのか。やっぱりスズメバチが悪いのか。善悪の判断は本当は難しい。

自分の善悪の判断を一度も見直さない大人は怖い。世の善悪よりも自分の利益という自分の中の善悪を優先する人も怖い。また、人から言われた善悪の基準をそのまま受け入れる人も怖い。たとえばあの戦争も 本当に皆が何が善でなにが悪かをじっくりと考えてみると違う展開になったかもしれない。大人にとっても怖いと悪いはある意味近い領域にあるような気がした。たとえば北朝鮮は怖いのか、悪いのか。。。

あきらめない 2003,10,20
愚痴を言いながら、自分をごまかしながらやっていた仕事もどうにか金曜日で峠を越えた。
これからは多少楽しい作業になるので、進み具合もキット良いことだろう。少しだけ肩の荷が下りた。そういうほっとした気分は眠りにも影響するらしく、比較的よく眠れるようになってきた。人間気にかかることがあるとどうしても気持ちよく眠れないような気がする。
 
眠るといえば、先日私は枕を注文した。何を隠そう私は枕好きなのだ。いろいろな枕を試してみるのだがなかなか「コレ」というのがない。頭の形に凹んでいるものは首が固定されて横を向いた時に具合が悪かったり、首が痛くなったり。低反発性の枕もいまひとつ。なのについ、ネット販売で見つけてしまったのが今回買った枕。
すごく大きい。通常の枕の2〜3倍あり、ふかふか。肩から枕に乗せる。
 本当は購入を多少ためらったのだ。でも寝ている人の表情があまりにも気持ちよさそうで、「この枕が気持ちよさそうに見えるのは、このモデルさんの表情からだろうか」
と迷いながらも買わずにはいられなかった。 洗濯機で洗えるというのも気に入った。
 届いた枕には 「風とともに去りぬ」でスカーレットが寝ていた枕をイメージして作ったと。
そんな枕に寝てたっけ?今度見てみよう。

 一晩寝てみると たしかに首と頭は大変気持ちよいのだが、多少腰に負担がかかるかもしれない。
肩から持ち上がるので 腰を若干くの字に曲げることになって、曲がったところに多少力がかかり負担になるのかな?と思ってみたり。でも前の枕よりも気持ちよいような気がするのでもう少し寝てみてわかるかも。

 因みに私が買った枕のページはココ。寝ている人が妙に気持ちよさそうにみえませんか?
http://www.sdma.co.jp/shop/goods/goods.asp?goods=B6554%2DZZ%2DZZZZ&campaign=D503
 
■雑誌から

ところで、少し前になるが、カード会社から送られてくる月刊誌に スペインやパリのカフェで見かけた男性の一連の動作が美しかったという話が載っていた。「日本の一杯飲み屋のうらぶれたイメージとどうしてこれほど異なるのか。」と、「同じカフェのテーブルでは大きな犬を連れた美女が手紙を書いていたり」と素敵な情景描写もあった。

 でも、私がおもうに、「そりゃ違って当然だ」「うらぶれた一杯飲み屋と比較するのがヘンなのだ。」と思った。比較するならば、青山あたりの喫茶店。とか 岡本太郎美術館横の喫茶店などだったら充分オシャレで粋な人たちが生息している。大きな犬を連れた美女もいる。それに比べて一杯飲み屋は、会社の疲れを発散する場。美味しい酒と美味しい料理は人に幸せな気分を与えてくれる。そこには大きな犬をつれた美女は普通いない。
本当にわびしくてうらびれた一杯飲み屋には私は行ったことがない。小さな店でも活気があって、楽しくおいしく過ごせる店を選ぶ。多分店を探しているときに、わびしくてうらぶれた店の暖簾を押して中を見た途端に「ああ、別の店にしよう」と思うに違いない。
でも、それはそれで、静かに一杯飲むには落ち着いていて良いような気もする。つまり気にいってりゃいいような気がするのだった。

 土曜日にお母さんたちと言った飲み屋は、家から5分程度の場所にある飲み屋だが、料理も美味しく安い。そこにはしゃれた人たちはあまりいないが、楽しい会話と時間がある店だ。

■素敵な人たち

 ところで、青山あたりの喫茶店と仕事帰りのそこいらの飲み屋にいる人がどう違うかというと、青山あたりに出かけていく人は、「あそこはおしゃれな人が多いから」と自分なりに緊張感をもって出かけていく場合が多く、そこいらの飲み屋では日頃の自分をそのままだらっと出しているからではないかと思ったりもする。
 たとえば、自然な動作で美しく歩くために、モデルは歩き方のトレーニングをする。
「人から見た自分」を意識しているからこその行動ということだ。
それが証拠に、六本木アマンド前を妙な普段着で歩いている人を捕まえてみると、六本木に家がある人が多いとのこと。ご近所だからラフな格好で出てしまうわけだ。私の知り合いにも代官山に昔住んでいた後輩がいたが、サンダル履きでぼさぼさの髪。どうでも良い格好で出かけると言っていた。

 人に見られていると意識することで、人は洗練される場合が多い。タレントがテレビに出れば出るほど綺麗になっていくことや、特に恋する女性が美しいというのも、半分は 「相手に自分のことを高く評価して欲しい」という「人(相手)の目」を気にしているからだと思う。

 ところが、一旦 自分ではすぐには修復不能な事態になったとする。たとえば、子供を産んでからの体型が元に戻らない。最初は努力するのだけれども芳しくない。そうすると、諦めて 「いいの。私はこのままで」と居直ることになる。

■あきらめない

 身なりの面もできれば諦めずに行きたいと最近思い始めている。にがりダイエットの効果は体重を測ってないので正確にはわからないのだが、むくみはとれてきて多少お腹の贅肉が減ってきたような気がする。(でも昔のスカートをはくと相変わらずきついんですが。。。)
 なんでも「もうこれでいいんだ」と諦めちゃそこまでだ。先日ちらっと見た、all about Japan のページで トゥーム レイダーの タラコ唇が気になるアンジェリーナ ジョリーの言葉というのが出ていた。 なるほど!いいこと言うじゃん。

You can't always succeed in that ambition, but it's an attitude and approach to life which affects your everyday decisions.
(いつも自分の思い通りにはいかないわ。でも、ひとつひとつの決断や行動が自分の人生を変えるのよ。)
http://allabout.co.jp/study/english/closeup/CU20031006A/index.htm

 
別にアグレッシブに活動する必要はないけれど、ほそぼそと自分なりにでも、あきらめないこと。それが大切だと思う。

■TRICK

ところで、突然映画。昨日は二日酔いのため字を見るのもつらかった。(<反省のないヤツです)久々に子供も大丈夫そうな映画(TRICK)をテレビでやっていたので、それを見た。
 知らなかったのだが、これ、ドラマがあって、その劇場版なんですね。

日本映画ということで、あまり期待していなかったのですが、予想に反して軽くてとても楽しめました。なにより、軽さが二日酔いにピッタリだったのかも。
仲間由紀恵は売れないマジシャン。突然村の神様になって欲しいとの依頼を受けて村まで行くことになる。神であると言い、手品のひとつでもやって欲しいということだ。
 ところが。。。という話。

配役もまさにうまい人たちを随所にちりばめてあり、ギャグのかましかたも製作者が多分楽しみながら作ったのではないかというほど テンポもよく、品も顰蹙を買うほど悪過ぎない。
なにより、一つ一つの手品のねたを こちらで こうじゃないか?と予測するのが楽しい。
昨日、我が家では 飛び上がる割り箸の手品が(タネ通りかどうかわからないけど)完成した。

楽しい映画でした。ドラマもみてみようかな。<テレビ朝日のおもうつぼ?
http://www.trick-movie.com/  映画ページ
http://www.tv-asahi.co.jp/trick/  番組ページ

絵はホームページのおもちゃ箱さん。使用規約がとてもゆるやかでこんな使い方もできて嬉しいです。
http://www.cyborg.ne.jp/~yoko/index.html

のみすぎ 2003,10,19
昨日は誘っていただいて 保育園のおかあさんの飲み会に行ってきました。

楽しかった。でも飲みすぎて頭が痛いです。
しまった、一日無駄にしてしまった。セーブしたつもりだったのですが、ワインがダメだったかなあ。

コレが本当のロバノミミ 2003,10,18
pon2の会話から。
え?とおもったけど あまりに当然のようにいわれたので、反応できなかった。
だからロバの耳。

■自転車

a)明日は自転車買いに行きたいんだ。夫の自転車が盗まれたから。
私)前に出てきた自転車は?(盗まれた自転車が出てきたとを前に聞いていたから。)
a)うん。それがね、また盗まれたんだ。それで一回取り戻したんだけど。
私)とりかえしたのは駅前かなにかに乗り捨てられてたの?
a)ううん。おいてあった鍵がかかってなかった別の自転車をね、持ってきたの。それもまた持っていかれちゃって。

私 驚いて心の中で
「えええええ。それって、ドロボウっていうんじゃ。。。。」

帰ってpon1に話をしたら、
「んじゃ、二度目に盗まれたっていうのは、持ち主が取り返したんじゃないのかな」

私もそう思う。

■ゴミ袋

雨が降ったとき、折りたたみ傘を電車内でもてあまして。

b)私が傘をもっておいてあげるから 本でもお読みなさい。
私)すみません。ありがとうございます。
b)一本もつのも二本もつのもおなじことだから。。

 本を読み始めるが気になって 集中できない。
ふと、スーパーの袋を持っていることを思い出して。

私)あ、そうだ。私スーパーの袋をもってるんです。折りたたんでこの中にいれて持ちますから。。
 スーパーの袋もってるなんておばさんぽいですよね。
b)本当に!おばさんぽい。
  でも、私スーパの袋はよく活用するのよ。 ゴミ袋とか。
私)ええ。便利ですよね。ごみを直接ゴミ袋に入れると 捨てているものがよく見えるし、カラス対策には中の物が見えないほうが良いんですってね。
 なので、大きなゴミ袋に入れる前に小さな袋に入れて捨てますよ。うちでも。
b)そうなのよ。 カンとか捨てるときにもこれにくるめば普通のごみに入れてもわからないでしょう?

私。。。。(心の中で)
カンは分別してすてましょう。。。普通ごみに混ぜちゃダメダメ〜〜〜。


自分をごまかす 2003,10,17
 最近「自分に正直でありたい」という言葉も良く聞くしごまかしすぎはストレスに繋がるが、あえて「自分をごまかす」なのぢゃ。「セルフコントロール」といえばカッコよいのではないだろうか。

 たとえば、今の私。新奇性がない仕事は 脳で考えることが少なくて単純作業になりがち。つまらな〜い。やりたくな〜い。熱中できな〜い。
単純作業でも脳を空っぽにしてもokな仕事はストレス発散に繋がる事も多いが、この仕事の場合は別。仕事となれば、一定の期間内に一定の品質のものを 「イヤでもなんでも」作り上げる必要があるのだ。 たとえば、今日はどうしても計算したくない。そういう日。突然3ページにわたる計算を渡されて間違わないように何時までに仕上げなさい なんて言われちゃったら。と想像すると多少気持ちが伝わるだろうか。本を読みたくない日、興味のない本を読んで それについて感想をかけというのも似ているかも。

 報酬が動機に繋がる人もいる。今の仕事を仕上げたら特別ボーナス500万円くれるというのだったら そりゃ頑張る。でも、やってもやらなくても給料同じだし、という固定給のサラリーマンにはお金は動機付けになりにくい。

■どうする○イフル

どうしても、やらなければいけない。でも、やりたくない。そういうときどうするか。
欲しいけどお金がない。そういうときどうするか。>お金を借りる。。。がすべてじゃないのと同じ。

うまく自分をごまかすというテクニックが必要になる。
本当に必要かどうかを再検討してみる。 他のもので代替できないか考える。お金を貯めて先で買うことを考える。等など。 
たとえば、マラソン。もう走りたくない。そういうとき、とりあえず 次の電柱まで頑張ってみようと目標を小さくして自分をごまかす。
 沢山の計算を渡されたとき、中でも多少やる気のおきるものを探して手をつけていくという手段で自分をごまかす。
 完成した時の自分を想像して、(成功のイメージ)やる気につなげる。

このパターンは個々の人によっても違うだろう。
「自分をごまかす」ということ、そんなに悪いことではないと思うのだ。そう。うまく行くためには必要な術だと思うのだ。

■後は野となれ

 やる気の出ない仕事もごまかしごまかしどうにか終えられる目処がたってきた。この仕事が終わったら辞めたい旨を公にして きちんと引き継ぎをしよう。とふと考えた。
過去会社を辞めていった人たちには2種類ある。
「立つ鳥後をにごさず」「後は野となれ山となれ」
やはり綺麗に辞めていくことができる人と野となれで辞めた人にはパターンがあるようにも思う。

つまり、「野となれ」体質は「辛抱できない」人たちが多く、成果が出るまで待てない人たちも多いのだ。 物事運がよくとんとん拍子にうまく行く場合もたしかにあるが、難しい仕事ほど芽が出て実るまでに時間のかかることも多い。そうなってくると死語になりつつある「辛抱」というものが重要になってくると思う。 そう、自分をごまかしてでもそれに向かわせるというコントロールは 必要だ。衝動的に辞めていった人たちをみて「後少しなのになあ」と思うことも多い。

 「嫌だけどやらなければいけないことを いかに自分の中で処理するか」そういう術は子供の頃から自分との付き合いの中で探していくことになるのだと思う。大王を考えたときに、必要であるものは嫌でもやらなければいけないことなのだ というスタンスでのぞむことが将来彼が自分なりの自分との付き合い方を模索する助けになることもあるだろう。
 
■臥薪嘗胆

私の場合、大抵は「この中で多少興味を引くことはないだろうか」と小出しに切り崩したり、面倒だと思っていたことに思い切って手をつけることなどで自分の気持ちをそちらに向かわせたり、興味を失いそうになったら自分なりに小さなリフレッシュをいれて集中力を持続させたりということがあるように思う。

 今日も少しリフレッシュを兼ねて 紹介されたリンク集などを見ていたのだが、面白いものに当たった。
 女性だったら知っていらっしゃる方が多いかもしれない。通販で下着などを売っている「ピーチジョン」という会社の女性社長野口さんの記事だ。購入することは少ないが私にもカタログが送られてきている。
http://bb-wave.biglobe.ne.jp/returns/030906.html

 この中で、野口さんは「生きていれば嫌な思いや傷つくこともあるけど、その思いを『嫌だったな』と思うだけで終わりにしたくない。嫌な思いをした分だけ、絶対その元を取ろうと思う根性がある」とのこと。

 なるほど。「元を取る」という考え方は私にはなかったが、そういう見方もあるのか。
こういう考え方は 商売をする人にはとても向いた考え方だと思う。聞いたからといって私がすぐにそういう考えをできるかというとそうではないだろうが、たしかに「あの時は嫌だったけど、いい勉強になったなあ」と思うことも多い。 

 失敗や嫌な経験に封をするだけではなくて 反省材料として何らかの進歩に繋げなければなあと改めて思った。

「臥薪嘗胆」という話は皆さん学校で習われたことだろう。臥薪嘗胆を聞いたときには「すごい執念の仕返しだなあ」と思ったり、自ら苦境においてというのが馴染めなかったが、ある意味、「嫌な思いをした分だけ元をとってやる」と努力する姿勢は これに繋がるものがある。
 そういう、マイナスの経験をプラスに変えてやるという姿勢は 学ぶべきことだなあと、最近(トシのせいか)元気のなくなってきた自分を振り返ってみたりしたのでした。
あと2ヶ月と14日。75日

冬が来る 2003,10,16
 どよ〜んとし始めた気持ちをなんとなくもてあましている今日この頃。
つい、またもやスクリプトに興味が移りつつある。一日中誰とも話しをせずにずーっとスクリプトとたわむれていたい。
はっと気がつく。私は子供の頃から熱が出る前になると細かい仕事を隅っこでやっていたらしい。 ソフトをつくるというのはつくづくその細かい仕事と似ている。私からすると 編物や刺繍やそういう手芸やジグソーパズルによく似た作業だ。
 やはりいまひとつ調子がでていないのかもしれない。「またもや プログラムに気がむいちゃうんだ〜」と言うとpon1は「現実逃避気味なんだね」と。私もそう思う。

まあ、そうはいっても一人で暮らしていた頃は ずっとこういうちまちました作業の時間があったわけで、まさに寝食をわすれて熱中したりしてた。今はその自由な時間がとれなくなったということもある。 いままでやっていたストレス解消方法をを無意識にとろうとしているだけなのかもしれない。

■小さな木の実

そんな朝。テレビから流れてきたのは 「小さな木の実」秋なのでこの選択なのだろう。この歌が頭に残ってずっとぐるりぐるりと頭の中で鳴り響いているのだ。
 実は私はこの歌は昔から短調の悲しい調べが馴染めなかった。
「ぼうや、強く生きるんだ この広い世界おまえのもの」と言うサビの部分が力強い歌詞とは裏腹に物悲しい。一層暗い思いにとらわれそうになり、やる気が失せる。はっと気がつく。

 これって、季節のせい?
昔は「秋は枯葉の季節。悲しいワ」なんていわれても「へ?どこが?」と思っていたのであるが、今は悲しくはないけど、「なんだかな〜んもしたくないんだわ。」である。

たとえば外に出たときに、草木の様子に気が回れば回るほど季節を強く感じることになる。
会社周辺ではもう紅葉がはじまっている。 ああ、また冬が来るんだなあ。ここ数日は寒い。私は寒いのは苦手。特に今の会社は遠いうえに寒い。これからどんどん寒くなるんだなあ。。。なんて思っているからこんなに調子が出ないのではないか?。
 ちょっと無理して 自己暗示気味に 「ああ、これから夏になるんだ。」とか 「これから 小さな球根が芽を出す春になるんだなあ」なんて思おうとしたら なんだか元気が出そう。(単純なヤツ)
 
 音楽もそうだ。「小さな木の実」なんて聞いてちゃだめだ! ここは ユーミンの 「サーフ天国 スキー天国」でも頭の中で鳴らして、冬はスキーの季節。たのしいぜ! なんて無理に想像してみる。(私はスキーに行かないので本当はそういう気持ちはないんだけど)すると元気が出てきそうな気もするのだ。
 
■冬眠の罠

 昔から「冬は嫌いだから冬眠したい」といっていた私なのであるが、どうもこの罠にはまりかけているのかもしれない。世の中には冬季うつ症と呼ばれる症状があるらしくて、冬眠とほぼ同じメカニズムらしいのだ。季節性欝症や季節性感情障害などなどともいうらしい。 
 冬季鬱症には、日照時間などの条件が関わってきているらしいのだが、よくかんがえてみると ここ数日天気があまり良くない日が続いたし。
http://www.us-lighthouse.com/special/health/2002/1116_1/5.html
 と、自分の状況を多少把握すると 多少元気の素になる。

 少し検索してみたら、私の場合は 冬期性感情障害(Seasonal Affective Disorder=SAD) より「ウインターブルー」気味ってことかな。

 ところで、前にヒットしたページで今見つけられないのだが、冬眠することで寿命が延びるなどという説もある。 一年中絶好調も良いけれども、たまには 野生動物に戻ったつもりで季節に身をゆだねて やる気の出ないときはやらないというのも 良いのかもしれない。無理は禁物。

でも、この状況がイヤなの!というときは、紫外線の害を気にしてかけていたサングラスをはずして、しっかりとお日様にあたりましょう。
また、こういう症状の人は、多分人よりも季節に敏感ということもいえるはず。秋を見つけ冬を見つけられるのだったら、その楽しみもみつけられるはず。そんな風に前向きに考えてみようと セルフコントロールをしかけてみる。

■ちょっと真面目なはなしも

いろんなことが面倒くさくなっているのもたぶんウインターブルーの仕業か。政治のことやいろいろの周辺のことに興味が薄れていでどうでもよいと思うこともしばしば。今朝 小泉内閣メルマガをみながら憤慨していたpon1に「ああ、それ読んでいても肝心のことがかかれてないから嫌になってやめちゃったんだ〜」と私。
 そうなんです。小泉メルマガとるのをやめました。 もう一つ辞めたのが 女性議員メルマガ「ヴィーナスハート」。当初は面白かったのですが、最近は議員も 叩かれないような あたりさわりのない 政治家然とした表向きの話題しかなくなってきて魅力半減。 その中で 何回かここで紹介したJMMは会社をやめても当分とるだろうなと思える魅力あるメルマガです。

 精神活動が活発でない状態なので、あまり怒ったりという外に向かうことは少なく、内へ内へと向かおうとしているような状態(まさに冬眠)の今ですが、このどよ〜んとした状態が嫌だったら 多少無理してでも怒ったり、興奮したりするのも良さそうな気もします。
その点、 前二つのメルマガは怒る以前に 匙を投げたくなることも多く 読んでいるだけ時間の無駄と感じることも多いのですが、(まるでセールストークを聞かされているようで)
 JMMは 書かれていることが きちんと脳の中まで浸透して思考という形態にむすびつきそう。
特に読者投稿が頻繁になってからは 大変面白いです。こういう良い刺激を受けるのも大切ではないかと思っているところです。

JMM http://ryumurakami.jmm.co.jp/
いつかきえるかもしれない 昔のJMMのアーカイブhttp://jmm.cogen.co.jp/jmmarchive/

■元気のでる本も

 明るい本を読むのもオススメ。先日まで読んでいた遠藤周作の真昼の悪魔はどろどろどよ〜んでこういうときにはオススメできません。 昨日読み終わった 業火(今度書きます)はまあ面白かったけれど 気持ちを上向きにする効果は少ないかも。 今日から読み始めた「クッキングママ」シリーズ。この脳天気で メゲナイ、負けない、パワフルで明るい前向きな本は なんとなく今の気持ちによさそう。 読み終わったらまた ご紹介しますね。 

あと2ヶ月と15日。76日

モラルハザード 2003,10,15
風邪っぴき前は元気だったのだが、運動会で燃え尽きたのか、秋はそういう季節なのか、はたまた天気がわるいのか「やる気がおきないのを天気のせいにするまるこは卑怯者だ」という数日前にケーブルテレビで見たちびまるこちゃんのセリフを思い出してみたり。
 でも、天気がぐずつくとやる気無くなるのは真実なんだよぉとつぶやいてみたり。

そんな朝、この日記にもまだ繋がらないのでがっかりして、日記を書くということがどれほど私の楽しみになっているかを実感したり。大量に送られてきたウイルスメールにあたふたしたり、だらだらしている私にpon1から「朝はそういう用事はしないように」とカツを入れられたりしながら、ふと気がつくと、「ありゃ〜〜〜。いつもにも増して遅いじゃん!」会社に着く時間は10時半に。
「あああああ〜」と投げやりな私に ぼそっとpon1 「モラルハザードだな」
はい。何に対しても やる気が希薄で『逃げたい』という気持ちが忍び寄ってます。今。

■脳の痛み

朝日新聞の記事から 「仲間はずれの痛みと体の痛み脳では同じ反応」
http://www.asahi.com/science/update/1012/002.html
仲間はずれにされて心理的な疎外感を感じるのも、体が物理的な痛みを感じるのも、脳内の反応は同じ――。米カリフォルニア大などのグループが実験でこんなことを確かめ、米科学誌サイエンスの最新号に発表した。 (10月12日 朝日新聞)
==============記事より================

fMRIについて
http://www5.ocn.ne.jp/~report/news/fmri.htm

にあるように実際はfMRIでは脳の活動をモニターできるというもののようなので、痛みと疎外感 双方で脳の同じ部位が活動しているという研究結果である。素人としてはそこは「痛み」の部位ではなく「苦痛」の部位かもしれないとも思うのだが、どちらにしても同じように苦しんでいるということだ。言葉の暴力というものに対して再確認したのであった。

 しかし、この「苦しみ」というのは個人差がある。たとえば「差別」というのは相手が「差別」を感じたら差別なのだという定義があるがそれと同じで、同じことを言われても傷つく人、傷つかない人その程度についての個人差は大きいだろうと思う。そういうところが人づきあいの難しさにつながるのだろうなあと思ったりした。

■ひっかかり

調子が出ない時にはさまざまなことが引っかかる。実はここ数日悩んでいた。
夏が過ぎて気候が涼しくなると、一般的に窓を開けることが多くなる。我が家も窓をあけて風を入れる機会が多い。また、この季節は植物の世話もしやすい。ベランダに出る頻度も多くなるのがこの季節だが、ベランダに出ると、近所から尋常と思えない会話が聞こえてくるのである。

 泣き叫び、ほとんど悲鳴になっている子供。まるでテレビに出てくるチンピラのようにすごんでドスの効いた母親の声。切れ切れに聞こえてくる内容は私にはとてもしつけの一環とは思えない内容で、ときどき ドスドスと壁を蹴るような普通の生活ではありえない音が聞こえてきたりしたこともある。
 自分はどうするべきか。これはしかるところに相談するべきか、それともそれは出すぎた真似なのか。

○虐待としつけの定義
 まずはそれは本当に虐待なのか?私の思い過ごしではないか?しつけの個人差ではないか?
○通報による環境の悪化
 本当に虐待だったとして、一層その状況をひどくしてしまうことがないか?
○子供は何を望むか
 子供は保護者のことが(本能的に)好きであると思う。どんなに嫌な思いをしていても、親とわかれるかもしれないということは、子供には他に行き場がないという不安感に繋がるのではないか。最悪親と離れることになってしまったらそれはその子の幸せなのだろうか

そういうことを考えながら、でもとにかく電話してみようと、意を決して児童相談所に電話してみたが、土曜日であったため相談所の職員ではなく相談員の方が出た。「近所から尋常とは思えない声が頻繁に聞こえてくる」と伝えた途端に、「通報ですか?」「その方のお名前は?」「あなたが通報したということは匿名であれば相手の方にはばれません」

という事務的な応対であり、「私が聞いたのは声だけであるため、本当にそういう事実があるかどうかわからない」と私の不安をそのまま言葉にすると 「でも、通報は義務ですから」と固い返事。 たしかに、私もテレビで報道があるたびに、近所の人が「時々声が聞こえてきた」などと語るのを見て、「どうしてそのとき通報しなかったの?」と思うことも多かった。でも、当事者になってみると事はそう簡単ではないように思えるのだ。

 一旦電話を置いて、もう一度平日にかけてみることにした。

 児童相談所に私が通報することはもちろんやぶさかではない。でも、私が通報したということをきっかけに当の子供さんがもっといやな目や悲しい目にあわないかどうか。それが心配なのだ。
 運命というものがあるのだったら、良い方に分かれる手助けになろうとして 思った方向と反対に分かれてしまうことはないのだろうか。 そんな風にしり込みしてしまう。

でも、この報道を見て、やっぱり怪我と同じように苦しんでいるんだ。児童相談所へ平日相談してみようとあらためて思っている。
あと2ヶ月と16日。77日

消費する! 2003,10,14
夏は来ないのかと思わせておきながら、後半は「まさかこれから夏になるのでは?」という暑さが堪えたり。そうこうしているうちにやっぱり 秋が来て、あれよあれよという間にもう冬の様相。会社の近くは冬がはやいのでもう薄手のマフラーをしています。

そうして、pon2が恐ろしいことに気がついたのは秋のはじめでした。

■ストッキング

秋から冬にかけて、会社員であるpon2の必需品は変ります。最近は夏場は生足だったりということもあるようですが、やはりストッキングは必須。
男性から見るとストッキングというと、どういうイメージなのだろう。私のイメージからすると
ソックスの延長で、雑貨に近いイメージがあります。もしや。こういうところにはふさわしくない話題か?と、いいながら強引に続けてしまう。

 ストッキングと一言で言ってもいろいろあります。
一足何千円(もしかすると万単位のものもあるかも)もするような美しい柄入りストッキングや、マッサージ効果のあるというもの、きつめで足のむくみを抑制するという効果のあるもの、一足100円くらいのものまで。値段と破れやすさは比例しません。高くてもあっという間にやぶれてしまうものもあり。特に 袋から出したばかりのストッキングを爪で破ってしまった時の 「あ〜〜〜〜。やってしまった」という挫折感はかなりのものがあります。

 以前会社で気に入っていたストッキングは500円程度でとても持ちのよいストッキングでした。適度のサポート力があり、破れません。ところが、一般の店ではほとんど見かけないのです。おまけに売店でも売り場が縮小されてきたこともあり、店の人に聞いたところ、「新しい商品のほうに切り替えしたいという話がある」とか。
新しい商品を購入してみると、サポート力も弱く前のよりも良く破れる。<不満。

 勝手な想像ですが、ストッキングというものもあまり優れたものを売り出してしまうと儲からなそうです。破れないで風合いも変らないとなると新しい商品が売れません。

■そうなんです

話を元に戻すと、その購入していたストッキングが手に入らなくなった今、通販でみつけた破れにくく手ごろな価格のストッキングは救世主。 通常どういう状況でも今日着る洋服や靴下が突然一足もなくなることってありえませんが、ストッキングは 運の悪い時には新しいストッキングを袋から出してすぐに続けて破ってしまう危険性が高いものですから ついストックしておくことになります。

 話はやっと言いたいところまでやってきました。今年の夏。私は一足も新しいストッキングを買うことなく、昨年のストックでのりきってまだ、封をあけてないストッキングが5〜6足ある状態です。(買いすぎ。。)
 そうしてこれから秋。冬。もっと破れにくいタイツの季節になります。こちらもストックが。。。
ほかにも私のストック癖をおもいおこしてみると、 香水(50瓶くらいあります)シャンプーリンス(一年分プレゼントという景品のごとくに買いだめてしまいます)。

■消費するぞ〜。

週末に妹の新しい家に行ってきました。広いし、できたばかり引っ越したばかりで物も少ない(かなり引越し時に処分もしたようです)。うちも引っ越したばかりの時はこれでも広かったのになあ。と思い起こしながら、引っ越してからすでに10年弱たつのだなあと思い起こしました。
 この間にたまってきた不要なものを一掃して、当分買い貯めたものを消費することにしよう。
贅肉と同じく、ストックというのは私にとっては 知らないうちにたまってくるようです。
 丁度今年になって その 「溜まったもの」に目をむける機会が多くあります。丁度生活を見直ししようと思い始めたから気付くのかもしれないですが、気付いたタイミングで少しずつ見直したいと思ったり。(ついでに体の贅肉も一掃したいなあ)

 そうして、できたらもう少しがんばって新しい家を建てたいな。と思った先日でした。
やっぱり新しい家はいいねえ。

■ジャイアント ピーチ

今日も映画の紹介でお茶を濁す。。。(ちょっと頭が休み状態なの。ごめんなさい)
ナイトメア・ビフォア・クリスマスのティムバートン監督の実写と人形(ストップモーションという少しずつ人形を動かして繋いで作る気の遠くなるような技術を使っているそうです)の混在した映画です。
これの原作は、以前紹介した英語の本 Twits や The Witches の Roald Dahl 原作の
James and the Giant Peach。(原作がこの人とは知らなかった。。)Twits も The Witches も 大王の心をつかんだ物語の展開だったので、そう知って「なるほど」と納得しました。奇想天外なストーリーです。見るときは大人は子供の心を思い出したほうが楽しそう。
 ジェームズと一緒に人形の世界に入って虫たちと一緒にドキドキしながら冒険を楽しむのがオススメ。 「単なる人形劇」としてみてしまっては 楽しさ半減です。
 大人からみても凄いなあと思うのは、おばさんたち。素顔はどんなだろうと思うほど怖すぎ。
まるでホラーです。特に痩せたほうの人はそのまま おばけ屋敷に登場できそうです。

 大王は大好きで繰り返し繰り返し何度も見ています。

あと2ヶ月と17日。78日

ジャイアント・ピーチJames And The Giant Peach

陰陽師 2003,10,10
やっと金曜だ。「にがり」で調子がよいなんていっておきながら、風邪ひいてしまえばボロボロ。
微量元素は体調を整える助けにはなるが 薬ではないので それ以上の効果はないんだなあと実感することになった。
 鼻の中はあいかわらず ガビガビの赤むけである。最近はマキロンを綿棒で塗って多少改善してきたような気もする。<なんでもやってみるヤツ。

今週は3日しか会社に行ってないわりには毎日ぐったりしていて お風呂にも入る気がしなく、朝慌てて入るという次第。
そんな昨日、今日までにという仕事を 保育園の係りで頂いたり、先日大王が風邪になる前に安請け合いした運動会ビデオのダビングが滞っていたり 気力が充実してないとどんどんと仕事がたまる。 そうしてpon1から朝から「安請け合いはしないように」「これから仕事を辞めたとしても しないように」と何度も何度も釘をさされる羽目に。
 はい。わかりました。スミマセン。私も今、後悔・反省の真っ最中です。

でもやっと明日は土曜日お休みです。(といっても係の打ち合わせが園であるんだけどね。。ぐすん)

■陰陽師

ちょっと考えをまとめる余裕がないので、またもや 感想文でお茶をにごさせてくだはい。
先日テレビで放映されていた 映画版陰陽師。いまさらですがやっと見ました。(例のごとくながら見です)「日本映画。ま、こんなものか」という感じ。

筋は文庫本とはかなり変っていて、複数の話をくっつけて、悪役の導尊(真田広之)と 晴明(野村萬斎)の対決 という体裁になっていました。

■野村萬斎

狂言師 野村萬斎さん(今、NHK教育テレビ「にほんごであそぼ」でも 「でんでん むしむし」※1 「ややこしや」など 子供の間の流行語にもなりつつある 時の人です)は、原作の 夢枕獏さんのご指名ということ。

 原作者ご指名ということは、夢枕さんのイメージには 野村萬斎さんがピッタリということなのでしょうが、私としては、いまひとつイメージとは違っていました。

 本を読んだ感じでは、感情を表に出さない まさに、晴明の庭が表しているように 自然体でこの世のものではないような人を想像していたのですが、萬斎さんは 私にとっては目や顔つきが鋭すぎる。闘争心が目に出すぎるように感じました。 
 文庫本の中の晴明の魅力は達観にあるように思うのですが、映画の晴明は ギラギラと 導尊への感情が顔に表れていて 「少し違う。あまりにも闘争心が出すぎている」と思ったのでした。
 
 しかし、身のこなしはさすが。走る場面でも明らかですが、頭が上下しない すすすっつと すべるような動作、束帯(なのかな?)姿の袖さばき、姿勢など絵になることも多いです。さすがだなと思ったのは 束帯姿でくつろいでいる様子。まるで絵巻物でも見るような姿でした。

対する導尊(真田広之)も 舞台の経験が生かされているのか、さすが。※2 身のこなしに関しては 萬斎さんとは多少違う雰囲気はありますが貫禄でした。

■キョンキョン

しかし、小泉今日子。先日テレビでやっていた踊る大捜査線 をちらっと見てビックリ。
「この歯列矯正の恐ろしい人は もしや。。。。キョンキョン?」<昔キョンキョンと呼ばれていたのです。 あわてて新聞を確認して やはり。。。と。 陰陽師でも、「キョンキョン。。年とったなあ」と。 驚きました。

 こういう幅の広い役の選択は応援したいけれども、ちょっと映画やテレビを見なかった間に浦島太郎になってしまったような気持ちがしました。

■そうして。。
 博雅(伊藤英明)も 女々しすぎ。 彼は 「おぬしは よい漢(おとこ)よのお」と晴明に言われているように 真っ直ぐでさほど物怖じしない性格と見ていたのだけれど。泣くわおびえてめろめろになるわ。言われたこともできないわ。「おぬしは頼りにならん!」と心のなかでつぶやきながら見ていました。

 ネットで検索してみると、セットや小道具について言及されていることも多いです。
 確かに 特殊メイク、セット、小道具がちゃちい。(「マトリックスと比べちゃイヤン。」という感じ)でも、「日本映画だからこの程度かも」と心のどこかで思っていたからか、それとも大王の番組の人形劇を見すぎたせいか あまり気にならずに見ることができました。

 この映画は 「安部晴明」という超人ヒーローと 「導尊」という悪役の対決の物語と見ると違和感がないとも思えます。(つまり 仮面ライダーの延長<そう見ること自体が違和感?)

■※
※1 ここの「でんでん むしむし」は 有名な歌の軽やかな「で〜んでんむ〜しむしか〜たつむり〜」とは全く違う発音で、腹の中から絞り出すように 声を多少割り気味に低めに おどろおどろしく 「でーんでーん む”−しむ”−し」というような発音です。
 にほんごであそぼ
http://www.nhk.or.jp/kids/info/index.html
http://www.nhk.or.jp/kids/nihongo/index.html

※2以前坂東玉三郎出演の 天主物語の配役でみたことがあります。

あと2ヶ月と21日。82日

陰陽師

本能 2003,10,9
大王は大事をとって昨日も休み。私は予定があったので出勤。pon1が休んでくれた。助かった。

帰りに。「そうだ。今日は走らなくても良いんだ。それに今日は絶対にこの電車に乗らなければいけないんではないんだ。」と気がつく。
 毎日毎日、絶対にこの電車にのらなければいけない帰宅。乗り換え2分。絶対に走らないとダメ。
という生活からしばし解き放たれる。やった〜。

立川でふと、「ああ、そうだ。店によること自体 年に何回あるだろう(たぶん3回くらい?)今どんな洋服が売られているのだろうか。」とふと思って 立ち寄ってみることにする。
 デパートの女性の洋服を売っているフロアを2フロアささっと通り過ぎること10分程度。
今年の流行は捕らえどころがない。 バッチイ系とレトロ系と少し前まであった大胆系など多岐にわたっている様子。さらっと回っただけではサッパリ分からない。
 内心「コレくらいバリエーションがあれば 多少どんな格好していようが平気かも」と思ったり。

通りすがりに見つけたのが飴玉くらいの大きな シトリン(黄水晶)を繋いだ大きなブレスレット。
綺麗だなあ。欲しいなあと一瞬通り過ぎて帰る前にもう一度見て決断。「ほしい。」

本当だったらグゥイネスパルトロウのような 細くて上背のある人がつけると格好良さそう。
サンドベージューの薄手のシンプルなセーターやざっくり編んだ生成りのセーターなどに似合いそうだなあと思いながら。購入!

 お店の人が「いつもは石の説明をつけているんですけれど、今日は切らしていて。」と済まなそうに言うのでふと見ると、石のパワーなるものの説明があった。
あまりそういうことは気にしないので、送付してくれるというのを辞退。帰宅して包みをみると 「使う前に石を浄化しましょう」と岩塩の粒が入っていた。(びっくり)

 検索してみると、シトリンは 元気を与える石だそうで、風水は金運を呼び無駄遣いを押さえるとか。体調不良にも効果を発揮。などいろいろと良いことが書いてあった。ふ〜ん。
http://www.b-stone.net/PowerStone/commentary/Citrin.html
最近はこう言うのも流行っているんですね。

15分位の短い時間だったけど、面白くてリフレッシュできた。今日はまたもや本ネタです。

■真昼の悪魔

先日書いた 遠藤周作の本です。 ある意味感想が書きにくい本でした。
遠藤周作さんがクリスチャンだということを知っていたので、気になって余計に私の中でさらっと読めない部分があったのかもしれません。
 私はほぼ無宗教。でも、その人がどういう宗教を信じているかというのは強引な勧誘など迷惑がかからない限り気にしません。

冒頭に神父さんが 「エクソシスト」を例にとって 悪魔は実在する と説く場面からこの物語は始まります。 主人公は美貌で愛らしい笑顔をもつ女医。
 物語の中には なんとも殺伐とした事件が沢山でてきます。 

以前書いた「陰陽師」や「霊験お初」という 私が好きなうらみつらみにも原因があり、それが消えることによって その恨みが消えるような そういう事件とは、対極にあると思えるどろどろとした事件が出てきます。ここでは「いやらしい悪」という名前でかたられています。

 ネタバレなので 色を変えて。

最近起こる理解不能な事件。まったくそれと同じような動機で、いえ、動機はないと言ったほうがよいかもしれない。そんな事件がどんどんと起こります。 そうして、それがなにひとつ解決しない。現代の苛立ち 理解できない不安感。焦燥感。それが最後まで続くというような読後感です。

 たとえば、最近の不快感を覚える事件とは結局はどういうものだろうかと自問すると
「自分勝手」というキーワードがありそうに思います。 相手も自分と同等の人間としてみることなくただ、「自分が不快だから」「自分がうまくいかないから」「自分がやりたかったから」という理由であり、そこにはそれ以上の説明がつかないものが多いです。 
 それが、世間の人たちには理解不能であり、行動が予測できない恐ろしさを感じさせます。

「友達が欲しかったから監禁した」「自分の人生がうまくいかないからできるだけ金持ちの子供を殺害した」「借金をばらされそうだったから殺した」 そこには自分しかありません。いずれも相手を人間として見ていないという共通点があります。自分だけを見つめ自分だけが大事で 相手を都合の良い存在として認めることがあっても人間として見ない。
 
 この本の主人公の女医もまさにそういう人です。自分が罪悪感を感じてみたい。こういう悪いことをしたら少しは罪悪感を感じて空虚な気持ちがなくなるのではないか というただそういう理由で表に出ない悪事を巧妙に行います。 そうして、この小説には 勧善懲悪もなく、また宗教の目に見えた救いも現れません。発生する事件、女医の口にする言葉どれも どこかで聞いたことのあるようなものです。 クリスチャンである遠藤周作はこの本で何を言いたかったのだろう。 宗教の不在を言いたかったのだろうか。 読み終わったときに遠藤周作という人を考えてすっかりと腕組みをしてしまった本でした。


■本能

 通常金魚などを水槽で飼う場合は、エアポンプなしではあまり沢山の金魚は飼えません。それは酸素の供給など水槽の中の自然のサイクルが上手く回らないからです。
 さて、その自然のサイクルに逆らって 少量の水と少量の水草で沢山の魚を飼うためには、エアポンプなどの補助的な機械を使います。機械的に水に酸素を加え、多すぎて分解できない糞などをあつめて掃除します。
 うまく行っている場合は良いのですが、バランスが少し崩れてしまうと ときどき共食いという光景もあります。

 ふと思ったのですが、人間達は増えすぎて エアポンプで生きている魚のような状態なのではないかと。ちょっとバランスが崩れたりすると共食いをして個体数を減らすという働きは、動物として持っている本能かもしれないと。

ギュウギュウ詰の通勤電車はだれにとっても不快です。また近所や知り合いの存在がうっとおしいと感じたことはありませんか? でも、もし、あなたの周囲で人に会おうとしたら1時間や2時間かけないと誰ともあえないような状況だったら、多分とても人恋しい思いがするのではないかと。
 出産後のお母さんたちが話し相手を求めるのは 子供と自分だけという世界に閉じこもっていて人に会うことに飢餓感をおぼえているからではないでしょうか。

 しかし、この問題は「本能だ」では片付けられない人間としての倫理上の問題もあります。
人間達がこうやって個体数を増やして文化というものを築き上げてきた側面には、大きな意味合いでの相互の協力や理解をもとにした発展があると思うのです。
 自然界を考えたときに、なにが善・何が悪という基準はひとそれぞれ捕らえ方が違うものだろうと思うのですが、沢山の人間達皆が快適に楽しく暮らせるようにという経験上の知識の集大成が「相手を思いやる」「相手を大切にする」であり、これが崩れることは人間社会の崩壊に繋がるし、相手を不幸にすることは自分の幸福には結局は繋がらないことになるようにも思うのです。

たとえそれが本能であったとしても 理性を忘れちゃアカン!と思うのでした。

あと2ヶ月と22日。83日




抱擁 2003,10,8
番狂わせの風邪に翻弄されるpon2.どうにか今日は出勤。
おもいおこしてみれば、春もこんな風でガンガン休んだような記憶がある。季節の変わり目はつらいね。子供も大人も。

 ということで、<なにがということなんだ。。今日は以前見た映画の感想でお茶を濁す。
(ここのところそんなのばっかりだなあ)

■抱擁 POSSESSION

雑誌に映画の紹介が出ていて、その風景があまりに美しいのと、ミステリー仕立てということでDVDを購入。最近はあまりこの手の話は購入しなくなったラブロマンス物。
ジャケット写真もなんだか濃厚な雰囲気で手にとって買うにはちょっとオバサンとしてはこっぱずかしくて抵抗がある。...おまけに題名が抱擁だし。もう少し別の日本語題名がつけられなかったのかな。抱擁よりは執着とかのほうがまだ所有するという意味と取り付かれるという意味とからそう遠くないような気もするけど。なんて英語に詳しくない私よりは数倍も英語ができる人が日本語題名をつけているわけだから、文句つけるほうがヘンなのだろうなあ。

 個人的に、題名とジャケット写真で濃厚な印象up作戦という感じが好きではないからだけど。

■どんな映画か。。。

アーロン・エックハートは無精ひげの小汚い格好をした顎割れ男性。後に黒目(というか青目?)がとても大きくて 純粋で学術熱心な好ましい青年に見えてくる。(黒目の大きい人に弱い ありがちな pon2)相手は グィネス パルトロウ。彼女はどうして美人と呼ばれるのか私には納得の行かない顔である。ブロンドで痩せた体は痩せすぎのようにも見えるし、薄い唇。目・鼻の配置もなんとなく私が思う「典型的美人」からははずれている。
 でも、彼女にはこの役はピッタリ。イギリスの由緒正しい家の出身という人は知らないが、彼女のいかにも冷酷そうに見える表情を崩して笑ったときのあの丸い笑い顔が可愛いと思えるとすっかりと映画の世界に同化し始めている証拠だろう。そう。まるで恋でもしたかのように、 エックハート君やパルトロウちゃんに魅力を感じはじめる。
 グィネス パルトロウはファッションも地味な素材のよさそうなものを無造作に着込み髪もつくりこんでいない。ナチュラルだけど、育ちのよさそうな雰囲気を漂わせている。
 そう。「地味でその辺のものをひっかけたような洋服」ではなくて「さりげない洋服」と思えるということは見ている方が映画の登場人物に引き込まれて良い印象を持っている証拠なのだ。

 これはイギリスの物語。イギリスの歴史や空気を感じるような映像も大きな魅力の一つとなっている話であった。

筋は 愛妻家で通っていた19世紀の詩人アッシュ(ジェレミー ノーザム)の不倫スキャンダルを裏付けるような手紙を本の間から発見したのが顎割れ無精ひげだけど青目の大きいエックハート君。不倫相手と思われるラモット(ジェニファ・エール)の研究家であるグィネス教授と一緒に詩人の足取りをたどり、事実を解き明かそうとする。

■ネタバレ多少あり。

 過去の二人の恋愛と現代の二人の恋愛を重ね合わせた手法はどこかでみたような設定※だったがとにかく、イギリスが綺麗。昔の衣装も良い。<実は衣装好きなのでこの手の映画はツボ。

 ある意味、恋愛というのは冷静さを失うことであり、他の人からみると「あんなののどこがいいんや」と思えるところも、たとえば 「目が可愛い」とか アバタもえくぼ状態におちいることであると思う。 私が、最初に「小汚い男の人だな」と思い、次に「真面目な人なんだ」と思い始め「探究心旺盛なんだ」と思い、「この大きな目がカワイイカモ」と思い始めた時点ですっかりと映画の手管に載せられている状態である。

 グィネスにしても、「痩せてるのに、毎度丸顔に薄い唇だなあ」「ふ〜ん。冷たいのね」「あれ?本当は情熱を内に秘めているのかな」「顔をくしゃくしゃにして笑うと意外と可愛いじゃない?」「よく見ると知的で可愛い」となってしまう。 やっぱり上手い。擬似恋愛をこちら側にみせてくれているではないか。

 詩人(ジェレミー ノーザム)はどうも気持ち悪くて好みではなかったが、詩人の相手となっているラモット(ジェニファ・エール)は フレスコ画の聖母像にかかれているのではないかと思うほど柔らかい笑顔の美しい人で、くるっとした悪戯っぽい目が魅力的である。設定ではおまけに知性豊かということ。詩人が一目で夢中になるのも無理はない。その表情と後半のフランスでの表情の差がこれまた凄くて同一人物かと思うほどの演技力?映像力? 女はコワイね。って(^^;)

 筋としては 多少単純に流れすぎているところがあるかもしれないが、こういう映像美というのはやはり映画の醍醐味だと思う。しかし これがアメリカが舞台だったらこうもいかなかったろう。
「イギリスだったらなにかありそうだ」という期待感と「イギリスの風景」がこの映画をもりあげているのかもしれない。
 また、この、「秘めてうじうじ」とした感じというのがイギリスのイメージによく合っているようにも思う。 これがアメリカだったら、当たってくだけろ。考える前に行動しろ。の印象のほうが強いように思うなあ。はやいもん勝ち。なんでも やったもん勝ち。うじうじは敗北者。のような。(これもpon2の勝手な印象です)


 ※思い出したのは フランス軍中尉の女。見方によっては ジェニファ・エールは 若い頃のメリル・ストリープと雰囲気が似ているからかもしれないが。
 筋としては フランス軍中尉の女のほうが、対照的なところが良く現れていて面白かったような気がするが、見直したらどうだろう。

そうそう。この原作はイギリスでブッカー賞という賞をとった小説であり、多分話は虚構だと思います。(検索したら、ヴィクトリア朝の詩人アッシュ という人を知らなかったら つまらない映画というような評があった。たぶん、アッシュ自体が実在ではなく、物語の中の人物だと思います。まちがっていたらごめんなさい。)

画像は、またまたへたくそなグゥイネスちゃん。綺麗で魅力的にみえているのに絵を書こうとするとこうなってしまうのは。。。。ごめん。
あと2ヶ月と23日。84日




魔窟を 2003,10,6
一週間大王の風邪やら私の風邪やらその他で、あまり調子が出なかったらやっぱり家が乱雑になってきて ため息が出そう。
 
 なにげなく「一週間でこんな風になっちゃうのねえ〜」とつぶやいたら「ママしか片付けてないのがよくわかるねえ」なんて。まったく私はpon1の手のひらの上である。

大王に居間を占拠されているので、居間のラグが洗えない。居間方面身動きとれないし。。。。。。。。

と、いうことで、昨日は「今日は一年発起して 魔窟を掃除することにします!」と宣言。魔窟とは。。。。パソコン部屋だ。大王が生まれる前はデスクトップ機をpon1,pon2用と並べておいてそこでパソコンを扱っていたのだが、子供が産まれて少ししてから、私はノートブック機を居間に持ち込んで居間でメインに使うようになった。そうこうしているうちに pon1も居間でつかいたくなったらしく なぜかパソ部屋はサーバー室もどきになり 居間をメインに使うようになってしまったのである。

 私の出入りがあまりなくなってしまった魔窟は荒れに荒れて スゴイ状態になっている。ほとんど物置のようになり、私のデスクトップ機の乗っている机の上にはpon1の荷物が置かれ、大王の創作物のどでかいロボットが置かれ、おもちゃが置かれ、挙句の果てにはその部屋をあきらめた私が通販から届いた球根の箱まで置くようになっちゃって
大変なことに。そこここに 必要か必要でないかわからないソフトウエアの箱が積み重なっていて なんだかごちゃごちゃ まさに 魔窟と化してしまっていたのだった。

■魔窟を暴く

さて、魔窟を。。。と宣言したは良いがしばし呆然。どこから手をつければ良いのやら。自分のものでない物が多いこの場所は「必要か必要でないか」がまずわからない。
「頻繁に使うか使わないか」もわからない。

 とにかく本を片付けることにした。「一般の読み物」「仕事関係」「マック関係」
etc。。。と分けて 一般の読み物はこれから先私も読むかもしれないので文庫本側に移す。 マック関係・仕事関係は頻繁に使いそうなので 手の届くところに分類して移す。それを延々と繰り返す。
 
 要らなさそうだなあと思うものを分類して山にしておき、pon1を呼んでは要・不要を決めてもらう。だって、1999年の時刻表が必要だったりするんですもの。私の花の本と同じくらい他人には要不要がわからない状態。調子が出始めると時間を忘れて没頭できるので、お昼ご飯後ははっと気が付くと4時半だった。
 かなりの量の本を処分することができて すっきり。

魔窟だけに1日では終わらなかったので、また今後に引き継ぐことになる。

■その後

ホコリが出そうだったので 100円ショップで買った防塵用マスクとゴーグルをかけて挑んだのだが、あちこち痒くなってしまってあげくには顔ががさがさ。夜には耳の奥が痒くなるおまけ付き。私がやらなかったから自業自得なのだが。よく、ここまでほっておいたなあと反省した一日でした。
 まだまだ続く魔窟掃除です。

■アメリカン スウィートハート

原題はAmerica's Sweethearts 先日見ました。これもDVD期間限定2500円につられて。安いよね。

America's Sweethearts とは グゥエン(キャサリン・ゼタ・ジョーンズ)とエディ(ジョン・キューザック)二人はアメリカの理想的なカップルとして沢山の映画に競演していたのだが、実は現在は別居中。その別居中の二人を主役にした映画公開する予定。しかし、監督(クリストファー・ウォーケン)がちょっと変わり者。困った社長は 宣伝マン(ビリー・クリスタル)になんとかしてくれと泣きつく。
 ここではジュリアロバーツは グゥエンの妹で付き人の役。

昔の映画にあったようなミエミエのドタバタのラブコメディを作ろうとしたのだろうか。でも、映画全体としてはあれだけの人がそろっているのにどうも中途半端な印象だった。

以下ネタバレあります。

 驚いたのは、クリストファー・ウオーケン。 エンドタイトルが出るまで彼が出ているとは思わなかった。いや〜びっくり。どこどこ?と探してしまいました。

 ビリー・クリスタル 安定した演技の。そつなく自然に調子の良い役をこなしています。(私は 恋人たちの予感くらいしかみたことがないけれど。うまいですね)

キャサリン・ゼタ・ジョーンズ 綺麗ですね。この人。あくの強い役をうまくこなして、楽しかった。妹に頼みごとを甘え声でしたあとに 「やった〜」というずるい表情がこれまたかわいらしいというか。 

 さて、ジュリア。 あまり可愛くないんだなあ。これが。なんでだろう。
もともと顔のバランスからいうと 美人バランスではないから キャサリンと並ぶとそうなっちゃうのか。彼女の魅力がほとんど発揮できてないような気がしました。
 
筋としても、ちょっと下ネタの下品に頼りすぎ。<お笑いでも、同じ下品でももう少し別の下品があるんじゃないかと。
性格の良いキキは それまで文句もなくかいがいしく姉の世話をしていたのに、突然ぶちきれてしまうし。あら?性格良いわけじゃなかったんだね。と。
 エディ(ジョン・キューザック)は結局顔とスタイルが良けりゃそれで良いのかと。
ジョンが ジュリアに心情的に引かれていく過程がさっぱり見えない。

終止、寝ただの寝ないだの綺麗だの可愛いだので、恋愛の過程や心情などまったくそっちのけの そういう話だけのものだったようにも思える。

 反対に「ハリウッドの恋愛なんてこの程度のもんなんだよ」というのであれば納得。
そういえば、最後に公開された映画もそういう内容だったし。そこまでの大きな皮肉の映画だったのかな。



 太っていた頃のジュリアは すごかった。まさに、こういう人いそう。
この変装で町を歩いてもきっとばれない。

この映画が受けたのは、もしかしたらダイエットしているアメリカの女性に「私も痩せればこういうサクセスストーリー(?)が待っている」と希望を与える映画だからなのかな。

 変身物は好きなので、ジュリアが変身するのであれば、キャサリンを食っちゃうくらい上を言った変身振りがみたかったなあ。

そうか。あと2ヶ月と25日。86日
アメリカン・スウィートハートAmerica's Sweethearts

運動会 2003,10,4
運動会で燃え尽きてきました。
保護者競技で、大縄跳びがあったのです。ママ友達から一緒に出ようと誘われていたのですが、足を引っ張るかもということで 名前を記入していなかったのです。
ところが、昨日電話を頂いて「明日の縄跳び、名前書いといたけど気づいてる?今日は迎えが早いみたいだったから 大丈夫かな?と思って」と。
 おどろいた〜。
とりあえず風邪で休んでいることを伝えて 明日調子を見てみるねと。

朝は頭痛もおさまってとりあえず まあ、元気。
縄とびしてきました。 本番一回目で引っかかってしまって 汗かきましたが、その後はどうにかうまくいって 同点で一位(といっても3組しかなかった)商品のタッパーを頂きました。 面白かった。

 こうやって私の名前を書いてくれるという友達っていうのも 相性が良いのかもしれない。こういうとき、自分では引っ込み気味だから。

大王。よくがんばった。すごかった。えらかった。かっこよかった<親ばか全開。
そうか。あと2ヶ月と27日。88日

風邪じゃ 2003,10,3
すっかり頭痛。
丁度 仕事が待ち状態になったこともあり、頭痛だと仕事もはかどらないしと理由をつけて休むことにした。

■昨日の帰りのできこと

頭痛で本が読めない。おまけに眠くない。電車で目をつぶって安静にしているところに
隣の席が空いた。乗り込んできた若者男性二人。
「19歳と26歳でとりあいされちゃうんですから」

壁に耳アリ。障子に目あり。電車の中にも頭痛のオバの耳があるのじゃ。

(なんじゃ?キミを取り合いしているのかい?)と。顔を見たかったが突然目をあけるわけにもいかず。

とりあいされちゃった男性は ノリノリでプライバシーをしゃべりまくる。
どうやら相手の男性は多少先輩らしい。あまり自分のことはしゃべらない。
「先輩はどんな女が好きなんですか?」
「おまえはどうなんだよ?」
「おれっすか。おれは より完璧を目指すタイプなんで、変わった子がいいですね」
(より完璧?)もう一度目を開けたくなるが我慢。しかし、より完璧を目指すから変わった子って筋通ってます?いまひとつ関連が私には理解できなかったりして。
「警備員やってる子だったら、変わったの沢山いるだろう。ちょうどいいじゃないか」
(どうやら二人はバイトで警備員やっているようだ)
このあたりで どんな子がいたとかいう話をひとしきり饒舌な方の彼がする。

「この間、カラオケに29歳の人と一緒に行ったんですよ。そうしたら歌う歌がぜんぜん違っていて、乗れなくて。どんな歌歌うと思います?」
「わかんねえよ」
「おニャンコクラブとかですよ。セーラー服を脱がさないでとかノリノリなんすけど。」
「29歳でおニャンコってふるくないか?」
「でも、29歳っていってましたよ」
(私も古いに一票。多分年齢詐称しているとおもいま〜す。30は絶対に超えている。
ボク。気をつけてね。キットそのお姉さんは 「私ってば若く見えるから29くらいでばれないと思うワ」と思っている人だと思います。)

■身内ウケ

ところで、この話。pon1に帰宅してからしゃべった。

p2「それでね。『おニャンコクラブなんて歌っちゃうんですよ』って言ったら、真ん中の人が 『29歳でおニャンコってふるくないか?』ってね。」

p1「真ん中の人って 乗ってきたのは3人だったの?」

p2「あ、ごめんごめん。真ん中っていうのは私の隣の人 私含めて真ん中の人だったの」

(すっかり話の仲間に入ったつもりの pon2おそろしや。)

電車で隣に座って寝ている頭痛のオバサンはしらないうちに 座敷わらしのようにあなたの話に入り込んでいるかもしれません。
 皆さん。お気をつけ下さいね。

特に、調理師免許をもっていて、ダイコンのかつらむきをするのに何回も手を切っていて お兄さんが B&Bで働いていて、警備員のバイトをしていて、より完璧を目指すので変わった子が好きなあなた。

 画像は、先日あまりにも綺麗なので写してしまった秋刀魚。おいしく頂きました。
そうか。あと2ヶ月と28日。89日

自己アピール今・昔 2003,10,2
今度は私の鼻がガビガビ。どうも調子が悪いので、鏡の前で鼻の穴をみてみるとアカギレがひどくなったようにあちこちむけておおきなカサブタ状態になっている。鼻の穴のところがざらざらとして皮がはげているので見た目もカッコワルイ。調子が悪いわけだ。今日は頭も重い。土曜の運動会までになおさねば。ふぅ。
 先日、暇になったら特許に出願してみようと思うアイディアがあったのだが、特許検索したときには見つからなかったのに ふとしたことで私が考えていたこととほとんど同じシステムが特許出願中だということを発見。くやし〜。また一歩遅れていた。残念!次はがんばる。

■お国柄

 先日、ふと迷い込んだページの掲示板に、外国からの書き込みがあった。
I alread translate 〜.私が見ても不完全な短い文2行でできた文だった。(英語文章部分は大文字小文字も綴りも本文のまま)
すぐexciteかどこかの翻訳ソフトにかけた人が、 私 alread 翻訳します。 とカタコトの日本語で返信に訳文を追加。alread は alreadyではないか?とか translate が現在形だということはこの人の母国語も時制に関しては英語とちょっと違うのかな? などと思って下を読んでみると、書き込んだ本人は 何か返事かと思ったのか、can you speak english,please? と返信していた。
これによって、多少むっとした人が多かったようで、とうとう「ここは日本だ!カエレ」コールまで出る始末。読んでいて焦った。他人の掲示板でなにもそこまで言うことはないではないか。そう思いながら下に読み進んだ。

 ふと思ったのだが、日本人は自分が「完璧な」英語が喋れないことを恥かしいと思うことが多いように思う。少なくとも私はそうだ。
 自分の英語力を曝すことで、相手に自分の英語力がばれることや、それによって馬鹿にされることを嫌う人も多いと思う。だから、よほど自信がないかぎり、英語での書き込みは控えるような気がする。(これって、穴埋め問題の弊害じゃないかなあ。「ここは to じゃなくて atだよ」なんていわれちゃうとヤダとか。)

 また、自分より英語力のない人を見て 安心するという気持ちが多少自分の中にも存在することは否めない。そのスレッドには、自分よりも英語力のない人の書き込みを見て「あらやだ、通じちゃったのかしら」と別の人がコメントをして、トピックに何の関係もないことを英語でつらつらと書き連ねた人もある。<あらやだはちょっと。失礼なコメントだと思う。>
 不思議だったのは、最後まで、彼?彼女?の「問いそのもの」に下手でも良いから答えようとする人が少なかったこと。 カタコトの英語で時制の間違いを指摘しようとしてみたり。
「完璧な英語」をめざすあまりか、会話にならなかったのである。

この外国の人はどうやら香港からの書き込みだったらしい。 英語にしろ、何にしろ言語であるからして伝わってナンボのものである。(と、今はそう思う)
 どこの国のことばでも、すべての文章は 主語・述語と備わっていて、その決まりどおりに並んでいるものばかりで構成されているものではない。
どんな言語でも いろいろな部分が省略されていたり、長ったらしく繋がっていたり、そういう 規則として割り切れない部分が 文に余韻を残したり、個性をもたらしたりしていると思う。
 私の文章なども、おもいつくまま書きなぐっているし、後から読むと自分でも意味不明だったり同じことを重ねて言っていたりということも多い。(これが良いとは言いませんが)でも、日本語として大半の人には意味が通じていると思うし、私は自分で「完璧な日本語が喋れる」とはいえないが、「日本語が下手だ」とは思っていない。 

 日本人と外国(今回は香港の人)の英語に対する意識の違いがはっきりと現れたように思える出来事だった。

■自己アピール今・昔?

 私も会社をやめてなにか仕事をすることになったら、とふと考えることの多い今日この頃だが、先日見たあるページの表紙にどうもひっかかってしまった。
 「賞を複数受賞したコピーライターにして、E-ビジネスやインターネットマーケティング、医療や料理、ゲームにも詳しい ○野△子がお送りする」とあった。
まるで「私は才媛です」と自己紹介されたかのような面食らった気持ちになった。
「どんな風に医療に詳しいのだろう」と ちらちらと飛ばし読みをしたところ、どうやら広告をいくつか作成して、その後内視鏡検査などについて取材をし、記事を書いたことがあるということらしい。 事実、興味の幅も広く、沢山の才能を持たれた方だと思うが、どの程度で「くわしい」かと深く考えれば考えるほど馴染めない宣伝文句だった。

 私が何かやることになったらこんな風に自己アピールしないとダメなのかな?

 私は頭が古いのか、そういう「肩書き」がなくても 良い物は良い、嫌いなものは嫌い。それで良いと思っていた。しかし、彼女の紹介文を第三者が書いたものだったらそれほどの違和感を覚えなかったに違いない。日本に古来からある「謙遜」「寡黙」というものはどんどんと「アピール」「饒舌」にすり替わっている。過去の遺物なのかもしれない。そういう人がこれから残っていくのかもしれないと思った。

■できる、できないの基準

 たとえば、英語にしても 「私は英語がしゃべれる」と書くレベルは人それぞれに違うと思う。冒頭の香港の人も「自分は英語が喋れる(書ける)」という前提にたっていたし、彼女と同じ基準であれば、私も 英語が喋れる(書ける)である。

そうして、ホームページに 「主婦にして、会社員のpon2は英語もでき、ネットにも詳しい」 と書いてしまうこともできなくはない。
 でも、厳然たる昔ながらの日本人の私としては 「私程度では、そうは書けないわ」と思うのである。

■身の丈

 実際、自分の実力以上に買いかぶっていただくのは居心地が悪く、好きではない。
でも、実力以下として扱われるのもなんだか納得がいかないこともある。
そういう私は、やはりある程度自分の実力を(客観的に分かる範囲で)公開することも必要なのかもしれないと思ったりもし始めている。
 手の内を公開するということは、「あら、思ったよりもできるのね」と思われる場合と、「なあ〜んだ。この程度しかできないの!」と思われる双方の可能性がある。

実際、世渡りの上手い人は 自分がわかっている部分だけで口を開いて、そうでないところは口をつぐみ、識者の意見が出揃ったところで、自分の意見として妥当なところに落とそうとするというテクニックを駆使する人もいる。
でも、私自信の欲求は 「自分以上でも自分以下でもなく等身大で」ということだから
なにも上のようなテクニックを使う必要はないのだと思ったりもする。

■思い直すと

 「英語ができる」「プログラムが書ける」「医療に詳しい」etc.というのはある切り口というか特技を書いただけである。それができるからといってその人の自身が素晴らしいとかその人の価値がどうこうするわけではないはず。

 そのうたい文句をその人の価値のように錯覚するところが問題なのかもしれない。
 お菓子の周りについたお砂糖やアイスクリームのトッピングはお菓子の魅力を増すことは増すけれど、自分は本体のお菓子なのだ!トッピングなんぞ末端のこと。と考えればよいのかな。

しかし。。。そうは書いても、やはり自己アピールは苦手である。言うなれば、素朴で粗野な味ですが、もしお気に召していただけるのであればトッピングなしでお召し上がりください。という感じかな。

そうか。あと2ヶ月と29日。90日

頭の良い女 2003,10,1
 へろへろである。大王は元気回復。

とうとう10月になった。
月曜はさすがに高熱で大王も熱っぽくだるそうで、元気もなく、私が隣にいるとうとうとと寝ては薄目を開き、気付いて頭をなでてやると すー。と寝る。というのを繰り返していた。隣にいないと落ち着かない様子で、ベットへ行くかと聞いたのだが、「ここがいい」と居間で。心細いのかと思い、テレビもつけずに隣に座って久々に刺繍のキットを出して刺繍などをして過ごした。 大分進んだ。

火曜 7度台に下がるが まだ食欲がない。おにぎりが欲しいとか おかゆが欲しいとか言いながら結局口を一口だけつけるような状態。脈も速い。月曜に保育園を休ませる旨連絡したら、火曜は総合練習とのこと。竹馬もがんばって一番上手いグループに入ったことだし 見学だけでもして段取りを見せたほうが良いのだろうかと状況を話して担任と相談。
9時半から12時前頃まで少しだけ保育園へ行かせることになった。
 オープニングを30分ばかり見学した。龍の玉を持って登場する役だが、玉を持って動かすのも辛そうで、その後の準備運動は見学。いつまでも見学しているわけにも行かないので一旦帰ってから 11時半頃にまた迎えに行くと、竹馬をやっていた。おまけにリレーも。 「大丈夫か」と心配。どうやら朝から昼までの間にかなり回復したようで、元気に過ごせた様子。良かった良かった。

 大王は「おりこう」で私に手間のかかることはほとんどなかったのだが、どうしてだか疲れた。 世にはご家族が大変な病気で長い看病をしていらっしゃる方もいらっしゃる。
私のようなものがたった2日で弱音を吐くのはどうかしていると思うが、本当に疲れた。

 看病を続けていらっしゃる方のご苦労をふと思った。

■頭の良い女

高校の頃の英語の教師の一人は若い男性の教師だった。青白くて 顔にはにきび跡のあばたがあって、上背はあったが痩せていた。失礼だが 「坊ちゃん」ならばさしずめ 「ウラナリ」と名前を付けそうな彼であった。 英語嫌いだった私には授業も印象に残ってない。しかし、印象に残っていることが一つある。同じクラブの同級であった友人が 彼のことを好きだったことだ。何故だろうと不思議に思いながら、「へえ」と興味をもった。 彼女は英語と倫理社会が大好きだった。

 長いお下げで、どこか大人びていて影響力のある子だった。いつも不思議に思うのは、「昨日はステーキだった。」とか「昨日はメンチカツだった。」と 夕飯の話ばかり多いことを不思議に思っていた。 また、日頃制服があったにもかかわらず、駅前の小さな隠れ家風のブティックで洋服やハンカチを頻繁に買うことも不思議で 随分沢山小遣いをもらっているのだなと思った。

彼女はいつもだれか ちょっと離れた年上の人を次々に好きになる子だった。

その英語の教師が言った言葉で、ずっと頭に残っている言葉がある。授業で何かの話になったとき「世の中ではよく、女は馬鹿な方が可愛いというが、僕は結婚するんだったら 頭の良い女がいい。頭の良い女はこちらが言うことを理解できる。」ということを言ったのだった。

 私はその時どう思っただろう。「かわってるな」と半分おもいながらも「随分と自信たっぷりなことを言うイヤミなヤツだなあ」と思ったかもしれない。「ステキ。」と思わなかったことだけはたしかだ。 

■馬鹿な方が可愛い

今ふと思うと、「女は馬鹿な方が可愛い」なんて言い出す男がいたとしたら、その人の程度も知れているというものだろうと思う。
 たしかに、たとえば花が口がきけて私が言ったこと、やったことに対して批判がましいことを言い出したらうっとおしくて、どんなに綺麗な花を咲かせていても あまり育てたいとは思わないだろうと思う。 しかし、はなからパートナーとして求める相手に自分よりも頭が悪いことを求める人がいたら、単に自分のコンプレックスの裏返しであるようにも思う。

 人にはお互いに意見を交換しあったり、経験することで、自分自身が成長できるということがある。それこそ人生の楽しみであり喜びのひとつであるようにも思う。
あまり良い印象を持っていなかった 英語教師の彼の言葉ももしかしたら なんらかの思いがあってつい口から出た言葉だったのかもしれないと今は思うのである。

■あの人は頭がよい

ふと考えてみると 特に「あの女は頭の良い女だ」という時に 肯定的な意味で使うよりも否定的に使うことのほうが多いようにも思う。
 そう考えてみると、一般に人を誉めるときに 「あの人は頭がよい」という誉め方も男女をとわず好意を持っている人を対象にはあまりしない。 もし、何らかで誉めることがあったら具体的に誉めることが多いような気もする。

 英語教師の言葉に対して かすかな違和感を感じたのは、彼の言葉の選択に少し別のニュアンスを感じ取ってしまったからかもしれないなと思った。

■頭の良い女

「頭の良い女」と聞くとどうも、ずるがしこい、策略にたけた女のイメージがある。
物語や映画にでてくるそういう女は「女は馬鹿な方がかわいい」なんて言い出す男連中に「なにいってるんでい」と喧嘩を売ったりせずに、彼が望むような「頭の悪い女」を演じて食い物にするかもしれない。
 物語に出で来る彼女達は私は実はとても好きである。たとえば 「氷の微笑」や「冷たい月を抱く女」女性が美貌であればあるほど、可愛らしい無邪気な顔で笑えば笑うほどそうしてやることが冷たければ冷たいほど凄みが出て恐ろしい。

 昨日、大王のリクエストで ブックオフに寄った。私は遠藤周作の 「真昼の悪魔」という本を買った。それを読んでいたら、ふとこんなことを思い出したのであった。
 
■それから

 英語教師は、私たちが卒業した後に結婚したということを噂で聞いた。卒業後彼に会うこともなかったので、相手の人が 頭の良い女かどうかは インタビューできなかった。
 英語教師のことが好きだった友人は かなりショックをうけていた。英語教師にはどうやら片思いだったらしい。

画像はバラ チャンピオン オブ ザ ワールド 。さすがチャンピオン。よく咲きます。
そうか。あと2ヶ月と30日。91日