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王様の耳はロバの耳(過去ログ)

普通は言わないけど、みんなどう思う?言いたいけど言う機会が無いみたいなことをおもいついたときに書こうと思ってます。

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後日談 2003,8,29
最初に、ちょっと 今日配信されたMag2から。転載複写OKとのことなので転載。
===以下転載===
●わいせつ男、似顔絵で御用!
女子生徒にわいせつな行為をはたらいた男が、女子生徒が書いた似顔絵にそっ
くりだったことから逮捕されました。

☆ スポニチアネックス で詳細をチェック
http://www.sponichi.co.jp/society/kiji/2001/08/17/01.html

ええとですね…この似顔絵にそっくりな男性って…「顔はさわやか系」って
…ええええええぇぇぇ!!
===転載終わり===
たしかに。この似顔絵にソックリって。。どんな人だろう。。。。

■居留守 (注:彼女とは親しく付き合っているので親しい雰囲気で読んでね)

先日我が家に上がってしまった子供さんのお母さんと会った。
「この間、居留守使ったでしょう!」
「え?いつ?」
「エントランスで会った日、あのあとすぐにジャガイモをもって行ったら返事がなかったよ」
 (エントランスで会った日は デニーズに行くために一旦荷物を置きに行った日)
「あ、ごめん。あのあとデニーズに行ってたのよ。ごめんね。」
「でも、電気ついてたよ」(ってどこから電気ついてたってわかったのだろう?)
「そう?つけ忘れてたのかな」
「うちも居留守よく使うからいいけど〜 (^0^)」
 (だから居留守じゃないってば〜 ^^;)

 考えてみれば、最悪の我が家の中を見られてしまってはもう怖いものはない。雨にふられて靴が濡れないように歩いていたのが 水が入ってしまった途端に大胆になって水溜りなんてものともせず歩くかのように。いまさら居留守使う必要はないんだってば〜。

■突然の訪問者2

昨日突然pon1から 銀行の担当さんが夕方7時半過ぎに家に来るとのこと。
書類に間違いがあったので 印鑑が欲しいとのことだ。
 いや〜。本当によかった。ハプニングがなかったらまだ帰省の荷物をひきずっておお慌てだったかもしれない。(ハプニング様様である。)
 なんてったって、帰宅後すぐの抜き打ちなんて。
昨日は慌てながらも さらっと片付けて準備完了。だけど、担当さんは家の中には入られませんでした。(入って良いんだってば。。。今日は。。)

■誤算

イングリッシュゾーン(以下EZ)の紹介でEZを買っちゃった人いらっしゃいませんよね。とりあえず、読みかけていた本が終わったので、EZの映画編を読み始めたのだけど。
 はずしたかも。。
よく考えてみたら、もともと映画で来日した人のインタビューって私にはさほど興味がない。
「ハ〜イみなさんこんにちは。私には2度目の来日です。日本は大好き。いつも日本には触発されます。 暖かい歓迎ありがとうございます。」なんていう通り一遍の話しは 実は「ど〜でもええ。」のだった。
 買っちゃった人いらしたら 本当にごめんなさい。
救いといえば、マニアックなエピソードがそれでも少しだけインタビューの中にふくまれている(かな??)ってとこでした。

 あ、そうそう。トップには キャメロンディアスが昔日本に住んでいたことや、ドリューバリモアが麻薬中毒だったなどの話しも紹介されていたので「へえ〜」とは思ったのだが、私は役者さんのプライバシーには余り興味がなくて、役柄に惚れるタイプだからかなあ。

ゴーンさんの表紙の巻はどうだろう。

■壊れた

前から気になっていた泡ボトル。デニーズに行った日に ボトルを1つ購入。それから数日。で、もう壊れちゃいました。ノズルが詰まった様子。なんてヤワなんだ。
がっかり。(洗剤希釈時の攪拌が今ひとつだったのかなあ。。。)

あと4ヶ月と2日。124日 画像はクレマチス インテグリフォリア アルバ 良い香りの木立性クレマチスです。

自ら助くるもの 2003,8,28
 大王は、ここのところ急速に成長している。身長・体重もだが 能力面・精神面の発達がめざましい。5歳から6歳というのはそういう年齢なのかと驚くことも多い。
日に日に 幼児から子供へ変貌していく大王を見ながら頼もしいような、そうして少し寂しいような気持ちを抱いている。

 ところで、大王は、昨日竹馬にのって20歩以上歩けた。一昨日はお風呂でぷかぷかとあお向けになって浮かんだ。これを親として大変喜んでいるのである。

■興味・集中力・持続力

もちろん、運動が得意な子は親が心配するまでもなく なんでももっと小さい頃からできている人もいるだろう。ここで親としての私が彼を評価したいのは「できた」ということももちろんであるが、それ以上にここに至るまでの彼の精神力の発達なのだ。

 できないこと、未知のことを成し遂げるには、 興味・集中力・持続力が必要であると思う。
それがついてきて、達成感を期待して自分から努力できるようになったことを評価したい。
 もちろん、何の努力もせずに人より秀でることは、自分としても嬉しいことであるだろうが、本来オールマイティな人間はいないと思う。これから先の人生で、彼は「思ったほどうまく行かないこと」に山ほど出会うことであろう。

 そのときに、まず興味を持つこと、そうして集中すること、それを継続(持続)すること、この3つの習慣が助けになると思うのである。

 たとえば、竹馬であるが実はこれは毎年恒例の運動会での出し物なのだ。竹馬に乗って走ったり、階段を上ったり、ボールを蹴ったりする竹馬競争なのだが個人差が出る。
 昨年一昨年と器用に竹馬を乗りこなす子がいる反面、一歩もあるけずに保育者の支え付きで出場する子もいる。親心としてはできれば、竹馬に乗れる状態で本番を迎えさせてやりたいと思っていた。

 まずは頑張ればできるという体験を大王にしてほしかった。一つは自転車。これはくじけそうになりながら良く頑張り乗れるようになった。そうして縄跳び。これも最初練習を嫌がったがある日突然きっかけがあり、保育園でも評価されたことがやる気に繋がったようだ。
 がんばってできるようになり評価されるという体験が少しずつ身についてきたところへの竹馬。
「縄跳びしたい」「竹馬するのが楽しい」「竹馬の練習したい」という言葉が自発的に出始めたのを喜びながら聞いていたところでの昨日の出来事。
 
 親としてこの彼なりの成長が嬉しくないはずがない。
(それなりに親も考えながらサポートしたのだよ。(⌒ー⌒) ニヤリ。)

 ※もちろん、大王はその他の面でも大幅な成長をしている。まず、「勉強しなさい」という言葉を一度も言ったことがない我が家であるが、ひらがな、カタカナ、足し算引き算がある程度いつのまにかできるようになっている。親ばかの私が喜ばないはずはない。
 ひらがな、カタカナはなんと テレビゲームのチョロQで覚えたのだ。ゲームは悪いと思いがちだが教育ソフトととらえて、情操面の発達に害がありそうなもの(親の基準で)をはずして与えれば必ずしも悪くはないと思う。気をつけるのは、自分で止めることができる習慣をつけること。
そればかりでなくほかの遊びも同等にすること。それだけ与えてほったらかしにしないことだと思う(必ず親もなんらかでからむこと)。
 子供のうちにキリの良いところで止められる習慣がついたのも親ばかpon2は喜んでいる。

■天は自ら助くるものを助くGod helps those who help themselves

どこのことばだろうか。聖書あたりなのだろうか。まさにこれだと思う。
人がなにかをすることにおいての動機というのはまさにそれぞれ。

 誰かに勝ちたいから。誰かに評価されたいから。お金を得たいから。etc.その中で一番長続きしてうまく行くのが「自分がやりたいから」という動機ではないだろうか。ネットが普及してより顕著に感じられるオタクたちの力もまさにそれ。「玄人はだし」。

少し話しがそれるが 我が家では 床張りのリビングにはラグを置いている。
1枚は大きくリビングスペースをカバーするくらいの大きさ。もう一枚はソファの下のあたり。
これ、2枚とも洗いがえ用に2組持っていてほぼ毎週洗濯するのである。なにかがあって洗濯できなかった週はなんだか気持ちが悪い。そうして取り替えた後のラグは気持ちが良い。
 先日の片付けの話を読まれた方からは信じられないかもしれないが、これは「私がやりたいから」「洗うと気持ちよいから」という以外に理由がなくやるものである。
これが人から言われたり、誰かに評価されたいからやっているのだったら結構面倒な仕事だと思う。
だけど自分がやりたいからやっていることにはそれ以上に理由はいらないのだ。

 そんな風にまずは自分がやりたいという気持ちになることが一番の秘訣ではないかと思うのだ。
「好きこそものの上手なれ」ともいう。

■好きになるために

 これから先、大王が出会うであろうもう一つの山はは、それを好きになること(動機付け)。うまく自分で自分の気持ちをコントロールする必要がある。今はこれは私たち親の助けが必要なところだろう。

 自分の気持ちをコントロールするというのはものすごく難しい。大人でさえできない。
私は子供の成長とともに自分の成長を振り返ってさらに成長させてもらっているような気がする。
 ある意味、子供が育ってくるこの時期は親が子供の頃に取りこぼしていったものを取り戻す親の成長の好機ではないかとも思う。

 私にとって大王の存在は 運動の楽しさを知ったこと、嫌いだと思っていた英語への思いが変ってきたことと人生において取りこぼしてきたことをやり直す良い機会になった。
 まずは、親としていろいろなことの楽しさを子供に紹介できるように、もしくは楽しさの見つけ方を子供に伝えられるようにしたいと今思っているところ。それが動機付けにつながると信じている。

■親の心得

 と書いては見たが、暗中模索中の私は他人に対して助言できるものではないことは自分が良く知っている。もしかすると、今のこの気持ちも数年たつと忘れがちになるかもしれないので、自分に対しての心構えを書いておこう。

 ふと思ったのだが、小学校入学と同時に親は学校側へはそのプロセス評価を望み、親は結果評価を担当しがちではないかと思う。
 しかし、これは反対ではないか。学校側ではまずは「できたかできないか」の評価で充分であり、親としてはそのプロセスをきちんと見守り足りない部分はただ「勉強しろ」というだけでなく自分のいままでの人生で習得したノウハウを、時にストレートにときにさりげなく伝えて子供に習得させるようにケアするというのが本来の姿ではないかと思った。
 
 まだまだ、この部分は未知の世界、頭の中で描いたほど簡単なことではないというのもあるかもしれないが、とりあえず。今はそう思っている。

■シンクロ2(あとがき)
先日は友達と虫のことでシンクロしていたようだ。ロバミミかいてからさて。。楽しみに拝見しえいる日記があるのだがそこを。。と拝見したら。うにゃ〜。なんだかかぶってるぞ。
人が考えることが何らかで本当にシンクロしていたら面白い。そんなことあったら特許システムは大変か。(だんだん マイノリティリポートの世界になりそうだにゃ)

あと4ヶ月と3日。125日 

がらくた 2003,8,27
 スクリプト関係メインで使っているサーバハードの移転があって、上手く動いていない。
今朝気がついたので対処できてなくエラーがphpでかかれたページのあちこちで表示されている。こんなページを曝すなんて。。。ふえ〜。
 会社休んで直したかったり。ぶつぶつ。

■他人の空似

 今朝は民放をみていた。コメンテーターの中の一人。ちらっと見て「あ!」と思い次の瞬間に気がついた。この人、同じフロアにいる人にそっくりだ。
 そこでpon1に「このひと同じフロアにいる人にそっくりだよ」と言ったら、「クライアントにもこの人とそっくりなひとがいるよ」とのこと。
 世界には3人同じ顔をした人がいるとかいないとか。その3人なのだろうか。なんちって。

 そういえば、学生時代に、行ってもいないところで私を見たといわれることが沢山あった。
不気味に思っていたところ、妹が私のソックリサンに遭遇。
私だと思い、手を振りながら近づくと違う人だったとか。蓋を開けてみたら同じ学校の知り合いであった。

 そういえばそういえば、人種の国境を越えてエリツインに似ている人を知っている。彼は日本人だ。 そういえばそういえばそういえば。郷ひろみとよく映画でみる悪役のひと。

■きりぎりす

 昨日、大王の迎えを急ぎながら通る自転車置き場でのろのろと歩いている緑色のものを見つけた。
まるで、冬場に蟻の家を訪問した時はこんなではないかというくらいの遅さ。
 最初「こんなところで キリギリスを捕まえている時間はない」と思い早足で2,3歩歩いたところで「いや、でも、これを捕まえていったら大王は喜ぶだろうなあ」と思い直して2,3歩戻り手を伸ばしてみた。
ところがノロノロしながらも敵もさるもの。私の中途半端な捕獲作戦ではつかまらない。 隣の自転車のしたにもぐりこんで手が届かないから時間もないことだからこれ以上の深追いはやめようと思い直し、道にでたら、通りすがりの 中年男性がこちらを振り返り「捕まえるのは〜(岩国弁に聞こえたが失念)」とわらいかけた。私もばつが悪かったのでエヘヘと笑ったのだが。

そこは駅からの近道だったので私が向かっていた方向にほとんどの人がぞろぞろと歩く道だ。
 私からすると そういう理由のあった行動だったのだが、前を歩いていた女が突然振り向いて2,3歩戻り自転車の間に腰をかがめ 手をのばして何かを必死に捕まえようとする様相は おかしかったろうなと思った。それに女性のうちの多数はあまり素手で昆虫をつかまえようとはしないかもしれない。

■オードムーゲ

バーベキューに行った時、あちこちの薬局に「オードムーゲあります」と出ていて オードムーゲとはなんじゃい?と思っていた。 昔田舎にいくと 「キヨーレオピン」と書いた看板があったりして「キヨーレオピン」ってなんだろう?と思っていた感覚と一緒。
 ムーゲの水? ムーゲってなんだろう。 これをネットで調べると化粧水だった。綴りは eau de mugeらしい。muge(ミュージュ) ミュゲ(muget)というのがスズランだったようなきがしていたのだが、mugeで調べると ボラ・魚類とのこと。 ボラの水。顔に塗るのがちょっと怖い。
 臭そうであるが、ちょっと気になる。

■ビッグ・ファット・キャット

ついでに本の話しも。いつもの調子でアマゾンでまとめ買いした ビッグ・ファット・キャットの2冊目 Big Fat Cat GOES TO TOWN を読んだ。最初の1巻は 「ふうん。ちょっと簡単すぎたかな」と思ったり、でも後半の解説はこんな風に解説されるとわかりやすいし、そういうことなのかという初めての発見もあるなあと思う程度だったのだが※、2冊目は一気に物語として面白くなってきた感じ。
 最初は気になっていたルビもあまり気にならなくなってきた。今回はとぼとぼと歩く主人公の目に新しいショッピングモールの広告がうつるところから。2巻を最後まで読むと、次の3巻を読まずに入られない話の展開だ。(失敗したとおもった3冊まとめ買いはこれでよかった。この本は一冊に入る物語の量が少ないので 全部の巻を通して読んで初めて1冊の本を読んだという感じ)
 引き続き3冊目を今読んでいるところだが、不覚にも 電車でほろっときてしまった。鼻水となってかっこ悪かった。4冊目は2003年夏予定ということだ。でもまだ出てないみたい。待ち遠しい。

※「この表現が 彼のこういう気持ちを表している」とかそういう解説ってめったにないと思う。また文法的に不完全な文についても解説されている。
http://www.studioetcetera.com/bigfatcat/ (足跡から入ります)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4344002822/250-8377093-8761851

■陰陽師(鳳凰の巻)

 しらないうちに陰陽師が発売されていたとは!とこれもアマゾンで購入。アマゾンの関連書籍が発売されたときに知らせてくれるサービスは嬉しい。次回発売されたらきっと教えてくれるだろう!
 少し陰陽師の世界から離れた本ばかり読んでいたので このゆったりしたテンポになれるのにほんの1ページくらい待つ必要があったが、そのあとは一気に物語に引きずり込まれて堪能した。
 もののけがでてもあまり凄惨でなくゆったりした時間が流れていくのが良い。もののけにはもののけの筋の通った言い分(因果関係)があるのが落ち着く。特に晴明の呪についての解釈が宗教観とでも言えるようななるほどという心地よい落ち着き方だ。(私は特定の宗教を信じていないのですが) 内容に少し触れると、念仏を唱えながら山に入っていった僧侶が命絶えた後もしゃれこうべとなって念仏を唱えつづける。その骸骨の中の舌が赤々とまるで生きているかのようだという話しから、「どこぞの君に心を奪われて人は鬼になるときがある。」「執心が強ければ人は鬼になったりするときもある」「法華経を誦して、極楽浄土を願うというのも、執心ということでは同じさ」という下りがある。まさに。そういうものだなあと思う。

■美女軍団

 ところで、話は一気に下世話な話になるが、北朝鮮の美女軍団である。本当の名前はなんと言うのだろう。これについても、「美女軍団」と名前を与えた時から美女軍団となったのではないだろうか。彼女達のどこか少し垢抜けない、でも清潔そうで一生懸命な美※というのは、高校野球の応援席にいる地方の学校の女学生達の軍団の美と同じ領域にあるように私には見える。そこいらの娘と寸分たがわない女の子があつまって 「モー娘。」となったとたんに「モー娘。」となるように。「美女軍団」といわれて「美女」の「軍団」と認識される。これも 呪(しゅ)の世界のように思える。

 ※ここでは垢抜けないというのは 私は良い意味で使っています。
 美女軍団は少しだけ垢抜けないところが魅力です。これが皆スーパーモデルみたいな人だったらたしかに「スゲエ」ですが、美女軍団で動く心と スーパーモデルで動く心はたぶんちょっと違う。
 人は完璧な美を求めながらも、実際は完璧でないところに惹かれるようなそんなところがあるように思います。

あと4ヶ月と4日。126日 画像は ハナツルクサ アプテニア

夜のデニーズ 2003,8,26
 昨夕は、pon1と保育園で待ち合わせの予定が、電車にのったところで遭遇。人ごみを掻き分けてくる人がいるなあとおもっていたら pon1だった。こういう状況は、多少嬉しくて多少恥かしい。
待ち合わせは、先日依頼したローンの借り換えの契約に行く用事があったから。

 大王を迎え、銀行まで。もちろん銀行は閉まっているわけだが、この時間でも良いとの約束だったので。取り次いで頂いて、シャッターの中から担当の方が出てきた。こんな時間の銀行に入る体験をする人はあまりいないかもしれない。
 契約も無事終わり、後は手続き完了を待つばかり。(ほっとした)
 
■雑誌物色

銀行の隣は書店。書店にもあまり寄れないのでここぞとばかりに欲しい雑誌を物色
English Zoneという雑誌。おくればせながら英語がキライでなくなってきた私はとにかく英語も濫読しようと。それにはラクに楽しく読めるものが良い。
映画と簡単な英語というまさに私むけの雑誌で、気になっていたのだった。
http://www.englishzone.jp/
http://www.englishzone.jp/magazine/ezx.html
おまけに付録のCDも楽しめそうだということで、購入。4冊あったので、迷った挙句に映画の巻とゴーンさんの表紙のものを手にとってレジに進もうとすると、pon1,大王ともに一冊ずつ雑誌を持ってきて、、ああ似たもの家族。こうやって雑誌が家に増えていくのであった。
 付録のCD帰ってからちょっと見てみたけど楽しくてgood!ああ、時間が欲しい!。
これでじっくり遊びたい。(会社にもってきて昼休みに見ちゃおうか。。)

■夜のデニーズ
夜は大王のリクエストでデニーズへ行ってみることにした。ここはたまに利用する。
近所のファミレスの中では一番味が好みにあっているように思う。オコチャマ用のハンバーグも
ふっくらしていてぱさついていない。味はチェーン店は皆一緒なのだろうか。
禁煙スペースと喫煙スペースの区分けが完全でないので、禁煙スペースでもタバコの臭いがつくのが難点だ。

 夜のデニーズはどんな人が来ているのだろう。行ってみるとそこは イケイケオバの溜まり場だった。 赤い袖のないポロシャツに白い襟。ベージュのパンツ サングラスといった50〜60台のオバ。ほとんどがちょっとオシャレなオバ。親子連れが多い休日昼間より年齢層がぐっと高い。大抵は女性同士だった。
 平日の8時すぎ。一人暮らしだろうか。それとも、家事が一段落したところで 抜け出してきて息抜きをしているのか。 こういういつもと違う時間に行動してみると、同じ店も違う様相を示していて面白いものだなあと思った。

■帰りに
街灯のついた道を家にかえりながら pon1と会話 p2「たとえば、収集癖がある人がいたとして、皆その対象がちがうわけじゃない?同じ収集癖だったとしても かさばるものとそうでないものだとするとやはりかさばらないものが理想だね。切手なんてやっぱりよさそう。」
p1「そうだねえ。植物なんて最悪だねえ。」p2「収集癖ってロバミミにもかいたけどある意味本能のレベルだとおもうんだけど、人間の中にも収集癖のない人っているんだろうか?」p1「いるんじゃない?」なんて話しながら。(実は収集癖のない人にはあまり会ったことがないのです。「私は収集癖はないよ」とか「収集癖克服談」お待ちしております)

■片付け上手

 実際片付け上手の人の話というのもいくつか雑誌の特集で見るのだが、だいたい2つに分けられる。
1)家の収納能力を上げる
2)物を増やさない

実は私は詰め込み主義。収納能力だけはかなりあると自負している。そうして今はあまりその手腕を発揮していないが、ちまちま整理するのは好き。たとえば、録画したビデオの中身をかいて背中と短辺に貼り、どう積んでも見えるようにとか 区分して収納とかそういうのに燃えるタイプ。 そうして、しまったところは忘れない。(これも最近はオーバーフローしているのであまりあてにならないけど) 
また、今の家を決めるときに pon1pon2ともに物が捨てられない人間だということが最初からわかっていたので、収納場所がある程度多いことを条件に入れていたので本来は我が家の収納は問題ないはずなのだ。

しかし、大きな問題が2)物を増やさない である。 pon1,pon2ともに使えるものを捨てることに罪悪感を感じるタイプ。たとえ自分が使えなくても まだ物の寿命がまっとうされていないものを捨てるのはしのびないのだ。

大王の靴や服は比較的問題ない。これは保育園へもっていくと喜んでもらえるので。問題は大人の服・靴 。あまり袖をとおしてなくても リサイクルショップへ持ち込むほどのものでもないものなどあり悩むところ。

■分別収集

 そう思っていてふと思いついた。粗大ゴミだ。いらないものを粗大ゴミに出すのは我が家では(電話は面倒だけど)そう否定的ではない。リサイクルセンターでリサイクルして第二の人生を歩むことを知っているからだ。それに、市が回収に来る前に だれかが持って行くということもある。それはそれで有効利用されるということだから嬉しい。目の付け所はココ。回収前に持っていく人をあてにするのだ。
 
 同じように ○曜日は洋服の日 ○曜日は靴の日とか ○曜日は本の日 とか分けて美品は収集してもらえないかな。
我が家には新品同様のまま使っていない靴や洋服もある。
たぶん収集日が決まると、洋服をあつめてリサイクルショップへ売る人、靴を集めて再利用する人きっと出てくると思う。市は残ったものは今までどおり焼却しても良いし、市のリサイクルショップを作って売ることもできる。
大型の催し物の際に市のフリマを出展するということもできそう。
たとえば、海外や災害地への救援物資としても利用できそうだけど。(これは最近は迷惑なんだったっけ?)そういうシステムがあったら もっと躊躇せずに捨てることができるのにと思うのであった。
まじで市に提案メール入れてみようか。。。

■話しはかわって秋の虫

秋の気配もちらほらの時期になってきたが、数年前からベランダにはコオロギとカネタタキが住み着いているようだ。(だって虫の声が近いから)
 カネタタキの声は涼しげで気に入っている。みなさんのお宅ではどんな虫が鳴いているのだろう。
http://hitohaku.jp/musi/kanetataki.html ここで声と動画が見られます。

あと4ヶ月と5日。127日 画像は旅行先の サイカチの木

老婆は一日にしてならず。 2003,8,25
 なぁ〜んて。
黒砂糖パワーに心酔して朝昼晩と黒砂糖洗顔(スクラブ)していたら、多少調子がわるくなってしまった。スクラブ朝昼晩では、「一皮もニ皮も剥けたいい女」になるわけはなく、単なる因幡の白うさぎ状態。赤むけである。どうもこういうものはやりすぎるようで、反省。

 通勤時、保育園の美人のお母さんによく似た人を発見。でも、少し違う。少しだけ髪のまとまり具合が違う。洋服が違う。体型が多少違う。姿勢が多少違う。
 つまり、美人とは素材が同じでも、そういう少し少しの積み重ねが違うのだなあ。。なんて思いながら電車に乗った。

■子育てとオシャレ

 とはいっても子育て中は、オシャレまでなかなか手が回らないのも真実。私なんて美容院には数ヶ月行ってないし、少し太ってきてしまったので洋服などもあまり欲しくない。
化粧は着替えとセットで5分もあれば完了。髪は手櫛。と(威張ってどうする)手抜きの見本のような生活をしているわけで、この積み重ねがどんどんと 美しいおばあちゃんからは遠ざけているわけ。これをある年齢まで繰り返すことで 立派にだらしない老婆になっていくんだなあ なんて思ったりした。
 会社でも、やはり多少の差はあるが、同じ年齢でも独身だったり、子供がいない人や、子供から手が離れた人たちはやはり子育て真っ只中の人とはオシャレの面では格が違うという感じがする。

 大王が生まれる前のこと、駅でロングヘアの女性をみかけたことがある。
アイロンのきいていない洋服、なんとなく手入れの行き届いてない髪。そうして髪には一口大のご飯つぶの固まりがからみついていた。
 私は大変驚いた。自分の生活をひっくりかえしてみても そんなご飯が髪につくようなことはありえないから。「どうやってついたんだろう。」その時はどうしても思いつかなかった。

 多分その人はお母さんだったのではないかと今思う。赤ちゃんの手にご飯がついている状態で気付かずに抱っこしたのではないだろうか。急いで保育園に連れて行くときに、ワーキングマザーだったらありそうな話しだ。
 
■ガラスの仮面

 土日は体調がわるいのもあって、外出はpon1に頼んで私は家の片付けにいそしみました。ところが、引っ越したときには充分おさまっていたはずの荷物もぶくぶくと膨張していて収納場所に困る状況に。とにかく、どうにかすっきりとしたい。
 とっておいた園芸雑誌全部や、あまり着ない洋服などを捨ててみたのですが、それでも追いつかない。できれば大王のおもちゃに手をつけたかったのですが、これは出来ず終い。

 問題は本です。pon1もpon2も濫読のわりに本を捨てたくないタイプ。たとえそれが漫画でも。「ガラスの仮面」という有名な未完の少女漫画があります。一時ハマって現在発行されている全巻を揃えたのですが、とって置くほどのものでもないと貸した人に上げてしまいました。 ところが、最近ケーブルテレビでそのアニメをやっているのです。 
 すると、「ああ、もう一度読みたい。あの時とっておけば」と思うわけです。

同じくケーブルでここのところやっていた 「幽遊白書」というアニメがあるわけですが、実はこれもコミックス全巻まだ手元にあります。アニメを見ると原作が読みたくなるのですが、「でも、あそこに置いてあるから。いつでも読みたいときに読めるから。」と思い、出して読むまでには至りません。「持っている」ことに安心しているのです。
 これが処分していたりすると「ああ、あの時に処分しなければ読めたのに」と思うのでしょう。
あまのじゃくなものです。

■収集癖

帰省時に実家でつけていたテレビは特集ものでした。「ゴミの家」を更正させるというもの。自転車ばかりひろってきてしまい、家の周りに積み上げ、それが駐車場を覆い、屋根まで届いていしまう人。ダンボールを拾い集めて庭全体がダンボールの山の人。 電化製品を拾い集め家の中に通り道さえなくなってしまう人。 最初はおっかなびっくり見ていたのですが、片付けた次の週にあいたスペースにまた同じものを拾ってきて置いてしまう主人を見て、ふと「私もこれかも」と。 

 ドンドンと増える植物。処分して空いたスペースがまた次の注文で埋まる。冷静に考えたら5割減らしても減らし方が少ない位かもと思うのだが、結局は「欲しいから」「あつめたいから」「落ち着くから」集めているような気がします。つまりもう理屈ではない。本能のレベルなのではないかと。

 カラスが光るものを集めたとしても多分カラスはそれを何かに利用するわけではなく、あったからといってもカラスの生活に何ら役立つものではないと思うのです。

 大王は。。というと、すでに収集癖全開です。車や電車のおもちゃを集めていますし壊れているもの以外どれひとついらないものはないとのこと。それがお子様ランチのおまけであっても彼にとってみれば大切な宝物なのです。

 ためしに収集癖とキーワードを入れてgoogleで検索してみたところ15000件もある。
世には収集癖を自認している人のなんと多いことか。

■ローマは一日してならず

 なんでも積み重ねだなと改めて。 

手抜きの身支度も子育て中は子供をおろそかにして着飾りまくるよりは良いだろうが、限度がありそう。さて、子供の手がかからなくなったとなったときに、あるレベルまで容易に戻れる程度にしておかないと、日々の積み重ねでもう戻れない〜〜。となることは避けなければ。
 そうしておかないと本当に「老婆はいちにちにしてならずよ。ここまでくるのに何年かかったことか」。。と、自慢話をすることになってしまう。(^^;)

家もそう。こちらは気がつくのが多少遅かったのだが、大王小学生入学を良い機会として一旦リセットしたいところ。この一日にしてならずの物の洪水をどうにか正常レベルにまで戻したいところ。

植物もそう。増えすぎた植物。これも「収集癖のなせる技」と思えばどうにか片付けることもできそう。こちらも一日にしてならずと継続して収集癖と戦わねば。

一日もはやくリタイヤしてこのへんに集中したい今日この頃なのであった。

ついでに。ロバ(ミミ)も一日にしてならず。
(それにしても、今日はいつも以上に「ですます」「だ、である」混在で失礼つかまつった。)

あと4ヶ月と6日。128日 画像は 旅行先で殺生してしまった稚魚

健康関連 2003,8,24
ここのところどうも体調が悪い。

昨日整理している途中に見た朝日新聞のくらしの風という冊子に「まったくその通り」という症状が出ていて、そうなのかあ〜と。自律神経がちょっとボケボケしているらしい。

夏なのに汗をかかない。内臓機能が低下する。たちくらみがする。
昨日は突然おなかが痛くなり、どどっと汗をかいて、寒気がするというわけのわからない症状でした。

軽い運動をして、ぬるめのお湯で半身浴がよいそうで、水分を沢山とる。時々熱いお茶を飲むですって。

 冷房病と呼ばれてたものと同じなのだと思うのですが、今年は寒かったり暑かったりが突然切り替わるのでそのせいではないかなあ。

■黒砂糖

向田邦子の女の人差し指を読んだ。とくに面白かったのは、やはり自分の仕事に関するこだわりを書いた部分や、紀行文、食べ物に関して。
 その中でも身近な人形町についての記載でもう一度人形町へ行ってみたい。ずいぶん前に妹と思いつきで訪れたことがあるが、そのときは事前調査不足で少し残念だった。

 その中に、黒砂糖で洗顔するというのが出ていた。
私はアレルギーで石鹸が使えない。顔を洗うのにお湯だけで洗っていたのだが、これは良いかもと試してみた。 家には沖縄土産の黒砂糖がある。

 これがよさそうなのだ。しっとりして調子が良い。かさかさのかぶれの部分も症状がよくなってきている。 これは期待以上の効果があるようだ。

ネットで検索してみるとどうやら黒砂糖の効果を期待して石鹸や化粧水に使われている商品もあるようだ。 効果としては「保湿・抗炎症・美白」とある。たしかにしっとりするし、痒くなりかけた顔の痒みが少しうすらぐような気がする。

黒砂糖はがりがりと削って多少つぶが残っているものを水で練って石鹸のように使う。当初少しざらっと感じるが、これもスクラブ効果というか気持ちが良い。

ついでに洗面器を使って洗顔後の水を捨てないようにして、それをユリ科の植物に与えるともしかすると一石二鳥か?と。
 ユリ科の植物は甘党が多いらしい。マニアは「ブドウ糖」を購入して肥培する。
黒砂糖では精製度が足らないかもしれないが、気休め。
果たして効果はあるのかな。

あと4ヶ月と7日。129日 画像は旅行先のかのこゆり

牡丹灯篭 2003,8,23
暑かった。朝から腹痛。だけどとりあえず頑張って片付けにいそしむことにした。
ところが、結構沢山のものを捨てたのにあまり変化がない。
 ベランダと同じく多少整理しても誤差範囲になっているらしい。
悪くとれば、あんなにやったのに効果がみえない。
良くとれば、とりあえず捨てた分だけはまだ物が置けるということか。
納戸になっている部屋をみたら、粗大ごみの連絡をするのがおいつかなくてそのままになっているものも多数ある。これらも片付ければ多少違うかな。

■牡丹灯篭
昨日の歌舞伎は牡丹灯篭。夏場の歌舞伎座は面白いとのことを以前聞いて一度行って見たいとおもっていたところ。

 面白かった。本当に良かった。

新三郎を恋こがれるあまり死んでしまい、亡霊になって出てくる娘 お露。(勘太郎)残念ながら頬骨の高い骨ばった顔は女形には向いてないようにも思えるが、所作の美しいこと。立ち居振る舞いにしても、いまどき振袖を着てこのように振舞える人を見たことがない。きちんと座って袖をあしらうあたり、ああ、お嬢様なのだと思いながらみた。

乳母お米 吉之丞。最初からおばあさんになりきっている。パンフレットでみると凄みのある、いかにも化けて出そうな乳母だ。この人がすごかった。最初の生きている乳母もすごかったが、幽霊になってからの姿が、歩いていてもまるで足先がなく 先すぼまりになっているかのよう。 手をだらりとした姿は本当の幽霊のようだった。

伴蔵女房お峰。(福助)
ぽんぽんとした歯切れの良い言葉遣い、みるからに庶民で情にあついしっかり者だ。
年増のいい女という感じ。頬についたふくっとした丸みがどうみても女性。
まるで、山田五十鈴が若くなったかのような感じ。(といっても山田五十鈴が演技しているものを一度も見たことがないのだが、それほど女性のようだということ)

お国(扇雀)
こちらも、あでやかないい女。昔ならば男性が「こんな女にめろめろにされたい」といいそうな悪女である。(本当にそういうこと言っていたかどうかは別にして)
年のころなら27〜8でも22〜3にしか見えないというせりふからするとちょっと無理があるかと思うが(どうみても40前後かという感じ)昔は、女性も年をとるのが早かったのかもしれない。男をたぶらかす悪女ぶりがよく演じられていた。

そのほか 三津五郎、橋之助、勘九郎と 豪華な顔ぶれだった。

一番の見所は 終盤の伴蔵(三津五郎)が女房を殺してしまおうとする場面ではないか。突然大量の雨が降り、(本物の水)役者さんがびしょぬれになりながらの演技。
 幽霊に手を引っ張られたり首をひっぱられたりという一人芸も見所だったと思う。
仕掛けもよかった。 川にひきずりこまれるあたり、なかなかおそろしくて良かった。

 難点といえば、大仕掛けの舞台だっただけに 役者さんのせりふの裏でバタバタと次の仕掛けの準備をする音が聞こえること。これが少し興ざめだった。
 また、怪談だけに かなり舞台も暗い。セットが凝っているだけに幕が下りることも多く、暗い中、なにもみえないと ふっと気が遠くなって寝そうになってしまった。
 しかし、それについてもよく工夫がしてあった。
長く幕がしまったままのときも、客席上に お化け灯篭が舞ったりした。

残念だったのは一等席だったのにいまひとつ席がよくなかったこと。一緒に行った後輩の2人前の人が乗り出すとちょうど役者さんの前に黒い●がみえて良く見えない。
最近は映画館でもよくみえるように工夫されているが、歌舞伎座だからしょうがないのだろう。お尻もいたくなった。(昔の映画館を思い出した)

歌舞伎の後の店も面白かった。「なぜに歌舞伎座に?」というものも沢山あったがまるでおもちゃ箱をひっくりかえしたようで。

特に面白かったのは、実演販売。 昔ながらの版画で作ったポチ袋。これをつくっていらしたおじさんがまたすばらしかった。
 私が「これはなんだろう?」と手に取ると 「それは 鯉のたきのぼり」「それはいぬだるま。深大寺名物だけど、最近はつくるひとがいなくなっちゃったんだよ」とにこにこと説明してくれる。まるでその時代から生きていたかのような感じだった。

もうひとつは、小槌の根付。小槌の中には米粒ほどのものを実演で入れてくれる。
ひょうたんを六つ:無病。ナンテンの実:難を転じるように。狸:他人に秀でるように。などいろいろと説明しながらピンセットでつまみすばやく小槌の中へ入れる。
最初はいらないと思っていたのに危うく買いそうになってしまった。

■銀座で一杯
久しぶりの銀座。勝手がわからないが、お酒とつまみがおいしそうな店で少し飲んでかえった。男女の組み合わせしかいなかったらどうしようとおもうような洒落た店だったが、意外に女性同士でのみに来ている人も多く、予約がないのでカウンターでと勧められた6人の小さなカウンターはすべて女性。カウンターの中には 2人の男性。

 男性はグラスを洗い、お酒を準備し、注文を受ける。
女性は総じて良く飲めるようで、焼酎などを頼んでいた。(私たちも生ビールの次は焼酎を飲んだ)料理は銀座価格。味は良かったが、男性には少しボリューム不足かもしれない。

楽しい一日だった。
画像は ポチ袋。真ん中が 鯉の滝登り。あまりの愛らしさに釘付けで購入した。
鯛についている文字は 町なんだろうか。これについての由来を聞くのを忘れたのが残念。左は 名古屋コーチンだそうだ。大王マークなので購入。全部手作りの版画(浮世絵と同じように重ねて刷る)で、和紙でできている。
あと4ヶ月と8日。130日

年をとる 2003,8,22
若い頃に読んだ文の話。
失念してしまったのだが、たしかオジサンが書いた文であった。
「年齢がある程度いった男性について 落ち着いた魅力と若い女性が言うのを聞くが、それは誤解だ。オジサンは疲れていて怒る気力もないだけだ」というような意味合いのことがかかれていたと記憶している。

それを読んだ時に私はまだ若かったので、「へえ。そんなものなのか」と面白く思った。

私の周りの怒りっぽい人は痩せている人が多く、あまり怒らない人は 太っている人が多いような気がする。同じマンションの奥さんはよく朝6時半くらいの頭もまだ目覚めていないころから近所になりひびく大きな声で子供を叱ったりしている。彼女はすらっとしたとても美しい人である。そうしてとても綺麗好きで朝やはり6時くらいからぎゅつぎゅつと家の窓を拭いていたりする。

 怒るということは アドレナリンが分泌され、体内の代謝が促進されるということ。そうして行動的になる。つまり痩せやすい(カロリー消費しやすい)し、その反面やはり疲れるということなのかと思った。

■突然の出来事
遠距離通勤をしているので、終業すぐに帰っても家に帰り着くのは夕方7時半よりも少し前というところであろうか。毎日がこれなのだ。
 特に今週は帰省から戻って休みなくすぐ出勤だったので、宅配便で届いた旅行の荷物整理もせず、そのまま大きなダンボールに入っている。とりあえず洗濯が必要なものを洗濯して、中身の整理や旅行鞄をしまうのは、「週末にやろう」と 後回しにしていた。

 ここがまず、アドレナリンが豊富な人にはありえない思考だと思う。
子供は旅行の荷物の中から 親戚や祖母に買って貰ったおもちゃを取り出し、箱から出して箱もあちこちにちらばったまま。そうして、部屋は朝出かけたときのままの状態だった。
それでも最近は見てても見えてない。こんなことで怒っていては身がもたない。

 そんな昨日の夕方7時半をすぎた頃、「今日の夕飯は何を作ろうか」と悩んでいる頃のこと、ピンポーンと来客。「新聞屋さんかな?」と思い「はい」と出ると、近所の大王と同じ保育園に通っている子とそのお兄ちゃんである。 帰省したのでお土産をもってきてくれたとのこと。

 私もお土産を買っていたので丁度良いとばかりに玄関に出た。お菓子を頂いて、こちらのお菓子も渡してその後なかなか帰りたがらないし、話しがあるわけではない。
そうして、「家の中に入りたい」と言い出したので「ドキ」今日は一段と散らかっているので入ってほしくない。「今日はダメダヨ」という私を振り切って子供二人は家に入っていってしまった。
 「うちより散らかっている」といわれて「はい。そうでしょう。こんなに散らかっている家はそうそうないと思う」と心の中で返事しながら。そわそわ。
 夕飯食べて帰る。とか 泊まるとか言い出して 「どうしたらよいのだろう」
大王は大喜び。次々におもちゃを出して見せる。夕飯の、メニューでさえ思い浮かばない。
この子たちの夕飯を準備しなければいけないのだろうか。

 たぶん、長い時間ではなかったと思うのだが、私には30分にも思える時間がたって、お母さんが迎えに来た。子供達は叱られて家に帰っていった。

 脱力感。

理想としては、いつ誰がいらしてもきちんと片付いた家が良いと思う。でも、我が家の散らかりようは私の片付け能力を超えている。片付けて、「さあ、次は」と場所を移したら、その瞬間から元の部屋は散らかり始めている。 そうして、モノを捨てることを皆嫌がる。
1年間で1回も遊んでいないおもちゃでさえ捨ててはいけないというのだ。そうして、毎年毎年大きなおもちゃが子供の日、誕生日、クリスマスと増え、その個数は1回の記念日に対して、親と双方のおばあちゃんたち。つまり少なくとも3個ずつは増えていくのだ。 いまどきのおもちゃの大きさときたら並ではない。高さ30センチ〜50センチというようなロボットが何体もごろごろと増えていくのである。それ以外にも縫いぐるみあり、ボールあり。
そういうものが積み重なって、今では小さな部屋一部屋に収納棚をいれても一杯になるくらいのおもちゃなのだ。

 そうして、細かいおもちゃ。お菓子の方がオマケのような小さなプラスチックのおまけが 毎日毎日1個ずつ増えていく。これも捨ててはいけないもの。おまけのキャラクターがついているカード。毎日保育園からは絵をかいた紙、折り紙etc.etc.こういうものはあるだけでごちゃごちゃして散らかったイメージになる。

 ブロックで作ったものは崩すと怒る。気が済むまで飾ると良いとか 写真をとると良いといわれてそれでやっとどうにかなっていたのだが、これもタイミングが悪かった。
 実家から戻ったその日にブロックを片付けようとして、崩し始めたときに「写真とりたかったけど、今度作ったときにとろうね」と私が言った言葉が仇になった。「写真とってから崩す。」と言い出し、今度は崩した部分が「前と同じに出来ない。忘れた」といって壊すのも嫌、つくるのもできないとゴネはじめたので壊しかけの状態でおいてあったのだ。これも30センチ四方くらいの大作の戦車。

片付けてない自分が悪い。でも、片付かない理由もある。そんなやり場のない思いで、とりあえず自分が部屋を片付け始めた。サクサク片付けると旅行の荷物などは皆片付いた。こんなことなら最初からやればよかったんだ。

■怒髪天をつく
 腹がたったのか? これはyes 誰に? 片付けない大王に?夫に?それとも人の家に勝手に上がりこんでくる子供に? これは実は私に少しだけ腹がたった。 心のなかでは「散らかさないで欲しい」と思った。でも、結局は私が片付けてないからこういうことになったのだから。
多少大王に「こんな風に片付けないのは捨てるよ!これ、捨てても良い?」と声をかけたがかけながらも「これは八つ当たりだなあ」と多少の罪悪感。
 
 怒りの表現で「怒髪天をつく」とか「はらわたがにえくりかえる」というほどの怒りは最近めっきりなくなった。 あえていうなら、弱火でぶすぶすとお好み焼きの表面に泡が立つのをみながら焼けていくのを見るような感じだろうか。 やはり年をとったなあと思うのであった。
 年をとると温和になる。基礎代謝も落ちる、アドレナリンの量が不足しているようである。
そうして、疲れるから怒らない。今ごろになって、あの本にかいてあることは本当だったのだなと思ったのだった。

■今日はおでかけ
今日は午後から 久々の歌舞伎を見に行きます。後輩がさそってくれたので。
気分転換して来週からがんばろう。

画像は帰省で登った岩国城
あと4ヶ月と9日。131日

踊るポケモン秘密基地 2003,8,19
 昼間おばあちゃんは用事があるとのこと。
それではと大王を連れて映画を見に行くことにする。大王に相談した結果、ポケモンになる。

■七夜の願い星ジラーチ&踊るポケモン秘密基地

田舎の映画館は空いている。時間を調べて行ったのだが20人程度入っていただろうか。
ガラガラで、この調子で大丈夫なのだろうかと心配になるほどであった。
 沢山の予告編を見ながら、調度今上映している「パイレーツ オブ カリビアン」(Pirates of the Caribbean:なんで theを抜くんだろう。分かりにくいからって抜かれるから分からないままになるんだよなあ)の方が見たかったり。(これってディズニー映画?だったら大王okってことかな。あ、日本語字幕じゃだめなんだよなあ。。DVD出るの待つか。。)

さて、まずは踊るポケモン秘密基地

前座ってことですね。繰り返されるギャグに「こうなるだろうなあ」とねたがわれていてその繰り返しのあほらしさが面白いという映画。ただ。山田花子の声がいまひとつ。
 ニャースのキャラクターとあの「ドリフ」(ああ、古い)のギャグにも通じる繰り返し技。
私は、ばかばかしさとポケモンたちの愛らしさに結果的には ジラーチよりもこちらのほうが好きだった。

七夜の願い星ジラーチ

これはどうも入り込めませんでした。一夜にしてできあがったポケモン遊園地はとても楽しそうでこういう遊園地あったら結構流行るかも。。と思ったりしたのですが、いまひとつ今回の首謀者の気持ちが中途半端で「なんや?その動機」と思ってしまったことが原因のひとつかと。
 動機も動機ならやってみて大変なことになってしまってその結果結末への結びつけがちと?
「ああ、勘違い」ではすまないことです。もう少し書き込んで欲しい。<子供のアニメだってば 。
復活したポケモンはなぜか 物の怪姫を思い出すような映像でううむ。
エンディングの歌はよかったけど、中で口ずさむ歌が 「ドゥドゥ」ではいまひとつ。あれは歌詞がなければ子守唄になりにくい節だと思う。エンディングで歌詞の効果を狙うのだったら月並みだけどハミングくらいのほうが良かったと思うのは私が古いからだろうかなあ。

語感からしてドゥドゥという言葉は強い空気の流れと舌を使った発音が必要で、どうも子守唄には不向きな気がするが、実際は、赤ん坊はおなかの中にいる時には 心臓の音やらいろいろな音を聞きながら寝ているそうで、そういう音(胎内音)を聞かせたらよく眠るらしい。たしかに、私も騒音を聞きつづけると眠くなる経験を何度かしたことがあるからこれはこれでよいのかもしれない。
大王はそこそこ楽しんでいた様子。

■ゲームセンター
おばあちゃんと待ち合わせのため、映画館を出てゲームセンターで遊ぶ。
ここには子供が沢山いた。外には「たくさんのおばあちゃん」しかみかけなくなり、シャッターのおりた店も目に付くような駅前商店街。人口はさほどかわってなくても年齢層が私の子供の頃から随分と変ってしまったようだと思っていたのだが、子供達はこういう場所にいたのですね。
 ここには若いお母さんも沢山見かけた。涼しいし、決まった範囲で子供が遊ぶので楽といえば楽だからか。
あっという間に1000円くらい使ってしまうし、お金を沢山つかわないと面白くない最悪の遊び場だと思ったり。なんといってもゲームセンターのゲームには自分で作り出す喜びがない。相手(ゲーム機)の意図通りに動くことで景品がもらえるという 人間ロボット化現象。コンピュータの手のひらの上で遊ばせて頂いているというのは人間の度量が狭まりそうだな。<大悪口?
 私もテレビゲーム大好きだけど、このゲームには限界があるということを意識して付き合いたい。

そうそう。甥の家に行ったときに、甥が読みかけていた本で興味がありそうなところを2分程度でぱらっとめくったのだが、(題名失念。ごめんなさい。もしかすると テレビゲーム文化論
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4061495739/qid=1061431716/sr=1-5/ref=sr_1_2_5/250-8377093-8761851 だったかな)コンピュータゲームについて、有名な二人のゲーム作者への質問で「金の次のゲームの対象は 知力ではないかと思う。」という質問に対して
著者は 知力をためすゲームの難しさについて言及していた。
 2分でめくった本なのでどの程度の理解かというのは推して知るべしなのだが、たしか 知力のゲームを作ったとしてその作者の知力が限界となることに触れていたと思う。(※)
 プログラムというものは 作者の意図の範囲内でしか動かない。自己増殖するようなプログラムを組んだとしても、それも作者の意図の範囲内でしか動かない。

 似ていると今おもうものが、ロボットの感情表現。「嬉しい、悲しい」という表情をつくるロボットについてよく報道される。表情について言及するのであれば その表情をどれだけきめ細かに機械的に再現できるかという SFXのような技術に着目する場合はわかる。しかし、大抵は「このロボットは感情を持っています」なんていう感情表現をすることがさもすごいかのように報道される。
 ロボットは感情を持っていない。理解していない。プログラムする人が 「ある言葉や動作に反応して 悲しそうな表情をつくるように」と AならばB という風にプログラムしているだけなのだ。つまり作者(プログラマー)が意図しないことはできない。そういうオバカサンがコンピュータでありゲームなのだ。

 森羅万象をプログラミングすることはたぶん不可能だとおもう。
ロボットやプログラムはその森羅万象をうつすものと考えると、森羅万象自体を深く知ろうとしたりそういうものに沢山関わり知ることや、それによって自分の頭を柔軟にしておくことが大切ではないかと思うのだ。

ホンダのアシモの開発裏話
http://wwwsoc.nii.ac.jp/hf/pdf/report_99.pdf
ここにあるように、機能の実現のためには対象(この場合は人間の歩行)の掘り下げが必要。

さて、待ち合わせ後、昼食。その後来月やってくる誕生日のプレゼントをおばあちゃんに買ってもらって大喜びの大王でした。 

■おまけ
※うろ覚えの本について
 前半3分の2くらいはゲームの歴史なので、多少退屈。ゲームをやり尽くした人には うんうん懐かしいねえ。そういうゲームがあったねえという郷愁の意味でおもしろいかも。
 もしくはゲームオタクを極めたい人には ゲームの歴史書という意味で興味深いかもしれない。
(ここまでが18日)
画像は川遊びした 錦川清流線の椋野の駅。
あと4ヶ月と12日。134日

もう一人のおばあちゃんの家へ 2003,8,18
さて、仕事がある妹家族達と温泉の朝食で別れ、一旦実家へ。実家で別れて親戚達は自宅へと帰る。
楽しかったので、親戚の距離も近くなったように感じながらの別れ。
昼頃にpon1の実家へ移動するため荷物の整理など。飼い犬のポロンは人間の年に換算するとおばあちゃん犬。ストレスに弱く、昨日一日の母の不在が堪えたようで皮膚炎と目の症状が悪化している様子。可愛そうだった。ごめんね。
 帰ってきた母にべったりする様子は 大王が私たちにべったりとする様子に本当にソックリだ。
寂しかったのだろう。

■もうひとりのおばあちゃん
義母も待ちきれなかった様子で、義兄運転で迎えにきてくれていそいそと移動。
話題はここでも高校野球。甥もその高校に通っているので、そちらの話題になったが、甥はまだ2年生だし、勉強中心の生活をしているので、こちらでは意外とクールな反応。
 家に到着したら、甥たち(大きいお兄ちゃんたち)に遊んで欲しくてたまらない大王。でかけていってしっかりチョロQのテレビゲームをさせてもらっている。
 甥達は、ふたりとも性格がよい。大王もこんな風に育ってくれると良いがと思いながらいつも見る。おばあちゃんは待ちかねて、私たち家族のパジャマなどを準備してくれていた。

ついたとたんに「洗濯機貸してください」と大量の洗濯をする。大王の洋服は沢山持ってきているのだが、大人の洋服がピンチ。外は雨なので、乾きにくそう。急ぐものは乾燥機でと言ってくれたが、たぶん明日の朝までにはどうにかなりそう。

■花火
夏の夜はやっぱり花火。夜は義姉家族と一緒に花火。沢山買ってあったので、最後は線香花火3本まとめ付けとか技を競う。線香花火の火薬の量は職人技があると前にテレビで見た。付けすぎるとボタンは派手になるが、柳まで楽しめないとのこと。たしかに3本の線香花火の玉を一つにすると大きなボタンになるのだが、柳になる前に落ちる。3本を放射状に開いて楽しむという技のほうが豪華かも。麦わらの線香花火と、紙巻のものがあったが、紙巻のほうが玉が落ちにくいようにも思った。
もちろん派手な花火も楽しんだ。
昨年まではあまり楽しまなかった大王も積極的に花火に火をつけた。
大人ばかりだと面白みがないときもある。そんな中に子供一人入るだけでこんなに皆が童心に戻る。
やっぱり子供は貴重な存在だ。とてもはけきれないと思っていた量の花火があっという間にはけた。
満足満足。

■義母との距離
pon1の実家に戻っても、私はほとんど家事をしない。食事も作って頂いて、後片付けもせず、お風呂も沸かして頂いて、先に入らせて頂いて、旅行先で買ってきたという高そうな珍味もばくばくとpon1の分までいただいて、寝て食べてばかりである。
良い年をした嫁がこれでよいのかというのが常識的な考えであろう。私もまったくそう思う。

 だが、私は、自分の家に人が来てくれたときは、できるだけ自分でもてなしたいし、相手がいろいろとやってくれると却って居心地がわるくてつらいタイプ。できればすべてをこちらでやりたい。
 義母がどう思っているのか分からないが、無理に手伝うよりは頂いた好意はそのまま頂いておくのも良いように思う。とはいっても、ダラダラしながらもいつも心の片隅に「どうしようか」と思いながら接しているのはいるのだが。

 たとえば、義母が「焼きなすは、昨日の残り物だから私がいただきましょう」と言うと、私は(私は焼きなす好きだし、残り物でも大丈夫ですよ)と思って「いえいえ、おばあちゃん私が頂きますよ」といって食べ始めてから(あら?もしかしたらおばあちゃんも焼きなすが好きで、食べたかったのだったらどうしよう。)と思ったり。 お土産の珍味をpon1がたべて、あまり好きでなさそうな雰囲気だったのを見て (私はこの味好きだし、せっかくpon1が来たときにと思って出して下さったのだから)とバクバクと食べ、ふと蓋を閉める義母を見て「あれ?もしかして私、食べ過ぎたかな。pon1のかわりにはならなかったかな」とか。(^^;)
 食べ物の話ばかりで 客観的にみると笑えるが、多少の葛藤は心の中にあるのである。

 茶碗を洗うにしても、家事を手伝うにしても勝手がわからずあまり手伝いにならないことも確か。
 仮に、義母がこんな私に腹をたてることがあっても当然の私の振舞いだが、いまのところは普通の親子のような関係がなりたっているところを見たらまあ、これでも良いのかな。

「完璧な嫁」というのも可愛くないものではないかと想像したり。大王がお嫁さんを連れてきたとして、何でもできる「完璧な嫁」はそれはそれで素晴らしいとは分かっていても、どうも相手に親近感がもてなかったりこちらが気を使いっぱなしということもありそう。 おばあちゃん足が痛いのに私が手伝わなくて良いのだろうかとpon1に相談すると、(義母は少し膝をいためている) 日常生活くらいの運動はしたほうが良いと思うから本当に出来ない時に手伝えば良いとのアドバイス。
 この距離感はpon1家特有のものであり、つまりチームワークが良い。
布団をしまわずに帰ったら おばあちゃん困るんじゃないの?と問うと 「ゆうくん」(甥)がやるから大丈夫。とpon1 pon1はさりげなく相手の痒いところに手の届く人で、このさりげなくというのがそういうところから出ているのだと思う。

 私はといえば、いろいろ気を使った挙句に相手に気を使わせてしまったり迷惑をかけたりと裏目にでたりして人との距離がいまひとつ分からないやつ。これはpon2家の傾向かもしれないと実家に帰ると思う。

 私は、義母を好きだとずっと思っているし、義母も私を大切にしてくれている。そういう根本のところの気持ちというのはたぶん、言葉に表さなくとも自然に相手に伝わってしまうものではないかと思うのだ。「気が利いた出来た嫁よりも、義母のことを好きな嫁でいたい。」とも思う。
 思えば頑張ったことをアレコレとやかく言われると腹もたつものだが、最初から「こんなのでよいのだろうか」と思っているのであれば、「そうです。ごもっとも」と双方の関係が悪化しないのではないかと思ったりもしている。<っておばあちゃんは実ははらわたが煮え繰り返っていたらどうしよう...。(^^;)

 私は、義母に家に遊びに来て欲しいと心から言えるようにしたいし、心から訪問を喜べるようにしたい。(遠くはなれているからこそこう言うことがいえるのだと思う。二世帯住宅だとたぶん大変なこともありそう。)
結局怠慢嫁の言い訳かも。(義姉も優しい人だからこういうので許されているというのもあり。)

おお。そうだ。妹。私の妹にも今回驚いた。妹は8月の頭に新居に引っ越したのであるが、妹の義母が義伯母(?)と一緒に家を見たいとのこと。今回の里帰りの際に鍵を預けて二人に泊まってもらうことにしたとのことで、これは私には出来ない。妹の義母とのこの屈託のない信頼関係は妹の偉いところだ。

(ここまでが17日)
画像は錦川清流線の電車。車両ごとに絵が違います。1両編成のワンマン電車
あと4ヶ月と13日。135日

法事 2003,8,17
母は準備が進んでいないことが気になったようで、夜中の3時くらいから起きだして準備を始めたようで、私はその物音でたまたま目がさめて階下へ。目もすっかりさめてしまったことで、手伝うことにする。といってもさほど手伝いになるほどのこともなく、足りないものを24時間空いているスーパーに買いに行くという母に夜中に出歩くと何かあったら大変だから、明日にしてくれと言って、準備できるところまでしてまた就寝。
 実際は、24時間営業から通常営業にもどっていたことが次の朝判明してあの時行かなくて良かった。法事の準備はどうにかととのった頃に、親戚が続々と到着。そうしてお坊さんが到着。

■法事
お坊さんのお経がおわったところで、お説教になる。
「だいたい昔の子供は お盆だけは水遊びをしなかった。最近はお盆くらいしか休みがとれないこともあるが、皆お盆に泳ぎに行く」「昔はお盆くらいは殺生をせずにと、野菜を食べていた」など。
 昨日、泳ぎに行って、めだかを 環境破壊というくらい捕まえて瓶にいれて持ち帰り沢山殺してしまったことを頭の中でおもいながら。小さくなっていた。
 そうして、この後出す昼食はもちろん、野菜だけではない。


昔話の中にも、昔の子供のすごさに驚く。
 お坊さんは小学校一年生くらいのとき、近所の子供達に連れられて水遊びに行かれたそうだ。
その時人の真似をして高いところから水に飛び込んだらはるかかなた上方に水面が見えておぼれかけたとのこと。上級生は、焦らずに自分の膝をたててその上にお坊さんをのせて水をはかせ、(私は知らない救急法)そうしてすぐに泳ぎに行こうとするお坊さんを押しとどめ 川原に寝かせて年下のものに指図して川原の暖かい石を体の上に並べさせて暖め、唇の色が戻ってきたのを見計らってふたたび水に入っても良いと許可を出したとか。それから泳げるようになったそうだ。

 今は親である私が大王を連れて行ったとしてもそういう手際の良い手当はできそうもないし知らなかった。
 最近事故があるごとに、目を離した大人の責任を問う報道があり、私も「大人の責任だ」と思っていたのだが、お坊さんの子供の頃には、大人たち不在でも子供達だけでこんなにしっかりしたコミュニティが築かれていたのかということに驚いた。なにしろ川で泳ぐことさえなく、暖かいお湯のプールでいつも泳ぐ子供達。監視員がいるので、私たちはそういう知識なしに子供に接している。

整った設備やプロの存在は私たちの生活を便利にしているが、それによって私たちは自然に対するすべを失いつつあるのだなあと思った。

そうして、命に対する思い。
昔はたぶん魚を川でつかまえてそれを食べることもあったのだろう。今、川で捕まえた魚を食べるには多少の勇気がいる。店に並んでいる魚は皆切り身になっていたり冷凍されていてすでに 「生き物としての魚」ではなく「食べ物としての魚」となっている。 お盆の間くらいは殺生をしないといっても、それは動物に対してであり、植物も皆生きているのである。 その植物と同じくらいに 動物としての認識がうすれた 「魚」や「肉」そういう意識の差もあるかもしれないと思った。

お説教の中で、「昔の人はみな自分たちが生きるために命が必要なことを知っていた」と言われたが、実際今の世の中、スーパーに並んでいる「魚」や「肉」も植物とおなじほどに動物という実感が希薄になっている。
それは 殺すところを見ないから。死ぬところに関わらないからである。
生きていくために命が必要だというのは真実。でも、それをできるだけ感じずに考えずに済むようにしたのが今の世界。それは便利だけれども正しいことだろうかなどとも少し思ったお盆だった。

■野球

その後、残った親戚達の慰労会をかねて、今年は近くの温泉(宮島が見える)に泊まるとのこと。移動することになった。(こんな法事初めて。)丁度甲子園では母校の試合中。見るとはなしに見ていると、なかなかの接戦でよい試合。移動中に点を守って宿についた頃に追加点をあげ、とうとう勝ってしまった。野球部の話しも地元だと身近な話題となって親近感も増す。叔父の隣の家のお子さんも野球部で甲子園へ行っているとのこと。夕食は気分よく、親戚も皆笑顔でとても楽しい宴会となった。
 宴会では子供たち4人が大活躍。日ごろまじめな叔父が子供と戯れている様を大笑いしながらみたり、ユーモアたっぷりの叔母を見たり。子供がいるだけでこんなに大人たちの心が開かれるなんて。やっぱり子供はスゴイ。

 お風呂は 泡風呂あり、露天風呂あり、うたせ湯ありで 満足。 長湯しすぎて眠い。
(ここまでが16日)
画像は西岩国駅単線の無人駅です。
あと4ヶ月と14日。136日

従兄弟 2003,8,16
■錦帯橋
二日目の朝。今日は大王の一歳年上と一歳年下の従兄弟と会う予定。
朝大王も比較的早く目が覚めて、まだうりちゃんは起きてこないから手持ち無沙汰な様子。
ご飯もまだ欲しくないとのことだったので、近くの錦帯橋までいってみることにした。
 途中からごろごろと石のある川原におりて川沿いに歩く。錦帯橋は架け替えの最中だが、作業は水の少ない冬に行うということで、今は途中まで新しい木になっている。ここでも檜のお風呂の香。
 ところが、錦帯橋のたもと付近まできたところで、大王ご機嫌ナナメ。突然おなかが空いたらしい。せっかくここまできたのだからと橋を渡りたいが、帰るといいはじめ、なだめすかして自動販売機でジュースを買い、空腹しのぎに。橋をわたりきったところは 公園。
 人の少ないこと。ぽつりぽつりと観光客が見えるが、こんなに広い公園にこんなに人がいない状態はほとんどないどこにいっても人だらけの日常を過ごしているので、新鮮で気持ちが良い。
 大王も、大喜びであちらこちらを駆け回り上ったり降りたり。
 日差しも強くなってきたので、家に戻ることにする。

■城
帰宅して、大王は朝食。従兄弟たちは昼過ぎに来るとのこと。いままで城まで登った事がない大王を一度城に連れて行こうとしていたら、妹一家も来るとのこと。一緒にロープウエイにのってお城まで行くことにする。再度錦帯橋まで行き、吉香公園の横を通ってロープウエイに。天守閣までの道がまた、山の道のようで、空気が気持ちよい。ひんやりとした、山の匂いがする。
 走り出す大王のあとをあたふたとついて昇って岩国城へ。
刀や鎧の展示があり、一番上からは望遠鏡で市が一望できる。
 城をでてから、竹細工講習をやっていたので、そちらへ。笛をつくってもらい。うりちゃんと大王はピーピー鳴らしたり、他の細工をさわってみたり。
 家に連絡してみると もう一人の妹と従兄弟が到着しているとのことで急いで山を降りることにした。

■川遊び
昼食後は、単線の電車に乗って錦川上流で川あそびをしようということになり急遽出発。
電車の時間をしらべて(1時間に一本)いざ、駅へ。
 写真をとったりあそんでいると、どうやら電車が来る気配。単線だからと改札を出たところで待っていたらどうやら反対側のホームに向かっている。突然3家族子供をふくめてわらわらとダッシュ。
階段をかけのぼり、かけおりてやっとセーフ。
 電車はワンマン電車でした。切符を買わずに整理券をとって降りるときに料金を払います。
がたごとと電車にのってみていると車内の広告も面白い。地元のお酒の看板やら、熊が出たとの地元の新聞やら。「このあたりでも熊が出るんだ。。。」
 目的の無人駅で降車。
川は駅からすぐそば。あっという間に洋服を脱いで 川へ。水が冷たいこと。温水プールになれている大王には寒すぎたようだが、従兄弟たちの元気さに触発されて、水にもぐることができるようになる。因みに一歳年上の「まさちゃん」は 25mクロールで泳げるそう。すごい。
 pon2は昔とった杵柄で タオルでめだかのような稚魚を取る技を披露。ガンガン取れるので、子供達に人気。順番に何度も取って 妹は「こんなにとったら環境破壊みたいだね」なんて。
 ビンに入れて連れ帰ることに。川原にしては珍しく砂なので、砂風呂のように暖まったり。
(ここまでが15日)
写真は錦帯橋の上
あと4ヶ月と15日。137日

帰省 2003,8,15
今日(20日)から戻ってきた日常。休みの後半には、仕事の提案をしている夢をみて、「楽しい」と思っていた私は、やっぱり仕事好きなんだなあと再認識。
 pon1pon2双方の家を回ってゆっくりさせてもらったおかげで、お肌つやつや。多少遊びすぎ&枕が替わって睡眠不足という、楽しい帰省だった。
 日記は、時間がとれたら携帯から書こうとおもいきや携帯では日記は書けない。どうもキーボードでないとまどろっこしくてダメ。ということで、挫折。
 きょうびの高校生はよくあんなに長い文章をおやゆび一本で書けるものだ。情報機器についてはたぶん遅れをとることはないと自負していたのが数年前だが、携帯電話に関しては完全に遅れをとっていることを実感した。

日記のほうはすこしずつうめていこうと思う。
(日常生活中心になるので、少し退屈かもごめんなさい)

■帰省
 今回の帰省は妹夫婦と一緒にチケットを取った。
大王は、体調が悪かったのか以前「のぞみ」で乗り物酔いした経験があり、帰省を渋る頃があったが、いとこのうりちゃんと一緒となるとやはり嬉しいらしく、嬉々として駅へ。
 当日は雨。
帰省は大人数だと面白い。ビールを飲んでおつまみを食べて、つもる話しをつらつらと。
歓談しているうちにあっという間に実家のある駅についた。

 駅に降りるとこちらも雨上がり。降りた途端にヒノキのお風呂のようないい香が充満しているような田舎である。フィトンチッドたくさんだね。なんて言いながら深呼吸。新幹線の駅を降りてこういう香がすぐかげる場所というのもそう沢山はないかもしれない。
実家に到着。まちかねたおばあちゃんに対面である。

(ここまでが14日)
画像は椋野の川と橋。ここで水遊びしました。
あと4ヶ月と16日。138日

総替え 2003,8,14
総裁選 亀井が出るとか?でないとか? 先行きまっくら。
トランプで 総替えというのがある。手札が悪くていちかばちか全部取り替えるというものだ。 総替えしたほうがよくないか?

■きょうから帰省

 今日から帰省です。雨ですが、ベランダの植物への水遣りができないのが悩みの種なので雨のほうが嬉しい。生き残ってくれる確率がたかいから。
皆さんには申し訳ないが一週間程度雨がふりつづいてくれるとなおよし。

 帰省するとなるとすごくタイミングがわるいことも2,3
バラが多分帰省中に咲きそう。昨年新苗で購入したものだから数多くは咲かない。
春に咲いたあと、もう一度咲いたら名前がわかるかもしれないとおもっていただけに残念。
このバラは いつのまにかラベルをおとしてしまって何だったかわからなくなったもの。モダンローズで色が微妙なのだが、なんだろう。
 もしかしたら 「ジュリア」?でも茶色というより 「ブルーバユー」みたいな感じの色で少し赤みが多い。 ブルーバユーは持っているし、ジュリアを購入した覚えがない。でも衝動買いしたかもしれない。

 もうひとつはイチジク。丁度帰省している最中にうれて落ちてしまいそうなので
今日もうたべてみることにした。もう少しうれてから食べたいのだがしょうがない。

では。いってきます。 (ときどき携帯からなにかこちらにも書くかもしれませんが
今年は PDAを持っていかないので。。。)
あと4ヶ月と17日。139日

13回忌 2003,8,13
■人拓

昨日保育園に迎えに行ったらビックリ。そこいらじゅうに子供の魚拓いえ人拓がはりついている。
体に絵の具を塗って大きな紙にたおれたのだそうだ。
こういう遊びは家ではなかなかできないから、良い遊びをしてくれたなあと思った。
 せっかくだから どうやったら大きく人拓がとれるかとか どうやったら一番小さくとれるかなんていうのもやってみてもおもしろそうだ。

■13回忌

帰省ラッシュも今日がピークだそうで、通勤電車も空いている。この時期、暑さはあるけれどもこの少し人が少なくなったがらんとした感じの電車は私は好きだ。落ち着ける。
今朝は電車にお坊さんの姿も見た。この季節ならではである。

今年は父の13回忌。実家で法要がある。もうそんなになるんだなあ。
父の死は突然すぎて、家族には実感の湧かないものだった。大人になるにつれて、偉いと思っていた大人の実像がわかってくることも多いと思う。「親」が 「親」という特別な存在でなく「自分と同じ人間」という不完全なものであると気づいたり、その後、年齢とともに「守るべきもの」に変化してくるのは皆さん同じだろうが、父の場合は、その「守るべきもの」と私が認識する以前に別れがきてしまったことは、これから先ずっと私のなかでは後悔することになるとおもう。

■思い出
 我が家は転勤が多かった。当初は父についてあちこち回っていたが、私たち子供が小学校に上がる頃から転勤よりも父の単身赴任が多くなったことと、娘ばかり3人であったために、家庭は「女の家」となっていた。
 そうして、反抗期。身近に父のいない生活で、週末に帰ってくる父を日頃見かけない「男性」として認識して、とても居心地が悪かったのを覚えている。
 父は父で私たちの成長についてきていない感じ。子を持った今ならわかるのだが、子供は日々刻々と成長しており、「いつまでもこのあどけないままでいて欲しい」という気持ちと「すくすくと育って欲しい」という気持ちの板ばさみである。その、「あどけないままだ」と思う気持ちで接する父に 「もうそういう時期はすぎた」とばかりに私はさめた対応をとったりした。

 親にとってみれば たとえ子供が中学生でも、高校生でも産まれたばかりの姿や5歳の頃の姿がオーバーラップするものであるとはあの頃は考えも及ばなかった。

今考えると気の毒なことをしたとおもう。もう少し私が大人になっていたら、父の気持ちを汲めたろうに。
精神的に「大人」として自立するまでに手間がかかった子供だったために、「親のアラ」ばかり気になった頃も長かった。

■親の背中

「子供は親の隙間で育つのよ」とか「親の背中を見て育つというのよ」とか母が言っていたがまさにいまになって少し分かるような気がする。
 どういうことかというのをここで書いてしまうのは野暮だし、時間もないことだから止めておこう。大王が、こう言う気持ちがわかるようになる頃は 私は何歳だろうか。生きているのかな。

■どーもどーもパラダイス
今日も本の紹介。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4806117730/ref%3Dpd%5Fbxgy%5Ftext%5F1/250-6813638-9637826
 AMAZONの紹介にあるように、簡単な英語で書かれた本です。
昨日のTwits は 「大人としての自分」には面白みや興味が湧かない部分もあるわけで、やっと大王が喜んでくれるからという理由で読めたわけですが、こちらは楽しくにやにやしながら読めます。

 もう遅すぎるかもしれませんが、ぜひ夏休みの宿題にオススメの本です。
私も昔の宿題がリップバンウインクルでなくて こちらだったら きっと読む気がしたでしょう。
あ、そうだ。リップバンウインクルに比べたら昨日の Twits のほうがずっと良いです。面白い。
(冬休みの宿題に英語教材を検討されている方がいらしたら 両方オススメです。)
 この本、内容的には、デイブ・スペクター という感じでしょうか。
「たしかに、そういう面はある。んだけど、そこは大袈裟すぎない?(^^;)」っていう感じ。

 前半に学生編、後半にビジネス編のような体験がちりばめられています。
「日本人は会議が好き。毎日会議している。どうでも良いようなことを決めるために会議している」「彼等は目をあけたまま寝るスキルを習得している」
「鉛筆回しにいそしんでいる」なんて、「あるある!」ということも多くてそれはやはり実物を見た人だからこその面白さでしょうか。

 海外出張したときにオーストラリアでのオーストラリアの英語に戸惑うという話も面白かったです。
あと4ヶ月と18日。140日

ベン図 2003,8,12
 今朝は家を出た途端に雨が降り出した。日はさしているのに、バラバラと大粒の雨が降る。天気雨だ。かさをとりに戻ろうかと思ったがかなり遅かったので、戻っていると電車に乗れないとおもいそのまま走った。はしりながら なぜか私の頭の中には ユーミンの歌が鳴り響いてた。
「波打ち際をうまく濡れぬように歩く」から始まる歌だ。いつもの電車に乗れそうだと気づいたときに、ふと気がついた。この歌の名前「天気雨」じゃなかったっけ。
 意識して思い出してないのに歌が先に出てくるって不思議な感覚だ。

 そういえば、皆さんはどうだろう。思い出せない人の名前を思い出すときに、私は漢字が頭に浮かぶのだ。あの人誰だっけと思ったときに 目の前に漢字がイメージとして浮かべば思い出せる。
漢字のカの字も出てこないときは どうも思い出せない。皆さん同じように漢字でおぼえていらっしゃるのだろうか。ひとそれぞれ覚え方がちがっているだろうから聞いてみたいなあ。

■ベン図

 子供のころの記憶で 集合をあらわす図のことをなんていったっけ そうそう 「ベン図だった」なんて思い出しながらこの題を書いた。

  昨日の帰宅時なぜか私は凄く疲れていた。どうしてそこまで疲れたかの理由はわからない。
とにかく一人になりたかった。一人で寝て帰りたかった。誰ともしゃべりたくなかった。
 が、そういうときに限って人にあうもので、乗り換えた二つの路線とも人に会って隣同士に座って帰った。

 誰かと話しをしていて「話が合う」というのは度合いがあるとおもう。価値観等ものの考え方感じ方に共通点が多いと、その「話しが合う」という共通部分(ベン図でいう重なった部分)は大きいが、その辺が違うと「話があわない」(重なった部分が小さい)となることもある。

 当初、私と付き合いがあった人たちは、同じ学校出身の人や同じ会社に同じような資格で入った人達がほとんどだった。ネットでもある意味同じような考えをもった人たちが多かったので、ベン図にしても重なり部分が大きかったのだが、最近 価値観や根本の思考が違う人たちと話しをすることが増えてくるとストレスも多い。 話しを聞いていて「違うのに」と思うことも多い。驚くことも多い。

■昨日の出来事

 帰宅時に会う人たちはどちらかというと共感部分が若干少ない人たち。
どういう部分が違うかというと、たとえば商品の価値判断とかそういう些細なことだからたいしたことはない。なのでその共感する部分で話しをすることが多い。もちろん。重なる部分では話しも盛り上がるし、私としても退屈な長い通勤時間をまぎらせてくれるとても助かる存在なのだが。

 彼女はとにかく遣り繰りに興味があるタイプで、私はあまり頓着しないタイプ。
彼女は100円安いとか50円安いということでお菓子を遣り繰りして購入することをすごく楽しむ人だ。

昨日は 携帯の話しになった。彼女、携帯でどんどんとお金がかかるらしい。私はほとんど携帯は使わない(携帯なのに不携帯)のでほとんど基本料だけ。
 着メロを1曲ダウンロードするのに3000円使ったということを聞いて、つい(え?100円のお菓子は30個買えるよ)と思ってしまったのがはじまりだった。 その後携帯が欲しいと思っているという話しになり、「今だと新規は安い機種があるけれど、最新はポストペットが使える。でもそれは2万円以上するから悩んでいる」という話しを聞いた。只ポストペットのためだけに 2万円を悩んでいるのが分からなかったのだ。これが指紋認証とか二次元バーコード機能とか言われたらそこそこ気持ちがわかるのだが。「ポストペット?あれって使いづらくない?」「かわいいのが好きなんだ?」おもったままのことを口に出してしまったのだった。「マズイ!」と思ったのだが「可愛いのキライなの?」といわれ「いや。キライということでもないけど。。」と。
 それからはじまって、昨日の私は最悪 おすしの話しになって、インスタントの寿司酢についても粉末のが良いと言う彼女に「寿司酢くらいだったら 作るの簡単だから」といってみたり。
後から考えるとこまかいつっかかりが多かった。

■私のほうが変っているかもしれない

先日読んだ村上朝日堂の逆襲では 村上春樹さんが車について書かれていた。実は我が家も車を持っていない。車。買おうかという話しになったこともあったのだが、車を持っても使うことがないし、掃除やワックスがけというメンテナンスも増える。遠出しても運転する人一人に負担がかかるし、運転手はお酒ものめない。持っているだけで 駐車場代や税金がかかる。
それだったら、車を持っているつもりで少しのことでもタクシーを使えばよいし、楽だ。ということで、タクシーを通常利用しているのである。
そんなことをしても、車の維持費トータルよりもずっと安いと思うのだ。

 ほぼ村上さんも同じ考えだったので、妙な親近感を覚えた。でも、本にして出して売れるくらいだから 村上さんやpon家の考え方のほうが少数派かもしれない。

最近は、車を持っていらっしゃる方に迷惑をかけることがあるので、それで買おうかという話しになったりしたこともあるにはあるのだが.....。
そんな風に私の価値観の方がかなりずれているのかもしれない。

昨日は帰ってから反省。私の価値観でいろいろ突っかかった物言いをしてしまって。
そんな物言いをして相手を不快にさせてしまうくらいだったら、「ごめんね。今日はとても眠いから寝てよい?」と聞いたほうがずっとよかったなあと反省したのだった。
次回からそうしよう。<反省。

■The Twits

A PUFFIN BOOK から出ている子供向けの薄いペーパーバック。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/0141301074/ref%3Dlm%5Flb%5F5/t/250-6813638-9637826

書評を見て、なんとなく購入して読み始めた。最初から目の付け所が面白いのは面白いけれど、大人としてはいまひとつ。(やっぱり子供向け)
ただ、ふと「大王が大好きな話かもしれない」と気づいたので、挿絵をみせながらお話しをかいつまんでしたところ「次はどうなるのどうなるの?」ととても楽しみに聞きたくて聞きたくて我慢できない様子。今日はここまでね。と言っても、次のページの絵だけで良いからみせて!という調子。
 私だけだったら読み終えることのない話も 子供の心になって読むととても楽しい本です。幼稚園年長くらいのちょっぴり汚いものや めちゃくちゃなことが好きな頃に受ける話かも。 醜い考えというよりも、ヘンな二人の物語。

 ん?ある意味pon1&pon2も傍からみると ヘンな二人かも。

あと4ヶ月と19日。141日

自分で考える 2003,8,11
せちがらい世の中になってきた。資格がキライな私は資格というものをほとんどとろうと思ったことがない。しかし、会社でその資格が必須になってきたのだ。たくさんの資格をとって持っておくことが必要になってくる。

なぜ、資格がキライかというと「それが能力をあらわしているとは思えないから」である。
仕事柄、ソフトウエアの発注を外の会社にお願いしたこともある。
 そういうときには、大抵、スタッフの履歴書が私宛にくる。それを見てokを出し、仕事をお願いすることになるのであるが、「履歴書」はあまり あてにならないことも多い。
有名大学を出て、資格を沢山持っている人が仕事ができるとは限らないのである。

以前、関係の教育に行ったことがあるが 講習の合間に、講師の方に少し聞いてみたことがある。
「外注さんを選択するとき、どうればこちらのニーズに合うのだろうか」
答えは
「相性を含めて能力は人に依存している。つまり、前に良い関係で良い仕事をした人をお願いするしかない」との返事を頂いた。結局は 「履歴書ではわからない」と講師も思っていたのである。

■ところが

会社ではその資格を登録する必要があり、必須項目もあるという。また、講習会を受けたことで条件を満たすとみなされるものもある。いままで資格を避けていた私としては とても不利だ。以前受けたことのある講習ももう一度受けなおす必要もある。がっかりだ。

というときに、UML技術者試験というものの存在が知らされた。オブジェクト指向分析関連の資格だ。
ネットで受験できる。 会社も必須の知識としているということで、ためしに先日受験して合格した。ブロンズレベルの技術者である。 シルバーレベルは 半年に1度しか受験できないので、無駄に機会を使いたくないため ぶっつけ本番でなく少し大切に勉強してからにしようかと思ったのでまだ受けていない。

 オブジェクト指向といってもさほど難しくない。モノをあるがままに分析しようという手法であり、物事をきちんとあるべき機能に分割していくことができれば、つまり物事を整理してとらえることができれば なにごともシンプルにできるということだ。

 ただ、たとえば構造化にしてもオブジェクト指向にしても、それを実現する方法論だけが一人歩きしている部分もあって、たとえば、世のスクリプトなどオブジェクト指向向けの書き方を適用してかえって難解になっているものもたくさんある。
簡単にするためのものを方法だけ採用して難しくする。これが一番の問題点だ。
本来はこれを解決するための試行錯誤がこのUMLや構造化なのに。

■自分で考える

昨日は久々の母校が甲子園で初の2回戦進出だとかで驚いた。母校というほど 高校には良い思い出がない。

 それでも、スタンドに整然と並んで応援している高校生は懐かしく、私が高校を卒業した頃から冷凍保存されていたかのように同じ、このあたりで見かける高校生とはかけ離れた雰囲気の子供達だ。見ていると私も高校時代にタイムスリップできそうな気さえしてくる。
 選手の顔をみると、皆若い。この年齢の顔を見て「若い」とか「まだ子供だ。かわいらしい」などと思うことがあるということが、私がトシを取った証拠だなあと思いながらみた。

 テレビで見る選手の顔には、くっきりと心理状態が見て取れる。相手の学校は見るからに能力のありそうな粒ぞろいの良いチームだったと思う。前半は双方緊張の様相だったが、後半母校側で得点が出始め、あれよあれよという間に8回の裏になっていた。(わたしも 例によって「ながら見」していたので)その頃の選手の表情は明らかに違った。

もう少しで泣いてしまうのではないかと思えるような 相手チームの選手に比べて、母校の選手達は「ニヤリ」と笑いそうな不敵とも思える自信のある顔つきだったのである。「今年はやるかもしれない。おごらなければ大丈夫」と思った。 実は最後の大量点で逆転されるのがいままでの母校のパターン。

 監督への勝利インタビューを聞いて今年の野球部が少し違う意味が少しわかったような気がした。母校は普通の公立校であり進学を重視している学校である。有名野球部があるような学校ではない。野球で身を立てようとする人たちはたぶん有名野球部がある学校へ集中すると思う。
そういう面で、スター選手の卵は少ないし、野球部の部員もそういうところほど多くないと思う。
 野球メインの学校では選手層も厚く、才能がある人たちの中からさらに選りすぐりが出場するのが甲子園。

 監督の方針を聞いた時に残った言葉が「スター選手がいない」「集中力が最後まで続くように」
「指示はしなかった。ただおまえが何とかしろといっただけ」というものだった。

 そうだなと思った。野球をやっているのは監督ではなく、生徒達だ。逐一監督の指示どおりにしか動いてない場合。負けはじめるとパニックに陥り多分監督に「どうすればよいか。どうすれば勝てるか」と 気持ちの上ですがるようになると思う。そうではなく、日頃から自分達で考え自分達で行動し本当の意味でのチームワークが育っていたら、負けがこんできたときにでも、自己回復力が働く場合もあるだろう。
 2回戦はいつも対戦して負けている相手とだそうだ。今度は勝てないかもしれないが、彼等の試合ぶりは私にも示唆を与えてくれていると思う。

■会社でも

 会社でもそうだと思うのだ。資格でがんじがらめにされ、上からの指示でしか動けない。上の指示をきちんと聞く人だけを評価するシステムになってしまうと、なにかあったときに全体が上手く動かない。この不況のドロドロとした中、完璧な指示がおこなえる監督はいない。
 会社はものごとを実現するためのステップを評価するべきではなく、本来実現しようとしたことが実現できたかどうかを評価するべきである。
 会社もチームワークで動いている。社員相互に適当な裁量権を与え、自分で考える・自分で立て直せるようにするのが今の不況の世の中では必要ではないかと思う。

■ドミノ倒し
 
 ビデオカセットを使ったドミノ倒しをテレビで子供達が作っていた。大人から見ると少しカセットを置く間隔が狭い。
「カセットを上手く倒すためには 何センチの間隔をあけるようにしましょう」と教え これをソラで言えるようにするのが 今の資格だとしたら、「説明はできないがこのカセットは倒れないね。」というのが職人の世界。 たぶん。倒れにくいと判断した頭には カセットの形状・重心・重さなどが経験的に、数値としてではなく感覚として理解されていて、それを総合した結果がもう少し幅をあけるべきとの判断だと思う。 これは経験によってヒトの頭の中で蓄積されヒトに説明できない知識。

 だれでもあるレベルまでできるように、ヒトを底上げするのがマニュアルの世界。でも、マニュアルや試験だけにこだわると、ヒトの芽を摘んでしまうのも同じマニュアルの世界だと思う。

あと4ヶ月と20日。142日

台風一過 2003,8,10
台風が過ぎて今日は良い天気。

帰省のための準備をした。日ごろあまり気にしていない下着や靴下など、洗いざらしのものを持って帰ると母や義母が心配したりすることもあるので、pon1の下着や靴下、それから暑そうな実家で過ごすための短パンを買いに近所のユニクロまで。

空いている。安い! 短パン値下げされて500円。pon1と私用それぞれ 2枚ずつ購入。
pon1の下着と靴下を購入して、ほかにもイロイロ。どっさりと買い込んだ。

帰りに通り道にある BOOK OFFを のぞいてみる。ほしい本は先日教えていただいた向田邦子。あまりなかったけどそれでも100円の本を3冊手にとっていたら、pon1がポイント券をもっているとのこと。二人合わせると500円ある。あと2冊100円のが買える。
 よろこびいさんであと2冊物色。 ポイントだけで本が購入できてなんだか得をしたような気持ち。

帰宅して、くたびれた靴下や下着を処分。(こういうときにしておかないと くたびれているのに気づかなかったりする。(^^;)穴でもあいてくれると良いのだが、いまどきなかなか穴もあかないので。処分のしどきが難しい。)

 そんな一日を過ごした。

画像はマンデビラ。育ててみてはじめてわかることって沢山ある。
つるで、夏に咲く、
この花は何日も咲いている。昨日の台風にも負けずに風に翻弄されて グワングワン揺れていたのに今朝もこの写真と同じように涼しそうに咲いている。花痛みもしていない。
 こんな風になりたいなあ。
あと4ヶ月と21日。143日

だらだらとズッキーニ 2003,8,8
 テレビ東京の朝の番組で ぐっども〜にんぐというのがある。大王の興味がありそうな番組を目覚ましがわりに寝室でつけることが多いのだが、この番組はその後にやっているもの。時々大王が好きな工作があったりする。

 朝、出勤準備をしながら 横目でチラチラみることがあるこの番組、時々料理もやる。
出てくる料理の先生は、華奢で小柄だけど顔がふくふくした人で落ち着いた話し方に色気のある人だ。料理の先生というよりは 「どこかのマダム風」の美しいオシャレな服装で出てくる。
 そうして、この料理が簡単で見た目が綺麗だが、まずそうなのだ。いつ見ても「うわ〜まずそう」と思う。

 一緒に教えてもらう女性はたぶん目黒祐樹の娘の目黒裕佳子。彼女もあまり美味しそうに食べない。私が見た限りで過去一度だけ「美味しい」といって食べていたのは、イタリアンドレッシングを使ったサラダ料理だった。「市販のドレッシングと野菜とゆでたスパゲティだったらそりゃ それなりの味になるだろう。」というのが私の感想だった。

 どういう風に「まずそう」な料理なのか。というと。この料理のウリは「汚れ物を出さない」「手をかけない」「お皿やセッティングで見た目をちょっとオシャレにする」こんな雰囲気ではないかという感じ。「つけ爪をした手で包丁いらずのクッキング」という雰囲気なのだ。

いや。手間をかけなくても美味しい料理というのはある。ネットで教えていただいたきゅうりとピーマンの散らし寿司。これは簡単で涼しくて夏場にはなくてはなならない我が家のメニューなのだ。
が、この番組に限ってはどうも日々料理を作る人間からすると「ありゃ絶対おいしくないぜ」という勘がはたらくのである。

 まあ、たべたわけではないから、本当はおいしいのかもしれない。目黒裕佳子は美味しさを表現するのが下手なのかな?とも自己否定してみたりしながら見ていた。

今朝同じ番組でどこかのレストランへ 目黒親子は出かけていた。幸せそうな顔をした満面の笑顔の二人。美味しそうである。言葉にも「美味しい〜」と出しながらたくさん食べていた。

 これを見て確信! やっぱりあの簡単料理はまずいに違いない。

■思い出

新婚旅行は フランスの田舎町めぐりだった。残念なことにどこで食べたか忘れてしまったのだが、一軒、ガイドさんオススメの料理店に昼食をとりに入った。美味しかった。すべてが大層美味しい店だった。おなか一杯になるまでコースを食べて、でも残したくなかった。
ツアーで一緒の人たちも美味しくて皆幸せな気分にひたった。それまでの料理もそこそこ美味しかった。でもその店は ダントツだった。 皆陽気になり、幸せになり、うれしくなり、あまり良く知らないツアーの人たち同士一気に意気投合して幸せを共有した。みな、満面の笑顔だった。

 中には旅なれた方も多かったが、店を控えて帰られる方もあったと記憶している。

私も、もしもう一度いけるのであれば あの店にいってみたい。どこにあるかなんと言う名前か忘れてしまった店だけど。

 そう。食べ物が美味しいと幸せになるのが人間の本能だと思う。テレビのこちら側の私には味をたしかめることはできないけれど、想像はあまり外れてないと思う。

 独身の頃はテレビで有名な店にも何件か行ったことがあるが、たとえば、2度通って1度目と2度目の同じメニューの出汁の味が、私のように素人にも分かるくらい違う店もあった。
 2回とも一緒に行った友人と「最初の方は、命の出汁が弟子の味だった」と言ったものである。
テレビに出ているからといってその店がおいしいとは限らないものだな。と思った。

■美味しい料理

私は、美味しいものが好きだし、めちゃくちゃな料理下手ではないと思う。 料理を作る場合に、絶対に必要なものがある。それは自分なりに「美味しい」「美味しくない」がわかることだとおもう。

 テレビ東京の料理の先生は料理や食べることがあまり好きではないのかもしれない。
料理が好きだと、美味しいものを食べた時に また食べたくなって「この味は何と何が入っている」と自分でだいたい見当をつけたくなる。実際、私も新婚旅行から帰ったときには、旅先で食べたメニューをいくつか家で再現しようとしたりしたものだった。
 また、何かを食べたときにこれとこれをあわせたら美味しそうだなと ピンとくるときもある。
そういうほんのちょっとのことが美味しさに影響したりすることも多い。それが料理の楽しみだったりする。

 美味しい料理が好きだったら 美味しくない見かけだけの料理を作り、それを食べるのは苦痛だと思うのだった。

 彼女は「美味しい料理」は目指してないのかもしれない。美味しい料理は世に溢れている。「手間をかけずにそれらしい料理」を目指しているのかもしれない。

■ところでズッキーニ

ところで今日の題名のズッキーニ。いまひとつ美味しいズッキーニ料理というのに出会ったことがなく、私にとって分からない食材である。 ラタトウユにするというのがあるが、煮込んだときに「ズッキーニである必然性」が私にはわからないのであった。
ストンストンと切って塩コショウで焼いただけで美味しいということだが、これも今ひとつ。
 「ああ、ズッキーニが食べたい」と思うほど恋焦がれる味ではない。
たとえば、ナスといえば 焼きナス。とか そういう ズッキーニといえば 「コレ」という料理は何なんだろう。 フリッターとか揚げ物はおいしそうかな?と思ったりもしているのだが。

 もし、「ズッキーニといえばコレ」という料理があったら ぜひ教えてください。

■味音痴

 偉そうに書いたのだが、私は味音痴を自覚しているところもある。
どうもトリュフのよさが分からないのである。トリュフの香が分からないのだろうか。
何回か食べたことがあるのだが、ジャキジャキした感覚だけがのこって 香も「これがトリュフ」というのもわかってないからだろうか。(つまりケチな食べ方したからなのかな?)

 それから フォアグラ。これも脂っこくて大抵苦手。料理方法にもよるかもしれないが。

 キャビア。まあまあ美味しいとは思うのだが、これも 最高級のものでなかったからか絶対キャビアでないとダメというほどのものでもなかった。辛子明太子のほうが好きかもしれない。

 世界三大珍味をたべてこの程度の感想なのは、その美味しさが生かせてない料理だったのか私が味音痴なせいなのか。。。

■味の経験
 つらつら考えていると思い当たった。母はウニが嫌いだった。そのためウニが食卓にのぼることはなかった。すし屋などでウニをたべてみたこともあったが 美味しいとは思わなかった。
 ところが、大人になってから新鮮なウニを食べたら私の嫌な味がしない。「好きではないがこれだったら食べられるかも」と思った。

 ホヤ。これは三陸へ旅行へ行ったときに初めて食べた。その民宿は取れたての魚を料理してくれるところだった。そこで食べた。「海のパイナップル」とはどういうものだ?とグロテスクな見た目におっかなびっくり食べたら、なまこのような磯の香がするたべものだった。
 ところが、pon1に聞くとあれほどまずいものはないという。

 最初に食べた美味しい味というのが頭のどこかにのこっていて、多少まずいものを食べてもどこかでその記憶で修正しながら食べているということもあるかもしれない。

今日はとりとめのない料理の話しでした。


あと4ヶ月と23日。145日

誤解の周辺事情 2003,8,7
ネットの世界で、私は性別を勘違いすることも多い。
最近でも二人の方を女性だと思っていたのだが、男性だということがわかって驚いた次第。
その中のお一人のページではトップを可愛い猫がかざっている。日記サンプルの色はピンク。てっきりネーミングとこのページで「おお。女性なんだな」と思い込んでいたのである。

もちろん、お二人は普通の文章を書かれていたし、普通のページを作っていらっしゃるのだが、私がその周囲状況を自分で勝手に判断して彼等を彼女等にしてしまっていたということだ。

■十把ひとからげ

「女」と十把ひとからげに見るというのは、いつもナンセンスだと思うことの一つなのだが、たぶん 自分が「男というものは・・」と十把ひとからげに見られたらというように想像していただければ 男性にも私の言いたい事がわかって貰えるかもしれない。

 反対に、自分を基準に世の男性が自分と全く同じ人たちだと思っている方がいらしたら、申し訳ないが、それは間違っている場合も多いと私はおもっている。つまり、世の男性全員を自分と同じレベルで知ることなく 「男だから自分と同じ」と思ってしまうことは 勘違いも多いだろうということだ。(これは、女性にしても同じ)。

 たとえば、「男には(〜という本能から見ても)浮気はつきものだ」なんて言ったとしてもそれには全く根拠がない。「女性の中にも 浮気がつきもの」の人もいるかもしれない。 そんなわけの分からないことを言わず、男でも女でも「私には浮気がつきものです。」といったほうがずっといさぎがよい。一度この世に生をうけて産まれてきてみると、どうあがいても遺伝子レベルでは現在は 男は男に、女は女でしかいられないという現実があるので、遺伝子という自分では変えられない違い同士で群れたがるし、理解できないことを性差として捕らえがちなのではないかと思ったりもする。

■女性はピンクが好き。

ある携帯電話について その携帯のウリは実は女性でも持ちやすいことだという発言から端を発した。男性数人が「女性をターゲットにしているのだったら、もっと可愛らしいピンクとかそういうものを全面に出す必要がある」ということを真面目に討論しているのを見た。

 女性はパールピンクが好き。 本当だろうか。
私はパールピンクはあまり欲しいとは思わない。想像して欲しい。モー娘がパールピンクでキャラクターのストラップをばりばりつけた電話を持っていてもokかもしれないが、たとえば「いい女」
「かっこいい女性」がだれもがピンクでは私は幻滅である。
 女性をターゲットにするのであればある意味、ファッション雑誌に小道具として使えるくらいのデザインのものが欲しいと思うのである。
 もしくは、シンプルで服装を邪魔しない。主張しすぎないデザイン。まあ、年齢的な問題もあるのかもしれないが。

そうそう。もうひとつ付け加えておこう。これは女性から聞いたことだが、合コンなどに行くときにピンクの洋服を着ていくとかなり良い成績が出るらしい。(つまりモテルらしい)
 中身の人間はまったく同じであっても 赤や黄色紺や黒よりも格段にモテルという経験談だった。
「ピンクが好きな女性」を求めているのは男性の方かもしれない。

色彩心理学的にはピンクは「とがった気分を和らげ、優しさや思いやりを喚起させる色」だそうで、
http://homepage3.nifty.com/ironomahoutukai/tyukyu3.html たしかにそう聞くとそういう結果も分かる気がする。

※ここにこんなことを書いている本人が、冒頭に書いた文を思い出して欲しいのですが、
 私は「猫」の画像と色使いで男性を女性だと思っていたわけで。。実は私も思い込みの罠にはまった一人。

■ある意味ネットはフェアな世界

 ネットでの付き合いはそういう男女や年齢を超えた付き合いという意味で面白いものだと思う。
 男性だと思っていた人が女性だったり、女性だと思っていた人が男性だったり。XYという染色体は違っていても、男女のものの考え方や性格にはさほど影響がないという結果も出てきそうだ。

 ただ、ネットだけで付き合いのある人に実際にお会いしてみると印象が全く違うということも多くある。他人事のように書いたが、実は私も若干違うらしい。

 それは、私にとってネットの世界というのは自分の中でのほんの一部の世界でしかないわけで その一部の世界の範囲だけで付き合っている人たちがネットの付き合いの人たちだからであろう。

 つまり、良くあるネットトラブルも大半は
1)ネットで見える姿はその人のほんの一部であるのにそれがすべてだとおもって見ている。
2)特に 1)で好感情を持たない場合にありがちなのだが、ネット上で表現されていないことを
  自分の悪い想像を付け加えてその人物全体を評価する。

 ということに端を発しているように思う。

たとえば、私などはよくこんな風に生意気な日記を書いているので「くそ生意気ないばりくさった女」だとおもわれがちだろうと想像できるが、たぶん、夫からみると亭主関白よりなのではないかとおもう。ピンクが良く似合うし。(<ピンクは似合いません。大嘘です ;-p)

■よくも悪くも自分のせい

 私は昔から「一見〜だが実は〜」という意外性のある人間に憧れていた。昔「私ってこう見えても骨太なの」というコマーシャルがあったが、「ファッションばかりに気を使っているみたいだけど仕事もできるのよ」とか。「家事なんてやらなさそうだけど実は家事バリバリ」とかそういう「白鳥は優雅に泳いでいるようだが、水面下は必死に足を動かしている」(本当かどうか見たことないんですけど。)なんていうのが好きだった頃があり。
 意外性は人生のおもしろさであり、映画にもある。
「プリティウーマン」:売春婦だけど実際は可愛らしくて素直な女性。
「ワーキング ガール」:教養なさそうにみられていたけど、頑張りやの頭の良い女性。
「沈黙の戦艦」:太ったコックが実は強いメチャ強い。
 
でも、よく研修でも言われるが、
「みかけも大事」とか。 つまり、結局人は見かけという印象をそう簡単には拭い去ることはできないことが多いわけだから、やっぱりある程度は「自分がこう見られたい」と思うような姿や振る舞いを見せることが面白みは少ないけど誤解されないことのためには大切。っていうことのようだ。

(ここでいう「見かけ」は「ネット」ではとりもなおさず書く文書などにあたるということですね。

つまり、私のように「意外性」をめざすと 誤解を受けるのは当然だということのようです。
で、こんな風な文をたまに書いてみるのは、「私はちょっと意外性のある人間よ」というアピールになるんでしょうか?(^^;))

■おまけ(余談で色について)
 ロバミミの色は オレンジと黄色と赤。書いてあることもアグレッシブに感じられがちかも。 まったく同じ文章を別のデザインに置くとまた印象がちがったりするものですから、色の与える心理効果とは侮れないものだと思ったりしています。

あと4ヶ月と24日。146日
画像はハイビスカス スピカ

ちょっと くやしい? 2003,8,6
今日は外回り。

実は、例のローンの借り換えを決断したので、pon1と久々のまったくの「ふたりっきり」デート。 デートといっても行き先は 「区役所」とか「銀行」だったりするわけで ロマンチックなことはまったくないのではあるが、ここ5年間ずっと二人が出かけるときには 大王がもれなくついてきたわけで、「ふたりっきり」ってなんだか嬉しいのである。

 とか言いながら会話は大王のことばかりなんだけどね。 

せっかく出かけてきたので 二人でお茶でもなんて言ってお茶のんだり。
喫茶店で「フードはまだですが?」って言われて「は?」と言ったら「スパゲッティなどはまだできません」と。
 「んじゃゼリーとかデザートはどうなんだろうね。」
 「本当だったら、ドリンクとデザートだけになりますとかが普通なんじゃない?」
 「お食事はできませんがとか」
なんてくだらないこと言ったり。
 「タピオカ入れるんだったら 氷がもう少し大きいか小さい方がいいのかな」
なんて、二人でこそこそ批評するする。<(^^;)
きっと年寄りになったら はなつまみの批評じじばばになりそうです。

そうして、銀行の担当さんは、私と良く似た性格の人だと思っていたのですが、やっぱり良く似た人で(他人事ながら 面白い<あ、失礼)、途中忙しくて代理の人が来た時にちょっとしたことが発覚。(つまり、ちょっとばかり オオボケかますひと)
 バタバタと出ていく担当さん。その後ちょっとし〜んとして。「どうなるんだろうね。」と興味津々のpon1pon2. ちょっと待たされて思ったような展開で事なきを得ました。

 無事やることが半分終わったので 肩の荷が半分だけおりました。

■くやしい?

 くやしいなあというのはpon2です。
pon2が「こんなの欲しい」とpon1にふと言ったことって 数年後に商品になることがたまにあります。 たとえば台所の上の方の棚が下がってきて踏み台がなくても出し入れできるもの。

 たとえば、ゲームソフトにつないで足踏みしたらゲームの中でバーチャルな町をあるいているようになるフィットネス用ソフト。

 これ、アイディア料が入ったら小遣いになってたのになあ。同じことを考える人というのは世に沢山いるんですね。とても残念。ちょっとくやしい。
 どうも私のアイディアは 収入にむすびつくものではないんだなあ。
ちょっと悔しいなあ。

 先日、大王のやっているチョロQをみながら、これだけ映像がちゃんとしてきたら現実にある場所を ゆっくりドライブ気分が味わえるような。気ままにふらふらできるようなソフト。出てきたらいいのにねえ。 とつぶやきました。ちゃんと夜も昼もあるようなソフトだといいなあ。 だれかつくってくださいな〜。
 
あと4ヶ月と25日。147日

浴衣は薄化粧 2003,8,5
 どうにかこうにか今日は会社へ来ました。午後大切な打合せがあるので。
で、午前中は資料つくり。<なんでギリギリに作るのさ。反省。
 頭痛の片鱗と 時々めまいがあるのですが、こんなのは 私の自律神経がいかんだけなのでちょっと鍛えなおします。<昨日は参っていたくせに。

 頭がいたいとどうにかして早く直したくて、うなじでもどこでも気にせずにベタベタと貼る薬を貼るわけですが、直ってはがそうとするといつも髪がべったりとくっついていて大変後悔します。
 でも、いままで一度も 取れなかったこととか、髪がごっそり抜けたことはないので、毎回しょうこりもなく貼っちゃうんですよね。

■少子化
ということで、ささっと書こうと思います。

 電車によく、日能研という塾のビラが貼ってある。ちょっとした頭の体操ということで暇なときは楽しく見ていたりする。
 座った座席の向かい側にあったものなので、あまりきちんと読めなかったのだが、
今回の設問に 「女性が一生のうちに生む子供の数が減っている(少子化)傾向がある。どのような社会にすれば 女性が安心して子供を生めるような環境になりますか?あなたの考えを書きなさい。という中学入試問題があった。

http://www.nichinoken.co.jp/mondai/fsm_ind.html □い頭を○くする
 
 ちょっと待って!中学入試とは 小学校6年生を対象にするのである。この問題の設問は適当なのであろうか。

 はっきりいって少子化問題は入試には不向きな問題だと思う。なぜなら、原因にしろ、対策にしろ「コレ」と決まるものがないからだ。いや。採点のしようがないといったほうがよいのか。
 試験に問題を出す場合、だいたい「キーワード」が入っているかどうかで採点する。
本当に回答例にあげられたような施策がされたところで 子供が増えるのだろうか?
 ちょっと悪魔的な発想だが(注:私はその少子化の真っ只中にいる ワーキングマザーです)
「女なんかには学はいらない」といって、一切の学問を禁じ、社会進出を阻み 家庭にしばりつければ安心して子供を産むことに生きがいを見出して 少子化に歯止めがかかるかもしれない。
(とんでもない話しだけどね)
 会社に行きながら、産休を取って子供を産んだ女性は 無条件に会社での待遇を上げなければならない(給与面や人事面)っていう法律を作れば、皆必死に子供を産もうとするでしょうね。

※でも忘れてはならないのは、女性は子供を産む機械じゃないってこと。
 子供もモノではありません。年金問題が破綻しそうなのは子供を産まない女がいけないんじゃなくてそのシステム自体が そういう前提でつくられていたからです。
  子供は次の世代に文化を受け渡す大切な存在。そういう観点でみてますか? 一人幾らっていう勘定してませんか? って本音は言いたいんだけどね。

話しがそれたが、
 こういう問題も例題化して教えられたことを書くようになってしまっては、日本の将来が心配である。特に、小学生・中学生といった 創造力豊かな時期に 教えられることしか、大人の考えたことしか正解でないと教え込まれることは大きな社会問題だと思うのだ。

 こういうことを入試問題に取り上げるとしたら、子供特有の型にはまらない自由な発想を尊重し、採点するようにして欲しいし、出題者側としても こういう問題を出すことによってヘンな自己満足しないように気をつけて欲しいと思います。 あくまでも教育とは?この年齢とは?ということを忘れないように。(気をつけているし、忘れてないとは思いますけどね。)

※しかし。純粋な社会の問題って出しにくい教科ですよね。グラフの読み方は数学じゃないのか。

■浴衣には薄化粧

日曜の帰りはどこかのお祭りとかさなっていたらしい。浴衣姿の若いお嬢さんを沢山見かけた。
カラフルな浴衣姿も可愛いものだが、ケバイ浴衣にバッチリ厚化粧っていうのはオジ系オバとしてはいけてないなあ。
 やっぱり浴衣というのは、半襟つけずに さらりと着て(できれば紺色のもの)きる時にはほとんど化粧を感じないくらいに薄化粧なのが、色気があってよろしいと思う。

 いまどきの若い女性のように目の周りバサバサとマスカラぬって、皮膚呼吸できないくらいの厚化粧(浜崎あゆみみたいな雰囲気)そのままは浴衣にはあわないと思うなあ。
 
 って思うけど、オジ系オジとか 若い衆はどのように感じられるでしょうね。

 むか〜し昔のその昔いた 吉田拓郎なんて言う人がいて、私が知っている歌の中の一つに 浴衣の君はから始まる歌があって。検索したら 「旅の宿」という歌だったわけですが。
聞いた頃にはその 浴衣から漂う清潔な色気というものがわからなかったわけですが、今になってわかるような気がします。

 浴衣から漂ってくる香は やはり風呂上りの石鹸の香であり髪も無造作にでも汚くなく涼しそうにまとまっていて、薄化粧程度がよろしいのではないかと。

 だけどね。若い女の子からすると 自分の素顔のよさっていうのはなかなかわからないものなのだなあ。
あと4ヶ月と26日。148日

鬼の霍乱 2003,8,4
オニの霍乱は pon家では1年に1度か2度やってくる。今日がその日だったようだ。

■なんで霍乱

だいたい、昨日が良い子過ぎた。いや、土曜から良い子すぎたのだ。大王のことでなく、私のことだ。いや、金曜から良い子すぎたのかもしれない。<なに言ってるんだか。

金曜最近眠れないというpon1がちょっと気になって眠れず。土曜 pon1は野球。私は明日も出かけるので、家事。とりあえず、「自分としては」一生懸命家を片付ける。pon1が帰宅したときに気持ちよく迎えたいなんて思いながら。で、日曜日。朝はちょっと出遅れたのでとりあえず、ご飯を炊いておにぎりを作る。 中身は梅干とオカカ。
そうして8時過ぎに家を出る。とうもろこし狩り、海水浴、マリーゴールドつみ。夕飯は少しサボらせていただいて外食。でも帰ってきてから昨日の野球のユニフォームやら今日の汚れ物やら その他洗濯物を全部やって、干してああ、気持ちよい。etc.

 日ごろのノロノロぶりからは自分でも想像がつかないほどの働きっぷりだったわけです。(なんてったって、私は妹からはナメクジとか茄子なんて呼ばれてたのろま人間だし;茄子はのろまかどうかは 動かないのでわからないけど、見た目からして敏捷そうではないと思う。) 月曜の大王の保育園の準備も整って、ああ、完璧!と思った頃から頭痛?首痛?っぽい。大体2〜3分に一回後頭部が 「ずきっつ」とする。

■わるあがき

痛いので、どうにか治したくてありとあらゆることをやってみたり。
首回し 目の体操。ピップ。パスタイム。インドメタシン。頭痛薬。 肩回し。適当なストレッチ。でも、夜中頭が痛くて何回か目が覚めて。明け方になっても治らなかった。

朝、準備しながら痛いので、パスタイム追加。インドメタシンを髪の生えているところにぬりまくり、ちょっと「くら〜っつ」<頭に塗るとくらっとするような気がするのは私だけでしょうか? とするような気がしながら。
 空腹に飲んだ頭痛薬がいけなかったのか胃も痛いので 朝は風邪薬と胃薬を一気のみして出発したのですが。。。 外は土曜までの気候が嘘のような炎天。

電車に乗って一気に体温が下がったら、急に気分が悪くなってきてしまい、2駅目で座れたのですが、調子が悪く、会社までの道のり半分で挫折。ゆっくりと帰宅しました。

で、いままでパソも見ずにすごしてたら。治ってきたような。

子供でいう知恵熱みたいなものだったのでしょうか。ああ、今日作るはずの資料があったのに。。明日の午前中に頑張る。

ということで、だいぶ復活してきたので、今日は映画の話。

■鉄甲機 ミカヅキ (序夜)
 近所のマルイ処分市で新品350円になっていたビデオを大王が欲しいというので購入。
いじめられっ子の風雄は、古代文明研究中に ウテルス(想念を具現化する物体)に飲み込まれた岩佐哲郎の子供。毎日、いじめられている。
 
 そんなある日、ウテルスによって具現化された巨大なスイカが現れた。

 と、書くとなんや?こりゃ?と思われるでしょうが、これは、たぶん子供の映画ではなくアニメとかロボットが好きな戦後のテレビ世代の大人向けの映画ではないだろうかと思う。
 
 ミカヅキはどことなくテレビの初期に放映されたロボットを思わせるようなフォルム。現代風の町並みに混じって、時々、テレビチャンピオンの山田卓司さんが作るような戦後の日本のような町並みが混じったり、なぜか逃げる人の中に大八車があったりという新しいものと古いものをミックスしたような不思議な感覚の映像であった。

 内容的には 子供がいじめられすぎ。いじめられた鬱憤を粘土で晴らしたり、言われるままにかつ上げされたり。そんな子がオタッキーな雰囲気のヒーローになっていく姿は 親としては「ちょっとなあ」と思わずにはいられないのだが、見た目動きが鈍そうなミカヅキがCGで思いもよらない早業で動いたり、というところの意外性が良い方に働いているなあという雰囲気であった。

 これは序夜だそうでこの後いくつか話しが続くらしい。
http://shop.ponycanyon.co.jp/cxtv/drama/ta/p16103.html

■マイノリティ リポート

いまごろになってやっと見ました。
なんでわざわざ未来なのに予知夢を機械に伝えて「木を削って玉を作って名前を書かせコロコロ転がして出す」必要があるわけ? とか
 こんなの機械側のプログラムを一瞬かきかえとけば簡単にデータ捏造できそう。なんて思ったり。
いちいち網膜を走査されて、広告に名前を呼ばれたんじゃうるさくてしょうがないや。
なんておもったり、
 画像を操作するのに、そんな大層な振りが必要なんて、ちょっとねえ。非現実的。
とか。大体透明のタイルにデータが入っているにしても、未来にしてみれば、保存できるデータ量が少なすぎるんじゃないかいな。なんていうイチャモンはぜ〜んぶ 「ま、SFだから」ということにしてSF物大好きな私は点が結構甘めになってしまいます。

 SFの機械は見た目が気に入ればそれで良いのじゃ。<大甘。

ちょっと横道にそれますが、この透明なパッドからデータを読み出したりというのは、以前ちょっとテレビでみたDataTilesというものに似ています。
http://www.csl.sony.co.jp/person/rekimoto/papers/i2001.pdf
http://www.shift.jp.org/053/interaction2001/indexj.shtml
一つ一つの透明なタイルが オブジェクト化された機能を持っているわけですが、それを並べて関連付けることで双方のデータのやり取りがあり機能するというものだと紹介されていたような記憶があります。パソコン上のバーチャルな世界で相互のパッドのやり取りをするというツールもありますが、
http://hokkaido.yomiuri.co.jp/kikaku/kikaku_s011102.htm
透明なパッドという実物があるところはやっぱり訴求度が高いような気もします。

話を映画に戻して
 筋としては、早くからネタばれたことなどで ☆二つ。未来の町のデザインが好きだった(あの車も面白い。)ので、映像に関するおまけで +α で 大甘の☆☆☆

====以下ネタバレ

どう見ても人権侵害のプリコグ。最初から怪しいとおもっていたよ〜。の黒幕。
「いつ私がそういいましたっけ?」という古典的なボロの出し方。
SFでなかったら。☆程度かも。
そういえば、あの植物!さりげなくサラセニアなんかもおいてあったのも面白。

ああ、活字みてると頭痛くなりそうなのでこのへんで
 
あと4ヶ月と27日。149日

またもや。。 2003,8,2
月も替わったことだし、バックアップしなはれ。とpon1の指導があり。怠慢pon2も
「はいな。はいな。」と日記を保存したのだが。

ありゃりゃ?どうも勝手が違う。
ソースを見るとほとんどがjavaになっていて、記事部分もjavaが読み出しているのだ。
どうりで、検索エンジンに引っかからないわけである。変だなあとは思っていた。

ボランティアで手伝っているところがあるのだが、そこの過去ログ自動作成機能を暇をみて作っている。ほぼ形になって、後は面倒なところだけを残し忙しいので手がつけられないのだが、それがこちらにも流用できると便利と思っていただけにショック。
javaだとだめだ。できなくはないけどこちらが思うようなhtmlだけの過去ログができないから。

 原因はcgiboyさんと私。
ロバミミが消えたときに新しくレンタルしたのだが、そのときに新バージョンにしてみたのが災いしたみたい。 そうして新バージョンに変換かけたものは逆変換はできないとのこと。。
がび〜ん。

新しいロバミミにデータを移していると顔のアイコンや天気のアイコンがめんどくさい。特にこのcgiboyさんの顔アイコンは 怒った顔がデフォルトになっていてなにも考えないと怒った顔になってしまうのでわざわざ 普通の顔に変更して登録するのを半分くらいやったところで、「ああ、そうか。アイコンのデフォルトを変更しよう」と思い立って変更。

 これで、デフォルトで書き込むと普通の顔になるぞ!よしよしと確認したら。
ありゃ〜ん。半分書き込んだ顔アイコンが 全部怒った顔に。。。。ああ。そういうことだったのね。。

ということで、私の日記には怒った顔はなくなりました。
よほどのことがあるときだけガイコツになります。


ということで、またもや url変わりました。ブックマークしてくださっている方
たびたびで申し訳ありませんが変更をお願いいたします。 
 大王の部屋のリンクは新しい方(ここ)に繋がっています。

ちょっとだけあったロバミミはこちら。
http://diary4.cgiboy.com/1/akkun/index.cgi

あと4ヶ月と29日。151日

名前の認識 2003,8,1
 以前にも書いたが、私は数字以外にも不得意なものがある。人の顔や名前を覚えることだ。
会社をあるくと見たことある人続出で、あったことあるんだよなあ。とかこの人ちょっとガンコなひとだったなあ。ということは思い出すときもあるのだが、どこのだれだかサッパリ分からないことも多い。(本当はサラリーマンとしてもこれはまずい。どこの何部長だとかはきちんと把握して人脈作りもとても重要らしいです。出世には)

 知り合いにも同じように「花の名前だったら覚えられるのに」とおっしゃる方がいて、「おお、同士よ!」と思ったこともある。こんな風だからつくづく、サービス業にはつけないと思う。お客さんが何度来てくださっても顔と名前を覚えられない店なんて流行るわけがない。
 いや。それが噂になったら、世を憚る人で流行るかもしれないが。

 名前だけ聞いても名前と顔が一致しないことも多い。ず〜っと昔に人間は脳の一部分の領域で顔の判別をしてると聞いたことがあるので、私の場合は 数字の部分と 顔や名前を覚える部分が機能不良なんだなあと思っている。

 どうやら、大王は数字についてはpon1の脳みそを受け継いでいるらしく、教えてもいないのに足し算に興味をもって、先日もおもちゃの新幹線の窓を12まで数え、小さな窓を 3つ足すと15なんて言っているものだから、ちょっと数字が苦手な母としてはうらやましくて、「じゃあ15に前の窓の4を足すと いくつ?」なんて(3割くらい間違いを期待して。ごめん大王!)聞いてみた。すると「19」ですって。(3桁引く1桁の引き算を間違う母親としては驚愕)

 驚いてどうやって計算したの?って聞くと 4はね5よりも1少ないでしょ。5と5を足すと10だから9 なんていいだすのであった。(ふたたび驚愕)。
 私なんか。こんなこと書いたら恥かしいかもしれないが、小学校1年のころに足の指まで使って計算していたぞ。 算数のテストは必ず最初の四則計算を間違って ああ、文章問題ばかりだったらどんなに良いだろうと思っていたのに。 とはいえ、文章問題でも計算間違いをして下らないところで沢山間違っちゃうんです。。。。算数で100点取れないヤツでした。

あっつ。親ばかに突入してますね。(汗)
(とはいっても、大王はやっとひらがなの文が読め初めたところだから。こっちは勝ってるぞ<なーんて。本当は、子供の発達ってある時期なにかがど〜っと伸びて、また次が伸びてという感じに見えるので、こんなことで一喜一憂するのはヘンだというのは、よく存じております。)

とにかく、数字についても母親の威厳?が保てなくなってきている。

■閑話休題

ところで、私は本を読んでいてもその苦手なところがしっかりと現れている。
「植木鉢とコップがならんで机の上にあり、机の下には移植ごてと 長靴、バケツがおいてあったが そのバケツがなくなっていたのだ」といわれると覚えられるのに、
「最初の部屋には 澄子とメアリーがいて そのドアをあけると スーザンとケイトと健一がいたはずなのにケイトがいなくなっていたのだ」といわれるとなんでさっぱりわからないんだろう。

 私の中では 植木鉢・コップ・移植こて・バケツ・長靴 は別のものとしてイメージされるけど
下の文を読むと 最初の部屋に人間がいて 次の部屋にも何人かいたけどそのうち一人がいなくなった」と グループ状態にして覚えているからのように思う。
 一旦私の中で一旦この人たちとグループ化された人間は個々の判別に戻せないのだ。

 英語圏では、相手の名前を呼ぶことが基本らしい。つくづく英語圏に産まれなくてよかった。

 そんなこんなで実は私。つい先日まで、 村上龍氏と村上春樹氏を混同していたのである。村上春樹は一度読んでみようかと思ったこともあるのだが「ねじまきどりクロニクル」(でしたっけ)なんて言われてもなんだか?で冒頭を読んでも今ひとつ私の趣味とは合わないなあとおもったため、読むまでには至らなかった。 村上龍は(失礼だけど)ふてぶてしい表情のお顔を拝見したことがある<認識できてるじゃないですか! ので知っていたのですが、なんだか表情が胡散臭い<失礼ですごめんなさい ようなきがしてこちらも読むまでに至らなかったのですが、
最近こちらで何回かご紹介したJMMを読むようになってから 興味がわいてきたところだったのだ。

で、私は文庫本をみていると あ、「村上春樹がある。よんでみようかなあ」<村上龍と勘違いしている>となったわけだ。
 「村上」という区分でひともり100円状態だったのだが、ちょっと違う事が判明。
おまけに「ねじまき鳥だってぇ?」「クロニクルだってぇ?」と思っていた彼の文は予想外に面白くて、「うんうん。そういうのあるある!」とか「へえ〜そうなの!」と、かなり今気に入りながら読んでいるのであった。

 余談だが 両村上氏は面識があるらしく、龍氏のところからきた猫なんていう話しもあった。

■読みかけの本から。

 現在読んでいるのは「村上朝日堂の逆襲」というものだが、軽くて通勤で読むにはぴったりである。全体については読み終わってからまた書こうとおもうが、その中で方言に関する記載があった。

 以前言語は思考をつかさどるものだから 英語で話すと頭も英語で考え始めるという話しを読んだのをここにも書いたが、村上春樹氏(彼は英語も堪能らしいです)は関西産まれの関西育ち。大学で都内にでてきて、関東弁もしゃべれるようになったとのこと。「僕はどうも関西弁では小説がかきづらいような気がする。これは関西にいるとどうしても関西弁でものを考えてしまうからである。関西弁には関西弁独自の思考システムというものがあって...」と
書いていらっしゃる。なるほど。日本語でもそういうものなのか。と驚いた。

 車を持たない理由も、こんなところに同じことを考えていた人がいたのか!というほどの親近感をおぼえながら、また、髪の毛ふさふさの私は 最近 多少抜け毛に悩んでいたのだが、氏がストレスを覚えていた時に フサフサの髪の毛が抜けてしまったというくだり。他人事とは思えぬほどの親近感である。きっと私も会社やめたら 髪ふさふさが復活するんだわ。きっと。

 さて、やっと村上龍と村上春樹の区別がつくようになった。。

あと4ヶ月と30日。152日