先日の win-win について書いた後に、ブッシュがイギリスに行ったとき、反対運動をしている人達の様子をテレビでみた。 それをみながら、ふとpon1に「win-win という考え方はたぶんアメリカで生まれた考え方だと思うんだけど、やってることは win-loseばっかり 一人勝ちばかりだよね。どうしてwin-winを実行しないんだろう」と言った。するとpon1「それは win-win というのは 自分が負けそうなときに使うテクニックだからだよ。」 と。
なるほど。そういわれてみるとそうかもしれない。
私は win-winは 「皆が信頼感を持って仲良くやっていくためのテクニック」と思っていたのだが、これは 力が拮抗している相手と対抗する際に負けないためのテクニックだったのか。。と。
もしそうだったらなんと嫌らしい考え方だ。
■就学時説明会
先日就学時説明会に出たときのこと、説明してくださったコピー資料の中には 文部科学省から出た高校生の意識調査があった。いくつかの設問に 「その人の自由にして良い」という回答の数が棒グラフになっているものがあった。 そうして、質問が出た「この高校生の意識調査というのを見て驚いた。私が子供の頃には 『親のいうことを聞かなくても良い』とか『先生のいうことを聞かなくても良い』なんていうことはまったく考えもしなかった。このように変ってきた時期はいつ頃からどうしてこうなってきたのでしょう。」というものだった。
私は、内心「どうしてそういう質問をするのだろう。」と唖然とした。その理由は
1)コピーは文部科学省から一方的に配られたものであり、数年にさかのぼっての統計が手に入る可能性は低そうなこと。<たぶん講師がそこまで調べていないだろうと予測できたこと。
2)講師はそれを専門に研究している人ではなく小学校の教諭と言う立場でいらしたこと。
3)統計についての見解というのは、個人の分析結果に終わる事も多く、それはデータの切り口や その人の仮説の立て方でかなり変りそうであること。(この場で聞くよりも、何らかの資料を探した方が効率的であろうと思う)
4)この場は 来年小学校に子供を上げることについて 不安解消を目的とした集まりであり、趣旨と多少離れていること。(つまり、そういう意識の変化についての考察を聞いたとしてもなんら「小学校へ通わせること」の不安解消にはならないこと)
※pon1とだったらいろいろああじゃないかこうじゃないかという話をするのはとても楽しいのだけど、この場でそういう仮説をたててもね。。と思った。
等である。
もちろん、講師からは「コレだ!」という明確な答えは予想通りなかったのだが、質問をした人は喋っただけでとても満足そうだった。
帰宅してからpon1に 「なんで答えようのないことを聞くんだろう」と言ったところ、
「それは 相手が答えられない質問をすることで自分が優位に立つ というテクニックなんじゃないの。」と。
なるほど。出会い頭に相手が準備していないような 問いをすることで、相手の虚をついて心理的に動揺させ、その後の交渉を自分に優位に進めようとする。たしかにそういうテクニックは有効な場合は多そうだ。(先制攻撃である)
■パワープレイ
なんで今ごろそんな話を思い出したのか?それは、まぐまぐからこんなメールが送られてきたから
======まぐまぐより抜粋
○内藤さん
心理的に相手の優位に立つためのテクニックが「パワープレイ」です。よく、
自国の主張をなんとか通そうとする厳しい外交の場面を、「パワーゲーム」と
いいますね。そこでは、典型的なパワープレイが頻繁に見られます。
●編集部
そうなんですか? たとえばどんな・・・。
○内藤さん
ブッシュ大統領なんて、パワープレイのトレーニングを相当積んでいますよ。
'01年に、アメリカのキャンプ・デービッドで小泉首相と会談しましたよね。
マスコミの前で2人が握手をしたとき、ブッシュ大統領は小泉首相の腕を自分
のほうに強く引き込みました。腕を引っ張られた小泉首相は、少し前かがみに
なったのですが、じつはこれ、「服従」の姿勢なんです。小泉首相はまんまと
ハメられて、その後の会談もブッシュ大統領のペースで進んでしまった。
「ジョブトレ特集記事パワープレイ」はコチラからつづきをご覧いただけます。
→ http://dt.magclick.com/.W/HLT0TzuzshqAf26mRns/JZ5%2BsNWyiYwn
=======抜粋終わり
小泉さんが、本当に握手のせいでそうなったかははなはだ疑問だが、アメリカにはそういう考え方があるということなのか。
パワープレイ―気づかれずに相手を操る悪魔の心理術(なんていうネーミングだ。。。)
■アメリカ型vs日本型
今マイブームの風と共に去りぬの ヤンキーの描写をみるにつけ、昔も今もまったく変らない、地球すべてでも征服しようとするフロンティアスピリット。自分に逆らうものは悪。悪は武力で制す。
そういうアメリカ人のステレオタイプが頭の中に出来上がってしまった。
実際、今の世の中を見ると金と力にものをいわせ、資本主義の頂点に立ち 世界から搾取しようとするアメリカ。その「勝つためのセオリー」。本当にアメリカの考え方が 「自分だけが勝つ」ことを目的にしていたら。彼等は永遠に搾取の対象を求めつづけるのだろうか。
言い尽くされた言葉だが、狩猟民族と農耕民族。
アメリカの背骨があるとしたら、未知の土地に乗り込んでいき、他人にさきがけて自分の利益を確保する。足りない分は常に「自分達以外」から調達する考え方。
島国の農耕民族は限られた土地の中で協力することで利益を出すやりかた。
つまり、私のように「皆仲良く」と考えるのが日本人的な考え方だとしたら、アメリカみたいな一人勝ちをするためには喧嘩もいとわない人たちには太刀打ちできない。
でも、地球という限られた星で住むのに必要な 知恵は win(搾取するひとたち) lose(搾取される人たち)を できるだけ作らないことが理想なんじゃないのかな と 思ったりする。
今、世界はアメリカの資本主義に踊らされ、強い金の力にねじ伏せられ、日本も彼等がうらやましいあまりに同じ路線をとろうとしているように見える。本当は日本的な(というか農民的な)ものの考え方の方がずっと地球という小さな星で暮らすには理想的なんじゃないだろうかと思ったのだった。
画像はチャンピオン オブ ザ ワールド 本当によく咲きます