■2003年■
[+1月+]  [+2月+]  [+3月+]  [+4月+]  [+5月+]  [+6月+]  [+7月+]  [+8月+]  [+9月+]  [+10月+]  [+11月+]  [+12月+]  [別の年]  [現在の日記


王様の耳はロバの耳(過去ログ)

普通は言わないけど、みんなどう思う?言いたいけど言う機会が無いみたいなことをおもいついたときに書こうと思ってます。

前の月

11月の日記

次の月

sun

mon

tue

wed

thu

fri

sat

           

1

2

3

4

5

6

7

8

9

10

11

12

13

14

15

16

17

18

19

20

21

22

23

24

25

26

27

28

29

30

           


悪夢 2003,11,30
悪夢で目が覚めた。

母と祖母が会社のあるショッピングセンターに来るという(夢の中の会社はショッピングセンターのある大きなビルの中に複合型オフィスという形である)現実では祖母は本当はとうに亡くなっている。 
 夢の中の母と祖母は弱弱しくて、守らないといけないと私は思っている。

私は二人を案内していた。 お店の人と相手をしている間に祖母と母は一階上の階に上がってしまった。そこから母があわてておりてきて「はやくきてくれ」という。
どうやら祖母が体調がわるくなってしまったらしい。祖母は足をいためてしまったらしい。それに病気があるのだった。

 どうしよう。と考えて、「会社にある病院を受診する?そうしてタクシーを呼ぶのでそれで帰る?」と。
 祖母は「でも、せっかくここまでできるようになったのに。タクシーで帰りたくない」と言う。 そうだった。夢の中では祖母は足をいためてからだいぶ動けるようになっていたので、練習のつもりでここまで来たのだった。
 「私が離れている間にこんなことになってしまって」と後悔する気持ちが心をよぎった。

それだったら、と考えた。母と祖母は一緒に暮らしているようで私とは別にくらしている。母に「夕飯の買い物があるでしょ」母は「うん」と言う。
 「だったら、駅前までタクシーで帰って駅で少し買い物をしてそれからゆっくり帰ったら?」と母と祖母に尋ねた。母も祖母もそれに同意したので、一フロア下にある医者のオフィスに連れて行くことにした。その後タクシーを呼ぶという段取りだ。

 エレベーターへ行くと エレベーターがとても危ない ドアがあいて エレベーターが登ってくる前にふらりと前に進もうとする母を押しとどめた「危ないよ。時々エレベーターが来ていないのにドアが空いて そこに乗り込んで怪我をする人がいるんだよ」
まさに今回がそのケースだった。まだエレベーターが来ていないうちにドアが開いたのだった。(私の怖い夢には必ず こういうふらついたエレベータが出てくる。きっと不安な気持ちの象徴なのだと思う)

 そうしてエレベーターは来たのだが、3人乗りと書いてあるのに 二人しか乗れない。ゆらゆらと揺れて乗り込むのにもとても危ない。 母と祖母を二人乗せておいて私は階段で降りようと思った。階段で降りて下の階に迎えに行けば良いだろう。
「気をつけてね」と母に言った(このときの気持ちは大王を 電車から降ろすときに
ホームと電車の間が開いているときと同じ)

二人を乗せたあと階段はすぐ近くにあった。エレベーターが下りていくのを確認してから走って下の階に行った。すると 母が一人で エレベータのドアが開いたところから下を覗き込んでいる。胸騒ぎがした。 祖母はどうしたのだろう。

 ドキドキしていると祖母が担架で運ばれてきた。転落したのかもしれない。
私がもう少しよく考えたら こんなことにはならなかったのに。 母の悲しそうな顔を見て 母はきっと母自身を責めているだろうと思うと 自分の責任をいまさらのように感じて苦しくなった。

そこでドキドキして目が覚めた。

■実際は

祖母はずいぶん前に病気で亡くなった。祖母はしゃんとしたひとで、夢の中の祖母とは少し違う人だった。母は、一人では暮らしているけれども元気にパキパキやっている。 夢の中に出てきた 祖母や母に対する気持ちは現実の祖母や母に対する気持ちよりも 大王に対する気持ちの方が近いかも。
 とにかく 私が守らなければいけなくておぼつかない人に対して 私の配慮がたらなかったような気持ちだった。

■原因は

いろいろ重なったんだなあ。まず、体調が悪かった。次に昼寝してしまった。
そうして、最近ときどき見ている人のページが気になっていた。気の毒に思っていた。
(でも彼女はまったく知らない人)それから、これから先 母たちが年をとって一人で暮らせなくなったらという話を昼にpon1と話した。それから寝る前に見たテレビがよくなかった。ひどい虐待をうけたアメリカの少女の話が終わったところで遅くなったと思って寝た。 
 (実は実験として認められなくなり費用が下りてこなくなったところで里親をやっていた教授たちが手を引いたところが 信じられなかった。 彼等も奇麗事を言っているけれども彼女を実験対象としか見てなかったのではないか。と思いながら寝た。)

 とにかく、心臓をつかまれたような すごく怖い思いで目が覚めた。
今朝も雨。 もうそろそろお日様が見たいなあ。

寒いの嫌い 2003,11,29
すっかり参った。
ここ数日 雨が降ったり、曇ったり気温が低めの日が続いたとおもっていたらすっかりと体調がわるくなってしまって、ここのところそんなになかった頭痛・腰痛・腹痛。
 
 おまけに、ここは川崎市。寒いというような気候ではないはずなのに、室温が20度を切ると寒くてたまらない。 体が勝手に省エネモードになろうとするのだ。
これだから冬眠体質は困ってしまう。
 もともと、体質的には貧血で、血圧も最近低め、体温も低めとあっては(母は脈も少なく血圧も低いし、そういう体質なのではないかと思っている)冬眠したがるのはわかるのだが、それでは困るのだった。

朝から風呂にはいってじっくり体をあたためて暖かいうちは良かったのだが慣れてくるとまた寒くなりというすぐに省エネスイッチが入るので ここ数日体調をもてあましたりしている。 
唐辛子食べて動いて風呂に入って とにかくエネルギー消費にむけて種火をつけにゃ!

■メールの付き合い

先日書いた カリスママダムから以前頂いたメールがみつかったので 読み返してみた。
「なんだ。大丈夫じゃないか。」 あのときは、色々と個人的に悩みもあったし、彼女が書いていらした「お時間はないものと思われますが」のひとことが気になっていたのだが、今読むとそんなことはまったくない。 普通のメールだと思われた。
 今更ながらにネットでの付き合いの難しさを思ったのであった。

私が入っている植物のメーリングリストは、体調を崩されたことがきっかけで入会されたり、悲しいことがあったことがきっかけで心の安らぎを求めて入会される方もいらっしゃる。でも、自己紹介でそういうことを言う人はほとんどいない。

 相手の様子が見えないだけに、そういう方お一人お一人へも、元気なものとして普通に接し勝ちである。そういう方の気持ちや個々の様子まで思いやって接することができないということはやはり文章だけのお付き合いのメールの悪い点だな。。と思ったりした。(反対にそれが良い点である場合もあるのだけれど)

 どちらにしろ、そのとき、私は過敏な反応をしなくて良かった。あの頃は確かに忙しかったし、ネットのトラブルにボロボロになっていた。自分が書いたメールがどんどんと悪い方に取られ、それを人に吹聴されていたと後から知った。(全容を知っていらっしゃる方がその内容について「それは違う」とたしなめてくださったと 後から聞いた)
 アレルギーもずいぶんとひどく出ていたし、気分もウツウツとしてすべてのものをやめてしまいたくなっていた。人と会いたくなかった。
そういう時期だったので、人からの 言葉に敏感になっていたのだろうと思う。

 今改めて そのメールを読んで普通のメールと感じるということは、その頃よりも精神状態はとても良い普通の状態に戻ってきているのだなあと 自分の状態を客観的に確認することになった。

■掲示板

掲示板への書きこみというのも難しい。ロバミミは自分のつぶやきなので空にむかってさけぶがごとく、相手の存在というものを意識する必要がない。
ネットに公開しているからといって、世界中の日本語が読める不特定多数の人の状態を考慮していたら、本当に何も書きたいことが書けない。だから、「今の自分の状態でこう考える」ということを書く。 しかし、掲示板は別。 まず、掲示板の持ち主がいらっしゃる。持ち主を訪問されたお友達がいらっしゃる。 その中には私は知らない人もいらっしゃる。 こちらが書いたことも、その方の状態によって捕らえ方が違うのだろうなあと思うと 以前よりも掲示板への足が遠のいてしまうということもあるように思う。

 文章の量というよりも、前後関係を全部読んでそれに対して「人」を意識して書き込むということは、ロバミミを書くよりもずっとずっと難しい。
 
■掲示板での出来事

 少し前になるが、友人の掲示板に少しだけ書いたことがある。体調の悪い方がいらしていた。私も昨年から今年にかけてかなり体調の悪さを経験していたために、ヒトゴトとは思えなかったのだ。丁度その方も 自律神経系が悪いと書いていらっしゃったので
なんとなく気持ちがわかるような気がしたのだ。

自分も、最近同じような体調の悪さを経験し、試行錯誤で改善できてきているような気がしているところだった。彼女は「お医者にいっても原因が特定できない」ということを悩まれているようだったので、つい「自分で良いとおもうことをしてみては?」と書いた。
 これは、お医者さんは症状の原因が特定できないと的確な治療ができないことがあると感じていたからだ。

 以前、こんな経験をした。私はアレルギーが呼吸器に最初に出るタイプ。最初は風邪だと思ってあちこちの病院を受診した。長い間咳が続き、空気が変わるとひどく咳き込みゼロゼロする。あちこちの病院では喉を見て、炎症がないから「気のせいです」という診断。
鼻から管を通して中までみてもらったが、わからない。
「気のせい」だったらどうしてこんなに咳がでるのか? 「咳をすると喉が傷むから咳をしないように気をつけてください」出るものをどうやって出さないようにするのか?
 たまたまかかった耳鼻科に、アレルギー専門のお医者さんがいらした。「あ、これはアレルギーですよ」と処方していただいた薬を飲んだらあっという間に治った。

医者の治療の中には 「鼻水が出る」というと「鼻水を止める」という薬。「咳が出る」というと「咳を止める薬」「かぶれた」というと「かぶれの薬」というように、対症療法でしかない場合もある。

 対症療法の薬を頂いた場合、鼻水は止まったけれども、今度はかさかさに乾いて調子が悪いなど、やはり、調子を崩している体のバランスから整えなければうまくいかないことも多いように感じていた。

信頼できるお医者さんをみつけ、原因を自分でも考えてみて 自分自身が体調を整えるようにいろいろ試した結果、体のだるさがとれ、先日までのウツウツとした気分が嘘のように晴れることを経験したから、それについて掲示板で彼女に伝えたかったのであった。

 ところが、文章がつたなかったために、彼女にはうまく伝わらなかったようで、彼女には「好きなこと、打ち込めることでも見つけなさい」という助言にとれたようであった。
 そういう体調の悪いときには、好きなこと、打ち込めることなど見つからないのだ。

■人に気持ちを伝えることの難しさ

 自分の気持ちを伝えるのは難しい。もちろん、メールでも掲示板でも難しい。
それに、家族に対しても難しい。先日読んだ風と共に去りぬでは 意地っ張りのためにすれ違う二人の悲劇が書かれていた。 相手に口で負けたくない。相手に弱みを見せたくない。そういう気持ちで 心にもないことを言ってお互いに傷つく二人。

 風と共に去りぬは もちろん 物語 虚構の話である。 でも、伝えようとしても伝わらないのが自分の気持ち。大切だと思う人には、取引、駆け引きせず 適当に相手に調子をあわせるのでもなく 自分の言葉をできるだけ素直に伝えるようにしていきたい。とあらためて思ったのであった。

読了 2003,11,27
長い間 「読んでる読んでる」と 私の興味そのままに このロバミミに風と共に去りぬのことをたれ流していたわけですが、とうとう。読み終わりました。

もう最終巻は結末を知っていても涙なしには読めません。
昨日の通勤電車の中では レットがかわいそうで涙と鼻水がでてきてしまい、きまりの悪い思いをしました。(娘をなくしてしまったシーン)

そうして、とうとう読了。本当に面白かった。勧めていただかなければ読むことがなかった話だろうと思います。勧めていただいて本当に嬉しかった本でした。

私は家族に対する愛情や感謝の気持ちを改めて確認しました。

 この下に少し書いていたのですが、消してしまいました。
今日は読み終わった「風と共に去りぬ」の余韻にひたろうと思います。

ことば 2003,11,26
もう抜けようかと何回も思っていてそのままにだらだらしているメーリングリストに メールが流れた。オランダの人とやり取りしたメールの内容を紹介してくださるメールだった。
 紹介元の方は 記憶が正しければ 英語が堪能で 輸入関係の仕事をなさっていた(る?)。 ネットの世界では彼女のことを憧れる人も沢山いるような素敵なカリスママダムである。

以前とても忙しいときに、彼女から 他のMLに流れたメールを 書いたご本人の了承を得たので(ご本人も多忙だったそうで転送できないので)私から転送して欲しいとDMで頼まれた。「文面だけでよいので転送してください。」という文面を真にうけてそのまま転送したところ、「も、、、もしかして気分を害された?」と思うようなメールを頂いて ビビッタままだったことを思い出した。
(忙しさはそのまま続いていたので、もうどうしようもないと 腹をきめた>というかそのことについて考えるのをやめて放置した (^^;)さぞかし常識がないと思われているかもしれない。)

話がそれた。
 彼女が紹介してくださった手紙を 私が読むとどうも彼女の理解と違うことが書いてあるように思った。そう思っているうちに別の方からメールがあり、私とほぼ同じような意味にとっていらっしゃるようだった。

 実は彼女のメールを受信して、「ん?」と思っていた私は 自分の勉強のために、pon1に こうではないだろうか?という訳を送っていたのだった。
そうして、pon1は念の為 ニュージーランド出身の人に昼休みに尋ねてくれた。

■英語がわからないからわかる

 ニュージーランド出身の彼は 丁度風邪だそうで、「頭が働かない。英語が変で意味が良くわからないけれども、だいたい私の訳でよさそう」との返事をもらった。
中に、go down という表現があった。私はここがサッパリわからなかったのだが、後から他の人もここで躓いていることがわかった。 訳を見てもらった彼もgo down は わからないとのこと。

 多分、オランダの方なので、英語が自国語流になってしまって通じないのだろう。go down は 私流には もし、「達する」というような意味あいで向うの方が使われているのであれば、「(その一つが)わかった(判別できた)」とか「見つけた」とかいう意味のつもりなのではないか?と思ったのだった。

 面白かったのは、特に英語がわかる人に、全く意味不明の英語だったらしいこと。
私の訳文を見てくださった彼も、そのメールを流してくれた彼女もうまく意味が取れなかったことだった。私の訳文を見てくださった方は 私の日本語訳を見てはじめて全体の意味が想像できたと pon1に言ったそうで、まさに単語の一つ一つは英語の単語だけれども 文章としては英語は成り立ってないわけである。
 実際に手紙の主にインタビューしたわけではないので、本当に私が思った訳が当たっているかどうかは(彼女の英語が正しい英語ではないため)いまでもわからない。

 英語がわからないから想像できる=わかる という現象は面白いなあと思った。
たぶん、英語が得意な人は 「この後には 目的語がくるはずだから。。」と見て、混乱してしまうんではないだろうかと思ったり。今、ビジネスの世界では英語が公用語のように幅を利かせていて、「世界で通用する言葉をひとつだけ!」と選ぶと 多分「英語」になるのだろうが、その「英語」が一人歩きして 英語がわかる人には意味が取れない「英語もどき」があるということだろうか。

■日本語もどき

日本語のことに考えをうつしてみると、私のロバミミの文も読み手には「何が言いたいの?」ということが沢山ありそう。「日本語もどき?」
エキサイトかなんかにこのままの文章を入力してどんなハチャメチャな英語になるか見てみたいぞ〜と思いついた。<やってないです。 あそこできちんと英語に変換されるような日本語は「翻訳ソフトも認めたきちんとした日本語」なのだろう。

でも、ちょっとだけ異論を唱えると、文は生きている。小説のすべてが 「翻訳ソフトも認めたきちんとした日本語」だったら、多分つまらない。(たとえば川端康成の文章をそのままエキサイトにかけて きちんとした英語になるかというとたぶんならない<川端康成大先生と私を同じところに上げる神経はどうかしている まるこ風 )。

そういえば、「新井素子」という作家さんの本を一度貸してもらったことがあるのだが、彼女の文体がこれまた私にあわなくて、最初の1ページを読むか読まないかのうちに挫折したことがある。
同じ日本語なのに頭の中に文が入ってこなくて意味が取れず苦痛だったのだ。
 しかし、彼女には熱狂的なファンも多いらしい。

 ロバミミの文章は、言いたいことがもくもくと頭の中からでてくるままを垂れ流し的にタイプしているだけなので、推敲もなんもあったもんじゃなく、自分で後から読んでも 「おりょ?」ということも多い。句読点も吟味して打ってない。「いくらなんでもこの区切りはあまりじゃないかい。」と自分で見直す事もしばしば。そんな私が 新井素子さんの本が読めないなんて。面白い。

多少話しが変るが、単語にしてもどんどんと新しい言葉が作られている。
「イケメン」はどうも嫌いな言葉だが、「イケテル」はokとか人それぞれ基準がありそうだ。
<私は「イケメン」はどうも好きになれないことば。「イケテル」はまあ許容範囲。

■外科室

 前に紹介したことがあるが、坂東玉三郎が監督をした「外科室」という映画がある。あのときに玉三郎は随分と細部までこだわったつくりをしたそうだ。衣装もその頃の流行を取り入れたということ。着物の襟にそわせるように長い鎖をネックレスのようにたらした姿は私の知らない着物姿だった。

 その中で、彼は言葉遣いにも気をつけたとのこと。現代に生きているわたしからすると、特に身分が下のものに喋る奥様の言葉はまるで男の言葉のようで、低くおしころした吉永小百合の声とともに随分と違和感があった。
 いつの時代も新しい言葉の出現に皆とまどいつつ、昔の言葉遣いを懐かしむものなのかもしれない。

http://www.aozora.gr.jp/ 青空文庫で読むことができます。

http://www.tamasaburo.co.jp/koment/199903.html
  対談 泉鏡花劇をめぐっての中に玉三郎本人の外科室をとるにあたっての話がでています。

■方言

方言もおもしろい。私は山口県出身だが、あのあたりに「時代劇」に出てくるような言葉が方言となって残っていたりする。とはいえ、実家近辺でも 今ではお年よりが喋るような方言は聞くことが少なくなった。私も 故郷を随分と離れてしまって方言もかなり忘れてしまった。
「わしは」とか「ぬしは」(おぬし からきたのではないか?)「いうちょる」(言っておる かな?)

言葉が伝播して、次の言葉に塗り替えられることなく残って変化して石になった「言葉の化石」のようだ。

 ふるさとの訛なつかし 停車場の人ごみの中に そを聴きにゆく

 そういえば、先日帰り道に携帯で話しながら歩いている人と同じ道を歩くことになった。彼の訛りが私の出身地の訛りとほとんどおなじで 全く知らない人でありながら、なつかしく親しい気持ちを感じたのを思い出した。

パニックの恐怖 2003,11,25
 ほぼ毎日、ご近所の出来事かのように「レットが」とか「スカーレットが」とpon1に話をするpon2。(と、いうか、ご近所の話は疎いので そういう話はほとんどないから 私が物語の中にすんでいるかのように思っているように聞き手のpon1からすると感じられるようで。。(^^;) )pon1は上手い具合に聞き流しながらあいづちをうってくれている様子です。<会社の噂ではうまく聞き流すことがキモだそうで。数日前をご参照くださいまし。
まあ、もともとが「物語だってば!」なので夫もこんなものを躍起に聞く必要はありません。

 やっぱり名作だ!面白いです。やっと最後の1冊になりました。気の毒なフランク・ケネディさんは死んでしまって、とうとうレットとスカーレットの結婚というところを読んでいます。

 さて、土曜日に、インフルエンザの注射に行き、その後大王のリクエストで 砧公園へ行きました。(途中の道に たぬきがついていて、「きぬた公園」ではなく「たぬき公園」と我が家では呼んでいます。)
日曜は、インフルエンザの接種をした腕がパンパンに。。。(びっくり。大人はよくこうなることがあるそうです。)でも、東高根森林公園というところの収穫祭に大王と同じクラスのお母さんが誘ってくれたので行って来ました。

「パニックの恐怖」ってなんだろう。すごく扇動的な題名ですよね。いつもどおりこけおどしです。
たいした話ではありません。

■収穫祭

 その日曜日の収穫祭について、思い出すのもおぞましいような、「ああ、一般の人のパニック時の暴動はこうやって起こるのね」と思う体験をしました。<超大袈裟。(^^;)

思い起こしてみると運営のまずさが発端にありました。
ここに詳細を書こうかと思ったのですが、あまりにもごちゃごちゃした話なので断念。

運営のまずさがあったために、人の自分勝手な行動やパニックをあおるようになり、あっという間にその場にいたほとんどの人が無法者になってしまったのでした。内心むっとしながらもとりのこされてしまったpon家。

 今回の私の体験の対象は竹細工という些細なことだったけど、これが天変地異などだった場合はきっともっと凄いことになるんだろうな。それにしても、人というのはなんと簡単にモラルを捨てて自分だけを特別扱いしたいがために 自分勝手な理屈を考え出すことができるんだろう。と唖然としました。そうして、そういう行動を取ることにいささかの 罪悪感も持っていないことにも驚きました。

 つまり「相手が悪くて私が損するから、私が(損しないように)第三者に悪いことをしても良い」みたいな論理です。

■さてまたまた 風と共に去りぬ。

 風と共に去りぬを読んでいると大変面白いというのは、人間にしても世間にしても ものすごく誇張してありますがまさに人の世界の縮図を見るかのようにいたるところに 「あるある。そういうの」というものがあります。

 スカーレットの行動はまさに「私が損しないように」と立ち回り、周りの人への影響などは考えません。彼女の割りは第三者が食わされます。たとえば、タラをすくうために妹の婚約者を誘惑し結婚することを画策し、何ら罪悪感を感じていないのです。
 (読みすすめると、ケネディ氏が亡くなったときに、少し後悔している場面があります。この場面の彼女はとても可愛そうで なるほど。。と思うのですが、レットの「その後悔は、ケネディ氏に悪かったというよりも、自分が地獄に落ちることが怖いだけなのではないか」<つまり利己心からの行動ではないか?と指摘されそれを認める彼女。<やったことが悪いというより、自分に来る罰が怖い全く子供ということなのか)
 
 たとえば、風評。
自分の利益・不利益 自分の好悪の感情 そういうもので人を評して、それが広がりあらぬ噂になったりすることもあります。 同じ一つの現象でも それを聞く人の立場の差により受け取り方が異なり、それが新たな派閥を生みます。

 スカーレットの夫である ケネディ氏がスカーレットの仇をとるために出かけていき亡くなるわけですが、それをヤンキーに悟られないように、レットがとっさの機転を利かせます。
 それによって、沢山の人の命が救われることになりました。レットのいままでの語りからして、読み手の私は彼の行動には他意はないと思って読んだのですが、この物語の中の人々は 「こんな風に威厳を損なわれるくらいだったら 死んだ方がましだった。これはレットの策略ではないか」などと思います。
 つまり、憎しみや、プライド、その時代の価値観、などによって、疑心暗鬼になり 正しい判断ができなくなっているようです。

ヤンキーの奥さん連中は、自分達が憎いとおもっていた南軍の人たちの醜聞にわきかえり大層溜飲を下げます。しかし、自分達と付き合いのあった スカーレットだけは同情を見せるのです。 
(しかし、スカーレットは 商売のためにヤンキーと付き合っていて実際は彼女達が好きではない)

 あなたの周りにもこういうことって 「あるある」ではありませんか?

丁度、南北戦争のパニックを読んでいた直後に、私が出会った小さな出来事は、人間は南北戦争ほどの大きな事件ではなく、ちょっとしたことでもすぐパニックになり、自己中心的に振舞うことができるという経験でした。

 本当の天変地異が起きた時に、普通の行動が取れる人はどのくらいいるんだろう。
そうして、私が「普通」と思う行動をとっていては、もしかしたら生き残れないこともあるのかもしれない。丁度風と共に去りぬの中でレットが 何度も一般の人々を評しているように。。と思いました。(レットは 機を見るを敏に行動できない人たち。しきたりなどにがんじがらめになって対応できない人たちを ある意味無能だと見ているようです。)

一人勝ち 2003,11,23
 先日の win-win について書いた後に、ブッシュがイギリスに行ったとき、反対運動をしている人達の様子をテレビでみた。 それをみながら、ふとpon1に「win-win という考え方はたぶんアメリカで生まれた考え方だと思うんだけど、やってることは win-loseばっかり 一人勝ちばかりだよね。どうしてwin-winを実行しないんだろう」と言った。するとpon1「それは win-win というのは 自分が負けそうなときに使うテクニックだからだよ。」 と。
 なるほど。そういわれてみるとそうかもしれない。

私は win-winは 「皆が信頼感を持って仲良くやっていくためのテクニック」と思っていたのだが、これは 力が拮抗している相手と対抗する際に負けないためのテクニックだったのか。。と。
もしそうだったらなんと嫌らしい考え方だ。

■就学時説明会

先日就学時説明会に出たときのこと、説明してくださったコピー資料の中には 文部科学省から出た高校生の意識調査があった。いくつかの設問に 「その人の自由にして良い」という回答の数が棒グラフになっているものがあった。 そうして、質問が出た「この高校生の意識調査というのを見て驚いた。私が子供の頃には 『親のいうことを聞かなくても良い』とか『先生のいうことを聞かなくても良い』なんていうことはまったく考えもしなかった。このように変ってきた時期はいつ頃からどうしてこうなってきたのでしょう。」というものだった。

 私は、内心「どうしてそういう質問をするのだろう。」と唖然とした。その理由は

1)コピーは文部科学省から一方的に配られたものであり、数年にさかのぼっての統計が手に入る可能性は低そうなこと。<たぶん講師がそこまで調べていないだろうと予測できたこと。
2)講師はそれを専門に研究している人ではなく小学校の教諭と言う立場でいらしたこと。
3)統計についての見解というのは、個人の分析結果に終わる事も多く、それはデータの切り口や その人の仮説の立て方でかなり変りそうであること。(この場で聞くよりも、何らかの資料を探した方が効率的であろうと思う)
4)この場は 来年小学校に子供を上げることについて 不安解消を目的とした集まりであり、趣旨と多少離れていること。(つまり、そういう意識の変化についての考察を聞いたとしてもなんら「小学校へ通わせること」の不安解消にはならないこと)

 ※pon1とだったらいろいろああじゃないかこうじゃないかという話をするのはとても楽しいのだけど、この場でそういう仮説をたててもね。。と思った。

等である。
 もちろん、講師からは「コレだ!」という明確な答えは予想通りなかったのだが、質問をした人は喋っただけでとても満足そうだった。

 帰宅してからpon1に 「なんで答えようのないことを聞くんだろう」と言ったところ、
「それは 相手が答えられない質問をすることで自分が優位に立つ というテクニックなんじゃないの。」と。
 なるほど。出会い頭に相手が準備していないような 問いをすることで、相手の虚をついて心理的に動揺させ、その後の交渉を自分に優位に進めようとする。たしかにそういうテクニックは有効な場合は多そうだ。(先制攻撃である)

■パワープレイ

 なんで今ごろそんな話を思い出したのか?それは、まぐまぐからこんなメールが送られてきたから
======まぐまぐより抜粋
○内藤さん
心理的に相手の優位に立つためのテクニックが「パワープレイ」です。よく、
自国の主張をなんとか通そうとする厳しい外交の場面を、「パワーゲーム」と
いいますね。そこでは、典型的なパワープレイが頻繁に見られます。

●編集部
そうなんですか? たとえばどんな・・・。

○内藤さん
ブッシュ大統領なんて、パワープレイのトレーニングを相当積んでいますよ。
'01年に、アメリカのキャンプ・デービッドで小泉首相と会談しましたよね。
マスコミの前で2人が握手をしたとき、ブッシュ大統領は小泉首相の腕を自分
のほうに強く引き込みました。腕を引っ張られた小泉首相は、少し前かがみに
なったのですが、じつはこれ、「服従」の姿勢なんです。小泉首相はまんまと
ハメられて、その後の会談もブッシュ大統領のペースで進んでしまった。

「ジョブトレ特集記事パワープレイ」はコチラからつづきをご覧いただけます。
 → http://dt.magclick.com/.W/HLT0TzuzshqAf26mRns/JZ5%2BsNWyiYwn
=======抜粋終わり

小泉さんが、本当に握手のせいでそうなったかははなはだ疑問だが、アメリカにはそういう考え方があるということなのか。 
パワープレイ―気づかれずに相手を操る悪魔の心理術(なんていうネーミングだ。。。)

■アメリカ型vs日本型

今マイブームの風と共に去りぬの ヤンキーの描写をみるにつけ、昔も今もまったく変らない、地球すべてでも征服しようとするフロンティアスピリット。自分に逆らうものは悪。悪は武力で制す。
そういうアメリカ人のステレオタイプが頭の中に出来上がってしまった。
実際、今の世の中を見ると金と力にものをいわせ、資本主義の頂点に立ち 世界から搾取しようとするアメリカ。その「勝つためのセオリー」。本当にアメリカの考え方が 「自分だけが勝つ」ことを目的にしていたら。彼等は永遠に搾取の対象を求めつづけるのだろうか。 

言い尽くされた言葉だが、狩猟民族と農耕民族。

アメリカの背骨があるとしたら、未知の土地に乗り込んでいき、他人にさきがけて自分の利益を確保する。足りない分は常に「自分達以外」から調達する考え方。
 島国の農耕民族は限られた土地の中で協力することで利益を出すやりかた。

 つまり、私のように「皆仲良く」と考えるのが日本人的な考え方だとしたら、アメリカみたいな一人勝ちをするためには喧嘩もいとわない人たちには太刀打ちできない。
でも、地球という限られた星で住むのに必要な 知恵は win(搾取するひとたち) lose(搾取される人たち)を できるだけ作らないことが理想なんじゃないのかな と 思ったりする。

 今、世界はアメリカの資本主義に踊らされ、強い金の力にねじ伏せられ、日本も彼等がうらやましいあまりに同じ路線をとろうとしているように見える。本当は日本的な(というか農民的な)ものの考え方の方がずっと地球という小さな星で暮らすには理想的なんじゃないだろうかと思ったのだった。

画像はチャンピオン オブ ザ ワールド 本当によく咲きます

だから女は嫌いだ! 2003,11,21
懺悔します。私自身が女性であり、女性であることだけで卑下されたり軽んじられたりすることは理不尽で、根拠のないことだと思うんです。でも、日々生活していると自分を「女」というひとくくりからとりあえず どこか別のところに置いて「だから女なんて嫌いなんだ!」と言いたくなることってあります。

「男の方はなんでもプリントアウトしておかないと気がすまないですね。パソコンの中にあれば検索も簡単なのに。」なんて言う人の話を聞いたときに(あまり親しくないし、毎回否定してこんな些細なことで言い争いになるのもなあ)と思ったりして心の中で「『あなたの周りの男の人は』なのですね」とひそかに突っ込みいれたりもするのですが。

「だから女なんて嫌いだ!」という暴言は この「男の方は」と同じくらい根拠のないことはわかっているのですが、わかっていながらも、この言葉を吐きたくなる。そんなときもあるさ。

■私が男だったら こんな人と絶対結婚したくない

私を見て私の良いところを認めてくれる人もいれば、たぶん 「オレだったらこんな女と絶対結婚しないぞ!」と思われる方もいらっしゃるでしょう。まさに、今そんな風にスカーレットと結婚してから戸惑っているのが フランク・ケネディ。

 ところで、私はつい先日これと同じ言葉をpon1に愚痴ったのでした。 

 会社で色々な人を見ていると、「物事をシステマティックに冷静に見ることのできる人」「目先のことしか目に見えず、その不具合を指摘されて自分の言い分が通らなかったときに、なぜ通らなかったかはすっかり忘れて 『あのひとは、前もその前も私のいうことをきいてくれなかった』とということだけを覚えている人」がいるように思います。本来 会社というところは 何かの目的があってそれに向かって動いているわけで目的への最適なルートをたどるために試行錯誤するものであり、その仕事において、個人の「言うことを聞いてくれる」「くれない」のレベルで語るものではないと思います。またその人の言う通りのことをしないことは悪意からという短絡的なものの考え方はまず、間違っています。

 まず、私たちの部門で目指しているものは 最終目的に対して手段を模索して取捨選択、作り出すことであり、ある個人の言うことをそのまま実現するものではありません。

しかし、自分の要望が通ったか通らなかったかを後生大事にカウントして 「いつも私がいったことは聞いてくれない」だのなんだのいう人もいるわけです。 私は心底こういう女性と結婚したくないと思ったのでした。 こちらがいくら誠心誠意 その手段をとった意味を説明しても聞く耳をもたない。なぜ自分の言ったことが通らなかったのか。それさえも考えることもないのです。口からでるのは不平不満ばかり。話し出すと、話はまとまりがなくドンドンと混乱していき、どんどん興奮します。辟易です。そうなったら「ほっとくしかないな」と思ってしまい、こう言う人の夫になったら多分それしかないな。と思うのでした。

 もちろん、こう言う人は 男性にもいます。そういう場合は 「女の腐ったような」と言ってしまいます。 ああ、pon2。女にあるまじき行為です。
以前から書いているように 「男」「女」 でなく、「考え・理解する人」「考えず、理解しない人」と言い直したほうがよいのでしょう。

■風と共に去りぬ2

現在4巻目をよんでいるところです。上の文を読まれて「なんて鼻持ちならない女だ」と思われた方もいらっしゃるかな。そう。自分の中にこういう思いがあるというところが、とてもスカーレットに共感する部分です。とても傲慢。そうして、、新しいプロジェクトを開始する毎にことごとく「女の子はそんなに難しいことは考えられないだろう。」と、はなから馬鹿にした振る舞いをする人もいるし、部下として配属されたとしても必ず「女の下なんかには」という態度の人もいます。中には昇進は 単に私が上司の好みだったからだ<つまり色仕掛け(まさか〜 ┐(´_`)┌ )なんていう噂を流す人もいます。
あ、もちろん本当に色仕掛けでいろいろ便宜を図ってもらうひとも世の中にはいますけど..。

もちろん仕事は誰にも助けてもらえないし、自分で自分の道を切り開くしかないものです。(相手が誰であろうとも私は自分が正しいと思ったことを主張することは怖くはありません。※)スカーレットが置かれた状況からは随分とスケールの小さな話ですが、スカーレットの経験もまさにその通りと感じることも多く、ミッチェルはどういう経験をしてこういう思いを書くまでに至ったのだろうと考えると同時に、スカーレットのたくましい邁進力を見ていると自分のことのように元気が出ます。

 反面、自分の中には 誰もを善人と思いたい、誰もを愛して人の役に立ちたいと思うところもあります。そうして、タラのためにスカーレットがやったことは自分の中では絶対にありえない道徳的な規律があり、そのあたりはメラニーに似ているように思います。

そんな風に読み手は それぞれの人に成り代わりながら読みすすめることのできる読み応えのある本だとあらためて思って読んでいます。

 まず、その人物描写が素晴らしい。それぞれの性格がきちんとつくりこまれており、書き分けられています。いささか大袈裟な人物像ですが、違和感なく読めるところは ミッチェルの多才さを感じます。私だったらとてもここまで書き分けることができません。また、冷静な分析力に舌を巻きます。南北戦争の話ですが、この中でのヤンキーのとった行動というのはそのまま記憶に新しい最近の戦争に置き換えてみることができます。 レットの言葉で語られる戦争は はっとするほど真実をついていて、ミッチェルの洞察力・分析力に舌を巻きます。

■性格判断?
丁度掲示板で アシュレーのことを書いてくださいました。実は先日から 
お題「風と共に去りぬ」を読んで、登場人物の中の誰が好きか、誰が嫌いか、その理由をつけて説明せよ。

 というのがあったら、おもしろいだろうなあと思っていたのです。これは、気の合った友達同士の遊びとしてがよさそうですね。いろいろ腹を割って話せそうで。

 私も今のところ 嫌いな人 「アシュレー」 好きな人 「レット」 かな。
どちらかというと好きなひと 「メラニー」「スカーレット」 
スカーレットにはもう少し自分の本来の気持ちに気付いて欲しいところ。
この本を読みながら、カップルにするならこの人とこの人ね! と 見合いを勧めるおばさんのようにくっつけて見ている私はやっぱり ヤキが回ってます。

 そうそう、あなただったら どの人とどの人のカップルが良いとおもいますか?というのも面白そう。でも大抵の意見が一致するかも〜。 

■ところで
 昨日は私の近くに同じ課の男性がやってきて ボソボソと。奥さんの話を。壁に耳有りのpon2仕事しながら 聞いてましたよ。いろいろ話をきいてやらないと機嫌を害するだの、下手に口を挟まずに聞いているだけのほうが良いだの、ごちゃごちゃ文句をいうときより口をきかなくなったときの方がヤバイだの。 まるっきり 風と共に去りぬと かぶるような話でした。
 (本当にそんなもんなのか? 世間のオットとツマ? まるでまったく理解できない他人同士のよう。)

※相手の言い分を聞いてそちらの言い分が正しいと理解できれば自分の考えを改めることももちろん吝かではありません。(女性と対応するとき、男の人の中には オトコの沽券に関わるとかでこれが出来ない人も多いですね。そもそもオトコの沽券とはなんじゃ? 論理的思考が出来ないことの方が人間として恥かしいことではないかと思うんだけど。。)

MY FAVORITE THINGS 2003,11,20
何のコマーシャルだったか、最近この歌を耳にした覚えがある。
有名な映画「サウンド オブ ミュージック」の中の MY FAVORITE THINGS である。
自分の好きなものを沢山並べた可愛らしい歌だ。

 今日書こうと思う私のお気に入りは この歌とは少し趣きが違って実用的なものばかりだが、最近この ロバミミに 「ニガリダイエット」「効果」などでヒットしてきてくださる方も多いので せっかくきていただいたのに たいしたことを書いてないのは申し訳ないなあ。。と思ったのがきっかけ。

■にがり

 結論から言うと 私には効果がありました。
ダイエット効果として書いてあるほどの体重の減少はいまのところはありませんが、(それでも2.5キロは減っていることだし)効果というのは その人の状態によると思います。
 「ニガリで体に不足している微量元素を補うことで 体調を正常に整えよう」ということなので、
私程度の体重だと(一応 太っているとは書いておりますが統計的には 正常範囲です)そんな突然5キロも10キロも減っては健康を害しているのではないだろうか。。
 ということで 「私ってばニガリを飲んでもぜんぜん痩せない」って言う人はすでに適正体重なのではないでしょうか。。と思います。
 それ以外の効果は、むくみがとれて倦怠感が少なくなり冷え性の改善になったかも。つまり健康になってきたってことではないでしょうか。 (最初からむくんでなくて 健康な人はのんでもかわりませ〜んってことなのでは?) 飲んでいるだけで ファッションモデルのように痩せるというのは期待薄のような気がします。<効き目のないあなたはすでに健康なんです。多分。

■緑茶

 緑茶を飲むとピロリ菌をやっつけるとか。それ以上に顔を洗うというのに凝っています。
角栓を溶かすということを期待してやっていたのですが、アトピーのかゆみが多少治まって赤みがひくような気がします。カテキンの消炎効果ではないかと。
 それにプラスして Tゾーンは油っぽいのに。。。というコンビネーションスキンなのですが、
かゆくなって皮がむけてくるのは頬などの乾燥した部分で、油分が少ないのです。
 緑茶は油を溶かすような作用があるらしく 皮脂をまんべんなく顔に行き渡らせることができるというのも少し調子が良い結果かと。 殺菌効果もあるカテキン。
 最近では 余すところなく活用しています。
まず、飲みます。 そうして余ったもので顔を洗います。さらに茶殻で気が向いたら顔をこすります。さらに残った茶殻や お茶は 土と混ぜてリサイクルします。<われながらスゴ!
ついでに チューリップなど植物が罹患するウイルスへの抗ウイルス効果があると言うことなしなんだけどな〜。これは実験あるのみだ!<なんちって。 
(紅茶の葉っぱももちろん 土と混ぜてリサイクルです。)
 でも、効果は? 自己満足かも。(消炎効果だけは ホントにあると思いますよ)

 ※肥料の場合、発酵不十分だと 腐葉土などは発酵熱が出たり植物に悪影響を及ぼす場合もあるとのことなにでまとめて分解させたい場合は植物を植えてない容器で土とまぜてやりましょう。。
 多分その方が良いはず。

■枕

以前衝動買いしたと書いた枕。これはとても気に入っているところ。枕は人それぞれ合うもの合わないものがあると聞くので私に「最高」でも ご覧になっている方には「最低」かもしれないですが、丁度今の季節肩からふんわりと暖かくて 気持ちよいです。
 どこに書いたかな。週末に時間があったら過去ページ探して書き直します。

■コラーゲン・セラミド・ビタミンQ・亜鉛

 肌に関するこのへんのサプリメントを通常量の1/2 くらい 思いついたときにのんでみています。
 アトピーには相関関係がありそう。 このあたりをのむことにより かぶれの症状が緩和されている様子です。 外用でかぶれた皮膚に化粧品をつけると同じコラーゲンやセラミドでもかゆみを増すことも多いので かぶれがあるときにはあくまでサプリメントで補給という形が良さそう。

■レンコン

 呼吸器が弱いのですぐにゼロゼロ言い始めてしまいます。特にこの季節はアレルギーも併発して調子が悪い時期です。レンコンが効く(喘息に)とのことで、レンコンを毎日少しずつ食べることを続けてみるとたしかに調子が良いようです。 肌にも良いそうなので、オススメ。

■敏感肌用化粧品

 これは調査中。。あまり買い物にいけないので、マツキヨなどをくまなく回っている方とは情報量が違うかと。。最近の流行のキーワードは 「美容」「敏感肌」だろうか。
 ものすごく高いので買ったことないのですが、 オバジK とか オバジC とか <興味あります。買うだけの踏ん切りがつかない。 
 昨日試供品をもらったのが ピジョン(赤ちゃん用品メーカー)の 大人ターゲットの試供品。http://pigeon.info/syouhin/catalog/?category_id=54
 価格も手ごろで 使用感は悪くないと。 刺激は少なめなのもGOODではないかと。
(しかし、化粧品は 使い始めてすぐとその後で変ってくる場合もあるのでま、情報だけということで)
 ロートのだとおもっていたら、日本ジョセフィン社というロート系列の会社でした。アトレージュといいます。
http://store.yahoo.co.jp/soukai/atorrege-index.html
とりあえずヒットしたところ。これはかさかさしたところに使っても痒みを感じないのでたすかってます。使っているのは 全種類ではないです。


実用的な話。興味ない人は興味ないだろうな。と思うのだけど。スマソ。
とりあえず、今日はこれだけ! 連休は風と共に去りぬ4巻目を読みつつ考察したことあたりかけるといいなあ。。

あ、そうそう。書き忘れるところでした。昨日の「およげたいやきくん」は ポンキッキだったとのこと。掲示板で教えていただきました >サンキュ!

画像は オキザリス ベルシコロール

おすしのピクニック 2003,11,19
 今日は大王はおにぎりを持って近所の子供夢パークまで出かける予定。pon2は朝からお握り作り。
昨晩「疲れたから明日の朝入る〜〜〜」とお風呂をパスして。。<あ?顰蹙ですか?スミマセン。
今朝ゆったりと 子供も起きていないうちに入ろうかともくろんでいたら、大王までが「ぱぱとははいらない。ままとはいる」だそうで、「さてはお風呂に入りたくないからだな」と。
 なだめても、すかしても「うん」と言わない大王も夕べのお風呂パス。

今朝、朝早くゆっくりとお風呂に入ろうとしていたら、大王きちんと起きだしてきて「ままとはいる」ということで朝からきちんとお風呂にいれました。

 そんなこんなで、お握りつくっていても忙しかった。

■おすしのピクニック

ところで、家族に幼児がいないとみることはないであろう「おかあさんといっしょ」からヒットが生まれることも意外に多くて、記憶に新しいところでは 「だんご三兄弟」(あのおねえさん。その後どうしてるんだろう。)昔は 「およげたいやきくん」ですね。

 最近注目しているのは、「おすしのピクニック」
http://www.nhk.or.jp/kids/okaa/uta.html
この歌、まったく歌詞は普通の子供の歌なのですが、着ぐるみが凄すぎる。
この企画を出した人は もしや「おれたち ひょうきん族」世代ではないか?とおもうほどの凄さなのだ。

 おにいさん、お姉さんたちがまず、白の全身タイツでご飯を表現。おすしとして海苔巻や握りとして登場するのですが、その化粧がスゴイ。昔の「たけちゃんマン」を彷彿させる太い眉と白塗りたしか頬も赤かったと。。
 並んで6人くらいが登場するのだがじっくりみても 誰が誰だかサッパリ分からない。

ぜひ、日頃 「おかあさんといっしょ」を見ることのないかたも この機会にご覧になって欲しいと思う。 あっけにとられ、目がくぎ付けになること請け合い。
 白塗りの人たちは前後で歌を歌ったり踊ったりしているので、「使用前」「使用後」が楽しめる。

なかでも「おれたち ひょうきん族」世代の方には 当時を思い出してなつかしむことができるので特にお勧めだ。
オレたちひょうきん族 THE DVD(1981-...
オレたちひょうきん族 THE DVD(1983-...
オレたちひょうきん族 THE DVD 1985

どうやらDVDは一番下の 1985 が一番面白いらしい。


 今日は、ばたばたしているので、これだけ。。ごめん!

いきいき 2003,11,18
 先週だったか、ユニクロでピーコートを買ったと書いたのだが、ショックな出来事が。
4900円で安いと思って購入したのに、週末に2900円になっていた。 2000円も損したような悲しい気持ち。
 冷静なpon1曰く。「ユニクロは週末に安くなることが多い。急がないものは週末まで待つ方がよい。でも、pon2の場合は、週末が来るまでに2,3日重宝して着ていったのだから それでよかったと思うべきだ。」

 そう思う。たしかにそう思う。そう思おうと思う。しかし、2,3日が 2000円っていうのは
やっぱりくやしいよぉ。。。。 49000円が2000円安くなっていたのはさほど悔しくないのだが、4900円が2900円はないんじゃないかい。。ぐすんぐすん。 ま、しょうがないんだけど。
(多分、pon1はここを読んだら どちらも2000円は2000円だ。同じだ。と笑うだろうなあ)

■近況

 作っていたシステムがやっとひとつ出来上がって今、ユーザーさんに検証してもらっているところ。今一番あたふたしているところです。
 意思の疎通がうまくいっていなかったところ、言い忘れ、聞き忘れ、確認し忘れ、作り忘れというものもあります。きちんとやったつもりでも、忘れるし、勘違いするし、うまく伝わらない。それは人間だからです。
 でも、忘れても、勘違いしても、うまく伝わらなくても、それに気がついたときにうまくいくようにすればよいのです。そうしてそうならないようにすることが大切。
 なによりも、勘違いしているところ、忘れているところを探し出すことがシステムをきちんとするために一番大切なのです。ここで、なにも出てこなかったとしても、それは見せかけの快調かもしれない。ここで沢山の勘違い、不具合を出すこと、そうしてそれを治す事が大切なんです。
システムは今そんな状態のところにいます。

 そうして、毎日があっという間に過ぎていきます。気がついたらもう退社時間と言うことも多い。
こうやって好きなことに熱中してやっていくということが どんなに私の性に合っているかがわかるなあと生き生きしている自分を 外側からみつめています。

 この仕事の喜びは 「人の役にたっている」と実感すること。ユーザーさんが便利になったと喜んでくれると本当に嬉しいのです。<まさに職人さんみたいだねえ。

■win-win

 win-winとは何か。あなたと私がいたときに、双方の欲求が相反する場合、どうやって折り合いをつけるかということ。 片方の欲求だけが充足されて、片方があきらめざるを得ない場合、それは
充足した人が win(勝ち)あきらめたほうが(負け)。では、双方が勝つ方法はないでしょうか?というのが この考え方だ。

つまり、あるところにジャイアンとのび太がいました。 のび太もジャイアンも空き地で遊びたいと思いました。 ジャイアンは腕力にものを言わせて空き地を独占してしまいました。
 それでは、勝ったジャイアンは気持ちよいだろうが、のび太は不満だろう。
ジャイアンものび太も気持ちよい解決方法をさがそうじゃないか。
 ジャイアンとのび太が半分ずつ使うというのもあるだろうし、実は双方野球がやりたかったので、いっしょに野球をするというのもあるかもしれない。実は二人は使いたい時間が異なっていたので時間を分けて使うというのもあるだろう。
 そうすることによって ジャイアンーのび太の二人に良い関係が発生する。


http://www.google.co.jp/search?q=cache:Mjo22v0BpbAJ:www.pi-forum.org/worksho9.html+win-win++%E3%81%98%E3%82%83%E3%82%93%E3%81%91%E3%82%93&hl=ja&ie=UTF-8

つまりは、
1)自分の要求の本質を(主張)を深く掘り下げてみよう。(言葉に出してみよう)
2)相手の要求の本質を 深く理解してみよう。
3)双方相手の立場も考えましょう

ということに尽きる。 つまり当然といえば当然のことなのだ。
 ビジネスの世界では普通に聞かれるこの言葉。生活にも応用できそう。

■アサーティブ(Assertive)

これも研修でならったことなのだが、
誰かがあなたを批判しり、どなりつけたり、身に覚えのないことでとがめたり など したとき 
普通は 泣き寝入りしたり、「私のせいじゃない」とか「あなたこそ、こうしたじゃないですか」というのではなく、それを 服従的な態度でも攻撃的な態度でもなく 「他者の権利を侵さない範囲で 自分の権利を主張する」ことだとのこと。

こんなページがヒットしましたhttp://www.assertive.org/
 とはいっても、肝心のところはメンバーにならないと見えないんですね。<後から気付いた

例えば>
仕事でめちゃくちゃ忙しいときに、上司に呼ばれて「pon2君。明日までに この資料を仕上げて配布してくれないか?」なんてたのまれたとき。
「今いそがしいんです。できません」 とか「はい。わかりました(自分の仕事はあとまわし)」とか「なに言ってるんですか。いつもギリギリに言うんだから。イイカゲンにしてください。私は忙しいって見ればわかるじゃないですか」と言うのではなく

 「明日までに資料を作って欲しいということですね。ところが、私は今明後日までに約束した仕事を期日通りに仕上げようとしているところなんです。今、その仕事を飛び込みで入れると期日に間に合わなくなりそうです。<と自分の状況を説明。
部長の資料は明日までということですので、他の人にお願いするか、期日を延ばしていただけると助かるのですが。 どうしても私がやる必要がある場合は、申し訳ないのですが、ユーザーさんに期日に間に合わないということで一言断りをいれていただけないでしょうか」<これで完璧かどうかは ? ですが。

 のように 突っぱねるでもなく そのままやるでもなく おとしどころを模索するというか。
あきらめる前にもうひとふんばりしてみませんか?ということ。
部長も資料を仕上げることができるし、私も約束を守る方法を模索するという双方の要求が通る win-winの関係を作ろうということ。

たとえば、
「そうだったのか。資料は私が自分で仕上げるよ」とか「それじゃあ今週中にお願いするよ」とか
「山田君に頼んでみるよ」とか「わかった。ユーザーさんに謝っておくから 頼むよ」とか 双方が納得する結果が期待できるような返事をしてみましょうということのようだ。
これの良いところはこういう関係を続けていることで 双方に信頼感が生まれてくるところだとおもう。

 まあ、これも、相手がこちらの言っていることを理解できない「頓珍漢」な人でない場合でないと有効ではないかもしれないが、進む道を示してあげることと、こちらが感情的にならないことで相手の反応も多少は違うかも。。。と期待できる?。。
 (でも、頭に血が上った人は何を言っても無駄なことも多いことも多いのですが。反対に相手が頓珍漢だとこちらが先入観を持って接してしまったことが敗因なことも結構あります)

ついでに、面白いページをみつけました。これも日常生活に役立てられそうかな。
http://homepage1.nifty.com/fujiwo/develop/oo/dscsnptn.html

な〜んか固い話でしたね。今日。(最後まで読んでもらえる話題だったかは。。謎)

○○観 2003,11,17
私はどうも「自分と人とはほぼ同じ」と根本で思っているらしい。
しかし、以前「人」の気持ちは結局はわかろうとしても分からないのではないか?みたいなことを書いたこともある。

先日、あらためてそれを実感した。
帰宅時のこと、同じ会社でときどき電車が一緒になる人がいる。部署も名前も知らないが、退社時に同じ門から出て、同じ車両になることがある人だ。

いつもは一人で乗っている彼女がその日は男性と一緒に喋っていた。たまたま一人置いて隣に二人で並んで座ることになった。当初、私は本を読もうとしていたのだが、そのうち彼女の話し声が耳について本が読みづらくなってきた。かなり熱っぽく語っていた。本を読んでも頭に入ってこないので、諦めて目をつぶろうとしたときに、彼女が「私は、仕事で『自分でやることを考えなさい。自分で責任を持ちなさい』っていうのは嫌なんです。人に言われた通りのことをするというのが好きなんです。」と言う言葉が聞こえてきた。
本当に驚いた。そう考えている人がいるということは思ってもいなかった。まさか同じ会社にそういう人がいるというのがまた驚きだった。
 私だったら、どんなに想像してもそういう結論に達するということはありえない。

多分、彼女と話しをしたときにはきっと私には彼女がどうしたいか想像できないだろうし、彼女が欲しい助言はできないであろうとその時思ったのだった。
 
■○○観の相違

わかりやすいところで、価値観。
「私」と「あなた」がいたときに、お互いの価値観の相違を認識してそこを埋めるという作業があると思う。もちろんpon1と私の間にも細かい価値観の相違はある。そのひとつひとつを見ると違っているのだが、大元で合意した価値観というものがあり、その範囲内で お互いの意識を調整しあっているようなところもある。 まるっきり 相手と同一の価値観を持とうとするのではなく、相手の価値観を否定するのでもなく、お互いの価値観を認め合うということだ。
 他にもいろいろな○○観というものがある。
それもその人の育ってきた環境や時代によってそれぞれ少しずつ違っているものではないかと思う。

■風とともに去りぬ

あの有名な映画の本である。いままで読んでみたいと思わなかった本だが、友達から情報を聞いて読み始めてみた。今2巻目を読んでいるところだ。

 映画は何度か見たが、スカーレットの美しさ 意地っ張り、すれ違いに次ぐすれ違いが印象的な話だったように記憶している。もちろんスカーレットの美しさには 私もノックアウトされ、レットとの別離の場面に 「どうして。。」と涙しながらラストシーンを見た一人である。

 本を読み始めてすぐに気になったのは この ○○観である。
その当時の南部の女性は、こういうときには必ず気を失うものだ。などという習慣にがんじがらめになり、たしかに、16で結婚してしまった(軽はずみな理由ではあるが、彼女が精神的に子供であったということだろう)彼女が数ヶ月で寡婦となってしまったあとには、ずっと喪に服すなどという現代からみると いささか不自然な決まりごとが沢山あった。

 あのならず者のレット・バトラーも現代の私からみると 現実をきちんと見据えているのに、言葉をそのまま口に出すがゆえのトラブルも多い。

「戦争はすべて神聖です。ただし、闘わなければならない人たちにとってはです。もし戦争を起こした連中が戦争を神聖なものにしなかったら、ばかばかしくてだれが戦う気になるもんですか。しかし、戦争をするばかものに、雄弁家どもが、どんな景気のいい標語をあたえようと、どんな崇高な目的をこじつけようと、戦争にはただ一つの理由しか絶対にありません。それは金だ。戦争はすべて、じつはかねの奪い合いなんです。(後略)」
 これはあの、ならず者のレットの言葉。今の時代の私たちからみると同意することも多いこの言葉は、その場の人たちを怒らせ凍りつかせたのである。

しかし、この言葉を理解している人がメラニーである。
 メラニーは当時としては珍しく、女性も男性と同等に文化を語り合うことに喜びを感じるという人であり、夫のアシュレーのよき理解者であった。そのメラニーは、レットが語った言葉がアシュレーの考えと表現は違いこそすれ同じであるということを理解しているという設定。

 (まだ、アシュレーの言葉からはメラニーとスカーレットに対する決定的な表現がないところ。優柔不断な印象。なので彼の気持ちは不明。きちんと「気がない」ということを言うのもその人のためだと思う。現在アシュレーの煮え切らない表現にあきれたり。)
スカーレットは 古くからの因習と異なる自分の価値観を押さえようとしても押さえることができない。価値観の違うスカーレットは メラニーを愚鈍で美しくないと(当時の基準で)評価し、アシュレーから見たメラニーの魅力というのが多分分からないであろうことを ときたま レットから揶揄されるが、その意味さえも理解できない。

 また、メラニーはスカーレットが内心、彼女のことを疎んじていることも気付かない。

2巻目を途中まで読んだ感想は、あの映画は大変原作を忠実に再現したものであるということ。
スカーレットの印象もレットの印象も より色鮮やかになり、映画の魅力を損なうことがない。

 今丁度メラニーの出産のところを読んでいるのだが、わがままなスカーレットの旺盛な生活力、強さというものがとても好ましく思えてきて、また、その時代に産まれてきてしまったことが大変残念だなあ(この話は 虚構ですけどね。。)と気の毒に思うことも多い。
 心情的にはメラニーに共感することが多いし、その親切で悪意のないメラニーをなぜそこまで憎むのかというところがどうも私にはしっくり来ないし、歯がゆいのだが、人にはやはりそういうところがあるかもしれないと思ったりもした。 

(さて、もうそろそろ話しも中盤にさしかかります。楽しみに続きをよみましょう。)

■感情も

○○観が違う人たちが生活していくのが人の世の中。そういうときに、「あなたの○○観がヘンだ」という論争は不毛な結末を生みやすいようにも思う。
 反対にもっとも論理的でない分野。お互いが分かりやすい感情の分野で話をすることが共感を得やすいという不思議な現象があるようにおもう。

 たとえば、「あなたがそういう行動に出たことをみて、私はとても悲しかった。」ということは受け入れられても、「あなたがそういう行動にでたことは私は非常識だと思う」という言葉は勘にさわったり。

まったく観点が違う人同士の会話では 「感情」というお互いが理解できる共通の分野でのアプローチが意外に有効なのかもしれないと思った。

※但し、これが悪用される場合も多いのです。感情操作というか、そういうものをあおって人の心を操るということもあるので気をつけたいところ。まさに、風とともに去りぬの南部の人たちはこの感情操作によって戦争へと向かいます。

風と共に去りぬ 1 (1)新潮文庫 ミ 3-1

風と共に去りぬ 2 (2)新潮文庫 ミ 3-2


くまのがっこう 2003,11,15
朝からいろいろこなしました。bbsへのお返事。明日の朝、すがすがしい気持ちでかかせせてくださいね!

午前中は就学前説明会。大王とpon1はインフルエンザの予防接種。
午後からは 大王が「ロボットをみたい」というので(なにしろ大王は大きくなったらロボットをつくるひとになるのだそうですから)玉川高島屋まで あの「ASIMO」君をみに行きました。
 ASIMO は二足歩行ロボットのさきがけ、皆さんご存知のホンダのロボットです。
http://www.honda.co.jp/ASIMO/
二足歩行というのは逆転の発想にあったそうで、通常それまでのロボットはバランスを崩した時に元に戻そうとする動作がうまくいかなかったらしいのですが、あえて倒れる側に倒すという制御で二足歩行を可能にしたとか。<ああ、いい加減な説明。スミマセン。詳細は検索すると出てくると思います<またもやいい加減。。。

お詫びの印に?
http://www.google.co.jp/search?q=cache:FAOh3UWNV4oJ:www.nishinippon.co.jp/media/news/0205/robocup/tokusyu/asimo.html+ASIMO+%E9%87%8D%E5%BF%83%E3%80%80%E8%BB%A2%E3%81%B6&hl=ja&ie=UTF-8

おお、このページでは1995年。ASIMOの前身となるp2の開発についても語られています。
(あれ? p2! なんだか他人とは思えない親しみ。。)

そうそう。高島屋のアシモ君。歩いてました。おもったよりも小柄。120センチです。
大王より少しだけ背が高い程度。 体重は52キロになったそうで、重いです。
しかし、しゃべってばっかりで 大人には不満がつのりました。
大王は「たくさんしゃべることおぼえてえらいねえ」なんて言っていましたが大人からすると 「もっとうごけ〜〜〜〜。話すのはもういい!」と不満がつのりました。

■くまのがっこう

その後屋上の庭に。いろいろな植物が植えられていてとても屋上とは思えないスペースにしあがっていました。 大王と 「小さくて赤い実をさがせ」とか 「しゅ〜とのびたさきに紫色のつぶつぶのついた花をさがせ」とか 探せゲームを当分楽しみました。
いろいろな植栽がある場合は 子供とこの遊びはオススメ。
 屋上には本当にいろいろな植物が植えられていたので 問題を出す方には 観察力と記憶力と 表現力のトレーニングになりますし、探す方も観察力を駆使して結構たのしめます。

 もう帰ろうというところで 迷い込んだところにおいてあったのが「くまのがっこう」でした。 大王がすいこまれるように本にむかっていき、一人で一冊全部よんでしまいました。
 とんだ後の リンクか本の画像を押すと他の人の感想があります。
ジャッキーのパンやさん―く...PICT.BOOK
 カタカナとひらがなまじりの本で思ったよりも文が長かったので一人で読めるかどうか心配したのですが、話の展開がおもしろくて子供が楽しめながら読めるようです。
 (大人も読んでいて楽しかった。)絵もずいぶん可愛くてお母さんもかなり気に入りそう。

「家でママに読んでくれるのだったら一冊買って帰るよ」<いつもと反対に。そうすると自分で読むかな?と策略。 と、言うと「読む」というので、購入したのがこちら
くまのがっこうPICT.BOOK
こちらもかわいいです。シリーズでもう一冊あります。

この本のページはこちら。
http://www.pictbook.jp/
ショップもあります。ぬいぐるみ好きの方(大人でも)には堪えられないかも。
着せ替えの衣装もあり、高島屋にはクリスマスツリーバージョンの洋服がでていました。 ページには プレゼントやゲームダウンロードもありますよ。

今日はこの辺で。<実はくたくたで もう眠いのです。。。
 




 

ショコラ 2003,11,14
■運命

昨日はくさい運命に見舞われた日だった。
朝電車に乗ると運のよいことに最初から席に座ることが出来た。混んでいたので本は読まずにいたのだが、途中から眠くなり居眠りをし始めた。
私は終点まで乗る。
 数人隣の席の人が替わるような気配を感じながらうとうとと寝ていたのであるが、突然ニオイで目が覚めた。またもや onaraのようだ。 
 ふと気がつくと隣の人は ハンカチで鼻と口をふさいでいる。「私ではないよ」と思いながら耐えた。

 帰りは始発駅からなので、いつも座ることができる。ここのところとても眠いので帰りもうとうとと寝ていたのだが、途中中学生3人組が乗ってきた。
彼等はクラブ活動の帰りらしい。「今日テレビはなにがあるんだっけ?」「テレビチャンピオン」とか雑談しているので、こころの中で「今日はトリックの日だよ〜」と返事しながら眠っていた。
ところが、途中からまた onaraのにおいが充満。 くさっつつつ。
 誰だ?たぶん3人組のうちの誰かなんだろうなあ。と目をつぶりながら耐えていた。
においが治まったころに一人が 「さっき、トルコアイスをがっついていたら ハラの調子が悪い」とか言い出したので、私は心の中で。「もしかして、さっきの犯人はキミか?」と突っ込んだのだった。

 もちろん、口にはなにも出さなかったのだが、最近こういうの多いなあ。

 我が家では 寝る前に時々さらっとネットで遊ぶときがある。先日もつい占いサイトに迷い込んだら、「あなたの今日の運勢は最悪」なんて出た。 それを見て「今日はもう終わったし、別に普通の日と変らなかったから 最悪でもいいや」なんてつぶやいたら、隣でそれを何気なく聞いていたpon1は プププと噴出した。 ●●の運命だ。なんて冗談めかしていうけれど、実は私は占いはほとんど信じていない。

■ショコラ

友人や後輩から面白いと聞いていた映画をやっと見ました。
不思議な映画でした。アカデミー賞にいくつかノミネートされたそうです。

 ある、厳格な村に 北風とともに赤いフードをかぶった 母(ジュリエット・ビノシュ)と子がやってくる。母子は店を借りそこでチョコレート屋を開く。
おりしも、その村では昔からの伝統の断食の時期。村人は よそ者の出現をいぶかしむが、次第にそのチョコレートの虜になっていく。そうして...という話。
 人気の ジョニー ディップが出ています。

なにより映像としてみるチョコレートの美味しそうなこと。「この映画を見たらチョコレートを食べたくなる」と聞いたのですが、まさに。その後私はチョコレートを買いあさり、(丁度冬に向けて新商品が出ているところですね)手当たり次第に味見をしてしまいました。

ちょっと話がそれますが、
 実際のチョコレートはすりつぶす作業が命のようで、個人でカカオ豆から作るチョコよりは今の市販のチョコの方がずっと美味しいらしいですね。
 バレンタインが近くなると「手作りチョコレートレシピ」があちこちに掲載されますが、絶対と言ってよいほど、カカオ豆からは作りません。
 大抵料理用の出来上がったチョコレートを溶かしてそれに何かを加えて再度固めるという作業です。

  お菓子作りに興味を持ったのは中学校や高校の頃だったと記憶しているのですが、マシュマロはまさに自分で作るものなのに、チョコはチョコを溶かして固めるだけなの? と驚いて結局いまだに手作りチョコというものを一度も作ったことがありません。

 因みにマシュマロはご存知の方多いかと思うのですが、ゼラチンを砂糖とあわ立てた卵白とあわせて絞り出して固めます。私が見たレシピでは バットに片栗粉(コーンスターチでも)を厚くしいて丸く穴を作りそこに絞りいれて固まったら出来上がり。子供の頃に作って「こうやって作るのか〜」と驚いた記憶があります。

さて、この映画を見て思い出すのは、 赤いバラソースの伝説。パベットの晩餐。とか、そういう類の映画。

以下激しくネタバレなので例のごとく反転して読んでください。
これから見ようと思う人は読まないほうがよいかもしれません。


厳格な村で日曜のミサにも出ず、結婚していないのに子供を持っていて、派手な身なりの母は道徳的に疎んじられます。しかし、その母が作ったチョコレートを村人が食べると皆自分の気持ちに正直になり縛られていた規律から自由になるようです。そうして、少しずつ彼女のチョコレートを食べる人たちが増えていきます。
 彼女は 古い因習に縛られた人たちを自由にするという設定です。しかし、この映画見方によってはその因習から解き放たれたのは 村人だけではありません。どうやらこの親子は村々を回ってチョコレートを作って食べさせているという昔ながらの運命に縛られた親子らしいのです。
 北風とともにやってきて次の村へ移り住む。

 母は魔女のような雰囲気なのかとおもえば、途中自分が受け入れられないことに悩み涙し、この地も去ろうとします。(ああ、普通の人間なんだなあ)しかし、今回ばかりは違ったようです。
彼女は、いつも枕元に置いていた たぶん母親の遺骨を焼いた灰を北風にまくことで自らの縛られた運命を解き放ちました。そうして、この村に落ち着くことにします。

 また、終盤では 船に住み、あちこちの村を渡り歩いているという生活をしているジョニー・ディップが、母子を訪れます。どうやら 母子と一緒にこの地に住むようなニュアンスもあります。
つまり、彼も自由な生活をしているようで、実は船の上に住むという生活から解き放たれるわけです。

そうして、子供は自分の想像上の唯一の友達のカンガルーから解き放たれます。


こういう映画は見る人によっていろいろな見方があり、解釈の仕方があると思います。
これといった大きな事件はありません。 Once upon a time  で始まるこの話は 昔話としてとらえられる。まさにそういう御伽噺のような話。という印象でした。

  ホットチョコレートにチリを入れるとどんな味になるんだろう。
ショコラ DTS特別版CHOCOLAT クリック後に出てきたページで タイトルか画像をクリックすると他の人の感想も読めます。

入学前健康診断 2003,11,13
寒くなってきました。短いコートは皆流行遅れになっているし、ロングコートでは少し大袈裟すぎるかと思い、短いコートを購入したいと思っていたのですが、なかなか買い物に行く暇もなく。
 昨日入学前健康診断のあと、「もう、なんでもとにかくコートを!」と自宅から徒歩8分のところにある ユニクロでピーコートを購入しました。朝は、「少し暑かったかな」と思いながら家を出て、会社に着く頃にはこれを着てきて良かったと思うくらい風が冷たくなっていました。冬ですね。
 ダッフルコートも信じられないくらいの低価格で並んでいて、さすがユニクロです。

■健康診断
 入学前健康診断なるものに昨日行ってきました。大王は公立の小学校に通わせるので、お受験などとはまったく関係なく、親が緊張する必要はぜんぜんないはずなのですが、なぜかやはりぐったりと疲れました。(日頃使わない神経を使ったのかも。毎日緊張感のない生活をしているのがバレバレだなあ)

 洋服は何が良いだろうか?いまひとつわからないので 通勤用の服を着ていきましたが、行ってみるとみなさんとてもラフな格好で「はずしてしまったなあ」と。
 早く行きたい大王をなだめながらそれでもはやくつきすぎてしまったので、外で何十分も待つことになりました。子供が寒くないか心配。その後、歯科医が一時間弱の遅刻(茶髪のふとリ気味の人でした。こんなに遅れるなんて。。。患者さんが混んでいたのだろうか)
 何事もなく 完了。 今週末には就学前説明会なるものが 保育園であります。当分バタバタしそう。

そんなこんなで、ちょっと落ち着かない状況です。とりあえず、本の感想 でお茶を濁します。

■クッキング・ママの召喚状

前に読んだもののひとつ前の話だったようで。これにてシリーズ読了かも。v(^^)

ミニヨン化粧品の新色発表会のケータリングを頼まれたゴルディは、ジュリアンと一緒に準備を進める。そこに現れたのはミニヨン化粧品の販売員をしているクレア。ジュリアンの恋人である。彼女はものすごい美人。 ジュリアンは気もそぞろ。

クッキングママシリーズの中でバランスのとれた話だったように思います。
 途中青いバラ※ が出てきたりしたから私にとって面白かったということかもしれない。
いつも通りのパワフルなゴルディのメチャクチャな素人探偵シリーズ。今回は低カロリーのレシピが満載です。

クッキング・ママの召喚状集英社文庫


■青いバラ
 ここを読んで下さっている方々には園芸関係の友達も多く、バラについても私よりも随分と知識の豊富な方も多いです。私の少ない知識で青いバラについて素人の講釈をするなんてとんでもないのですが、ちょっと青いバラの話を。

 昨年だったかに読んだ 小学館の 「青いバラ」 最相葉月 にかかれていることのかすかな記憶をまじえて。

青いバラ
 
 青いバラ blue rose というのは 「不可能」という意味で使われることがあるそうです。
そのくらい作ることが難しいそうです。
 実際、園芸カタログには いろいろな「青いバラ」がならんでいたりするのですが、カタログ写真というのは なかなか実物と同じ色が出ていないものも多く、実物を見ると落胆することも多いものです。本当に青い空のような青はやはりまだないと思えます。最近で一番青いと言われているのは 「青龍」というバラでしょうか。 これの実物はまだ見たことがないですが、やはりグレーっぽいのではないかと思っています。

http://www.hpmix.com/home/citymake/AI14.htm
http://www001.upp.so-net.ne.jp/niko/nippon/saisyou3.html
http://www.mainichi.co.jp/life/garden/news2003/f-0503-8.html

 青を目指していてもどうしても赤みが混じってしまって 紫色になったり、グレーになってしまったりということも多いそうです。

 私個人的には、真っ青のバラにはあまり執着はなく、 藤色や グレーのものにもとても惹かれるものがあります。
 「ガラスの仮面」ではありませんが、藤色のバラは控えめで気品のあるものも多く、沢山の人に好まれているように思います。

 我が家で育てたことがあるのが フロリバンダの ブルーバユー <丸弁で可愛らしい花です。
 個体差があるかもしれませんが、控えめな香もあります。

 ミニバラの ベンムーン。 これはミニバラでも香があり、形が整った大きめの花が咲きます。香があるミニバラは最近多く出てきましたが3年前くらいにはほとんど見当たりませんでした。

 ステンレススチール これももしかしたら 藤色のバラの仲間でしょうか。これも花持ちがよく
とても綺麗で香の良いバラです。

 欲しいと思うのが ブルーリボン。 細い茎が風情があり意外と強健ということです。

 人気のあるバラは マダムビオレとか シャルルドゴール とか スターリングシルバーとか
ブルームーンとか。。とにかく 青(藤色)バラだけでも 数えているときりがないほどだと思います。

 どれも気温が高いと 赤みが強くでるようで、寒い地方の方が綺麗な青色が楽しめるそうです。
もし、購入を検討なさっている方がいらしたら、じっくりと香や性質などよく吟味して選ばれると良さそうですね。

 どうせ育てるのだったら香の良いバラを。。と皆さん思われることと思うのですが、気のせいか香の良いバラは虫もつきやすいような。。。。

気力尽きる 2003,11,11
「気力尽きる」な〜んて書くとかっこよいんですが、風邪ではなくアレルギーだということになりました。「昨年も丁度この時期に同じ症状で受診していらっしゃいますね」とお医者さん。

 そうなんですね。11月は魔の季節。そういえば、今のマンションを探している頃も草むらの近くではげしく咳き込んでしまったことがあったのを思い出しました。

■喘息には蓮根

 昨日の「薬になるテレビ」では喘息をレンコンで直したという話がありました。漢方では薬として使われていることもあるとか。
気は心でなおるのであれば それもヨシ!と 蓮根かって来ました。

■困る症状

このアレルギー症状がでて困ることはいくつかあります。
ひとつは顔のかぶれ。 顔がまだらにかぶれてきますので会社員の私はやはり少し困ります。 もうひとつは 咳き込み。 この季節風邪の人も多く、周りの人に不快な思いをさせるのではと満員電車などで咳き込むのは避けたいと思うのですが、電車の中は咳き込む条件がそろっています。まず、温度差。外から中に乗り込んだときに空気に温度差があるとそれが刺激となって咳き込みます。 次に香。香りはとても好きで私も沢山あつめていたのですが、使えなくなってしまったのはこの理由があります。 強い香りでなくても香りの成分に刺激されて咳がとまらなくなるのです。もうひとつは風。空調から流れ出る風があたるとそれが刺激になって咳が出ます。

 咳きといっても「コンコン」というかわいらしいものだったらまだ良いのですが、「げほんげほんげほん。げほげほ。げえ〜〜」となり 最後のげえ〜は傍から聞いていると吐きそうな声に聞こえると思います。(赤ちゃんは咳き込んだついでに吐くことも多いのですが、ほとんどそんな感じ。ひどくなるとなみだ目になって吐く息がなくなっても咳が出続けて、息が吸えないのです。)

 「周りの人はさぞかし怪しくおもわれていることだろう」と緊張します。

そんなこんなでこの季節と春のアレルギーの季節は 通勤はつらかったなあ〜〜。
特に 今の事務所になってから ずいぶんひどくなってしまったので、会社を辞めたらこれを少し治したいと思うのでした。

 最後のひとつは、寝るときです。仰向けで寝ていると痰(といってもアレルギーは細菌感染しているわけではないので透明の鼻水様のものなのですが)が呼吸器にからんで夜中咳き込んで目が覚めます。 そうして何度も何度も起きることになるので、これが一番つらい。 私は子供の頃に小児喘息だったので、何よりも夜が来るのが憂鬱だったのを思い出します。

 昨日、蓮根で喘息を治したという方はオペラ歌手の中島啓江さんでした。彼女の体験で、なによりもつらかったのは夜眠れないこと。横になると呼吸ができないので いつも座って朝を待ったという話。「まさにそう!」と思って見ました。このつらさは経験さでないとわからないと思います。多分、座って朝を迎えるなんてたいしたことないと思われる方も多いと思うのです。
 
■アレルギーと睡眠

http://homepage2.nifty.com/smark/allsuimn.htm

 しっかりと睡眠をとることで、体力の回復をして、体調を整え結果的にアレルギーを改善させることができるのですが、この睡眠がしっかりとれないことこそ、どんどんと症状を悪化させる原因になっているようです。

昨日は薬をもらってそこそこ眠ることができました。そうして、今日はとりあえず会社を休むことにして家にいます。
 
■大王を泣かす

そんなこんなで、今日も力の入らない日記で申し訳ないです。とりあえず昨日あったこと。

昨日の夜のこと、寝るのがもったいない大王は大抵夜中布団に入ってからも少し遊びます。 昨日は策略をめぐらせて、私と競争することで早く寝かせようとしていたのですが。電気を消してからも まだ構って欲しい様子。
 そこそこ構いながら何かした拍子に 「ぷぅ」と音がしたので「あ?おならした?」大王「げらげら」「おならする子はママはきらいだよ〜。さあ寝よう寝よう。おやすみ〜。」と これ幸いと静かに目を閉じていたのです。

数分後、大王の方から「ふぃ〜」とか「ふぅ」とか 声が聞こえるので 「どうしたの?」と声をかけると しゃくりあげるような声。
「あれ? 泣いてるの?」「うん」といったきり 堰を切ったように大声で泣き始めました。「もしかしたら おならする子は嫌いっていったから?」というと「うん。」ですって。

 びっくりしました。嫌いという言葉もさほど強く言うでもなく眠かったので気のない言い方だったように思うのですが。あっけにとられるpon2.

思い出してみると、大王のことを「嫌い」ということは私にはめったにありません。ほとんど言いません。予想以上に「嫌い」という言葉に敏感な大王に驚くやらあわてるやら。 こんなにヤワなことで良いのだろうか。と心配になってしまったpon2でした。

 とてもかわいいのだけど。これでは小学校が心配だなあ。

画像は サザンカ ビートリス エミリー


風邪 2003,11,10
風邪っぽいです。風邪かアレルギーかわかんないですが。
雨だからなのか、月曜だからなのか、それとも咳き込んでここのところ夜に何度も目を覚ましているからか、野生児の私はすっかりとlowな気分になっちゃってます。絶好調でないことだけはたしかです。
今週末までいろいろと目白押しなスケジュールですからあとひと踏ん張りです。
「ふぁんはろ〜」<力なくガンバロウと言っているつもり。

今日はだらだらとしたロバミミです。

■そりゃそうと選挙

pon2の選挙区には 若手で犬と一緒に医者の格好をしたポスターの人が立候補していました。自民党というのは気に入らないけれど、政治が若返るのは良いことだ。自民党も若返れば捨てたものではないのかしら。と思って多少興味を持ったのですが、彼が街灯で立って演説している内容は「小泉さんは自民党をぶっ壊すと言って、約束どおりぶっ壊してきたではありませんか。」と見事にぶるんぶるんと小泉さんに尻尾を振っている様子でした。落胆しました。

 同じ演説を聞いていた人が多かったのかどうかは分かりませんが、彼は当選しませんでした。ところが比例区で当選しちゃいました。 (皆がやらせたくなかったから当選しなかったわけで、比例区で当選ってのは果たしてアリナノカ)<今日は元気がないので力なく

■幻のパスタもたれる

選挙の後に、家から数分のビジネスホテルのレストランに昼食に行きました。
いつも通りすがりに歩道橋から見えるのですが、人が入っていたことがありません。内心「大丈夫なんだろうか。つぶれないだろうか。」と思っていたのですが、お母さんたちの噂では 「あそこは美味しい」のだそうで、そう聞いてしまうと行ってみたくなります。

 さて、ビジネスホテルの入り口を入り。 だ〜れもいない。そのままエレベーターで二階へ。
フロントがあるのですが、フロントの奥で小さく話し声が聞こえるのだがだれもいない。
ちょっとしたロビーです。締め切った空気のにおい。し〜んとしています。そこで新聞を読んでいるおじさんが一人。胡散臭げな目でこちらを見ます。

 とりあえず、オジサンを気にしないことにして 向かいのレストランへ。でもだ〜れもいない。
すみませ〜〜ん。と声をかけると中から女の人が出てきました。
 一応ランチコースなどがあるようですが、 話した声が静寂に吸い込まれていくような雰囲気。
よく、田舎へ旅に行くと 人っ子一人いない店で不安な気持ちで「すみませ〜〜〜ん」と声をかけると 奥の奥からやっとこお店の人が出てきて。。。というような雰囲気というか。

 大王はピザ。私はスパゲティ。pon1はランチコースを頼みました。さて、待っている間厨房はどこなんだろう。。。というほど音がしない。 時々「チン」「チン」と音がしているのは 「もしや電子レンジ?」などと冷凍食品を解凍したようなものが出てくるのでは。。と緊張しながら待つと、最初に出てきたのはピザでした。

 薄くて縁がこげている本場風のピザはなかなか美味しかった。 しかし、「どこでつくってるんだろうね。あの陰にイタリアの職人さんがいて ピザをぐる〜んと投げてつくってたりして」なんていう無理にはしゃごうとしている声もついひそひそ声になってしまい、その声も静寂に吸い込まれていきます。どう見てもカウンター奥は 事務所です。(というか歩道橋から並んでいる机がその場所に見えるんですもの)

 窓の近くに「幻のパスタ」を使っているとか説明書きがありました。
(名前忘れちゃった)今検索したら、Voiello ヴォイエロ。だったかなあ〜〜〜。今度行くことがあったらもう一度見てきます。
http://www.nippn.co.jp/pro-use/pasta/voiello.htm
http://www3.plala.or.jp/cocha/column/004.html

 まあ、美味しかったのですが、妙に緊張してしまって味がわからなかったというのもあるかも。
pon1の感想を聞くのを忘れていたので 後で聞いてみよう。

 帰宅して夕方頃までオリーブオイルタップリだったからか 妙にもたれてしまって 夕飯がつくりたくなくて困っちゃいました。(大王とpon1は普通におなかがすいていた様子)

■海底2万マイル(予告)

 映画のノーチラス号をみたことなかったpon2.ディズニー映画で海底2万マイルがあったので、大王用に購入。しかし〜〜〜。なが〜い。 見ているうちに寝てしまいました。たしかに特撮はあの当時は凄かったかもしれないですが、もう一度みることができるかどうか。
いつも思うのですが、カークダグラス(若っつ!)の顎ってどうなってるんだろう。
 全部見てからもう一度感想を書きます。

ちょこちょこ 2003,11,9
昨日は、保育園のバザー。夕方からは慰労会。バタバタとすごしました。

ベランダの鉢の整理(枯らしたものもあり)もしていたら、バラの芽をボキッと追ってしまった。。ショック。まあ、剪定したとおもうことにしよう。

カード会社から送られてくる冊子をみていて 発見したurlを少し書いておこうと思います。

■スリードックベーカリー
http://www.threedog.co.jp/
http://www.i-hunted.com/cafe/tokyo/daikanyama/sd.html
 ペットの犬用のお菓子やグッズだそうで、見た目もおいしそう。犬の健康も考えるというお店らしいです。チョコレートに見えるものも、チョコレートではないそうです。
 どんな味なんだろう。

■永楽屋
http://www.eirakuya.jp/
トップページにフラッシュのアニメーションを使うのは好きではないのですが、
でも、このトップページはなんだかカワイイ。
 Tシャツ5000円台はちょっと高めかなあとおもうけれど、人気ということの 伸びネコのトートバックはカワイイ。(通販ページトートバックの一番下にあります)

さて、今日は投票日!

切り捨てる 2003,11,7
■車内化粧

 少し前まで、電車の中で化粧をする高校生が話題になっていたのだが、最近は高校生だけでなくオバサンたちもよく見かける。先日は、満員電車でドアのそばの握り棒の横に仁王立ちして、荷物を足の間に挟んで化粧をする推定年齢50台後半くらいのオバサンを見かけ、昨日は 推定年齢40台後半くらいのオバサンが車内化粧をしていた。

 見ている方は面白い。ふぅ〜ん。変れば変るものねえと 使用前・使用後を比べて電車の中でも退屈しない。若い子よりも 肌が汚い分だけ使用前に鬼気迫るものがあって(<失礼!ひとのふりみてわがふりなおせと思いました。)見ごたえがある。彼女達からしてみると、「自分は若い子並」と思っているのかもしれないが、傍から見るとその差は歴然としていて 同列には全く見えない。白目をむいたり、鼻の下を妙に伸ばしながらファンデーションを塗っている彼女達を見て うわあ〜すご〜〜〜いと驚きながら、「こんなヘンな顔を周りに見せているのに。。」となんだか情けない気持ちがするのであった。

 どうして、車内で化粧するのか? できるのか?と考えたときに、
1)朝出かけるまでに準備できなかった。それを電車の中で取り戻そうとした。
2)電車の中は知らない人だらけ。知らない人には醜態をみられても恥かしくない。
3)でも、日頃会う知り合いだけには 醜態はさらしたくない。

ということなのだろうか。

そういえば、昔は「女の化粧は長い」とか「女は待ち合わせ時間に遅れる」なんて言われていた時代があったが、その頃の女性は、自分の身支度が納得いくまで家を出なかったのかもしれない。
これも 世の中のスピード化の影響だろうか。
オバサンからすると、若い子がしていることだし、ある程度「女を捨てた境地」に達していると平気のへいざなのかもしれない。知り合いには化粧をして会いたいという気持ちは「いじらしい」と見るべきか。

 と思いながら、pon1に「最近ね。電車の中で化粧するオバサンが多いんだ」と言うと、「世の中ヘンだね。昨日は歩道橋の上を パンをかじりながら歩いている 母子を見たよ。」とのこと。
たしかに、ヘンといえばヘンだ。 電車の中で通学途中でもなんでも平気で飲み物は飲むし、パンは食べるし、お菓子は食べるし。まあ、彼等は一般常識に逆らうこと自体を楽しんでいるようでもあるが。

 最近流行りの ゼリーの栄養食品などは、ビジネスマンが チューチュー吸いながら出勤できるというコマーシャルもあった。あれをやっている人でコマーシャルのようにカッコよい人をいまだかつてみたことがない。鏡の前で一度チェックしてみてほしい。

■切り捨てる

もうすぐ長年の会社生活を辞めようと思う私だが、切り捨ててきたものも沢山ある。
たとえば、アイロン。独身の頃は丁度シャツが流行っていた頃だった。ナラカミーチェというイタリアのブランドのシャツが流行ったりして、何枚か買ったりしたものだ。
http://www.naracamicee.co.jp/
糊付けしてアイロンをぱりっときかせて、通勤に利用したりした。

その後、結婚。手がまわらなくなり、クリーニングに出すようになる。 自分でやるよりも仕上がりが綺麗なのでこれも良いかと思ったり。

ところが、大王が生まれ、事務所が遠くなる。クリーニングに出すのさえ手がまわらなくなる。ハンカチのアイロンかけさえも滞るようになる。ハンカチは流行りのタオルハンカチにいつしか置き換わった。実用的でアイロンかけがいらない。

ブラウスは ノーアイロンですむものを選択し、ニット物が多くなった。これも洗いさえすれば着ることができる。世間の流行もどうやらドレスシャツからシンプルなものに変り、丁度良かった。

 そんな風に「身だしなみ」と呼べるものを次々に私は切り捨ててきたのだった。

■いいものみつけた

話は変るが先日、旅行用品を売っている店で良さそうなものを見つけた。
http://www.akarenga.com/shinpenzakkachemise.html
http://www.google.co.jp/search?q=cache:HifwqaDsabgJ:www.shop-in.jp/product_5.html+%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%9F%E3%82%BA%E3%80%80%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%84&hl=ja&ie=UTF-8
超ストレッチ素材のシャツ。洗濯後のアイロン要らずらしい。らしいというのは、今日はじめて着用したのでまだ洗ってないから不明。結果は洗濯後に。
着心地は超ストレッチなだけによさそう。シャツだけを見たら、なんの変哲もないシャツなんだけど着てみるとなんとなく落ち着きがよいし襟もコシがあって決めやすい。これで本当にノーアイロンだったら言うこと無しだな。

姉妹品はこちら。
http://k-tai.impress.co.jp/cda/article/todays_goods/14835.html
 こちらは、超ストレッチでなかったので購入せず。

■切り捨てる・切リ捨てない

さて、話を戻そう。
生活に合わせて身だしなみを切り捨てているのは 車内化粧の人も私も一緒。
 
 でも、やっぱり同じように切り捨てても、最低のラインというのは自分の中でしっかりと持っておきたいと思った。これから先、たぶん私は「古い」と呼ばれる世代に突入する。古くて結構。 スピードを必要とする世の中を生きるためには切り捨てなければいけないものも沢山あるかもしれないが、見るからに手をかけてないという状況が見えるのは私からみると格好悪い。
手間はすくなくても、気にかけることは必要だと思う。(できるだけさりげないのがオシャレ)

すべてを捨てて怖いもの無しになったオバサンにだけはならないようにしたい。 
 亡くなった祖母は「汚いおばあさんにはなりたくない」と身なりに気をつけた人だった。派手で高価なものは身に付けていなかったが、こざっぱりした綺麗なおばあさんだったと思う。
 
丁度、「風とともに去りぬ」を読み始めたところだ。映画の中でも印象的だったカーテンで洋服を作ってまで見栄を張ったスカーレットのように、自分のできる範囲でやりくりしてカッコをつけるというのはカッコヨイ。悪いことではないと思うのだ。「自分」までを世の流れに翻弄されて切り捨てないようにしたいと思うのだった。

電車の中で化粧する人です。>絵がすごすぎ?

絶対やっちゃダメ! 2003,11,6
 昨日、聞いた話。にがりの調子が良いので、少し前に何気なく「にがりで2キロちょっと痩せたかもしれないんですよ」と知り合いに話したところ、知り合いは興味しんしん。自分も飲んでみてすごく調子が良いそうである。私は体重が減ったとしか言わなかったのだが、 足のだるさが治ったとか 冷え性がよくなったとか、ベ○ピに効いたとか、いろいろな効果があったと喜んで話してくれた。
 その話を彼女が友人にしたところ、その友人も興味しんしん。ニガリを買ってきてくれと頼まれた知り合いは、そのニガリを渡して言ったそうだ。
「飲み方には決まりはない。気が向いたときになんにでも数滴入れて飲めばよい。 でもね。
絶対なめちゃダメダヨ。絶ええええっつ対なめちゃダメ!」

 原液を飲もうとした私の失敗について話はしていたのだが、知り合いは瓶の中に結晶が見えたことと、数滴入れても塩味が感じられなかったので、溶けてないのかとおもい 原液をなめてしまって、「二度となめない」と思ったそうだ。

 さて、ニガリを渡した友人へ次の日彼女は聞いた「ねえ。舐めてみた?」「うん。舐めてみたよ。でももう二度と舐めない!。」「私ね。あれだけやっちゃダメって言ったらきっと 貴方は舐めたくなると思ったんだ〜〜。だから絶対舐めちゃダメって言ったんだよ。ふふふ。」

 やっちゃダメといわれるほどやりたくなるのは人間の性(サガ)のようだ。

■向田邦子

 随分前になる。友人の日記に 向田邦子さんの本について、本そのものは好きで沢山読んでいるけれども、男性の浮気が当然のごとくにかかれているのはどうも馴染めないと感想がかいてあった。
 私はその友人に向田さんを読むならばエッセイからと勧めてもらった。その後まだエッセイを少ししか読んだことがない。もしそういう本が多いのだったら、身近でそういう経験をなさっているのかもしれないと思って検索してみた。

 彼女はカメラマンの方と不倫関係にあったということがヒットした。
彼女について、そんなに興味を持たなかった私ではあるが、彼女の名前は知らなかったわけではない。彼女が「美人」と称されることが多く 美人の評判を聞いてから後彼女の写真を見たので、「雰囲気のある表情や写真だけれども、美人というには少し違うな。」と思ったのが記憶にある。 たぶん、あの写真はその相手のカメラマンの方が撮ったものではないだろうか。

■写真
写真とは面白いもので、レンズにもカメラの機構にも手心が加えてあるわけではないのだが、一人一人がとった写真はその人の心理状況が現れているようなものも多い。
プロのカメラマンの写真はたしかに洗練されており、驚くような造形美であったりすることも多いが、ともすれば無機質になりすぎているものもあって、素人写真のほうがその人の心理状態などをつぶさにあらわしているようにも思えることもある。
 そうして、写真から漂ってくるそういう人間くささがその写真の魅力となっているように思う。
 また、子供でもそうだが、見ず知らずの人に見せる表情と親しい気持ちを持った人に見せる表情はやはり違う。彼女の「美人に見える」写真についてはそういう理由があったのではないかと思った。

■はらはら、ドキドキ

以前にも書いたが、人間には安定を望む性質と「ハラハラ・ドキドキ」を求める性質があるように思う。世にジェットコースターがあり、ホラー映画が流行り、推理小説があり、恋愛ドラマがある。これが好まれるのは 脱日常とともに「はらはら ドキドキ」を味わいたいという人間の性質の証拠ではないだろうか。

 大王は毎晩私が少しずつ話して聞かせる魔女の話に「はらはらドキドキ」して 「あ〜しんぞうがどっくんどっくんした」と毎晩楽しみにしている。そうして、また怖い話や冒険の話をせがむ。大人にとっては他愛のない物語も子供には大変なもののようだ。

 たとえば、いたずらをする。みつかったらどうしよう。友達と共有する秘密。その秘密があるだけで 胸がドキドキワクワク。大王も「これはひみつ。パパ(ママ)にはぜったい言わないでね」などということも多い。

■はらはら、どきどき、共謀、隣の芝生は青い 絶対ヤッチャダメ。

 不倫には人が陥りやすい色々な要因があるようにも思う。胸キュン(<死語?)・はらはら・どきどきを味わえる。秘密を共有し、それを二人で守らなければいけないというミッションを二人でつくりだすことは、二人を親密にする。 自分のものではないものを自分のものにしたいという気持ちは相手の価値を自分の中で最大に思わせる。そうして人がやっちゃダメだと言うものほどやってみたい。ダメだといわれていることをすることで、自分が特別な存在になったような不思議な優越感が感じられることもあるだろう。

 その関係が不安定であればあるほどお互いの努力が続く。相手の配偶者よりも自分がいかに優れているかを示したくなる。どんなに優しいか。どんなに相手を理解しているか。どんなに家庭的か。それを享受することで自分が相手にとって特別の存在であるということを認識し、満足する。
 また、お互いの配偶者への吐露された不満を聞く事により、自分は相手にとって価値がある存在だと自分の価値が高まったような優越感を感じることができる。

 不倫は間に障害があることを互いに認識して 恋の気持ちを長く味わうためのリクレーションのにも見えてくる。

ぶっちゃけた話。当事者が納得いっていれば私がとやかくいうことはない。これは聞いた話。
老舗と呼ばれる家であるが、年末年始などは 「おめかけさん」が本家に挨拶に来ていたそうである。もちろん奥様にも挨拶する。こちらは 白日の元。公認の仲であるということか。
 そこまで行くと、あっという間にロマンス小説から現実主義の世界になる。そういえば世界には一夫多妻の世もあるわけだし。

不倫を隠すのはなぜか。それは、「おおっぴらにすることで このドキドキハラハラという甘い気持ちが無くなることがうすうす予測できるからではないか。」また、「配偶者との関係が崩れることを望んでいないからではないか。」(金銭的・社会的な面も含めて、配偶者から自分という存在に見切りをつけて切り離されたくない)本当に配偶者との関係を解消して、純粋に相手との関係を望むのだったらとうに打ち明けているはずだ。

■逆らうことの魅力

日記登録サイトなどの人気上位には必ず 「不倫しています」みたいな日記が入っている。こういうサイトが人気な理由も 「他人事としての不倫を どきどきはらはらな読み物として楽しみたい」という人々の本能の現れのように思う。家政婦は見たシリーズのような楽しみなのか。(私は、家政婦は見たシリーズは好きだけど、不倫日記は興味ないタイプ。)

 非常ベルのボタンを小学生のころ 「これは押しちゃだめなんだよな」と思ってずっと見ているうちに押してしまったという人がいた。 
向田さんはどういう経緯だったのか 私には想像もできないのだが、不倫という形を維持したいと思うひとの心の中には、安定よりも不安定を望む 「ハラハラどきどき」を求めていたり、秘密の共有を楽しんだり 他人のものだからこそほしくなる心理、孤独感や物語の主人公になったかのような感覚などを知らず知らすに楽しんでいる人たちも多いのではないかと思う。
 中には、すべての障害がなくなったらいつのまにか相手に対する興味が失せている人も多いのではないか。と思ったりした。もちろん、中には円満解決をし、末永く仲良くすごしましたとさの人もいらっしゃるだろうが。

今年は夏を越せました。レースラベンダー

ハーモニー 2003,11,5
■たいこの達人

 大王は冬の発表会で太鼓をやるらしいのだが、どうも、踊りや歌、太鼓というものはいまひとつ苦手だったり興味がなかったりするようだ。
 私は子供の頃ヤマハに通っていたものの、やはり踊りは苦手だったため 遺伝かも。。と思いながらもブルーになっている大王をみると多少手助けしたくなる。
 pon1も同じようで、「ホイホイ」と プレステのソフト たいこの達人を買ってきた。

子供用と思ったのだが、子供と一緒に妙に熱中する大人たち。意外に上手いpon1。「実は子供の頃少しピアノを習っていた」とか「鼓笛隊に入って太鼓を叩いていた」なんていうことをpon1が言い始めて びっくり。知らなかった。

 たいこの達人。私も萌え萌えだ。特に「アイーダ」とか燃える。まるでティンパニーを叩くような気持ちでピッタリと音楽と合った時は 頭空っぽとても気持ちが良い。
叩いているときに話し掛けられたり茶々が入って雑念が頭に沸き起こるとミスが多くなる。

音楽を聞きながら(決して●を見ながら叩くのではなく)叩くとこれはもう合奏したときの快感に繋がる。私はアルトサックスだったので打楽器はやっていなかったのだが、その上手くいったときの感覚と似た感覚を味わうことができるのだった。 思ったよりもずっと楽しいソフトだ。

■アメリカンスクール

 JMM242Fを眠気覚ましに最後まで読む。( http://ryumurakami.jmm.co.jp/)ウウム。と。
春具(はるえれ)さんのオランダでの子供さんの学校選択 つまり リセに通わせるか ブリティッシュスクールへ通わせるか、アメリカンスクールに通わせるか という選択の話から、最終的にアメリカンスクールでのオペラ作成プロジェクトまでの話。

 要約すると、言語としては 日本語やドイツ語が公用語になる可能性は低い。またラテン語は広い範囲で通用するけれども、これは サブでやるとして イギリスかアメリカかと迷った。
 しかし、イギリスの教育は今閉塞状態にあるように見えた。まずは教育改革の目指す先が見えてこない。今のイギリス教育システムは大英帝国時代のような指導者教育ではなく 詰め込み教育のように見える。 試験が終わればまた試験という限りない試験に明け暮れている。

 そのような分析を経てアメリカンスクールを選んだのはリラックスした雰囲気が気に入ったとのこと。その教育について、春具さんは ルソーのエミールという教育論のなかの「教育とは言葉でなく、経験によって知識の習得を完成させる」という言葉を例に出し、そういう雰囲気だとかかれていました。(言葉でなく経験によって。。まさにそうあるべきだと思う)

 そのアメリカンスクールの課題で、4年生9歳の子供たちにオペラを任せきって音楽から衣装からつくりあげたのだそうだ。子供たちが生き生きとそれぞれ自分の得意分野を担当し、それを全部もちよってオペラができあがったとのこと。

■協力のよろこび

 実際、人間という生き物を考えたとき 生活すべてを一人でやることなど現在はありえない。
 たとえば、会社にしてもそう。家庭にしてもそう。お互い得意分野や分担をこなしながら協力してひとつのことをやり遂げることがほとんどだ。

 なぜ そうなったかというと それが効率がよいから。お互い自分の得意な分野(労力少にして大きな効果が生まれる)を持ち寄り協力することにより自分ひとりがやるよりも大きな効果を期待できます。それが今の人間社会の発展に繋がっている。

 そうして、楽器の演奏のように皆で協力しあってハーモニーを作り上げるということはそれに参加した本人には不思議な感動と喜びが与えられるものなのだ。たぶんこれは本能なのだろう。

 ここで、学校教育を考えた時、現在は皆同様のテストを与えられそれの点数の良し悪しを競い、それによって優劣をつける。テストというものはそういうものだ。
同じ条件下で同じ事をやってどちらが優れているかを数値化するもの。
 しかし、実社会にそういう状況があるかというと全くありえない。生きて行く条件で あなたと私と同じ条件を与えられて競うことなど 人為的な操作がないかぎり絶対にない。

 まずは、ここのところ「日本の教育に不足しているもの」という意味合いで「生きる力」などという言葉があったが、そのひとつはコレ。自分の得意分野をみつけ 皆と協力しあって一つのものを作り上げる力ではないのかと思った。

 「あなたか、私か」ではなくて「あなたと私」を学ぶということはなんと大切なことだろう。

■私たち

 得意分野を持ち寄ったとき、皆が歩みを合わせるために 指揮者が必要になる。その人は自らは物作りには参加しない代わりに 皆の歩みを調整して一番効率よく仕事がまとまるように振る舞う。 会社では経営者や管理者。物作りが最大の利益や効果を生むように組織運営を担当する。

 世の中には2つのタイプの人間がいるのかもしれないと思ったり。
1)皆と協力協調して物事を成し遂げることに喜びを感じ、皆と喜びを分かち合うタイプ
2)自分の利益のためにヒトを使って物事を成し遂げた自分に喜びを感じるタイプ

 安直に2)の人が経営者かというと そうではないはず。あまりにもエゴイストな経営者にはまわりがついて来ない。2)の人がうまくやっていくためには 少なくとも仕事をする側の人と自分の喜びや儲けを共有する事が必要。つまり1)に近づく必要がある。

 例えば数年前まで話題になっていた 「退職金が手に入った途端に奥さんに三行半を渡され、愕然としているような人」こう言う人は 少なくとも、家庭という分業において、自分の充実感や喜びを家族に分け与えてない人ではないかと思う。つまり家庭でのリーダーシップ※が上手くとれていないということだろうか。
 
たとえば、会社などでも普通に使われているリーダーシップという言葉があるが、その中に「集団の目的をメンバーにしらしめて共有の目的とする」「目的に対してメンバー個々の動機付けをする」などノウハウとして沢山の事柄がある。

■ハーモニー

 経営という分担であれ、運営や構築という分担であれ、誰かと協力して何かを作り上げることの喜び。これは大王にぜひ大人になるまでに学んで欲しいこと。家庭を持つようになってからも幸せを手に入れることができると思う。 お金はどんなにあっても足りないものだけど、幸せはどんなにお金があっても手に入らない場合も多いもの。 まさに庶民の考えかもしれないけれど そんな風に思った。

※プロジェクトマネージメントはなにも会社だけではない。家庭にあてはめてもその家庭がうまくいくかどうかという点に深く関わる事柄があるように思う。
たとえば一例 ざっと検索してヒットしたところ。プロジェクトマネージャーは夫でも妻でも良い。
家庭というのは、夫のものでも妻のものでもなく 家族のものなのだから。

http://www.infoscape.jp/tms/pm/note/note13.htm
http://www.infoscape.jp/tms/pm/note/note18.htm
http://www.infoscape.jp/tms/pm/note/note20.htm

髪を切る 2003,11,3
テレビで 桃井かおりの ショートヘアーを見て「びっくり」10歳くらいはサバが読めるのではないかという若さでした。もちろんお化粧やライティングもあると思うんですが、それにしても若い。

そんなこんなで、のばしのばしになっていた美容院へ行ってこようとおもいたったのが週末。考えてみると、ダイエット食品のチラシも使用後は大抵髪はすっきりとショートかまとめ髪です。

午前中は朝はやくからでかけて「スパイキッズ ゲームオーバー」を見てついでにやっていたお祭りなどをみながら帰宅したのですが、今日行かないと多分来週も再来週もいけないぞ!と思い立って 3時ごろ「いまから行っても平気でしょうか」と美容院に電話して、行くことに。

 前にカラリングしたのが2月。今はもう黒々しちゃっててこれも重くてふけて見えるなあと思っていたので、少し明るめの色にしてもらおうと。
(まるで キアヌリーブスをおばさんにして太くしたようなコワーい雰囲気だった。もちろん顔の造作云々は似てるわけないです。向こうは美形で有名な俳優さん。)

今日は美容院の話をダラダラ書いた後に スパイキッズの話を書こうと思います。
ダラダラした話が苦手な方は読み飛ばして スパイキッズへ どうぞ。

■カット

 切りたい旨を伝えると「pon2さんはロングというイメージがありますが、今までショートっていうのはなさったことありますか?」なんていわれて、「あるんですけどね。トシとってくるとショートも良いかなっと思って。(桃井かおりに触発されたなんていうのもヘンだしなあ)」というと、「そうですか?ロングヘアーじゃないほうが良いですか」なんていわれたので、心の中で(いや、さほど理由はないんだけどね)なんて思いながら、でも理由を考え始めてしまうのがサガです。

ふと町行く人をおもいおこしてみると、ロングヘアーでも綺麗で素敵という年配の女性はあまりみかけない。 大抵「ああ、若く見せたいのね」と思うことはあっても「若いね」と思う人がいないというか。
「いや〜。若い人とはどうしても肌のツヤとか違いますからね。髪も手入れが行き届いていると良いかもしれませんが、ロングで今ひとつの手入れとなると 相乗効果で余計ふけるような気がして。。。」なんて思いつきを口に出すと、「そうですかあ〜」と。
 思いつきでしゃべったことだけど、でも、やっぱりある程度の年齢になるとロングはたとえ女優さんでも似合わないような気がしたり。(まとめ髪は良いんだけど ダラッとたらした髪がダメダメ)

丁度、昨日も 美容師さんが「萬田久子さんをみたことがあるがとても美しかった」と仰っていた。彼女もロングヘアーがトレードマークの人だけど、最近はフェイスラインがちょっと崩れてきていて ロングは見ていてつらいような気がするのだった。
最近あまり普通のテレビを見ていないので今ひとつ詳しくないのだが、浅野ゆう子とか浅野温子とかこの辺ももうまとめ髪のほうが良いのではないかと。

 いや、もしかすると ロングヘアというのは 長いツメと一緒で手入れが行き届いていると良いけれども、手入れが行き届いてないとかなり汚い。若い人はその汚さを肌のつやなどでカバーできるけど、トシとってくるとカバーできないということかも。
若い人でも髪の汚いロングヘアの人は多いようだ。

基本的に美容院の美容師さんと話をするのが苦手。特に髪意外の趣味の話や好みの話など、聞かれれば話すが できるだけ話したくないし話をしてもつまらない。
特に話したくないのが浮ついた調子の男性。ホストじゃないんだから。。と思ってしまう。(ホストさんと話したことないし、ホストさんが好きな人も世には多いわけだし)

■カラー

 さて、カットが終わってカラリングへ。私の髪は真っ黒なので色が抜けにくい。ものすごく時間がかかるので、いつも怠慢していたのだった。例のごとく、「すごい健康毛ですね。」といわれたので 何の気なしに「ああ、なにも手をいれてないからですね〜」っと答えて (手入れしてないから 健康っていうのもヘンかな)と自分にひそかに突っ込みいれたり。

 「おかあさんはやっぱり皆色は明るめの方が多いですか?」と聞かれたので、ここでも考え込んで また私のサガ。「そうですね〜。やっぱり多いですね。」とこのあたりで先日の経験を思い出したのでそれを話してみる。
「私みたいに真っ黒だと、白髪染めして好きでこの色にしていると思う人も多いみたいで、頂き物の真っ黒になる白髪染めを『自分はこの色は好みでないからいらない?』なんて 持ってきてくれる人もいたりするんですよ。」と。 あのときは「ごめん。私白髪染めってしてないんだぁ」と言って 気まずい雰囲気だったなあ。。。と思い出したり。
 まったく白髪がないわけではなくて 何本かはあるのですが、黒い中に白だと目立つので目に付いたら抜いちゃうだけなんです。 白髪が増えてきたら、シャンプーのように毎日使っていたら自然に染まるというのがラクそうだからそうしようと思っているところ。 

そういえば、 椿油シャンプーで気のせいか薄くなったような気がした頭頂部。(もともと髪が多いので、自分だけが気づいていたようですが、実際そうだったようで)今は毛が生えてきました。短い毛がぴんぴんと 立っています。
 やはりシャンプーにも相性があるんですねえ。 あのときあのままハゲたらレディスアデランスとかにしようか。。と思ったっけ。

■トリートメント
 担当がアシスタントの人に代わって、トリートメントの話になる。ひとつは カラーで傷んだ髪のphを整えるもの。 もうひとつは髪の修復をするというもの。

丁度その頃隣に座っている女性が そのトリートメントをやった後のようで、美容師さんが「手の通りがずいぶん良くなってやわらかいですよ」と。ところが、その女性。大変不機嫌だったようで。「え〜!。わかんない〜!。」と怒った声。(なんだ?なぜ怒っているんだ?) 「そうですか。かなりよくなっていると思いますが。わからないですか。」と美容師。「私疲れているせいかもしれない!」とワガママ状態の彼女。(ううむ。この言い訳は不思議な言い訳だ。美容師さんにつかれさせてごめんなさいと言ってもらうということか。。こういうときに、私だったら、手触りがわからなくても自分が頼んだことだから「そういえばそんな風な感じもするかなあ〜」くらいで言うけどなあ。) などと思ったりしたのだが。(客はこちらなので、私のように美容師に気を使う必要は本当はないはず。彼女のようにはっきり言ってあげたほうが親切かも?) 

美容院に行ったあとはブローも念入りにしていただいていることが多いので自分がやるよりもさらさらとうまく髪が落ち着くことも多いから、わかんないというのは正論ではあるが。怒っちゃいかんよ。。。と テレパシーを送ってみるが テレパシーは伝わらなかった。(いや。テレパシーは冗談です。念のため)

 「どうしますか?」と促されて 「両方するんですか?」というと、どちらか一方とのこと。さっき「すごい健康毛ですね。」といわれたその直後に アシスタントの人に「かなり毛が傷んでますので、修復する方のトリートメントをオススメします」なんていわれても、(さっき健康毛だって言われたんだよ。本当に傷んだのかい?)と納得できなくて、一回帰ってみて傷んでたら次に考えようと思いはじめたところに、そのトリートメントは 4000円です。(意外に高いなあ)
 「え?高いですね。もうひとつのはおいくらなんですか?」
「500円です」(こんなところで必要もないものに見栄はっても意味ないし。毛は傷んでないとおもうし) と考え「500円のでお願いします」

 「必要だったら4000円でもそれはいいけれど、誰でも彼でも髪の状態を見ずに勧める商売はいけてないぞ!」とpon2は思ったのでした。

■スパイキッズ

さて、スパイキッズ ゲームオーバー。 噂の3Dムービーです。こればっかりは映画館で見ないと楽しさ半減だろうということで、急遽日曜に決めて見に行きました。

 スパイを引退して私立探偵をしている弟のところに、姉の行方不明の連絡が入ります。どうやら新発売のゲームをやっていて意識が戻らないとのこと。
弟は姉をすくうべく、ゲームの世界に入り込みます。

 3Dは昔ながらの赤と青のめがねをかけるのですが、左の赤側が最初見えにくくて(視力差があるのか)多少違和感。見ているうちに慣れてきました。
目は疲れましたが、3Dが楽しめます。 悪役には シルベスタ・スタローン。コミカルな演技は私は初めて見たかもしれません。

筋は今までの筋をもっと軽くしたような さらっとしたあまり起伏のないもの。
ドラマ性よりも、CGや3Dという映像を楽しむものとして割り切っていくと良いと思うような映画でした。

公式サイトはこちら http://sk3d.jp/index_1.html 
          http://www.spykids.com/

<余談>
子供たちがいろいろな女優・俳優と似ているなあなんて思いながら。
ディミトラ(コートニー・ジャインズCourtney Jines) 
                  ウィノナ・ライダーに似ているぞ。
レッズ(ロバート・ヴィートRobert Vito)
                  顎がわれてきたら トラボルタに似ているぞ。
   http://www.imdb.com/gallery/ss/0338459/pub_still_11.jpg 左から3人目
カルメン・コルテス(アレクサ・ヴェガAlexa Vega) 笑顔が誰かに似てるんだけど。。。 英語の番組をやっていたクリスにもちょっと似てるような気も。
   http://www.imdb.com/gallery/granitz/2026/Events/2026/AlexaVega_Grani_1215752_400.jpg?path=pgallery&path_key=Vega,%20Alexa

 子供たち。あっという間に大きくなるのもびっくり。エンドタイトルの後にオーディションの映像が写ります。
 

バラの香 2003,11,2
相変わらず忙しい週末を過ごしています。
昨日は保育園の集まり。(開催したイベントの反省会でした)。
今日は 近所のバラ園に誘っていただいたので大王を連れていってきました。

バラを見るには丁度良い時期で花盛りでした。ほんわりとバラの香りもただよって、大好きないくつかのバラも見ることができて満足。

しかし。他のおかあさんに比べても同じかそれ以上動いているのにナゼ私は一番肉付きが良いのだろう。食べ物もそんなに食べてないのにどうしてだろう。
 いつもそう思うのでした。

 帰宅してから pon1になんだか私、燃費が良すぎるみたい。なんでだろ。と話をしたら 「そりゃ 代謝っていう燃費が良すぎる(少ない)からだよ。」と言われて。
あ、そうか〜〜。 息をしているだけで エネルギーを放出している人としてない人は確かに違うよなあ。なんて思いました。

 そりゃそうと。

カロリー測定っていうのは 昔は本当に食べ物を燃やして測定していたようで、
http://www.an.shimadzu.co.jp/products/ta/ca4p.htm
http://homepage2.nifty.com/osiete/s830.htm 
不思議なものですね。

また、その基礎代謝量の目安として 呼気を測定してそれでわかるなんて。。
体内で生命活動として化学変化がおきているんだなあ。。なんてじわ〜と実感しますね。

 それにしてもそれにしても、代謝量が少ないから痩せないって言うのはやめて欲しいなあ。動いてしんどいのに それなのに痩せないなんて。かなし〜ぃ。

■クレヨンちゃん嵐を呼ぶモーレツ! オトナ帝国の逆襲

 2週間前くらいにやったテレビでの放映を録画しておいたものをみました。
クレヨンしんちゃんなんて、子供が産まれる前は ちょっとお下品な子供のマンガくらいしか認識もなく見たことがなかったのですが。この映画は。マジ泣きました。

amazonのページのレビューより抜粋
==
子ども向け作品なのに大人のための見どころ満載で、いい歳した映画ファンがこぞって号泣、映画秘宝誌にいたっては年間第1位にまで選んでしまった大傑作。
==

春日部市で開催された20世紀博は20世紀の町並みや出来事を閉じ込めて、その中で大人も楽しめる博覧会。ところが、帰ってきてからの大人たちの様子がおかしい。
 突然おかあさんのみさえも、お父さんのひろしも しんのすけの相手をしなくなり自分勝手な行動をとりはじめる。どうやら大人たちが子供に戻ってしまっているようなのだ。

20世紀といっても長いので、古い町並みは「う〜ん。ここまで古いとみたことないぞ〜」というものから マスクに×印をつけて長いスカートでブランコに乗る姿までがいっしょくたになった世界。

大王は「あっくん、こんなしんちゃんみたいなぼうけんしてみたい!」とのこと。大人も子供も楽しめます。

ネタバレあります。以下反転させて


まずは映像。どこかノスタルジーを感じるような 町並み、出来事。そういうものが目白押しに出てくるのだが、ああ、なつかしいねえ。と思ったころあいに大人たちの子供化がはじまります。

 思えば、子育てとは究極の滅私奉公。
実際私にも、「ああ、自由気ままに過ごしたい」と思うことなど多々あるわけで、その気持ちに折り合いをつけて子供の笑顔や成長を糧としてやっているところが多いのです。

 たとえば、子供化した大人たちの行動は まさに日ごろの私の気持ちをそのまま映しています。子供の食事の準備もせず、好きな時に遊び、好きな時に寝て、お菓子を貪り食って食事おしまい。
「してはだめだからしない」と思っていることを子供化した大人たちはやってしまいます。

 そうして、実際は見たことのない町並みであっても、小さな商店街が並び、瓦屋根が並び、人々が夕方に行き来している町並みは 温かい。

 ふと気が付くと、昔は夕方もあったのに。今の私の生活には 夜と朝と昼しかありません。「ああ、最後に夕日を意識したのはいつだろう。世の中にはこういう時間もあったのだなあ」などと思ったり。

 この映画のしんのすけは 生命力・行動力に満ち溢れ 本当のヒーロー。
みさえとひろしを正気に戻し、野原家でその陰謀に立ち向かいます。

 しんのすけ、ひろし。の確信に満ちた言葉はとてもかっこよい。
こんなページもありました。
http://fukuro.bird.to/donjuan/movie/m_013.html



涙と一緒に元気をもらった映画でした。

DVD映画 クレヨンちゃん嵐を呼ぶモーレツ! オトナ帝国の逆襲
 表示されたページで タイトルか 画像を押すと他の人のレビューも見えます。