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王様の耳はロバの耳(過去ログ)

普通は言わないけど、みんなどう思う?言いたいけど言う機会が無いみたいなことをおもいついたときに書こうと思ってます。

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荒れ模様の予定 2004,5,26
今日は、元気ない息子のために一肌ぬごう!というpon2が保育園時代の友達のお母さんに声をかけた日。
 もちろんお母さん方は皆仕事だから子どもばかり集まって一人保母さん状態のはず。皆大きくなったと思うけど、どうなることやら。(^^)楽しみなような怖いような。

 子ども達を迎えに行くついでに、またもや学校へ行ってコピー7枚して、各先生にアンケートを配る予定。 今週も月曜から毎日学校へ行っています。(私も通学しているみたい)
つまり、今日の午後あたりから pon家付近荒れ模様の予定です。
(ってただこれだけが書きたくて 荒れ模様なんて書いてみたのです。期待?させてごめんなさい)

■愛新覚羅

冬頃に放映されたテレビドラマ。皆さんご覧になったでしょうか。2夜連続で放映されました。
私は見ることができなかったので、録画しておいたのですが、それを切れ切れにやっと先日見終わったのでそれについて書いておこう。

 原作は
流転の王妃の昭和史新朝文庫のようだ。

 常盤貴子は実は好みではない。竹野内豊もさほど思いいれがない。
その二人が主人公の 浩さんと 溥儀さんをやっている。

 主役の浩さんは嵯峨家のお嬢さんだったそうで、皇室ゆかりの家ともなると、実際を思えば多分このドラマのように綺麗で理想的なことばかりではないだろうなあと思うのではあるが、美男美女の「メロドラマ」という目で楽しめばとても力の入った見ごたえのあるドラマだったし、テーマも夫婦愛・家族愛・人間愛 というところで好ましいと思った。

 なにより、竹之内豊。このドラマを見ていて 久々に「ラブ〜」でした。
もともと好みではない彼だったのですが、この自分の考えをきちんともっており、家族を愛し、激することはないが、自分の信念は曲げないという人物像にはほれ込んでしまいました。好みでないはずの常盤貴子もあまり意識せずに見られたということは私がかなり主役達に感情移入できていたということではないかと思います。

 印象的だったのは、王家であったがために、「家族」を知らずに育った兄と弟。
弟は「家族」が欲しいとおもい、彼なりに真剣に妻とする人を見極め、一生懸命家族の絆を築いていく。兄は弟の作った家族に触れるまでは、家族を意識したことがない。妃とも心が離れてしまっている。
 その彼が、当初、日本人であることで心を許していない浩を通して、弟の家庭にに触れたときに「家族とは良いものだ。私も家族が欲しい」と思うあたり。じ〜んと感動してしまいました。(そのあともいろいろとあるわけですが)

 後半はいささか 駆け足で起きた事柄をたどっているようで、消化不足を感じたし、多分、この物語自体、「皇室日記」のような主人公のさしさわりのない悩みしか出ていないというものではあるけれども、戦争について、夫婦愛について、家族愛について、国境を越えた人間愛について、いろいろと考えることができた見ごたえのあるドラマだったと思いました。

 現実のニュースを含めた醜悪で悲しいテレビばかりみていると、たまにこういう、嫌いな人からみると「甘ったるい」とでも言われそうなドラマも良いものだとも思ったのでした。

これもピンボケですが、梅花うつぎ ベルエトワール

引き続き 2004,5,25
おもったよりも、ずっとはやく予定が終わって、帰宅できました。
さて、家事だ。家事だ。明日は、子ども達をうちに呼ぶから。

■小学校教育のための体育学概論

昨日書いたこの本を斜め読み終了した。
小学校教師でもなく、体育好きでもなく、息子も健康が維持できる程度に運動が出来れば構わないと思っている私にとっても、体育とか小学校とかそういうものを離れてとても有用な本だった。

 この本に書かれているように
「上杉は日本人のスポーツ観(価値意識)について、1)精神主義 2)自虐主義 3)修養主義 4)全力主義 より構成される「苦しみのスポーツ価値意識」をあげ、それは道および修行の思想から生まれた意識であると指摘しています。 」
という表現があり、なるほどと思った。

 実際、最近の「テニスの王子様」などは、全然練習の様子が出てこず、試合が多く痛快なまでにどんどんラクラクと勝ってしまう番組だけれども、昔の「スポコン」と呼ばれたマンガなどに代表される「おもいこんだら試練の道を:巨人の星」とか「苦しくったって悲しくったって:アタックナンバーワン」最近記憶に新しい「エースをねらえ!」は確かにラクラクな話ではなかったように思う。

 私の世代からすると、どちらかというと「テニプリ(テニスの王子さま)」のほうが違和感があるが、「自虐主義」っていうのは あるなあ。。。と思った。
 ランナーズハイではないが、苦しい域を通り過ぎるとそれが快感につながるような 苦しみを苦しみを好んで求めるような気質が 少なからず 過去の日本人にはあったように思う。

 (この苦しみを喜びとする自虐的粘り強さが 戦後の日本復興に役立ったのかもしれないけれど:多分今の若者では復興できないのではないだろうか)

■何が役に立ったか

話は少しそれた。
そういう話もあったが、なによりこの本を読んでよかったと思うのは、小学生の身体的、精神的発達段階において正しい知識がえられたこと。
(たとえば、大人がラクラクできることも、発達途上の彼らには出来ないことも多々ある。)

 また、子どもの発達には個人差が大きくあるということ 上下2年程度の個人差が見られると書いてあったが、小学校の4年という年は大人と子どもほどの能力の差である。
それを親自身が認識することができたということ。

 どのような指導が子どもに理解できるか、できないかに言及してあったこと。

 どのように動機付けを行うか。評価を行うか。

など、体育だけにとどまらず、私が日々子どもに対して悩んでいることが沢山書いてあった。

 小学生という時期がいかに大事な時期であるかということが理解でき、またその対処のヒントが沢山載っている久々に「ああ、読んでよかった」と思う本でした。

 オススメです。

小学校教育のための体育学概論

http://www.kyorin-shoin.co.jp/taiiku_jinbun/syougakkoukyouiku.html

怒涛の中休み 2004,5,24
とりあえず、今日は怒涛の中休み。午後に学校に行くけれども、それまでは溜めてしまった家のことをやる予定。
 今週はまだ木・金には予定が入ってないけど、土曜日が運動会だから、金曜は忙しいかな。ファイト!
今日はこまごまさらっと書こう。

■入試問題
 定期的に拝見している日記に、千葉の高校入試のことが書いてあった。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040521-00000021-san-soci
「県立高入試で、「国語」に受験生の約半数がまったく得点できないという異例の設問があった」
「県教委の集計では正答率はわずか14%。しかも約半数、46%が0点とまったく得点できなかった。」
とのこと。
 
 設問は、おじいさんを道案内するということで、最初におじいさんの様子を、「急いでいるようだ」「体力がなさそう」「とても元気そう」「時間の余裕がありそう」の四つの選択肢から、一つ選んだ上で書くようにという前提があって、「受験生たちは、「どれを選ぶか」で悩んだようだ。」ということだ。

最後は時間が足りなくなって泣きだす子もいたとか。

私からすると、こんなに楽勝な問題はないわけで、pon1と二人で、今の子ども達はこんな風になってしまったんだ。。。と唖然とした。

 新聞には、進学塾などの教育関係者のコメントが載っていたのだが、気になるのはこれからこういう設問がどうなっていくのかだ。
こういう現象こそ、今言われている子ども達の応用力のなさを顕著にあらわしているものだと思うのだが、それはとりもなおさず今の学校教育や、進学塾の教育のあり方では点が取れないということにつながる。進学関係者から(子どもが点がとれないから)今後こういう問題がなくなるようになどの梃入れがなければ良いけれど。(杞憂だろうか)

 実際、社会に出てから「一流学校卒業なのに、応用力がない」という人を最近よく見かけるように思う(私が年をとったということか)。
 こちらが解答まで準備しないとそれが出来ない人たちがあまりに多い。
解答が準備できるくらいまでこちらでやるのだったら自分がやったほうが早い。そういう人たちが育ってしまうことは、やはり教育のゆがみだと思う。

 できれば、教育関係者の方々はこういう出題をぜひ評価してもらって、今後はこういう設問をどんどん増やして欲しいものだと思う。

 たとえば、ゆとり教育・生きる力など。
うちの子供は一学期中はひらがなも習わないらしい。数字も一文字も書いてない。どうなってしまうんだろうと親としてはとても心配して見守っている状態だ。

 生きる力がない子ども達が育ってしまったとして、それは、自分達がかけている「ふるい」のかけかたが間違っているとは考えないで、「じゃあふるいの目を大きくしましょう」としているように思う。
 
 息子は、毎日毎日座って波線だけを書かされる毎日はあまり楽しくなくて眠くなるらしい。学校に行く意味が解らないといったりする。親だから、「寝ちゃだめだよ」「小学校は行く義務があるのよ。」というけれど、でも、たぶん私でもそういう授業は辛いだろう。行く意味が見出せないと思う。そんな子ども達にとって苦痛でしか無い授業をするのであったら、校外で自然に触れていろいろなものを発見するような授業に振り分けてもらったほうが良いのになあ。。と思うのだった。

(元ネタは http://plaza.rakuten.co.jp/doctorwu/こちらの日記です。)

■体育学概論

小学校の頃から体育は苦手で、自分が出来ないのが悔しいあまりに「私は勉強ができるから体育が出来ないんだ」なんて思い込もうとしていた私なのだが、今広報で体育について勉強している。
 
 小学校の体育とは、何を目的にしたものなのか?と疑問を持ったのが発端だ。

保育園の時に、担任の先生から、子どもが絵が描けるとか積み木ができるとかブロック遊びができることそれぞれが、子ども達の発達と密接に関わっていることを聞いた。
 たとえば、積み木を幾つか並べて柱型に積み上げるということは目に見えてない部分を脳で予測しないと出来ないことなのだということなど。

小学校教育のための体育学概論 という本を購入して今斜めにさらっと読んでいるところなのだが、これが面白い。

 まず、生まれたばかりの子どもは 自分と他人という区別もついていない。
すぐに口に持って行って噛んでみるうちに、噛むと痛い部分と 噛んでもいたくないものがある。そういう経験をへて 自分の体・他人の体・モノ などという区別ができてくるのではないか?という話。
 子どもには目に見えている部分だけがすべての世界であること。
たとえば「いないいないばあ」が面白いのは 顔は見えているときには顔だけれども手で覆っただけで、子どもの世界からは消えてしまい、それが突然現れることで面白みを感じる。その時にはまだ隠している手と顔が同じ人の構成物だということが分かっていないという話。(1989年に初版)

 この辺から興味深い。

この本を読むと子どもの体の発達・脳の発達などとからめてどういう運動を与えることが発育に効果的かということが解りやすく書いてあって目からウロコだった。
 苦しんで練習した「さかあがり」。これも多分、小学校一年生の神経伝達系が発達する時期に取得するべきものなんだなあ。。と納得。

 大学では体育についてはあまり教えられないそうなのだが、こうやって傍から雑学的に気楽に調べることのほうが楽しみがあるかもしれない。
 「テストに出るから」とか「テストに受からなければ」となると、こういうテストに出ない・習わない部分は切り捨てられることも多いのだろうなあ。だから、オタク文化っていうのは時に玄人はだしというような 深いものがあるんだろうなあなんて思った。

どちらにしても、キーはテスト(スクリーニング:ふるい)にありそうにも思う。
先生が子ども達の発達を真に面白い興味深いと思えれば教育も変わってくるだろうと思ったりした。

小学校教育のための体育学概論

写真は、ピンボケですが、期待の星。ヒメタイサンボク リトルジェム。桃太郎がうまれそうなくらい大きな蕾です(大げさ)

久々の 2004,5,20
連休あけてから初めて 洗濯・掃除以外一日予定が無い日だ。
治療中の歯の詰め物が取れてしまったので医者に電話をしようかとおもいつつ、明日行く予定なので連絡しないことにした。

 息子は鼻づまりが再発したので、帰宅したときに病院へ行くといえば連れて行くことにしよう。

今日はちょっとだけ。

学校に通い始めると ○○省とかの配布物をよく貰ってくるようになる。
先日もすごくご立派な「子どもの読書活動について」という紙をもらってきた。

それもものすごい上質紙でパンフレットの表紙になりそうな紙に印刷してある。

ところが中身がまったくない。文部科学省大臣と 文化庁長官の言葉が左に2つ並んであり、(カラー顔写真入り)右には「読書は子どもの言葉、感性、表現力、創造力を啓発します」など いずれも良く聞くような言葉がずらずらと並んでいる。

こんなリーフレットを配るくらいなら、大臣とか長官の話はもう少し小さくして、
小学校1年から6年まで、オススメの本の一覧とそのその紹介などが載っているほうがずっと実用的だと思うのだった。

 「子どもが本を読んだほうが良い」というのは誰もが感じていることで、親が「本なんか読むのをやめなさい」と本を取り上げたりすることはほとんどないのではないだろうか。

 本を読んだほうが良いからと親が読ませようとしても読まない子ども達について、
長年子ども達に人気のある優良図書や、本に興味をもつきっかけとなる本の体験談や、どうやったら子どもに本の楽しさをしらせることができるかなどの紹介の方がずっと身になるしためになる。

  本が大好きな親で読書の重要性を身をもって感じている親であっても、子どもが本を読まないことについてどうやったら興味をもたせることができるかというのが悩みの種なのに。

また、よく男女の発達の過程を言われるが、沢山の子ども達を見ていてもやはり女の子のほうが口が達者で、字などへの興味も早いように思う。
 息子も、数と文字を比較すると数に対する習得のほうがはやい。
そういう現在の研究結果で良いから 性差についての表記などがあれば「ああ、文部科学省もやるもんだなあ」と思えるのに。

こんなに立派な紙で全小学生に配られたとしたら、そうして各家庭で仮にすぐにゴミ箱行きになってしまったら、膨大な無駄使いだ。

 広報になったから余計にそう感じるかもしれないが、受け手が求めている情報を提供するというのが本当に大切だと思った。

 

舌を巻く 2004,5,18
2回目の広報の研修会に出てきた。

午前中までの二回の講習会だけで 完璧な広報誌が作れるわけはない。
先日もハローワークに行ってみたおりに、ふと興味がわいてクリエイティブ系の求人もみてみたところ、「割りつけ」ができる人 などと就職の条件になるくらいの技術があるわけだから、そうそうみようみまねで簡単に出来るわけが無いのである。

「講習会にいって、はじめてこの仕事の難しさが解る」というほうが妥当かも。

今日は、ほとんど実習だったが、その実習もお膳立てされたことをするという形。
ふと、これをすべて自分達で。。。と考えるとまったくおぼつかない。

 講師曰く、「日本のミニコミ紙など、基本がなってない。」だそうで、もっと基本を押さえなければいけない。。と感じ始めた。

■辛らつ

 前回の講習の感想について、講師からの話があった。
私は何も書かずにアンケートを提出したのだが、何人かから意見があったということだ。「板書の筆順が違う」「娘の自慢ばかり」「お説教ばかりで、老人会で話でもなさればどうですか?」
と、聞いている私のほうが 気の毒になるようなことを書くお母さんもいらっしゃるものだ。驚いた。
 相手は、技術畑で何年もやっていらっしゃる方だが、講師ではないから話がうまくないのだと思う。でも、実務を知らない教科書どおりのことしかいえない人よりも、突っ込めば豊富な知識が出てくるのではないかと思うのだが。

 主流になっているインストラクター系の講師は教科書に乗っているだけのことしか知らない人も多く、本当に知りたいことが教科書に載っていない場合などの質問には満足の行く答えが返ってこないことが多い。
 反対に、こういう人は実務はきっちりと頭の中に入っている。その表現が人に教えるのにむいていないだけだから、こちらから相手の気持ちを測りながら聞けば充分に深い話が聞けるし、質問をするとためになる答えが返って来るんだが。

 それにしても、「板書の筆順が違う」というのは驚いた。字を教えているわけではないから、そういうところは気にしないで良いと私は思うのだった。
(実は筆順だけではなくて、多分誤字があったのを私は知っている。明朝体というのを間違って、民朝体と書かれていたのだが、それは枝葉末節だと思う)

■舌を巻く

今回は、レイアウトや見出しつけ、「やくもの」、「しるしもの」と呼ばれる記号類のつけかたについての実習を行ったのだが、前回の最後に私たちが提出した実習記事についての紹介があった。
 
 前回の講習を終えて、その内容を記事にしてみてください。 というお題で出したもので、一人一人に朱がはいって返却された。
相手の話も上で書いたようにポイント整理されているわけでもないし、10〜20分程度で書いたのでその文字数にまとめるということ自体も難しかった。

そのなかから3点ばかり 良い記事の例として紹介してくれた。
最初に紹介された文には舌をまいた。

 書いた人は中学校のPTAの方だった。まさに、名文。要点をびしっともれなくおさえ、新聞らしくまとまっている。

実は私は、文章を読んだり、人の話を聞いて要点を理解することには少し自信がある。
(自信過剰な人間なんです。鼻持ちならないでしょうが、お許しを)
しかし、最初に読まれたその人の記事の足元にも及ばないと感じた。

 私の記事は、その次に読んでいただいた。読まれると一層その記事と私の記事の差が歴然とするのを感じた。過不足なく書かれた最初に読まれた記事の内容は、制約のある文字数内でぴかっと光る表現で表されている。
 私がいかに自信過剰なのかがよくわかった一瞬だった。

たかがPTAの広報だが、手ごたえはバッチリ。PTAの仕事ではあるけれども、でもこの仕事を通して一年間いろいろと学べる。それによって、私自身もステップアップしたい。

そんな風に今思っている。

午後からまた学校へ行ってきます。

5月病 2004,5,17
朝から一仕事すませてきました。
電車をのりついで2駅。その後銀行と郵便局に回って、もうひとつふたつやったほうが良いことがあったのだけど、今週まではちょっと忙しいので、次にのばせそうなものは延ばすことにして帰宅。
今一息ついています。ベランダのことを少しやらなければいけないのだけど。先週はまったく家のことまで手がまわらなかったので、家のことをやって、それからベランダ。今日できるかな。頑張ろう。

■「やりたくないこと」

息子は、元気があるにはあるのだが、なんだかイロイロなことを「やりたくない」状態になっているようだ。
 どうしてだろう?と考えてみるが、とりたてて「コレ」というものにはおもいあたらない。しかし、数週間前から「サッカーに行きたくない」と言いはじめた。
 ところが、夫は息子と一緒にサッカーをやるためにコーチを引き受けたばかりだったので、息子が行かない日も夫は行かなければいけない。夫の気持ちとしても、土日他の子のコーチをするのだったら息子と遊びたいだろう。
 
 まさに、なだめたりすかしたり、怒ってみたり脅してみたり とにかくいろいろと試しているのだが息子は「行きたくない」ようだ。

 実はやりたくないものがもうひとつある。通信教育のDMが我が家にも来たのだが 景品を見て2つとって欲しいと息子がいうので、2社から取っている。
我が家では「ドリル」と呼んでいる。ところが、これも息子はやりたがらない。

■「自分の居場所」

 サッカーはなぜやりたくなくなったのだろうか。
ここ数日息子を観察してみた。

 息子は保育園では「あたまがよい」と先生に一目置かれ、たよりにされていた。
彼も期待にこたえようと頑張っていたし、子ども達はそういう空気に敏感なので息子は自分の居場所というのが出来上がっていたのだと思う。
 竹馬は頑張ってたまたまクラスで一番になったけれども、「スポーツ万能」という評価を貰った子どものようには運動ができないことを自分でも認識していたようだ。

そんな風に、保育園では、子供同士暗黙の居場所というのが確定していて、本人が自己主張せずともまわりがそれを認めてくれるという状況だったように思う。

 ところが、小学校に入ったらそのヒエラルヒーは崩れてしまった。
同じ保育園から同じ小学校に上がった子どもは4人しかいない。息子のクラスには一人もいない。 なおかつ大規模幼稚園から入ってきた子ども達がそのまま独自のヒエラルヒーをもって入ってきたのだから、彼もたぶんストレスがたまるわけである。 学校の先生からすると良い意味で先入観がないわけだからもちろん一目おかれることもない。

 実はサッカークラブにも大規模幼稚園からの子ども達が最近最近大量に入ってきた。
保育園からの知り合いは一人もいない息子は自分の居場所が自分で確保できない状態なのかもしれない。
 息子の通った保育園の子ども達と幼稚園の子ども達をみてみると意外なことに保育園の子ども達のほうが「おとなしい」子が多い。息子の通った保育園は先生にめぐまれてものすごくよくできる子ども達が多かった。良い意味でも悪い意味でも統制がとれて「良い子」たちだった。 

息子は今まで自分が「悪いこと」だと教えられたことを平気でする大勢の子ども達に戸惑ってカルチャーショックを受けているようでもある。 「ばっかじゃねえの」とか「かっこわるい」なんていう普通の言葉でさえ、いままでは言わないようにと指導されていたので、そういう言葉を面と向かって言われるとたぶん自分の中でも割り切れない思いが生じてしまうようだ。

 息子は先日自分の自転車を「かっこわるい」と言われたらしい。そんなことくらいで凹むな!と母は思うのだが、そういう免疫がなく、凹むものはしょうがない。

 先日また、特徴的な出来事があった。貸して欲しいと思ったものを貸してもらえなかったらしいのだ。なきながら帰ってきた息子に「人は自分がとても大切にしているものは貸してくれないことがあるんだよ。○くん(息子のこと)も本当に大切にしているものは貸さないかもしれないでしょう」というと「○くんは貸すもの」と。
 たしかにそうなのだ。息子はどんなに大切なものでも貸すのだった。大切に育てている一番強いポケモンでさえ 「貸して」といわれるとokするので、親のほうとしてはヒヤヒヤなのだった。

これから先、生きていくとしたら、多分こんなことでめげていられないくらい沢山の意地悪をされ、貸したものを返してもらえない。貸して欲しいものも貸してもらえないということもあるだろう。それが普通の世の中だから。
 息子には少しずつ 普通の世の中になれて乗り越えていってもらうしかないと思う。
母としてはできるだけ乗り越えられるように手助けをしながら。

■やらなくてもよいこと

学校には絶対行かなければという姿勢は保ちたいのだが、サッカーとドリルについては実は任意のものだ。だから、私としても強制的に「やらせる」という姿勢をとり続けるのはつらいものがある。「やらなければいけないもの」ではなくて「やったほうが良いもの」だから。

 ふと私たちの姿勢にも気がつく。平日はドリルを何日かやり、土日はサッカー。双方とも「絶対にやらなければいけないこと。」でも、本当は「やったほうが良いこと」なのだ。

 小学校にはいってから、「やらなくてはいけないこと」だらけになった息子。
たまには息抜きが必要かもしれない。強制ではなくて自分でできるようになることが目標なのに、ふと気がつくと親からみるとさほどでもないことだけれども、息子からするとほとんど縛られているように感じるかもしれない。

 サッカーは当分休んでみる。行きたくなったら行く。ということに決めた。そのかわり土日は家族で出かけたりということを充実させようと思っている。

子どもを育てるということは、大人が当然のごとくに考えていることをまた振り返る機会のように思う。 大人になって自分の子どものころ当然だったことを子どもにも要求することが多い。私は、小学校一年では本を読みあさり、ドリルをやるのが好きな子どもだったのでそれが当然だと思っていた。しかし、ふと気がつくと世にはいろいろな選択肢がある。自分の正しいと思うことを疑ってみながら、息子の正しい道を作っていくということはとても難しい作業であるとつくづく感じている。

 だいたいどんな人でも、同じことをやるにしても「やってもやらなくても良い」と言われるものをする場合と「嫌でも絶対にやらなければいけない」といわれるものの場合たぶん、後者は負担に感じることがあると思う。
 うまい具合に自主的に出来るようにできれば良いのだが...。それが親の務めか。。

小学校では運動会の練習がはじまった。風にのって練習のアナウンスが聞こえてくる。
息子はいまごろどんな風に練習しているのだろう。

GOOD LUCK AND GOOD BYE 2004,5,13
いまさら「ユーミン」。もう古いでしょうか。GOOD LUCK AND GOOD BYEはユーミン(松任谷由美)の歌にあるのです。
昔の恋人に人ごみの中で出会ってしまう。昔のままの彼をみて、懐かしい気持ちが沸き起こるけれども、今はもうお互い別々の道をあるいている(多分お互いにまじわることのない別の道でそれぞれ自分の幸せな道がある)んだなあ。。という歌です。
歌詞は例によって著作権云々でかけないけれど多分検索すればひとつや二つは引っかかるのではないかな。

■昔の会社

昨日は伸ばし伸ばしになっていた銀行手続きに出かけました。
マイナーな銀行で、少し離れたところまで出かける必要があったのです。
出かける途中に事務所移転があるまで長年通勤していた社屋があります。今は別の部門が入っています。
線路からすぐに見えるその社屋を見ながら、ああ、ここに長年かよっていたんだなあと思い、この狭いコンクリートの箱の中に閉じこもっていること自体に私は誇りを感じていたことがあったのだと不思議な気持ちになりました。

 私の中にはある意味「一般の人とは違う。試験をうけてこの会社に就職して、現在仕事をしているんだ」と思い、実際、昼休みに外に出たときなどに 主婦らしき人をみかけると「私は会社員。主婦とは違う」と思っていたのです。
 何がどう違うかというのは表現が難しいし、自分の中でも形や言葉として認識されているわけではなくて、曖昧な感情でした。あえて、なんだろうかとつきつめていくと、「私の持っている技能は、会社から給料という月にこれくらいの対価をもらえるくらいのものなのだ」ということかもしれません。言い換えると、私は会社というところで価値を認められた人間なのだ。ということかもしれません。

 しかし、今社屋という箱の外から会社員をみてみると、かつて自分が持っていた誇りは 不思議に昔ほどの価値はなく、夢から覚めたような気がしたのです。

 以前通勤途中に授業をさぼっただらしない格好をした高校生が「しごとしごとってサラリーマンやってなにがおもしろいんだよなあ」なんて言っているのを聞いて、「仕事の楽しさを知らないで、何が語れるのか。」と思ったし、「仕事を得ることの難しさからの逃げではないか」と思ったことも思い出しました。

しかし、仕事の楽しさを知っている私も、8時間会社の箱の中にとじこもっていることは今では色あせて見えたのでした。もちろん、上の高校生のような感覚とは違って、仕事も楽しいけれども、別の世界があるんだなあという感覚とでもいうのでしょうか。
 仕事によって得る報酬は、私の技術に対する対価でもあるかもしれませんが、私の時間に対する対価でもあることも痛感したのでした。

■隣の駅

銀行のある駅は社屋のある駅から一つ目。私鉄の乗り換え駅でもあります。
飲食店も沢山あるので、会社からの飲み会はこの駅近辺で行うことも多かったことを思い出しました。その駅に昼間降りました。
 最近最後に受けた研修はこちらの駅に近いビルで受けたことを思い出しました。
 
 丁度昼休み時間に当たったので、駅前はいろいろな会社のIDカードをさげた人たちを沢山みかけました。まるで昔の恋人に出会ったかのように少しドキドキする甘い気持ちがしました。(昔の恋人に偶然出会うという状況は実は私は経験したことがないのです。でも、たとえばそういう状況を自分で想像してみたとして、これほどまでに甘い気持ちになるわけがないと自分では思うのでした)
 言うなれば、学生時代の同窓会があって、そこに昔片思いだった人がいたとかそういう人と会うことがあるだろうか、どうなっているだろうかとか そういう本人に会う前のなつかしい気持ちに似ているのではないかと思うのです。ただ、それが「誰」という特定の個人ではなくて、そこいらを歩いているIDカードを持った人たちすべてに感じた感情だというのが面白く感じられました。

 たぶん、この甘い気持ちは 単なるノスタルジーではなくて 会社が嫌いで幻滅してやめたわけではないから持つものだろうなあと思いました。
 
路地を入ると、昔かよった居酒屋がありました。「ああ、この路地。いつも夜にしか来たことが無い。昼はこんななんだ」と白日の下ののれんを見ながら。

まさに、GOOD LUCK AND GOOD BYE のように、相手は昔の恋人ではないけれども、会社に対して、懐かしい思いと 今はこの状態で私は幸せだという、もう道がわかれてしまったんだなあ という そういう感覚を覚えたのでした。

敵を欺くには 2004,5,12
とりあえず、たぶん今週・来週が第1回の山だ。
何が?といえば クラスの委員。子どものPTA活動。
もう金曜日。あっという間だったなあ。
今日は10時から 業者の人に来てもらい委員をあつめて仕事の説明会。その後第1回のPTA便りの発行と 今年発行する広報誌の企画会議を行う予定。

午後からは歯医者。(これはプライベートなことだけど)

■敵を欺くには

妹には「とてもたいへんそうで楽しそうには見えない」と言われて「仕事してないからだよ」とかいたのは半分は本当。仕事をしていたら活動は出来ないと思う。

でも、もう半分は「自分で楽しくて好きだと思いこむ」ということがこういうことのキモだと思う。
 なんでもそうだけど「好きこそ物の上手なれ」ではないが、いやいややるのと スキだと思ってやるのでは出来上がりにも、能率にも、個人のストレスにも格段の差が生じる。 

 一旦自分がやるといったことだから、それが、自分の想像以上の負担があったとしても、どうせやるなら前向きでやりたい。
イヤイヤ一年を過ごすよりは楽しんでやりたいと思うのだった。

「敵を欺くにはまず味方から」今日私が書こうとしたのは 敵も味方も自分のこと。
何をやるにも 自分次第だとおもうのだった。

■セルフコントロール

 このものの考え方は、社会生活をしていく上でのある意味セルフコントロールともいえるのではないかと思う。

 たとえば、仕事にしても家庭にしても、近所関係にしても、そうそう自分の理想通りにことが運ぶことってないのではないだろうか。
 一番身近に思いつくのは、会社での仕事。

 会社の仕事は、自分がやりたくて発生することはまず無いと思う。「○○を達成せよ」というミッションがまずある。「ヤダナア」と思うと日々がつらい。
 その中でも自分の好きなこと、ミッションに沿った「小さな幸せ」を自分で見つけながら「自分で決めたこと、自分で探したこと」をやっていくことによってミッションから外れない自分なりの道が見つかるように思う。そうして、それはある日会社のミッションから自分なりのミッションになる。それが自分のやる気につながり、成果につながる。

私はといえば、広報は大変だけど、本当に苦労が楽しくなってきている。
本や説明書を2冊読み、2時間ばかりの講習会に行くと、この仕事の深さがわかってきたところだ。どんどんと知りたいこと、やりたいことが広がってきている。 「やらなくてはいけない」ということを「やりたいこと」に変える。それがコツのような気がする。

同じ釜の飯 2004,5,8
■歓送迎会出席

PTA運営委員会なるものの後に、歓送迎会。昼食を食べながら歓談とのことで、出席はどうしようか?と少し迷って他の方に伺うと「先生方もいらっしゃるから出席したほうが良いわよ!」とのこと。出席することになった。(会社ではそういうアドバイスはあまりないので驚き!。そうかそういえば私は新人だったのだ。)

 先日、普通の主婦のような人が「立て板に水」だと驚いたばかりの私。おっかなびっくり参加。まずは昼から 生ビール!飲む前から陽気にはしゃぐ。
宴もたけなわになってくると、校長や教頭に「●●くん!△したまえ!」と冗談で呼びかけたりしている。

 しかし、これが単なる酔っ払いの狼藉ではなかったのだった。

■人材の宝庫

彼女は、「うちら陽気なかしましむっすめえ〜」としらふのときから騒いだり、「●クン!」と楽しく先生方に呼びかけた後に 冷静な声で「PTAとのPとTとは同等なのよ。こういうところで垣根をとりはらっておくことが大切なの。そうでないと先生も本音が出せないでしょう?。」と。 

 また、会長について「彼女は私よりも年も下だし、あんなふうに見えるけれども、とてもシッカリしていて、厳しい。厳しい物言いで誤解されることもあるかもしれないけれど、そうではないの。自分にもきちんとしているのよ。私は人を見る目だけはしっかりしているの。」と会長がいない場で、会長にむけての信頼を語ったりしていた。(会長とは少し席がはなれていて)

 会社などでは面と向かっておべっかをつかって、相手が聞いていることを前提に相手を褒め、相手がいないところで陰にまわって相手を貶めるということに遭遇する確率はすごく多いのだがその反対だ。

 会長は、若い。一番上のお子さんは16歳のときに産んだそうで、40頃にはすべての子どもが成人するらしい。服装はキャリアウーマンのま反対。たぶん、アメリカあたりのコンサルタントがついたら必ずNGが出そうな雰囲気だ。
日ごろは、冗談やラフな物言いでとてもPTA会長とは思えない。(失礼)でも、真面目な話をしてみた感じでは「しっかりしているな。実のある人かな」と感じ始めていたのだ。

 驚いたのは、運営委員の能力の高さ。運営委員会が終わった後に「次回のPTAだよりに載せたいので2行程度で挨拶を書いてくれ」と委員長に紙を配ったところ、全員からすぐに挨拶が戻ってきた。会社ではありえない状況だ。

 会社の人材は、選抜する段階などで、粒をそろえた結果 なにかを失ってしまうのかもしれないと思った。会社勤めしか経験がないので、主婦の世界がこんなに個性豊かな素敵な人材の宝庫という感じであることに驚いた。
 保育園の時は、すべての人が会社員だったからここまでの個性に遭遇することがなかったのだろうか。

 会社では、相手がぬきんでるということは、自分の評価が落ちるということにつながる場合も多い。そうなってくると 姑息な人は限られた集合のなかでの順位を争うことに終始こだわって、最後は相手を陥れたり、相手の後ろからついてその人の実績を横取りしたり、相手を妨害したりということも多い。
 自分でそれと意識してなくても、自分の有能さを示すと同時に相手を無能に見せるというテクニックを知らず知らずに身に着けてしまっている人も多いように今になって思った。

 ところが、このPTA活動というものは 一丸となってやっていくことで結果を出す。誰かの評価が高くて他のメンバーの評価が上がることがあっても、下がることはない。(相対評価でなくて絶対評価)そういう面からも、陰で人の悪口ばかり言うようなマイナスのパワーがまったくない スッキリと晴れ渡った気持ちの良い青空のような人たちのような印象だ。

■腹を割る

 「私には表しかない。」と彼女は言っていた。他のPTAの目だったメンバーを見てもああ、このひとは裏表なさそうだという印象が強い人が多かった。

 私が一番信用できないし、嫌いなのが表と裏のある人。
言い換えれば 「私のことを好きな人が良い人。私のことを嫌いな人が悪い人」という基準の人だ。世の中にこういう人は性別を問わず意外と多い。
 そういう人は 自分がある人を嫌いになると 坊主憎ければで大げさにケチョンケチョンに相手の悪口をいうことで連帯感を得ようとする。
 つまり、「私を敵にまわすと痛い目にあうわよ」である。(こわ〜!)

 会社にいたころ会ったある部門の部長(男性)はものすごく嫉妬深かった。
「あいつは、また、自信満々に説明していたんだろう」なんて陰で口に憎憎しげに出しながら、坊主憎ければ袈裟まで とすべてに妨害を図る。

 そうなってくると、周りは、彼の役職やしうちが怖くて心の中では彼を嫌いながらも集まってくる。

 飲み会の席で笑顔でかわるがわるお酌してくる人たちが 裏で彼のことを「おじいちゃんだから何回説明しても忘れちゃうんだよ!」と、言い、「あと何日だよ!」と彼の定年までの日数を皆で指折り数えているのを呆然としながら私は傍で見ていた。
 彼を心からスキだった人は どのくらいいたのだろう。私が知っているかぎりでは一人もいなかった。
 今、彼は別の会社にいるわけだが、たぶん、役職の切れ目が縁の切れ目の人が多かったろうと予測している。

 付き合いにはいくつかある。
利害関係が関わった世界。相手にこれをやってもらったからお返ししなければという義理の世界。それから腹を割ってお互いにお互いの性格を分かり合った世界。

一番長く続くのが 腹を割った世界だとおもう。
間違ってはいけない 腹を割るというのは「一緒に第三者の悪口を言う」ことではない。 悪口では友情は育たない。単にお互いの憎しみを共有しその共感でつながっているだけである。

■話はふくらんで

国をたとえてみても面白い。
・アメリカの影響力が怖くて 顔色を伺ってしまっている日本の政治家は本当にアメリカが好きかというとそうではないはず。
・ある国を悪者にしたてて一緒に悪口を言おう。一緒にたたきのめそうと自分の国力をちらちらみせながら持ちかけてくるのがアメリカ。
・自分の利害関係で 敵味方がころころと変わるのもその特徴。
 自分に従うものが善であり、自分に逆らうものが悪。

■同じ釜の飯
寝食をともにしたわけではないが、歓送迎会に出てよかった。
一緒に楽しい時間をすごすということはとても重要なことだ。
今回こんな風に良い結果を残せたというのは、ひときわ大騒ぎをして見せた彼女たちの功績が大きい。
 ただの飲食会だったらここまでのムードは盛り上がらなかったろう。

つまり、自分の楽しい部分をさらけ出してしまうことで皆の心を開かせるということをやってのけているのではないかと思った。 この「楽しい部分」が演技でないところが皆をリラックスさせよい効果を生んだと思うのだった。

おそるべし。PTA役員会!である。 忙しいけれども、心地よい忙しさだ。

お決まりの 2004,5,7
今日は、PTA総会とやら。3時半に行けば良いのね。と思っていたら、役員さんは2時に集合っつつ。といわれてとにかく2時に行ってみたら、まだ誰もいない。
 手持ち無沙汰なので広報のことを少しやってみたりして、時間を潰す。

■聞いてないよ。知らなかったよ。

そのうちに皆さん集まってきて。なんとなく見ていたら誰がなにを話すとかなんとかを小耳にはさんでしまった。
 ちょっと不安になる。「あの〜。今日。私もなにかやるんでしょうか?」(やるって劇じゃないんだし。。)「ああ、あるよ。自己紹介と今年度の事業計画」

なんですとぉ〜。 行くまで私は椅子を並べるために力仕事をするためにいくのだと思っていたのでした。 そのため動きやすいように ジーンズで。。この姿でなにかするんですかぃ。(ToT)

 自己紹介はあまりでしゃばってもしょうがないと思ったので、シンプルに、委員会名となまえだけにしようと心に決めてとりあえず、自分がしゃべるところに赤ペンでしるしをつける。

さて、会場作り。本来これをやるために行ったと思っていた椅子を並べる段取りに。
100脚くらいで良いとのこと。ああ、あまり出席しないんですね。(多少ほっ)
とにかく、しゃべるところで失敗さえせねば良いわけだからと総会に望む。

普通の主婦のようなふりをしていた役員さんたちの弁のたつことたつこと。
アドリブでもペラペラと立て板に水とはこのこと。
 日ごろラフな物言いしかしてない私には 「わたくし」とか「つとめさせていただきます」とか「でございます」とか 口からなかなかスムーズに出ないのです。
多少青ざめながら成り行きを見守ることに。

■お決まりの

さて、旧役員紹介ということになり皆が前に並ぶとなぜか私と同じ委員の二人だけが座席に残ってしまった。(?) 副委員長が、「私たちも行くんじゃないの?」と言う。
前を見ると、今年度役員の人もちらほら前に出ているし。
 多少遅れ気味に私と副委員長も列に加わって前に合流。(なんかとてもヘン)
ひとりひとりマイクがまわって立て板に水がこちらにやってくるが、どうも平成15年度と皆言うし。。そのうちに合図があって やっぱり私たちの出番ではなかった様子。
 そそくさと列を離れる二人。。(#--#)間違ったのね。私たち。

見た顔の人たちが沢山前に出ていると思ったのは、前年度から役員に残っている人たちが多かったせいだということが判明しました。
 まあ、お決まりの。。。ということで、あいかわらずそそっかしいです。

 私の分担は、とりあえず問題なく終わり、スリル満点のPTA総会は無事終わりました。
ま、これで一つ終わったから。ヨシとしましょう。(と言うしかないですよね)

■話変わって横浜大世界
昨日のテレビチャンピオンにもチラッと出てました。
そうして、今日みつけたのがこれ。
http://www.opi-net.com/opinikki/index.html
ところで、オピ日記に横浜大世界というのが出ていたのでふと思い出して書いてみると、実は私、友人とのデートでここに行きました。
http://www.daska.jp/top.html

ところが、私の評価はいまひとつ。
食事がすんでしまっていて、おまけに時間がなかったことが敗因かもしれませんが、思ったよりも狭くてちょっとがっかり。
 入場料500円を払って、なおかつ中で食事してお金を払うなんてことしなくても一歩外に出たらおいしい中華料理が沢山ある中華街なのに。。。と思ってしまったのでした。

パフォーマンスエリアをうまく使えるかどうかが鍵かもしれませんね。
出し物は上演時間が決まっているので、時間に余裕があるときに使うのをオススメします。
 
バラはメリーランです。

 

ディズニーランド並 2004,5,4
水族館へ行ってみようということになり、先日オープンしたばかりの新江ノ島水族館へ行ってみることにしました。

http://www.enosui.com/

計画では8時過ぎには家を出発したいとしていたのですが、息子が起きてこない。
朝から強風吹き荒れる様子に「どうしよう。。。」と迷い気味のpon1,pon2。
どちらにしても家でくすぶっているよりは。。と決心して遅く出発。いくつか電車をのりついで出かけます。

■腹痛ではじまった江ノ島

 最近出かけるよりも家が良いなんて言い出す息子(私にそっくりで(TT)出不精)をなんとなく説得して出かけました。丁度片瀬江ノ島につく頃に突然「おなかが痛い」と言い出す息子。 日ごろそこまでおなかが痛いなどということがないのであわててトイレに連れて行ってみるが それでもダメ。

 駅改札を出ると メガホンで叫んでいる人たちがいました。
「只今、新江ノ島水族館は入館までに2時間待ちとなっております。3時頃からは多少空くことが予想されます。。。云々」2時間待ちもさることながら、腹痛の息子をどうにかせねば。と もしかして、丁度昼頃だし、空腹が原因かも。と店を探すとマクドナルドが目立つ。「マクドナルド行く?」と聞くと「うん」と息子。
 ところが行ってみると、マクドナルドも長蛇の列。「どうしよう。マクドナルドはかなり待つよ。他に行く?」と聞くとおなかを押さえながら列の外に出る息子様子からかなり痛いらしい。 駅の横にそばや発見。のぞくと席もかなりあいていたので、「そばにする?」(もりそばが好物の息子)ときくと二つ返事で中へ。

席について注文をしました。PON1とPON2は江戸前天ざる 息子はざるそば。
さて、天ざるがひとつきて、次にざるが来たのに、もう一つの天ざるがこない。。よく見ると伝票が帰ってきていて 双方一つになっている(TT)あわててお店の人に「天ざるは二つ注文したつもりだったのですが」と告げた。
 (子供には1人前とらない家庭が多いので勘違いしたのかな)

息子は食欲はあるようで、おなかを押さえながらざるをものすごい勢いで食べていると
天ザルがやってきた。ところが。。今度は 天ざるにワサビがついていない。
(息子はワサビを使わないので PON1は息子のワサビをもらうことにした (天然ワサビを自分でおろすものだった))
 ざるをかなり食べた頃に「いつのまにかおなかが痛いのがなおっていた」と息子。
よかったよかったといいながら 食事を終わり、外に出ることにする。
 お会計で手間取っている夫を見るとなにやら説明している様子。

やっと会計が済んで「どうしたの?」と聞くと、
天ざる 1つ 1250円が二つになったので 2 2500 と伝票に書いてあったら、レジの人が 2×2500で 5000円と打ったのだそうで。
人数も少なくて他にものを頼んでなかったからわかったけれど、もう少し品数が多かったりするとわからなかったかもねえ などと話しながら外へ。 
 
腹痛はおこるし、注文はこないし、ワサビはないし、お会計はまちがっていたし。と、今考えてみると幸先悪かったような気もするのですが、そのときはまったく気にも留めずに外に。

■海岸
自分で出かけるときには、きっちり調査して出かけるのですが、家族で出かけるときには水族館や地図はすっかりPON1まかせにしているPON2.とにかく江ノ島に渡ろうと江ノ島に向かいました。


 途中海が見えたところで、腹痛の治った息子が「海がみたい」といいはじめました。丁度、道路をくぐって海岸に渡れる場所があったので、海岸まで出ると、そこは砂浜。
波打ち際まで行くと、靴をぬいで水に触れたくてしょうがない様子の息子。
風が強くて波も豪快なので、周りは サーファーも沢山いました。
 波にさらわれては大変!と着替えも準備していなかったので、ひざ下くらいまでで遊ぶようにといいながら親子しばし海を見ます。



 よせては返す波はどうして見飽きないんでしょう。多分、1回1回の波がうまい具合に微妙に違うからなんでしょうね。今度はここで波が立つだろうと見ていても立たなかったり、突然大波がやってきたり。

 強い風でキラキラとした粒の砂が風に吹かれて刻々と姿を変えていくさまをみたり、
じわじわと満ちてくる潮を感じながら波をじっと見ていたり、息子は貝殻をひろったり、波をおいかけたり。波から逃げたり。
 そうこうしているうちに、突然砂を掘り始めて堤防をつくりました。
 波が来ても壊れないようにと砂の中に石を仕込んだり。


そんな堤防も 満ちてきた大波を2,3回防いだと思ったら次の大波で壊れてしまったり。2度ばかりつくりなおして、満足した顔で戻ることに。
 ところが置いていた靴に風で砂が運ばれてまるで砂をすくったかのように入っていたのにはビックリ。

PON1PON2も髪の毛の地肌まで砂がのこっていて、耳や目からも砂が出るような状況。

■江ノ島へのはずが

足を乾かして砂を落として江ノ島へ向かったのですが、まだ波に興味がむく息子。
てっきり江ノ島水族館は江ノ島にあるとばかり思っていたPON2が息子を急がせようと
「みなぞうくん(みなみぞうあざらし)を見に行こう」というと、「別にみなぞうくんみなくてもいい」と息子。 せっかくここまで来たのだからついでに見ようよ と突然モトをとりたがるPON2 「でも、水族館だから みなぞうくん以外にも、たぶんニモ(ファインディング ニモ)と同じクマノミもいると思うよ」と言うとこれが効いて。「みたい!」と息子。
 そこでPON1「えっつ。水族館へ行くの? 水族館はこっちじゃないよ」ともう江ノ島にわたりそうなところでヒトコト。
 「うそ!どこなの?」「あそこだよ。たぶん」と来た方向の建物を指差す。

そこで、「とにかく江ノ島にわたってからにしようよ」と息子に言うことをひるがえすPON2。しかし。もう クマノミがみたくてしょうがない息子。
江ノ島まであと数メートルというところで方向転換してもと来た方向へ戻ります。

■ディズニーランドも真っ青
昼ごろには2時間待ちっていってたよね。といいながらチラシを配っている人に出会ったら、「60分まちです」とのこと。
 行ってみたらもう少し減っているかもしれないね。と強風吹きすさぶ中進む。
向かい風が顔にあたって砂がビシビシと痛くて、目があけていられない。
とにかく進む進む。
 で、やっとついた水族館前には 「90分まち」の看板があって、見たことも無いほどの長蛇の列がありました。
 ふきっさらしの中。この人ごみで待つのはヤダ!

息子をどうにか説得して戻ることに。 帰りは追い風。すれ違う人はみな目を細めながらすごいしかめっ面をしています。(砂が痛いのです)私もさっきあんなだったのだろうなあと。
 店をみると「強風のためドアを閉めています」との看板が出ているところも多数。
夫の発案でモノレールに乗りに行こう!ということになりました。

■モノレール


乗り気でなかった息子をだましだまし モノレールの駅まで出かけます。
強風で止まってなければ良いねえ。といいながら行ってみるとラッキーなことに動いているようです。
 駅に登って下を見た息子「えっつ。これってどうなってるの?どうなっているの?」と言い始めるので、最初はなにのことやら。

 ふと気がつくと、モノレールなのに モノレールの線路?がないと言いたかったようです。何回かモノレールに乗ったことがあるのですが、吊り下げ型のものははじめて。
「上を見てご覧。上に線路があるよ」というと 「えっつ。こんなのはじめて」と興奮。しかし、モノレールが来たとたんにのりたくないなどと。(おなかが減ってきたんだね。)お父さんとお母さんは乗るんだからといいながらのりこむと楽しんでいた様子。


大船でマクドナルドに入りたいというので、マクドナルドに入り、その後電車で戻りました。立っていても寝てしまうくらい心地よく疲れたようで目的の水族館には入れなかったけど、これはこれで楽しい一日でした。
 
今年のPON家のゴールデンウイークの主要イベントはこんなものでしたとさ。

おまけ。
モノレール動画トンネルの中に見えるのは亡霊。。ではありません。(--;)



ホーンテッドマンション 2004,5,3
日常が戻ってきました。そうして、部屋は連休の汚れが見えますが、とりあえずこっちを書いちゃうんだなあ。(^^;)
 でも、係の仕事が2,3、たまってる。今月もずっとやらねばならないことが満載です。ファイト!(5月6日朝に書いてます)

ところで、連休は遠出はやめて家でゆっくりすごしました。まず、息子リクエストの映画を見に行きました。

■ホーンテッドマンション
ディズニーランドのホーンテッド・マンションを題材にした、パイレーツ オブ (the) カリビアンの二匹目のドジョウを狙った(?)映画です。

パイレーツはオーランドブルームとジョニーデップという人気どころの役者さんも目玉でした。 ホーンテッドマンションは エディ・マーフィ このひとが出てくるとなると、ホーンテッドマンションも 怖いだけではなくて笑いがありそう。。と予測できますね。

■説明
エディ・マーフィーは 愛妻のマーシャトマソンと不動産売買を行っている、仕事にのめりこむタイプのお父さん。
 契約のためとなると、つい一生懸命になってしまう。
そんな彼の奥さんあてに 「家を売りたい。必ず奥さん一人で来て欲しい」という依頼の電話がかかってくる。 エディは聞いてビックリ。 お屋敷街なのだ。これはまたとないチャンスかもしれない。

 約束をすっぽかした埋め合わせに家族で出かけるその前にちょっとだけ寄りたいとエディの仕事の虫がさわぎはじめるが。

■感想
ディズニー映画の良いところというのは、親が前もって筋を調べてなくても安心して子供に見せられること。
 この時期、コナン、しんちゃん、などと一緒に上映されるので、そちらのオコチャマ映画につきあうのだったら、こっちのほうが楽しいなあと思えるところがお得感につながります。

 子供がうまれてから思うことは、いままでなにげなく見ていた映画も「子供に見せる」という視点でみると「とても見せられない」もののなんと多いこと。

そういう点で子供も大人もそこそこ楽しめる平均点以上の無難な作りであったと思います。

この映画は「ディズニーランドとの相乗効果」を狙った作品だと思います。 映画の中には パイレーツの時と同じように どこかで見た登場人物(オバケ)達があちこちに出てきます。それを「ああ、あそこにいたオバケだ」と見つけることも楽しいものです。

 筋としては 子供向けにこみいったストーリーは難しいし、まあ、こんなものでしょうか。というところかもしれません。

マーシャトマソンがとてもかわいらしい美人でたぶんオジサンたちには受けそうな予感。(オヤジ系の私が太鼓判)
ナサニエル・パーカーは 顎を見ていると トミーリージョーンズとか日本人でいうと蟹江敬三とかを思い出してしまいます。 な〜んかごつくてこの役柄にいまひとつ合わないように思える。

 クモを殺すシーンがあったのにびっくり。
pon1もディズニーなのに、生き物を殺すシーンが出るなんて。と驚いていました。

ホーンテッドマンションはこちら
http://www.disney.co.jp/haunted/top.html

ホーンテッドマンションの映画感想はまたおいおい書きますね。

怖い屋敷の映画 ホーンティングについて書きました。こちらもよろしかったらどうぞ。
 リリ・テイラー キャサリン・ゼタ・ジョーンズが出ています。

風がつよいので、切花にしてしまった薔薇たち。

一度燃え尽き 2004,5,1
終わりました。家庭訪問!

結局ベランダは手付かずのまま。でも他のところはじわじわ原型をとりもどしつつあるので、「小さなことからこつこつと!」ということで満足度は高いです。
(あ、これは、片付けの話ですよ)

先日、先生は玄関先までなんですって!と書いたのですが、その後、上の学年のお母さんにお話を伺う機会があって、「どうぞお上がりください」というと上がられるとのこと。
息子が前日喜んで机の中まで片付けていたので、上がっていただくことにしました。

玄関先だと落ち着いて話もできないし、上がっていただいてよかったと思いました。
なんといっても家庭訪問って大変。
 暑い日だったので、麦茶とお絞りを準備していたのですが、遠慮なさっていたのをお勧めすると 暑いですよねえと飲んでくださって(^^)。
何件も回るのはやはりタイヘンそう。

 数日前の台風みたいな日も回られたのだとか。そりゃ大変だ。

じっくり話しをして部屋もまた少し綺麗になって、めでたしめでたし。

さて、今日からゴールデンウイークなんですね。びっくり。
毎日が休み状態だったので、先生が「じゃ、また木曜日にね」とおっしゃるところに「なんで木曜日?」とおもって 口まで「水曜日まで先生はお休みですか?」と出そうになるのを飲み込んでよかった。恥かくところでした。

完全に主婦ボケだ。こりゃ。<あ、私以外の主婦の皆さんに失礼だ。pon2ボケです。

今年はなにも予定を立てませんでした。
家が大好きと書かれている方の日記を読んで心の中で「私も!」と答えるくらい 私も家が大好き。会社やめてストレスも少ないのか こういう毎日の生活がとても心地よいです。

後は、自分の時間がもっとあったらなあ。(こみいったロバミミもかけないし本も読めないし。映画も見られないんだよなあ。)