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王様の耳はロバの耳(過去ログ)

普通は言わないけど、みんなどう思う?言いたいけど言う機会が無いみたいなことをおもいついたときに書こうと思ってます。

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デートは横浜 2004,3,29
良く晴れて気持ちの良い一日でした。

今日は三渓園というところへまず、出かけて、その後、中華街で食事ということにしました。たまった話や私が辞めてからの話などを色々話せてとても楽しかった。
三渓園
http://www.sankeien.or.jp/

三渓園は植物を楽しむよりもすばらしい庭園と昔の建物を見学する場所でした。
風は強かったけれども 暖かくて気持ちの良い一日でした。

デートコース 2004,3,28
久々にからっと晴れて暖かい。うれしい!
息子は8割がた回復。食欲はいまひとつのところがあるけれど消化のよいものだったら食べられる。今日でたぶん完治するだろう。

今度の月曜に、会社時代の同期の友人から一緒に遊ぼうという連絡を先週もらった。
彼女とは独身時代に一緒にあちこち旅行したり、映画を見たり一緒に遊んでいたのだが、結婚して子供が産まれたころから 私の自由がきかなくなって遊びに出ていない。

 タイプが真反対の彼女と私は、付き合うにつれてウマがあってよく一緒に遊んだ。
彼女はまじめで、几帳面、しっかりもの。そうしてそういう中にちょっとだけ見え隠れする可愛らしいところが良い味を出している。
 私はどちらかというと いいかげんで 頼りにならない。

旅行を一緒にすると、彼女は毎日持ち物をトランクから出してきちんと整理するのだが、私はトランクの中にどんどんと投げ込んでいざ、出発というときにだけ整理するタイプ(^^)ゞ こういう真反対のほうがお互いのコダワリの部分が拮抗しなくてうまくいくのかもしれない。 


私の事務所が移転してからは、出張時にお昼を一緒に食べたり、メールをときたまやりとりしていた程度だった。

子供は保育園が夕方まであずかってくれるということで、小学校に入ってもなかなか時間がとれないかもしれないからと決心して一緒に遊びに行くことにした。

さて、久々のデート。どうしよう。

ところが、困った。私は長い間どこにも行っていないから行きたいところがわからない。言うなれば、オコチャマ向きでないところだったらどこでも新鮮で楽しいのだ。

 しかし、彼女はずっと映画も見に行っているし遊びに行っているから、今も見たい映画はないらしい。私は、映画は子供向け以外はほとんど見ていない。

公園はどうだろう。 あまりにも久々でどこへ行ってよいかわからない。ショッピングも大抵のところへ行ったことあるだろうなあ。

 今日電話してみよう。 楽しいデートのコースを考えるのは意外にむつかしいね。

茶の間の不在 2004,3,25
いかりや長介さんが亡くなる前から放送が決まっていたということだけれども、昨日チャンネルを回していたらドリフの特番をやっていた。
 今見てみると、不謹慎だったり下品だったりするシーンも多くて、「ああ、こういうところがワースト番組といわれたことなんだな」と思ったりした。

 たとえば、手術中のコント・死に対するコント・性的な表現を含むコントなど。
しかし、お茶の間をテーマにしたコントなど 笑いの中にもなぜか暖かい。ちびまるこちゃんのようにおじいちゃんがいて、お母さんがいて、お父さんがいて子供が何人かいる。
ちびまるこちゃんでもそうだけれども、少しボケが入ったおじいちゃんを おもしろがりながら 家族全員が受け止めている。そういう姿が猛烈に懐かしいのだと思った。

 愛情というのは、みせかけではない。見た目でかいがいしく世話をして、「おじい様。お体にさわりますわ」なんていわなくても、「このクソジジイ」といいながらも、そのあるがままのおじいさんをそのまま受け止めている。笑いになっていてもそれは意地の悪いあざけりではなくて どこかに愛情やいたわりがあり、全否定ではなく肯定が感じられるような笑いなのだと思った。
 
とはいっても、私は物心ついた頃から 祖父・祖母と同居したことがない。この懐かしさこそ、テレビで放映されたまがい物の幸せなのかもしれない。
 けれど、不思議にココロがほっとする。そういう肩の力が抜ける平和な日常を垣間見るような、こういう番組が少なくなったと思った。
 
 テレビをつけたときにやっていたコントは、竹下景子が妻役で出ていた。夕飯の支度をしておかずを並べたら、奥さんのほうが秋刀魚で、志村けんの方が目刺だった。「おい。おまえ、これはないだろう、こっちが大きいのが筋だろう」と二人で秋刀魚の取り合いをして、結局竹下景子が勝ち、妻があっけにとられた夫を尻目にごはんにお味噌汁をぶっかけてかきこむというコントだった。

 思えば、こういう夫婦を題材にしたコントも、うちがテレビを見ていないからかもしれないけどとんと見かけない。いかりや長介の旦那と森光子の奥さんも くだらなくてほほえましい話を長々と夫婦で語り合っていた。
夫と二人で声をあげて笑いながら見た。

夫婦コントの写真はのっていないけれども http://www.maitou.gr.jp/dorif/

 今思えば、ドリフのコントは落語にもありそうなネタだと思う。(落語はあまり聴いたことがないけれども)確かに調子に乗りすぎたものもあったのだろうが、それほど目くじらたてるほどのものでもなく罪のないものも多かったのではないかと思う。

■家族ゲーム

 家族ゲームという映画を見たときにものすごく印象に残ったシーンがある。
松田優作の家庭教師が、ある家にやってきたという映画である。
食卓の向こう側に一列に座って食事をとる。ぎゅうぎゅうに肩を寄せ合いながらの食事シーンはあまりにも違和感があって「こんなことあるわけない」というのが第一印象だった。
http://www.city.ueda.nagano.jp/shogaigakushu/movie2001/movie01/kazoku.htm

 でも、今この映画を見るとあまり違和感がないという家庭が多いのではないかと思う。
あなたの家の食事は 家族ゲームとドリフとどちらに似ていますか?と問われて意外に家族ゲームという人が多いかもしれないなあと思った。
我が家も2択だったら 家族ゲームに似ているかもしれない。

 日本での人気の家に「生活感のない家」というのがある。「生活感のない家」=「オシャレ」ということらしい。今、ドリフと家族ゲームを比較してどちらかに分類しなさいといわれると、ドリフは生活感でむんむんとしていて、家族ゲームは生活感がない家に分類できるのではないだろうか。

 生活感のない家 というのは裏をかえすと 「日ごろの雑事からのがれられるほどリッチな生活をしたい」という日本人の憧れが変化したものかもしれない。昭和初期の日本から比べると、現代の私たちは驚くほどリッチになり、生活感のない生活を手にしているのではないだろうか。
 
■こっぱずかしくて言葉にできない

 今朝、夫と子供について話をしていた。子供が成長することだけが幸せか という話。 たしかに子供の成長は幸せにつながるけれども、それだけではないと思う。今息子はかなり大きくなってきて、本当にかわいい時期になったと日々思う。 ずっと世話を焼き続けていたご褒美だろうかとひそかに思えるくらい、息子は私に愛情を返してくれる。たぶん、これからの一時、彼の一生分の恩返しをしてくれて、それから返し終えたら、「クソババア」と呼ばれるようになるのだろう。覚悟しておこう。

 今、彼は私のことが大好きで大好きでたまらないようで、全身全霊でそれを表現してくれる。
「子供が育つことだけが幸福かな。いや、子供に関する幸せってそれだけじゃないとおもう。言うなればこっぱずかしくて口にできないようなことがあるよね」と私。
「何」と夫。
「ん?愛することの幸せということかな」(照れるぜ!)
 子供に対する愛は、なにか見返りがあると思って注ぐものではない。なぜ、好きなのといわれても困る。
最初は戸惑いから始まった。生まれたときは不安も沢山、一生懸命やってきただけのような気がする。
でも、世話をすれば世話をするほど、その反応がいとおしくなり、成長をよろこべるようになり、彼の喜びが私の喜びとなり、彼の悲しみが私の悲しみとなり、そうして子供のことが大好きになっていた。
好きに理由はない。そうやって自分が好きだから愛情を注いでいたら、いつのまにか子供から愛情を返してくれるようになってきた。それも、まったくこんな幸せあがあろうかと思うほどの大きな幸せだった。

 愛情って、見せ掛けではどうにもならない。損得では片付かない。無償の愛とよく言うが、有償の愛はありえないのだと思う。無償だからこそ愛なのだとおもうのだった。

 父や母・祖父や祖母を思うとき、過去に生に関わる部分が多ければ多いほど、彼らが私に注いでくれた愛情を思い出す。人と人とはかかわりあいによって愛情をはぐくむものだとしたら、茶の間での沢山の家族との触れ合いをなくした頃から、生活感のない家を求め始めてから人と人とのつながりが希薄になってきているのかもしれない。

 愛情はもともと泥臭いものなのかもしれない。日常の雑事ひとつひとつという泥臭い中に愛情の種がある。そうしてその泥臭い場で愛情を育てていくものなのかもしれないと子育てという生活感のある泥臭い作業真っ只中の私は思った。

本領発揮 2004,3,23
 先日納戸の大掃除をしてからというもの天気が悪い。天に向かってそんなに驚かなくてもいいじゃないですか〜とでも言いたくなるほど、寒いし。(TT)
どうにかしてくださいよ。二日で十分ですよ。わかってくださいよ。(ブレードランナーの 麺屋のオヤジ風)

■ブロック

息子(いい呼び名ないかなあ。そのまんまだとヤダしな〜)にも「小学生になるんだし、自分の部屋をもつことになるんだし」と説得して使わなくなってかさばっているおもちゃを手放す了解を得たので、まず手始めにかさばっていた大型ブロックを保育園で使ってもらえるかどうか問い合わせた。
 ラッキー!使ってもらえるらしい。見た目はレゴのような形だけれど、一つ一つが大きくて、一個のブロックが1リットルのペットボトルの半分くらいの大きさのものがあったりするのだ。
 まとめるとさほど数はないけれどまさに一抱えの袋に入る。

でっかいけれども、思ったほど使えなくて、ちょっと中途半端だったのだ。
・複雑な形をつくるには数が必要なのだが、場所をとるのでそんなに数そろえられない
・大きいから小さな子供が使いやすいかと思ったけれども、ブロック遊びをする年齢ってある年齢以上だった。失敗。

とにかく、それを出すことになってうれし〜い。

ところが、雨。毎日雨。保育園に持っていけないじゃないですかぁ〜。┐(-。ー;)┌やれやれ。
もう片付くとなるとすぐにでも片付けたくなってしまう。困難な状況でもやりたくてうずうずしてしまう。
そういう私の性格で、昨日雨の中傘をさしながら保育園まで持参しました。 本当にひとかかえある大きさだったので結構大変だった〜。 大変なことをやりとげると結構な達成感!「やったあ〜」って感じしますよね。

味をしめた私は今日もやりましたね〜。

■プリンター

今度はプリンターを手でかかえて先日段取りをつけてあった保育園に徒歩で今朝運び込みました。
本当は、今朝pon1が「プリンターは明日持っていこう」といってくれたのですが、二人で持っていくにはいろいろな条件がそろわなくて、その条件をそろえるのが面倒だと思いなおしたのです。

持っていけるときに、持っていけたほうが気が楽。
重かった〜〜。しかし、持っていった後はスッキリ! あ〜気持ちよい。「やったぞ〜」という感じ。
肉体労働の醍醐味です。

 息子もいつもは私が持っていく私のバックやら自分の着替えやらを持って保育園まで手伝ってくれました。
足元が見えないので一回転んでました。(息子ありがとう!)

■ビデオ

とはいっても、私、昨日書いたようにクラゲ状態なので、これといってリキは出ないのですが、ちまちましたことが実は大好き。すごくストレス解消になります。スクリプト触るのが好きなのもそういう理由が多いのです。
 小さい頃から体調が悪いと 部屋の隅でちまちましていたらしくて、家の中でチマチマというのはまさに私にうってつけ。
 今は、昔録画したビデオをどんどんCDRに焼く作業をしています。これがまた私のツボ。
ビデオテープの大きさが CDRの大きさに変わるわけで、一枚終わるごとに「わあ〜。こんなに小さくなった!」と自己満足しながら、ラベルもきちんと書いて納めます。
 引き出しの中がすこしずつ空いてくるさまをみていると 楽しくてしょうがない。

こうやって考えてみると私ってつくづく 「オタク」と紙一重だったんだなあと思います。だって、ビデオの数だけでもすごいもの。頭の固い人には ヲタクだ!と決め付けられる場合もあるかもしれないな。
(あ、人にみられて困るようなビデオはもってませんよ。大抵好きな映画やテレビの特集番組などです)

 実際、家にいても、必要があっても外に出ないなんてことはありませんが、極力外に出たくないタイプなので必要がなければ何日でも家の中ですごして平気だし。先日も、pon1に「結婚相手が融通のきかないひとだったら、私なんて「引きこもりだ」と決め付けられているかもしれないね」なんて話しました。
pon1も「うんうん」なんて言っていました。

■昨日発見 やっぱり ヲタク?

 昨日は、黒澤明の七人の侍を見直したわけですが、最後のあたりでびっくり。
ブレードランナーの登場人物に、J.F(セバスチャン)という老化症の遺伝子操作関係の技術者がいるのです。その人の家に レプリカントのプリスが訪問したとき、小さな兵隊とぬいぐるみが行進してきて迎えるのですが、台詞忘れちゃった。
最後に GOOOOOD MORNING J-F だっけなそんな風に節をつけてやってくるのです。その節が、七人の侍の酒盛りのシーンの節にすごくよく似ていたのを発見。

 最初は「あれ?この節。最近どこかで聞いたことがある」と思って思い出してみるとこのシーンだったのです。

 日本人からしてみると普通の昔ながらの節回しだけれども、外国の人からするとどうなんだろう。もし、エキゾチシズムを狙っての節回しだったら 七人の侍に影響されてないとは言い切れませんよね。
あんなに世界的に有名な作品を リドリースコットが見ていないわけはないし。
 この時代の設定が、香港の町のような日本語と英語と中国語?が入り混じった混沌とした世界という前提なのでもしかしたら ありうるかなあ〜なんて思いました。
 もしくは意図的ではないにしても、過去に見た映画が知らず知らずに刷り込まれていたとか。

なんて、適当な憶測ですが、そうだったら面白いなあなんていうオタクな話でした。

今は隠し砦をかけながら書いているわけですが、黒澤さんの 隠し砦の三悪人が、スターウォーズの C3PO と R2D2 のアイディア元になったというのは有名な話だそうで、たしかに、冒頭のデコボココンビが荒野を二人で歩くさまは似ているように思います。

 隠し砦の三悪人は、ストーリーもたのしくて私の好きな映画の一つです。
隠し砦の三悪人

んで?どこが本領発揮かというと、チマチマとやることなんですね〜。(^^)V

告白 2004,3,22
卒園式は終わったけれども、入学式を控えてなんとなく落ち着かないpon2。しかし、バイオリズムは低め安定のため、「やるぞ〜」というファイトがわかずなんだかクラゲのようにぼわんぼわんしています。

 土曜も突然やる気無理やりをだして、大王のおもちゃを片付けたわけですが(この大王という呼び名ももうそろそろ潮時ですね。)そのゴミを外に出せない(雨だもんね〜)でなんだか脳みそ暴走状態。結局、自己完結して 電源がはいらなくなったようなお粗末な次第でした。(^^)ゞ

 当分落ち着かないのでロバミミの更新も滞ると思いますし、こんな風などうでも良い話になるかも。落ち着いて考えがまとまらないんですよ〜。
当分は子供がお昼頃には帰って来ることになるので、子供の生活が軌道にのるまではこの「ぼやぼやロバミミ」にお付き合いいただければうれしいです。

■告白

ところで、今日は寒い雨です。予報では雪になるとか何とか言っていましたが、いまのところは雨で済んでいる様子。
 
 朝、「ああ、雨だねえ。こんな日にかぎってやらなければいけないことを思い出すんだよね」とpon2。
「何?」とpon1。「学費の自動引き落とし用に、農協に口座つくらなければいけないし、銀行の住所変更できてなかったのもやらなければいけないし...云々」とpon2.

それを聞いたpon1は 「何を突然?」という顔をしていました。
まさに、何を突然です。もっと天気の良い日が沢山あったわけだから、こんな日にそういうことを好んでやる必要はないし、そう思うのはもっとも。

しかし、実は私にはもっとココロにひっかかっていたものがあったのでした。

昨日は蛍光灯を買いに近所の電気店に行きました。ついでに 1500円で2枚というDVDが発売されたのでそれをゲット。

==ここからは2枚で1480円のDVDの話===
 以前教えていただいた ムーランルージュなどとインディペンデンスデイ(固定)2枚ついてDVDお試しパックということで 日本全国1480円です。
たとえば タイタニック+インディペンデンスデイでも 1480円
http://www.foxjapan.com/dvd-video/dvdtrial/

アマゾンならもうちょっと安くなります。
DVDお試しパック「タイタニック」(インデペンデ...
DVDお試しパック「ダイハード」(インデペンデ...
DVDお試しパック「ムーランルージュ」(インデペンデ...
DVDお試しパック「ホームアローン」(インデペンデ...
DVDお試しパック「アイスエイジ」(インデペンデ...

=====2枚1480円のDVDの話は終わり===

ということで、ムーランルージュを購入。通りすがりにおいてあるDVDをみたらオードリーヘップバーンものが幾つか並んでいました。私はオードリーもとても好きな女優さんです。ほとんどの映画を見ていると思います。丁度「オシャレ泥棒」があったので、オードリーの中ではこの映画は二番手、三番手として選ばれる映画だろうなあ。でもおもしろかったなあ。。などと思いながらpon1に「おしゃれ泥棒があるよ」と声をかけました。2500円です。「2500円だったらこれ以上下がらないかもしれないなあ」とpon1。
とたんに欲しくなってしまって、「やっぱりコレも買う!。」

久々にDVDを購入して、家に帰って購入したものをリストにつけました。(記憶にたよれなくなってきて同じものを何枚も買ってしまうことがあるので)。

ところが。。。
あるんですよ。「おしゃれ泥棒」が。。 マズーイ(--;)またやってしまった。
リストを見たpon1が「今何本あるの?」と聞いたので 「120本超えた〜(実は子供のものが入ってないのでもっとあるはず)」と何気なさを装って言うと「買いすぎ!」と釘を刺されたので、言い出せない。。

ココロの中で、「しょうがない。明日交換しに行こう」と思った矢先でした。

つまり、雨の中でかけなければいけなかった場所は 実は交換のための電気店だったのです。
 pon1さん。ごめんなさい。<この場であやまっちゃう。

■電気店での出来事

電気店へ持って行き、交換して欲しいとお願いしたら、快くokしてくださった店員さん。さて、同じ値段のものを物色します。
 とりあえず、見てなかった映画を発見して、それにしようと決めたところで、ずっと見たかった映画のDVDを発見してしまいました。
 
 アカデミー賞関連を受賞したものや、人気の女優さん・俳優さんものは、きっともう少し安くなるかもしれないから今は我慢。でも、受賞してないものは廃れていってしまうかもしれないなあなんて思いながら迷いに迷って結局 それも購入しよう!と決心。(再びごめんなさい>PON1)

レジに持っていきました。

レジのお兄さんは、「先日のレシートを一旦取り消して、新しく打ち直して良いですか?」といわれたので 「いいですよ」と。

まず昨日のレシートを取り消しました。
そうして昨日買った 1480円パックと交換したDVDを打ち込んで新しいDVDを打ち込んで
「あれ?あれ?」といいながら電卓を叩いているのでなんだかとても不安になるpon2。

暗算が得意だったら良いのですが、私は数字は苦手。「これで間違っていてもすぐには指摘できないかもしれない」とびびりながらも、「いや、私が払うのは今日購入したDVD1本分だから大丈夫」と待っていました。

ところが、お兄さん。焦った挙句に、「あの〜。昨日購入されたお金を一旦お返ししてその中から全部のお金を頂くことにしても良いですか?」なんて言われちゃって、私の頭もごちゃごちゃに。

 そこで、「あの〜。昨日の分を1枚のレシートに印刷して、今日の分を別に会計していただいても良いのですが。。」と言って見ました。
顔を輝かせて「そのほうがわかりやすいですね!」とお兄さん。
「そうだよ。そうだよ。そうしたら 今日の分だけ払えばイイジャン」とココロの中で私。

ところが。。。お兄さんが1枚のレシートに出したのは 1480円の2枚組みDVD。
昨日のレシートからその金額を電卓で引いて 残りを私に現金で返してくれました。(そうじゃなくって〜 (TT) )

私が店員だったら、きっと同じように焦ったとおもうけれども、お兄さん。落ち着いてください(TT)。。。。。っていう出来事でした。
結局計算が苦手な私はちゃんと検算できなかったので、お兄さんの電卓が合っていることを祈ってます。(ちがっていてもさほどではないと思うけれども。。。)
 
 私がやって欲しかったのは 1480円のDVDと今日交換した同じ金額のDVDを1枚に打って、追加のものを別にして追加のだけを払いたかったのに〜。(TT)


おこらんでもええやんか〜 2004,3,18
■一段落

一生懸命になっていたモノ。できました。ばんざ〜い。

「なんだ。なんだ。何に一生懸命になっていたんだ?と思われる方、このページの上の方にあるリンクから園丁を押してみてください」

そう。これをやっていたのでした。ふ〜う。
さて、これで気にかかっていたことが全部終わったし、今度はまた主婦業全開だ〜。
がんばろ〜。

■怒らんでもええやんかあ

最近ちらっと通りすがったところなどに アクセス解析つけてる人についていろいろ書いてあるページが多かったのです。

 その中で特に「すっげー感じわる〜!」と怒っている人が多いのに驚きました。
いや、皆さんご存知のように、このページにもアクセス解析ついてますし、私のページのほかのページにもところどころついているところがあります。

 怒っている人の大体の意見は「そんな荒し対策無駄ダワっつ!」ということが多いようなのですが、いいじゃないですか〜と私はおもうわけです。

うちのアクセス解析で一番利用するのは 検索キーワードとどういうルートでいらした方が多いかなどを利用することが多いです。
 細かい話は割愛しますが、ホームページの作り方や改造の仕方の参考にしています。

たとえば、リンクを貼ってみたり、無意味なリンクをはずしたりするためのデータ取りができるのです。つまり、人に自分の意図したことが伝わるか ということですよね。ページ作りのヒントがこれで取れるわけです。

勿論見る人の利用環境によってログが取れない場合もありますし、そういうものは統計外になってしまいますが、大体の人の流れを把握することによって次にどういう改造をしようかというヒントが沢山出てくるわけです。
 
 今回上に書いた園丁は Movabletypeという人気のBlogソフトを入れてみました。
私としては画面構成は分かりやすいと思って作るわけですが、これが使う人が迷う場合もあるわけです。

 最近はblogページも多く見かけます。特に私はスクリプトの情報やスキンの情報がほしくて訪問することが多いのですが、そういう情報盛りだくさんのページで、このblog形式のページだった場合、どこにどうやればほしい情報が書いてあるのか分からないということがよくあります。
 そうしてすごすごと門前払いをうけたように帰っていきます。

使い慣れた人には使いやすいものでも、使い慣れない人にはわからない場合もある。
そういうことを知るすべとして アクセス解析を使うということもあります。

なんて書きましたが、最近はつけていてもほとんど見ていない解析も多いです。
 そんなことで目くじらたてるくらいだったら、アクセスカウンターのほうがもっともっと意味がないようにも思えてくるんですがどうなんでしょうねえ。
勿論意味のないことですが、私のページのあちこちにアクセスカウンターがあります。

 トップページに「当ページはアクセス解析がついたページがございますご了承ください」と書いたとしても、検索で直接各ページにヒットするかもしれないし。。そういうひそかに怒っている方のページを見ながら、「いいじゃないですか。アクセス解析ついているのが嫌だったらあなたが行かなければいいんです。」なんて思ってしまいました。

 あなたが悪いことをする気でなければ そんなの気にしなければいいんですよ。と思ったのでした。

とりあえず 2004,3,17
最近ちょっとはまっていることがあって、ロバミミ停滞ギミ。
おまけに何をやってもそっちに頭がいっていてココロここにあらず。

昨日なんて、帰宅したpon1に お風呂をすすめたとこころ、風呂場の中からpon1の叫び声が!
なんだ? と行ってみると湯が10センチくらいしかたまってない。
「今入り始めたところみたいだよ。タイマーついてたんだろうか」というpon1 とりあえず入るというので「ごめんなさい」とタイマーセットした覚えのない私は「?」と思いながらも台所方面へ。
 大王も入ると言い出したので、もうたまった頃だろうと風呂へ行かせたのだが、そこで「ママー」と呼ぶ声が。

なんと、私、風呂の栓をきちんとしてなかったようで。。(--;) つまり、ず〜っとず〜っと風呂のお湯が抜けていたわけです。それでたまらなかったという。。

大失敗なり。

今日か明日には 真人間に戻ります。きっと。。。

という次第で、落ち着いていろいろ書きたいのですが、ちょっとこみいった思考ができなくなっているので、(つまり頭の調子が悪い(^^;)頭の復帰をまって書きたいと思います。 こんなときもあるさ〜。

■ぼらんてぃあ

先日、うちにも来ました。「布巾買ってください」って。布巾1枚3000円でした。
布巾はちょっといらないからというと、ほかにもありますよといって見せてくれたのは
森英恵のハンカチでした。
全国的に流行ってるんですねえ。その後数日のうちに3回もボランティアの訪問について目にしました。

実は私、街頭や、訪問でのボランティアあまり信用していません。中にはきちんと募金が届く組織もあると思いますが、ひどいところでは暴力団の資金源になったりする場合もあるそうです。

 普通に考えてみると、ボランティアさんが一日布巾を持って回って何枚売れるか分からないけれども、時給780円でバイトしてそれをボランティア団体に寄付したほうが割がよさそうに思うのです。なのに、なぜ? 布巾をうってあるくのでしょう。(1枚売れたら3000円っていうのは大きいですけれども、そんなに売れるのかな?)

うちは、
国境なき医師団と
http://www.msf.or.jp/index.php
ユニセフ
http://www.unicef.or.jp/
に寄付してます。

ユニセフは、大抵領収書と一緒に次の振込み用紙が送られてきます郵便料金節約かな?(^^;)
有名人の親善大使の旅費になるんじゃないでしょうねえ〜。(そういうのに使って欲しくないなあ)。

不景気になると、一攫千金ビジネスやら、募金活動が盛んになるようにも感じます。

画像はクロッカスブルーパール

希望の発信 2004,3,15
大王の卒園式・謝恩会が終わりました。
保育園でよかったなあとつくづく思いました。

 子供たちは胸にコサージュをつけてもらったのです。このコサージュ。先生の心のこもった手作りだったそうで、びっくりしました。担任の先生が布を買いに行ってくださって、手芸が好きな先生がひとつひとつ心を込めて作ってくださったそうなのです。

 卒園アルバムも。一人一人の写真がのった手作りのもので、体裁が綺麗でも 買ったものだとほとんど見向きもしないのが子供なのですが、大王は何度も何度もアルバムのページをひらいて同じクラスの友達の写真を見たり、書いてある絵をみたり、文章を読んだりしていました。
 私は字が汚いので、手書きの文字を人に見せるのはあまり好きではないのです。でも、こうやって皆の文字をならべてみると、手書きのほうがずっと良い。味が出ていると思いました。(小学校のときに書道5段だったと言ったら、昨日pon1が「ええええええ”っつ」と驚いていました。私も驚かれて当然だと思うくらい悪筆です。)

 あのとき、印刷して持っていこうかと思ったのですが、手書きにしてよかった。
最後のページは空白になっています。このページには、子供の誕生日に書いた親からの手紙を保育園に提出したものを貼るようになっているとか。
 本当にすばらしいアルバムでした。

一年下の子供たちから、プレゼントもありました。一人一人の顔を書いてくれたものを、縮小コピーでつなげてらいおん組のカレンダーにしてくださいました。これも大王は嬉しそうにひらいて「○ちゃんは似ている」とか「○ちゃんは似ていない」とかじっくりと見ていました。

この6年間すべての面で 人の温かみを肌で感じることのできる生活を送ることができたことを嬉しく思っています。この経験はきっと 大王の人生にプラスの経験となったことだろうと信じています。

■believe

卒園式で園の先生方が歌ってくださった歌は、心に染み入る歌でした。私は知らない歌だったので、帰宅してからネットで検索しました。

杉本竜一さんの believe という歌でした。
JASRAC無信託だそうで、<ということは歌詞のせていいのかな?いまひとつちゃんと理解してないのですが、

http://utagoekissa.web.infoseek.co.jp/believe.html
こちらに歌詞とメロディがあります。

http://utagoekissa.web.infoseek.co.jp/
トップページはこちら。

■希望の発信

使い古された言葉だけど、「犬が人をかんでもニュースにならないけれど、人が犬をかむとニュースになる」。
世の中にはニュースにならない小さなしあわせや、ほのぼのとした出来事も、希望もたくさんあるはずなのに。
 ニュースになるのは「ニュース性」のある 不満や、悲劇や、怒り、不幸 が多いように思います。

でも、毎日そういうものだけを聞かされていると、世の中が悪意や不満や悲劇や怒りや、悲しみや不幸で満ち満ちていて、希望がないように錯覚してしまいそうになる。誰もが他人を信じられなくて疑心暗鬼になってしまう。

 ニュース性がなくても、新奇性がなくても、普通のほのぼのとした幸せや喜びや希望を人の目に触れるところに掲げることこそ、本当は必要なのではないかと思えてきました。

 悪意に満ちた心、人を憎む心だらけではなくて、人を愛する心、幸せをはぐくむ心、希望に満ちた心。
読むひとからするとウンザリかもしれない。でも、沢山のそういう心もあるということ、希望や幸せの存在表明も必要だと思うのです。それが皆の未来への希望につながるのではないかと思うのでした。

 希望を持つことは、無駄ではない。たとえば、世の中の最後のたった一人になったとしても 世界中に一人も希望を持つ人がいない世界と、一人だけでも希望を持ち続ける人がいる世界では 未来が違ってくると思うのです。

虚をつく 2004,3,13
先日、pon1からのカエルコールが予想よりも早くて、料理などにとても焦っているときに、ピンポーンと来客。
新聞の勧誘でした。本当に急いでいたので、「すみません、今忙しいので後からお願いできないでしょうか」とインターホンで言ったところ、相手に「でも、ボクは今の方がいいんですけど」といわれてしまいました。

先日からpon1に半年契約更新しても良いと言われていたことが頭にあって、「いそがしいんだけどなあ。しょうがないなあ」なんて思いながら、契約更新手続きをしました。

が!。
後から落ち着いてみると、なんで客が「今忙しいから後にして」って言っているのに、「でもボクは今の方がいいんですけど」なんていう言葉を受け入れてしまったのか。。。。店の立場と客の立場、逆じゃないですかあ。
なんで、私が新聞勧誘のお兄ちゃんの我侭にあわせてあげなければいけなかったのか。。。不覚なり。

こういう「当然のごとく」ってなんか弱いんですよね。
たとえば、本当に忙しいのではなくて、新聞を断ろうとして「あとで」と言ったとしたら、こんなことで契約更新は絶対しないとおもうのです。
 頭の中には「契約更新をしない」という固い意志があるわけですから。

でも、今回のように本当に忙しいのに、虚をつかれてしまうと「はいはい。わかりましたよぉ〜。少しのことだから私が我慢しますよぉ。」とやってしまってから、「って、なんで私がこんなことするんですか〜ぁ」ということってわりとあるような気がする。。。

■医者

以前、足の怪我かなにかで医者に行ったのに、医者に当然のごとく「はい、じゃあ上着を脱いでください」といわれて 少し不審に思いながらも脱いでしまった人というのをどこかで読んだ記憶があります。
 結局はお医者さんが勘違いをしていたわけで、その人は脱ぐ必要が無かったと書いてあったと思います。

新聞の勧誘員さんも、「そういわずにお願いします」とか言うのだったら、私も「すみません。本当に忙しいので」と断ったと思うのですが、たぶん、客である私が「今忙しいから後にして」と言っているのに 頼む側の相手が自分の都合を言ってくるなんて私には多分考えも及ばない出来事であったから パニックになった私の脳が私にはありえない行動させてしまったんだろうなあ。

この当然のごとく、何の気なしに虚をつかれてしまうと、なんだかその技がかかった人は くにゃくにゃとわけのわからないまま催眠術にでもかかったようにそれをやってしまうことってほかにもありそうですね。
 私など、ここ数年大王の下仕えとしてやってきたわけだからして、自分が多少嫌でも 相手側が融通が利かなかったら、「しょうがないなあ」と多少我慢してもやるということが癖となっていて、いつのまにか 延髄反射みたいに、頭で考える前に行動決定されているんじゃないでしょうか。

 私と同じような人がもし何人もいらっしゃるようだったら、勧誘員の彼は結構あの受け答えで沢山の契約をゲットしているのではないか?と思ったりしました。


■後悔

 先日「よくものを考えずに行動してしまい、後から後悔することがよくあります。そういう経験のある人、どういうことに気をつけていますか?」という問いがありました。
私はそれを読んだときに「ものを考えずに行動する」って私にはありえないと思ったのです。
 右に行こうが左にいこうが構わないことはあまり考えずにやるけれども、大切なことは 石橋を叩いて叩いて叩いたうえでよく考えて決めることがほとんどなので、たとえ失敗したとしても「あのときもっと考えていれば」と後から後悔することは日ごろまずありません。失敗したら「ああ、そうか。あのとき考えたことが間違いだったのだなあ」と反省することはあります。

 でも、ふと思ったのですが、私が後悔したことがないと思うのは持ち前の能天気な性格のせいかもしれなくて、
 もしかしたら、もっといろいろ考える人は、相手の言葉に流されて6ヶ月の契約をしたあとで「もっと考えればよかった」なんて思うのかもしれないなあ〜。なんて思ったのでした。

■技

そういえば、以前受けた講習会で 2人一組となって意識して全くかみ合わない話をするというワークショップがありました。これはたしかこのロバミミにも書いたような記憶がありますが。

 たとえば「今日は良い天気ですね」ときても「私の甥はひとりっこなんですよ」ときて「昨日のごはんは何をたべましたか?」「テレビを見るのもおっくうなんです」 と続けるわけです。

これがものすごく難しい。相手の話を聞いていないとどうにかなるんですが、相手の言ったことをちゃんと聞きながら話していると、いつのまにか相手に相槌や返事や似通ったことを言ってしまうのです。

 私の陥った状況はコレに似たものだったかもしれません。 私が言うことについて私は無意識のうちに相手の言葉を予測していて、「では後来ます」というに決まっていると思っていたのだと思います。
それを見事に裏切ってまったく自分の中ではまったくかみ合わない「でもボクは今のほうがいいんですけど」といわれてしまったことへの対応ができなくて相手の言葉に返事をしてしまったというか。。。
 この辺。政治の世界に応用している人。多そうだなあ。

 意識してこういう会話ができるようになったら、無敵だなあと思いますが、相手とかみ合わない話題を続けるのが苦手な私にはもっとも習得困難な技となりそうです。

百円均一 2004,3,12
世には、冷静な方も沢山いらっしゃると思うのですが、どうもpon2はいけません。
百円ショップなどに行ってしまうと、だんだんと「え?こんなものも100円?」と思い始めたが最後、ついついいらないものまで買い込んでしまいそうになるのです。

先日も、謝恩会の予算不足で子供たちへのプレゼントを100円ショップに買いに行った際、湯のみや茶碗も100円とはおもえないようなものがあり、危うく買いそうになりました。
 切子のグラスなどもありますが、こちらはさすがに作りの荒さが目だったので買いたい気持ちを抑えるのは簡単だったのです。しかし、湯のみや茶碗は「100円にしては結構いいじゃない?」と思うようなものだっただけに かなり最後まで悩んでしまったのです。
 最後の最後に時間がなくなったことと、どこかにいきそうになっていた理性をどうにか呼び戻して買わずに済んだのでした。

 今、うちには湯のみはそれこそ捨てるほどありますし、茶碗も使っていないものがあるような状態ですから 買ったらまたもや後悔してしまうところでした。危ない危ない。

商品を見たときにまず、「いるか、いらないか」という目で見られる人はこの魔力にとりつかれることはないのでしょうが、「この商品に見合った価格か」と考え勝ちで、そちらの気持ちのほうが いるか要らないかよりも勝る場合はつい買ってしまいそうに思います。 買った後から「ああ、これってうちには不要だったのに。。。」となることもあるかもしれません。

 たとえば、茶碗や湯のみにしても、「私は一流のものしかつかいません」という人が百円均一に行ったとしてもほしい物はないかもしれません。

■激安ショップ

 同じように近所には花やがあるのです。ここはいつも投売り価格です。花屋や通販の花の価格を知っているものにはウソのような値段で花が売られています。

切花は店でのメンテナンスが花の寿命にも関わってくることも多いので、ここで購入して失敗することもあるのですが、鉢花に関してはほとんど問題なし。
 大きなクリスマスローズ(オリエンタリス)の7号鉢が500円だったり クレマチスの名札つきの18センチ鉢開花株も500円だったりします。 ゼラニウム類などは200円くらいからあり、ポット苗などは ケース売りです。

 そういう花を見てしまうとまずいんです。

たとえば、クレマチス。知らないうちに10種類くらい集まっていました。これ以上増やせない。。けれども、この店の前を通ると、立派なクレマチスが 500円で売られているわけです。「ああ、こんなに立派なクレマチスは お店で買うとどんなに安くても1500円以上はするなあ」なんて思ってしまうと クラクラと 「買おうかなあ」と思ってしまう。
 クレマチスも、とても品種が沢山ある花なので、狭いベランダに置くのであれば吟味して、本当に自分の好きな品種を置きたい と思うのですが、それでもこの調子です。

この日は、どうにか買わずに済みました。

 ちょっといいなと思うと買ってしまう、ちょっと安いなと思うと買ってしまう。この癖をどうにかしないとモノ溢れの家からの脱却は難しいと肝に銘ずることにしましょう。 

■話はかわって

 先日拝見した日記の中に、セールスの人に「おかあさん」と呼ばれたと書いてありました。 私は、つい最近の経験を思い出しました。

 大王を送って家に戻る時、オートロックの前に若い女性が立ってインターホンを使おうとしていました。私が入ろうとすると、「すみません」と呼び止められました。

なんだろうとふりむくと「あのー。私はボランティアでまわっているものなんですけれども、*オネエサン*のお宅でこの布巾を買ってもらえないでしょうか?」
 彼女は20台前後なのですが、私はもう「奥さん」と呼ばれることに慣れてしまった今日この頃、何度も何度も*オネエサン*と呼ばれることにものすごく違和感を感じてしまったのでした。オバサンをつかまえて 「オネエサン」と呼ぶのはどういう人たちなんだろうなあ。と思いながら。

「みのもんた」は「お嬢さん」でしたね。(^^;)

そういえば、宣伝販売で、(マネキンといったりします。スーパーで試食販売する人たちです)「奥さん」と呼ぶのは 奥さんでない独身の人に違和感を感じさせるそうで、もちろん「おかあさん」と呼ぶのも同じこと。だからそこで「おねえさん」という呼び方になったと聞いたような記憶も...。私は昔マネキンのバイトをしたことがあるので、それでそういう話を聞いたような気がします。(記憶のすり替えをしているかもしれませんが)

 相手が男の人だったらどうするんだろう。
「オジサン」と呼ぶわけにもいかないし、「お父さん」もヘンだし、やっぱり「オニイサン」なのかしら。

かといって「そこのひと」とか「あなた」とか呼べないだろうし。スーパーの場合は「お客さん」という究極の呼び方がありますが、訪問販売で「お客様」と突然言われるのも違和感があるなあ。

 もう、友達には何度も話した話ですが、大学受験の頃、家で受験勉強をしているところに ピンポーンと来客があったので、私が出ました。
「はい」と出ると、
「こんにちは。○○の音楽教室です。上のお子様はもう6歳くらいですか?」と相手。
面食らった私は、
「私が長女です」というと、相手の人は はっとした顔をして、真っ赤になってしどろもどろに帰っていきました。

 いえね。ただ、私が老けていたということですけれども。。

やはり野におけ 2004,3,11
大王は、今週末に卒園式。だけど、アレルギー全開。風の強い日は目がぼっこり腫れるし、洟もじゅるじゅる。
 そのうちに、風邪ももらってきたらしく、洟はかたまってきている。
今日はすごい風。「こんな日に外に出たら、また悪化してしまう」と、休ませて病院へ連れて行った。

■モクレン

風は昼過ぎも強くてやまない。少しましになってきたかもしれないとおもうところで 出かけた。気温は高い。コートがいらないくらい。

 この数日で、モクレンが一斉に咲いてとても綺麗。毎年この時期はうっとりとモクレンの咲いた空を見上げる。
 黒い幹に葉っぱがなく、たくさんのぼんぼりのようにオフホワイトの大きな花が 空に向かって一斉に咲く。あの花弁のやわらかそうな厚みといい、ふんわりと弧をえがく花のアウトラインといい、それと対照的にゴツゴツとした枝といい、本当に美しいと思う。

 モクレンがほしくてほしくてたまらない頃があった。あのふんわりとした花を自分の手元で咲かせたい。

 ベランダという狭くて過酷な環境にどんどんと花を詰め込んであつめられるだけ植物を集めてきた。その種類はたしか5年前数えた時にすでに2百をゆうに超えていた。育てられないだろうとおもうような木も「どうにかうちでも育たないか」と鉢植えにしてきた。

でも、昨日と今日、綺麗に咲いたもくれんを見上げながら 「間違っていたな」と思う。 モクレンは大きくて空をバックに見上げる花だからこんなに綺麗なんだ。
ベランダでたとえ咲いたとしても、この気品は失われてしまう。 
 堂々としていて、でも目立たず控えめで、どこかにやさしさがあり、そうして強くよくみるとごつごつとたくましい。
 ベランダで育てると これほどまでに綺麗でないかもしれない。
ベランダで育てると、花のあらばかり目立ってそんなに好きでなくなってしまうかもしれない。

身の丈の園芸をずっと忘れてきた。我侭な園芸をしてきたと思う。
手にとらで やはり野におけ れんげそう。

■れんげそう

もうあまりみかけなくなったが、田んぼの一面の蓮華草。あれは自然に生えたものではなく、種をまいて植えているのだそうだ。レンゲソウはマメ科の植物。マメ科の植物は根粒バクテリアと共生して窒素分を土に固定するので、肥料?を作る目的で植えられるとのこと。

 だから、田んぼに植えられたレンゲのほうが確かに美しいと思われたとしても、それが本当に「野に置け」なのかどうか?ではある。

 また、野に置いたよりも、野草も、園芸の達人によって、野よりも数段風情のあるその花のよさが生かされた作り方をされるものもある。

 山採り(山盗りと言ったほうがよいかも)される山野草はもちろん問題だし、そういう行動をストップさせることはもちろん必要だけど、今「山野草」と呼ばれている植物の中には実際は栽培環境でつくられたものがほとんど?だそうだ。
 (素人には山盗りと 栽培されたものを店で区別するのは大変ですが。。)

■だけど 野に置け

 でも、今、私のやり方は間違っていたと思う。 だけど野におけだ。
 自分が育てたいばかりで、花を本当に見ていたのか?
 単に珍しい花をあつめてみたかっただけではないのか?
 人が育ててない花を育てたいばかりだったのではないか?
 本当に花を愛していたのか?  

 どれだけ沢山の種類の植物をそだてることができるか。
 大木になるような木でも手元で咲かせたい。

そういうあまのじゃくなことばかりしていた。

 これからは、ベランダでむりなく育てられる範囲に植物をしぼって行きたいと思う。
本当に好きな植物を選んで置く。そうしてその植物がいきいきと咲くようにしたい。
熱にうかされているときは、モクレンがベランダに似合わないなんて考えつきもしなくて、欲しいばかりだった。

 でも、今までが無駄だったとかバカだったとは思わない。沢山の植物に出会うことによって、自分が本当に好きな植物や、ベランダに合う植物が選べるのだと思う。
 知ること、やってみること、失敗することによって、私の中で確実になんらかの実をむすんでいるとおもうのだ。
 こうやって モクレンはベランダに似合わないと分かること自体私の進歩なのだとおもう。


 

めろめろぱ〜んち 2004,3,10
めろめろパンチとは、 アンパンマンの中のキャラクター 「メロンパンナ」ちゃんの攻撃方法です。
「メロンパンナの メロメロパーンチ」「メロメロ」という言葉でパンチを食らった相手は目がハートになり、めろめろになってしまうという恐ろしい?技です。
メロンパンナちゃん http://www.ntv.co.jp/anpanman/profile/melonpan.html

■骨董道楽

 先日も書いた白州さんの本を昨日、待ち時間に少し読んだ。骨董道楽をするような人は、さぞかし資産があったのだろうと思っていたのだが、どうやら違うようだと最初の数ページを読んで気がついた。
 どうにか金を工面して、自分の好みの骨董を買ってしまうというそういう人たちだったわけだ。
 それほどまでに、自分を削ってでもほしいとおもうほどまでに、骨董に本気でほれ込んでいたということかもしれない。

 テレビの「お宝鑑定団」でまったく値段が分からないのが 「やきもの」。想像もつかないほどの値段がつくことも多い。テレビという媒体を通しているから余計わからないというのもあるのかもしれないが、
多分目の前にあってもその価値が分からないということもありそうだといつも思いながら見ている。

 「これは好き」「これはあまり興味がない」という区別はあるけれども、それが世の価値とあっているかというとまったく関係がない状態だ。つまり目利きではない。

 さて、その骨董道楽だが、骨董品のなかで掘り出し物をみつけて、自分の物にする魅力と 女性に対する気持ちが似ているらしいという記載があったので、私はいろいろと考えをめぐらせてしまった。

===「遊鬼」 白州正子著 中の 「珍品堂主人 秦秀雄」より===
珍品堂はその時金がなかったので、無念やるかたなく「好きな女に振られたような思いで」あきらめて帰ったが、一月ほど立って、東京の骨董やで再びその古印にめぐりあう。骨董とはそうしたもので、思っていれば必ず一念は通じる。今度は「逃げようとする女を抱きとめるような思いで」金を都合し、やっと自分のものにすることができた。
======

 私だったら「逃げようとする女をだきとめる」ということはありえない。まあ、これは私が女だからなのかもしれない。でも、たぶん その理由がわからなかったりしたら、どういうことか聞こうとするとおもうけれども、「あなたより好きな人ができました」とでもいわれたら、「逃げたかったら、しょうがないね」と思うのが私なのだと思う。

同じ本の中に、小林秀雄の 「骨董」という作品の中からの抜書きがある
カッコは白州さん注
===
買つてみなくてはわからぬ、とよく骨董好きはいふが、これは勿論、美は買ふ買はぬには関係ない(展覧会へ行って解説書を読めば解る)と信じている人々に対して、骨董とは買ふものだとは仲間ではわかりきつたことなのである。なるほど器物の美しさは、買ふ買はぬと関係はあるまいが、美しい器物となれば、これを所有するとしないとでは大変な相違である。
===

 ここまで読んで、私はある人たちのことを思った。私は「常軌を逸した植物好き?」と言われるかもしれないほどのディープな植物好きな人達を知っている。彼らは、自分の好きな植物に関しての所有欲や探求欲は歯止めが利かないことも多い。 手元に置き、めでる。出会うために、海外まで旅行する。その愛情は、隣にいるものをも感化してしまうほどのエネルギーを持つ。
 すごいパワーを持つ人たちで、その人たちの隣にいるのはとても楽しい。

 彼らの植物に対する探究心はものすごいものがあり、やはりそれほどまでに好きになってしまった植物は所有したくなるのであった。 植物が骨董と違うところは、生き物であること。
 世話によっては、枯れてしまうこともあるし、どんどんと増えることもあることだ。

私はどうだろう。と考えた。
実は私は最近あまり植物に愛情がないのではないかと思う。気のなさというのは不思議なもので顕著に写真に現れる。 最近撮った写真はまったく綺麗に写らないのである。よく、カメラマンが被写体に惚れると良い写真が取れるなどと聞くがまさにそうだと思う。カメラは正直だ。

私はそういう趣味家になるほど趣味に対する愛情の集中力とか所有欲が(今は?)ないということなのではないか?と思った。


■メロメロ

 「一回メロメロ、ドロドロになってみたいですよ」と 後輩が私によく言っていた。彼女はクールで楽しい人。メロメロにもドロドロにもなったことがないということだが、私だったらほれ込むくらいの 機転が利いて頭がよく、楽しい人で友達も多い。傍からみていると、周りに何人か彼女のことが気になっている様子の男性もいたのだが、彼女は、相手を気にしていなかったようで只の男友達となっている。

 よく考えてみたら、私はメロメロドロドロ状態に弱い。 もし、自分がそういう状態におかれたら ストレスとしてとらえてしまうとおもう。
 精神力が続かないので、ドロドロになったらいちはやく「一抜けた」宣言をしてしまうのではないだろうか。
私には「メロメロ ドロドロ」を楽しむだけの度量がないということではないかと思う。

 そういう私が、なにかに執着ができるかというと、たぶん通とか粋人の域に達することはまずできるわけがない。とりあえずうわっつらをさらっと一通り見たら満足するとか、せいぜい粋人のとなりでその熱気を感じながらそれを自分の熱気のように楽しませてもらう程度というようなことなんだろうかなあと思った。
それが、ひとかどの人と私との差かもしれない。


 これは、久々に気持ちが 植物に向いていると思う写真。
うえでは興味がないとかなんとか書きながら、昨日ゲットしてしまった雪割草。
「かわいい花だなあ」と思っていた気持ちで 自分としては綺麗に写っていると思います。(ピンボケですが)

ドキドキ 2004,3,8
 今朝、大王を送ろうとしたときのこと、遅くなったからと焦りながら小児科前の横断歩道で青になるのを待っていると向かいに ふらふらあるいている50歳より上くらいの男性が立った。
 白髪まじりで、黒のトレーニングウエア上下を着ている。

 車が途切れているので「わたりたくなっちゃうねえ。でもまたないとねえ」なんて言いながら待って青になったので横断歩道を渡りかけたところで、「こら!待て」とその男性がすごむ声が聞こえた。
振り向くと横断歩道の向かいで待っていた男性は横断歩道を渡らずに、その場に立ったまま、私ではなく大王を すわったような目つきでにらみつけている。
 もちろん、大王が横断歩道をはさんでなにをしたわけでもない。青信号を待って私と話をしていただけだ。
 逃げるしかないと思ったので、大王に「こういう場合は、待てといわれても待たなくて良いから逃げなさい」と言いながら二人で走った。後ろから数回「こら!まて」と言われたけれども、相手は叫ぶだけで追いかけてこなかった。

 大王は保育園の門を入るまで一生懸命走って、私の手をぎゅっと固く握りしめていた。きっとかなり驚いたに違いない。

 小学校入学前にこういうケーススタディができたことはよかったのかもしれないが、最近は物騒なことも多いので小学生になって一人で歩くようになると考えると、やはり心配を感じてしまう。

小学生になるとひとりで行動することも多くなる。大王が今日帰ったらもう一度 どういう風に対応するかおさらいしてみよう。。
今日の人は単なる酔っ払いかもしれないが、こういう場合も逃げるしかない。
なにもしていないのに怒鳴りつけられるような状況では、被害にあう可能性も高い。

入学前のチェック
http://allabout.co.jp/children/childsite/closeup/CU20040225B/index2.htm

子供ハンドブック 
http://www.city.setagaya.tokyo.jp/topics/kodanjyo/kodomohandobook/index.html

久々のお客さん 2004,3,7
昨日は、「入学時に準備すること」といわれたものを購入しに、隣の駅まで行きました。筆箱や油粘土,粘土板、鉛筆、消しゴムなどなどです。
昔は、ランドセルを買ってもらったり、学用品を買ってもらうとウキウキしていたような記憶があるのに、大王は至ってクール。うれしくもなんともない様子。

「最近の子供は恵まれているから、こういうものを買ってもらっても喜ばないんだろうか」などと、pon1といいながら。

帰宅してからは名前付け。鉛筆にシールを貼りながら、「昔は削って名前を書いていた」とPon1。 大変だったんだなあ。今はシールでラクラクです。

買出しのために大王とpon1は午後のサッカー練習を休み、連絡をすると「夕方からコーチ会があるから」と誘われるpon1.
「どこであるの?」と聞くと 「近くの飲み屋らしい」とのこと。
飲み会になるんだったら、その間プレゼントの包装を係りのお母さんを呼んでやってしまったら? という話になり、係りのお母さん(ここのお父さんもコーチ会に出席)に電話しました。

 めでたく、我が家に子供さんをつれてきてもらうことにして、私たちは包装。ついでに夕食も一緒にしようという話にまとまったのだけど、家には6年前くらいに飲み会をやってから人を呼んでいません。 居酒屋系の料理や、マーボ豆腐(これは、料理本のもののアレンジなんだけど、めちゃくちゃおいしいので、外で食べたくない)など、大人向けの料理しかお客につくって食べさせたことがないので、子供一緒でお酒を飲まないとなるとどうするか???? おまけに、突然決まったし、集まるのは遅くても1時間後まで。

「ピザでもとる?」という相手のお母さんに、「お昼が外食だったから作ったものが食べたいなあ。カレーでも良かったらウチで作るよ」と、「カレー」というおもてなしとは程遠いメニューになりました。
まあ、「いつでも来ていいよ」という状態だったらそんなもので許してもらおうかと自分でイイワケしながら、失敗のないものを選択。
 カレーはいつものバルサミコ入り&pon家風のものを隠し味に入れます。

■わいわい

大王はずっと友達を家に呼びたかったのですが、私が働いていた頃はそういう余裕もなかったので、念願かなって大喜び。
 
 ところが、いざ、子供3人集まると何をして遊んで良いかわからない様子。
ゲームボーイを3人で覗き込んだり、個々でゲームボーイをやったり、皆で遊ぶ遊び方が分からない様子。「皆であそびなさいよぉ〜」と促す母二人。

 結局包装が終わったのが8時頃、それから夕飯を食べて「ジェンガ」なんてどう?とさそってみても乗ってこない子供たち。

そのうち「太鼓の達人」をやろうということになり、やっと大人も子供も一緒に遊べるようになり、太鼓の達人様様。
のりのりで大人も子供も「次は私」と順番ごとに叩いたり、ソファーの上で並んで画面に出てくる犬のまねをしながら子供たちが踊ったりそれをみて大笑いしたり。

後から考えてみたら、そういえば私が小さい頃は、家では「漫画を買ってはいけない」と言われていたので、友達の家に行くと沢山の漫画があり、「やった〜。パラダイス〜」とマンガばかりを読みふけりに行っていたことがあり、うちに来た友達も 母曰く「あの子はうちに来ても一緒にあそぶわけじゃなく 本棚から本ばかり出して読んでいたのよ」という子がいたのを思い出したので、昔から子供ってそういうものだったのかもしれない。

 コーチ会は大抵夜12時くらいにはなるということだったので、11時過ぎまで母達も少しお酒を飲んだり、子供と一緒に遊んで、おしゃべりして、「ここに泊まる」とかなんとか言いながらお開きに。 大王も楽しかったし、pon2も楽しかった。来てくれたお母さんも「今度はうちに来て」といいながらにこにこ帰っていきました。

 子供たちはこんなに夜遅くまで起きていたので、半分目が閉じそうになりながらもまだまだ遊び足らない様子だったなあ。

 皆が帰った後に 大王とpon2二人になると妙にし〜んとして寂しい思い。

あ〜楽しかった。

この世に一つだけの花 2004,3,6
卒園式に保護者が歌う歌。歌番組などを長い間見ていなかった私は、この歌のことも、
この歌をスマップが歌っていることも知らなかった。

 4日にこの歌の練習をしていたら、子供が一人やってきて「いちばんにならなくていいのぉ?がんばらなくていいのぉ?」などとふざけてこちらに話しかけてきた。
一番になることは大切ではない。でもいまのまま向上心がないというのはどうだろう。。と少し割り切れない思いが残った。 

今日は、家族で大王の入学準備用品を買いに行った。
昼食を外で食べたので、そのときにちらっとその話をpon1にしたけれども、実は歌詞をきちんと覚えていない。バッグの中にあった歌詞を見てみると、「自分達それぞれが違う世界に一つだけの花だから、一番になることを競うわけでなく違う花を咲かせることだけに一生懸命になれば良い」 という歌詞だった。
 大王が「いっしょうけんめいやればいいっていううただよ」と割って入ったのが正解だった。
(わたしは、食事のときに家族でこういう話題を話し合える家にしたいと思っていた。こうやって大王が割ってはいってくるということは、この調子でそういう家族になれるかな。)

■個性の評価

今日の朝日新聞神奈川版に乗っていた記事。
横浜の高校が入試時に、学力検査や 内申点ばかりを重視せず、受験生の個性を評価するために、評価基準を作成したということだ。
 マラソン大会で10位以内なら7点、学年委員長を半年務めれば2点、合唱コンクール指揮者7点 etc....

 教員が40回近く話し合った結果「点数化するには客観的な事実が必要」という結論でこのような結果になったということだ。

 マラソン大会10位以内と 合唱コンクール指揮 を比較して 点数がつけられるものなのだろうか。 学年委員長に立候補しても、きちんと役目を果たせない人もいる。
英語検定で5級以上ならば6点、英語以外の外国語検定では5点。どうしてだろう。
あそこを受けるなら、合唱コンクールで指揮者をやれなどの入試ノウハウが公開されそうだ。

個性を点数にすること自体間違ってないだろうか。
どうして「指揮者をやりました」とか 「マラソン大会で5位でした」というのでは困るのだろう。
 就職の場合は、結局は会社がほしい人材をいろいろな方面から検討して採用するわけだが、すべてが数値化されているわけではない。結局面接もするわけだから、面接結果が数値化できない限り結果は一緒ではないだろうか。

「公平さ」を求めても、基準がつけられないものを数値化して、果たしてそれが公平なのだろうか。これでは、「クレームが来たときに、AさんよりBさんがよかった理由というのをガラス張りで説明できる」という高校側の利便性を優先しているように思える。

 教師たちが、こういう考えについて疑問を持たない学校ってちょっと不安だなあとおもったりもした。

http://mytown.asahi.com/kanagawa/newslist.asp?k=13
記事はまだ掲載されていませんが、ここに3月6日分として載ると思います。

■数値化必要

 小学校の入学説明会では 学年主任の先生が用意するものについて説明してくださった。ところが、「最近のお母さんは」とか「なにを考えているのか」とか「100円均一は駄目です」というのを それぞれ30回くらい聞いたような記憶があるのだが、
 肝心のところはきちんと教えてくれない。
「最近のお母さんは何をかんがえたか、小さな下敷きを持たせますが、今は子供のノートは大きいので、書きづらいのです。ちゃんとノートにあった下敷きを持たせるようにしてください」
 といわれたのだが、ノートは学校で一括購入するから、私を含める初めて子供を小学校に上げる母は どのくらいの大きさを要求されているか分からない。
 「ノートとはどのくらいの大きさなのですか? A4ですか?」と聞くと「B5です」とのこと。B5というと普通のサイズの下敷きだった。B5以上に大きな下敷きは文房具売り場で見かけなかった。 

「最近のお母さんは何を考えているのか、体操着を入れる袋を持ってきてくださいといったら、こ〜んなに持ち手のながい袋をもってきて大きさも大きすぎるのでずるずる子供がひきずります。常識の範囲の云々」

 後から考えたのだが、そこまで言うのであれば、きちんと持ち手何センチ、袋の縦横何センチと指定するのが良いのではないだろうか。
 きっと、前の一年に、指定したときに基準があいまいだったから、お母さんたちが用途もよくわからないまま持たせたものが不都合だったわけで、その責任はどちらかというと教師側にあるように思う。

 常識常識と振りかざしても、小学校をはじめて体験するお母さんには小学校の常識はないのだ。

それに、前の一年の保護者の失敗を私たち新一年生に愚痴られても困る。
そういう指導は、その保護者にするべきで、かぎりなく八つ当たり的だなあと思ったのだった。

子供のしつけでも、その場でどうして叱るかを子供にわかるように伝えることが肝要。
保護者が失敗したら、「なぜそれでは困るのか」とその保護者にわかるように説明できないばかりか、お兄ちゃんは何を考えたか こんなことをするんだ。と弟をしかっているようなものだと思うのだが、私が間違っているのだろうか。

 叱られなかった兄は、それを正すことができないし、何もしていないのに先回りして叱られる弟はどういう意識をもつだろうか。

OL様様 2004,3,5
 大王が生まれてからずっと忙しいばかりで、会社に行くにもそんなにオシャレして行きたいと思わなかったし、
お化粧も髪も時間をかけていられないから どんどんそぎ落とす部分をそぎ落としてきたわけだ。

 今回、卒園・入学というイベントがあって、「洋服を買おう」とか「化粧品を買おう」とかそういう気で雑誌を見るとあらびっくり。いままで写真しか見てなかったのだが、字の部分をよ〜く読むと結構な金額である。

 一昨日大王を美容院に連れて行ったときはその間雑誌読み放題だったので、そちらをさくっと読ませてもらった。たしか oggi http://fa-net-web.com/oggi/ だったかな? と story http://www.kobunsha.com/top.html
をパラパラと。
 2冊見た感じでは今年のトレンドは オレンジ + サマーツイード + 切りっぱなしでフリンジのある襟や裾。という感じだった。それから 春だからか さわやかで明るい色合いのオプティカルプリントや 花柄も多くみかけた。

■婦人雑誌

 婦人雑誌の洋服の価格帯というのは ターゲットによってやはり違う。
わたしなどが 美容院の鏡の前に座ると、大抵男性スタッフの人は「おかあさん」というイメージが強いせいか、
como http://www.shufunotomo.co.jp/magazine/h02.html などの雑誌を準備してくれる。

まあ、ファッションもオフタートルのセーターに、(美容院にタートルセーターはバツバツなのですが、セーターはタートルしか最近着ないので)ジーンズなんかで出かけるので comoの雰囲気にピッタリ!
 そうでなければ オレンジページhttp://www.orangepage.net/Books/ などを持ってきてくれたりする。
主婦だから お料理に興味があるだろうということだろう。

 ところがどっこい。わたしは本当はcomoは読みたくないのである。どうしてかというと、どこのページを開けてもシャツ+ジーンズ というあまり日ごろのわたしとあまりかわりばえのしないファッションが載っていて今ひとつ参考にならない。 ときどき「ユニクロ」などが載っていて、あら、意外にオシャレじゃない?と思うことはあるけれど。
 料理本も外ではあまり見ない。覚えて帰るのが面倒くさいから というのと、雑誌によって好みでない味付けだったりするときがあったりするから。

 ふと、「わたしが美容院のスタッフで、雑誌を準備しようとしたら難しいだろうなあ」と思った。
お客様が 「ファッション」を見たいのか 「料理」を見たいのか 「生活の智恵的な記事」を見たいのかまずわからない。 それから どういうファッションが好きなのか これもわからない。 わたしのようにラフな格好で美容院に行っていてもそういうファッションより他のものが見たいと思っている人もいる。
 もっと心配なのが雑誌の年齢層。わたしは婦人画報なども、わりと興味がある人間ではあるが、自分が思っている年齢層よりも上の雑誌を渡されると「わたしってそんなに老けているかしら」と ムッとする人もいるだろう。

 こういうときに、何冊か持ってきてもらってどれか選ばせてもらえたり、「ご自分で選ばれますか?」なんて声をかけてもらえるとわたしは嬉しいなあ。(実は昨日はcomoの次には oggiという前の日に見た本を渡されたのでした) でも、これも 人によっては「まったく気がきかない。それくらい自分で適当なのみつくろってくれればいいのに」なんて思う人もいるかもしれないから、接客業というのはむつかしいなあ。なんて、美容院の鏡の前で想像したりしていたりした。

 髪のカルテと一緒に、好みの雑誌を登録できると便利なのになあ。

■価格帯

話を元に戻そう。 como と oggi story は、載っているファッションも違う代わりに値段も格段に違うのだった。
ここ数年、被服費や化粧品にあまりお金を使っていなかったわたしが、今回のように「いざ、買おうか」という目で価格まで見てしまうと、やはり「ドッキリ」するような価格ではある。
 昨日1500円も予算オーバーしたということを書いたわたしであるが、口紅一つの値段にしても せいぜい1000円〜2000円のものを選んでいて、たまにエイボンhttp://www.avon.co.jp/ かなにかで 500円の口紅を愛用しているわたしからすると、 昨日案内されて最初に進められた口紅なんて 5000円もして内心心の中では「うひゃ〜。今ってこんなに口紅高いの?」と驚いたのだった。 結果グロスになったから 2000円で済んだのだが、帰宅してどうしても 松島菜々子が気になった私は検索してびっくり。
 例の口紅は2種類使用する必要があり、二つ買うと5300円になるのだった。美容部員さんの話だと、口紅が取れにくいのでクレンジングも必要とのこと。

 こういう化粧品をボンボコと買っているのは多分OLさんたちが主流だと思う。まさに世の中OL様様だなあ。と思ったのであった。 春になったので、春の流行のスーツを買って 安いもので 50000円くらいから。バッグや靴も購入するし、多分1着ではすまないから何着か購入するのだろう。
 世間に落ちる金の大半は OLさんから落ちているのではないだろうか。

■洋服整理

朝から洋服箪笥の中を整理していた。ここ数年通販で購入して、似合わなかったり、実物を見たらあまりよくなくてさほど着ていないものも処分することに。(嫌いなものはこれから先ずっと着ないと思うので)。
結婚前に購入してその後捨てずに気に入って着ていたけれども 流行やサイズが変わってきられなくなったものも処分。それから、迷いに迷って購入した高かったものも処分。そんな風に処分しながらも、わたしも独身OLの頃は 洋服や化粧品に結構お金使っていたんだなあ。。。としばしの反省。
 
 入学・卒園用にスーツを購入したのですが、ここ数日、雑誌を見てまた迷いが生じてしまった。
オマケに外は寒いのにスーツは春物だ。どうしよう。かくなる上は本屋で立ち読みか。<ヲイヲイ。主役は大王だぜぃ。

■蛇足

数日前に見たテレビ。インタビューに答えていた中年の女性たち、一ヶ月の化粧品代が
2万とか3万とか言っていたなあ。。。(突然思い出した)

サマーツイード。フリンジって?というのでさくっと検索してみました。画像としては今ひとつの満足度なんですが、
 
いよてつ高島屋(四国風?の着こなしです)
http://www.iyotetsu-takashimaya.co.jp/fashion/index.html

大きいサイズ用の店。ページ中ほどくらいにフリンジ+サマーツイードのスーツあり
http://www.hankyu-dept.co.jp/honten/plus/plus.html
 「おつきそいスタイル」ってなんか違和感があるんだけど、普通でしたっけ。
(自分の子供を迎えに行くのを「お迎え」っていうのもこれでいいんだっけ?と分からなくなっちゃったのですが。。いいんですっけねえ。。なんか違和感。)
「お」の勉強したほうがいいかな。(^^;) それだけじゃ足りないっていう声も。

もう夕方 2004,3,4
うわあ〜。もう夕方になってしまった。大王の迎えだ。
夕方からは 卒園式で歌う歌の練習。(保護者の)。

時間はもっとあると思っていたのに、会社にいた頃は、家にいたらいろんなことが出来そうって思ったのに、この調子でいくとどうやら時間っていうのは家にいても無いものみたい。

 漫画やテレビで「三食昼寝付き怠慢主婦」のプロトタイプを刷り込みすぎじゃないかなあ。
主婦って忙しいぞ。 井戸端会議する暇もないぞ〜。

■美容院

 掃除中突然切れた風呂場の電球を買いに行くついでに、郵便局へ寄ろうと。よく考えると卒園式は来週だから髪も整えに行きたい。 思い立って美容院に予約。
 11時30分からと予約したのに、行ってみたら 4人のスタッフが暇そうにしていた。お客さんがひとりもいない。
 いままで、休日にしか来たことがなかったから平日がいつもこういう雰囲気かは知らないのだけど、うまいところなので(と、わたしは思っている。朝おきて 手櫛でちょいちょいとなでつければ形になるし、髪をあらっても洗ったままさくさく乾かすとokなのでラクなのだ。うまいところなので、から続く→)もっと混んでいても良さそうに思う。
 価格が青山並みなのがネックなのかなあ。でもイマドキ美容院ってどこでも皆変わらないようにも思うけど。一日中一人もお客が来なかったら、スタッフきついと思う〜。

 と、ヘアカラーとカットをお願いする。
 わたしの髪は異常に丈夫なので、本人は手入れが簡単で傷まないしラクラクなのだが、一つ困ることがある。パーマやヘアカラーに時間がかかるのだ。 今日もなかなか色がぬけなくて時間がかなりかかってしまった。
2時過ぎにやっと終わり、後は郵便局へ行く予定。
 ところが、美容院で見ていた雑誌で 顔のハイライトが欲しくなる。(もうすぐ卒園式や入学式だし)
わたしはここのところ、化粧水+先日の間違って買った美容液+敏感肌用乳液+敏感肌用ファンデーション(液状)だけでさくさく化粧して出かけるので、「化粧5分」の世界なのだが、一応きちんとした場に出かけるのであればメイクも少しはきちんとしたほうがよさそうだと思ったのがきっかけ。
 郵便局へ行く途中に化粧品店があったから 松島奈々子がコマーシャルをしている落ちない口紅と雑誌にのっていたハイライトを購入しようと思いなおす。

■化粧品店

 こんにちは。と入ると、どこのメーカーでもあると思っていた化粧品店はどうやら松島菜々子の口紅は置いてないらしい。(いや、菜々子ちゃんはどうでも良いのだが、落ちない&グロス風 口紅が欲しかったのだ。)
ないということなので、勧められてただのグロスにすることにする。(買うつもりで行ったときに勧められると断れないヤツ。なぜかこういうケースでは妙に気弱)。ハイライトもわたしが思っていたものよりもちょっと違うものを勧められ、どうやらわたしが欲しいのはないみたい。ショック。
 でも、どれでも似たものかと 勧められたものを購入( またもや自分でも笑えるくらい気弱)
予定していたよりも1500円高かった。(--;)

 つけていかれませんか?って言われて「いえ、結構です」といいながら はっと気がつくと「眉を整えて差し上げます」と言われ、眉を整えてもらうことに。
 (なんでだ〜。なんで言われるままになってしまうんだ〜)

 整えてもらって、憧れの 丸い眉にしてもらったので、結果オーライ。ちょっと嬉しくなって郵便局へ。
しかし、通販やドラッグストアの化粧品しかつかってなかったので、普通の化粧品店の化粧品の高価なことに驚く。まさに、浦島太郎。

■郵便局

先日薔薇酵母という薔薇の花からとった酵母をつかって作った日本酒というのをNHKでやっていて、ためしに購入したもの。郵便振替でお願いしたら、今まで見たことのない用紙が送られてきてびびる。
 縦長で青い線がはいって、振込み者名というのをカタカナで升目に埋めるタイプ。

それを持っておそるおそる窓口へ。「あの〜。これで振り込めるんでしょうか」大丈夫でした。
郵便局の通帳かカードを持っていたら70円安く振り込めるとのこと。家にはあるんだけど持ってこなかったのでそのまま払うことにする。一つ賢くなった。次からは通帳を持ってこよう。

■電気屋

 電気屋で蛍光灯で電球タイプのものにするかどうか悩む。大きさが少しだけ大きい。たしかPON1が蛍光灯タイプだと入らないって行ってたような気がするなあ。。。と。
こういうときなぜか両方を買ってしまうのがわたしの癖。

 電球と蛍光灯を購入して帰宅。

 風呂場にセットしてみると、微妙〜〜〜〜。な感じなのです。ぎりぎりっていうか。。。大丈夫だろうか。


そうして、ご飯をたべたらもうこんな時間。
さて、大王を迎えに行って その後は歌の練習だ。

写真は 薔薇の酵母で作った日本酒 ボン・ルージュ。 <なんとなく名前がいけてないと思うのはわたしだけ?

うわっつら 2004,3,3
まだまだだと思っていた卒園式。よく考えてみると来週だ。
今日は大王を散髪に連れて行ってこよう。私の髪はどうするかな。

■挫折
 昨日の「コドモ界の人」を読破して処分するの案は頓挫。
やっぱりこの本は売らなくても良いかなと思い始めたのが原因。文庫本だし、他の一冊処分したらどどんとスペースがあく本から片付けるのがよかろうと思い始めた。

 とりあえず手にとったのが白州正子 http://www.buaiso.com/hito/masako/masako.html の 「日月抄」
日月抄

この人の本を買ったのは、どういう人なのかちょっと興味を持ったから。他に、所蔵品と生花の写真集を購入して、そちらをぱらぱらと見て(その頃は生花を習っていたので)本は読もうと思って購入したままになっていたものだ。

 私は、「人」に対する興味というのがかなり旺盛なたち。(といっても、○さんの奥様▲なんですってよという興味ではない。これはまあ適当に。)
そうではなくて、その人が「どんな人なのか」と知りたいと思う気持ちが強い。

興味の対象は生まれてからこのかた色々と変わってきたけれども、(まるで「蘭に魅せられた男」蘭に魅せられた男―驚くべき...ハヤカワ文庫NF
のラロシュ?)でも、人間に対する興味というのはずっと続いている。

 うわっつらの付き合いは苦手だけれども、「この人」と私が思う人は「実(じつ)のある人」である。
「実」とはなんだ?と問われると うまくいえないが 「正直」「心」「思考」など。
ちかくなくても、言葉をかわさなくても 気持ちが通じる暖かい人たちだ。
難しいことを話すのではなく、日々の生活を話したとしても 「実(じつ)」のあるひとと話すのと「うわっつらな人」と話すのは全く違う。饒舌でなくてもたったヒトコトしか言わない人でも、「実」は「饒舌」に勝ると思う。

世の中には自分しか可愛くない、自分だけを愛している人もいるように思う。(総じて自分勝手)
不思議なことに、自分だけを愛している人は幸せそうに見えない。どんなに名声をあつめても、どんなにモノや金をもっていても、不幸せに見えるのは たぶん私のやっかみではない。
 本人が「幸せとは所有することだ」と勘違いして自分の不幸に気づいていない場合もあるようにも思う。
いつも何かに不満を感じ、いつも足りない何かを探している。(「ぼくを探しに」ぼくを探しに
のかけらではないが) 

■白州正子

 実家が樺山伯爵家だそうだ。私がこの人に興味を持ったのは「熱烈なファン」の存在を知ったから。また、女性雑誌などに生活ぶりが掲載されたり、所蔵の骨董の銘品が紹介されたりしたことから。
 「華族出身」と聞いただけで、または骨董を沢山所有しているだけで、もしくは有名な人と知り合いなだけであこがれてしまうという、「うわっつらな人」も世に多いので、果たしてどういうところで人が惹かれているのだろうかと思ったことがきっかけだった。
  
 白州さんの文章は
http://www.buaiso.com/koyu/takumi/takumi.html
ここにも出ているが、なかなか辛らつで正直で面白い。
魯山人についての評など、「へえ〜」と読みながら、正直に彼女なりに彼を見てどちらかというとけなしている評でありながらも、「天才魯山人」として紹介されるよりも、ずっと彼に興味を持ってしまう。

 まだ本を読み始めたばかりだが、彼女の評が面白いのは 「うわっつら」だけでなく、その人物を見極めようという視点から書かれているからではないかと思った。

日月抄の中から少し抜粋してみよう。
===
「求めよ。さらば与えられん」です。また「貧しきものは幸いなり」という言葉は、単に物質的、あるいは精神的な意味にも受け取れるでしょうが、今の私達の姿、ありのままのその生きかたにたとえたとて、少しもさしつかえはないものと思います。
===
考えることが悪いというのではありません、知ることが邪魔するのでもありません。知識とか博学とかいうものが、何ものかの原動力とならぬかぎり、あっても仕様のない、むしろ害になる場合が多い、といいたいのです。
===
「いかにして」「なぜ」「なんのために」、問題は手当たり次第そこら中に転がっている筈。そして追い詰め問い詰め自問自答をするうちに、必ずハタと行き当たるものがある筈です。それが、あなた、です。それがあたし、です。
===
智恵とはそんなケチなものではありません。智恵は、百科事典の中に決して発見出来る物ではありません。(略)智恵ももそのように、身からあふれて外にほとばしる光ともいうべき後光のようなものであって、それらはすべて頭脳明晰とか利口とかいうことと何の関係もないものなのです。
===
もし、本当に心(しん)から底から幸福をお望みなら、必ずそれはあなたのものになるでしょう。しかし、同時に、不幸をもしょい込むだけの覚悟がなければ、そんな望みは捨てておしまいになるがよろしい。
===
愛するということは、愛を求めることではありません。男でも友達でも自分でも仕事でも、ほんとうに心の底から愛したことがある方は胸に覚えがおありでしょう
===

■実(じつ)とうわっつら

 最近感じている違和感は、「うわっつら」に収束しているように思った。
町をあるく芸能人に似た服装の「うわっつら」な人々。これが 思想だったりするともっと分かりづらくなる。
 誰かの論に心酔して、その人の論を自論として繰り広げる人。(実際は受け売りということですね)

誰かの論に賛同してはいけないといっているのではない。 でも、それのルーツはどこだったかそれから自分なりにどう考えたかというところがすっぽりと抜けてしまって 本人も混乱しているのかまるで自分の論のように思ってしまっている人も見かける。焼きなおしたことによって得た賞賛は本当は自分のものではない。
なにより身についていない。モノを考える時の基本は ドコからドコまでが 自分の考えなのか、相手の考えなのか というところをきちんと分けて整理して考えることだと思う。

 最初は「うわっつら」な真似だったとしても、それを使いこなし、その中から自分なりの結論を導き出せればそれが その人の「実(じつ)」になると思う。つまりその人なりの「思想があるか」というところかもしれない。もしくは、どれだけ自分が心酔している人以外の足跡(そくせき)もたどって自分の中でこなれさせていくかという作業があるのではないかと思う。

 これはファッションとか、難しそうな○○論とかそういうものだけではなくて、たとえば日々の生活とか、仕事とかすべてにつながるものだと思う。

 「わたし」の考えを持たず、先人、知識人、流行を追い求め人の後をそのまま追い続ける人は、結局「わたし」を持たない、自分をおろそかにしている人ではないかと思える。
 
白州さんには、彼女なりの価値判断があり、それは生きていくことにつながっている。
 「人間を作る以外のところに人間としての仕事はない。」
この言葉は 「人間」を 「自分」に置き換えるとわかりやすいかもしれない。

 世にある芸術品を見て「真に心を動かされるひと」と 「有名な作者だから覚えておこう」と思う人の差。
それがわたしが言いたかった「実」と「うわっつら」に似ているかもしれない。
芸術品とその人の「付き合い方」を考えてみるとわかりやすい。 
 
よみかけてみると、白州さんの魅力が少し見えたような気がしてきた。この本も捨てないでとっておこうかな。。。(これじゃ本棚一掃計画が、ぜんぜん進まないじゃない!(TT))
 
http://www.buaiso.com/index.html
武相荘。近いから行ってみようかな。

「蘭に魅せられた男」も読もうとおもって読みかけの本。この表紙の花の向きがなんだか気になる今日この頃。斜めに見える部屋に入ったみたいな感じ。 
我が家の蘭も咲きました。

コドモ界の人 2004,3,2
寒いのキライなのだ。なんで今頃になってサムクナルノダ〜!と 混乱気味のPON2
調子よく進んでいた家事も、ちょっと混乱気味。

 すこしずつ調子を整えていこう。
今朝は「ハムの人ならず」「保険の人」が来た。引き落としに変更するにあたって、私の保障(独身の頃に入ったので主婦にしてはワケが分からないほど高いそうです)もみなおして他の保険にいたしませんか?とのこと。

あとでね。と、とりあえず即決は避けました。(ボケているときにはこれがキモです)

 今気づいたのですが、この ボケーとしていてやる気のないのって、もしやアレルギーの薬のせい?
その可能性が高いような気がします。まったく要らないかぶれをさせないようにしようとすると頭がボケるし、こまったもんです。

 そのボケボケ状態でちょっとハミガキ粉を買いに行ったのでした。徒歩10分程度の駅前ドラッグストアへ。
ハミガキ粉と特売の品を物色して、レジの前に先日から気になった化粧水があったのです。
1400円という赤い文字が見えて、モイスチュア スキン リペア
http://www.erich.jp/product_info.php/cPath/26_33/products_id/1159

このリペアという響きが気になったんですね。肌荒れ・あれ症に効果的とか
つい お会計の最中に 「これもお願いします」っていうと 
「はい。」とレジに出た金額が 5000円! くぅ〜〜〜。こんな高い化粧水。ここ数年使ってないです。
内心 目の玉飛び出しそうでしたが、やっぱやめますって言えなかった〜。

ネット検索したら4000じゃありませんか。しょぼーん。後悔つのります。ま、ボーっとしていたからこんなことになっちゃったのね。。 ネット検索したら、評判はよさそうなのでま、気を取り直して。


■お片づけ

 家にあるものの中で一番多いもの。それは大王のおもちゃ。その次が多分「本」どんどこどんどこ溜まる本。
大王のおもちゃは、本人の了承なしに(壊れたりしているものをしらばっくれて処分することはあっても)捨てることはできないのだった。壊れてても「あれ、どこにいったのかなあ」なんて探しちゃうし。 自分が工作して作った一見紙くずに見えるものでさえ、彼には宝物なのです。
 それをできるだけ尊重する母。いまどき日々作った工作物をこれだけお取置きしてある家はないんじゃないかとおもったりもする。
 
 きっと、いつかこの物に対する執着が断ち切れる時が来ると思うからと、自分に言い聞かせながらとっておくのだが、「どう見てもいらないでしょ」っていうようなおもちゃでも 「わあ、なつかしい。あっくんこのおもちゃすきだったんだよねえ」なんて、大人びた言葉でしゃべったりして、一向に「こんなの要らない」なんていわないんだなあ。

 やっぱり親が断ち切るべきか。それとも我が家に入るうちはやっぱりまだとっておくべきか。
 今は ボケの時期なので、即決は避けよう。

 さて、次に多いと思われるのが本。パソコン部屋の本は先日山のように処分した。でも、まだまだ多い。
読んでない本。読めない本。面白くない本を ばっさばっさと捨てよう! と思い立ったのだ。
 私の頭のなかには 気持ちよいくらいすっかすかになった本棚の図が浮かんでいる。

 まず、読んでない本を読む!読めない本は捨てる! だあ〜〜〜〜。と

 読めない本。その1「ちいさなちいさな王様」
 ちいさなちいさな王様
 表紙のぽつねんとした小さな王様の絵が気になって、購入したもの。だけど入り込めないから ブックオフ行きにすることに。 アマゾンで検索したら五つ☆? 後悔するだろうか。売ったら?

 読めない本。その2「世界の重大小説」世界の十大小説 (下)岩波文庫
これは下巻ですが、あと10年先に読むか読まないかだなあと思い。ブックオフへ持っていくことに。

てなことをしていたわけです。
でも、このやり方は効率が悪いことが発覚。また作戦変更だな。

■コドモ界の人

その作業の中で、読んだことあると思うけど捨てちゃおうかな〜ともう一度読み返しているのが
コドモ界の人朝日文庫

 大王を育てていて、一番参ったのは、まだ夜と昼がきちんと分かれてない頃。夜中に何回か起される生活が一番辛かったと思う。 ミルクの時間を計っては、自らの生活リズムを自分で壊す日々。ミルクの回数が減って 朝昼分かれて来る日を指折り数えて待ったような気がする。でも、それは「赤ちゃんとはそういう生き物」なので「大王が」というよりも「赤ちゃん一般が」というものだと思える。

 それ以外であまりストレスを感じた覚えがない。
それは、赤ちゃんは赤ちゃんなりの表現で こちらに何かを訴えかけていて、それを一つ一つ解明できてきたからだとおもう。
 たとえば、大王は、暑がりで夜中暑いと泣きまくった。 大人と子供の暑さの感覚は違うので、それが分かるまでは「なんで泣くんだろう」という試行錯誤。分かったとたんに 嘘のようにおとなしく健やかに寝る大王。
 なんのことはない、そのときのヒントは寝汗だった。泣く時は額までいつも汗だくだったから。
 そうやって、一つ一つ解明していくと、だんだんとこの生き物がしゃべれなくてもちゃんと感情を持った生き物だと実感がわく。 彼の表情や彼の行動パターンで彼の好悪や快不快がわかるようになるとしめたもの。

 そんな風に大王に対してそんなに「タイヘン」と思うことが無かったと思う。
おもえば、赤ちゃんに対する時、いつも「彼がどう考えているのか」を考えてそれに対して1対1の人間としてやってきたように思うのだった。

 昨日の出来事。
なかなかおふろに入りそうもない大王を置いて、先におふろに入ることに。はいってゆったりしていると、脱衣場でがさごそ音がして、大王が入ってきた「ぱぱにないしょではいってきちゃった。 ぱぱにままとはいるっていうといろいろうるさいからね」だって。
まったくナマイキなことを言うようになったもんだ。私は、少しうれしくて、そうしてくすっと笑ってしまった。今、私は人生で大きな決断をして家にいるわけだけど、こういうすごく良い思いを沢山子供にさせてもらっている。幸せだなと思う。この時期、大王と一緒に過ごせるこの決断は自分にとってベストだったと思う。
 
世の中、虐待したり、子供のことが分からないという親がマスコミでも沢山目に付く。
とはいっても、親というのは子供を育てていることが普通だから、普通でない人が目に付くということで全体からするとその数はごく少数なのだろうと思う。

 子供がなつかない。子供のことがわからない。というのは、自分が子供の目線で子供を見ていないんじゃないかと思ったりする。子供の言葉だけでなく、子供のしぐさ、子供の顔 いろいろなところでいろいろな自己表現をしている。 言葉をもたないペットとだって、意思の疎通ができるのが人間だ。
もしかすると、何かの枠に当てはめて相手を見ているのは 自分の方かもしれない。
こんなにいろいろしてやっているのに。と親が思っても、子供から見ると本当に欲しているものがあたえられていないのかもしれない。それは大人の目からみるとたいしたことないのかもしれないが、子供本人からすると何よりも大切なものかもしれないと思うのだった。

 母が良く言っていた話を思い出した。
母は私を産んだ時にその頃評価が高かった育児書を首っ引きで読んだそうだ。子供を抱くときにヒジまで殺菌石鹸で洗ったりということを大真面目にしていたそう。
 それを見た祖父が「おまえ、子供をどこで育てる気だ?」といったそう。
子供はこれから雑菌の沢山いる世の中で育っていくものだ。これからずっとそんなことをするのが本当に子供のためになるかどうか考えてみろということだったらしい。

 私のことをほかの人と十把ひとからげで表現できないとおなじように、子供もひとりひとり別個の人格を持っていると思う。 もちろん育児書には子育てのヒントが沢山詰まっているけれども、それがすべてでなくて 自分の子供なりのパターンを見つけて 人間対人間の心のふれあいを意識して付き合っていくことが重要だよなあと改めて思った。

 まあ、大王はすっかりとそういう心配の少ない年頃になってきたけれども。
   
子供が何をしたいのか、どう思っているのか そういうことを一つ一つ解明していく楽しさも子育ての醍醐味。
もっと気楽に子供を観察するつもりでやっても良いのじゃないかなあと、あらためて思ったのだった。

あ、本の内容からはすっかり離れてますね。この本、育児の楽しさが伝わってくる楽しい本です。
石坂さんのほんわかと楽しい肩肘張らない育児に ココロなごむこと請け合い。
 育児って楽しいもんなんだなあ。自然体でいいんだなあ。ときっと思えるでしょう。

2歳から4歳までの子供を持つお母さんに特にオススメですが、子供さんが大きくなられた方も、独身の方でも楽しめる内容の本だと思います。

1寒5温 2004,3,1
 ここのところずっと暖かくて、「もう春だねえ」と思っていたら、今日は突如として寒いです。
霙まじりの雨が降っていて久々にエアコンを入れてみました。(ここのところエアコンなしでも充分だったのです)。明日は暖かくなるのかしら。
 
 今日はダラダラと。

■小学校に入ったら

 昨日は、お別れ会の記念品を買いに行きました。一緒に行ったお母さんは上に息子さんがいらっしゃる。小学校生活の先輩なので、いろいろな面で心強いです。私がときどき ボケーとしていることを知っているので、時々チェックをいれてくれたりします。
 私は、いつもボケーとしているわけではなく、たまにシャキッとしている時もあるので、「pon2さんってどういう人なの?」と先日聞かれてしまいました。
 とりあえず 「オンとオフがある」といいましたが、こういうタイプの人間て珍しいのかな?(^^;)

 ちなみに、ここのところオフっぽいです。私。

小学校に入ったらという話をしていて、そのお母さんが 母「今でも会社でいろいろあって面倒なのに、これ以上面倒なことにかかわりたくないから あまり関わらないようにしている」と友達にしゃべったそうです。
すると友達が「学校での面倒は 会社の面倒をはるかに上回っているので そっちがあったら会社の面倒なんて忘れられるよ〜」なんて言われたとか。

 私「そんなのヤダ〜〜〜。(^^)」と言ったら 母「そうでしょ。だってこの辺(といいながら頬を触って)が痛いのを忘れるためにわざと足を折ったっていうのと一緒だよねえ〜(^^)」 なんて言うので 吹き出してしまった。
 ホント!

■さよならが言えなくて

 例のごとく話も文体も変わるけれど。
 「さよならが言えなくて」というのは、先日書いた室井さんの本の中のタイトルだ。
 漫画家kさんが引越し好きだということで、kさん曰く「略ーオヤジの転勤で子供のころからあちこち転校していたから、慣れっこというか、一箇所でじっくりーっていうのがどうも苦手でね」という話。

 室井さんは 育った環境がおとなになってからの住まいのあり方に影響を及ぼすのかぁと 納得して、

 そういえば、私なぞはかなり土着的かもしれない。と考えて、「生まれてから、東京へでてくるまで、ズーッと同じ家、同じ町しかしらなかったから、上京後も場所を変わるのを極端にこのまなかった。

 と。

 ここを読んで私は「ちょっと待って!私は父の転勤についてあちこちウチを変わった経験があるけれども、そこが住みにくくなければ、居を移したくない『住めば都タイプ』だよ!」なんてココロの中で思ったのだった。

 丁度それを読んだあとに ブックオフの本がネット検索で探せて注文できると知ったので、そちらを覗くと、
 ブックオフ http://www.ebookoff.co.jp/top.html 

 馬鹿の壁で有名な 養老さんの本が出ていた。
 「まともな人」という題であった。
  「養老孟司が世の中の動きを定点観測し、現代にはびこる「ああすれば、こうなる」式の考え方に警鐘を鳴らす」なんて書いてあるから。 中身も読んでいないのに、ソウダヨナ 因果関係を考えることは確かに大事だけれども、少ないサンプル数で結論に結びつけたら駄目だな。 なんて思った。
 (本を読んでないので、どういう内容かは知らないのですけれど。)

 ありがちなことらしいけれども、 自分の「ああすれば、こうなる」という仮説を立証するためにいろいろな実験を行った時、できるだけ自分の論から離れた目で実験を行わないと間違った結論に達するということもあるらしい。 時々、研究者が陥りやすいワナに、知らず知らずに自分の説に有利な答えしか集めてこないということなどがあるようだ。 それによって導き出された答えは 見た目は「ああすればこうなる」という体裁をとっていて、ものすごく論理的にみえるけれども真実からかけ離れていたりすることもある。

■情報のソース

 つらつらと芋づるのように出てきてしまったのだが、たとえば情報発信源がどの程度の信頼性があるか?という点もあるだろう。
 たとえば、「鶏インフルエンザにかかった鶏は、すべて冷凍保存されており、出荷されたものはありません」
という情報は、たとえお上の発表であろうとも、テレビで放送されていて皆が聞いている常識だったとしてもそれが正しいかどうかというのはその情報発信源がどれだけ誠実にものを伝えているかということにかかってくる。

 よく目にするところで、「北朝鮮」の報道がどの程度信頼できるか。「アメリカ」の報道がどの程度信頼できるかとかもわかりやすい。

 こういう「お上」や「国家」という大規模なものではなく、もっと草の根的な情報にもそういうものがある。
「味○素を食べると頭が良くなる」とか <古っつ。 「三歳までは親が自分で育てないと悪い子になる」とか。
 こういう話には まことしやかな理由がついてくる。「ほら、三つ子の魂100までって昔から言われるように」とか(この言葉にはそういう意味合いは入ってないのですがね。。)「アミノ酸が効くらしいのよ」とか「グルタミン酸は必須の栄養素だかららしいよ」とか 

突然こういう「アミノ酸」とか「グルタミン酸」とかいう科学的な名前が出てきたり、「三つ子の魂百まで」なんていう先人の知識っぽいものが加わると 「ハハア〜」とひれ伏してそれを信用したくもなるというもんだ。
 
 たとえば「遺伝子組み換えした植物を食用にしても、なんら人間には問題がありません。」「食べ物の遺伝子が人間の体内に残留することなど常識的に考えてもありえません」という言葉を信じる人もいるし、

 いや、それは人間が数世代にわたって食用にした場合の結果が出てないから本当に問題がないと言い切れないんじゃないか。

と思う人もいるだろうし、

 食べ物と病気が関係ないんだったら、なんで肉骨粉食べた牛が狂牛病になるんじゃ? 

と思う人もいるだろうし、

 人間に関係ないとしても、大腸菌など他の遺伝子を取り込みやすい菌に対してはどうなんじゃ?

と思う人もいるだろうし。

 私たちは、いろいろな情報を取捨選択して自分のやり方を決めることができる。
まことしやかな情報、自分として信頼できる情報というのは、できるだけ感情からかけはなれた冷静な目で見て、「自分で」決めてやっていけば良いのだと思った。
 情報すべてをシャットアウトする必要はない。

それが、信用できようとできまいと沢山の情報があるほうが自分の決定の助けになる。
人がなんと言おうと 自分の基準で、自分の目で見て自分が納得のいくものを選択していけば良い いや「自分で選択していくしかない」と私は思う。

★「オフ=ボケー」の時期なので、日記も なんか歯切れが悪いなあ。