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王様の耳はロバの耳(過去ログ)

普通は言わないけど、みんなどう思う?言いたいけど言う機会が無いみたいなことをおもいついたときに書こうと思ってます。

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いそがしいのよっす 2004,4,26
今日は久々に 普通の日が戻ってきました。 ほっ。

実は、まったく私の性格が災いして PTA役員の中の委員長をやることに自らしてしまったのでした。

■なんでそんなことに

 実は私、皆でじりじり相手の出方を待つというそういうのが苦手なんです。
だれかがやるまでグルグルだまったまま息を殺して待つっていうのがよくあるんですが、その長い時間を耐えるくらいだったら、自分がちゃっちゃとやったほうがマシと思ってしまうんです。

 最初は、クラスで広報委員だけ立候補がなかったということだったので、こんなに皆がいやがっているんだったら、一ヶ月に1回会合があるだけだから私がやってもいいかな?なんて思ってしまったことから広報委員に。

 すぐに広報委員会があって、そこでは委員長・副委員長を決めるということに。
やることもわかってないわけだから私が委員長になるのはないなあとタカをくくっていたのですが、もう何時間もやるという人が出ない。(TT)なんてみんな我慢強いのだろう。。いつまで続くのだろう。。。と思い始め、副委員長だったら学校のことを知らなくてもできるだろうと手を上げたのがウンの付き。副も正もかわらないということになって結局委員長になってしまったのでした。 自己紹介で、一人も広報経験者がいないことも「わからないのは皆同じかあ〜」という意識が働いたというのも一因。

■聞いて無いよ

月に1回会合があるだけだと思っていたら、蓋をあけると 正・副委員長はそのほかに運営委員会というのが月に1回あってその内容を一週間以内にPTA会報として出す必要があるということ。 一気に拘束時間が増えることが判明。

 そうして、極めつけが どうやらコンクールに出して毎年賞をいただくようなそういう広報だったそうで、(おりゃ〜。今年はダメだね。)だからだれもなり手がなかったわけか〜。。と判明。
 今後も講習会とかその他が目白押しにやってきます。

 こんなことだと知らなかった(あらかじめ調査してなかった私が悪い)

ま、そういうことで、一年間頑張ってやりたいと思います。(どうにかなるでしょう)

ということで、いまのところ5月くらいまでほとんど何かで予定が詰まっているんですよねえ。それ以外の日は資料作りなどもしなければいけないし〜。失敗した〜。

でも、がんばるっす。

出来りゃ、なんでも面白い 2004,4,25
昼間にテレビで 今日から始まる新番組というような番組をやっていた。
「IQサプリ」という番組だった。http://www.fujitv.co.jp/b_hp/1229sapri/(あれ?以前は深夜枠でやってたのか〜)

「最近はこういうの、考えたくないんだよね〜」なんていいながら いくつか問題を解いていると、だんだんと出題パターンが見えてきて答えが当たるようになる。
 (結局は出題者のパターンを読めれば正解ってことのような..)

夕方も、見るものがなかったのでそのままそれを見ることにした。
するとどうだろう、昼間のウオーミングアップが効いて全問正解!
ひそかに「うきき。私ってばかなり脳細胞が死んできたと思っていたけどまだまだいけるジャナイディスカー」とすぐに調子にのってしまう。

 3−2=36 の数字を一つ動かして正しい式にしてください とかそういうのをやるわけです。
最後のほうはもう調子づいちゃってノーヒントでもあたるようになってきて。

あんなに、「こういう番組は嫌なんだよね」なんていいながら一番ノリノリでやっていたのは私という結果でした。

思えば、出来りゃなんでも面白いんだよなあ〜。

 この番組の宿題は 竹 内 人 月 力  これで 意味の通る文字を作って下さいとのことでした。(^^)V

■しかし。。。。

さっきから探しているのですが、数ヶ月前に100円均一ショップで購入してきた封筒がない!どこにやったのだろうか。。。こんな風にものの置き場がわかんなくなってしまうなんて いままでそんなになかったのになあ。
 やっぱり 脳細胞。死んでるんだろうなあ。




宿題の答えは多分以下(われながら「いいかげんにせんか!」というほど調子づいてます)

筋肉
ついでに、数字をひとつ動かすというのは
36の3を動かして 上下回転させ
それを 一番最初の3にくっつけて8にする
という技
:これは出題者の癖がよめてないとできなさそう


いろいろあって 2004,4,23
いろいろ身の回りがめまぐるしいです。

書くこともたくさんあるのですが、書くだけ落ち着いていられない。
残念!

ところで、今日はコーヒーブレイクみたいな雰囲気で先日気づいたことを。

先日近所の園芸店(激安)で 6号(直径18センチくらい)のバラが売られていました。
立て札にはポリアンサローズと書いてあってやはり激安価格です。
ああ、ポリアンサも安くなったなあとよく見ると、 ハイブリッドティのバラの写真の入ったラベルがついていました。 ラベルに書いてある名前は代表的なポリアンサのバラの名前。

 で、いくらなんでも ポリアンサにHTのバラのラベルはつけちゃダメじゃないかなあ。つけるんだったら画像なしのほうがまだ良いよ。。とちょっと??と思ったのでした。

全くラベルの写真と違う花が咲くということは バラや椿などでは多いようで、ラベルを一つずつ作るということは手間もお金もかかるため 赤いバラ や白いバラ 赤い椿や白い椿 など代表して色で作って後から名前を書き込んだりすることも多いようです。花の写真を頼りに苗を買うとまったく違う花が咲いたということもありえます。

今回売っていたのは ホワイトマザーズデイ
コンナカンジの
http://www2h.biglobe.ne.jp/~uphill/home/veranda/back/veranda_02052.html
ころころんとした 小さくてかわいらしい花を沢山つけます。
数年前は手に入れようとおもってもなかなか近所では見かけなかったものです。
こういう花が咲く品種に
たとえば
http://www.diy-town.co.jp/rose/allrose/0558.html
こんな写真がはいっていて ホワイトマザーズデイ なんて書いてあったら。。

(TT)

おまけ。バラの歴史です。
http://www.diy-town.co.jp/howto/rose/rekisi.html
 
写真はパットオースチン。 オレンジに引かれて購入したのですが、オレンジにはなりませんでした。かすかに銅色を帯びたピンクに咲きました。

これは上の系統にはないイングリッシュローズ(クラシックな花型をもったモダンローズ?)という系統になります。
http://herb.hanagokoro.co.jp/UKrose.nsf/pages/rose_all

2004,4,21
■豊かになった日本

大正時代、昭和初期の時代をテレビや写真で紹介されるのを見ても、日本の生活水準は上がっていると思う。日本人がたぶん戦後息をのんだであろうアメリカ並みの生活水準に追いついて、昔ならば「金持ちの生活」並みの便利な生活を現在のほとんどの日本人が出来ている状態ではないかと思っている。

昔の写真
http://www.city.nanyo.yamagata.jp/webs/rekisi/bunkazai/rekisi09.htm
http://www.bashouan.com/psBashouNs02B15_2.htm

水準があがった反面、社会の懐の深さという点ではどうなんだろうと思った。
私は私の生きた時代しか経験がないのだが、どうも、暮らしにくくなってきているような印象が強い。
 皆の懐が豊かになってきたと反比例して懐の深さが減ってきたような印象を持つのだった。(私の生きてきた人生で懐の深さ云々を語れるほどの記憶があるわけではないが)

■懐が深い

そもそも懐が深いというのはどういうことだろう。
それは、多様性の容認だと思う。「私はこうおもう。あなたはこう思う」私と違う考えを持つあなたを許さないのではなく、あなたの考えも理解しようとする。共通点を探す。そうして、違いを受け入れる。
 これは、無関心やあきらめとはまた別の次元であると思う。その根底には対象への理解があると思う。

 人は、豊かになり、教育程度が上がると同時に懐が深くなるような印象を持っていたが、どうやらこの現象を見るとそうでもないらしいと思う今日この頃だ。

 人質事件の自己責任説についても、どうやら「あの3人はつかまる前から自衛隊の撤退を求めていた人たちだ」という 自分の仲間ではない という意識が働いているようでもあるし、また、人様に迷惑をかけたのに態度がデカイ!というのがその怒りの根底にあるらしい。
 私は、実はニュースは朝のNHKニュースだけ。ワイドショーは見ない。後は新聞とネットで情報を収集しているために、人質になった人たちおよび家族の人々の反感をかうようなコメントを全く見ていなかった。 

 その内容を見ていないから言及できないと思う反面、NHKで報道される程度の事実以外に家族の職業や家族の支持政党などとともに扇動的な言動を、ワイドショーなどが繰り返し伝えていたとしたら、ある意味日本人は踊らされていたとも思えなくも無いと思う。
 このような状況であれば人が失言してしまうという可能性は本当に高いと思うし、それを許容できない社会は やはり懐が浅いのではないかなあと思った。(家族が生きるか死ぬかという瀬戸際ですから)

また、家族側も その報道を見た大半の人が怒ってしまうようなコメントを言ったのだとしたら、ある意味、自分の価値観以外を容認できない懐の浅さがあったのかもしれない。(これについては報道を見ていないためなんともいえない)

 いや、もしかしたらこれは新しいことではなく、昔からある村八分が国単位になったようなものということかもしれない。
 情報伝達が早く、広くなったということで、この「仲間はずれ意識」が広範囲にわたるということは 裏返すと 昔ならば隣の村でやり直せたが今はそれができないという、他の人と大きく違う価値観を持つ人は住みづらい状態になっているのかもしれないと思ったりした。

■多様性に触れる

 話はずいぶんと飛んでしまうが、
少し前に知り合いの方が体験として、自然は人を癒す力がある ということを体験的な話として書いていらした。

なぜ、自然は人を癒す力があるのだろう。
それは、人が作ったものはやはり自然の多様性に比べると比較にならないくらい単純だからではないだろうか。
 そういうものに囲まれた現代で暮らしていると、知らず知らずのうちに 暗黙のルールに従うようになり、多様性を容認できなくなってしまう。それが自分の許容範囲を狭め、「いらいら」につながるのではないだろうか。

多様性を排除することは、先の選択肢も少ないため予測もつけやすい、とりもなおさず能率を上げることができる。
しかし、忘れてはいけない。人間自体が自然の一部であって多様性をもつものなのだ。

自然と触れることで、自分の意識しない沢山の可能性にふれる。水面を吹く風が作る水の模様を見て癒される。それはとりもなおさず、自分の頭で予測できない多様性を人がもとめているということではないのだろうか。
 川原に並んだ小石の一つ一つ。風になびく髪の一本一本 人の表情のひとつひとつ CGを例にとっても、ここ数年で目覚しい進歩を遂げているけれどもまだ、実写と区別がつかないほどまでにプログラムで動きを実現するまでには至っていない。

 人の自然な動きを映像やロボットで実現するためには一からプログラミングで実現するよりも、手足などをポイントにして、それを機械で読み取って情報に置き換えるという手法が開発されている。
人が脳みそで考え、筋肉を動かして動くその動きでさえ なんらかの計算機でプログラムしてバーチャルな世界で再現させることは難しいということだ。 

 今の私たちの身の回りにあるすべてのものは、人造物を含めて元をたどれば自然界にあるものであるということを考えてみる。新しい発見はいつも自然の中の多様性の中からの発見だ。多様性を排除して多様性を否定しては生きていけないし、これ以上の発展はない。

ぶっちゃけてあなたと私の関係に限定した話をすれば、あなたと私を考えたとき、違う点を数え上げて排除していく考え方をすればきりが無い。最後に残るのは自分ひとりだ。すでにDNAレベルで絶対に私とあなたは違うわけだ。しかし、ここであなたと私の共通点を考えてみる。思ったよりも沢山ある。それもそのはず。あなたと私は分類学的にみて人間という枠組みに入る同じもの同志なのだ。

 自戒もふくめて、懐の深い人間。多様性を受け入れられる人間になりたいものだと思ったのだった。

■写真について
もうそろそろ薔薇の季節です。 イントゥリーグ intrigue この名前で以前植物関係のメーリングリストで以下のような話題になりました。
 intrigueを辞書を引くと 陰謀とか 策略、不倫、のような意味が出てきます。
この薔薇は 紫がかった赤色のなんとも魅力的な色合いと姿をしています。時に花型が崩れている写真もカタログでも多くみかけます。
どういう経緯でintrigueという名前がついたのだろうか?という話でした。
結局 ネーミングの経緯はそこでは明らかになりませんでしたが、英語によく触れられている方の話で、そういう意味ではなく 「好奇心をそそる」という意味合いが強いのではないかということ。 こういう単語の理解は辞書からだけではなかなか難しいですね。まれにということで「惑わす」という意味で使うと辞書に出ていますが、私は 惑わすという意味でも良いくらいに 妖しい美しさの薔薇だと思います。
 

満足感&自分で決める 2004,4,19
先日から書こうと思っていたことで、やや賞味期限が切れかけている。

■育児時間

会社の同期と会ったときに、今年から私のいた会社では、子供が小学校3年になるまで育児短時間勤務が使えるようになったとのことを聞いた。普通に考えると「ああ、タイミング悪かったなあ。4月までがんばっていれば会社が続けられる道は開けたかもしれないのに。残念。」と思うのだろうが、私はそれを聞いても「ああ、そうか。」と思ったけれどもそれ以上別段なんとも思わなかった。

 というのは、たぶん私が「会社を辞めたくなくてやめた」のではなくて「会社をやめたくて辞めた」からなのだろうと思った。

 子供が生まれる前は 会社がおもしろくておもしろくてたまらなかった。
自分が見つけた問題点を解決する方法を企画にし、交渉し、設計し、提供する。今考えるとまさに趣味として仕事をとらえているようなとても幸せな状態だった。
 裁量権を頂いていたので、自分の判断ですべて決めてよかった。それが成功時の喜びにもつながり、やりがいにつながっていた。

でも、子供が産まれてからはやはり仕事にのめりこむことが難しくなった。
時間的な束縛は私のような仕事にはきつい。 会社勤めのころは、裁量労働制や目標管理の関係でそこまで正直にはいえなかったけれど、正直に言うと、どんなにきちんと仕事を仕上げていても、思いもよらないアクシデントが発生しないということはない。
そういう時に、仕事よりも優先するものがあるということは 自分の気持ちを仕事に向かって全開に出来ないということだったと思う。 特に長距離の通勤はネックだった。
その時間は仕事にも育児にも使えないのだから。
 (今になって思うとその時間で読書が出来たわけだけれども、それは私の時間が取れたというだけだ)

 会社には、ぎりぎりに辞めたいと言ったわけだが、実は数年前から暖めていたことだから自分には会社に対する未練はすっぱりとなかったのだった。
そういう理由で、多少就業時間を短く申請することができても、今のこの状況よりも良い状態になるわけがないから、後悔しないのだと思う。

 今、家で育児と家事を主にする生活をしているが、一つ一つに満足している。
たとえば、子供の疲れ具合をきめ細かく見ることができる。子供の状況に合わせてのケア(遊びに行かせる行かせない、病院に連れて行くなど)が満足にできる。
 たとえば、傘を持たないときに雨になった場合も迎えにいける。 学校やサークルからの連絡をいつでも受けることができる。

 そういう一つ一つが私に与える安心感、満足感は 会社に勤めていた頃の不安感と比較すると本当によかったと思える出来事だ。

 ところが、ここで、もし。。と思う。
私が自分から会社を辞めたいと思う前に夫が「会社を辞めろ」と言って辞めることになったのだったらどうだろう。
 私には、会社にやりたいことが沢山あっただろうから、なにを見ても「あの時会社を辞めてなければ。。。」と後悔することも多かったのではないかと思う。

■ゆびしゃぶり

 視点を変えて息子のこと。
息子は赤ちゃんの頃、指しゃぶりをしていた。保育園や昼間はしないのだが、寝るとき、家でリラックスしているときなどに時々していたのである。
 何歳のころだったろうか。もうしゃべれるようになって、ある程度意志の疎通ができる頃まで続いた。指にはタコができた。
  よく親の悩みの一つに「何歳になっても指しゃぶりをしています。やめさせたいのですが。。」というのがあったので、これは気にするべきなのか。。と少しは思った。

 ある日息子に聞いてみた「指、おいしい?」おいしくないという答えが返って来ると思っていたら ニコニコと本当においしそうな顔をして「うん。」と息子が答えるではないですか。
 外でするわけでなく、さほど実害がないから、本人が自分で辞めるまでそのままにしておこうとそのままにしていたらいつのまにか指をしゃぶらなくなっていたのだった。

■ベビーカー

息子は歩き始めた頃は歩くこと自体が面白いようで、延々とドコまでもあるいていたけれども、ある日「歩くと楽しいけど疲れる」ということに気づいたらしく、
おなじみの場所に行く場合は「ベビーカーでいく」と主張するようになった。
 親としても保育園の送り迎えなど、ヨチヨチ歩きで歩かせていくよりも 暴走ベビーカーで連れて行ったほうが早いしラクチンなので「そうかそうか」とベビーカーでつれていきながら(こんなので良いのかなあ)と一抹の不安を感じながら。

 そんなこんなしながら、ベビーカーで登園するのは息子だけになって当分たった頃ポツリと保育士さんに「もう大きくなったから 明日からはベビーカーやめようね」と言われたら、あら不思議。「うん」といって その日を境にベビーカーに乗らなくなったのだった。

■大人も子供も

 こうやって考えてみると大人にしても子供にしても満足感って大切だなあと思う。
仕事に思う存分満足して、自分で辞めることを決められたからこそ、今の私がストレスを感じないでいられるわけだし、 他人から無理やりに 「○○をしろ!」と強制されることはストレスで禍根(大げさ?)を残すかもしれないけれど、自分から気持ちよく決めたことはすんなりとその状況を受け入れることができる。

 最近ふとそんなことを思ったのだった。

画像はチューリップ マリリン。赤はもう少し落ち着いた色です。

親子だね 2004,4,18
4月17日のデイリーロク
http://ww41.tiki.ne.jp/~roku/diary/diary048.htm
これを見て夫がウケテイタ。

私は面白いとはおもうけど、「座布団1枚」といえない。
なんでだろうと考えてみた時に、4月15日の自分のことを思い出してしまったから。

小学校一年生のたった6年しか生きてない息子とやりとりをして、必死の息子はああでもない、こうでもないと色々思いつく限りのことを言い始める。
 
私の頭の中には「こうだからやらなければいけないんだ」っていうのは絶対の真理なのに、彼はそれを押しても「なんでなの。○くん(じぶんのこと)やるっていってない。」といいはじめたり、「じゃあ、ままはどうしておはなをベランダにたくさんもっているの」と私の予測できない論理の飛躍で攻めてくる。

 私は予測できない論理の飛躍に弱い。思いもしなかったことをいわれてしまうと瞬時にへろへろになってしまう。
 そうして、だんだん情勢がわるくなってしまい。私たじたじ。
そうして、「もう言いたいことは全部いったからこれ以上話しません」になっちゃったんだよなあ。

 「もうなにがあってもしらないからね」って言ってしまう母の気持ちわかる。
 身につまされてしまうから、「面白〜い。」と楽しめないんだなあ。


夫に、しみじみと
「私があんなに落ち込んだのは、私の中で綺麗につじつまがあっていることを言いたかったのに、○くん(息子)が言うことにつきあってしゃべっているうちに『これじゃあ、ぜんぜん綺麗じゃない。つじつまがあわないじゃない。』と思うようなことしかいえなくなってきて、自分の言ったことに自己嫌悪しちゃったんだよねえ」

なんて言うと、夫は

本当に共感した顔をして「わかる」と言った。

噛み合わない話はストレスがたまる。自分の主張、相手の主張のつながりがみえないとき双方の話をまとめようと聞いている自分が混乱してしまうのだと思う。
(政治家などが対談をするのを聞いていると、お互いに相手がいてもいなくても同じ事しか言わないのではないかと思うほど、対談になっていないことが多いので、聞いているのが苦痛)

昨日、母から電話があっていろいろと雑談をしていたら

「あなたは、昔から口がたったから、困ったのよ。一度ダメといっても、どうにかして私を説得しようと『でもね。おかあさん、これはね』といいはじめて。最後は私が根負けすることも多かったのよ。」とのこと。

息子。もしかして、これは遺伝なのか。。。。

カトレア アップルブロッサムも咲きました。支柱してないのでてんでに好きな方向を向いてます。(実はこの写真は180度回転したもの)

パウエルさん 2004,4,17
ナンカヘンだ。日本。
昨日書いた自己責任について、本当に大問題になっているらしい。

 行政の無駄遣いや、議員年金の国庫負担金額については大事(おおごと)にならないのに、政治家は まるで自分達にまったく関係ない、指摘が及ぶわけが無い共通の非難先をつくって矛先をかわす良いチャンスとばかりにどんどんと責任追求しているかように見える。

私の家も朝日新聞を取っているのだが、昨日の夕刊3面の記事に憤っているひとりだ。

http://plaza.rakuten.co.jp/doctorwu/diary/#2004-04-16
この方もかいているが、まさに、恥を知れ日本状態だ。


 内容の推定をみてみたら、この外務省などからバグダッドではなくアンマンに向かった計25人が使ったチャーター機が一番高いじゃないか!。
 もし自己負担として責任を問うのだったら、その対策についても有効な対策だったか、本当に必要だったのか、機能したのかどうかも検証するべきだ。

※前にも書いたけれども、このような人質事件が始まったのは、4月4日に書いたファルージャでの授業再開を求めて学校からの米軍退去を求めた住民に逆上した米兵が発砲し、住民が死んでいるということから端を発している。亡くなった犠牲者の中には6人の子供が含まれている。
http://www.jca.apc.org/stopUSwar/Iraq/falluja-apl28.htm
 こういう事件の発端となっている米の行動責任問題はどうなんだ? 

■パウエルさん

 私もそのまま引用してしまうが、パウエル氏
====朝日新聞 2004年4月16日 金 夕刊 4版 3面
 自己責任問う声次々

イラクで人質になった市民の自己責任を問う声があることにつて
「誰も危険を冒さなければ私たちは前進しない」と強調。「より良い目的のため、みずから危険を冒した日本人たちがいた事を私はうれしく思う」と述べた。「日本では、人質になった人は自分の行動に責任を持つべきだと言う人がいるが」と聞かれたパウエル長官は、これに反論して「彼らや、危険を承知でイラクに派遣された兵士がいることを、日本の人々は誇りに思うべきだ」と語った
====

 個人的に信頼していたパウエル氏が今回のイラク攻撃へのgo方向の姿勢を出した時、私は「パウエル、なんだ。。。おまえもか。。」と落胆して彼への信頼は粉々に崩れ去ってしまった。

 ところが、最近になって 大量破壊兵器の脅威を訴えた 2003年2月の国連安保理での自らの演説の間違いを認めた姿勢といい、今回のコメントといい、少し彼に対する信頼や共感が私に戻ってきた。

 だいたい、最近の日本人のこの大局を見ない傾向はなんなのだろう。
だれかが言い出した事を自論として主張すること、一番多い意見に賛同することはすこぶる早いのに、その前の段階から続けて物事を見て自分なりの思考を組み立てるということが出来ていないように思う。日本人は今とても情報操作をしやすい状態だ。
 これで、イラクは危険だからマスコミも行かない(行ってはいけない)という状況になり、情報が政府側の流す情報だけになったら世論の操作はもっと簡単になる。

ここらで、ブッシュあたりが三人の人質に関してパウエルさんと同じことを言い出したらこの後どういう展開になるかが見てみたいとも思うのだった。

以下は4月4日に書いたパウエルさんの証言

http://www.google.co.jp/search?q=cache:rvrvagp6EQgJ:www.asahi.com/international/update/0403/008.html+%E3%83%91%E3%82%A6%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%80%80%E5%9B%BD%E9%80%A3%E3%80%80%E5%A4%A7%E9%87%8F%E7%A0%B4%E5%A3%8A%E5%85%B5%E5%99%A8&hl=ja&ie=UTF-8
(もうキャッシュしかない。。なんでだ?)
asahi.com より
===
「国連演説、間違った情報を元に」 パウエル長官認める
-----------------------------------------------------------------------------

 パウエル米国務長官は2日、イラクの大量破壊兵器の脅威を訴えた、昨年2月の国連安保理での自らの演説の間違いを認めた。可動式の生物兵器製造施設について、「確たる情報に基づくものではなかった」と述べた。この演説は米国が武力行使に踏み切る重要な節目だっただけに、「戦争の大義」を巡る米国への批判が強まりそうだ。

 欧州訪問からの帰途、機内で同行記者団に語った。

 長官は2月5日の安保理外相級会合で演説した際、目撃者の証言をもとにしたとされるトレーラー型の生物兵器製造施設の図を示しながら、イラクの生物兵器の脅威を訴えた。これについて、長官は2日、詳しい経緯は説明しないまま「いまや確たる証拠ではなかったことは明らかだ」と認めた。

 その一方で、「あれは最も劇的なものだったから、複数の情報に基づいているのか確かめた」と説明。「私は当時、確たるものとして提示された情報をもとに国連演説を準備した」とも述べ、情報当局のミスだったことを示唆した。

 現在、独立調査委員会が、イラクの大量破壊兵器に関する情報の取り扱いに間違いがなかったかを検証している。長官は「情報当局が確たる根拠をもとにしていたのかを委員会が調査してほしい」と述べた。 (04/03 13:55)

===

■テレビを見ていて

テレビを見ていてムッとしたのだが、
今回の3人について、「山が悪天候だったから山登りは避けてくださいと言っているにもかかわらず アルピニスト精神ですといって山に登った人が遭難したのは自己責任だ」との論を展開していた。

山登りと今回のことはちょっと違うのではないか?

たとえるとするならば、

「火事になった家にそこのご家族が取り残されていた。消防隊員は危ないから近寄るなと言ったけれども、見ていられなかった一般人が救出に向かった」という状態ではないだろうか。

全部咲いてわかったのですが、この球根はたぶん間違い球根。フューエリーゼを買ったのに。(綺麗だから好きになっても、私はあなたの名前もわからない。だから、来年同じ球根を買うことができないんだよね)

少数派の意見 2004,4,16
自分が正しいと思っていることについて、全く世の人が違う反応をすると本当に驚く。

人質になった方たちが無事帰ってきてほっとした私なのだが、こういう感想を持つ人は何か私と共通するものを持った人たちだけなのかと思ったりもした。
 というのも、本当に私にとって見れば、人質になってしまった3人やそのご家族を非難する人のあまりの多さに「驚愕した」といっても大げさでは無い。

ある場所に 「身内が命の危険に晒されて(曝されて)辛い思いをしてる家族に励ましよりも、誹謗中傷や嫌がらせの手紙の方が多かったということを聞いて、日本も終わりかなと思った」
と書いた方がいて、ああ、そうだよなあとやっと私と同じ感覚を持つ人がいてホッとした次第。

 3人を救出するために税金がかかった。そのお金を誰が払うべきかなどともある場所でいろいろ言われていたのですが、今まで行政の兆億単位の税金の無駄遣いはそんなに強い主張はほとんど見かけませんでした。
 だれかわからない空(くう)に向かって叫ぶがごとくの感のある行政に文句を言うよりは「誰」と顔をもつ実態のほうが文句を言いやすいというのもあるのかもしれないけれど。

 弱った人や弱った場所、困っている人、誰かが最初に悪いと言った人、そういう人に「そうだそうだ〜。お前が悪い」と親分にくっついたスネオ的な悪く言えば「いじめ」の心理がそこに見え隠れしているようにも思えます。

ちょっと落ち着いてかけないので、中途半端ですが。
多数決の世界の恐ろしさというのが 突然実感されたというか。

ところで、まったく話はかわりますが。

今日は参観日と懇談会に行ってきました。ううう〜んんという感じです。

 
 

 

2週間目 2004,4,15
あと1日で息子が小学校に通いはじめてから2週間目が終わります。
一人っ子なので私も小学校は初めての体験。すべてが新しいことばかり。

いままでは「カワイイカワイイ。イイコイイコ」で元気に素直に育てば良いと思っていただけだったのですが、小学生ともなると色々な心配も出て来ました。

■担任に対する不安

もう2週間目になるのになかなか時間割が配られません。よそのクラスは配られたそうですが、うちのクラスだけが遅れている様子。とりあえず、こくご、さんすう、おんがくを持って来いといわれて持っていかせるわけですが、「今日なにしたの」と聞いても
「べつに〜」という様子。 
 親に対するフィードバックがないのもとても不安を増幅します。
「今なにをしています」そういう連絡が隣のクラスは毎日あるのにうちの子のクラスはなにもないのです。 せんせい〜。お願いしますよ。という気持ち。

■学校に対する不安

 息子が通っている小学校は、かなりの人数が中学受験をするようです。実家の近辺では今でも、私立中を受験しなくても、高校まで公立で大学を受験し、充分普通の教育が受けられたのですが、こちらでは小学校6年間でどうやら親が心配になってしまって中学校から受験させるらしい。 それはどうしてなんだろう。 

もうすぐある家庭訪問の話題も出ました。家庭訪問は玄関先だけでお帰りになるとのこと。では何のための家庭訪問なんだろう?
そういうことだったら個人懇談で良いのではないだろうか?と夫と話しました。
 多分、あがりこんでしまうと教師側も時間がかかるし、親としてもあがってもらうよりも玄関先のほうが都合が良い(プライバシー?)ということでしょうか。
 なんだかそれはそれで心配な気がします。

■叱るために親がいる

とても落ち込んだ夜でした。
息子は元気に毎日小学校に通っていますが、やはり多少疲れが表れてきたようです。
元気そうに、本人が行きたいというので、放課後子供たちと遊ばせる時間を長く取ったり、昨日は友達の家に行かせたりしたのですが、親の私が環境の変化に伴って疲労を感じていると同じように、息子は息子で疲れてきていた様子。
 最初に約束していたことを 「やりたくない」といいはじめ、やりません。

約束を果たさないことを私が叱りました。息子は「やるって言ってない。」と主張します。そうすると私は「やると約束したと思っていたけど、きちんと相手に了承を得てなかったっけ?」と心配になります。

 私は私なりにやらせることに対して意義をもっていたわけですが、息子とのやりとりでその意義がだんだんとゆらいできてしまいました。最後は「言いたいことは皆言ったからこれ以上言うことは無い」と言って私は主張を曲げませんでした。
 でも、気分は最悪。 心の中では自分の姿勢に対する葛藤がぐるぐる渦を巻いています。

 帰ってきたpon1に顛末を話して少し気が治まりました。pon1曰く「それは、叱って当然の出来事だ。他人の子供だったら叱らなかったでしょう。叱るのも親の役目なんだよ。」と。
いまだに気分は最悪だし、昨夜は何回も目がさめてしまいました。
でも、がんばるしかないんだなあと思いました。
 これからは、こういう悩みが増えそうです。

今朝は久々に母に電話して、いろいろと私の小学校時代のことを聞いてみました。
私の中でもひとつ、なにか沈殿しておちついてきたように思います。

とにかく、褒めたり叱ったりしながら、自分が正しいと思う方向へ子供を向けていくことしかないし、それが親の義務ですね。 気負いすぎないように がんばります!

今年はお花大盤振る舞いの ビバーナム エスキモー 

疑問を自分のものにしていない 2004,4,13
今朝のNHKで在来野菜の種の販売や交換についてのニュースがあった。

アナウンサーはこんなことを言っていた
在来品を育てることについて
「在来固定種野菜を育てることは、自分で種をとってそれをまた蒔くことができるし、品種同士を掛け合わせて新しい品種をつくるたのしみもある。」

これは正しいだろう。
でも、NHKとして報道するのには突っ込みが足らなくないだろうか。

視聴者が「なぜ普及している種ではなくて在来品の種でないといけなのか」という疑問を持ちながら見た場合に、これでは消化不良だろう。

 なぜ、スーパーで売っている種ではなくてわざわざネット販売している在来品なの?
スーパーで売っている品種では種をとれないの?スーパーで売っている品種同志では掛け合わせて別の品種を作ることはできないの?
(もしかすると、取材した人は スーパーで野菜の種を売っているところがあるかどうかも知らないのかもしれないし、白菜の種といっても身近で簡単に手に入るものでも数種類あるということもしらないかもしれない)

そうなのだ。取材したひとが突っ込みきれてないのか、原稿を作る段階で落ちてしまったかした情報があるように思う。

自家採取した場合に、交雑してなくても親と同じものができない品種や種ができない品種がある。F1品種や一部のターミネーター処理を施した遺伝子組み換え品種など。それをはずしては この報道の「自分の家で種をとって、蒔く楽しみがある」という意味は一般には伝わらないと思う。

 これは、きっと取材者が相手の話をそのまま聞いて自分で理解できてないままに原稿にしたのだろうなと思ってみた。(相手はそういうことは常識だと思っているから、端折って説明することも多いだろう)

 報道全体からすると、野菜などのこういう家庭情報といえるような話題は軽くて責任のあまりかからない、悪く言えば主流から外れたものかもしれないのだが、こういう軽い話題一つにしても、昨今は突っ込み不足や表現不足を感じることが多い。

 どうしてそうなの? あなたは報道している内容を理解してしゃべってますか?と思うことも多くある。

 「人に言われたとおりをやる」「人の言うことを鵜呑みにする」「人の言っていることをそのまま オウムのように他人にしゃべる」という人がずいぶんと多い。
皆自分の頭で考えないのだ。

人が言うことを丸覚えにして、それだけを自分の知識と思い込むのではなく、自分なりの疑問を感じながら、興味を感じながら、自分なりに納得がいくように物事を理解することが不足しているように思う。これはやっぱり マークシート方式やテスト対応の教育の大きな欠点ではないのだろうかと憂えてみたりする。

 本当に興味を持って取材していれば、報道していれば もっと突っ込んだ話題になるはずだと思ってみた。取材する本人もそのほうがずっと面白いはずなのに。 

 「知らない。わからない。」ということを極端に避ける人もいる。知らないこと、分からないことは口をつぐんで 微笑んで、後でそれを丸覚えして口に出す。
 人の話を聞くときに、さも知っていたかのようにうなずきながら、微笑みながら聞く。
 相手は、ソレを見て「ああ、このひとは分かっている人なんだな」と思う。
それではダメなのだ。相手がしゃべってない部分、自分が理解できて無い部分が欠落するので、情報の質はどんどんと悪くなっていく。疑問点をつっこんで本当に理解する姿勢がかけていると思うのであった。

在来野菜を通販しているということで取り上げられた店はこちら
http://www.saitama-j.or.jp/~tanet/body.html

■コーヒーブレイク?

以前、なんでも「知ってるよ」というのが口癖の人がいた。
ある日、話をしていたらその人の額からたらたらと血が流れてきたので、話相手の人は驚いて、「○さん。額から血が流れてますよ!」と話の腰を折って教えたところ、彼は
「しってるよ」 と言ったそうだ。

 「知ってるよって言われちゃいましたよ。」とその人は言っていた。

写真はチューリップ ズレル

開放のニュース 2004,4,11
人質が開放されるとのニュースをほっとした気持ちで聞いた。
このことについて、また何か書こうと思ったりもしたのだが、かけなかった。

 いまさらのようになるが、単なる可能性の問題だとは思うのだが、最初にこのニュースを聞いたときに、「窮鼠猫を噛む」という言葉が思い出されたのだった。
今ボロボロになってしまった自分達の国。日々死んでいく民間人を見てどうにかしてくれというやぶれかぶれの行動ではないのだろうかと私はおもったのだった。

実際は、どういう人たちかというのは現時点では明らかになっていない。
だから、私のこの印象が正しかったとか正しくなかったとかを言いたいのではなくてただ私にはそんな風に思えたということだ。私の印象は外れていたかもしれないけれど。


 彼らの声明文をテレビが声に出して読み上げる。
不思議に彼らの主張は、相手国に暮らしている私が「そうだよな」と思ってしまう、すんなり私の心の中にしみこむようなことだった。
その主張は、日本政府の主張よりもずっと自然に私の心にしみこんだ。
日本政府は国民の命をおろそかにしていること、ブッシュの言いなりになっているように見えること、広島・長崎に原爆を落とされて敗戦した日本と現在のイラクを重ね合わせてみること。この辺はこの声明文が出る以前から私が感じていたこととほとんど同じだった。

 広島・長崎に原爆を落とされたこと、敗戦したこと自体について私はアメリカという「国」や「国民」に「憎しみ」を感じているかというとそうではない。しかし、今でも自分に逆らう相手には容赦なく武力攻撃を行い、沢山の民間人を含めた人間を殺し、たたきのめしておいて、その後復興支援というアメを与えて 手なずけ、地球全体を牛耳ろうとするその姿勢は正しくないと思う。なによりも地球において一番大きな破壊活動を行っているのは ほかならぬアメリカであるのに「正義」という名目でごまかしているように見える。彼らの思考や行動は第二次世界大戦のころから何一つ変わっていないように思えるのであった。

 勝ち組負け組みといういやな言葉があり、最近では「負け犬の遠吠え(※)」
負け犬の遠吠え
なんていう本が売れているわけで、世の中をひととの勝ち負けで考えるという考え自体がどうも私にはなじめないが。
 勝ち負けの国アメリカはそれが普通なんだろうか。

■銀河鉄道の夜
先日から手持の録画したビデオをDVDへ焼き直していて、偶然に4月の8日に焼きなおしたのが 銀河鉄道の夜だった。
ますむらひろしが絵を描き、細野晴臣が音楽をつけたアニメーションである。
原作は宮沢賢治。
青空文庫でも読める
http://www.aozora.gr.jp/cards/000081/card456.html

銀河鉄道に乗ってきた青年の話。
======(銀河鉄道の夜 原文より)====
いえ、氷山にぶっつかって船が沈(しず)みましてね、
=略=
私は大学へはいっていて、家庭教師にやとわれていたのです。ところがちょうど十二日目、今日か昨日(きのう)のあたりです、船が氷山にぶっつかって一ぺんに傾(かたむ)きもう沈みかけました。
=略=
もうそのうちにも船は沈みますし、私は必死となって、どうか小さな人たちを乗せて下さいと叫(さけ)びました。近くの人たちはすぐみちを開いてそして子供たちのために祈(いの)って呉(く)れました。
けれどもそこからボートまでのところにはまだまだ小さな子どもたちや親たちやなんか居て、とても押(お)しのける勇気がなかったのです。それでもわたくしはどうしてもこの方たちをお助けするのが私の義務だと思いましたから前にいる子供らを押しのけようとしました。
けれどもまたそんなにして助けてあげるよりはこのまま神のお前にみんなで行く方がほんとうにこの方たちの幸福だとも思いました。それからまたその神にそむく罪はわたくしひとりでしょってぜひとも助けてあげようと思いました。けれどもどうして見ているとそれができないのでした。

子どもらばかりボートの中へはなしてやってお母さんが狂気(きょうき)のようにキスを送りお父さんがかなしいのをじっとこらえてまっすぐに立っているなどとてももう腸(はらわた)もちぎれるようでした。そのうち船はもうずんずん沈みますから、私はもうすっかり覚悟(かくご)してこの人たち二人を抱(だ)いて、浮(うか)べるだけは浮ぼうとかたまって船の沈むのを待っていました。
========

この銀河鉄道の夜は、かなり宗教めいた話ではあり、私はこれと信じている宗教はないのだが、この場面は心を動かされる。

人の命を考えたとき、自分の命、自分に近しい人の命、知らない人の命の重さを考えたとき、自分のやっていることが正しいのだろうかどうなのだろうかと思う苦悩がこの言葉に表れていて、これはきちんとした「人の心」を持つ人の葛藤なのだなあと思ったのだった。

今のアメリカは 相手も自分と同じ重みを持った人間を相手にしていることや、自分が死をもって相手をさばくことなどできないということを忘れているように思う。
 「自分の考えに逆らう人を 殺すことは罪ではない」という考え方は 数年前に日本で発生した大きな事件で有名になった宗教の考え方と同じである。

(※私は結婚して子供がいたからといって誰かと比べて勝ちだと思ったことは一度もないです。pon1と結婚しようと思ったから、これからの人生このひとと家族として一緒に生きていこうと思ったから結婚しただけで、ひとと比べて勝ち負けを考えるために結婚したわけではない。たまたま私の人生に配偶者ができて子供が出来ただけだと思うし、そうでない状態を好むひとが一人で生きていてもそれはそれでその人の人生だと思います。
本を読んでいないのですが、私が仮に勝ち組に分類されるとして 負け組みに分類される人にどういった部分で勝っているのか?よくわかりません。 今度読んでみようか..)

画像はアプリコットビューティ

なにやってんだ人類。21世紀には不可能はないはずだろう。 2004,4,9
昨日からの出来事もあり、またもや混乱気味のpon2

ふと思うことがある。

つきつめてみると、結局「自分だけ」が幸せになるために行動しているかのように見える人。意外に多い。

 こういう人は、結局は自分の幸せだけしか考えてない人だと思う。つまり、たとえば、現在仲良くしていても、なんらかでお互いの利益が相反してしまったら平気で人を見捨て、敵にすることに何の疑問も感じない人たちだ。
言い換えれば、自分にしか愛を感じない人 かもしれない。

 相手のためのように振舞っていても、行動の裏には、自分の裏の目的が見え隠れする人もいる。

 たのまれていもいないのに、「皆のためなんだ。」と自分を正当化してやったことは 振り返ってみると 何一つ皆のためではなく、結局自分のためだったのではないかというのはよくその辺にころがっていそうな話だ。 

■ある事件

 彼は、自分の言うことを聞かない人が不気味だった。以前から人を叩きのめして服従させることで自己実現をしてきた彼は、相手を早いうちに潰したいとおもった。
安心して生活できないからである。
 敵は幾らでもいた。彼はクラスで一番になりたかった。これまでも、お金を使って腕力を使って沢山の級友を敵に回して喧嘩をしてきてこの地位にいるのだった。

しかし、何の裏づけもないままに相手を叩きのめすのではなく、なんとか正当な理由が欲しかった。自分はならず者だという評価が多少こわかったのだ。
 クラス会で相手が悪いヤツだから早いうちに叩きのめしたいと提案した。提案には調査結果をつけたけれども、本当はそこまで相手のことは分かってなかったんだ。
相手は「そんなことしてない」と弁明した。
クラス会では、クラスで叩きのめして良いという結論は出なかった。

 クラス会にかけていたら埒は明かないと思い始めた彼は、以前から飴と鞭を使いながら子分にした友達に「あいつは悪いやつだからたたきのめすべきだ。俺はこれだけ出すぞ。」と言った。 これには言外の意味があった。
「俺がこれだけだすぞ」ということは 「おまえはどれだけ出してくれるか」ということだ。 日ごろから、「俺の子分になったら、なにかあったときには俺が助けてやるから。」と言う彼。



民間人の人質をとられても自衛隊の撤退はしないそうだ。
アメリカに「評価する」とお墨付きをもらった回答だ。

3人の中の二人は「人のことを考えて、人のために」働いていた人たちだ。
小さな力でも、人の役にたつことで、人の幸せを自分の喜びとしている人たちだ。

 今、世の中には自分の幸せしか自分の喜びとできない人が多くなってきたように思える。人の幸せを自分の幸せとできない人ばかりになってしまったらと考えるとそらおそろしい。

人よりもいかに多く搾取するか。人よりも自分。皆より自分。
そうして、ほとんどの人が自分のことしか考えなくなり、譲り合い、喜び合うことをしなくなったら、その時こそ、最後の一人まで搾取しあい、だましあう世になるだろう。

人道支援という名ばかり一人歩きしてそこには愛は見えない。
自分に逆らうものは、「こんなやつ人間じゃねえ!」とばっさばっさと切り捨てても疑問も持たない人たち。「自分に逆らう人が悪」なのだ。

 あの国の大半が信者なのだろうと思う「左の頬を叩かれたら右の頬を差し出せ」という教えはもう今は化石になっているのだろうか。
左の頬を叩かれる前に 頬を叩けないように両手を切り落とすというのだろうか。


ちびまるこちゃんの エンディングテーマ。

「なにやってんだ人類ーどうしたんだ未来ー21世紀には不可能はないはずだろ」
http://www.sponichi.com/ente/200304/05/ente112017.html

ロバミミ。うまくまとまってないな...。まさに私の頭の中の混乱そのままだ。(^^)ゞ

私のようにおもっている人が多いのだとばかり思っていたら、どうやら私は少数派らしい。
http://www.hatena.ne.jp/1081438667

 世の中に正義があるとして、本当にあるとして、人の命よりも重い正義が本当にあるのだろうか。人の命を盾に脅すという行為はたしかに卑劣な行動だけれど、どういう人だからということで見殺しにして良い命が世の中にあるのだろうか。
どうして、そんなに早く、撤退しないなどと断言することができるのだろうか。

私は本当に混乱しているのかもしれない。

夫、心配する 2004,4,8
火曜日のことです。子供の初めての登校でした。

ちょっと過保護すぎたと思うのですが、息子は一人で外に出たことがありません。一度トレーニングしようとした頃にカラスに襲われてそれ以来行きたがらなくなったので「まあ、いいか」と今まで過ごしてきました。

その息子が一人で学校まで通うことになりました。道は何回か一緒に歩きましたし、距離は10分程度なので普通に考えると心配することはないと思うのですが、まだまだ一緒に歩いてみると、左右の確認が形式的に首をまわしているだけだったり、この近辺は抜け道になっているらしく、狭い道なのに飛ばしている車がわりと多いので心配はつきません。また、路地も交差点や三叉路だったらまだ良いのですが、 5つの道が合流する場所などがあり、子供には斜め後ろの道の確認などが難しいのではないかとかどんどんと心配は出てきます。

 幸い近所に新一年生がいるので、5人あつまって集団登校させることにしました。
中にはお兄ちゃんもいるので少し安心です。

朝、8時に集合して出発!となったのですがお母さんが一人荷物が多いからとついていくと聞くと、ほかのお母さんも私も、私も、と結局ぞろぞろと 普段着のままついていくことになってしまいました。もちろん。私も。

 息子がでかけてから家を出るとpon1は言っていたので、私が小学校から帰ってきたときは「窓から息子と私が小学校方面へ向かうのが見えた」というメールが残っており、出かけた後でした。

 そのメールを確認した後が忙しくてばたばた。息子は午前中で帰って来るので帰宅までにやらねばならないことが目白押しで外回りを何件かこなして2駅分いったりきたり。
やっと今日の予定がこなせて、家に戻った頃に 携帯にメールが入りました。

 日記の更新も、bbsの返信もなにもないので、自分を締め出してしまったのではないかと心配だ。家に戻れたのだろうか。という内容。

ああ、ごめんなさい。メールの返事くらい出しておけばよかったと、返事のメールを出した少し後に電話が「パパケイタイ」と鳴りました。
 外から心配して家に電話してくれていました。いつもこれだけ心配かけているんだなあ。私。

ドジドジのボケボケの私の行動パターンをよく知っているからこその心配。(^^)ゞ。
いかにも私がやりそうなポカです。(私は電灯なのでついているときとついていないときの差がはげしいんです。)
いつもご心配をおかけしてごめんね。ありがとう。>pon1さま



漫画まんが 2004,4,7
息子を送って「さて、明日持たせるものは..」と見ると。が〜ん。体操着入れをつくるのを忘れていたことに気がつきました。 ありゃ〜。(--;)今から作ります。

■はびこる漫画

一年生になる少し前から雑誌などでも「入学準備号」などという名前のものが発売されます。1.2冊購入したのですが、それに付録として保護者向けの冊子もついてきます。準備用品の商品カタログであったり、お母さんの悩みや心配に答える内容だと思うのですが、それが全く私には読めないのです。

 なぜか。。内容が漫画でかかれているからです。

私は漫画を読まないわけではありません。昔の漫画から今の漫画まで好きなものは楽しみに読んでいます。 でも、漫画とは私にとって娯楽であって、必要なことを知る手段ではないのです。

 箇条書きにして、表題をつけて 綺麗にまとめてあるものだったらさっさと必要なところだけを読み飛ばして短時間で内容を把握することも簡単なのですが、そういう内容がすべてドラマ仕立て、漫画仕立てになっていては読む気も起こりません。

 たとえば、
========時間のある方のみどうぞ(飛ばしても大筋関係ありません)====
 朝の○○家
 ジリリリリリリリ
 母:「もう。昨日の夜、テレビを見すぎたからか眠いわ〜。
 あっ!。もうこんな時間。大変。」 「大樹!(仮名)おきなさい。おくれちゃうわよ」
 ピンポーン
 あっつ。友達の太郎君が迎えに来た。
 ごめんね。大樹今おきたところなのよ。すこしまってね。 
 大樹!はやく洋服を着なさい。ランドセル持った?いってらっしゃい!
 
 学校で。。。。

 ぐるるるる。
 大樹君。元気ないわね。
 「先生きもちわるい。」
 保健室にいってみる?
 お熱もないし、おなかも痛くないのね。
 もしかして大樹くん、朝ごはんたべてきた?
 「ううん。あさおきたら太郎君が迎えにきてたので、そのまま洋服きてきたの」
 朝ごはんはちゃんとたべてこないと 学校にきてから元気がでないんだよ。
 それじゃ歯もみがいてないのかな。お顔は洗った?
 「ううん。なにもしていない」
 毎朝 朝ごはんをたべて、お顔をあらってハミガキしてくるようにしようね。

===============ここまで

 なんていう内容を延々漫画で見なければいけないことの苦痛!

 1)朝食は必ず食べさせましょう。
   子供の活動に必要なエネルギーの補給が必要です。
   朝から保健室に来る体調の悪い子の何割が朝食をたべてきていません。
   きちんと活動し、勉強できる環境にするために朝食をたべさせてください。
 2)顔をあらい、歯を磨く癖をつけましょう。
    〜〜〜〜〜〜などなど略〜〜
 3)早起きの習慣をつけましょう

 この3項で済むものをマンガで読むとストーリーを追いながら、「なにが言いたいんだろう」と回りくどく読む必要があります。


■文部科学省よおまえもか

 この入学式で配布された文部科学省からの 「ワクワク子育て」(○県版)という小冊子を見て驚きました。 

 漫画だらけ。(--;)

パラパラと内容をみたところ 当然のことが書いてあって「いまさら、文部科学省さんから言われることでもないわ」ということが多いので、ヘソマガリなpon2は辟易。

 読んで欲しいからの工夫なのかもしれないが、これでは本当に読む気がうせる(たぶん私だけではないんじゃないかなあ)というもの。 

漫画でない部分の記載にも、熱意がないというかお役所仕事だなあと思える記載。
 
たとえば、遊び・ゆとり という項目がある。
=====以下抜粋====
放課後や休日に子供たちが多様な活動ができる居場所をつくろう
子供の健やかな成長には、大人の力を集結して地域で子供たちをはぐくむことが大切です。そのためには、まず、親が「自分の子供は自らの責任で健全に育てる!」という決意をもつことが必要です。 ==中略==
そうして放課後や休日に多彩な活動ができる場づくりをすすめ、こどもたちとともにいろいろな活動に参加しましょう
=====以上======

 読んだときに「うざっつ!」(訳:うっとおしいなあ)と思います。
なぜでしょう。これは、いかにも当然のわかりきったことを説教されているかのように感じるからではないかと思うのです。

せっかく小冊子を○県版としてつくるのであれば、こんなことをダラダラ書くよりも、

放課後や、休日に子供たちと多様な活動をする

1)運動サークルに入ってみよう。
   大抵の小学校には休日に活動する運動サークルがあります。問い合わせてみましょう。
 2)近所の自然に触れることのできる施設を利用しよう。
    ○県の公立施設一覧。
      ○公園 : 夏場には バーベキューをすることもできます
            場所:
            問い合わせ先:
      
 3)学校の勉強以外にも子供の興味を広げよう
    ○博物館  ......

などという記載があればとても便利なのに。

 ※配布された冊子には巻末に情報編としていろいろな施設の情報一覧は載っていました。ただ構成がいまひとつという思いがあるので。

■つまり

 考えがまとまってないので分かりづらいロバミミですが、言いたいことは2つ

 1)なんで漫画なの?
   本当に皆漫画しか読まない人ばかりになってしまったのか?
   私は 箇条書きでさくさく読みたい。

 2) 読んで欲しいから漫画という選択肢は果たして正しいか
   構成を考えて、只の説教冊子ではなく、使える情報とすることのほうが喜ばれるのではないだろうか。

 と思ったのでした。

では、体操着入れを今から作成します。

世間の常識 私の非常識 2004,4,6
もしくは 私の常識世間の非常識かもしれません。

■雑巾

 ちくちく雑巾3枚縫いました。手縫いです。
そういえば、母が手縫いで雑巾を縫いながら、「ミシンで縫った雑巾は硬くて絞りにくいのよ」と言っていたのを思い出しました。
友達の雑巾を貸してもらったら本当にかちこちで、なるほど!と子供心に思いました。
 今は雑巾は安く売っているので、購入する人も多そうですが、あえて手縫いに。
それにタオルも新品ではなくてつかったものを利用しました。
 タオルも本当はある程度へたった方が雑巾としては使いやすそうに思います。
最近の厚手のしっかりしたタオルは (特に小学一年生用の)雑巾にはむきませんね。
温泉のタオルくらいが丁度良いかもしれません。そんなことを思いながら縫いあがりました。
 子供がいるとこんなことで自分がたどってきた歴史を振り返るのですね。

■常識・非常識

小学校という未知の集団に息子も母も昨日から飛び込んだわけなのですが、なんだか釈然としないことが沢山。

 たとえば、連絡事項にしてもとても中途半端なのです。

●沢山持ち帰るものがありますので、大きい袋をご持参ください。

この表記、たぶん会社ではありえません。
なぜなら 「沢山」というもの「大きい」というものが具体的でなくて抽象的だからです。 もし大きな袋を持ってきてくれと伝えるのであれば、

○教科書(A4サイズ5冊)程度(もしくは何キログラムとか)程度の荷物になります。
 持ち帰り用の袋をご持参ください。
○40×30×8 程度の袋をご用意ください。

などが私にとっては普通の表記です。

●机の上にプリントがありますので、その内容物が子供さんの机の上にあることを保護者の皆様はご確認ください。

  教科書
  プリント1枚
  申し込み用紙1枚

これも私にとっては、違和感のある表記です。
親が確認する必要があるのだったら、せめて教科書の冊数とか 教科書の種類とか書かないのでしょうか。
 「何冊ありますか?」と聞いたところ「え〜と。教科書がおいてあったらたぶん冊数はあっているので、ない場合は別途言っていただければお渡ししますので」とお返事を頂きました。(それでは何のための保護者の確認なのだろう?)

そんな風に今度入る小学校の指示がとても中途半端に見える今日この頃。
全国的にそんな感じなのでしょうか。仕事をしていた身としてはこの中途半端さがとても居心地が悪いのです。 会社・家庭・学校にはそれぞれの常識というものがあるようです。

■私の非常識

学費は農協からの引き落としにしてくださいとのこと。農協の口座をまたひとつつくらなければなりません。まず、JAバンクというのがどこにあるかが分からない。
 とりあえず、知り合いに聞いていってみたり、ネットで調べたりしたのですが、とても分かりづらい。
 3箇所行って2箇所ハズレ(JAの只のビルだったようで)。やっと今日口座をつくることができました。そうしてうちの近所にないかどうか尋ねたところ、たまに通る道筋にあることがわかりました。
 地味なので、気づかなかったようです。

○○商店で帽子を買ってください。とか 農協で口座を作ってください。
といわれてもその商店や農協までの地図もないので、「指定するところがあるのだったら地図くらいつけて説明するのが普通だろう」と私はおもうのですが、ふと思いました。
 もしかしたら、主婦というのはこの辺の路地一つ一つまでを熟知していて ツーといえば カア 状態なのかもしれない。
 私に主婦の常識がないだけなのかもしれない。

そんな風に、常識にふりまわされそうな予感です。まだまだ日単位で準備するものがあるようです。

 昨日はよく晴れて入学式日和でした。写真は携帯でとった桜の木

入学式 2004,4,5
今日は入学式。昨日の雨が残るとの予報がまたもやみごとにはずれてくれてありがとう。
 元気に一年生になってくれることでしょう。今朝は準備されたランドセルや靴が息子が起きるのをまっています。

昨日は、朝から ロードオブザリングを見に行きました。1を家で見たときに、これは大画面でみないと。。という思いが強かったのです。
 2を見てからと思ったのにそれを見ていないのでちょっと心配でしたが、大丈夫でした。

 すごくおもしろかった。

改めて映画のことは書こうと思います。
しかし、朝見たファルージャの映像があまりにも衝撃的だったので、戦争シーンはなんだかつらくなってしまいました。
「醜いけものたちをやっつけろ」(詳細失念)や「皆で死のう」(詳細失念)と善の勢力が叫ぶところがあるのですが、朝日記に書いた「鬼畜米英」とかその他がおもいだされてしまいました。

 醜いから、獣だからといって悪いとは限らないし、やっつけて良いとはかぎらない。
死ぬことを目的に戦ってはダメだ。 そんなことが頭をよぎりました。

 見た目が綺麗でも、心が醜いひともいるし、自分のことだけしか考えられない人もいるわけだし。。ま、子供の映画だから。。(^^)v

でも、それは私が朝の映像とくっつけてナーバスになってしまっただけで、全体的にはとても楽しめて。面白かった〜〜〜〜という映画でした。

息子もずっとだまって一生懸命見ていました。

ところで、一番うるさかったのは、夫の隣に座っていた おばさんでした。ずっとがさがさと紙の袋か、スーパーの袋の中から子供たちに食べ物を探しては渡していたみたいで、「なんで映画館で食べるとわかっているんだったら、最初に出しておかないんだろう。」とか「なんで1回で出せないんだろう。」とか 「紙やスーパーの袋ではなくてほかのものに入れてこないんだろう」と思っていたのですが、夫から聞いた話では
子供さんから「おかあさん!うるさいよ!」と注意されていたそうです。

 子供エライゾ!

あたしンち のおかあさんみたいな人だったのだろうか。
人のふりみてわがふりなおせ。

写真はぼっけぼけですが、先週行ったみなとみらい線の駅です。

イラク米民間人殺害事件 2004,4,4
今日は雨。昨日よりは調子が良いみたい。
昨日外に出たからかな。

今日も、少しでかけてきます。
朝の番組で流れていた今週のニュースの総集編
http://www2.asahi.com/special/iraqrecovery/TKY200404020402.html

あまりにもショッキングで悲しい映像で夫とふたりテレビの前で凍りついたように固まって見ていた。
人が人に対してそこまでの憎しみを持つことに涙が出てしょうがなかった。

 個人対個人で理由もなくそこまで恨まれるということは、あるかもしれないが、あれほどの民衆を突き動かすような、「集団ヒステリー状態」におくということは単に相手が悪いというよりもそれだけの行動をおこすだけのストレスを相手に与えているということを認識するべきだと思う。

 ファルージャでは以前反対デモに米兵が発砲し、住民が死んでいるとのこと。
http://www.jca.apc.org/stopUSwar/Iraq/falluja-apl28.htm

日本も戦争中に「鬼畜米英」という言葉があったんだなあと頭をよぎった。

ブッシュにとってみれば自分が大統領でいられるかどうかという私からみるとくだらない自分勝手な理由で報道自粛をすすめたいところだろうが。

 最初からなかったものはない(=大量破壊兵器) ウソはいつまでたってもウソだ。
どんなにつじつまを合わせようとしても それが本当になることは絶対にないのに。

パウエルさんは国連演説は間違っていたと表明したそうだ。
http://www.asahi.com/international/update/0403/008.html
彼が戦争にgoサインを出すとは思えなかっただけに あれからいままでにどういう動きがあったのか、今回の表明の意図も気になるところ。

教育ほかいろいろ 2004,4,3
いや〜。なんだか調子がわるいですよ。というか、普通にぼ〜んやり生活するにはオッケーなんですが、月曜に息子の入学式を控えた母がやることもあるのにこんなでいいんだろうかと思うような状態。

 なんといいますか、入眠前のぽわ〜としたような気持ちがずっと続くというか、強い花粉症の薬を飲んだときにボッケボケになったような感じ。

なんでしょうねえ。。と思ってはっと思いつきました。

先日会った友達が低血圧で、春になると時々すごく調子がわるいことがあると言っていたのです。 私もどちらかというと低血圧気味。
なにか、そういう症例があるのかと検索してみましたら、暖かくなって抹消の血管が拡張することでより一層低血圧状態になってしまうそうで。それかもしれない。
 そういえば、今日は暖かくて靴下がなくても足が冷たくないし、手も暖かい。

ま、そんなことはさておいて、

数日前の新聞にあったのですが、
http://www.asahi.com/national/update/0330/035.html
ゆとり教育で 削除された台形の面積や3桁と2桁の掛け算も戻ってきたとか。
いろいろ変えることによって、一番迷惑するのは子供たちだ。だいたい最初からゆとり教育には疑問を抱いていただけに、やっぱりね。。。という気持ちが否めない。
 間違っていたことを早く訂正する姿勢は認めねばならないと思うけれども、変更はもっと慎重にして欲しいとおもうのだ。 子供は実験材料ではないし、一人一人の子供がすごす小中学校の一年一年はその一人の子供には1回限りしかない真剣勝負なのだから。

それ関係で記事をさがしていて見た記事
http://www.asahi.com/national/update/0330/037.html
ののちゃんで英語を学ぼう。
なんでののちゃんなのだ? なんでもともと英語のものを教材にしない?

ぼろぼろ天井、サマワの小学校 支援は鉛筆1本とポリ袋
http://www2.asahi.com/special/iraqrecovery/TKY200402280227.html
ユニセフに募金していることは前に書いたが、届いたのが、1つの小学校に鉛筆1本ユニセフのロゴの入ったポリ袋1枚というのはお粗末。
 途中で搾取されてしまうようだったら、ユニセフ親善大使を送るお金をつかってでも、確実に相手先に届けて欲しい。わたしは募金者としてこんな風な状況は納得できないと思うのだった。

ぼわーんとしながら書いているので ちょっと不安だけど。
とにかく動こう。動いたほうが調子が良いみたいだし。
 


生返事 2004,4,1
家に息子がずっといる状態で、私がパソコンに向かって何か打ち始めると、のべつまくなく話しかけて返事を要求する息子。

 そんな状態なので、生返事しながら書くわけですが、まとまりません。

書きたいことあるんだけどかくまえに忘れちゃいそう。
後で書き直します。(できたら)

3つくらい書きたいことがあるんだけどね〜