人質が開放されるとのニュースをほっとした気持ちで聞いた。
このことについて、また何か書こうと思ったりもしたのだが、かけなかった。
いまさらのようになるが、単なる可能性の問題だとは思うのだが、最初にこのニュースを聞いたときに、「窮鼠猫を噛む」という言葉が思い出されたのだった。
今ボロボロになってしまった自分達の国。日々死んでいく民間人を見てどうにかしてくれというやぶれかぶれの行動ではないのだろうかと私はおもったのだった。
実際は、どういう人たちかというのは現時点では明らかになっていない。
だから、私のこの印象が正しかったとか正しくなかったとかを言いたいのではなくてただ私にはそんな風に思えたということだ。私の印象は外れていたかもしれないけれど。
彼らの声明文をテレビが声に出して読み上げる。
不思議に彼らの主張は、相手国に暮らしている私が「そうだよな」と思ってしまう、すんなり私の心の中にしみこむようなことだった。
その主張は、日本政府の主張よりもずっと自然に私の心にしみこんだ。
日本政府は国民の命をおろそかにしていること、ブッシュの言いなりになっているように見えること、広島・長崎に原爆を落とされて敗戦した日本と現在のイラクを重ね合わせてみること。この辺はこの声明文が出る以前から私が感じていたこととほとんど同じだった。
広島・長崎に原爆を落とされたこと、敗戦したこと自体について私はアメリカという「国」や「国民」に「憎しみ」を感じているかというとそうではない。しかし、今でも自分に逆らう相手には容赦なく武力攻撃を行い、沢山の民間人を含めた人間を殺し、たたきのめしておいて、その後復興支援というアメを与えて 手なずけ、地球全体を牛耳ろうとするその姿勢は正しくないと思う。なによりも地球において一番大きな破壊活動を行っているのは ほかならぬアメリカであるのに「正義」という名目でごまかしているように見える。彼らの思考や行動は第二次世界大戦のころから何一つ変わっていないように思えるのであった。
勝ち組負け組みといういやな言葉があり、最近では「負け犬の遠吠え(※)」
負け犬の遠吠えなんていう本が売れているわけで、世の中をひととの勝ち負けで考えるという考え自体がどうも私にはなじめないが。
勝ち負けの国アメリカはそれが普通なんだろうか。
■銀河鉄道の夜
先日から手持の録画したビデオをDVDへ焼き直していて、偶然に4月の8日に焼きなおしたのが
銀河鉄道の夜だった。
ますむらひろしが絵を描き、細野晴臣が音楽をつけたアニメーションである。
原作は宮沢賢治。
青空文庫でも読める
http://www.aozora.gr.jp/cards/000081/card456.html
銀河鉄道に乗ってきた青年の話。
======(銀河鉄道の夜 原文より)====
いえ、氷山にぶっつかって船が沈(しず)みましてね、
=略=
私は大学へはいっていて、家庭教師にやとわれていたのです。ところがちょうど十二日目、今日か昨日(きのう)のあたりです、船が氷山にぶっつかって一ぺんに傾(かたむ)きもう沈みかけました。
=略=
もうそのうちにも船は沈みますし、私は必死となって、どうか小さな人たちを乗せて下さいと叫(さけ)びました。近くの人たちはすぐみちを開いてそして子供たちのために祈(いの)って呉(く)れました。
けれどもそこからボートまでのところにはまだまだ小さな子どもたちや親たちやなんか居て、とても押(お)しのける勇気がなかったのです。それでもわたくしはどうしてもこの方たちをお助けするのが私の義務だと思いましたから前にいる子供らを押しのけようとしました。
けれどもまたそんなにして助けてあげるよりはこのまま神のお前にみんなで行く方がほんとうにこの方たちの幸福だとも思いました。それからまたその神にそむく罪はわたくしひとりでしょってぜひとも助けてあげようと思いました。けれどもどうして見ているとそれができないのでした。
子どもらばかりボートの中へはなしてやってお母さんが狂気(きょうき)のようにキスを送りお父さんがかなしいのをじっとこらえてまっすぐに立っているなどとてももう腸(はらわた)もちぎれるようでした。そのうち船はもうずんずん沈みますから、私はもうすっかり覚悟(かくご)してこの人たち二人を抱(だ)いて、浮(うか)べるだけは浮ぼうとかたまって船の沈むのを待っていました。
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この銀河鉄道の夜は、かなり宗教めいた話ではあり、私はこれと信じている宗教はないのだが、この場面は心を動かされる。
人の命を考えたとき、自分の命、自分に近しい人の命、知らない人の命の重さを考えたとき、自分のやっていることが正しいのだろうかどうなのだろうかと思う苦悩がこの言葉に表れていて、これはきちんとした「人の心」を持つ人の葛藤なのだなあと思ったのだった。
今のアメリカは 相手も自分と同じ重みを持った人間を相手にしていることや、自分が死をもって相手をさばくことなどできないということを忘れているように思う。
「自分の考えに逆らう人を 殺すことは罪ではない」という考え方は 数年前に日本で発生した大きな事件で有名になった宗教の考え方と同じである。
(※私は結婚して子供がいたからといって誰かと比べて勝ちだと思ったことは一度もないです。pon1と結婚しようと思ったから、これからの人生このひとと家族として一緒に生きていこうと思ったから結婚しただけで、ひとと比べて勝ち負けを考えるために結婚したわけではない。たまたま私の人生に配偶者ができて子供が出来ただけだと思うし、そうでない状態を好むひとが一人で生きていてもそれはそれでその人の人生だと思います。
本を読んでいないのですが、私が仮に勝ち組に分類されるとして 負け組みに分類される人にどういった部分で勝っているのか?よくわかりません。 今度読んでみようか..)
画像はアプリコットビューティ